열왕기하 묵상 【자랑하려거든】 20240808(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 20:12~2120:12 그 때에 발라단의 아들 바벨론 왕 부로닥발라단이 히스기야가 병들었다 함을 듣고 편지와 예물을 저에게 보낸지라20:13 히스기야가 사자의 말을 듣고 자기 보물고의 금은과 향품과 보배로운 기름과 그 군기고와 내탕고의 모든 것을 다 사자에게 보였는데 무릇 왕궁과 그 나라 안에 있는 것을 저에게 보이지 아니한 것이 없으니라20:14 선지자 이사야가 히스기야왕에게 나아와서 이르되 이 사람들이 무슨…

Ⅱ列王記 黙想 【時間の持ち主】 20240807(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 20:1~1120:1 そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。「主はこう言われる。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。治らない。』」20:2 ヒゼキヤは顔を壁に向け、主に祈った。20:3 「ああ、主よ、どうか思い出してください。私が真実と全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたの御目にかなうことを行ってきたことを。」ヒゼキヤは大声で泣いた。20:4 イザヤがまだ中庭を出ないうちに、次のような主のことばが彼にあった。20:5 「引き返して、わたしの民の君主ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、主はこう言われます。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ、わたしはあなたを癒やす。あなたは三日目に主の宮に上る。20:6 わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加える。わたしはアッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出し、わたしのために、わたしのしもべダビデのためにこの都を守る。』」20:7 イザヤが「ひとかたまりの干しいちじくを持って来なさい」と命じたので、人々はそれを持って来て腫物に当てた。すると彼は治った。20:8 ヒゼキヤはイザヤに言った。「主が私を癒やしてくださり、私が三日目に主の宮に上れるしるしは何ですか。」20:9 イザヤは言った。「次のことが、あなたへの主からのしるしです。主は約束したことを成就されます。影が十度進むか、十度戻るかです。」20:10 ヒゼキヤは答えた。「影が十度伸びるのは容易なことです。むしろ、影が十度後に戻るようにしてください。」20:11 預言者イザヤが主に祈ると、主は、アハズの日時計に落ちた日時計の影を十度後に戻された。 ■神様の助けによってユダを守ったヒゼキヤは今度は病気になり、死にかけます。預言者イザヤも死の準備をするように言いますが、ヒゼキヤは祈り始めます。ヒゼキヤが信仰を改革し、国を救おうとした訴えと切ない祈りが神様に届きます。神様はイザヤを通してヒゼキヤに15年の命を延ばし、ユダの安全もを約束されます。 ■それに対し、ヒゼキヤは神様の約束の徴を確認しようとします。イザヤは神様が預言者である自分だけでなく、王にもこの事実を示してくださると言い、選択肢を提示します。太陽の影が10度前に進むのと10度後ろに戻るののどちらが難しい徴であるかを尋ねます。ヒゼキヤは影が10度後ろに戻る方が難しい徴であると答えます。 ■10度前に進むというのは未来に進むことであり、10度後ろに戻るのは過去に戻ることです。ということで、ヒゼキヤは後ろに戻る方が難しいと答えました。地球は24時間で360度回転することで自転しています。つまり1時間に15度前に動きます。10度の時間を計算してみると40分です。40分の時間が過去に戻る奇跡が起こらなければ、神様の約束の証明ができません。 ■イザヤが神様に祈ると、太陽の影が日時計の上で10度後ろに戻る奇跡が起こります。日時計とは太陽の移動を影で時間を確認する装置です。当時、秒や分を正確に測定することはできなかったでしょうが、神様の創造秩序ほど正確なものはありません。神様はヒゼキヤに時間の持ち主であることを確認させました。 ■万物で最も正確で、例外のないものが時間です。しかし、神様は時間に制限されません。時間も神様の創造物だからです。創世記1章1節は「はじめに神が天と地を創造された。」と宣言します。創造は「はじめ」という言葉からすでに始まっています。「はじめ」とは時間の始まりだからです。 ■神様は時間を創造し、その時間の中で天地万物を創造されました。人間は時間の中に入り、やがて与えられた時間が終わると時間の外に出なければなりませんが、神様は時間の中におられません。時間が神様の中にあるだけです。それを信じることが奇跡を理解する正解です。ヒゼキヤの時計は40分を巻き戻して15年をさらに生きました。時間の持ち主は神様です。

