Ⅰサムエル 黙想12【人を見る目】230207(火) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 9:1~149:1 ベニヤミン人で、その名をキシュという人がいた。キシュはアビエルの子で、アビエルはツェロルの子、ツェロルはベコラテの子、ベコラテはベニヤミン人アフィアハの子であった。彼は有力者であった。9:2 キシュには一人の息子がいて、その名をサウルといった。彼は美しい若者で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。9:3 あるとき、サウルの父キシュの雌ろば数頭がいなくなったので、キシュは息子サウルに言った。「しもべを一人連れて、雌ろばを捜しに行ってくれ。」9:4 サウルはエフライムの山地を巡り、シャリシャの地を巡り歩いたが、それらは見つからなかった。さらに、シャアリムの地を巡り歩いたが、いなかった。ベニヤミン人の地を巡り歩いても、見つからなかった。9:5 二人がツフの地にやって来たとき、サウルは一緒にいたしもべに言った。「さあ、もう帰ろう。父が雌ろばのことはさておき、私たちのほうを心配し始めるといけないから。」9:6 すると、しもべは言った。「ご覧ください。この町には神の人がいます。この人は敬われている人です。この人の言うことはみな、必ず実現します。今そこへ参りましょう。私たちが行く道を教えてくれるかもしれません。」9:7 サウルはしもべに言った。「もし行くとすると、その人に何を持って行こうか。私たちの袋には、パンもなくなったし、神の人に持って行く贈り物もない。何かあるか。」9:8 しもべは再びサウルに答えた。「ご覧ください。私の手に四分の一シェケルの銀があります。これを神の人に差し上げたら、私たちの行く道を教えてくださるでしょう。」9:9 昔イスラエルでは、神のみこころを求めに行く人は「さあ、予見者のところへ行こう」とよく言っていた。今の預言者は、昔は予見者と呼ばれていたからである。9:10 サウルはしもべに言った。「それはよい。さあ、行こう。」こうして、彼らは神の人のいる町へ行った。9:11 彼らがその町への坂道を上って行くと、水を汲みに出て来た娘たちに出会った。彼らは「予見者はここにおられますか」と尋ねた。9:12 すると娘たちは答えて言った。「はい。この先におられます。さあ、急いでください。今日、町に来られました。今日、高き所で民のためにいけにえをお献げになりますから。9:13 町に入ると、あの方が見つかるでしょう。あの方が食事のために高き所に上られる前に。民は、あの方が来られるまで食事をしません。あの方がいけにえを祝福して、その後で、招かれた者たちが食事をすることになっているからです。今、上って行ってください。あの方は、すぐに見つかるでしょう。」9:14 彼らが町へ上って行き、町に入りかかったとき、ちょうどサムエルが、高き所に上ろうとして彼らの方に向かって出て来た。   神様はイスラエルが王を立てることを許しました。その後、第9章では、若い青年のサウルが登場します。本文が描写しているサウルのイメージというのは、言い換えればイスラエルの民が王として求めていた人のイメージです。「彼は美しい若者で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。2」青年のサウルはイスラエルで一番ハンサムであり、普通の人より背が頭一つほど高いぐらいですらりとしています。しかも1節を読むと、サウルの父は有力者だったと言うのでサウルは裕福に育った人でした。女性にとっては憧れの男、男性にとってはうらやましい人、イスラエルの民にとっては王になりえるような期待の人でした。   サウルの結末を知っているので、9章がなぜこのような描写をしているのかが少し分かります。神様がサウルのことでもう以上我慢しなくなった時、サムエルが次の王を探してエッサイの家に行きましたが、そこでエッサイの長男、すなわちダビデの長兄のすらりとした姿を見て王になる人なのかと思いました。しかし、神様はサムエルにこう言われます。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。16:7」この文章を読むと、神様が「彼を退けている」と言われた時の「彼」はダビデの長兄エリアブであると思いますが、もしかして「彼」は「サウル」のことかも知れません。彼らの共通点は容貌や背の高さが素晴らしいことです。外見というのは、容貌や背の高さだけではなく、身振り、口ぶりを言うこともあります。しかしそれをもっては人を判断するには物足ります。   本文を読んでみると、サウルはただ純粋な一人の青年のようですが、ここでサウルがまともにしていることは何もありません。雌ろばを探しに出かけましたが、ろばを見つけることはできず、食べ物がなくなるのにサウルの対策はありません。神の人、すなわちサムエルに会ってささげる贈り物もしもべが用意します。判断と決断はしもべがしています。しもべがもっと賢いです。サウルがしたこととは「もうろば探しはをやめてお家に帰ろう」と言ったことと、しもべに「持っているお金があるか?」だけです。ここからサウルを憎むつもりはありません。サウルも純粋な時があり、一時期に神様の御手に用いられた人です。しかし、全体の脈絡から見れば、イスラエルは王を求めたことが間違いであり、その王がサウルであったことは不幸でした。サウルは人々が自分をどのように考えるのかという人気執着に縛られて滅びた人です。だまされるのが一番悔しいです。表に出ることにだまされてはいけません。人を見る目をしっかり持ちたいと思います。

