詩篇 黙想 【祈るために詩を書くダビデ】 20250702(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

詩篇 86:1~17 86:1 主よ耳を傾けて私に答えてください。私は苦しみ貧しいのです。 86:2 私のたましいをお守りください。私は神を恐れる者です。あなたのしもべをお救いください。あなたは私の神。私はあなたに信頼します。 86:3 主よ私をあわれんでください。絶えず私はあなたを呼んでいます。 86:4 このしもべのたましいを喜ばせてください。主よ私のたましいはあなたを仰ぎ求めています。 86:5 主よまことにあなたはいつくしみ深く赦しに富みあなたを呼び求める者すべてに恵み豊かであられます。 86:6 主よ私の祈りに耳を傾け私の願いの声を心に留めてください。 86:7 苦難の日に私はあなたを呼び求めます。あなたが私に答えてくださるからです。 86:8 主よ神々のうちであなたに並ぶ者はなくあなたのみわざに比べられるものはありません。 86:9 主よあなたが造られたすべての国々はあなたの御前に来て伏し拝みあなたの御名をあがめます。 86:10 まことにあなたは大いなる方奇しいみわざを行われる方。あなただけが神です。 86:11 主よあなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。 86:12 わが神主よ私は心を尽くしてあなたに感謝しとこしえまでもあなたの御名をあがめます。 86:13 あなたの恵みは私の上に大きくあなたが私のたましいをよみの深みから救い出してくださるからです。 86:14 神よ高ぶる者どもは私に向かい立ち横暴な者の群れが私のいのちを求めます。彼らはあなたを前にしていません。 86:15 しかし主よあなたはあわれみ深く情け深い神。怒るのに遅く恵みとまことに富んでおられます。 86:16 御顔を私に向け私をあわれんでください。あなたのしもべに御力を与えあなたのはしための子をお救いください。 86:17 私にいつくしみのしるしを行ってください。そうすれば私を憎む者どもは見て恥を受けます。主よあなたが私を助け慰めてくださるからです。   今日の詩篇86編の黙想は、日常の言葉にしました。聖書の言葉が宗教的にしか聞こえず、心に届かないと感じるとき、自分の言葉に置き換えてみると、意外とよく伝わるものです。詩篇はダビデだけのものではありません。いつでも自分の心を吐き出せば、それが詩篇になるのです。本当に辛く苦しいときは、祈りの言葉すら出てきません。ダビデのように、祈りを「書く」こともできます。そして書き直し、整えて、神様に捧げるのです。今朝の黙想は、ダビデの詩篇86編を私自身の言葉に変えてみた、「私の詩篇86編」です。 86:1 主よ、最近ちょっと疲れて、心がしんどいです。どうか助けてください。 86:2 私は主だけを信じて、頼って生きています。私の心を守って、どうか抱きしめてください。 86:3 今日は辛すぎて、一日中主の名を呼んで、主だけを見上げています。 86:4 主を待ち望む私の魂に、どうか喜びを注いでください。 86:5 主よ、あなたは優しくて、憐れみに満ちた方。私の叫びを聞き流さないお方です。 86:6 今日も、私の声に耳を傾けてください。 86:7 私が苦しくてどうしようもない状況なのを、主はご存じでしょう?これまでも泣きながら主のもとに来たら、いつも応えてくださいました。 86:8 この世界にあるどんなものも、主のようにはなれません。 86:9 主はすべての栄光の持ち主。いつかすべての人が主の前にひざまずき、あなたの御名をたたえるでしょう。 86:10 あなたのなさることは、みな驚くべきことばかり。主だけが神なのです。 86:11 だから、今、私はどう生きればよいかを教えてください。 86:12 もっと主を知りたい。心のすべてをもって、あなたに従いたいのです。 86:13 あなたが私を救い出してくださったあの時、深い闇の中から引き上げてくださいましたね。 86:14 人々が私を軽く扱い、傷つけようとしても、それは彼らが主を知らないからでしょう。 86:15 でも、主は私のことをあわれんでくださって、助けてくださると信じています。 86:16 それでも、やっぱり辛いです。どうか力を与えて、支えてください。 86:17 そして、主が私と共におられるというしるしを、誰かが見られるように見せてください。そうすれば、私を傷つけようとしていた人たちも、あなたが私の味方でいてくださることを知るでしょう。主よ、あなたこそが私の助け、私の慰めです。