열왕기하 묵상 【시간의 주인】 20240807(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 20:1~1120:1 그 때에 히스기야가 병들어 죽게 되매 아모스의 아들 선지자 이사야가 저에게 나아와서 이르되 여호와의 말씀이 너는 집을 처치하라 네가 죽고 살지 못하리라 하셨나이다20:2 히스기야가 낯을 벽으로 향하고 여호와께 기도하여 가로되20:3 여호와여 구하오니 내가 진실과 전심으로 주 앞에 행하며 주의 보시기에 선하게 행한 것을 기억하옵소서 하고 심히 통곡하더라20:4 이사야가 성읍 가운데까지도 이르기 전에 여호와의…

Ⅱ列王記 黙想 【資源調達の方法】 20240805(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 19:29~3719:29 あなたへのしるしは、このとおりである。『今年は、落ち穂から生えたものを食べ、二年目は、それから生えたものを食べ、三年目は、種を蒔いて刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べる。19:30 ユダの家の中の逃れの者、残された者は下に根を張り、上に実を結ぶ。19:31 エルサレムから残りの者が、シオンの山から、逃れの者が出て来るからである。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。』19:32 それゆえ、アッシリアの王について、主はこう言われる。『彼はこの都に侵入しない。また、ここに矢を放たず、これに盾をもって迫らず、塁を築いてこれを攻めることもない。19:33 彼は、もと来た道を引き返し、この都には入らない──主のことば──。19:34 わたしはこの都を守って、これを救う。わたしのために、わたしのしもべダビデのために。』」19:35 その夜、主の使いが出て行き、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな死体となっていた。19:36 アッシリアの王センナケリブは陣をたたんで去り、帰ってニネベに住んだ。19:37 彼が自分の神ニスロクの神殿で拝んでいたとき、その息子たち、アデラメレクとサルエツェルは、剣で彼を打ち殺した。彼らはアララテの地へ逃れ、彼の子エサル・ハドンが代わって王となった。 ■神様はヒゼキヤに、これから3年間に起こることを知らせます。最初の年と2年目には、イスラエルは自然に生えた植物を食べることになります。それは戦争のゆえに通常の農業ができないからです。ところが、3年目になると、種をまいて収穫し、ブドウ園を作ってその果実を食べることができるということです。これによってユダが再び地に根を下ろし、繁栄することを約束されます。つまり、戦争の後に回復し、生業が正常化し安定するということです。患難の日には不思議な方法で満たし、日常生活では誠実をもって実を結ばせます。神様の約束によって守られる生活は、現在の状況がどうであれ常に安全です。 ■さて、アッシリア王が罰を受ける番です。アッシリア帝国のセンナケリブは有能な君主でした。東はバビロニアから南はパレスチナまで領土を拡大し、文化的にも大帝国を築きましたが、ユダを服従させることはできませんでした。神様がユダを守られたからです。神様は、アッシリア王がエルサレムに入ることなく、一矢も放つことがないと言われます。彼は来た道を引き返し、神様がエルサレムを守ります。神様のみ使いがアッシリア軍18万5千人を殺します。センナケリブは死なずに自分が築いた都ニネベに帰還します。彼が崇拝していた神ニスロクの神殿で礼拝している際に、彼の息子たちが来て彼を殺し、その息子の一人が王となります。 ■帝国のダイナミックな興亡を見ていると、手を合わせて祈る宗教はその間に入り込む余地がないように見えます。殺し合いの剣が世界を支配しているかのようですが、地上の視点ではなく天の視点から見ると、祈る手が世界を動かします。神様はご自身の義と栄光のために何も惜しみません。すべては神様の被造物であり、それが地上でどんな威勢を誇ろうとも、すべては神様の統治の中にあるからです。だから、神様の栄光を求める人は、すべてを動かす準備ができています。ただし、神様の栄光を装った自己追求は神様には通じません。神様の栄光を求めること、神様を追い求めるということが何を意味するのか、正直に考えなければなりません。

