使徒の働き 黙想25【宣教旅行の始まり】 20230720 (火) 枝川愛の教会 使徒の働き 13章 1~12

使徒の働き 13章 1~1213:1 さて、アンティオキアには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどの預言者や教師がいた。13:2 彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われた。13:3 そこで彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いてから送り出した。13:4 二人は聖霊によって送り出され、セレウキアに下り、そこからキプロスに向けて船出し、13:5 サラミスに着くとユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ伝えた。彼らはヨハネも助手として連れていた。13:6 島全体を巡回してパポスまで行ったところ、ある魔術師に出会った。バルイエスという名のユダヤ人で、偽預言者であった。13:7 この男は、地方総督セルギウス・パウルスのもとにいた。この総督は賢明な人で、バルナバとサウロを招いて神のことばを聞きたいと願った。13:8 ところが、その魔術師エリマ(その名を訳すと、魔術師)は、二人に反対して総督を信仰から遠ざけようとした。13:9 すると、サウロ、別名パウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、13:10 こう言った。「ああ、あらゆる偽りとあらゆる悪事に満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。13:11 見よ、主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。」するとたちまち、かすみと闇が彼をおおったため、彼は手を引いてくれる人を探し回った。13:12 総督はこの出来事を見て、主の教えに驚嘆し、信仰に入った。   福音が伝えられる現場の反応というのは、宗教的より常に政治的です。絶望の人生は、救いの神を求めず、自分の現実的な利益に背くと反対し、利益になると歓迎します。子どものようにならなければ神の国に入れないと言われたイエス様の御教えがどんなものなのか少し分かる気がします。福音が歓迎されないことは、いわゆる既得権者がそれがもたらす既存秩序の混乱を恐れるからです。   アンティオキア教会は、大切な2人の教師、バルナバとパウロを宣教師として送らなければなりませんでした。それは政治的には損かもしれません。バルナバとパウロという越れた聖書教師の代わりにする人がいるでしょうか?そしてバルナバとパウロももし彼らが政治的な人だったなら、自分の政治的立場を固めておいて他の人を遣わしたかもしれません。しかし、聖霊はバルナバとパウロを区別して宣教師に派遣するように言われ、アンティオキア教会は彼らを宣教師に派遣し、バルナバとパウロはそれに聞き従いました。   第一次伝道旅行が始まります。バルナバとパウロはアンティオキアの港セレウキアを出発してキプロスという島に行き、サラミスを経てパポスに行きました。そこにはバルイエスというユダヤ人偽りの預言者の魔術師がいました。宗教的にバルイエスを頼っていた総督はパウロの話を聞きたかったのですが、バルイエスはそれを妨げます。政治的に自分の立場が弱くなるからです。すべての妨害はここから始まります。組織的、政治的な迫害も、個人的なレベルの反対と迷いも実は変化の恐れる政治的な利害のためです。勇気のない人は信仰が始まりません。   邪魔しているバルイエスは、パウロによって視力を失い、目が見えなくなります。総督はそのことによってパウロが伝えるイエス·キリストを信じます。バルイエスの妨げさえも総督の救いの道具になったのですから、救いを妨げることができるのは、自分の利益に縛られた卑劣さしかないようです。正直であれば自分について知ることができ、勇気を出すことさえできれば救いの信仰を持つことができます。

사도행전 묵상25 【선교여행의 시작】 20230720 (목) 사도행전 13장 1~12

사도행전 13장 1~1213:1 안디옥 교회에 선지자들과 교사들이 있으니 곧 바나바와 니게르라 하는 시므온과 구레네 사람 루기오와 분봉왕 헤롯의 젖동생 마나엔과 및 사울이라13:2 주를 섬겨 금식할 때에 성령이 가라사대 내가 불러 시키는 일을 위하여 바나바와 사울을 따로 세우라 하시니13:3 이에 금식하며 기도하고 두 사람에게 안수하여 보내니라13:4 두 사람이 성령의 보내심을 받아 실루기아에 내려가 거기서 배 타고…

