시편 묵상 【영원한 성】 20240308(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

시편 48:1-14 48:1 여호와는 위대하시니 우리 하나님의 성, 거룩한 산에서 극진히 찬양 받으시리로다 48:2 터가 높고 아름다워 온 세계가 즐거워함이여 큰 왕의 성 곧 북방에 있는 시온 산이 그러하도다 48:3 하나님이 그 여러 궁중에서 자기를 요새로 알리셨도다 48:4 왕들이 모여서 함께 지나갔음이여 48:5 그들이 보고 놀라고 두려워빨리 지나갔도다 48:6 거기서 떨림이 그들을 사로잡으니 고통이 해산하는…

詩篇 黙想 【神にほめ歌を歌え】 20240307(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

詩篇 47:1~947:1 すべての国々の民よ手をたたけ。喜びの声をもって神に大声で叫べ。47:2 まことにいと高き方主は恐るべき方。全地を治める大いなる王。47:3 国々の民を私たちのもとにもろもろの国民を私たちの足もとに従わせられる。47:4 主は私たちのために選んでくださる。私たちの受け継ぐ地を。主が愛されるヤコブの誉れを。セラ47:5 神は上られる。喜びの叫びの中を。主は行かれる。角笛の音の中を。47:6 ほめ歌を歌え。神にほめ歌を歌え。ほめ歌を歌え。私たちの王にほめ歌を歌え。47:7 まことに神は全地の王。ことばの限りほめ歌を歌え。47:8 神は国々を統べ治めておられる。神はその聖なる王座に着いておられる。47:9 国々の民の高貴な者たちは集められた。アブラハムの神の民として。まことに地の盾は神のもの。神は大いにあがめられる方。   何を持って神様に対する思いと感情と意志を表しますか?私たちは神様の啓示を天上の何かではなく、人間の疎通体系である言語で受けました。人々はそのような神様御の言葉を読むことをいつも後に延ばしますが、神様は人間の言語をもって来られました。それは神様の御子であるイエス様が人になられたことと同じような神的配慮です。神様が人間の言語で啓示されたということは言い換えれば、言語で神様と人間は疎通できるということでもあります。したがって、神様のところに進む時は、自分の言語をもって進むことができます。たとえ不完全ですが、自分の文法と発音、そして自分のなまりのイントネーションまでも神様と疎通できる最高の道具になります。   宣教師たちは文盲の社会に入ってから学校を建てました。神様の御言葉を知るためには言語を理解しなければならなかったからです。信仰は歴史の上に常にありましたが、今のように多くの人が教育を受けた時代はありませんでした。したがって言い訳はできません。神様は人間の疎通手段である言語で啓示され、私たちはその言語で神様と疎通し、信仰を告白することができます。「私は理系だから…···」という言い訳をいつも聞きますが、専攻の問題ではありません。誰でも自分の言語で神様とコミュニケーションできます。技術とメディアの発達で活字を読まずにイメージで情報を消費する時代になりつつありますが、抵抗しなければなりません。文章を読んで解釈する特権を捨てると、イメージと映像を作る人々の意図によって理解が従属してしまうでしょう。まるで中世聖堂のステンドグラスのように…···   今日の本文で「ほめ歌を歌え」という言葉は、ヘブライ語で「ָזָמַר ジャマール」です。「褒める、歌う、演奏する」という意味です。