マルコの福音書 黙想 【エルサレム、エルサレム】 20240208(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

マルコの福音書 13:1~1313:1 イエスが宮から出て行かれるとき、弟子の一人がイエスに言った。「先生、ご覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」13:2 すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」13:3 イエスがオリーブ山で宮に向かって座っておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにイエスに尋ねた。13:4 「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。また、それらがすべて終わりに近づくときのしるしは、どのようなものですか。」13:5 それで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。13:6 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『私こそ、その者だ』と言って、多くの人を惑わします。13:7 また、戦争や戦争のうわさを聞いても、うろたえてはいけません。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。13:8 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで地震があり、飢饉も起こるからです。これらのことは産みの苦しみの始まりです。13:9 あなたがたは用心していなさい。人々はあなたがたを地方法院に引き渡します。あなたがたは、会堂で打ちたたかれ、わたしのために、総督たちや王たちの前に立たされます。そのようにして彼らに証しするのです。13:10 まず福音が、すべての民族に宣べ伝えられなければなりません。13:11 人々があなたがたを捕らえて引き渡すとき、何を話そうかと、前もって心配するのはやめなさい。ただ、そのときあなたがたに与えられることを話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。13:12 また、兄弟は兄弟を、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に逆らって立ち、死に至らせます。13:13 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。   イエス様の時代にヘロデ王の神殿は、ユダヤ人ではなかったユダヤの領主、すなわちローマが遣わしたロデが、ユダヤ統治のために建てた神殿です。この神殿はイエス様が生まれる20年前に着工され、イエス様の時にも建て続けられ、イエス様の以後にもさらに30年間を工事してAD63年に完工された神殿です。ところが、完成してから7年が経ったAD70年にローマによって完全に破壊されてしまいます。ユダヤが独立戦争を起こしたからであります。ユダヤはローマの支配に抵抗して独立戦争を起こし、ローマの将軍ティトゥスは5つの軍団、8万の兵力を率いてきてユダヤを囲み、エルサレムと神殿を焦土化させてしまいました。当時は戦争がなかった、いわゆるローマによる平和の時代、パックス·ロマーナ(Pax Romana、ローマの平和)と呼ばれていた時代でした。しかし、それは支配者の平和であり、抵抗せずに素直に支配されるものに何事も起こらない意味の平和であって、抵抗したユダヤ人にとっては、ローマの暴力によって110万人が死に、10万人は奴隷になりました。これによってユダヤという国は空中分解され、地球上から消え去ります。   今日の本文3節では「イエスがオリーブ山で宮に向かって座っておられると、」となっていますが、オリーブ山は、約30年後にエルサレムを破壊していたローマ軍団の駐屯基地となるのです。イエス様はその場でエルサレムの滅亡を予言していました。そういえば656年前、バビロニアがゼデキヤ王の前で王子たちを殺し、王の両目をえぐり出して連れていた時を思い起こします。共通点は、ちゃんと信じていると勘違いながら、まったく聞こうとしなかった絶望のことです。大切なポイントは、信じないのではなく、信じると勘違いしたというところです。それを生み出すのは信仰ではなく、宗教です。人間は82年間建てた立派で雄大で神殿を誇りと思いましたが、いざ神様は人間の誇りである神殿を7年ぶりに壊されました。それ以来、今まで世界に神殿というものは存在しません。イエス様が建てられたのは、教会と礼拝堂です。当代の歴史家フィロストラトスによると、エルサレムを灰にしたティトゥスはローマに戻って勝利の花冠を受けなかったそうです。自分はただ神の怒りの道具だったと言ったとのことです。AD70年に滅び、第二次世界大戦後、AD1948年に再建されたイスラエルは今も戦争中です。彼らにはイエス·キリストがいないので、3400年前のカナン征服時代に戻ろうとしているのです。信仰があればあるほど、多くの隣人がなくなります。その地にパックス·クリスティ(Pax Christi イエスの平和)があることを祈ります。   ソロモンが建てた神殿ではなく、ゼルバベルが建てた神殿でもなく、異邦人エドム族のヘロデが政略的に建てた神殿を偶像のように仕えていたユダヤは、自分たちの宗教が崩れて粉々になることを目撃しました。バビロニアに滅ぼされた時代もそうでした。ソロモンの神殿が奪われ、壊されることを目撃しました。終末、最後の時というのはイエス様が初めて来られた時(初臨)から再び来られる時(再臨)の間です。私たちは今、最後の時、終末の時代を生きているのです。ということで、イエス様はこの時だ、あの時だ、こっちだ、あっちだということにだまされて群がってはならないと言われました。与えられた人生を感謝しなければならず、神様の御言葉を聞かなければなりません。それだけが生きる道です。信じたいことを信じるのではなく、自分を徹底に壊すことによって、信じるべきことが何なのか見えてきます。さばきを恐れ、イエス·キリストの福音にたより、救いを求めなければなりません。それが終末の時代を生きる聖徒の安全です。最後にマタイの福音書が語るイエス様の訴えを読みたいと思います。「エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。見よ。おまえたちの家は、荒れ果てたまま見捨てられる。23:37、38」