사무엘상 묵상12【사람 보는 눈】230207(화) 에다가와 사랑의 교회

사무엘상 9:1~149:1 베냐민 지파에 기스라 이름하는 유력한 사람이 있으니 그는 아비엘의 아들이요 스롤의 손자요 베고랏의 증손이요 아비아의 현손이라 베냐민 사람이더라9:2 기스가 아들이 있으니 그 이름은 사울이요 준수한 소년이라 이스라엘 자손 중에 그보다 더 준수한 자가 없고 키는 모든 백성보다 어깨 위는 더하더라9:3 사울의 아비 기스가 암나귀들을 잃고 그 아들 사울에게 이르되 너는 한 사환을 데리고…

Ⅰサムエル 黙想11【王を求めるイスラエル】230206(月) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 8:10~228:10 サムエルは、自分に王を求めるこの民に対して、主のすべてのことばを話した。8:11 彼は言った。「あなたがたを治める王の権利はこうだ。あなたがたの息子たちを取り、戦車や軍馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。8:12 また、自分のために千人隊の長や五十人隊の長として任命し、自分の耕地を耕させ、自分の刈り入れに従事させ、武具や戦車の部品を作らせる。8:13 また、あなたがたの娘たちを取り、香料を作る者や料理する者やパンを焼く者とする。8:14 あなたがたの畑やぶどう畑や良いオリーブ畑を没収し、自分の家来たちに与える。8:15 あなたがたの穀物とぶどう畑の十分の一を取り、廷臣や家来たちに与える。8:16 あなたがたの奴隷や女奴隷、それにあなたがたの子牛やろばの最も良いものを取り、自分の仕事をさせる。8:17 あなたがたの羊の群れの十分の一を取り、あなたがた自身は王の奴隷となる。8:18 その日、あなたがたが自分たちのために選んだ王のゆえに泣き叫んでも、その日、主はあなたがたに答えはしない。」8:19 しかし民は拒んで、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや。どうしても、私たちの上には王が必要です。8:20 そうすれば私たちもまた、ほかのすべての国民のようになり、王が私たちをさばき、私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」8:21 サムエルは、民のすべてのことばを聞いて、それを主の耳に入れた。8:22 主はサムエルに言われた。「彼らの言うことを聞き、彼らのために王を立てよ。」それで、サムエルはイスラエルの人々に「それぞれ自分の町に帰りなさい」と言った。   ミツパの悔い改めと改革により、イスラエルはペリシテに勝ち、さらに二頭の雌牛が出発したエクロンを含んだイスラエルの領土を回復しました。サムエルはそれを記念してその地をエベン・エゼルと名づけ、サムエルがイスラエルを治めている間、イスラエルは平和に栄えました。   サムエルの息子たちは父親に従って士師となりましたが、彼らは父親のサムエルとは違い、賄賂を受け取って判決を売買するよな腐敗した人物でした。それによってサムエルの信頼にもひびが入り、イスラエルの中では士師が治めることに対する懐疑が起きます。   民はサムエルに師事ではなくイスラエルに王を立ててくださることを求めました。 イスラエルが隣国に苦しむのは勇敢でかつ強力な王がいないからだと思ったからです。サムエルが祈ったところ、神様は彼らの要求どおり王を立ててあげるように言われました。しかし、それが神様の御旨ではありませんでした。神様は落胆したはずのサムエルに、イスラエルの民があなたサムエルを捨てたのではなく、私神を捨てたのだと言われます。   神様は民に王を与えますが、王権国家の弊害までも教えます。王が立てられれば、王は民の上に君臨し、民を支配するようになります。民の財産と労働力と軍事力を搾取されます。民は王権国家を通した対外的な軍事力強化を考えていますが、その軍事力強化に動員されるのは自分自身であり、彼らの財産と家族と日常の平和は王の権力維持のために犠牲されます。後に民がそのために苦しみ、神様に助けを祈ってもその時に神様が答えないと警告します。   それでも、民は警告を無視し、王を求め続けます。民は神様より王を選びました。 彼らが神様を信じないからではありません。ただ、彼らはイスラエルに強力な王がいるこそイスラエルを守ることができ、イスラエルを守るこそ神様を守ることができると思ったわけです。結局、王が神様を守ってあげなければならない格好になります。神様に対する信仰がなくなると、人間は神様と自分の間に何かを作ろうとします。彼らが王を選んだので彼らは失敗と苦痛を通して学ばなければなりません。

