創世記 黙想18【不可抗的恩恵】220919(月) 枝川愛の教会

創世記 25:19~3425:19 これはアブラハムの子イサクの歴史である。アブラハムはイサクを生んだ。25:20 イサクが、パダン・アラムのアラム人ベトエルの娘で、アラム人ラバンの妹であるリベカを妻に迎えたときは、四十歳であった。25:21 イサクは、自分の妻のために主に祈った。彼女が不妊の女だったからである。主は彼の祈りを聞き入れ、妻リベカは身ごもった。25:22 子どもたちが彼女の腹の中でぶつかり合うようになったので、彼女は「こんなことでは、いったいどうなるのでしょう、私は」と言った。そして、主のみこころを求めに出て行った。25:23 すると主は彼女に言われた。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は、もう一つの国民より強く、兄が弟に仕える。」25:24 月日が満ちて出産の時になった。すると見よ、双子が胎内にいた。25:25 最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それで、彼らはその子をエサウと名づけた。25:26 その後で弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。それで、その子はヤコブと名づけられた。イサクは、彼らを生んだとき、六十歳であった。25:27 この子どもたちは成長した。エサウは巧みな狩人、野の人であったが、ヤコブは穏やかな人で、天幕に住んでいた。25:28 イサクはエサウを愛していた。猟の獲物を好んでいたからである。しかし、リベカはヤコブを愛していた。25:29 さて、ヤコブが煮物を煮ていると、エサウが野から帰って来た。彼は疲れきっていた。25:30 エサウはヤコブに言った。「どうか、その赤いのを、そこの赤い物を食べさせてくれ。疲れきっているのだ。」それで、彼の名はエドムと呼ばれた。25:31 するとヤコブは、「今すぐ私に、あなたの長子の権利を売ってください」と言った。25:32 エサウは、「見てくれ。私は死にそうだ。長子の権利など、私にとって何になろう」と言った。25:33 ヤコブが「今すぐ、私に誓ってください」と言ったので、エサウはヤコブに誓った。こうして彼は、自分の長子の権利をヤコブに売った。25:34 ヤコブがエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を侮った。   神様は人を選び、用いられます。長子であるエサウを選ばず、弟のヤコブを選んだのは、神様の主権です。それを人間が納得できる方法で原因を作り出し、教訓にしようとすることが無理です。神様が誰を選び取ったのかは、神様の固有の主権です。パウロはローマ書で神様の選択主権についてこう述べました。「神の選びの計画の確かさが、行ないにはよらず、召してくださる方によるようにと、「兄は弟に仕える。」と彼女に告げられたのです。「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」と書いてあるとおりです。 9:11-13」   パウロが神の選択主権を語りながら引用したのは、ヤコブの話です。この物語の主題は、ヤコブに長子の願望があったから選ばれ、エサウは長子の職分を軽く考えたから脱落したという行動の結果ではありません。エサウが何を間違っているのか、ヤコブは何をよくしたのかの評価ではありません。すでにリベカの胎内に双子がいる時から、神様は兄が弟に仕えると言われ、それが成就されたのです。神様の選択は行為の結果ではありません。もしそうであるなら、誰も救われることはできません。   神様は老人のアブラハム、不妊のサラを選ばれ、強いイスマエルではなく弱いイサクを選ばれ、男らしいエサウを捨て、卑怯なヤコブを選ばれました。選択されるのは不可抗力的な恵みです。イエス様もヨハネによる福音書で弟子たちに「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。15:16」これは本当です。使命は、自分が作るものではなく、召され、与えられるるものです。企画力ではなく、御声を聞く力とそれに聞き従う信仰が必要です。神様は選び取った人に賜物を与え、神様の働きに加えられます。   教会で神本主義と人本主義という言葉をよく耳にしますが、文字的の「人本」と「神本」を対比して人本は堕落したもの、神本は聖なるものと言ってますが、そのような言葉はもともとありません。人本主義というのは人文主義のことを言うようですが、「人文主義(Humanism)」でなければ、つまり人間を知り、人間の尊厳を認めなければ、神様を知ることもできず、会うこともできません。ルネサンスの後に宗教改革が起こったことを覚えておく必要があります。人間が大切なのは、聖書を貫く神様の視線が人間を大切にしてくださるからです。   私たちが警戒しなければならないのは、聖書を伝える人々が人間の行為に応じて教訓を作ろうとする人間本位的な態度です。それこそが人本主義と名付けられます。聖書を偉人殿を読むように読むのです。自分がまず神様に何かをしたから、神様が自分にあれこれを与えたということです。仏教ではそれを致誠といいます。ギブ&テイク(Give and Take)です。しかし、赦された罪人が言う証はそのような証しではありません。証しすることは、私も私を誰なのか知りませんが、神様が罪深い私を選び、救ってくださり、神様の働きに参加してくださる恵みです。「ひもすがらあかしせんよもすがら主をほめん。御救いは妙なり御救いは奇しと」

