ヨハネの手紙第二 黙想【惑わされない真理】20260110(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ヨハネの手紙第二 1:1-13 1:1 長老から、選ばれた婦人とその子どもたちへ。私はあなたがたを本当に愛しています。私だけでなく、真理を知っている人々はみな、愛しています。 1:2 真理は私たちのうちにとどまり、いつまでも私たちとともにあるからです。 1:3 父なる神と、その御父の子イエス・キリストから、恵みとあわれみと平安が、真理と愛のうちに、私たちとともにありますように。 1:4 御父から私たちが受けた命令のとおりに、真理のうちを歩んでいる人たちが、あなたの子どもたちの中にいるのを知って、私は大いに喜んでいます。 1:5 そこで婦人よ、今あなたにお願いします。それは、新しい命令としてあなたに書くのではなく、私たちが初めから持っていた命令です。私たちは互いに愛し合いましょう。 1:6 私たちが御父の命令にしたがって歩むこと、それが愛です。あなたがたが初めから聞いているように、愛のうちを歩むこと、それが命令です。 1:7 こう命じるのは、人を惑わす者たち、イエス・キリストが人となって来られたことを告白しない者たちが、大勢世に出て来たからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。 1:8 気をつけて、私たちが労して得たものを失わないように、むしろ豊かな報いを受けられるようにしなさい。 1:9 だれでも、「先を行って」キリストの教えにとどまらない者は、神を持っていません。その教えにとどまる者こそ、御父も御子も持っています。 1:10 あなたがたのところに来る人で、この教えを携えていない者は、家に受け入れてはいけません。あいさつのことばをかけてもいけません。 1:11 そういう人にあいさつすれば、その悪い行いをともにすることになります。 1:12 あなたがたにはたくさん書くべきことがありますが、紙と墨ではしたくありません。私たちの喜びが満ちあふれるために、あなたがたのところに行って、直接話したいと思います。 1:13 選ばれたあなたの姉妹の子どもたちが、あなたによろしくと言っています。  ヨハネの第二の手紙は、一章、十三節で構成されている短い手紙です。しかし、その短さのゆえに、この手紙の目的と内容は、力強く、またはっきりと伝わってきます。    「愛の使徒」と呼ばれるヨハネは、今日の御言葉の中で、ヨハネらしく愛を強調すると同時に、反キリストたち、すなわち異端に対して、断固とした態度を取るように勧めています。しかし、その異端への対処は、決して愛を捨てることではなく、むしろ真の愛を守るためであることが、ここで示されています。    異端への対処の問題は、長い間、教会の中で議論されてきて、どの方法が正しいと言うことも難しい問題であります。単に彼らに対して厳しく対処することだけが正しいと言い切れないのは、敵を愛し、その相手にまでも真理を伝えることが、キリスト者の使命であるとも言えるからです。    聖書の中で反キリストと呼ばれる者たちには、いくつかの特徴があります。それは、真理を歪め、その歪められた真理に人々を惑わす、という点です。ヨハネは、彼らに惑わされないため、また、私たちが受ける豊かな報いを失わないために、自ら注意しなさいと勧めているのです。    私たちは、彼らに惑わされないため、また、彼らが歪めた真理に欺かれて真の真理を失わないために、私たちの中にある真理を、さらに確かなものとして築き上げていかなければなりません。そして、彼らがもはや私たちにとって危険とならなくなり、私たちの中に根づいた真の真理が、彼らの歪んだ真理を正し、彼らもまた、完全な報いにあずかることができるようになる、それこそが、最も望ましい道でしょう。    このような務めを一人で担うことは危険なことです。私たちはいつでも、「自分は惑わされない」という思い込みに陥る可能性もあり、実際に惑わされてしまうこともあるでしょう。だからこそ、この働きは、真の真理のうちに互いに愛し合う共同体とともに、その共同体を導いておられる聖霊様を通して、成し遂げられなければならないのです。 https://youtu.be/6-1NgGkmLC4?si=ysH7XbM-b2neW06S

요한이서 묵상【미혹을 이기는 진리】20260110(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