사무엘상 묵상11【왕을 구하는 이스라엘】230206(월) 에다가와 사랑의 교회

사무엘상 8:10~228:10 사무엘이 왕을 구하는 백성에게 여호와의 모든 말씀을 일러8:11 가로되 너희를 다스릴 왕의 제도가 이러하니라 그가 너희 아들들을 취하여 그 병거와 말을 어거케 하리니 그들이 그 병거 앞에서 달릴 것이며8:12 그가 또 너희 아들들로 천부장과 오십부장을 삼을 것이며 자기 밭을 갈게 하고 자기 추수를 하게 할 것이며 자기 병거와 병거의 제구를 만들게 할 것이며8:13…

Ⅰサムエル 黙想10【ミツパの改革】230203(金) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 7:1~117:1 キルヤテ・エアリムの人々は来て、主の箱を運び上げ、丘の上のアビナダブの家に運んだ。そして、主の箱を守るために彼の息子エルアザルを聖別した。7:2 箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。7:3 サムエルはイスラエルの全家に言った。「もしあなたがたが、心のすべてをもって主に立ち返るなら、あなたがたの間から異国の神々やアシュタロテを取り除きなさい。そして心を主に向け、主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出してくださいます。」7:4 イスラエル人は、バアルやアシュタロテの神々を取り除き、主にのみ仕えた。7:5 サムエルは言った。「全イスラエルを、ミツパに集めなさい。私はあなたがたのために主に祈ります。」7:6 彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。彼らはそこで、「私たちは主の前に罪ある者です」と言った。こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。7:7 イスラエル人がミツパに集まったことをペリシテ人が聞いたとき、ペリシテ人の領主たちはイスラエルに向かって上って来た。イスラエル人はこれを聞いて、ペリシテ人を恐れた。7:8 イスラエル人はサムエルに言った。「私たちから離れて黙っていないでください。私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。主が私たちをペリシテ人の手から救ってくださるようにと。」7:9 サムエルは、乳離れしていない子羊一匹を取り、焼き尽くす全焼のささげ物として主に献げた。サムエルはイスラエルのために主に叫んだ。すると主は彼に答えられた。7:10 サムエルが全焼のささげ物を献げていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来た。しかし主は、その日ペリシテ人の上に大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエルに打ち負かされた。7:11 イスラエルの人々は、ミツパから出てペリシテ人を追い、彼らを討ってベテ・カルの下にまで行った。   神の箱がペリシテの地からイスラエルに戻ってから20年が経ちました。しかし、変わらずイスラエルはペリシテに苦しまれていました。エリ祭司の子供どもたちがペリシテと戦うときに神の箱を持ちだしましたが、神の箱はシロにありました。シロに聖幕があるからです。戻ってきた神の箱は、シロにある聖幕の至聖所に戻らなければなりませんが、キルヤテ・エアリムで20年間放置したままでした。イスラエルにはあの二頭の雌牛ほどの使命と犠牲精神を持った人がいなかったからです。後日ダビデがそれを持ってきますが、当時ダビデがうれしくて服が脱がれることも知らずにぽつんと踊りました。というのは、神の箱はダビデの時まで実際には70年間、キルヤテ・エアリムにあったわけです。   イスラエルの心は依然として神様にありませんでした。彼らは民族的に神様を信じることを誰も異議を唱えません。彼らは一様に神様を信じます。しかし、信じるということが果たして何なのか悩まない人の当然な信頼は、まもなく妥協し、混合され、変質されます。イスラエルは神様を信じると言いましたが、カナンの偶像も一緒に信じました。世の中に期待することが神様に期待するより早いと思ったからです。それがもっと現実的に頼りになるのです。神様を信じると言いますし、教会にも通っています。しかし、世の中も一緒に仕えます。だから信じるという言葉は空しいです。ただ証明できるのは、何を選択するかにあります。   サムエルは成長した祭司長になっていました。サムエルは問題も知っており、解決策も知っています。「サムエルはイスラエルの全家に言った。もしあなたがたが、心のすべてをもって主に立ち返るなら、あなたがたの間から異国の神々やアシュタロテを取り除きなさい。そして心を主に向け、主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出してくださいます。3」神様を信じますが、神様でないものも一緒に信じていることを捨て、ただ神様のみを選択しなければならないということです。彼らはが混合されていたからです。サムエルは全イスラエル民をミツパで集めます。イスラエルが断食しながら祈ったとき、悔い改めが起こり、その後、イスラエルがペリシテに勝ちます。私は神様のみを選択することができるのか、捨てるべき偶像は何なのか真剣に問わなければなりません。

사무엘상 묵상10【미스바 개혁】230203(금) 에다가와 사랑의 교회

사무엘상 7:1~117:1 기랏여아림 사람들이 와서 여호와의 궤를 옮겨 산에 사는 아비나답의 집에 들여 놓고 그 아들 엘리아살을 거룩히 구별하여 여호와의 궤를 지키게 하였더니7:2 궤가 기럇여아림에 들어간 날부터 이십 년 동안을 오래 있은지라 이스라엘 온 족속이 여호와를 사모하니라7:3 사무엘이 이스라엘 온 족속에게 일러 가로되 너희가 전심으로 여호와께 돌아오려거든 이방 신들과 아스다롯을 너희 중에서 제하고 너희 마음을…

