マルコの福音書 黙想 【聞く耳があるものだけ、聞きなさい】20240110(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

マルコの福音書 4:21~29 4:21 イエスはまた彼らに言われた。「明かりを持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。4:22 隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので、明らかにされないものはありません。4:23 聞く耳があるなら、聞きなさい。」4:24 また彼らに言われた。「聞いていることに注意しなさい。あなたがたは、自分が量るその秤で自分にも量り与えられ、その上に増し加えられます。4:25 持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っているものまで取り上げられてしまうからです。」4:26 またイエスは言われた。「神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、4:27 夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。4:28 地はひとりでに実をならせ、初めに苗、次に穂、次に多くの実が穂にできます。4:29 実が熟すと、すぐに鎌を入れます。収穫の時が来たからです。」   「イエスはまた彼らに言われた。「明かりを持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。21」灯りをつけると、それを隠したり、覆ったりせずに上に置いて光が照らすようにします。だからといって、この話をする時、聖徒に光になって光を照らすようにという意味で言われたことではありません。光があれば、それは必ず現れるようになるという真理について語られました。「隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので、明らかにされないものはありません。22」真理なら、それは変わったり、退いたりすることはありません。明らかに現れます。ですから、光を放ちようとしたり、光を当てようとしなくてもいいのです。光であるなら隠せなく、輝きますし、真理であるなら必ず明らかになるからです。   軍隊時代、山で子兎を追ったことがあります。ウサギが逃げていて捕まりそうだから草むらに頭をぶつけました。自分の目に見えないから隠れたと思ったのです。人はこれと違うんでしょうかね?手で目を覆うと何も見えません。愚かな人間は、だから自分の手のひらがすべてだと思います。この時代は、そのような人を理性的で合理的な人だと言います。目に見えることを論理的にしゃべることだけに同意します。神様について言えば、非理性的で非科学的だと思います。そのため、科学というものは1つの不完全な宗教になってしまいました。手のひらで隠したのは空ではなく、自分の目です。   それで「量りなさい」と言います。「また彼らに言われた。「聞いていることに注意しなさい。あなたがたは、自分が量るその秤で自分にも量り与えられ、その上に増し加えられます。24」目隠しをしたまま何もないと言い張らず、注意深く聞き、理解し、受け入れるということです。見えるものがすべてではないということは、続く農夫の種まきの話を通してより明らかになります。神の国は種をまくようなものだと言われました。農夫は収穫するために一年中休む暇もなく働きます。しかし農夫たちは種まきはしますが、その種の中に何が入っているかはわかりません。農夫は種を作らないし、実を作ることもありません。種をまくだけ、それを管理するだけ、そうするうちに季節が変わり、実が結ばれたらそれを収穫するだけです。光は今も輝いていて、真理は今もこの世を支配しています。草むらに頭を突っ込んだウサギが、手のひらで目を隠した人間がそれを認めないだけです。聞かない人、考えない人、信じない人の方が多いです。そこでイエス様の切ない訴えは、「聞く耳があるなら、聞きなさい。23」でした。

마가복음 묵상 【귀 있는 자만 들으라】 20240110(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

마가복음 4:21~29 4:21 또 저희에게 이르시되 사람이 등불을 가져오는 것은 말 아래나 평상 아래나 두려 함이냐 등경 위에 두려 함이 아니냐4:22 드러내려 하지 않고는 숨긴 것이 없고 나타내려 하지 않고는 감추인 것이 없느니라4:23 들을 귀 있는 자는 들으라4:24 또 가라사대 너희가 무엇을 듣는가 스스로 삼가라 너희의 헤아리는 그 헤아림으로 너희가 헤아림을 받을것이요 또 더 받으리니4:25…

マルコの福音書 黙想 【良い地に蒔かれた種】20240109(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