창세기 묵상18【불가항력적 은혜】220919(월) 에다가와 사랑의 교회

창세기 25:19~3425:19 아브라함의 아들 이삭의 후예는 이러하니라 아브라함이 이삭을 낳았고25:20 이삭은 사십세에 리브가를 취하여 아내를 삼았으니 리브가는 밧단 아람의 아람 족속 중 브두엘의 딸이요 아람 족속중 라반의 누이였더라25:21 이삭이 그 아내가 잉태하지 못하므로 그를 위하여 여호와께 간구하매 여호와께서 그 간구를 들으셨으므로 그 아내 리브가가 잉태하였더니25:22 아이들이 그의 태 속에서 서로 싸우는지라 그가 가로되 이같으면 내가…

創世記 黙想17【イサクの慰め】220917(土) 枝川愛の教会

創世記 24:54~6724:54 このしもべと、ともにいた従者たちは、食べたり飲んだりして、そこに泊まった。朝になって彼らが起きると、そのしもべは「私の主人のところへ帰らせてください」と言った。24:55 彼女の兄と母は、「娘をしばらく、十日間ほど私たちのもとにとどまらせて、その後で行かせるようにしたいのですが」と言った。24:56 しもべは彼らに、「私が遅れないようにしてください。主が私の旅を成功させてくださったのですから。主人のところへ行けるように、私を帰らせてください」と言った。24:57 彼らは答えた。「娘を呼び寄せて、娘の言うことを聞いてみましょう。」24:58 彼らはリベカを呼び寄せて、「この人と一緒に行くか」と尋ねた。すると彼女は「はい、行きます」と答えた。24:59 そこで彼らは、妹リベカとその乳母を、アブラハムのしもべとその従者たちと一緒に送り出した。24:60 彼らはリベカを祝福して言った。「われらの妹よ、あなたは幾千万にも増えるように。あなたの子孫は敵の門を勝ち取るように。」24:61 リベカとその侍女たちは立ち上がり、らくだに乗って、その人の後について行った。こうして、しもべはリベカを連れ帰った。24:62 一方イサクは、ベエル・ラハイ・ロイ地方から帰って来ていた。彼はネゲブの地に住んでいたのであった。24:63 イサクは夕暮れ近く、野に散歩に出かけた。彼が目を上げて見ると、ちょうど、らくだが近づいて来ていた。24:64 リベカも目を上げ、イサクを見ると、らくだから降り、24:65 しもべに尋ねた。「野を歩いて私たちを迎えに来る、あの方はどなたですか。」しもべは答えた。「あの方が私の主人です。」そこで、リベカはベールを手に取って、身をおおった。24:66 しもべは、自分がしてきたことを残らずイサクに話した。24:67 イサクは、その母サラの天幕にリベカを連れて行き、リベカを迎えて妻とし、彼女を愛した。イサクは、母の亡き後、慰めを得た。   リベカは結婚のために遠い所に行くので、家族は数日間、惜別の情を交わしたかったのですが、エリエゼルはすぐに行かなければならないと足を早めます。準備ができていない家族は戸惑いますが、当事者のリベカが従うと言ったので、一行は急いで旅を立ちます。   別れは短い方がいいかもしれません。ラバンが妹のリベカのを祝福した言葉のように、新しい人生の挑戦の前で後ろを振り返って足首がつかまってはいけません。推進力の良いエリエゼルのおかげで時間活用が良くなっています。彼はひたすら待っている主人に一瞬でも早く戻りたい考えています。   一方、別れの痛みが長くて悲しんでいる人がいます。イサクです。今朝の本文にイサクが母サラが死後、悲しんでいてリベカと結婚することで慰められたと言いましたが、実はサラが死んだのはすでに3年前のことです。けれども、イサクはまだその喪失から抜け出せずにいたようです。   イサクはリベカを通して安定を得ます。エリエゼルがなぜそれほど急いでいたのかが少し分かります。イサクは母を失い、うつ病のような心の病気を患っていたかもしれません。だからアブラハムもエリエゼルもイサクの結婚を力強く推進したわけです。   神様の約束がなされている時にも、愛する人は老い、病にかかり、死にます。子どものための心配事は絶えないです。私たちの日常と変わりません。その中に神様の約束があり、その中に神様の働きがあり、神の国があります。神様がアブラハムに約束された後、すでに多くの紆余曲折がありましたが、神様はその約束を成し遂げるためにアブラハムの約束の子、イサクを立たせます。