使徒の働き 黙想24【歩き回る囚人、虫に食われる王】 20230718 (火) 枝川愛の教会 使徒の働き 12章 13~25

使徒の働き 12章 13~2512:13 彼が門の戸をたたくと、ロデという名の召使いが応対に出て来た。12:14 そして、ペテロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもせずに奥に駆け込み、ペテロが門の前に立っていることを知らせた。12:15 人々は彼女に「あなたは気が変になっている」と言ったが、彼女は本当だと言い張った。それで彼らは「それはペテロの御使いだ」と言った。12:16 だが、ペテロは門をたたき続けていた。彼らが開けると、そこにペテロがいたので非常に驚いた。12:17 ペテロは静かにするように手で彼らを制してから、主がどのようにして自分を牢から救い出してくださったかを彼らに説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください」と言った。そして、そこを出て、ほかの場所へ行った。12:18 朝になると、ペテロはどうなったのかと、兵士たちの間で大変な騒ぎになった。12:19 ヘロデはペテロを捜したが見つからないので、番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するように命じた。そしてユダヤからカイサリアに下って行き、そこに滞在した。12:20 さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対してひどく腹を立てていた。そこで、その人々はそろって王を訪ね、王の侍従ブラストに取り入って和解を願い出た。彼らの地方は王の国から食糧を得ていたからである。12:21 定められた日に、ヘロデは王服をまとって王座に着き、彼らに向かって演説をした。12:22 集まった会衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。12:23 すると、即座に主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫に食われて、息絶えた。12:24 神のことばはますます盛んになり、広まっていった。12:25 エルサレムのための奉仕を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、戻って来た。   収監中の囚人が外に出て歩き回っています。ペトロは脱獄して出てきましたが、人々はそれを見ても信じられませんでした。 このような奇妙な状況は、もう 一つの状況とかみ合います。迫害の主体であり、絶対的権力を持っていたヘロデ王は虫に食われて急死したのです。囚人は歩き回り、王は虫に食われて死にます。   神様が今進めようとされる働きがあります。それは誰かによるものではなく、誰かがそれを妨げるすることもできません。妨げたヘロデ王は悲惨に死にます。目に見える状況がすべてではありません。私たちの目には大切に見えても、神様にはそうではないかもしれません。王が虫に食われて死ぬことも、公権力に閉じ込められている使徒が歩き回り、活動することもありますから。私たちは条件と状況の中で制限しますが、神様は環境と状況を変えて拡大されます。それを認める人は神様を経験し、宣教に用いられるでしょう。   異邦の扉を開けるのはペトロです。イエス様がペトロに鍵を与えると言ったことを思い出さなければなりません。その後、12章以降から使徒の働きのバトンはパウロに渡されます。しかし、それがペトロの働きが終わったという意味ではありません。使徒の働きはそのように編集しています。世界宣教はパウロによって初めてローマ世界に出ていたのではなく、ペトロの正統性と代表性が先に経験し、確認してから神学的宣言と共に世界宣教へと拡大されて行きます。

사도행전 묵상24 【돌아다니는 죄수, 벌레에게 잡혀먹은 왕】 20230719 (수) 사도행전 12장 13~25

사도행전 12장 13~2512:13 베드로가 대문을 두드린대 로데라 하는 계집아이가 영접하러 나왔다가12:14 베드로의 음성인줄 알고 기뻐하여 문을 미처 열지 못하고 달려 들어가 말하되 베드로가 대문 밖에 섰더라 하니12:15 저희가 말하되 네가 미쳤다 하나 계집아이는 힘써 말하되 참말이라 하니 저희가 말하되 그러면 그의 천사라 하더라12:16 베드로가 문 두드리기를 그치지 아니하니 저희가 문을 열어 베드로를 보고 놀라는지라12:17 베드로가…

