잠언 묵상 【기회를 놓치지 않는 믿음】 20231115(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

잠언 17:1~1217:1 마른 떡 한 조각만 있고도 화목하는 것이 육선이 집에 가득하고 다투는 것보다 나으니라17:2 슬기로운 종은 주인의 부끄러움을 끼치는 아들을 다스리겠고 또 그 아들들 중에서 유업을 나눠 얻으리라17:3 도가니는 은을, 풀무는 금을 연단하거니와 여호와는 마음을 연단 하시느니라17:4 악을 행하는 자는 궤사한 입술을 잘 듣고 거짓말을 하는 자는 악한 혀에 귀를 기울이느니라17:5 가난한 자를 조롱하는…

箴言 黙想 【落とし穴を掘る】20231113(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

箴言 16:20~3316:20 みことばによく通じた者は幸いを見出す。主に拠り頼む者は幸いである。16:21 心に知恵のある者は、悟りのある者と呼ばれ、そのことばの心地よさは理解を増し加える。16:22 賢明さは、これを持つ者にはいのちの泉。愚かさは、愚か者への懲らしめ。16:23 知恵のある者の心はその口を賢くし、その唇に洞察を深める。16:24 親切なことばは蜂蜜。たましいに甘く、骨を健やかにする。16:25 人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある。16:26 苦労する者は食欲のために働く。その口が彼を駆り立てるからだ。16:27 よこしまな者は悪を企む。その唇の上にあるものは焼き尽くす火のようだ。16:28 ねじれ者は争いを巻き起こし、陰口をたたく者は親しい友を離れさせる。16:29 暴虐を行う者は自分の隣人を惑わし、良くない道へ導く。16:30 目で合図する者はねじれごとを企み、唇をすぼめる者は悪をやり遂げた者だ。16:31 白髪は栄えの冠。それは正義の道に見出される。16:32 怒りを遅くする者は勇士にまさり、自分の霊を治める者は町を攻め取る者にまさる。16:33 くじは膝に投げられるが、そのすべての決定は主から来る。   日曜礼拝の説教でスマートフォンと進化心理学の話を少ししましたが、私のスマートフォンのSNSにアップされる映像の中には格闘技の試合や猛獣が狩る映像、または性的な刺激を与える映像などがよく上がってきます。そのようなことを言ったら、ほとんどの男性は自分もそうだと言っていました。それを検索して探すことはないです。ただ、私が何に視線を奪われるのかよく知っているスマートフォンが、類似の情報を絶えず送り続けるだけです。スマートフォンは私のことをとてもよく知っています。   スマートフォンは人間に競争と暴力、生存と食欲、繁殖と性欲という本能に執着させるコンテンツを送ります。食べようとする食欲、繁殖しようとする性欲、相手を殺し、生き残るという競争と暴力がスポーツや文化の服を着て私たちの視線を奪っていきます。学校と社会で競争するのが嫌いだという人たちは、ゲームに夢中になっていますが、すべてのゲームは壊して奪、殺し合う競争です。   文章を読まない時代と言ってもいいでしょうか?そう言っていい時代だと思います。この文章も少数の何人かによって消費されるならば、それだけで過分な役割は果たしたものです。聖書も読みません。神様の御言葉を読もうとはせず、ただ聞いたり見たりとするだけです。 しかし、そのようなものは間接的なものであって、信仰の骨格を作ることができません。 読んで考えて書かなければ自分の仕組みを作ることができません。   人間というのは本能から逃れることはできませんが、それを管理し、制御できる知性が必要です。スマートフォンの中にはそのような知性もあります。それを分別し、節制し、選択できなければなりません。神様は言語で啓示されました。知的な努力なしに霊的になることはないです。「苦労する者は食欲のために働く。その口が彼を駆り立てるからだ。16:26」本能だけに執着する熱心は自分で自分の罠を掘る努力です。知的努力は霊的活動につながります。

잠언 묵상 【함정을 파는 삽질】 20231114(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

잠언 16:20~3316:20 삼가 말씀에 주의하는 자는 좋은 것을 얻나니 여호와를 의지하는자가 복이 있느니라16:21 마음이 지혜로운 자가 명철하다 일컬음을 받고 입이 선한 자가 남의 학식을 더하게 하느니라16:22 명철한 자에게는 그 명철이 생명의 샘이 되거니와 미련한 자에게는 그 미련한 것이 징계가 되느니라16:23 지혜로운 자의 마음은 그 입을 슬기롭게 하고 또 그 입술에 지식을 더하느니라16:24 선한 말은 꿀송이…