요한이서 1:1-13 1:1 장로인 나는 택하심을 받은 부녀와 그의 자녀들에게 편지하노니 내가 참으로 사랑하는 자요 나뿐 아니라 진리를 아는 모든 자도 그리하는 것은 1:2 우리 안에 거하여 영원히 우리와 함께 할 진리로 말미암음이로다 1:3 은혜와 긍휼과 평강이 하나님 아버지와 아버지의 아들 예수 그리스도께로부터 진리와 사랑 가운데서 우리와 함께 있으리라 1:4 너의 자녀들 중에 우리가 아버지께…

ヨハネの手紙第一 黙想【知識は力なり】20260109(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ヨハネの手紙第一 5:13-21 5:13 神の御子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書いたのは、永遠のいのちを持っていることを、あなたがたに分からせるためです。 5:14 何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。 5:15 私たちが願うことは何でも神が聞いてくださると分かるなら、私たちは、神に願い求めたことをすでに手にしていると分かります。 5:16 だれでも、兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば、神はその人にいのちを与えてくださいます。これは、死に至らない罪を犯している人たちの場合です。しかし、死に至る罪があります。これについては、願うようにとは言いません。 5:17 不義はすべて罪ですが、死に至らない罪もあります。 5:18 神から生まれた者はみな罪を犯さないこと、神から生まれた方がその人を守っておられ、悪い者はその人に触れることができないことを、私たちは知っています。 5:19 私たちは神に属していますが、世全体は悪い者の支配下にあることを、私たちは知っています。 5:20 また、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことも、知っています。私たちは真実な方のうちに、その御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。 5:21 子どもたち、偶像から自分を守りなさい。  私たちはさまざまな分野において、「知識は力なり」という言葉を用いています。そのため、学ぶことを大切にし、その力を養うことに力を注いできました。これは、私たちの信仰においても同じです。しかし、それは世の中が語る「知識」とは、少し異なるのかもしれません。     私たちの信仰における「知識」には、二種類の知識があります。それは、「概念的知識」と、「体験的知識」です。単に論理的に理解することにとどまらず、私たちの全人格を通して体験することによって知る、ということです。私たちは、この概念的に知ることと、経験的に知ること、その両方を大切にしながら、「力となる知識」を育んでいく必要があります。  まず私たちは、「概念的知識」として神様を知る必要があります。御言葉を通して、また、その御言葉を確かな土台とする教えたちを通して、神様がどのようなお方であるか、私たちにどのようなことをなさってくださったのか、私たちはどのような存在であり、どのように生きるべきなのかを、論理的にも理解しなければなりません。この「知識」が、健全な信仰の土台となり、また、私たちが神様を伝えていくための土台となるでしょう。  同時に、私たちは経験的に神様を知る必要があります。私たちの信仰は、概念だけで成り立つものではありません。また、この世の知識だけでは、神様を正しく知ることもできません。私たちは、一人ひとりに与えられた聖霊の働きと、導きを通して神様を経験し、そのお方を見、出会うことで神様を知ることができるでしょう。  この二つの「知識」には、決められた順番はありません。概念を持っている者にだけ体験が与えられるのでもなく、体験をした者だけが概念として神様を知ることができるわけでもありません。しかし、確かなことは、この二つの「知識」が、必ず共に行かなければならないということです。私たちの中で、「知性」と「霊性」の出会いが起こる必要があるのです。  私たちが救われた神様の民であることを概念として知ることは、救いの確信をもたらしてくれるでしょう。しかし、その事実を体験しなければ、その救いはどこか曖昧で、ぼんやりしているものになってしまうかもしれません。一方、救われた神様の民であることを体験することは、私たちが受けた救いがどのようなものであるかを、より鮮明にしてくれるでしょう。しかし、その事実を概念的に知らないと、その救いは一時的な体験に過ぎないもの、あるいは、いつか失われてしまうのではないかという恐れと不安の中で生きることになるでしょう。  このように私たちは、神様を概念的に、また経験的に知ることによって与えられる力をもって、救われた神様の民としてこの世の中で生き、伝えていくことができます。 https://youtu.be/7O4BeAEDuaY?si=T4vN_Q4k3RcAHNeR