使徒の働き 黙想23【生きることにも、死ぬことにも】 20230718 (火) 枝川愛の教会 使徒の働き 12章 1~12

使徒の働き 12:1~1212:1 そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人たちを苦しめようとしてその手を伸ばし、12:2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。12:3 それがユダヤ人に喜ばれたのを見て、さらにペテロも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祭りの時期であった。12:4 ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越の祭りの後に、彼を民衆の前に引き出すつもりでいたのである。12:5 こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。12:6 ヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれて、二人の兵士の間で眠っていた。戸口では番兵たちが牢を監視していた。12:7 すると見よ。主の使いがそばに立ち、牢の中を光が照らした。御使いはペテロの脇腹を突いて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。12:8 御使いは彼に言った。「帯を締めて、履き物をはきなさい。」ペテロがそのとおりにすると、御使いはまた言った。「上着を着て、私について来なさい。」12:9 そこでペテロは外に出て、御使いについて行った。彼には御使いがしていることが現実とは思えず、幻を見ているのだと思っていた。12:10 彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。彼らは外に出て、一つの通りを進んで行った。すると、すぐに御使いは彼から離れた。12:11 そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、本当のことが分かった。主が御使いを遣わして、ヘロデの手から、またユダヤの民のすべてのもくろみから、私を救い出してくださったのだ。」12:12 それが分かったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家に行った。そこには多くの人々が集まって、祈っていた。   スデパノに続き、使徒ヤコブが殉教し、ペトロは危機を免れ、生き残ります。殉教したヤコブは、ゼベダイの子であり、ヨハネの兄であるヤコブです。ヨハネとヤコブは漁業に従事していた時、ペトロと同業関係であって、同じ時期に生業を捨ててイエス様に従いました。まだパウロの宣教旅行が始まっていませんが、ヤコブはすでにスペインまで宣教に行ってきました。   ヤコブはなぜエルサレムからヨーロッパを貫き、スペインまで行ったのでしょうか? スペインはヨーロッパの西の果てです。まだ、パウロがマケドニアに渡ってない時です。スペインの終わりは大西洋です。そのため、当時の人々はスペインが地の果てだと思っていました。イエス様は弟子たちに地の果てまで福音を伝えれば再び来られると言われました。ということでヤコブは地の果てであるスペインに行って福音を伝えれば愛するイエス様に再び会えると思ったわけです。ヤコブのスペイン宣教は使命でもなく、信仰でもなく、イエス様に会いたかった愛でした。最も感動的な宣教です。   ヤコブはヘロデ王によってエルサレムで殉教しますが、その遺体は生前宣教していたスペインに運ばれて埋葬されたと伝えられています。ヤコブの墓がある「サンティアゴ大聖堂」まで歩く道があの有名なスペインの「サンティアゴ巡礼路」です。 「使徒ヤコブの道」という意味です。ヤコブの英語名は「ジェームズ(James)」ですが、スペイン語で「ディアゴ(Diego)」で「San」という「セイント(St.)」がつき、「サンティアゴ」になります。ヤコブの母親はイエス様にヤコブとヨハネが良いところにつくように特別にお願いしましたが、アイロニにヤコブは特別にイエス様のために一番先に殉教する使徒となりました。   ペトロは生き残りました。御使いが奇妙な方法でペトロを危機から救い出して脱出させます。共同体がこの事のために切に祈ったと記録しています。そのような理由から、ペトロが危機から逃れたことをとりなしの祈りの力であると言いますが、教会がヤコブ使徒のためには祈らなかったのでしょうか?そして、ペトロが後にローマで殉教する際にもとりなしの祈りをしてなかったのでしょうか?祈りの力がペトロを生かしたのではなく、ペトロに残った使命がペテロを生かしたのです。使徒の働きでは、人の意志が信仰ではなく、神様の御旨が行われることが信仰です。ヤコブは死ぬことに従い、ペトロは生きることに従いました。彼らは生きりことにも、死ぬことにも、主のものでした。    

사도행전 묵상23 【사나 죽으나】 20230718 (화) 사도행전 12장 1~12

사도행전 12장 1~1212:1 그 때에 헤롯왕이 손을 들어 교회 중 몇 사람을 해하려하여12:2 요한의 형제 야고보를 칼로 죽이니12:3 유대인들이 이 일을 기뻐하는 것을 보고 베드로도 잡으려 할새 때는 무교절일이라12:4 잡으매 옥에 가두어 군사 넷씩인 네 패에게 맡겨 지키고 유월절 후에 백성 앞에 끌어 내고자 하더라12:5 이에 베드로는 옥에 갇혔고 교회는 그를 위하여 간절히 하나님께 빌더라12:6…