열왕기하 묵상 【자원을 조달하는 법】 20240806(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 19:29~3719:27 네 거처와 네 출입과 네가 내게 향한 분노를 내가 다 아노니19:28 네가 내게 향한 분노와 네 교만한 말이 내 귀에 들렸도다 그러므로 내가 갈고리로 네 코에 꿰고 자갈을 네 입에 먹여 너를 오던 길로 끌어 돌이키리라 하셨나이다19:29 또 네게 보일 징조가 이러하니 너희가 금년에는 스스로 자라난 것을 먹고 명년에는 그것에서 난 것을 먹되…

Ⅱ列王記 黙想 【ヒゼキヤの告発状】 20240805(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 19:14~2819:14 ヒゼキヤは、使者の手からその手紙を受け取って読み、主の宮に上って行き、それを主の前に広げた。19:15 ヒゼキヤは主の前で祈った。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。19:16 主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセンナケリブのことばを聞いてください。19:17 主よ。アッシリアの王たちが、国々とその国土を廃墟としたのは事実です。19:18 彼らはその神々を火に投げ込みました。それらが神ではなく、人の手のわざ、木や石にすぎなかったので、彼らはこれを滅ぼすことができたのです。19:19 私たちの神、主よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、主よ、あなただけが神であることを知るでしょう。」19:20 アモツの子イザヤはヒゼキヤのところに人を送って言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたがアッシリアの王センナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。』19:21 主が彼について語られたことばは、このとおりである。『処女である娘シオンはおまえを蔑み、おまえを嘲る。娘エルサレムはおまえのうしろで頭を振る。19:22 おまえはだれをそしり、だれをののしったのか。だれに向かって声をあげ、高慢な目を上げたのか。イスラエルの聖なる者に対してだ。19:23 おまえは使者たちを通して、主をそしって言った。「多くの戦車を率いて、私は山々の頂に、レバノンの奥深くへ上って行った。そのそびえる杉の木と美しいもみの木を切り倒し、その果ての高地、木の茂った園にまで入って行った。19:24 私は井戸を掘って、他国の水を飲み、足の裏でエジプトのすべての川を干上がらせた」と。19:25 おまえは聞かなかったのか。遠い昔に、わたしがそれをなし、大昔に、わたしがそれを計画し、今、それを果たしたことを。それで、おまえは城壁のある町々を荒らして廃墟の石くれの山としたのだ。19:26 その住民は力失せ、打ちのめされて恥を見て、野の草や青菜、育つ前に干からびる屋根の草のようになった。19:27 おまえが座るのも、出て行くのも、おまえが入るのも、わたしはよく知っている。わたしに向かっていきり立つのも。19:28 おまえがわたしに向かっていきり立ち、おまえの安逸がわたしの耳に届いたので、わたしはおまえの鼻に鉤輪を、口にくつわをはめ、おまえを、もと来た道に引き戻す。』 ■イスラエルの最後の王ホセアがアッシリアの支配に抵抗したため、アッシリアによって北イスラエル王国は滅亡しました。一方、ユダを改革したヒゼキヤはアッシリアの脅威を受けますが、神殿に入って神様に祈り、神様は預言者イザヤを通じてアッシリアを懲らしめ、ユダを守ることを告げます。ヤロボアムの道を歩んだ北イスラエルは滅び、ダビデの道を歩んだ南ユダのヒゼキヤは神様の介入で生き延びることができるのです。イスラエルは滅びましたが、ユダは生き延びることができたのは幸いです。 ■しかし、神様が彼らの祖先をカナンの地に導き入れた時の約束を考えると、今の状況は二つの王国にとって共に悲しいことです。叩かれる中、生き残るために入った約束の地ではありません。征服し、支配するために入った地です。申命記の約束を思い出すべきです。「もし、あなたが、あなたの神、主の御声に確かに聞き従い、私が今日あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高く上げられる。あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたについて行く。申命記28:1-2」 ■彼らは御言葉を聞かず、従わず、命令を守りませんでした。神様の御言葉を聞く方法を知らないから、従う方法も知りませんでした。神様の御言葉に関心がない人はどの時代でも神様の御言葉が何であるかを知らなく、それに従う方法も知りません。神様は約束を守られました。その結果、一部は滅び、また一部はやっとのことで命を繋ぎました。それさえ時が来れば滅びるでしょう。 ■ただしユダが滅びなかったのは、ヒゼキヤが神様を侮辱し傲慢だったアッシリアを告発したからです。ヒゼキヤが歩んだダビデの道、そのダビデの告白を私たちは覚えています。「主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。詩篇23:3」神様は御名のためにご自身の人を義の道に導かれます。それは告発者が改革者のヒゼキヤであったために告発状が受理されたのでしょう。もしホセアがアッシリアを告発していたなら、アッシリアも北イスラエルを反訴したでしょう。神様の御名が栄光を受ける道と、私が生きる道が同じ道であることを祈ります。