시편 묵상 【기도하기 위해 시를 쓰는 다윗】 20250702(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

시편 86:1~17 86:1 여호와여 나는 곤고하고 궁핍하오니 귀를 기울여 내게 응답하소서 86:2 나는 경건하오니 내 영혼을 보존하소서 내 주 하나님이여 주를 의지하는 종을 구원하소서 86:3 주여 나를 긍휼히 여기소서 내가 종일 주께 부르짖나이다 86:4 주여 내 영혼이 주를 우러러 보오니 주여 내 영혼을 기쁘게 하소서 86:5 주는 선하사 사유하기를 즐기시며 주께 부르짖는 자에게 인자함이 후하심이니이다…

詩篇 黙想 【神を知る喜び】 20250701(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

詩篇 85:1~13 85:1 主よあなたはご自分の地に恵みを施しヤコブを元どおりにされます。 85:2 あなたは御民の咎を担いすべての罪をおおってくださいます。セラ 85:3 あなたは激しい怒りをすべて収め燃える御怒りから身を引かれます。 85:4 帰って来てください。私たちのところに。私たちの救いの神。私たちへの御怒りをやめてください。 85:5 あなたはとこしえに私たちに対して怒られるのですか。代々に至るまで御怒りを引き延ばされるのですか。 85:6 あなたは帰って来て私たちを生かしてくださらないのですか。あなたの民があなたにあって喜ぶために。 85:7 主よ私たちにお示しください。あなたの恵みを。私たちにお与えください。あなたの救いを。 85:8 聞かせてください。主である神の仰せを。主は御民に主にある敬虔な人たちに平和を告げられます。彼らが再び愚かさに戻らないように。 85:9 確かに御救いは主を恐れる者たちに近い。それは栄光が私たちの地にとどまるためです。 85:10 恵みとまことはともに会い義と平和は口づけします。 85:11 まことは地から生え出で義は天から見下ろします。 85:12 主が良いものを下さるので私たちの大地は産物を産み出します。 85:13 義は主の御前に先立って行き主の足跡を道とします。   信仰の失敗は彼らを苦しめたが、その時を経て、新たな回復が始まった。状況から見て、バビロン捕囚が終わり、エルサレムを再建するために帰還する民の歌のようである。回復に向けた彼らの意志と願いは特別であり、神に対する理解もより広く深くなっていた。 バビロンから戻ったイスラエルの民がエルサレムを再建するというのは、過去への原状回復を意味するのだろうか?そんなはずはない。戻ってはならない。記憶し、反省し、新たにされて前進しなければならない。神は愛する子どもの考えをひとつ変えるために、帝国を立てては崩すこともされる。考えが変わらなければ、人はその渦の中で苦しむしかない。 この出来事を通して、イスラエルは神に対する考えが変わり、神をより深く知るようになった。彼らは神が自分たちの味方だと思っていた。それはある意味当然かもしれない。しかし、堕落し腐敗した状態にあっても、なお神が味方だと固執し、ついには滅びてしまった。神は確かにイスラエルの味方となりうるが、神は決して腐敗、堕落、偶像崇拝と手を組むことはなさらない。 したがって、この問題に対する唯一の解決策は、自らの現実を冷静に直視し、根本的に変えて、神の側に立つことであった。しかし彼らは、繰り返される訴えと警告にも耳を傾けなかった。神に対する認識が歪んだ者は、結局その人生も歪んでしまう。「神よ、私の味方となってください」ではなく、「神よ、私はあなたの側に立ちます」と祈るべきだったのだ。 その苦しみの時を経て、ようやく神に対する考えが変わり始めた。「恵みとまことは互いに出会い、義と平和は口づけをする」(詩篇85:10)。「恵みとまことが出会う」と書かれている。まこと(真理)は変わらず、常に柱のように立っている。そして同時に、神は恵みも持っておられる。「義と平和が口づけをする」とある。正義を語る者は、不義を断ち切る剣を持っている。だから血が流れる。人間のやり方はそうである。 しかし神のやり方は、その義と平和が口づけを交わすというのである。神は義なるお方であるが、同時に平和を与える方でもある。ただ真理の神ではなく、ただ慈しみの神でもない。ただ義の神ではなく、ただ平和の神でもない。 偏りやすい人間の理性や感情では理解しがたいが、霊の人はそれを学び、人生に適用する。イスラエルは言葉ではなく、経験を通して明確な答えを得た。彼らは不義を犯し、苦しんだが、憐れみ深い神は再び彼らに平和を与えた。神は愛しておられるが、打たれることもあり、打たれてもその憐れみを決して手放されなかった。 最も愚かなのは、このサイクルを繰り返すことである。神を知り、神の御言葉の前にへりくだるならば、苦しみの車輪に巻き込まれずに済む。彼らは今、回復の場に立ち、より偉大なる神を礼拝し、神の側に立って生きていくことになるのだ。