使徒の働き 黙想22【アンティオキア教会】 20230717 (月) 枝川愛の教会 使徒の働き 10章 1~16

使徒の働き 11:19~3011:19 さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。11:20 ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。11:21 そして、主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った。11:22 この知らせがエルサレムにある教会の耳に入ったので、彼らはバルナバをアンティオキアに遣わした。11:23 バルナバはそこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。11:24 彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大勢の人たちが主に導かれた。11:25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソに行き、11:26 彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。彼らは、まる一年の間教会に集い、大勢の人たちを教えた。弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。11:27 そのころ、預言者たちがエルサレムからアンティオキアに下って来た。11:28 その中の一人で名をアガボという人が立って、世界中に大飢饉が起こると御霊によって預言し、それがクラウディウス帝の時に起こった。11:29 弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。11:30 彼らはそれを実行し、バルナバとサウロの手に託して長老たちに送った。   ステパノ執事の殉教後、エルサレム教会の聖徒たちは広域的に散り、一部はアンティオキアに行って定着しました。アンティオキアは当時、ローマ帝国の中でローマとアレクサンドリアの次に栄えた大都市でした。そんなアンティオキアに比べればエルサレムは田舎です。アンティオキアという大都市に集まった聖徒たちはユダヤ人にもローマ人にも福音を伝え、多くの人々が福音を聞き、イエス·キリストを信じ、教会の一員になりました。このニュースがエルサレムに伝わると、エルサレム教会はバルナバを送り、バルナバはパウロを招き、共同牧会を始めます。   パウロとバルナバが教え始めた後、アンティオキア教会の聖徒たちは、キリスト者と呼ばれるようになります。内外的にアイデンティティが確認され、キリスト者としての共同体性は強固になったのです。アンティオキア教会は散らばったことで予期せず建てられた教会でしたが、アジアとマゲドニア、そしてギリシャとローマまで宣教を拡張していく大切な宣教の前哨基地になります。   アンティオキアはユダヤの地に飢饉が入り、苦しい時、エルサレム教会に支援金を送ります。礼拝と伝道と宣教と救済において最初から模範となった教会です。誰もアンティオキア教会を開拓したことはありません。迫害という状況の中で、アンティオキアに教会が建てられたのです。神様は宣教拡張のためにアンティオキアという大都市に福音の拠点を置き、ローマ世界伝道に準備されたバルナバとパウロを送りました。人々は厳しい環境の中でも福音を伝えることと、教会を建てることに献身しました。

사도행전 묵상22 【안디옥 교회】 20230717 (월) 사도행전 11장 19~30

사도행전 11장 19~3011:19 때에 스데반의 일로 일어난 환난을 인하여 흩어진 자들이 베니게와 구브로와 안디옥까지 이르러 도를 유대인에게만 전하는데11:20 그 중에 구브로와 구레네 몇 사람이 안디옥에 이르러 헬라인에게도 말하여 주 예수를 전파하니11:21 주의 손이 그들과 함께 하시매 수다한 사람이 믿고 주께 돌아오더라11:22 예루살렘 교회가 이 사람들의 소문을 듣고 바나바를 안디옥까지 보내니11:23 저가 이르러 하나님의 은혜를 보고…