열왕기하 묵상 【히스기야의 고발장】 20240805(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 19:14~2819:14 히스기야가 사자의 손에서 편지를 받아보고 여호와의 전에 올라 가서 그 편지를 여호와 앞에 펴놓고19:15 그 앞에서 기도하여 가로되 그룹들의 위에 계신 이스라엘 하나님 여호와여 주는 천하 만국에 홀로 하나님이시라 주께서 천지를 조성하셨나이다19:16 여호와여 귀를 기울여 들으소서 여호와여 눈을 떠서 보시옵소서 산헤립이 사신 하나님을 훼방하러 보낸 말을 들으시옵소서19:17 여호와여 앗수르 열왕이 과연 열방과 그…

列王記第二 黙想 【世の扇動】 20240803(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

列王記第二 18:26-37 18:26 ヒルキヤの子エルヤキムとシェブナとヨアフは、ラブ・シャケに言った。「どうか、しもべたちにはアラム語で話してください。われわれはアラム語が分かりますから。城壁の上にいる民が聞いているところでは、われわれにユダのことばで話さないでください。」 18:27 ラブ・シャケは彼らに言った。「私の主君がこれらのことを告げに私を遣わされたのは、おまえの主君や、おまえのためだろうか。むしろ、城壁の上に座っている者たちのためではないか。彼らはおまえたちと一緒に、自分の糞を食らい、自分の尿を飲むようになるのだ。」 18:28 ラブ・シャケは突っ立って、ユダのことばで大声で叫んで、こう告げた。「大王、アッシリアの王のことばを聞け。 18:29 王はこう言っておられる。『ヒゼキヤにごまかされるな。あれは、おまえたちを私の手から救い出すことができないからだ。 18:30 ヒゼキヤは、「主が必ずわれわれを救い出してくださる。この都は決してアッシリアの王の手に渡されることはない」と言って、おまえたちに主を信頼させようとするが、そうはさせない。』 18:31 ヒゼキヤの言うことを聞くな。アッシリアの王はこう言っておられるからだ。『私と和を結び、私に降伏せよ。そうすれば、おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のいちじくを食べ、自分の井戸の水を飲めるようになる。 18:32 その後私は来て、おまえたちの国と同じような国におまえたちを連れて行く。そこは穀物と新しいぶどう酒の地、パンとぶどう畑の地、オリーブの木と蜜の地である。おまえたちが生き延びて死ぬことのないようにするためである。たとえヒゼキヤが、「主はわれわれを救い出してくださる」と言って、おまえたちをそそのかしても、ヒゼキヤに聞き従ってはならない。 18:33  国々の神々は、それぞれ自分の国をアッシリアの王の手から救い出しただろうか。 18:34 ハマテやアルパデの神々は今、どこにいるのか。セファルワイムやヘナやイワの神々はどこにいるのか。彼らはサマリアを私の手から救い出したか。 