箴言 黙想 【歩行者天国】20231113(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

箴言 16:1~1916:1 人は心に計画を持つ。しかし、舌への答えは主から来る。16:2 人には自分の行いがみな純粋に見える。しかし、主は人の霊の値打ちを量られる。16:3 あなたのわざを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。16:4 すべてのものを、主はご自分の目的のために造り、悪しき者さえ、わざわいの日のために造られた。16:5 心の高ぶりはすべて主に忌み嫌われる。断じて罰を免れない。16:6 恵みとまことによって、咎は赦され、主を恐れることによって、人は悪を離れる。16:7 主が人の行いを喜ぶとき、敵さえもその人と和らがせる。16:8 正義によるわずかなものは、不正による多くの収穫にまさる。16:9 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、主が人の歩みを確かにされる。16:10 王の唇には神々しさがある。さばくときに、その口は神の信頼を裏切らない。16:11 正しい天秤と秤は主のもの。袋の中の重り石もみな、主が造られたもの。16:12 悪を行うことは王たちの忌み嫌うこと。王座は正義によって堅く立つからだ。16:13 正しい唇は王たちの喜び。真っ直ぐなことを語る者は愛される。16:14 王の憤りは死の使い。知恵のある人がそれをなだめる。16:15 王の顔の光にはいのちがある。彼のいつくしみは後の雨をもたらす密雲のようだ。16:16 知恵を得ることは、黄金を得るよりはるかに良い。悟りを得ることは、銀を得るよりも望ましい。16:17 直ぐな人の大路は悪から遠ざかっている。自分のたましいを守る者は自分の道を見張る。16:18 高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つ。16:19 へりくだって、貧しい者とともにいるのは、高ぶる者とともに分捕り物を分け合うのにまさる。   「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、主が人の歩みを確かにされる。16:9」 おそらく箴言を超えて聖書全体で最も引用される御言葉かと思います。多くの祈りでこの御言葉が用いられますが、「物事がどうなるか分からない」の婉曲な表現でもあり、「無責任な放任」に歪曲されることもあります。未来を待つ時点では、すべてが確実ではなく、不安です。そして現在に起こっていることについては座標が見つからず、現象に執着しがちです。日常の目は近視眼なので、神様の働きと自分のことの関連性が見つからないです。   この御言葉が引用できる時点というのは、過去のことだと思います。過去は、比較的に観察と分析ができます。そこで神様を見つけなければなりません。それこそ16章9節の告白、「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、主が人の歩みを確かにされる。」が言えます。私の歩行は神様に導かれます。神様が道を導かれたということに気づくことは、歩んできた道を振り返る時です。自分の人生を客観的に眺望できる時、当時の意味に気づき、その中で働かれた神様を気づかされます。   私は何度も専攻が変わったことがあります。どれ一つもまともにマスターできてないと思いましたが、卒業をしてからある程度時間が経つと少しずつ学んだことが整理されてきます。何ことでも手離して、離れて、息をつく間が必要です。その時間に整えられます。過去を思い出すことではなく、過去の自分に会いに行くのはどうですか?今の自分が過去の自分に会って話し合うと、その場で神様があらわれます。私の計画は間違いますが、神様に間違いはありません。歩んできた道をたどることにふさわしい季節です。

잠언 묵상 【보행자 천국】 20231113(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

잠언 16:1~1916:1 마음의 경영은 사람에게 있어도 말의 응답은 여호와께로서 나느니라16:2 사람의 행위가 자기 보기에는 모두 깨끗하여도 여호와는 심령을 감찰하시느니라16:3 너의 행사를 여호와께 맡기라 그리하면 너의 경영하는 것이 이루리라16:4 여호와께서 온갖 것을 그 씌움에 적당하게 지으셨나니 악인도 악한 날에 적당하게 하셨느니라16:5 무릇 마음이 교만한 자를 여호와께서 미워하시나니 피차 손을 잡을지라도 벌을 면치 못하리라16:6 인자와 진리로 인하여…