韓国語のある翻訳では「詩をもって讃えよ」、ある翻訳はだた「歌え」と訳しました。あえて分野を分けるなら、文学で神様を讃え、音楽で神様を讃えることです。しかし、それは文学や芸術という分野に限るものではありません。それこそ、人間が神様に表現できる手段だからです。それぞれの専攻が何であれ、誰でも神様の前では自分の言語で祈り、神様の御言葉を受けることができます。音楽はもう一つの言語です。音楽の上に詩が重ねられると、意味ある歌を歌うことができ、楽器を用いた演奏で感情を表現することもできます。メロディーを作り、詩を作り、それを演奏して歌えば、神様に対する思いと心を表現する告白になるのです。   詩篇は宗教の経典ではありません。詩を作る人、音楽を作る人、演奏する人、礼拝する人が自分の感情を表した芸術の結果物です。音楽は神秘的なものであって、心がすぐに共感し、感情がかき立て、楽しくなり、すぐにでも踊れそうな感性を吹き込ませます。ダビデは軍人で、政治家でありましたが、私はハープ演奏者、詩を書く文学者、作曲家であったオールラウンド・シンガーソングライターのデイビッドが好きで、礼拝音楽を作り、指揮していたプロデューサーのデイビッドが好きです。Ⅰ歴代誌を見ると、礼拝音楽を作るダビデがどれほど細かいかがわかります。「契約の箱を取り戻す時は、ダンサーとしての面貌を見せたりもしました。自分の中にある信仰を表すためには必然的な活動だったのでしょう。苦難の人生だったダビデを自分と信仰を守ったは、ダビデの芸術性であると私は確信しています。芸術をもって苦しみを吐き出すことができたからこそ、生きられたのです。47編はダビデの詩ではありませんが、コラの子孫にとってもその動機と意味は変わりありません。   芸術とは、原初的な人間のもがきのようなものです。一部の専門家の専有物ではなく、すべての人間の合法的な現実逃避の出口です。音楽を聴いて、映画を観て、美術館に行くことができれば、息抜きができるでしょう。入浴時に体が弛緩するように音楽を聴くと緊張した心を弛緩することができます。芸術と宗教はもともと生まれが同じです。自分の感性を最大限にして、それを表現する作業は芸術と宗教が双子です。だから、儀式化され、硬直した宗教、または正しい規範的芸術はすべて矛盾です。音楽に門外漢だった私は信仰生活を始めてから、ふと賛美したくなりました。その朝、独学でギターを弾き始め、その夜に指から血が出ました。そのおかげで、その夜一番単純な曲ですが、一曲が弾けるようになりました。うれしかったです。やりたければできます。   そこで今日の詩篇の始まりは「すべての国々の民よ手をたたけ。喜びの声をもって神に大声で叫べ」です。熟達した芸を必要とするものではありません。「手をたたく、喜びの声をもって」賛美します。「ほめ歌を歌え。神にほめ歌を歌え。ほめ歌を歌え。私たちの王にほめ歌を歌え。6」とあります。私たちの経験、知識、感性を動かし、言語で表し、音楽で表し、映画にも、美術にも表現します。それを読み取って共感することも表現です。視覚と聴覚、神様に与えられたすべての感覚を通して神様に反応すること、それがすなわち賛美です。生成式AIがあらゆることを作り出す時代になりました。詩も書き、作曲もし、歌っています。賛美の詩を書き、曲も作りますが、非人格が神様を賛美することはできません。それはビッグデータではできません。私の中にある大いなる神様のことでしなければなりません。私のことば、私の詩、私の歌、私の涙、私の喜びと希望をもって私は私の神様をほめたたえることができます。