시편 묵상 【하나님을 알아가는 기쁨】 20250701(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

시편 85:1~13 85:1 여호와여 주께서 주의 땅에 은혜를 베푸사 야곱의 포로 된 자로 돌아오게 하셨으며 85:2 주의 백성의 죄악을 사하시고 저희 모든 죄를 덮으셨나이다(셀라) 85:3 주의 모든 분노를 거두시며 주의 진노를 돌이키셨나이다 85:4 우리 구원의 하나님이여 우리를 돌이키시고 우리에게 향하신 주의 분노를 그치소서 85:5 주께서 우리에게 영원히 노하시며 대대에 발분하시겠나이까 85:6 우리를 다시 살리사 주의…

詩篇 黙想 【心の中にシオンへの大路のある人】 20250630(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

詩篇 84:1~12 84:1 万軍の主よあなたの住まいはなんと慕わしいことでしょう。 84:2 私のたましいは主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も身も生ける神に喜びの歌を歌います。 84:3 雀さえも住みかを 燕もひなを入れる巣をあなたの祭壇のところに得ます。万軍の主私の王私の神よ。 84:4 なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らはいつもあなたをほめたたえています。セラ 84:5 なんと幸いなことでしょう。その力があなたにあり心の中にシオンへの大路のある人は。 84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときもそこを泉の湧く所とします。初めの雨もそこを大いなる祝福でおおいます。 84:7 彼らは力から力へと進みシオンで神の御前に現れます。 84:8 万軍の神主よ私の祈りを聞いてください。ヤコブの神よ耳を傾けてください。セラ 84:9 神よわれらの盾をご覧ください。あなたに油注がれた者の顔に目を留めてください。 84:10 まことにあなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりは私の神の家の門口に立ちたいのです。 84:11 まことに神である主は太陽また盾。主は恵みと栄光を与え誠実に歩む者に良いものを拒まれません。 84:12 万軍の主よなんと幸いなことでしょう。あなたに信頼する人は。   コラの子孫は神殿で賛美を担当していた人々である。しかし、現在は礼拝を捧げることができない状況に置かれているようだ。それは意志の問題ではなく、外的な状況によるものである。だから彼らは神殿を見つめ、神と出会っていたあの日々を懐かしんでいる。欠乏によって生まれる渇望を見れば、その慕わしさの深さが分かる。雀が住みかを得て、燕が巣を作るように、神を慕う者の真の住まいは、神の臨在そのものである。 この美しい詩篇にも、「涙の谷」は欠かせない。信仰の旅路には、苦しみと涙が伴う。しかし、神を求める者は、その苦しみの谷間にあっても恵みを見出す。その谷で泉が湧き出し、初めの雨が降るのを見る。涙は祈りとなり、苦しみは命の種へと変えられる。恵みを体験した者は、現実を肉の目だけで見ない。苦難があるからこそ、神の臨在はより深く味わわれるのだ。ゆえに、その「涙の谷」さえも、恵みの谷へと変えることのできる人なのである。 詩人は単純な人である。複雑ではない。なぜなら、すべての判断基準と優先順位が「神」であるからだ。信仰の集中力は、この優先順位の単純さから生まれる。計算に長けた人は、むしろ損をすることがある。「悪者の天幕に住むよりも、私の神の宮の門守でいることを選びます。」これは詩人の人生全体を貫く優先順位の告白ではないだろうか。世の高き場所よりも、神のそばにある低き場所を選ぶ。この優先順位を「献身」と呼んでもよいだろう。単純でありながら、賢明である。彼らにとって神が与える「何か」が祝福なのではなく、神ご自身が祝福なのである。「なんと幸いなことでしょう。その力があなたにあり心の中にシオンへの大路のある人は。詩篇84:5」