마가복음 묵상 【예루살렘아 예루살렘아】 20240208(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

마가복음 13:1~1313:1 예수께서 성전에서 나가실 때에 제자 중 하나가 가로되 선생님이여 보소서 이 돌들이 어떠하며 이 건물들이 어떠하니이까13:2 예수께서 이르시되 네가 이 큰 건물들을 보느냐 돌 하나도 돌 위에 남지 않고 다 무너뜨려지리라 하시니라13:3 예수께서 감람산에서 성전을 마주 대하여 앉으셨을 때에 베드로와 야고보와 요한과 안드레가 종용히 묻자오되13:4 우리에게 이르소서 어느 때에 이런 일이 있겠사오며 이…

マルコの福音書 黙想 【残らず、退かず、悔やまず】 20240207(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

マルコの福音書 12:35~4412:35 イエスは宮で教えていたとき、こう言われた。「どうして律法学者たちは、キリストをダビデの子だと言うのですか。12:36 ダビデ自身が、聖霊によって、こう言っています。『主は、私の主に言われた。「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。」』12:37 ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるのに、どうしてキリストがダビデの子なのでしょう。」大勢の群衆が、イエスの言われることを喜んで聞いていた。12:38 イエスはその教えの中でこう言われた。「律法学者たちに気をつけなさい。彼らが願うのは、長い衣を着て歩き回ること、広場であいさつされること、12:39 会堂で上席に、宴会で上座に座ることです。12:40 また、やもめたちの家を食い尽くし、見栄を張って長く祈ります。こういう人たちは、より厳しい罰を受けます。」12:41 それから、イエスは献金箱の向かい側に座り、群衆がお金を献金箱へ投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちがたくさん投げ入れていた。12:42 そこに一人の貧しいやもめが来て、レプタ銅貨二枚を投げ入れた。それは一コドラントに当たる。12:43 イエスは弟子たちを呼んで言われた。「まことに、あなたがたに言います。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れている人々の中で、だれよりも多くを投げ入れました。12:44 皆はあり余る中から投げ入れたのに、この人は乏しい中から、持っているすべてを、生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。」   ある人々は犠牲すること、献身することを愚かなことだと思います。それは宗教的なことだけではないです。今の時代は職場でも、家庭でも、親子の間でも、犠牲する人をまるで個人の権利を守り抜けない愚かな人扱いをしているようです。最近はそのような理由で結婚と出産もしないという話をよく耳にしています。韓国は日本よりも低出産です。結婚もしない、子どもを産まない韓国社会に向けてIMF総裁が、「集団自殺社会」と言ったことも覚えています。強制できることは何もありません。しかし、人生は足し算と引き算だけで説明されることはないです。1つを引いても少なくなりませんし、1つをだしても多くもなりません。意味あるものに犠牲を払わない、価値あるものに献身しないならば、やりがいのある生き方はできなくなります。   信仰の大きさは献身の大きさと同じです。献身が小さいのに信仰が大きいとか、信仰が大きいのに献身が小さいということはありません。信仰と献身の大きさは同じでなければなりません。各自の信仰の真正性は、あゆみの中で献身の誠実さとして現れます。本来、献身という言葉には100%という意味しかありません。もし、献身が全面的な100%でなければ、それは献身という言葉ではなく、他の言葉を探さなければならないでしょう。摂氏100度にならないとお湯が沸かないし、お湯が沸かないと細菌はまだ生きています。クリスチャンであれば誰でも神様のみ旨を知りたいと願います。ある本で読みました。「神様のみ旨は、100%献身する時に分かります」と。   今日の本文ではイエス様が宗教指導者たちの破廉恥と偽善を批判した内容の後、貧しいやもめが持ち物全てをささげる話が対照的に出てきます。宗教リーダーシップに関すること、献金に関すること、以前にその中にある献身の純度に関することです。これは昨日読んだ「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」と言った申命記の律法精神の上にあります。いわゆる献身者という人々は偽善的で貪欲でしたが、貧しいやもめはすべてを持って献身しました。お金持ちがささげた金額の方が多かったでしょうが、彼女のものだけが100%のものでした。私たちの問題は、もしかして「100%にならない悲しみ」ではなく、「100%になりたくない未練」かもしれません。   ウィリアム·ボウデン (William Borden) という宣教師がいました。アメリカの億万長者の息子として生まれましたが、すべての財産を神様にささげ、宣教師として旅立ちました。ウィリアム·ボウデンの人生と宣教はそれほど長くありませんでした。まだ、若いときにエジプトで死にましたが、死後に残された彼の聖書にはこう書かれていました。「残らず、退かず、悔やまず(No Reserves, No Retreats, No Regrets)」 彼の人生が短かったことは残念ですが、彼は100%の献身者です。神様が待っておられるのは100%献身した一人です。宣教は宣教師ではなく神様がなされることで、宣教師がしなければならないことは100%聞き従うことです。「従順」というのが何なのかについては、人生と宣教の現場で重い宿題として持ち続かなければなりません。

