요한계시록 묵상 【시작부터 끝까지】 20241227(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

요한계시록 21:1-8 21:1 또 내가 새 하늘과 새 땅을 보니 처음 하늘과 처음 땅이 없어졌고 바다도 다시 있지 않더라 21:2 또 내가 보매 거룩한 성 새 예루살렘이 하나님께로부터 하늘에서 내려오니 그 준비한 것이 신부가 남편을 위하여 단장한 것 같더라 21:3 내가 들으니 보좌에서 큰 음성이 나서 이르되 보라 하나님의 장막이 사람들과 함께 있으매 하나님이 그들과…

요한계시록 묵상 【책들과 생명책】 20241226(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 20:11~15 20:11 또 내가 크고 흰 보좌와 그 위에 앉으신 자를 보니 땅과 하늘이 그 앞에서 피하여 간데 없더라 20:12 또 내가 보니 죽은 자들이 무론대소하고 그 보좌 앞에 섰는데 책들이 펴 있고 또 다른 책이 펴졌으니 곧 생명책이라 죽은 자들이 자기 행위를 따라 책들에 기록된 대로 심판을 받으니 20:13 바다가 그 가운데서 죽은…

黙示録 黙想 【数々の書物といのちの書】 20241226(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

黙示録 20:11~15 20:11 また私は、大きな白い御座と、そこに着いておられる方を見た。地と天はその御前から逃げ去り、跡形もなくなった。 20:12 また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。 20:13 海はその中にいる死者を出した。死とよみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。 20:14 それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。 20:15 いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。   最終的な裁きの中でも、白い御座の裁きについてです。白い御座の上に神が座っておられ、地と天は神の御前から消え去ります。恐ろしく感じるかもしれませんが、不思議なことではありません。世界を存在させた方によって、世界が終わりを迎えるのは当然のことです。この裁きは、神の完全な聖さと正義を表しています。人間が罪を認識し、それを消し去ろうとしても、その消しゴムにも罪が染み付いており、完全に清めることはできません。神が不条理で満ちた世界を終わらせる日、すべての行いは神の御前で裁きを受けることになるのです。 死んだ者の「大きさ」や「小ささ」が語られているのは、生きていた時の地位や影響力を指しているのでしょう。しかし、その大きさに関係なく、すべての人が平等に裁きを受けます。世の中で大きな存在として生きた者も、小さな存在として生きた者も、死を通過したとき、その大小が何の意味も持たないことを既に知ることになります。それぞれの行いに応じて、書物に記された通りに裁きを受けます。そして、その横にはもう一冊の書物、いのちの書があります。いのちの書に名前が記されている者は、罪に定められることはありません。行いの書に自分の罪が記されないように慎んで生きるべきです。しかし、いのちの書に自分の名前が記されるためには、必死になるべきです。行いの書は人間の行いによって裁きを行い、いのちの書はイエス・キリストの十字架によって救いを示します。 死とよみも、その中にいる死者を吐き出し、最終的に死と火の池も火の池に投げ込まれます。これが第二の死です。第一の死とは、アダム以降、罪の報酬が死となった人間の状態です。すべての人間は第一の死を経験しますが、いのちの書に名前が記されている者は第二の死を免れます。しかし、いのちの書に名前が記されていない者は火の池に投げ込まれるのです。世間では人は死後に名前を残すと言いますが、この世が死者の名前を記憶するのは、利用価値がある時だけです。死ねば忘れ去られます。欲望や執着によって名前を残そうとするのではなく、いのちの書にイエス・キリストの血で書かれた自分の名前、必ず残さなければなりません。

크리스마스 묵상 【아기 예수의 울음소리】 20241225(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

누가복음 2:1~14 2:1 이때에 가이사 아구스도가 영을 내려 천하로 다 호적하라 하였으니 2:2 이 호적은 구레뇨가 수리아 총독 되었을 때에 첫번 한것이라 2:3 모든 사람이 호적하러 각각 고향으로 돌아가매 2:4 요셉도 다윗의 집 족속인고로 갈릴리 나사렛 동네에서 유대를 향하여 베들레헴이라 하는 다윗의 동네로 2:5 그 정혼한 마리아와 함께 호적하러 올라가니 마리아가 이미 잉태되었더라 2:6 거기…