창세기 묵상17【이삭의 위로】220917(토) 에다가와 사랑의 교회

창세기 24:54~6724:54 이에 그들 곧 종과 종자들이 먹고 마시고 유숙하고 아침에 일어나서 그가 가로되 나를 보내어 내 주인에게로 돌아가게 하소서24:55 리브가의 오라비와 그 어미가 가로되 소녀로 며칠을 적어도 열흘을 우리와 함께 있게 하라 그 후에 그가 갈 것이니라24:56 그 사람이 그들에게 이르되 나를 만류치 마소서 여호와께서 내게 형통한 길을 주셨으니 나를 보내어 내 주인에게로 돌아가게…

創世記 黙想16【エリエゼルの責任感】220916(金) 枝川愛の教会

創世記 24:28~5324:28 その娘は走って行って、母の家の者に、これらのことを告げた。24:29 リベカには兄がいて、その名をラバンといった。ラバンは外へ出て、泉のそばにいるその人のもとへ走って行った。24:30 彼は、飾り輪と、妹の腕にある腕輪を見、また、「あの人が私にこう言われました」と言った妹リベカのことばを聞くとすぐに、その人のところに行った。すると見よ、その人は泉のそば、らくだのそばに立っていた。24:31 そこでラバンは言った。「どうぞ、おいでください。主に祝福された方。なぜ外に立っておられるのですか。私は、お宿と、らくだのための場所を用意しております。」24:32 それで、その人は家の中に入った。らくだの荷が解かれ、らくだに藁と飼料が与えられ、彼の足と、一緒にいた従者たちの足を洗う水も与えられた。24:33 それから、彼の前に食事が出されたが、彼は「私の用件を話すまでは、いただきません」と言った。「お話しください」と言われて、24:34 彼は言った。「私はアブラハムのしもべです。24:35 主は私の主人を大いに祝福されましたので、主人は富んでおります。主は主人に、羊や牛、銀や金、男女の奴隷、らくだやろばをお与えになりました。24:36 私の主人の妻サラは、年をとってから主人に男の子を産み、主人はこの子に自分の全財産を譲っておられます。24:37 私の主人は、こう言って、私に誓わせました。『私が住んでいるこの地のカナン人の娘たちの中から、私の息子の妻を迎えてはならない。24:38 あなたは、私の父の家、私の親族のところへ行って、私の息子に妻を迎えなさい。』24:39 そこで私は主人に申しました。『もしかしたら、その娘さんは私について来ないかもしれません。』24:40 すると主人は答えました。『私は主の前に歩んできた。その主が御使いをあなたと一緒に遣わし、あなたの旅を成功させてくださる。あなたは、私の親族、私の父の家から、私の息子に妻を迎えなさい。24:41 次のようなときは、あなたは私との誓いから解かれる。あなたが私の親族のところに行ったときに、もし彼らがあなたに娘を与えないなら、そのとき、あなたは私との誓いから解かれる。』24:42 今日、私は泉のそばに来て言いました。『私の主人アブラハムの神、主よ。私がここまで来た旅を、もしあなたが成功させてくださるのなら──。24:43 ご覧ください。私は泉のそばに立っています。若い娘が水を汲みに出て来たなら、私は「あなたの水がめから少し水を飲ませてください」と言います。24:44 その人が私に、「どうぞ、お飲みください。あなたのらくだにも水を汲みましょう」と言ったなら、その娘さんこそ、主が私の主人の息子のために定められた方です。』24:45 私が心の中で言い終わらないうちに、なんと、リベカさんが水がめを肩に載せて出て来たのです。そして、泉に下りて行き、水を汲みました。