使徒の働き 黙想21【きよくないと言ってはならない】 20230713 (木) 枝川愛の教会 使徒の働き 10章 1~16

使徒の働き 10:1~1610:1 さて、カイサリアにコルネリウスという名の人がいた。イタリア隊という部隊の百人隊長であった。10:2 彼は敬虔な人で、家族全員とともに神を恐れ、民に多くの施しをし、いつも神に祈りをささげていた。10:3 ある日の午後三時ごろ、彼は幻の中で、はっきりと神の御使いを見た。その御使いは彼のところに来て、「コルネリウス」と呼びかけた。10:4 彼は御使いを見つめていたが、恐ろしくなって言った。「主よ、何でしょうか。」すると御使いは言った。「あなたの祈りと施しは神の御前に上って、覚えられています。10:5 さあ今、ヤッファに人を遣わして、ペテロと呼ばれているシモンという人を招きなさい。10:6 その人は、シモンという皮なめし職人のところに泊まっています。その家は海辺にあります。」10:7 御使いが彼にこう語って立ち去ると、コルネリウスはしもべたちのうち二人と、彼の側近の部下のうち敬虔な兵士一人を呼び、10:8 すべてのことを説明して、彼らをヤッファに遣わした。10:9 翌日、この人たちが旅を続けて、町の近くまで来たころ、ペテロは祈るために屋上に上った。昼の十二時ごろであった。10:10 彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。ところが、人々が食事の用意をしているうちに、彼は夢心地になった。10:11 すると天が開け、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来るのが見えた。10:12 その中には、あらゆる四つ足の動物、地を這うもの、空の鳥がいた。10:13 そして彼に、「ペテロよ、立ち上がり、屠って食べなさい」という声が聞こえた。10:14 しかし、ペテロは言った。「主よ、そんなことはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」10:15 すると、もう一度、声が聞こえた。「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。」10:16 このようなことが三回あってから、すぐにその入れ物は天に引き上げられた。   コルネリウスという人はイタリア軍の将校で、当時被支配民だったユダヤ人をとても配慮した良い人でした。彼は幻の中で御使いから聞き、ペトロを招くためにしもべを送ります。しもべが着く頃に祈っていたペトロは、幻の中で不思議なことを見ていました。上から足の動物、地を這うもの、空の鳥が降りてくる際に、「立ち上がり、屠って食べなさい」という声が聞こえました。   ペトロが見たのがどんなものだったのかわかりませんが、確かに食用にしてはいけないものが降りてきたことに違いありません。根拠はレビ記です。 レビ記第11章には聖い動物と不正な動物の規例があり、ユダヤ人はこの律法に従って食べられるものと食べてはならないものが定められていました。したがって、ペトロは「屠って食べなさい」という声が聞こえても、「食べてはいけないものは今まで食べたことがなく、これからも食べられない」と言ったのです。   すると、「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。15」という声が繰り返されました。これは神様が食べ物の規定について語られたことではありません。福音にはユダヤ人と異邦人の差別がないということです。一つ目立つのは、コルネリウスという敬虔で立派な人を例えるのに不正な獣が登場することです。ユダヤ人であるペトロは、ユダヤ人ではないコルネリウスに神様の選択と救いがるとは考えていませんでした。   しかし、神様の前では、すべての人間は汚れています。ユダヤ人もクリスチャンも例外ではありません。イエス・キリストの名前によって救われる人は「善民」ではなく「選民」です。善いから救われるのではなく、哀れみによって選ばれるのです。   だから義ではないのに、義とされたとのです。神様が選び、義とされたものを誰が汚れていると言えるでしょうか?「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。ローマ書8:33,34」   腐敗し堕落したものをお呼び、お選び、義とされたのが救いです。神様の前で善い人がいません。「義人はいない。ひとりもいない。ローマ書3:10」 「イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『良い』と言うのですか。良い方は神おひとりのほか、だれもいません。マルコ10:18」    ペトロもイエス様に出会った時に、最初に言った言葉が「私は罪人です」という告白でした。私は今でも相変わらず善ではなく、義でもありませんが、神様の定めによって選ばれ、義とされた恵みを信仰で告白して一日を始めたいと思います。

사도행전 묵상21 【속되다 하지 말라】 20230713 (목) 사도행전 10장 1~16

사도행전 10장 1~1610:1 가이사랴에 고넬료라 하는 사람이 있으니 이달리야대라 하는 군대의 백부장이라10:2 그가 경건하여 온 집으로 더불어 하나님을 경외하며 백성을 많이 구제하고 하나님께 항상 기도하더니10:3 하루는 제 구시쯤 되어 환상 중에 밝히 보매 하나님의 사자가 들어와 가로되 고넬료야 하니10:4 고넬료가 주목하여 보고 두려워 가로되 주여 무슨 일이니이까 천사가 가로되 네 기도와 구제가 하나님 앞에 상달하여…