마가복음 묵상 【남김없이, 후퇴없이, 후회없이】 20240207(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

마가복음 12:35~4412:35 예수께서 성전에서 가르치실쌔 대답하여 가라사대 어찌하여 서기관들이 그리스도를 다윗의 자손이라 하느뇨12:36 다윗이 성령에 감동하여 친히 말하되 주께서 내 주께 이르시되 내가 네 원수를 네 발 아래 둘 때까지 내 우편에 앉았으라 하셨도다 하였느니라12:37 다윗이 그리스도를 주라 하였은즉 어찌 그의 자손이 되겠느냐 하시더라 백성이 즐겁게 듣더라12:38 예수께서 가르치실 때에 가라사대 긴 옷을 입고 다니는…

マルコの福音書 黙想 【立法者と法学者の対話】 20240205(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

マルコの福音書 12:28~3412:28 律法学者の一人が来て、彼らが議論するのを聞いていたが、イエスが見事に答えられたのを見て、イエスに尋ねた。「すべての中で、どれが第一の戒めですか。」12:29 イエスは答えられた。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。12:30 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』12:31 第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。」12:32 律法学者はイエスに言った。「先生、そのとおりです。主は唯一であって、そのほかに主はいない、とあなたが言われたことは、まさにそのとおりです。12:33 そして、心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛すること、また、隣人を自分自身のように愛することは、どんな全焼のささげ物やいけにえよりもはるかにすぐれています。」12:34 イエスは、彼が賢く答えたのを見て言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者はいなかった。   人々は利益という基準でものごとを判断します。だから、御言葉を聞いても損するのが恐くて、時代と自分を省察することはなく、むしろ警戒し、敵対します。しかし、自分に対して率直で、時代に対して責任を持ち、真理に対して真剣な人がどこかにはいるはずです。今日の本文に登場する律法学者がその人だと思います。律法学者が聖書を筆写するときは、一字一字を確認し、それを声に出して読んだ後に書き写しました。もし一画でも間違いが出れば、筆写本全体を廃棄しなければならなかったそうです。したがって、律法学者はいわゆる一点一画も間違ってはならないほど、聖書に対して慎重な人でした。   今日、登場した律法学者は、イエス様のお話を聞いて尋常でないことを思い、イエス様に真剣に質問しました。「すべての中で、どれが第一の戒めですか」律法学者らしい質問です。律法の第一を尋ねたということは、律法の優先順位を尋ねたというより、律法の精神を尋ねたことです。イエス様は申命記6章をもって答えられました。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。12:29-31」イエス様のお答えに「シェマ・イスラエル(שמע ישראל聞け、イスラエルよ)」という申命記の御言葉が出た時、律法学者の目は光ったと思います。待っていた答えが出たからです。   第一の戒めが神を愛することであり、第二の戒めが隣人を愛することと言われました。律法学者は第一の戒めは何かと尋ねましたが、イエスは第二の戒めまで答えました。その理由も順位ではなく、いわば律法の憲法精神のことだからです。すべての律法の精神は、この二つの優先的価値に基づいています。人間は罪を持っているので、その罪を治めてこそ神様を愛することができ、また人を愛することができます。だから、愛することができるように具体的に提示されたのが律法です。法学者は普段、愛という精神から離れている時代の律法に問題意識を持っていたはずです。立法者であるイエス様の宣言と律法学者の良心的洞察が申命記においてその精神を確認しました。   イエス様は「あなたは神の国から遠くない。」とほめました。あゆみのすべての瞬間に、信仰が求められるすべての場面に、それが神の愛と隣人の愛に基づいているのか考えなければなりません。宗教的な熱心が愛という価値に反しているのではないか、規則と慣習が愛を損ねているのではないかと考えなければなりません。