それで私が『どうか水を飲ませてください』と言うと、24:46 急いで水がめを肩から降ろし、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言われたので、私は飲みました。らくだにも水を飲ませてくださいました。24:47 私が尋ねて、『あなたは、どなたの娘さんですか』と言いますと、『ミルカがナホルに産んだ子ベトエルの娘です』と答えました。そこで私は、彼女の鼻に飾り輪をつけ、彼女の腕に腕輪をはめました。24:48 そして私はひざまずき、主を礼拝し、私の主人アブラハムの神、主をほめたたえました。主は、私の主人の親族の娘さんを主人の息子に迎えるために、私を確かな道に導いてくださったのです。24:49 それで今、あなたがたが私の主人に恵みとまことを施してくださるのなら、私にそう言ってください。もしそうでなければ、そうでないと私に言ってください。それによって、私は右か左に向かうことになります。」24:50 ラバンとベトエルは答えた。「主からこのことが出たのですから、私たちはあなたに良し悪しを言うことはできません。24:51 ご覧ください。リベカはあなたの前におります。どうぞお連れください。主が言われたとおりに、あなたのご主人の息子さんの妻となりますように。」24:52 アブラハムのしもべは、彼らのことばを聞くやいなや、地にひれ伏して主を礼拝した。24:53 そして、このしもべは銀や金の品物や衣装を取り出して、リベカに与えた。また、彼女の兄や母にも貴重な品々を贈った。   アブラハムのしもべがリベカの家に入り、リベカの兄のラバンにその間の事情を話します。ラバンはお客さんが来たのでおもてなしをしようと思いましたが、しもべは自分の任務を果たす前には何も食べないと言い、本論に入ります。自分がハランに来た理由と神様にささげた祈り、そして神様に絶妙に答えられ、リベカに会ったことなどを言いながら、単刀直入にイサクがリベカと結婚できるように願います。そしてラバンはそれを許します。   神様が定められたことはこのように一瀉千里で走りますが、ただ、この話しで目立つのは、アブラハムのしもべです。彼の名前はエリエゼルです。エリエゼルの名前は「神様の助け」、「神様が助ける」という意味です。アブラハムにはたくさんのしもべがいました。軍隊が組織できるような十分なしもべがいましたが、その中で最も信頼する忠実なしもべがエリエゼルでした。15章を見れば、アブラハムが自分には永遠に子どもがいないと思い、エリエゼルが自分の相続者になると言うほどに信頼した人です。   アブラハムの信頼を受けていたこのしもべの業務処理能力がとても優れています。彼は主人の心を抱き、ハランに来ました。神様に祈り、祈ったことに対する神様の答えを見つけます。短い時間ですが、リベカとラバンに信頼を受け、その家を説得することができました。エリエゼルは仕事を処理することに集中力があります。結婚はイサクがし、銀や貴重な品々はリベカとラバンがもらいますが、24章で輝くのはエリエゼルの忠誠と信頼です。神様に信頼を受けるような忠実で責任あるしもべになりたいとを願います。  

창세기 묵상16【엘리에셀의 책임감】220916(금) 에다가와 사랑의 교회

창세기 24:28~5324:28 소녀가 달려가서 이 일을 어미 집에 고하였더니24:29 리브가에게 오라비가 있어 이름은 라반이라 그가 우물로 달려가 그 사람에게 이르니24:30 그가 그 누이의 고리와 그 손의 손목고리를 보고 또 그 누이 리브가가 그 사람이 자기에게 이같이 말하더라 함을 듣고 그 사람에게로 나아감이라 때에 그가 우물가 약대 곁에 섰더라24:31 라반이 가로되 여호와께 복을 받은 자여 들어오소서…