クリスマス 黙想 【赤んぼイエスの泣き声】 20241225(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ルカによる福音書 2:1~14 2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。 2:2 これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。 2:3 人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。 2:4 ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 2:5 身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。 2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、 2:7 男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。 2:8 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。 2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。 2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」 2:13 すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。 2:14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」   ローマ皇帝アウグストゥスの命令によって、ヨセフとマリアは人口調査のためにベツレヘムへ向かうことになりました。この旅は単なる行政手続きではなく、神の救済計画が成就する重要な契機となるものでした。そこベツレヘムで、マリアは宿を見つけることができず、家畜小屋で息子を産み、その赤子を飼い葉桶に寝かせました。その夜、野原で羊を飼っていた羊飼いたちに天使が現れ、イエスの誕生を告げました。「この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます」と御使いは伝えます。そして天には軍勢が整列し、「いと高きところに栄光が神にあり、地には平和がある」と宣言し、神の栄光の賛美をささげます。 地上では、この出来事に注目した者は誰一人いませんでした。羊飼いたちはただ夜通し羊の番をしていて、ヨセフとマリアは皇帝の命令に従って本籍地に向かう旅人の身でした。この出来事の背景には、快適さとは程遠い、寒い早朝の野原と、臭く汚れた家畜小屋がありました。イエス・キリストの誕生は牧歌的でもロマンチックでもありません。それはむしろ、貧しい人々の厳しい現実を象徴しています。貧しい者たちは生計を立てるために眠ることもできず、疲れ果てた夜を過ごしていました。ヨセフは旅の途中で出産間近の妻のための宿を用意できず、必死に探し回るしかありませんでした。マリアは準備も整わない中、息子を産むことになったのです。 神が人として来られたその日は、眠ることも、横になる場所を見つけることもできなかった貧しく疲れた人々の日常のただ中でした。神は高く栄光に満ちた場所ではなく、最も低く弱い場所に降りて来られ、人間の苦しみと不安を直接体験されました。それは宗教的な象徴や抽象的な概念ではなく、具体的で現実的な出来事でした。救いは遠くで起こる出来事ではありません。それは、神が人間の具体的な人生の実存の中に入って来られたことにほかなりません。クリスマスは、神が人間として来られ、人の苦しみと痛みに寄り添い始められた日です。赤子イエスの唯一の発音は泣き声だけでしたが、その泣き声には低きところに共におられる愛が込められています。イエスの誕生は、私たちの苦しみと痛みのただ中に来られ、その重荷を直接引き受けてくださる神の愛の証です。その愛は、上から降り注ぐ愛ではなく、低きところで共にいてくださる愛です。このクリスマスに、神が私たちの日常の中に来られたこと、そしてその愛と恵みを深く思い巡らしながら過ごしましょう。

クリスマス 黙想 【マグニフィカト】 20241224(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ルカによる福音書 1:39~56 1:39 それから、マリアは立って、山地にあるユダの町に急いで行った。 1:40 そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。 1:41 エリサベツがマリアのあいさつを聞いたとき、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊に満たされた。 1:42 そして大声で叫んだ。「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。 1:43 私の主の母が私のところに来られるとは、どうしたことでしょう。 1:44 あなたのあいさつの声が私の耳に入った、ちょうどそのとき、私の胎内で子どもが喜んで躍りました。 1:45 主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」 1:46 マリアは言った。「私のたましいは主をあがめ、 1:47 私の霊は私の救い主である神をたたえます。 1:48 この卑しいはしために目を留めてくださったからです。ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。 1:49 力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。その御名は聖なるもの、 1:50 主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます。 1:51 主はその御腕で力強いわざを行い、心の思いの高ぶる者を追い散らされました。 1:52 権力のある者を王位から引き降ろし、低い者を高く引き上げられました。 1:53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせずに追い返されました。 1:54 主はあわれみを忘れずに、そのしもべイスラエルを助けてくださいました。 1:55 私たちの父祖たちに語られたとおり、アブラハムとその子孫に対するあわれみをいつまでも忘れずに。」 1:56 マリアは、三か月ほどエリサベツのもとにとどまって、家に帰った。   マリアは御使いから自分がイエスを身ごもるという知らせを聞いた後、エリサベツを訪ねます。二人は親戚であり、エリサベツはマリアよりもずっと年上でした。エリサベツはマリアの信仰を祝福し、マリアを「わたしの主の母」と呼びました。聖霊に満たされたエリサベツは、マリアのお腹の中の赤ちゃんがキリストであることを知っていました。婚約中に妊娠し混乱していたマリアがエリサベツを訪ねて交わりを持てたのは、聖霊の導きによるものです。信仰の人が信仰の人と出会うとき、神の御心は明らかになります。マリアはエリサベツとの出会いを通して大きな力を得ました。 エリサベツとの出会いを通して、マリアは信仰の確信を得て、いわゆる「マリアの賛歌(マグニフィカト)」を歌います。全能なる神、聖なる神の豊かな憐れみを賛美します。神は高ぶる者を低くし、へりくだる者を高く引き上げて用いられます。高慢な者が没落し、富む者が手ぶらで帰る一方で、貧しい者、弱い者、卑しい者が用いられ、彼らを通して約束が成し遂げられることを宣言します。神は世界の主権者であるため、人間のできる最善は従順です。マリアが賛歌を歌ったのは、彼らの生き方そのものが信仰であり、彼らの交わりが詩であり歌であったからでしょう。 マリアは自分の体を捧げ、その体の中でイエス・キリストを宿し、生もうとしている人です。自己を否定し、神の御心に従い献身する人々の対話と交わりは、いつも天上で歌われる賛美のようなものです。少数の献身な人々の集まりや対話の中に、聖霊は常に共におられます。そのような交わりの中には、神のメッセージと証が表されます。マリアは三か月間エリサベツの元に滞在した後、帰宅しました。マリアは神の確かな御心と信仰の確信を持って、より大胆になって家に戻りました。マリアが帰った後、エリサベツはバプテスト・ヨハネを出産し、マリアは胎内のイエスの胎動を感じ始めたことでしょう。母と子の従順を通して、受肉が成し遂げられています。

