ヨシュア 黙想 【逃れの町】 20251217(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
ヨシュア 20:1~9 20:1 主はヨシュアに告げられた。 20:2 「イスラエルの子らに告げよ。『わたしがモーセを通してあなたがたに告げておいた、逃れの町を定めよ。 20:3 意図せずに誤って人を打ち殺してしまった殺人者が、そこに逃げ込むためである。血の復讐をする者から逃れる場所とせよ。 20:4 人がこれらの町の一つに逃げ込む場合、その人はその町の門の入り口に立ち、その町の長老たちに聞こえるようにその事情を述べよ。彼らは自分たちの町に彼を受け入れ、彼に場所を与える。そして彼は彼らとともに住む。 20:5 たとえ血の復讐をする者が彼を追って来ても、その手に殺人者を渡してはならない。彼は隣人を意図せずに打ち殺してしまったのであって、前からその人を憎んでいたわけではないからである。 20:6 その人は会衆の前に立ってさばきを受けるまで、あるいはその時の大祭司が死ぬまでその町に住む。その後で、殺人者は自分の町、自分の家、自分が逃げ出した町に帰って行くことができる。』」 20:7 彼らはナフタリの山地のガリラヤのケデシュ、エフライムの山地のシェケム、ユダの山地のキルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンを聖別した。 20:8 ヨルダンの川向こう、エリコの東の方ではルベン部族から台地の荒野のベツェルを、ガド部族からギルアデのラモテを、マナセ部族からバシャンのゴランをこれに当てた。 20:9 これらはすべてのイスラエルの子ら、および彼らの間に寄留している者のために設けられた町である。すべて、誤って人を打ち殺してしまった者がそこに逃げ込むためであり、会衆の前に立たないうちに、血の復讐をする者の手によって死ぬことがないようにするためである。 定住期のイスラエルには、複雑に絡み合う感情や利害関係を統御し、社会秩序を維持するための社会的・法的装置が必要であった。律法そのものはすでに与えられていたが、荒野の共同体を前提とした規範を経て、定住社会へと移行したイスラエルには、より精緻な制度的整備が求められた。人々の定住とともに、律法もまた、現実の社会の中で機能する具体的な制度として定着する必要があったのである。 逃れの町(逃避城)の制度は、個人の怒りや復讐心が法に優先することを抑制し、法的かつ公的な手続きの枠内で事案を扱うための、きわめて現実的な法治制度であった。それは、罪を犯して逃げ込めば無条件に免罪されるような、絶対的な聖域ではない。たとえば、明洞聖堂に政治犯が身を寄せた場合、警察権の行使が一時的に保留されることがあるとしても、聖堂側が無条件に誰でも受け入れるわけではないのと同じである。 逃れの町における判断基準は、まず殺人・致死行為における故意性の有無を区別することにあった。逃亡者は、城門という公的空間において、司法的役割を担う長老たちに事故の経緯を説明し、その結果、保護の必要性が認められた場合にのみ、逃れの町に入ることが許された。逃れの町は被害者側の報復を防ぐが、その保護は最終的な裁判が終わるまでの期間に限られていた。 この逃れの町の制度は、イスラエル人だけでなく、寄留者や他民族にも同様に適用された。何よりもそれが、社会の安全と秩序を守るための法的装置であったことが分かる。信仰は宗教という衣をまとっているが、信仰が宗教の内部に隠れて、人間性や社会性から逃避することはできない。信仰もまた、人間や社会を侵害するならば、責任を負わなければならないのである。イスラエルの信仰は、その点を明確にすることによって、信仰の領域を社会の全領域へと拡張したのであった。