マルコの福音書 4:1~204:1 イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。非常に多くの群衆がみもとに集まったので、イエスは湖で、舟に乗って腰を下ろされた。群衆はみな、湖の近くの陸地にいた。4:2 イエスは、多くのことをたとえによって教えられた。その教えの中でこう言われた。4:3 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。4:4 蒔いていると、ある種が道端に落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。4:5 また、別の種は土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったのですぐに芽を出したが、4:6 日が昇るとしおれ、根づかずに枯れてしまった。4:7 また、別の種は茨の中に落ちた。すると、茨が伸びてふさいでしまったので、実を結ばなかった。4:8 また、別の種は良い地に落ちた。すると芽生え、育って実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」4:9 そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」4:10 さて、イエスだけになったとき、イエスの周りにいた人たちが、十二人とともに、これらのたとえのことを尋ねた。4:11 そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の奥義が与えられていますが、外の人たちには、すべてがたとえで語られるのです。4:12 それはこうあるからです。『彼らは、見るには見るが知ることはなく、聞くには聞くが悟ることはない。彼らが立ち返って赦されることのないように。』」4:13 そして、彼らにこう言われた。「このたとえが分からないのですか。そんなことで、どうしてすべてのたとえが理解できるでしょうか。4:14 種蒔く人は、みことばを蒔くのです。4:15 道端に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです。みことばが蒔かれて彼らが聞くと、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを取り去ります。4:16 岩地に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです。みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れますが、4:17 自分の中に根がなく、しばらく続くだけです。後で、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。4:18 もう一つの、茨の中に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いたのに、4:19 この世の思い煩いや、富の惑わし、そのほかいろいろな欲望が入り込んでみことばをふさぐので、実を結ぶことができません。4:20 良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちのことです。」   マルコの福音書の種まき例え話は共観福音書に共通して出てくる話しです。この比喩についてあらゆる解釈はありますが、核心的なテーマは難しくありません。イエス様が4章後半に直接教えてくださった解釈があるからです。イエス様の解釈を無視して任意的で恣意的な解釈をしてはいけません。   イエス様の解釈によると、14節で種をまくということは御言葉を伝えるということです。そして15節で御言葉が道端に蒔かれたということは、御言葉を聞く人が聞こうともしないということです。救いの御言葉、命の御言葉でも聞き手が聞こうともしないので小言に過ぎません。確かに聞く機会はありましたが、聞きませんでした。それが道端です。もう物理的に排斥しました。だから自分の中に化学反応が起こる余地はありません。考えない人が神様を信じることはできません。   2つ目、岩地に蒔かれたということは、聞いたことは確かにあります。しかし、それを消化せずに吐き出してしまう人です。反対による不利益の恐れがあるからです。社会的かつ経済的な不利益です。イエス様を信じることに不利益が生じると、すぐに裏切り、去っていきます。それは最初から信じたことではありません。利害によって振り回される人は信仰の根を下ろすことができません。   3つ目は、茨の中に蒔かれたのです。礼拝堂に来て聞くことは聞きますが、礼拝堂の外に出れば、世の心配と経済の誘惑と欲が入り、変わってしまいます。欲が御言葉に勝ちます。価値観が違うからです。神様の御言葉を受けるためには価値観が神様の国の価値観に変えなければならないですが、世の中の価値観に留まっているから、神様の御言葉を裏切ることになります。。   20節の良い地に撒かれた御言葉は30倍と60倍と100倍の結実を結ぶと言いました。 これは、御言葉を心に留め、生活でに実践した人です。神様の御言葉を自分の価値化にした人です。解釈するまでもなく、この例えばなしぼ地は人の心です。聞こうともしない人はどんなに時間が経っても聞きませんし、聞き流してしまう人には何の変化も起こりません。聞いてから心に感動を受けても生活の心配があると、必ず神様の御言葉をあきらめます。   しかし、神の御言葉に従う人は100倍の実を結ぶことになります。これが信仰のチャンスです。力は人にあるのではなく、神にあります。私はそれを信じます。サタンは生活を食いしばります。私たちは神に仕えるか、生活に仕えるかのどちらかに仕えなけらばなりません。神様は信仰を見ておられます。そして実を結ばせる方は神様です。神様の御言葉に対して献身しない人は、決して神様を経験することはできません。

마가복음 묵상 【좋은 땅에 뿌려진 씨】 20240109(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

마가복음 4:1~20 4:1 예수께서 다시 바닷가에서 가르치시니 큰 무리가 모여 들거늘 예수께서 배에 올라 바다에 떠 앉으시고 온 무리는 바다 곁 육지에 있더라4:2 이에 예수께서 여러가지를 비유로 가르치시니 그 가르치시는 중에 저희에게 이르시되4:3 들으라 씨를 뿌리는 자가 뿌리러 나가서4:4 뿌릴쌔 더러는 길 가에 떨어지매 새들이 와서 먹어 버렸고4:5 더러는 흙이 얇은 돌밭에 떨어지매 흙이 깊지…