마가복음 묵상 【입법자와 법학자의 대화】 20240206(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

마가복음 12:28~3412:28 서기관 중 한 사람이 저희의 변론하는 것을 듣고 예수께서 대답 잘하신 줄을 알고 나아와 묻되 모든 계명 중에 첫째가 무엇이니이까12:29 예수께서 대답하시되 첫째는 이것이니 이스라엘아 들으라 주 곧 우리 하나님은 유일한 주시라12:30 네 마음을 다하고 목숨을 다하고 뜻을 다하고 힘을 다하여 주 너의 하나님을 사랑하라 하신 것이요12:31 둘째는 이것이니 네 이웃을 네 몸과…

マルコの福音書 黙想 【愚問賢答】 20240205(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

マルコの福音書 12:13~2712:13 さて、彼らはイエスのことばじりをとらえようとして、パリサイ人とヘロデ党の者を数人、イエスのところに遣わした。12:14 その人たちはやって来てイエスに言った。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、だれにも遠慮しない方だと知っております。人の顔色を見ず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、カエサルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないでしょうか。」12:15 イエスは彼らの欺瞞を見抜いて言われた。「なぜわたしを試すのですか。デナリ銀貨を持って来て見せなさい。」12:16 彼らが持って来ると、イエスは言われた。「これは、だれの肖像と銘ですか。」彼らは、「カエサルのです」と言った。12:17 するとイエスは言われた。「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスのことばに驚嘆した。12:18 また、復活はないと言っているサドカイ人たちが、イエスのところに来て質問した。12:19 「先生、モーセは私たちのためにこう書いています。『もし、ある人の兄が死んで妻を後に残し、子を残さなかった場合、その弟が兄嫁を妻にして、兄のために子孫を起こさなければならない。』12:20 さて、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、死んで子孫を残しませんでした。12:21 次男が兄嫁を妻にしましたが、やはり死んで子孫を残しませんでした。三男も同様でした。12:22 こうして、七人とも子孫を残しませんでした。最後に、その妻も死にました。12:23 復活の際、彼らがよみがえるとき、彼女は彼らのうちのだれの妻になるのでしょうか。七人とも彼女を妻にしたのですが。」12:24 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、聖書も神の力も知らないので、そのために思い違いをしているのではありませんか。12:25 死人の中からよみがえるときには、人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのようです。12:26 死人がよみがえることについては、モーセの書にある柴の箇所で、神がモーセにどう語られたか、あなたがたは読んだことがないのですか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあります。12:27 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。