시편 묵상 【하나님을 찬양하라】 20240307(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

시편 47:1~947:1 너희 만민들아 손바닥을 치고 즐거운 소리로 하나님께 외칠지어다47:2 지존하신 여호와는 엄위하시고 온 땅에 큰 임군이 되심이로다47:3 여호와께서 만민을 우리에게, 열방을 우리 발 아래 복종케 하시며47:4 우리를 위하여 기업을 택하시나니 곧 사랑하신 야곱의 영화로다 (셀라)47:5 하나님이 즐거이 부르는 중에 올라가심이여 여호와께서 나팔 소리 중에 올라가시도다47:6 찬양하라 하나님을 찬양하라 찬양하라 우리 왕을 찬양하라47:7 하나님은 온…

詩篇 黙想 【われらの避け所】 20240305(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

詩篇 46:1~1146:1 神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある強き助け。46:2 それゆえわれらは恐れない。たとえ地が変わり山々が揺れ海のただ中に移るとも。46:3 たとえその水が立ち騒ぎ泡立ってもその水かさが増し山々が揺れ動いても。セラ46:4 川がある。その豊かな流れは神の都を喜ばせる。いと高き方のおられるその聖なる所を。46:5 神はそのただ中におられその都は揺るがない。神は朝明けまでにこれを助けられる。46:6 国々は立ち騒ぎ諸方の王国は揺らぐ。神が御声を発せられると地は溶ける。46:7 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらの砦である。セラ46:8 来て見よ。主のみわざを。主は地で恐るべきことをなされた。46:9 主は地の果てまでも戦いをやめさせる。弓をへし折り槍を断ち切り戦車を火で焼かれる。46:10 「やめよ。知れ。わたしこそ神。わたしは国々の間であがめられ地の上であがめられる。」46:11 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらの砦である。セラ   「やめよ。知れ。わたしこそ神。わたしは国々の間であがめられ地の上であがめられる。10」「やめよ」といったのは、不安であっても他の慰めや助けを求めないようにということです。これは出エジプト記を思い出させます。「主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。出エジプト記14:14」エジプトはイスラエルを解放した後、心が変わりました。災いの日にはしばらく落ち込んでいましたが、災いが止まると自分の力を信じます。イスラエルも信仰がなかったのは同じです。奴隷生活が良かったと、モーセにあらゆる悪口を言いました。自分の力を信じて追いかけてくるエジプト軍と紅海を前にして震えているイスラエルに神様は言われました。「主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。出エジプト記14章14節」4節ではエジプト軍に神様が誰なのかを表すと言われました。「エジプトはわたしが主であることを知るようになる。4」エジプトとイスラエルはともに神様のなさる御業を見ることになるでしょう。   ボクシングのコーチが若いボクサーを訓練させることを見たことがあります。血気いっぱいの選手が自分は絶対に負けないと断言すると、チャンピオン出身のコーチは「すべての人は必ず負ける」と話していました。興亡盛衰を避けていくことはできず、必ず危機と患難が訪れ、失敗します。誰においても同じです。いかに頑張っても、いつかは負けることをプロは知っています。多くの人は自らを騙しています。信じられない自分のパンチを信じて生きているのです。患難の日を避けることができず、その日には今受けていることが守れなくなります。人生が自らを救える力を追い求めているようですが、実は人生も自分で自分を救えないということは知っています。実に人生が求めていることは慰めです。お金に慰められ、権力が慰められ、家族が慰められ、人気が慰められるということを知っているからです。一時的ですが、確かに慰めにはなります。しかし、その慰めは長続きができなく、真の慰めを受けられないように妨げるものです。その慰めに執着すると、信仰も、人間性も、道徳性も危なく、失ってしまうことがあります。   神様にのみ受けることができる慰めがありますが、それが魂の救いです。神様に救いの慰めを受けた人生は、他のものが与える慰めに執着することはできません。謙遜とは、滅びた後の後悔ではなく、興じる時にそれを認めることです。すべてが消えても、最後に残った避難所があることを望みます。 頼れば頼るほど良い、そのような避難所があるといいと思います。何ことにも頼れない時、じっとして神様の救いを見ることができればと幸いです。自分にじゃ世に打ち勝てる実力がないですが、信仰をもって静かに神様のなさることを見るのです。その証しがなくては神様を信じることはできません。 心を置くところがどこにもなく、頼るところがない時に神様が私たちの避難所になります。「万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらの砦である。」

마가복음 묵상 【우리의 피난처】 20240306(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

시편 46:1~1146:1 하나님은 우리의 피난처시요 힘이시니 환난 중에 만날 큰 도움이시라46:2 그러므로 땅이 변하든지 산이 흔들려 바다 가운데 빠지든지46:3 바닷물이 흉용하고 뛰놀든지 그것이 넘침으로 산이 요동할지라도 우리는 두려워 아니하리로다(셀라)46:4 한 시내가 있어 나뉘어 흘러 하나님의 성 곧 지극히 높으신 자의 장막의 성소를 기쁘게 하도다46:5 하나님이 그 성중에 거하시매 성이 요동치 아니할 것이라 새벽에 하나님이 도우시리로다46:6…