箴言 黙想 【心と言葉】20231111(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

箴言 15:1-15 15:1 柔らかな答えは憤りを鎮め、激しいことばは怒りをあおる。 15:2 知恵のある者の舌は知識をうまく用い、愚かな者の口は愚かさを吐き出す。 15:3 主の目はどこにもあり、悪人と善人を見張っている。 15:4 穏やかな舌はいのちの木。舌のねじれは霊の破れ。 15:5 愚か者は自分の父の訓戒を侮る。叱責を大事にする者は賢くなる。 15:6 正しい人の家には多くの富がある。悪しき者の収穫はわざわいをもたらす。 15:7 知恵のある者の唇は知識を広める。愚かな者の心はそうではない。 15:8 悪者のいけにえは主に忌み嫌われ、心の直ぐな人の祈りは主に受け入れられる。 15:9 主は悪しき者の道を忌み嫌い、義を追い求める者を愛される。 15:10 道を捨てる者には厳しい懲らしめがあり、叱責を憎む者は死に至る。 15:11 よみと滅びの淵は主の前にある。人の子らの心はなおさらのこと。 15:12 嘲る者は叱られることを好まない。知恵のある者にも近づかない。 15:13 喜んでいる心は、顔色を良くする。心の痛みの中には、打ちひしがれた霊がある。 15:14 悟りのある者の心は知識を求めるが、愚かな者の口は愚かさを食いあさる。 15:15 悩み苦しむ者の毎日は悪いことのみ。心に楽しみのある人には毎日が祝宴。  言葉は人の心を表すと良く言われます。 当たり前のことだと思いながらも、心とは違う言葉で自分を包み込むことに慣れているこの社会で、果たしてこの表現が当たり前なのかと思いました。    失言をよくする人に最も多くする忠告は、おそらく「一度考えて言え」という忠告だと思います。 「何も考えずに言う」という言葉が当たり前に悪口とされているからです。    だとすると、果たして考えを経ない私たちの言葉はどんな感じなのでしょうか。 疲れていたり、忙しくなったり、余裕がないとき、私たちの言葉は鋭くなります。 話す前に考える暇がないからではないでしょうか。    今日の箇所は言葉と心について共に扱い、その間に明確な関係があることを示しているようです。    確かなことは、私たちの言葉がいくらきれいに見えても心がきれいでなければ、それが神様の目に正しくないことだということです。 なぜなら、神様は人の心を評価されるお方であるからです。(箴言21:2)    人は窮地に追い込まれると素顔があらわれると良く言われています。私も考える暇がなくなると言葉が鋭くなるのを感じ、言ってから吐いた言葉に後悔したりすることが良くあります。    だからこそ、「何も考えずに」言いたくなる時があります。 それは優しくて賢い言葉をあきらめて、適当に言うということではなく、これ以上言葉で包み込まなくてもいい人になりたいということです。    言葉は心を表わすということ、考えを経て包み込まなくても優しくて美しいことを言える心を持った者となり、私たちの心を評価される神様の前でも美しいことを見せることができるようになりたいという願いを持つようになりました。 https://youtu.be/MJsgAFAGYF8?si=Bpdy2uZi_jT5X8m4

잠언 묵상 【마음과 말】 20231111(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

잠언 15:1-15 15:1 유순한 대답은 분노를 쉬게 하여도 과격한 말은 노를 격동하느니라 15:2 지혜 있는 자의 혀는 지식을 선히 베풀고 미련한 자의 입은 미련한 것을 쏟느니라  15:3 여호와의 눈은 어디서든지 악인과 선인을 감찰하시느니라 15:4 온순한 혀는 곧 생명 나무이지만 패역한 혀는 마음을 상하게 하느니라 15:5 아비의 훈계를 업신여기는 자는 미련한 자요 경계를 받는 자는 슬기를 얻을 자니라 15:6 의인의 집에는…

箴言 黙想 【永遠の違い】20231110(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

箴言 14:17-35 14:17 短気な者は愚かなことをし、悪を企む者は憎まれる。 14:18 浅はかな者は愚かさを受け継ぎ、賢い人は知識の冠をかぶる。 14:19 悪人は善良な人の前で、悪しき者は正しい人の門で、身をかがめる。 14:20 貧しい者はその隣人にさえ憎まれるが、富む者は多くの者に愛される。 14:21 自分の隣人を蔑む者は罪人。貧しい者をあわれむ人は幸いだ。 14:22 悪を企む者はさまよわないだろうか。しかし、善を図る者には恵みとまことがある。 14:23 いかなる労苦にも利益がある。無駄口は損失を招くだけ。 14:24 知恵のある者の冠はその者の富。愚かな者の愚かさは、ただ愚かさ。 14:25 真実な証人は人のたましいを救う。欺く者は偽りを吹聴する。 14:26 力ある拠り所は主を恐れることにあり、それは主の子らの避け所となる。 14:27 主を恐れることはいのちの泉、死の罠から離れさせる。 14:28 王の栄えは民が多いこと。君主の滅びは国民がいなくなること。 14:29 怒りを遅くする者には豊かな英知がある。気の短い者は愚かさを増す。 14:30 穏やかな心は、からだのいのち。ねたみは骨をむしばむ。 14:31 弱い者を虐げる者は自分の造り主をそしり、貧しい者をあわれむ者は造り主を敬う。 14:32 悪しき者は自分の悪によって押し倒されるが、正しい人は自分の死の中にも逃れ場がある。 14:33 知恵は悟る者の心のうちに安らぎを得る。愚かな者の間でもそれは知られている。 14:34 正義は国を高め、罪は国民を辱める。 14:35 王の好意は賢明なしもべに、王の激怒は恥知らずの者に。