あなたがたは大変な思い違いをしています。」   すでにローマにへつらっていたパリサイ人たちはイエス様にカエサルがユダヤに徴収する過度な税金を納めるべきかという質問をし、復活を信じないサドカイ人たちは復活と継代結婚を主題に神学的な罠を掘ってイエス様に質問します。パリサイ人の質問に税金を払わなければならないと答えたらユダヤ人の反発を買うだろうし、払わなくても良いと答えたらローマ植民政府から制裁を受けたり、告発されるだろうという罠です。イエス様がサドカイ人たちが提起した復活の教理から発生するジレンマを解決できなければ、パリサイ人とサドカイ人の両方で攻撃を受けるサンドイッチになるかもしれません。もちろん、イエス様は彼らが掘った矛盾や罠に陥ることはありません。だからといって、イエス様が絶妙に賢い回答をしたということが本文のテーマではなく、または税金と献金のバランス、天国にはすべてが違うということがテーマではありません。   私はイエス様が彼らに向かって奥深い真理を語られているとは思いません。大切なことを教えているのではなく、ただ彼らの質問の矛盾を跳ね返しているだけです。豚には真珠をあげません。パリサイ人の税金質問に対しては、デナリ銀貨というコインにカエサルの形が刻まれているので、その形の持ち主に戻られるということ、彼らには神様の形がないので、神のものは神に返すことは彼らにとってはできません。カエサルに従う者によってカエサルのものはカエサルに戻り、神様の形をした人々は神様のためにささげます。税金と献金のバランスを言うのではなく、それぞれ追い求めることの通りになるということです。卑劣な売国的行為をしながら、質問まで卑劣にしないようにと口を塞いだのです。   天使を信じず、復活も信じなかった現実主義者のサドカイ人たちは、彼らの絶対的なモーゼ五書に復活の教理の根拠がないということを利用してイエス様に質問したのです。これに対してイエス様は、モーゼ五書でアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神を話され、それが現在形で書かれたことを思い起こさせます。アブラハムとイサクとヤコブの時代に、彼らと共にした神様の実存的自覚なしに、信じもしない復活をもってけちを付けるなという意味で「生きている者の神」と言われたのです。分からないことについては率直で謙遜に聞いてこそ質問になり、それこそきちんとした答えを聞くことができます。神様に対する質問でも、人に対する質問でも、自分の利益と悪い意図を持って質問したなら、真実の答えがもどらないことは当然です。イエス様の知恵は、クリスチャンの税金に関する理解、または死生観に関するものではなく、愚問に対する賢答に関するものです。

마가복음 묵상 【우문현답】 20240205(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

마가복음 12:13~2712:13 저희가 예수의 말씀을 책잡으려 하여 바리새인과 헤롯당 중에서 사람을 보내매12:14 와서 가로되 선생님이여 우리가 아노니 당신은 참되시고 아무라도 꺼리는 일이 없으시니 이는 사람을 외모로 보지 않고 오직 참으로써 하나님의 도를 가르치심이니이다 가이사에게 세를 바치는 것이 가하니이까 불가하니이까12:15 우리가 바치리이까 말리이까한대 예수께서 그 외식함을 아시고 이르시되 어찌하여 나를 시험 하느냐 데나리온 하나를 가져다가 내게…

マルコの福音書 黙想 【永遠の権威】 20240203(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