시편 묵상 【그 마음에 시온의 대로가 있는 자】 20250630(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

시편 84:1~12 84:1 만군의 여호와여 주의 장막이 어찌 그리 사랑스러운지요 84:2 내 영혼이 여호와의 궁정을 사모하여 쇠약함이여 내 마음과 육체가 생존하시는 하나님께 부르짖나이다 84:3 나의 왕, 나의 하나님, 만군의 여호와여 주의 제단에서 참새도 제 집을 얻고 제비도 새끼 둘 보금자리를 얻었나이다 84:4 주의 집에 거하는 자가 복이 있나이다 저희가 항상 주를 찬송하리이다(셀라) 84:5 주께 힘을…

詩編 黙想【唯一の神、真の神】20250628(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

詩編 82:1-8 82:0 アサフの賛歌。 82:1 神は神の会議の中に立ち神々のただ中でさばきを下す。 82:2 いつまでおまえたちは不正をもってさばき悪しき者たちの味方をするのか。セラ 82:3 弱い者とみなしごのためにさばき苦しむ者と乏しい者の正しさを認めよ。 82:4 弱い者と貧しい者を助け出し悪しき者たちの手から救い出せ。 82:5 彼らは知らない。また悟らない。彼らは暗闇の中を歩き回る。地の基はことごとく揺らいでいる。 82:6 わたしは言った。「おまえたちは神々だ。みないと高き者の子らだ。 82:7 にもかかわらずおまえたちは人のように死に君主たちの一人のように倒れるのだ。」 82:8 神よ立ち上がって地をさばいてください。あなたがすべての国々をご自分のものとしておられるからです。      本文に入るにあたり、「神の会議の中に立ち神々のただ中でさばきを下す。」という表現は、私たちに混乱をもたらすかもしれません。この点についてはさまざまな解釈があるのも事実ですが、確かなことは、真の神は唯一、この世を造り、私たちの父なる神様であり、「神」と呼ばれた者たちは、人間と同じ結末を迎えるということです。より簡単に言えば、彼らはただの人間にすぎないということです。聖書が書かれた時代の思想から考えると、各国の王は神の子や、神そのものとされ、拝められれていたこと、そして最後の箇所に地のさばきとともに、すべての国々が言及されていることから、そのような王たちをさばかれる神を表現していると理解しても良いでしょう。    このような観点から今日の箇所を見ていくと、結局は真の神、唯一の神である私たちの「神」について考えさせられます。私たちが日常生活の中で「神」という言葉をどれほど乱用しているか、またどれほど軽く使っているかに気づかされます。 「神」という言葉には、この世の誰も耐えられない重みがあります。それは、その言葉が「真の神」のことを意味しているからです。その言葉の重みを背負い、耐えられる存在は、ただ唯一の神、真の神だけです。それ以外の存在がどれほど「神」と呼ばれても、その言葉にふさわしい存在にはなりえません。  この世のあらゆる立ち位置には、それに続く重みと責任があります。そして、それは唯一の「神」、真の「神」であるお方にも同様です。その神様以外に、その地位の重みを背負い、その責任を果たせる者は一人もいません。その席はただ神のためのものであり、私たちの主である神様だけが座ることができる席なのです。 https://youtu.be/hIYNZMpQF1U?si=HUQeT-8QWFIEuFrM

시편 묵상【유일한 하나님, 참 하나님】20250628(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

시편 82:1-8 82:1 하나님은 신들의 모임 가운데에 서시며 하나님은 그들 가운데에서 재판하시느니라 82:2 너희가 불공평한 판단을 하며 악인의 낯 보기를 언제까지 하려느냐 (셀라) 82:3 가난한 자와 고아를 위하여 판단하며 곤란한 자와 빈궁한 자에게 공의를 베풀지며 82:4 가난한 자와 궁핍한 자를 구원하여 악인들의 손에서 건질지니라 하시는도다 82:5 그들은 알지도 못하고 깨닫지도 못하여 흑암 중에 왕래하니 땅의…