創世記 黙想15【ハランで会ったリベカ】220914(水) 枝川愛の教会

創世記 24:10~2724:10 しもべは主人のらくだの中から十頭を連れて出かけた。主人のあらゆる良い品々をその手に携えていた。彼は立って、アラム・ナハライムのナホルの町へ行った。24:11 彼は夕暮れ時、水を汲む女たちが出て来るころ、町の外の井戸のそばにらくだを伏させた。24:12 そうして言った。「私の主人アブラハムの神、主よ。どうか今日、私のために取り計らい、私の主人アブラハムに恵みを施してください。24:13 ご覧ください。私は泉のそばに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出て来るでしょう。24:14 私が娘に、『どうか、あなたの水がめを傾けて、私に飲ませてください』と言い、その娘が、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたが、あなたのしもべイサクのために定めておられた人です。このことで、あなたが私の主人に恵みを施されたことを、私が知ることができますように。」24:15 しもべがまだ言い終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せて出て来た。リベカはミルカの子ベトエルの娘で、ミルカはアブラハムの兄弟ナホルの妻であった。24:16 この娘は非常に美しく、処女で、男が触れたことがなかった。彼女は泉に下りて行き、水がめを満たして上がって来た。24:17 しもべは彼女の方に走って行って、言った。「どうか、あなたの水がめから、水を少し飲ませてください。」24:18 すると彼女は、「どうぞ、お飲みください。ご主人様」と言って、すばやくその手に水がめを取り降ろし、彼に飲ませた。24:19 水を飲ませ終わると、彼女は、「あなたのらくだにも、飲み終わるまで、水を汲みましょう」と言った。24:20 彼女は急いで水がめの水を水ぶねにあけ、水を汲みに、再び井戸まで走って行き、すべてのらくだのために水を汲んだ。24:21 この人は、主が自分の旅を成功させてくださったかどうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。24:22 らくだが水を飲み終わったとき、その人は、重さ一ベカの金の飾り輪と、彼女の腕のために、重さ十シェケルの二つの金の腕輪を取り、24:23 尋ねた。「あなたは、どなたの娘さんですか。どうか私に言ってください。あなたの父上の家には、私どもが泊めていただける場所があるでしょうか。」24:24 彼女は答えた。「私は、ミルカがナホルに産んだ子ベトエルの娘です。」24:25 また言った。「藁も飼料も、私たちのところには、たくさんあります。それに、お泊まりになる場所も。」24:26 その人は、ひざまずき、主を礼拝して、24:27 こう言った。「私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は、私の主人に対する恵みとまことをお捨てになりませんでした。主は道中、この私を導いてくださいました。主人の兄弟の家にまで。」   一度に障りなく事が進むことを「一瀉千里」といいます。千里は400kmほどで、イサクの妻になる人を探しに行ったアブラハムのしもべが歩いた距離は600kmです。長い旅に苦労したと思いますが、到着するとすぐに一瀉千里で事が進められます。この件においては、アブラハムが信仰を持っており、忠実なしもべがお祈りしましたが、イサクの妻になる人を一瀉千里で見つけたのは、その時が神様の時であり、神様の御旨をそってしるからです。   できない時は何をしてもできません。努力しても止まっています。アブラハムは子どもを持つために努力しましたが、まだ神様の時ではないのでできませんでした。しかし、神様の時となると、急激にはかどるように事が一瀉千里に進められます。それは根本的に人が事を成功させることではなく、神様が人を通して神様の目的を成し遂げられているのです。   だからといって、人に何の意志や原因がないということではありません。忠実なしもべは、信義と愛をもって奉仕し、とりなしました。そして、イサクの妻になるリベカは、アブラハムが御使いたちにしたように、旅人を美徳を持っておもてなししました。しもべが祈りで願った美徳は慈悲深さです。しもべの祈りとリベカの徳性が出会い、神様の御旨が一瀉千里で進められます。何かに詰まっているなら、まず神様の御心を求め、その後、自分と人に対する態度を確認すればよいと思います。  

창세기 묵상15【하란에서 만난 리브가】220915(목) 에다가와 사랑의 교회

창세기 24:10~2724:10 이에 종이 그 주인의 약대 중 열 필을 취하고 떠났는데 곧 그 주인의 모든 좋은 것을 가지고 떠나 메소보다미아로 가서 나홀의 성에 이르러24:11 그 약대를 성 밖 우물 곁에 꿇렸으니 저녁때라 여인들이 물을 길러 나올 때이었더라24:12 그가 가로되 우리 주인 아브라함의 하나님 여호와여 원컨대 오늘날 나로 순적히 만나게 하사 나의 주인 아브라함에게 은혜를…