마가복음 묵상 【왕의 신부】 20240305(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

시편 45:1~1745:1 내 마음에서 좋은 말이 넘쳐 왕에 대하여 지은 것을 말하리니 내혀는 필객의 붓과 같도다45:2 왕은 인생보다 아름다와 은혜를 입술에 머금으니 그러므로 하나님이 왕에게 영영히 복을 주시도다45:3 능한 자여 칼을 허리에 차고 왕의 영화와 위엄을 입으소서45:4 왕은 진리와 온유와 공의를 위하여 위엄있게 타고 승전하소서 왕의 오른손이 왕에게 두려운 일을 가르치리이다45:5 왕의 살이 날카로와 왕의…

詩篇 黙想 【王の花嫁】 20240305(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

詩篇 45:1~1745:1 すばらしいことばで私の心は沸き立っている。王のために私が作った詩を私は歌おう。私の舌は巧みな書記の筆。45:2 あなたは人の子らにまさって麗しい。あなたの唇からは優しさが流れ出る。神がとこしえにあなたを祝福しておられるからだ。45:3 勇士よあなたの剣を腰に帯びよ。あなたの威厳とあなたの威光を。45:4 あなたの威光は勝利のうちに進み行け。真理と柔和と義のゆえにあなたの右の手はあなたに教えよ。恐るべきわざを。45:5 あなたの矢は鋭い。国々の民はあなたのもとに倒れ王の敵は気を失う。45:6 神よあなたの王座は世々限りなくあなたの王国の杖は公平の杖。45:7 あなたは義を愛し悪を憎む。それゆえ神よあなたの神は喜びの油をあなたに注がれた。あなたに並ぶだれにもまして。45:8 あなたの服はみな没薬アロエシナモンの香りを放ち象牙の宮殿に流れる弦の調べはあなたを喜ばせた。45:9 あなたの貴婦人たちの中には諸国の王の娘らもいて王妃はあなたの右に立つ。オフィルの金を身に着けて。45:10 娘よ聞け。心して耳を傾けよ。あなたの民とあなたの父の家を忘れよ。45:11 そうすれば王はあなたの美しさを慕うだろう。彼こそあなたの主。彼の前にひれ伏せ。45:12 娘ツロは贈り物を携え民のうちの富む者もあなたの好意を求めて来る。45:13 王の娘は奥にいて栄華を極めその衣には黄金が織り合わされている。45:14 彼女はあや織物をまとい王の前に導かれる。おとめたちが彼女の後に付き従い彼女はあなたのもとに連れて来られる。45:15 喜びと楽しみをもって彼女たちは導かれ王の宮殿に入って行く。45:16 あなたの息子らがあなたの父祖に代わりあなたは彼らを全地の君主に任じる。45:17 私はあなたの名を代々にわたって呼び求めよう。それゆえ国々の民は世々限りなくあなたをほめたたえよう。   詩人は王の栄光を讃えますが、6節ではその王を王にする方について神様と呼びます。「神よあなたの王座は世々限りなくあなたの王国の杖は公平の杖。6」「杖」の文脈上の意味は「統治」です。神様の統治の中に王の栄光と能力があるということです。詩篇45編6節が重要なのはヘブル人への手紙の1章がイエス·キリストを天使と比較したキリスト論でこの御言葉を引用したからです。「御子については、こう言われました。