Ⅰサムエル 黙想9【完全なる献身】230202(木) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 6:13~216:13 ベテ・シェメシュの人たちは、谷間で小麦の刈り入れをしていたが、目を上げると、神の箱が見えた。彼らはそれを見て喜んだ。6:14 車はベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑に来て、そこにとどまった。そこには大きな石があった。人々は、車の木を割り、雌牛を全焼のささげ物として主に献げた。6:15 レビ人たちは、主の箱と、そばにあった金の品物の入っている鞍袋を降ろし、その大きな石の上に置いた。その日、ベテ・シェメシュの人たちは全焼のささげ物を献げ、いけにえを主に献げた。6:16 ペリシテ人の五人の領主は、これを見て、その日エクロンに帰った。6:17 ペリシテ人が償いとして主に返した金の腫物は、アシュドデのために一つ、ガザのために一つ、アシュケロンのために一つ、ガテのために一つ、エクロンのために一つであった。6:18 すなわち、金のねずみは、五人の領主に属するペリシテ人の町の総数によっていた。それは、砦の町と城壁のない村の両方を含んでいる。彼らが主の箱を置いたアベルの大きな台は、今日までベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑にある。6:19 主はベテ・シェメシュの人たちを打たれた。主の箱の中を見たからである。主は、民のうち七十人を、すなわち、千人に五人を打たれた。主が民を激しく打たれたので、民は喪に服した。6:20 ベテ・シェメシュの人たちは言った。「だれが、この聖なる神、主の前に立つことができるだろう。私たちのところから、だれのところに上って行くのだろうか。」6:21 彼らはキルヤテ・エアリムの住民に使者を遣わして言った。「ペリシテ人が主の箱を返してよこしました。下って来て、あなたがたのところに運び上げてください。」   二頭の雌牛は奇跡のようにペリシテの境を越え、ベテ・シェメシュに着きました。 雌牛は成功したのえす。ベテ・シェメシュの人々はそれを見て喜びました。ペリシテも神様を認めざるを得なかったでしょう。ところで雌牛たちが気になります。泣きながら御言葉を運ぶ使命を負、揺さぶらずにその遠い道を歩んできた二頭の雌牛に神様の報いがあればと思いました。   悲しいことに、二頭の雌牛は家に置いてきた子牛に再会することができず、ベテ・シェメシュでささげものになりました。「車はベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑に来て、そこにとどまった。そこには大きな石があった。人々は、車の木を割り、雌牛を全焼のささげ物として主に献げた。14」連れてきた車は薪になり、牛はその上に置かれました。血を流し、全焼するいけにえになって神様に捧げられました。何も残っていません。生きたときに、熱い涙を流していた二頭の雌牛は、煙になって消えさり、一握りの灰となりました。   一言も言わなかった牛ですが、完全な使命と献身を語りました。使命を果たしましたが、その献身の代価を取らず、礼拝において自分を完全にささげられました。雌牛が犠牲になったのはヨシュアという人の畑です。ヘブル語のヨシュアはギリシャ語のイエスです。イエスの畑という言葉は伏線です。イエス様は奇跡のように受肉してこられ、十字架の死をもってその献身を献身を完全に成し遂げられました。    

사무엘상 묵상9【완전한 헌신】230202(목) 에다가와 사랑의 교회

사무엘상 6:13~216:13 벧세메스 사람들이 골짜기에서 밀을 베다가 눈을 들어 궤를 보고 그것의 보임을 기뻐하더니6:14 수레가 벧세메스 사람 여호수아의 밭 큰 돌 있는 곳에 이르러 선지라 무리가 수레의 나무를 패고 그 소를 번제로 여호와께 드리고6:15 레위인은 여호와의 궤와 그 궤와 함께 있는 금 보물 담긴 상자를 내려다가 큰 돌 위에 두매 그 날에 벧세메스 사람들이 여호와께…