창세기 묵상14【아브라함의 자신감】220914(수) 에다가와 사랑의 교회

창세기 24:1~924:1 아브라함이 나이 많아 늙었고 여호와께서 그의 범사에 복을 주셨더라24:2 아브라함이 자기 집 모든 소유를 맡은 늙은 종에게 이르되 청컨대 네 손을 내 환도뼈 밑에 넣으라24:3 내가 너로 하늘의 하나님, 땅의 하나님이신 여호와를 가리켜 맹세하게 하노니 너는 나의 거하는 이 지방 가나안 족속의 딸 중에서 내 아들을 위하여 아내를 택하지 말고24:4 내 고향 내…

創世記 黙想14【アブラハムの自信感】220914(水) 枝川愛の教会

創世記 24:1~924:1 アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。主は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。24:2 アブラハムは、自分の全財産を管理している、家の最年長のしもべに、こう言った。「あなたの手を私のももの下に入れてくれ。24:3 私はあなたに、天の神、地の神である主にかけて誓わせる。私はカナン人の間に住んではいるが、あなたは、その娘たちの中から、私の息子の妻を迎えてはならない。24:4 あなたは、私の国、私の親族のところに行って、私の息子イサクに妻を迎えなさい。」24:5 しもべは彼に言った。「もしかしたら、その娘さんが、私についてこの地に来ようとしないかもしれません。その場合、ご子息をあなたの出身地へ連れて戻らなければなりませんか。」24:6 アブラハムは彼に言った。「気をつけて、息子をそこへ連れて戻ることのないようにしなさい。24:7 天の神、主は、私の父の家、私の親族の地から私を連れ出し、私に約束して、『あなたの子孫にこの地を与える』と誓われた。その方が、あなたの前に御使いを遣わされるのだ。あなたは、そこから私の息子に妻を迎えなさい。24:8 もし、その娘があなたについて来ようとしないなら、あなたはこの、私との誓いから解かれる。ただ、私の息子をそこに連れて戻ることだけはしてはならない。」24:9 それでしもべは、主人であるアブラハムのももの下に自分の手を入れ、このことについて彼に誓った。   アブラハムが家の最年長のしもべに、アブラハムの故郷ハランに行ってイサクの妻になる人を連れてくるように命じます。遠いところまで行って嫁さんを見つけることも大変ですが、見つかったとしても、カナンの地まで来る人がいるでしょうか?しもべはそれを懸念して、イサクをハランに住ませ、そこで結婚させてもいいでしょうかと尋ねますが、アブラハムはできないと答えます。このようにイサクが結婚するためには条件が厳しいですが、神様の約束を信じるべき時の現実と状況というのはいつも厳しいです。その厳しい現実から神様が働かれるからです。今回においてもアブラハムに必要なのは実力ではなく、信仰です。   アブラハムは変わりました。24章の初めに、「主は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた」と言いました。アブラハムはその間、あらゆるところで神様を経験してきたのです。老年のアブラハムは確かな信仰を持っています。信じようと努力するのではなく、神様の人格性がアブラハムの中にあって、神様のみことばを約束を信頼する信仰があります。常識と合理の目から見ると、可能性のない無謀なことかもしれませんが、アブラハムは、神様がイサクの妻になる女性を備えられていることを信じています。   神様はアブラハムに生まれ故郷と家族を離れるように命じました。それから繁栄の祝福を約束されます。その約束のときからイサクが生まれることは決まっていますし、イサクの妻になる人も決まってします。信仰の人は信仰と持ってそれを取る人です。信仰が明らかになるために、現実は暗いのです。神様が働かれます。信仰があればそれを得ますが、信仰がなければ何も得られません。   アブラハムはしもべに神様が備えられている人を見つけ、連れてくるように言います。これがみことばに従い、約束に生きる人の自信感です。約束のある人の堂々に歩みます。信仰があるので、心配の代わりに余裕を持ち、不安の代わりに平安を保ちます。神様が選ばれ、召され、約束されたことを経験すると、信仰はますます成長します。疑わしくいらいらしているから、神様を経験することができません。行けばきっと見つけるという信仰の自信感を持つためには、神様の約束の中に生きる従順が前提になります。