18:35 国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出したか。主がエルサレムを私の手から救い出せるとでもいうのか。』」 18:36 民は黙って、彼に一言も答えなかった。「彼に答えるな」というのが、王の命令だったからである。 18:37 ヒルキヤの子である宮廷長官エルヤキム、書記シェブナ、アサフの子である史官ヨアフは、自分たちの衣を引き裂いてヒゼキヤのもとに行き、ラブ・シャケのことばを告げた。    世の中に遣わされたキリスト者たちは、世の扇動の声を聞き、誘惑と戦い、御言葉と世の中の間で悩むことになります。神様の御言葉によって造られたこの世と、その御言葉の間に存在する乖離のためです。  このような乖離に対して明らかに対抗できる時もありますが、一方ではそうでない時もあるでしょう。聖書に書かれていない問題、これが神様のみこころだと断言できないところが特にそうです。しかし、世の中は巧妙にこれらのところに入り込み、私たちを扇動します。それゆえ、私たちは悩むしかないのでしょう。  アッシリアという強大国の前に立っているユダ王国の姿のように、世の中の前に立つ私たちが小さく感じられる時はなおさらそうです。むしろ自分が神様のみこころを無視しているのではないか、今の苦難と世の中の声はそんな私に神様が語っておられるのではないかと確信が持てないその時に、私たちは無理して世の中の扇動に対抗しなくても良いです。その答えは私たちのものではないためです。  明らかに聖書の御言葉に反する世の中の扇動と誘惑には対抗しなければなりません。しかし、そうでないもの、よく「アディアフォラ」と言われる領域にある問題については、ただ一つの正解を探さなくてもいいです。 自分の心を決めて、その決めた通りに行えばいいのです。 当然、その決定の基準は神様と聖書にあるべきです。これらを通して世は私たちの弁論と対抗を通して神様を見るのではなく、私たちの生き方を通して神様を見ることになるでしょう。  世の扇動で道を迷っている時、私たちはまず御言葉を開かなければなりません。しかし、御言葉の中でもその道がはっきりわからないのであれば、黙っていることでいいです。見ないふりをするのではなく、主に拠り頼み、その問題と私たちの道を委ねることが私たちが進む道でしょう。 https://youtu.be/dpTfyIYvqp0?si=clwloF9cpFfh-Zv6

열왕기하 묵상 【세상의 선동】 20240803(토) 최종석 전도사

열왕기하 18:26-37 18:26 힐기야의 아들 엘리야김과 셉나와 요아가 랍사게에게 이르되 우리가 알아듣겠사오니 청하건대 아람 말로 당신의 종들에게 말씀하시고 성 위에 있는 백성이 듣는 데서 유다 말로 우리에게 말씀하지 마옵소서 18:27 랍사게가 그에게 이르되 내 주께서 네 주와 네게만 이 말을 하라고 나를 보내신 것이냐 성 위에 앉은 사람들도 너희와 함께 자기의 대변을 먹게 하고 자기의…

列王記第二 黙想 【世の中のキリスト者】 20240802(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