잠언 묵상 【영원한 차이】 20231110(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

잠언 14:17-35 14:17 노하기를 속히 하는 자는 어리석은 일을 행하고 악한 계교를 꾀하는 자는 미움을 받느니라 14:18 어리석은 자는 어리석음으로 기업을 삼아도 슬기로운 자는 지식으로 면류관을 삼느니라 14:19 악인은 선인 앞에 엎드리고 불의한 자는 의인의 문에 엎드리느니라 14:20 가난한 자는 이웃에게도 미움을 받게 되나 부요한 자는 친구가 많으니라 14:21 이웃을 업신여기는 자는 죄를 범하는 자요 빈곤한 자를 불쌍히 여기는 자는…

箴言 黙想 【批判的霊性】20231109(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

箴言 14:1~1614:1 知恵のある女は家を建て、愚かな女は自分の手でこれを壊す。14:2 まっすぐ歩む者は主を恐れ、曲がった道を行く者は主を侮る。14:3 愚か者の口には、高ぶりへのむち。知恵のある者の唇は自分を守る。14:4 牛がいなければ飼葉桶はきれいだが、豊かな収穫は牛の力による。14:5 真実な証人は偽りを言わない。偽りの証人は偽りを吹聴する。14:6 嘲る者は知恵を求めても得られない。悟る者には知識を得るのは易しい。14:7 愚かな者の前を離れ去れ。知識の唇は、そこに見出せない。14:8 賢い人の知恵は自分の道をわきまえること。愚かな者の愚かさは欺きにある。14:9 愚か者は罪の償いを嘲る。心の直ぐな人たちの間には恩寵がある。14:10 心はその人自身の辛さを知っている。その喜びにほかの者はあずかれない。14:11 悪しき者の家は滅ぼし尽くされ、心の直ぐな人の天幕は栄える。14:12 人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある。14:13 笑うときにも心は痛み、その終わりには、喜びが悲しみとなる。14:14 心の放埒な者は自分の道に満足する。善良な人は彼から離れる。14:15 浅はかな者はどんなことばも信じるが、賢い人は自分の歩みを見極める。14:16 知恵のある者は慎重で、悪を避けるが、愚かな者は怒りやすく、自信が強い。   「人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある。14:12」は、箴言16:25で一度繰り返されます。まっすぐと思ったのに、その結果が死ということですが、ここに出でいる「まっすぐ」という言葉は的確に訳されたのでしょうか?日本語は「まっすぐ」と訳し、口語訳は「正しい」と訳しました。確かに正しい(right)という意味があると思います。イスラエルという名前の語源についていくつかの説がありますが、「ヤーシャールエル(ישר-אל)」から来ている意見がありますす。「ヤーシャール(יָשָׁר))」が「正しい」の意味であり、今日の本文12節の「正しい」に当たるヘブライ語が「ヤーシャール(יָשָׁר)です。「ヤーシャールの道だと思っていましたが、実は死の道だったのです。快楽だと思っていたわけでもなく、誘惑だと思っていたわけでもなく、欲張ったわけでもありません。 正しい道だと思ったのに、その先が死だったということです。   おそらく何らかの信念があったと思います。それを信仰だと思ったかもしれません。確信もあったはずです。しかし、他人に移植された信念であり、大衆の確信というのは、世に追従する盲目だったのかもしれません。それが神様の道ではなかったため、熱心にすればするほど神様とは遠ざかる構造です。使徒の働き2章の聖霊降臨後にペトロが福音を説教した時、恵みが臨んだ人々の反応はこうでした。「人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。2:37」 彼らとはイエス様を殺した人々です。政治的、宗教的に正しいと思っていた信念がイエス様を殺したのです。神様を誤解したり、政治に扇動されたり、宗教に洗脳されたり、世の中にだまされたりすると、そのようになることがあります。政治の言語が戦闘的な人、宗教の言語が抽象的な人は、世の人が作り出す信念にさらされた人です。   疑わないで信じなさいと言われます。しかし、信仰というのは常に疑わなければなりません。自己客観化こそ自己否定だからです。御言葉との人格的交わりによって自分の中に化学的反応を起こせなければ、自己客観化、自己否定はできないです。自分のことを疑わなければ、結局神様について疑うことになるでしょう。疑い、悩み続ける、それをあきらめなければ、その先には神様を告白することになります。それが信仰の結晶体です。神様を信じることと自分の信仰を信じることは全く違います。私が信じているのは確信なのか確証バイアスなのか、献身なのか盲信なのか、群衆のこだまなのか魂の告白なのか、自分のものなのか他人のものなのかを批判的霊性で確かめなければなりません。世の中のもの、他人のものに追従せず、神様が自分にくださったもので生きていく一日になりたいと願います。