「神よ。あなたの王座は世々限りなく、あなたの王国の杖は公正の杖。ヘブル人への手紙1:8」ということで役割を整理すれば、父なる神様の万有の統治の中で、イエス·キリストが全権を委任された王として来られたこと、詩編45編はメシア予言です。   王の話しに戻ります。その王が結婚します。詩人は花嫁に、これまでのすべてのことを忘れ、夫になる王に仕えることを言います。そうすれば王のすべての権限は王妃のものになり、王妃はすべての栄光と喜びを楽しむことになるでしょう。45編では王は誰か、花嫁は誰かを知ることが大切です。一人の聖徒が教会であるということは最近よく耳にしている言葉です。それはもちろんです。建物や組織ではなく、聖霊が内住する聖徒こそが教会であることは間違いありません。ただし、その言葉が教会共同体に責任を負わないということから出てはいけません。聖徒がすなわち教会であるということは本当のことですが、怠惰で無責任な人々の言い訳として使われてはいけません。聖徒が教会であり、その教会はキリストの花嫁です。花嫁の教会は、花婿のキリストを迎えて自分と世を捨て、もっぱら王なる、花婿なるキリストだけに仕え、聞き従わなければなりません。   だから、パウロは、エペソ人への手紙の5章でイエス·キリストと教会の関係を夫と妻の関係をもって説明しました。前後の文脈から見ると、聖徒たちの夫婦関係について話しているようですが、32節を見ると、夫婦関係を教える根拠が花婿なるキリストと花嫁なる教会の関係を通して話していることが分かります。「この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。5:32」第1コリントの手紙の11章でも「私は神の熱心をもって、あなたがたのことを熱心に思っています。私はあなたがたを清純な処女として、一人の夫キリストに献げるために婚約させたのですから。2」と言いました。もちろん、パウロが初めて教えたわけではありません。復活したイエス様はヨハネの福音書の14章で「あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。2」と言いました。イエス様が場所を用意しに行くということは、花婿が花嫁と一緒に暮らす新居を準備するという意味です。当時のユダヤの結婚文化では、婚約をすればすでに法的な夫婦になり、それから花婿は花嫁と一緒に住む場所を設け、花嫁は装いながら待っていたからです。   教会は花嫁であり、イエス·キリストは花婿です。教会がイエス·キリストの花嫁ということは、キリストに属し、キリストだけに仕える時に無限の栄光と特権を持つということです。聖書が語る教会は地上の宗教団体ではありません。キリストの三つの職は王と祭司長と預言者でした。キリストの職を受け継いだ教会は、世を統治する王職と御言葉を伝える預言者職、礼拝する祭司の職を履行しなければなりません。妻は夫のすべてを共有するように、花嫁なる教会は花婿なるイエス·キリストとすべてを共有します。そして、天においても地においても、すべての権威が与えられました。(マタイ福音書28:18)教会はキリストのみに仕えます。教会は世界を統治し、御言葉を伝え、神様を礼拝する働きをしなければなりません。