요한일서 묵상【아는 것이 힘이다】20260109(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

요한일서 5:13-21 5:13 내가 하나님의 아들의 이름을 믿는 너희에게 이것을 쓰는 것은 너희로 하여금 너희에게 영생이 있음을 알게 하려 함이라 5:14 그를 향하여 우리가 가진 바 담대함이 이것이니 그의 뜻대로 무엇을 구하면 들으심이라 5:15 우리가 무엇이든지 구하는 바를 들으시는 줄을 안즉 우리가 그에게 구한 그것을 얻은 줄을 또한 아느니라 5:16 누구든지 형제가 사망에 이르지 아니하는…

第一ヨハネの手紙 黙想 【御子のうちにあるいのち】 20260108(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

第一ヨハネの手紙 5:1~12 5:1 イエスがキリストであると信じる者はみな、神から生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はみな、その方から生まれた者も愛します。 5:2 このことから分かるように、神を愛し、その命令を守るときはいつでも、私たちは神の子どもたちを愛するのです。 5:3 神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません。 5:4 神から生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。 5:5 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。 5:6 この方は、水と血によって来られた方、イエス・キリストです。水によるだけではなく、水と血によって来られました。御霊はこのことを証しする方です。御霊は真理だからです。 5:7 三つのものが証しをします。 5:8 御霊と水と血です。この三つは一致しています。 5:9 私たちが人の証しを受け入れるのであれば、神の証しはそれにまさるものです。御子について証しされたことが、神の証しなのですから。 5:10 神の御子を信じる者は、その証しを自分のうちに持っています。神を信じない者は、神を偽り者としています。神が御子について証しされた証言を信じていないからです。 5:11 その証しとは、神が私たちに永遠のいのちを与えてくださったということ、そして、そのいのちが御子のうちにあるということです。 5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。 ヨハネは倫理規範を提示しているのではなく、神がいかなるお方であるかを存在論的に力強く語っている。「愛しなさい」という命令は、人間が何をすべきかという問いとして読まれがちであるが、実際にヨハネが切実に語ろうとしているのは、神がどのようにご自身を啓示され、その啓示の中で人間がどのように存在するのかということである。したがって、愛は付け加えるべき道徳ではなく、生きるべき存在のあり方なのである。 ヨハネは信仰を選択や決断として説明せず、「神から生まれたもの」と語る。これは、信仰が人間の決意から始まるのではなく、神ご自身が私たちの内で始められた出来事であることを意味している。そのアイデンティティの中において、愛は守るべき義務ではなく、生きていること、そして信じていることの証しとなる。 神の内に生きること、神を信じる信仰によって生きることは、愛というかたちでご自身を現されたイエス・キリストの内に生きる道以外には存在しない。神に近づくために啓示された道はイエス・キリストただおひとりであり、その啓示された通路は、ただ愛として現された。 聖霊は、そのことが真実であることを私たちの内に証ししてくださる。だからこそ、神を信じること、イエスを信じること、兄弟を愛すること、そして聖霊が私たちの内におられることは、互いに切り離された事柄ではない。これらは一つのいのちであり、一つの信仰であり、一つの生である。ヨハネが語る信仰とは、すべてを理解することではなく、イエス・キリストを信じることを通して、すべてが一つにつながっていくことなのである。

요한일서 묵상 【아들 안에 있는 생명】 20260108(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한일서 5:1~12 5:1 예수께서 그리스도이심을 믿는 자마다 하나님께로서 난 자니 또한 내신 이를 사랑하는 자마다 그에게 난 자를 사랑하느니라 5:2 우리가 하나님을 사랑하고 그의 계명들을 지킬 때에 이로써 우리가 하나님의 자녀 사랑하는 줄을 아느니라 5:3 하나님을 사랑하는 것은 이것이니 우리가 그의 계명들을 지키는 것이라 그의 계명들은 무거운 것이 아니로다 5:4 대저 하나님께로서 난 자마다 세상을…

第一ヨハネの手紙 黙想 【まだ行くべき道】 20260107(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