マルコの福音書 11:20-33 11:20 さて、朝早く、彼らが通りがかりにいちじくの木を見ると、それは根元から枯れていた。 11:21 ペテロは思い出して、イエスに言った。「先生、ご覧ください。あなたがのろわれた、いちじくの木が枯れています。」 11:22 イエスは弟子たちに答えられた。「神を信じなさい。 11:23 まことに、あなたがたに言います。この山に向かい、『立ち上がって、海に入れ』と言い、心の中で疑わずに、自分の言ったとおりになると信じる者には、そのとおりになります。 11:24 ですから、あなたがたに言います。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 11:25 また、祈るために立ち上がるとき、だれかに対し恨んでいることがあるなら、赦しなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの過ちを赦してくださいます。」 11:27 彼らは再びエルサレムに来た。イエスが宮の中を歩いておられると、祭司長たち、律法学者たち、長老たちがやって来て、 11:28 こう言った。「何の権威によって、これらのことをしているのですか。だれがあなたに、これらのことをする権威を授けたのですか。」 11:29 イエスは彼らに言われた。「わたしも一言尋ねましょう。それに答えなさい。そうしたら、何の権威によってこれらのことをしているのか、わたしも言いましょう。 11:30 ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、それとも人から出たのですか。わたしに答えなさい。」 11:31 すると、彼らは論じ合った。「もし、天から来たと言えば、それならなぜ、ヨハネを信じなかったのかと言うだろう。 11:32 だが、人から出たと言えば──。」彼らは群衆を恐れていた。人々がみな、ヨハネは確かに預言者だと思っていたからである。 11:33 そこで、彼らはイエスに、「分かりません」と答えた。するとイエスは彼らに言われた。「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに言いません。」  この世で言われる権威は他の人々の上に立つことから出てきます。 他の人々より優れた財力、権力などが彼らの権威を立てる背景になります。すると、キリスト者にとって権威というのは何でしょうか。    今日の箇所の前半部でイエス様は神様の権威を紹介しています。 昨日の箇所で出て来た実を結ばなかいイチジクの木がイエス様の言葉によって枯れてしまったこと、それを通してイエス様は「神を信じなさい」と言われています。私たちにはすでにイエス様が神様であることが当然なことなので心に響かないかもしれませんが、当時の弟子たち、そしてマルコの福音書を記録したマルコと周りの人々にはそれが当然なことではありませんでした。本来なら「神を信じなさい」ではなく「私を信じなさい」と言うべきだったでしょう。    その後の内容まで見てみると、神の権威は他の人々より多く持っていることから明らかにされることではないようです。むしろ謙虚になることから、人々に与えること、許すことからその権威があらわれるようです。 文字通り自分より他人を優れた者とすることです。    その後は、当時のイスラエルの権威者たちがイエス様を訪ねてきます。彼らはイエス様にその「権威」が誰から授けられたのか、その権威が正しいものなのかを尋ねます。そのように質問することができた理由は、彼らは実際にイスラエルの民から認められた権威を持っている者たちだったからです。    しかし、彼らの持っている権威はどのようなものですか。他人のものを奪い、他人の上に立とうとし、そのためにはなかった罪さえも作り出すことが彼らの持っている権威でした。    このような彼らの権威を支えていたの、それが宮でした。そのため、イエス様は昨日の箇所で宮を浄化し、以後、この宮が崩れることを預言されたかも知れません。神様の権威を立てるべきの宮が、神様ではなく人間の権威を立てるための建物になってしまったからです。    人間の権威はいつか必ず崩れてしまうものです。そのため、今日箇所の大祭司の群れも、自分たちの権威を守るためにバプテスマのヨハネを処刑し、イエス様まで処刑しようと考えているのです。しかし、神様の権威は永遠に立つ権威であります。    イエス様の預言の通り、大祭司の群れの権威を支えていた宮は崩れました。そして、神様の権威を立てるイエス·キリストの十字架がこの地に立てられ、今も、そしてこれからも永遠に立つでしょう。すると、私たちが求めるべき権威はどこにあるのでしょうか?    もちろん、権威などいらないと考える方もいると思います。その権威が私たちのためのものなら、その考えはまさに正しいです。しかし、その権威は私たちのための権威ではなく、神様の権威です。ただその権威に参加し、神様の権威を立てていくことに用いられるものになるのです。だからこそ私たちは、いつか崩れてしまう世の中の権威ではなく、永遠に立つイエス·キリストの十字架の権威を持って、この世を生きていくべきではないでしょうか。  https://youtu.be/g6e8Ga8sjps?si=o7znDZ7UDVLgPfMP

마가복음 묵상 【영원한 권위】 20240203(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

마가복음 11:20-33 11:20 그들이 아침에 지나갈 때에 무화과나무가 뿌리째 마른 것을 보고 11:21 베드로가 생각이 나서 여짜오되 랍비여 보소서 저주하신 무화과나무가 말랐나이다 11:22 예수께서 그들에게 대답하여 이르시되 하나님을 믿으라 11:23 내가 진실로 너희에게 이르노니 누구든지 이 산더러 들리어 바다에 던져지라 하며 그 말하는 것이 이루어질 줄 믿고 마음에 의심하지 아니하면 그대로 되리라 11:24 그러므로 내가 너희에게 말하노니 무엇이든지 기도하고 구하는…