第一ヨハネの手紙 黙想 【御子のうちにあるいのち】 20260108(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
第一ヨハネの手紙 5:1~12 5:1 イエスがキリストであると信じる者はみな、神から生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はみな、その方から生まれた者も愛します。 5:2 このことから分かるように、神を愛し、その命令を守るときはいつでも、私たちは神の子どもたちを愛するのです。 5:3 神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません。 5:4 神から生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。 5:5 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。 5:6 この方は、水と血によって来られた方、イエス・キリストです。水によるだけではなく、水と血によって来られました。御霊はこのことを証しする方です。御霊は真理だからです。 5:7 三つのものが証しをします。 5:8 御霊と水と血です。この三つは一致しています。 5:9 私たちが人の証しを受け入れるのであれば、神の証しはそれにまさるものです。御子について証しされたことが、神の証しなのですから。 5:10 神の御子を信じる者は、その証しを自分のうちに持っています。神を信じない者は、神を偽り者としています。神が御子について証しされた証言を信じていないからです。 5:11 その証しとは、神が私たちに永遠のいのちを与えてくださったということ、そして、そのいのちが御子のうちにあるということです。 5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。 ヨハネは倫理規範を提示しているのではなく、神がいかなるお方であるかを存在論的に力強く語っている。「愛しなさい」という命令は、人間が何をすべきかという問いとして読まれがちであるが、実際にヨハネが切実に語ろうとしているのは、神がどのようにご自身を啓示され、その啓示の中で人間がどのように存在するのかということである。したがって、愛は付け加えるべき道徳ではなく、生きるべき存在のあり方なのである。 ヨハネは信仰を選択や決断として説明せず、「神から生まれたもの」と語る。これは、信仰が人間の決意から始まるのではなく、神ご自身が私たちの内で始められた出来事であることを意味している。そのアイデンティティの中において、愛は守るべき義務ではなく、生きていること、そして信じていることの証しとなる。 神の内に生きること、神を信じる信仰によって生きることは、愛というかたちでご自身を現されたイエス・キリストの内に生きる道以外には存在しない。神に近づくために啓示された道はイエス・キリストただおひとりであり、その啓示された通路は、ただ愛として現された。 聖霊は、そのことが真実であることを私たちの内に証ししてくださる。だからこそ、神を信じること、イエスを信じること、兄弟を愛すること、そして聖霊が私たちの内におられることは、互いに切り離された事柄ではない。これらは一つのいのちであり、一つの信仰であり、一つの生である。ヨハネが語る信仰とは、すべてを理解することではなく、イエス・キリストを信じることを通して、すべてが一つにつながっていくことなのである。