第一ヨハネの手紙 4:13~21 4:13 神が私たちに御霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることが分かります。 4:14 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、その証しをしています。 4:15 だれでも、イエスが神の御子であると告白するなら、神はその人のうちにとどまり、その人も神のうちにとどまっています。 4:16 私たちは自分たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。 4:17 こうして、愛が私たちにあって全うされました。ですから、私たちはさばきの日に確信を持つことができます。この世において、私たちもキリストと同じようであるからです。 4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。 4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。 4:20 神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。 4:21 神を愛する者は兄弟も愛すべきです。私たちはこの命令を神から受けています。 ヨハネが語ろうとしているのは、神を信じるとは、実際に、そして具体的に何を意味するのかという問いである。 ヨハネにとって信仰は、心の中の思いや言葉による告白にとどまるものではない。神が愛であるなら、その神のうちにとどまる生は、必然的に愛という姿となって現れる。だから兄弟愛は信仰の義務ではなく、信仰が実在していることを証明する絶対的なしるしとなる。 人々は信仰について多くを語ったが、共同体の中で責任を担おうとはしなかった。中には、ついに共同体を去っていった者もいた。ヨハネはこの問題を、責任や義務という言葉で縛ろうとはしない。代わりに、単純でありながら避けることのできない問いを投げかける。そこに愛はあるのか。 愛しているのに表すことができないなら、それは苦しみであり、愛していないのに愛しているふりをすることもまた重荷である。愛はいつも正直だ。だからこそ、愛は最もごまかしのきかない信仰の姿なのである。 ヨハネは「愛のうちには恐れがない」と語る。だからといって、裁きがないと言っているのではない。ただ、罰を恐れるあまり神を信じているのだとしたら、それはまだ愛が始まっていないのだと言うのである。神は恐ろしい裁判官ではなく、今ここに共におられる方である。それは、愛があるかないかの違いである。愛のうちに、すなわち神のうちにとどまる者は、裁きの前にあっても大胆である。 ヨハネが言う「兄弟」とは、清らかで理想的な同労者たちを情深く呼ぶ美しい呼称ではない。身近な存在でありながら、ときに疎ましく、傷や怒りを与えてくる人々のことである。そうした人々は、いつも私たちの周りにいる。ヨハネは、兄弟を愛さずに神を愛していると言うことは、自分自身を欺くことだと語る。神への愛は、必ず人への愛を通して、はっきりと現れるからである。経験上、憎い人を「履修」しきれなければ再履修があり、その時にはさらに手ごわい人が現れた。愛が重たく感じられるなら、まず憎まないことから、愛を始めてもよい。

요한일서 묵상 【아직도 가야 할 길】 20260107(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한일서 4:13~21 4:13 그의 성령을 우리에게 주시므로 우리가 그 안에 거하고 그가 우리 안에 거하시는 줄을 아느니라 4:14 아버지가 아들을 세상의 구주로 보내신 것을 우리가 보았고 또 증거하노니 4:15 누구든지 예수를 하나님의 아들이라 시인하면 하나님이 저 안에 거하시고 저도 하나님 안에 거하느니라 4:16 하나님이 우리를 사랑하시는 사랑을 우리가 알고 믿었노니 하나님은 사랑이시라 사랑 안에 거하는…

요한일서 묵상 【성육신과 형제 사랑】 20260106(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한일서 4:1~12 4:1 사랑하는 자들아 영을 다 믿지 말고 오직 영들이 하나님께 속하였나 시험하라 많은 거짓 선지자가 세상에 나왔음이니라 4:2 하나님의 영은 이것으로 알지니 곧 예수 그리스도께서 육체로 오신 것을 시인하는 영마다 하나님께 속한 것이요 4:3 예수를 시인하지 아니하는 영마다 하나님께 속한 것이 아니니 이것이 곧 적그리스도의 영이니라 오리라 한 말을 너희가 들었거니와 이제 벌써…

第一ヨハネの手紙 黙想 【受肉と兄弟愛】 20260106(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