Ⅰサムエル 黙想8【ベテ・シェメシュに向かう二頭の雌牛】230201(水) 枝川愛の教会

Ⅰサムエル 6:1~126:1 主の箱は七か月間ペリシテ人の地にあった。6:2 ペリシテ人は祭司たちと占い師たちを呼び寄せて言った。「主の箱をどうしたらよいでしょうか。どのようにして、それを元の場所に送り返せるか、教えてください。」6:3 彼らは答えた。「イスラエルの神の箱を送り返すのなら、何もつけないで送り返してはなりません。神に対して償いをしなければなりません。そうすれば、あなたがたは癒やされるでしょう。また、なぜ、神の手があなたがたから去らないかが分かるでしょう。」6:4 人々は言った。「私たちが送るべき償いのものは何ですか。」彼らは言った。「ペリシテ人の領主の数に合わせて、五つの金の腫物、つまり五つの金のねずみです。彼ら全員、つまりあなたがたの領主たちに、同じわざわいが下ったのですから。6:5 あなたがたの腫物の像、つまり、この地を破滅させようとしているねずみの像を造り、それらをイスラエルの神に貢ぎとして献げなさい。もしかしたら神は、あなたがたと、あなたがたの神々、そしてあなたがたの地の上にのしかかっている、その手を軽くされるかもしれません。6:6 なぜ、あなたがたは、エジプト人とファラオが心を硬くしたように、心を硬くするのですか。神が彼らに対して力を働かせたときに、彼らはイスラエルを去らせ、イスラエルは出て行ったではありませんか。6:7 今、一台の新しい車を用意し、くびきを付けたことのない、乳を飲ませている雌牛を二頭取り、雌牛を車につなぎ、その子牛は引き離して小屋に戻しなさい。6:8 また、主の箱を取って車に載せなさい。償いとして返す金の品物を鞍袋に入れて、そのそばに置きなさい。そして、それが行くがままに、去らせなければなりません。6:9 注意して見ていなさい。その箱がその国境への道をベテ・シェメシュに上って行くなら、私たちにこの大きなわざわいを起こしたのはあの神です。もし行かないなら、神の手が私たちを打ったのではなく、私たちに偶然起こったことだと分かります。」6:10 人々はそのようにした。彼らは乳を飲ませている雌牛を二頭取り、それを車につないだ。子牛は小屋に閉じ込めた。6:11 そして主の箱を車に載せ、また金のねずみ、すなわち腫物の像を入れた鞍袋を載せた。6:12 雌牛は、ベテ・シェメシュへの道、一本の大路をまっすぐに進んだ。鳴きながら進み続け、右にも左にもそれなかった。ペリシテ人の領主たちは、ベテ・シェメシュの国境まで、その後について行った。   神学校に行かなければならないと思っていた時、一日の関心は朝毎に与えられるQTの黙想でした。