詩篇 黙想 【御顔の光を照らし】 20250626(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

詩篇 80:1~19 80:1 イスラエルの牧者よ聞いてください。ヨセフを羊の群れのように導かれる方よ光を放ってください。ケルビムの上に座しておられる方よ。 80:2 エフライムとベニヤミンとマナセの前で御力を呼び覚まし私たちを救いに来てください。 80:3 神よ私たちを元に戻し御顔を照り輝かせてください。そうすれば私たちは救われます。 80:4 万軍の神主よいつまであなたの民の祈りに怒りを燃やされるのですか。 80:5 あなたは彼らに涙のパンを食べさせあふれる涙を飲ませられました。 80:6 あなたは私たちを隣人らの争いの的とし私たちの敵は私たちを嘲っています。 80:7 万軍の神よ私たちを元に戻し御顔を照り輝かせてください。そうすれば私たちは救われます。 80:8 あなたはエジプトからぶどうの木を引き抜き異邦の民を追い出してそれを植えられました。 80:9 その木のためにあなたが地を整えられたのでそれは深く根を張り地の全面に広がりました。 80:10 山々もその影におおわれました。神の杉の木もその大枝に。 80:11 ぶどうの木はその枝を海にまで若枝をあの川にまで伸ばしました。 80:12 なぜあなたはその石垣を破り道を行くすべての者がその実を摘み取るままにされるのですか。 80:13 林の猪はこれを食い荒らし野に群がるものもこれを食らっています。 80:14 万軍の神よどうか帰って来てください。天から目を注ぎご覧になってください。このぶどうの木を顧みてください。 80:15 あなたの右の手が植えた苗とご自分のために強くされた枝とを。 80:16 それは火で焼かれ切り倒されています。民は御顔のとがめによって滅びています。 80:17 あなたの右にいる人の上に御手がご自分のため強くされた人の子の上に御手がありますように。 80:18 私たちはあなたから離れ去りません。私たちを生かしてください。私たちはあなたの御名を呼び求めます。 80:19 万軍の神主よ私たちを元に戻し御顔を照り輝かせてください。そうすれば私たちは救われます。     エフライム、マナセ、ベニヤミンが言及されていることから、これは北イスラエルがアッシリアによって苦しめられていた時期の祈りであると考えられます。踏みにじられた葡萄の木、崩れた垣根、涙によって作られた糧、隣人の嘲りといった比喩を通して、痛ましい状況が語られています。しかし詩人は、「御顔の光を照らしてください。そうすれば私たちは救われます」と神の憐れみを切に求めます。 状況を変える鍵は、神の御顔がどちらを向いておられるか、その角度にあります。神が御顔を向けて恵みを施されるならば、状況は確実に変わるのです。詩人は民数記にある祭司的祝福の言葉を引用しています。「主が御顔をあなたに照らし、あなたに恵みを与えられるように…」というあの祝祷の言葉です。 しかし、民数記の文脈で語られている「御顔の光」とは、共同体の礼拝の中に臨在される神の祝福の宣言でした。そう考えると、詩篇80篇には礼拝に関する言及が一切ありません。滅びに瀕した中で切なる救いの願いはあっても、礼拝の回復については何も語られていないのです。神の御前に出る形式も内容も失われ、ただ助けを願う祈りだけが残っているのではないでしょうか。詩人は「御顔を照らしてください」と祈りながらも、その言葉の本当の意味を理解していないのかもしれません。 崩壊した共同体が回復するためには、まず礼拝が回復されなければなりません。そして礼拝が回復されるためには、イエス・キリストご自身が私たちの中心に再び据えられなければなりません。そのときこそ、神はその礼拝を通して御顔を上げ、御民に祝福を与えられるでしょう。礼拝には形式や形がありますが、その器に愛と信頼が込められていなければ、真の礼拝とはなりません。苦しみの中で神に叫ぶ日、助けを願うその時こそ、まず「礼拝の回復」を思い起こすべきではないでしょうか。

시편 묵상 【주의 얼굴 빛을 비취사】 20250626(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

시편 80:1~19 80:1 요셉을 양떼같이 인도하시는 이스라엘의 목자여 귀를 기울이소서 그룹 사이에 좌정하신 자여 빛을 비취소서 80:2 에브라임과 베냐민과 므낫세 앞에서 주의 용력을 내사 우리를 구원하러 오소서  80:3 하나님이여 우리를 돌이키시고 주의 얼굴 빛을 비취사 우리로 구원을 얻게 하소서 80:4 만군의 하나님 여호와여 주의 백성의 기도에 대하여 어느 때까지 노하시리이까 80:5 주께서 저희를 눈물 양식으로…