第一ヨハネの手紙 4:1~12 4:1 愛する者たち、霊をすべて信じてはいけません。偽預言者がたくさん世に出て来たので、その霊が神からのものかどうか、吟味しなさい。 4:2 神からの霊は、このようにして分かります。人となって来られたイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。 4:3 イエスを告白しない霊はみな、神からのものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていましたが、今すでに世に来ているのです。 4:4 子どもたち。あなたがたは神から出た者であり、彼らに勝ちました。あなたがたのうちにおられる方は、この世にいる者よりも偉大だからです。 4:5 彼らはこの世の者です。ですから、世のことを話し、世も彼らの言うことを聞きます。 4:6 私たちは神から出た者です。神を知っている者は私たちの言うことを聞き、神から出ていない者は私たちの言うことを聞きません。それによって私たちは、真理の霊と偽りの霊を見分けます。 4:7 愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。 4:8 愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。 4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。 4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。 4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。 4:12 いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。 ヨハネは、「もっともらしく聞こえるからといって信じてはならず、必ずその霊を見分けなければならない」と語る。世の中には一理(いちり)あるように思える言葉が数多く存在する。しかし、私たちが見分け、信じるべきものは一理ではなく、真理である。ヨハネがこのように語ったのは、彼の時代に信仰を惑わし、人々を欺く思想が実際に存在していたからである。ヨハネの手紙が記された1世紀末のヘレニズム世界には、「霊は高貴であり、肉体は劣ったもの、あるいは悪である」とする二元論的な思想が広く浸透しており、その考え方は教会の中にまで入り込んでいた。その結果、人々はイエス・キリストが人間の身体を取って来られるはずがなく、ただ霊的存在として現れたに過ぎないと考えるようになった。このような思想は、後にグノーシス主義として体系化されていくが、ヨハネの時代にはまだ完成された教理体系ではなく、知的に洗練され、霊的にも深く見える身振り(ジェスチャー)として人々を魅了していたのである。 ヨハネは、イエスを実際に見、触れ、語り合い、共に生活し、さらに肉体の死と復活の現場にまで立ち会った、「人間イエス」の生き証人であった。彼の記憶の中には、肉体と人格をもったイエスの姿が鮮明に刻まれていた。だからこそ、イエスの人間性、すなわち受肉を否定する教えに対して、彼が沈黙することはあり得なかったのである。キリストは人として来られたのではなく、霊的幻影として現れたのだと主張する二元論者たちに対し、ヨハネはそれを「神に属さない、反キリストの霊」であると断固として言い切った。世の思考様式の中にとどまっている限り、人は時代が提供する「もっともらしい理屈」に容易に流されてしまう。私たちが生きる現代の思考様式もまた、一つの時代が生み出した断片的な一理を、合理的であるかのように共有しているに過ぎないのかもしれない。 ヨハネの霊の識別に対する語調は、きわめて断固としている。しかし本文を読むと、1節から6節まで偽りの霊について語っていた流れが、7節から突然「愛」という主題に移っているように見える。だが、ヨハネが複数の主題を無秩序に並べたわけではない。彼は、霊の識別が真に成し遂げられたなら、その結果は必ず神と実際に結ばれた生へと現れる、という前提の上で語りを進めているのである。すでに第3章でも愛について語っているように、ヨハネにとって霊の識別は、愛という主題の外側にあるのではなく、その内側に含まれている問題である。神と結ばれているなら、その関係は神の存在のあり方として現れざるを得ず、その存在のあり方こそが愛なのである。 それゆえヨハネは、愛する者は神から生まれた者であり、神を知っている者だと言い、愛さない者は神を知らないと断言する。神は愛を行われる方であるだけでなく、その存在そのものが愛だからである。人が神を先に愛したのではなく、神が先に人を愛し、人の罪のために御子を宥めの供え物としてお与えになった。その方法こそが、受肉と十字架の出来事であった。ヨハネは、そのすべての出来事の証人である。したがってヨハネにとって受肉とは、神学的論争の対象ではなく、神の愛をどれほど現実的に体験したかという問題であった。人格としてご自身を現された神を知らなければ、神格としての神を真に知ることはできない。神格である神が人格となって、人格をもつ人間を訪ねてくださったからこそ、人間に救いと信仰が始まったのである。ゆえに、最も霊的な信仰とは、常に人格の上に築かれた信仰なのである。