マタイによる福音書 黙想 【あなたがたの間で信じたいと思う者は】 20260305(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
マタイによる福音書 20:17~28 20:17 さて、イエスはエルサレムに上る途中、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。 20:18 「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡されます。彼らは人の子を死刑に定め、 20:19 異邦人に引き渡します。嘲り、むちで打ち、十字架につけるためです。しかし、人の子は三日目によみがえります。」 20:20 そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、息子たちと一緒にイエスのところに来てひれ伏し、何かを願おうとした。 20:21 イエスが彼女に「何を願うのですか」と言われると、彼女は言った。「私のこの二人の息子があなたの御国で、一人はあなたの右に、一人は左に座れるように、おことばを下さい。」 20:22 イエスは答えられた。「あなたがたは自分が何を求めているのか分かっていません。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます」と言った。 20:23 イエスは言われた。「あなたがたはわたしの杯を飲むことになります。しかし、わたしの右と左に座ることは、わたしが許すことではありません。わたしの父によって備えられた人たちに与えられるのです。」 20:24 ほかの十人はこれを聞いて、この二人の兄弟に腹を立てた。 20:25 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。 20:26 あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。 20:27 あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。 20:28 人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。」 イエス様はエルサレムへ上って行く途中、これから起こる出来事について語られた。大祭司や律法学者たちはイエス様を殺すことを決め、総督に引き渡し、やがて苦しみと辱めを受けて十字架にかけられることになる。しかし三日後に再びよみがえるという内容であった。けれども弟子たちはその意味を理解することができなかった。 ゼベダイの子たち、すなわちヨハネとヤコブの母がイエス様のもとに来て、一人を右に、もう一人を左に座らせてほしいと願い出る。彼らはイエス様のエルサレム入城を政治的な権力の獲得として理解していたのである。イエス様は十字架の苦しみと受難を語っておられるのに、弟子たちは席次をめぐって争っている。十字架を語りながら、それを利用して地位や利益に執着する人は、今の時代にも決して少なくない。 同じ道を歩きながらも違う夢を見ている弟子たちに、イエス様はご自分が飲まなければならない杯を飲むことができるのか、すなわち十字架を担うことができるのかと問われる。期待に満ちたゼベダイの家族は、どんなことでもできると答える。他の弟子たちはヤコブとヨハネに腹を立てるが、その欲望は彼らと大きく変わらない。弟子たちは十字架の背景として立つには十分な姿を見せている。 イエス様は、世では権力を持つ者が人々を支配するが、神様の国ではそうではないと語られる。世では高くなるために人の上に立とうとするが、神様の国では自ら低くなり、人に仕える者こそ大きいのである。野心を持つ人間にとって、これほど魅力のない道はないだろう。 イエス様がこの地に来られたのは、仕えられるためではなく仕えるためであり、ご自分のいのちを多くの人の身代金として与えるためであると語られる。キリスト教はこれを信じ、実践し、伝える信仰である。しかし倒錯した宗教は、これとはまったく反対の方向へ走ってしまう。この矛盾から抜け出すことができるのだろうか。