마가복음 묵상 【왕의 신부】 20240305(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

시편 45:1~1745:1 내 마음에서 좋은 말이 넘쳐 왕에 대하여 지은 것을 말하리니 내혀는 필객의 붓과 같도다45:2 왕은 인생보다 아름다와 은혜를 입술에 머금으니 그러므로 하나님이 왕에게 영영히 복을 주시도다45:3 능한 자여 칼을 허리에 차고 왕의 영화와 위엄을 입으소서45:4 왕은 진리와 온유와 공의를 위하여 위엄있게 타고 승전하소서 왕의 오른손이 왕에게 두려운 일을 가르치리이다45:5 왕의 살이 날카로와 왕의…

詩篇 黙想 【下り坂で】 20240304(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

詩篇 44:9~2644:9 それなのにあなたは私たちを退け卑しめられました。あなたはもはや私たちの軍勢とともに出陣なさいません。44:10 あなたは私たちを敵から退かせ私たちを憎む者どもは思うままに略奪しました。44:11 あなたは私たちを餌食となる羊のようにし国々の間に散らされました。44:12 ご自分の民を安く売り渡しその代価で何の利益も得ませんでした。44:13 あなたは私たちを隣人のそしりの的とし周りの者の嘲りとし笑いぐさとされます。44:14 私たちを国々の間で物笑いの種としもろもろの民の間で笑いものとされるのです。44:15 私の前には絶えず辱めがあり恥が私の顔をおおってしまいました。44:16 それはそしる者とののしる者の声のゆえ敵と復讐する者のゆえでした。44:17 これらすべてが私たちを襲いました。しかし私たちはあなたを忘れずあなたの契約を無にしませんでした。44:18 私たちの心はたじろがず私たちの歩みはあなたの道からそれませんでした。44:19 あなたはジャッカルの住みかで私たちを砕き死の陰で私たちをおおわれたのです。44:20 もし私たちが自分たちの神の御名を忘れほかの神に向かって手を伸べ広げたなら44:21 神はそれを探り出されないでしょうか。神こそ心の秘密を知っておられるからです。44:22 あなたのために私たちは休みなく殺され屠られる羊と見なされています。44:23 起きてください。主よなぜ眠っておられるのですか。目を覚ましてください。いつまでも拒まないでください。44:24 なぜ御顔を隠されるのですか。私たちの苦しみと虐げをお忘れになるのですか。44:25 私たちのたましいはちりに伏し私たちの腹は地についています。44:26 立ち上がって私たちをお助けください。御恵みのゆえに私たちを贖い出してください。   「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。」オスカー·ワイルドが言ったそうです。歴史はリズムを持って興亡盛衰を繰り返します。人の目には何かが発展して興るようですが、その裏にはすでに衰退が準備されていて、逆に希望を失ったと思うと予期せぬ復興が訪れることもあります。ふりかえてみれば真に恥ずかしいのは衰退の悲しみではなく、興の傲慢です。どう考えても人生には傲慢になれるような根拠がなく、とはいえ卑屈でなければならない理由もありません。   自分に与えられた時代を受け入れることが従順ではないでしょうか。自分が生きる時代は自分が選びませんでした。ただその中に投げ込まれ、その中で生きていきます。時代の華やかさを追わず、興亡盛衰に一喜一憂しません。どんな状況でも恥ずかしくないように生きることを誓うだけです。神学校に入る頃、時代のキリスト教はすでに変曲点を通り過ぎ、下り坂を下っていることがわかりました。それを幸いと思いました。上に跳ね上がる泡の一部ではないことは、献身の慰めでした。   詩篇44編が歴史において何ページかに当たるかは正確ではありません。ただ、歴史のサイクルの中で以前の栄光を失った時であることは明らかです。異邦に踏みにじられ、侮辱されています。そのため、詩人は過去の栄光を振り返り、嘆いています。傲慢は失敗を生み出したと思いますが、だからといって卑屈である必要はありません。卑屈が終われば再び傲慢になりますから。傲慢にならないという誓いは、悲惨な現実でも悲惨に押しつぶされずに生き抜くことで証明しなければなりません。   表題で、この詩の著者はコラの子孫であると明らかにしています。アイロニーですが、コラの子孫は喪失の時代を生きていたがゆえに、その喪失が大きければ大きいほど、神様に近づいています。神様が後ろに隠しているものが見えませんか?そのおかげで、コラの子孫は神様のもとに近づいています。失ったのが呪いではなく、神様に近づいたのが幸いです。だから、コラの子孫の時代は恵みの時代です。へりくだった貧しい心をもって切に嘆願できる霊性は、神様がその時代に与えた喪失という恵みのゆえです。泡が取り除かれると、大小の実体がはっきりと現れます。中身あるものにあり続けたいと願います。「失ったものは絶対に消えません。ただし、その喪失から得たものを覚えます。カール·ユング」

시편 묵상 【내리막길에서】 20240304(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

시편 44:9~2644:9 그러나 이제는 주께서 우리를 버려 욕을 당케 하시고 우리 군대와 함께 나아가지 아니하시나이다44:10 주께서 우리를 대적에게서 돌아서게 하시니 우리를 미워하는 자가 자기를 위하여 탈취하였나이다44:11 주께서 우리로 먹힐 양 같게 하시고 열방 중에 흩으셨나이다44:12 주께서 주의 백성을 무료로 파심이여 저희 값으로 이익을 얻지 못하셨나이다44:13 주께서 우리로 이웃에게 욕을 당케 하시니 둘러 있는 자가 조소하고…