크리스마스 묵상 【마그니피카】 20241224(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

누가복음 1:39~56 1:39 이 때에 마리아가 일어나 빨리 산중에 가서 유대 한 동네에 이르러 1:40 사가랴의 집에 들어가 엘리사벳에게 문안하니 1:41 엘리사벳이 마리아의 문안함을 들으매 아이가 복중에서 뛰노는지라 엘리사벳이 성령의 충만함을 입어 1:42 큰 소리로 불러 가로되 여자 중에 네가 복이 있으며 네 태중의 아이도 복이 있도다 1:43 내 주의 모친이 내게 나아오니 이 어찌…

크리스마스 묵상 【은혜를 받은 자】 20241223(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

누가복음 1:26~38 1:26 여섯째 달에 천사 가브리엘이 하나님의 보내심을 받들어 갈릴리 나사렛이란 동네에 가서 1:27 다윗의 자손 요셉이라 하는 사람과 정혼한 처녀에게 이르니 그 처녀의 이름은 마리아라 1:28 그에게 들어가 가로되 은혜를 받은 자여 평안할찌어다 주께서 너와 함께하시도다 하니 1:29 처녀가 그 말을 듣고 놀라 이런 인사가 어찌함인고 생각하매 1:30 천사가 일러 가로되 마리아여 무서워…

クリスマス 黙想 【恵まれた方】 20241223(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ルカによる福音書 1:26~38 1:26 さて、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。 1:27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。 1:28 御使いは入って来ると、マリアに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」 1:29 しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。 1:30 すると、御使いは彼女に言った。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。 1:31 見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。 1:32 その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。 1:33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」 1:34 マリアは御使いに言った。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」 1:35 御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。 1:36 見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。 1:37 神にとって不可能なことは何もありません。」 1:38 マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」すると、御使いは彼女から去って行った。     ガリラヤのナザレに住んでいた乙女マリアのもとに御使いガブリエルが現れました。御使いはマリアを「恵まれた方」と呼びました。期待せずにはいられない呼び名です。どのような恵みを受けたのでしょうか。その恵みは婚前に妊娠し、男の子を産むという恵みです。その子の名前がイエスです。神の子であり、ダビデの預言を引き継ぎ、イスラエルの永遠の王となるという預言を受けましたが、マリアは婚前妊娠と出産について合理的な疑問を持たざるを得ませんでした。しかし、御使いは神の力によってこれを一喝しました。そしてマリアは従うことを決心します。 レビ記と申命記によれば、婚前の性的関係は死刑に値します。婚前の妊娠は婚前の性的関係を前提とするため、マリアには命を失うかもしれない恐怖がありました。信じるということは状況を計算することよりも神様の御言葉を信頼することが優先されることを意味します。マリアの婚前の出産そのものが、イエス様が律法を拒絶して誕生されるということを象徴しているのではないかと考えました。婚約者ヨセフも最初はマリアを疑いました。マリアは妊娠後、多くの社会的な圧力を受けたことでしょう。出産も旅先の馬小屋で行われました。貧しい生活を送り、息子が十字架で死ぬ親不孝の痛みを経験しなければなりませんでした。ルカの福音書2章35節で「剣があなたの心を突き刺すように」とシメオンが預言した通りでした。 マリアが受けた恵みとは何かを考えざるを得ません。マリアが受けた恵みは、少なくとも個人の安泰に関するものではないようです。彼女は辛い人生を送りました。そう考えると、本日の本文に登場するすべての人物が神様の召しによる特別な恵みを受けましたが、皆同様に苦労の人生を送った人々でした。マリアとヨセフもそうでしたし、ダビデやヤコブもそうでした。言葉では言い尽くせないほどの苦労をしながら生きてきた人々です。彼らの苦労に満ちた人生は、神様の贖いを遂げていく一片なのです。 恵まれた方とは、より多くの人にその恵みを繋げる架け橋となる人です。それによってマリアの恵みが恵みとして成り立つのです。恐ろしく、苦労が伴うかもしれませんが、神の人はそれに従うでしょう。従わなければならないと言いたくはありません。神の人は従うようになるのです。それがたとえ苦労であっても、それこそが恵みであると告白します。マリアも、自分の息子であるイエスによって救われなければならない一人の人間です。マリアは自分の従順を通して、自分の救いも確保しました。マリアは確かに恵まれた方です。

요한계시록 묵상 【돌아갈 수 없는 그날들】 20241219(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 18:9~24 18:9 그와 함께 음행하고 사치하던 땅의 왕들이 그 불붙는 연기를 보고 위하여 울고 가슴을 치며 18:10 그 고난을 무서워하여 멀리 서서 가로되 화 있도다 화 있도다 큰성, 견고한 성 바벨론이여 일시간에 네 심판이 이르렀다 하리로다 18:11 땅의 상고들이 그를 위하여 울고 애통하는 것은 다시 그 상품을 사는 자가 없음이라 18:12 그 상품은 금과…