列王記第二 18:13-25 18:13 ヒゼキヤ王の第十四年に、アッシリアの王センナケリブが、ユダのすべての城壁のある町々に攻め上り、これを取った。 18:14 ユダの王ヒゼキヤは、ラキシュのアッシリアの王のところに人を遣わして言った。「私は過ちを犯しました。私のところから引き揚げてください。あなたが私に課せられるものは何でも負いますから。」そこで、アッシリアの王はユダの王ヒゼキヤに、銀三百タラントと金三十タラントを要求した。 18:15 ヒゼキヤは、主の宮と王宮の宝物倉にある銀をすべて渡した。 18:16 そのとき、ユダの王ヒゼキヤは、自分が主の神殿の扉と柱に張り付けた金を剝ぎ取り、これをアッシリアの王に渡した。 18:17 アッシリアの王は、タルタン、ラブ・サリス、およびラブ・シャケを、大軍とともにラキシュからエルサレムのヒゼキヤ王のところへ送った。彼らはエルサレムに上って来た。彼らは上って来ると、布さらしの野への大路にある、上の池の水道のそばに立った。 18:18 彼らが王に呼びかけたので、ヒルキヤの子である宮廷長官エルヤキム、書記シェブナ、およびアサフの子である史官ヨアフは、彼らのところに出て行った。 18:19 ラブ・シャケは彼らに言った。「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリアの王がこう言っておられる。『いったい、おまえは何に拠り頼んでいるのか。 18:20 口先だけのことばが、戦略であり戦力だというのか。今おまえは、だれに拠り頼んでいるのか。私に反逆しているが。 18:21 今おまえは、あの傷んだ葦の杖、エジプトに拠り頼んでいるが、それは、それに寄りかかる者の手を刺し貫くだけだ。エジプトの王ファラオは、すべて彼に拠り頼む者にそうするのだ。 18:22 おまえたちは私に「われわれは、われわれの神、主に拠り頼む」と言う。その主とは、ヒゼキヤがその高き所と祭壇を取り除いて、ユダとエルサレムに「エルサレムにあるこの祭壇の前で拝め」と言った、そういう主ではないか。 18:23 さあ今、私の主君、アッシリアの王と賭けをしないか。もし、おまえのほうで乗り手をそろえることができるのなら、おまえに二千頭の馬を与えよう。 18:24 おまえは戦車と騎兵のことでエジプトに拠り頼んでいるが、私の主君の最も小さい家来である総督一人さえ追い返せないのだ。 18:25 今、私がこの場所を滅ぼすために上って来たのは、主を差し置いてのことであろうか。主が私に「この国に攻め上って、これを滅ぼせ」と言われたのだ。』」    聖書は世界中のベストセラーで、今でも多くの国、部族の言語に翻訳され、語られています。それは、聖書の内容がこの世の中に伝えられているという意味でもあります。  しかし、これらの聖書の内容が伝えられるのはキリスト者だけではありません。単なる教養知識として聖書の内容に接する人も、むしろ聖書を批判し、キリスト教を批判するために聖書の内容を研究する人も大勢いるでしょう。  今日エルサレムに攻め込んできたアッシリア人たちもやはり、イスラエルの神である主について知っていました。エルサレムの祭壇の前だけで礼拝しなければならないという規例も知っていて、イスラエルの人々が口癖のように告白していた「われわれは、われわれの神、主に拠り頼む」ということも知っていました。むしろ、アッシリア人のラブ・シャケの言葉がイスラエルを叱る預言者の言葉のように聞こえるようです。しかし、彼は明らかに神様について誤解しています。  このようなことは、聖書が世界中のベストセラーとなっているこの時代を生きている私たちにも同じく起こっているでしょう。聖書に対する浅い知識や理解を持ってキリスト者を騙し、批判する人々は確かに今の時代にも存在しています。私たちはそのような世の中に遣わされたキリスト者として生きていくのです。  彼らの言葉に惑わされないためには、聖書を正しく知ることが必要でしょう。一節の御言葉に頼るのではなく、その御言葉を囲んでいる聖書全体に頼り、口癖のような告白ではなく、こころからの告白として神、主に拠り頼むと告白しなければならないでしょう。https://youtu.be/GgFab1Gj8eE?si=It92IBEl8H64bnrH