それを通して神様が語られると思っていたからです。遅い結婚にまだ学生で、子どもが生まれました。生活のためには論文を締めくくり、経済活動を始めなければなりませんでした。しかし、非現実的ですが、神学をしなければならないと考えていました。今朝の本文は、その日の朝QTから与えられたみことばでした。   堕落したイスラエルはペリシテに惨敗し、ペリシテは神の箱を奪って帰りました。確かに彼らは勝ちましたが、それによってペリシテは焦土化されます。神の箱には足がないわけですが、自らペリシテから出て神様の御言葉があるべきところ、すなわちイスラエルに帰るようになります。   ペリシテは災いの原因を確めたかったです。賭けをかけます。慣れてない新しい車を作り、一度も車を引いたことのない雌牛二頭に引かせます。経験もなく、訓練もされていない牛は、車を引こうとはしません。しかも一頭でもなく二頭です。おとなしく、車を引っ張っていくことはあり得ないです。   さらに実現不可能なのは、この二頭の雌牛は乳を飲ませる母牛でした。牛は母性愛が強い動物です。乳を飲ませる母牛は、子牛に心を奪われ、牛首をめぐらすことが明らかです。だから、ペリシテ人がかけた賭けというのは、さまざまなありえない奇跡が同時に起きること、それでこの災いがイスラエルの神が下したことを認めるということです。   「雌牛は、ベテ・シェメシュへの道、一本の大路をまっすぐに進んだ。鳴きながら進み続け、右にも左にもそれなかった。ペリシテ人の領主たちは、ベテ・シェメシュの国境まで、その後について行った。12」エクロンからベテ・シェメシュまで直線距離で約11キロです。 なんと二頭の雌牛がベテ・シェメシュに着くまで右にも左にもそれず、振り返えずに前向いてまっすぐ行き続きました。しかし、雌牛たちは泣きながら行きます。子牛のところに帰りたかったと思いますが、泣きながらも自分の背中に負った神様の御言葉を、御言葉があるべきところまで運ぶために歩き続きました。

사무엘상 묵상8【벧세메스로 가는 두 암소】230201(수) 에다가와 사랑의 교회

사무엘상 6:1~126:1 여호와의 궤가 블레셋 사람의 지방에 있은지 일곱 달이라6:2 블레셋 사람이 제사장들과 복술자들을 불러서 이르되 우리가 여호와의 궤를 어떻게 할꼬 그것을 어떻게 본처로 보낼 것을 우리에게 가르치라6:3 그들이 가로되 이스라엘 신의 궤를 보내려거든 거저 보내지 말고 그에게 속건제를 드려야 할지니라 그리하면 병도 낫고 그 손을 너희에게서 옮기지 아니하는 연고도 알리라6:4 그들이 가로되 무엇으로 그에게…