사도행전 묵상52 【사도행전을 마치며】 20230831(목) 사도행전 28장 23~31

사도행전 28장 23~3128:23 저희가 일자를 정하고 그의 우거하는 집에 많이 오니 바울이 아침부터 저녁까지 강론하여 하나님 나라를 증거하고 모세의 율법과 선지자의 말을 가지고 예수의 일로 권하더라28:24 그 말을 믿는 사람도 있고 믿지 아니하는 사람도 있어28:25 서로 맞지 아니하여 흩어질 때에 바울이 한 말로 일러 가로되 성령이 선지자 이사야로 너희 조상들에게 말씀하신 것이 옳도다28:26 일렀으되 이…

使徒の働き 黙想51 【マルタの安息】 20230829 (火) 枝川愛の教会 使徒の働き 28章 1~10

使徒の働き 28章 1~1028:1 こうして助かってから、私たちはこの島がマルタと呼ばれていることを知った。28:2 島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。雨が降り出していて寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなを迎えてくれた。28:3 パウロが枯れ枝を一抱え集めて火にくべると、熱気のために一匹のまむしが這い出して来て、彼の手にかみついた。28:4 島の人々は、この生き物がパウロの手にぶら下がっているのを見て、言い合った。「この人はきっと人殺しだ。海からは救われたが、正義の女神はこの人を生かしておかないのだ。」28:5 しかし、パウロはその生き物を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。28:6 人々は、彼が今にも腫れ上がってくるか、あるいは急に倒れて死ぬだろうと待っていた。しかし、いくら待っても彼に何も変わった様子が見えないので、考えを変えて、「この人は神様だ」と言い出した。28:7 さて、その場所の近くに、島の長官でプブリウスという名の人の所有地があった。彼は私たちを歓迎して、三日間親切にもてなしてくれた。28:8 たまたまプブリウスの父が、発熱と下痢で苦しんで床についていた。パウロはその人のところに行って、彼に手を置いて祈り、癒やした。28:9 このことがあってから、島にいたほかの病人たちもやって来て、癒やしを受けた。28:10 また人々は私たちに深い尊敬を表し、私たちが船出するときには、必要な物を用意してくれた。   パウロがマルタに降ったとき、雨が降って寒かったです。島の原住民たちはパウロ一行を助けます。パウロが火に当たっていたとき、蛇に噛まれることになり、原住民は毒蛇にかまれた人は殺人者であると信じ、それは神から罰を受けたもので、すぐ死ぬ運命だと思いました。しかしパウロが死にません。すると殺人者ではなく神であると思うのです。いずれにせよ、彼らはそのように信じ、パウロに対して好意的になりました。しかもパウロが島の長官でプブリウスの父親の病気を治すことで信頼関係を結ぶことになり、パウロはその島でもてなしを受けながら冬を過ごすことになります。   パウロが上陸したマルタは地中海の天恵の休養地です。その海岸を今でも聖パウロ湾と呼んでいます。パウロはローマに入る前、地中海マルタで休息を取ることができたのです。船が破船し、生きるために這い上がったところですが、地元の人々に歓迎され、パウロには安息の時間を過ごしました。風浪と破船という危機と苦労の向こうに何があるのか、私たちは知りません。だから絶望したりあきらめることはできません。苦しいときを越えれば、神様の安息の報いがあるかもしれません。それでもパウロにとっては宣教と安息の区分はないようです。神様がパウロに与えた安息のところであったマルタには福音が染み込み始めます。

사도행전 묵상51 【몰타의 안식】 20230829(화) 사도행전 28장 1~10

사도행전 28장 1~1028:1 우리가 구원을 얻은 후에 안즉 그 섬은 멜리데라 하더라28:2 토인들이 우리에게 특별한 동정을 하여 비가 오고 날이 차매 불을 피워 우리를 다 영접하더라28:3 바울이 한뭇 나무를 거두어 불에 넣으니 뜨거움을 인하여 독사가 나와 그 손을 물고 있는지라28:4 토인들이 이 짐승이 그 손에 달림을 보고 서로 말하되 진실로 이사람은 살인한 자로다 바다에서는 구원을…

사도행전 묵상50 【베에 함께 탄 사람들】 20230828(월) 사도행전 27장 27~44

사도행전 27장 27~4427:27 열 나흘째 되는 날 밤에 우리가 아드리아 바다에 이리 저리 쫓겨 가더니 밤중쯤 되어 사공들이 어느 육지에 가까와지는 줄을 짐작하고27:28 물을 재어보니 이십 길이 되고 조금 가다가 다시 재니 열다섯 길이라27:29 암초에 걸릴까 하여 고물로 닻 넷을 주고 날이 새기를 고대하더니27:30 사공들이 도망하고자 하여 이물에서 닻을 주려는체하고 거루를 바다에 내려 놓거늘27:31 바울이…

使徒の働き 黙想50 【船に一緒に乗った人々】 20230828 (月) 枝川愛の教会 使徒の働き 27章 27~44

使徒の働き 27章 27~4427:27 十四日目の夜になり、私たちはアドリア海を漂っていた。真夜中ごろ、水夫たちはどこかの陸地に近づいているのではないかと思った。27:28 彼らが水の深さを測ってみると、二十オルギヤであることが分かった。少し進んでもう一度測ると、十五オルギヤであった。27:29 どこかで暗礁に乗り上げるのではないかと恐れて、人々は船尾から錨を四つ投げ降ろし、夜が明けるのを待ちわびた。27:30 ところが、水夫たちが船から逃げ出そうとして、船首から錨を降ろすように見せかけ、小舟を海に降ろしていたので、27:31 パウロは百人隊長や兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助かりません」と言った。27:32 そこで兵士たちは小舟の綱を切って、それが流れるままにした。27:33 夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めて、こう言った。「今日で十四日、あなたがたはひたすら待ち続け、何も口に入れず、食べることなく過ごしてきました。27:34 ですから、食事をするよう勧めます。これで、あなたがたは助かります。頭から髪の毛一本失われることはありません。」27:35 こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。27:36 それで皆も元気づけられ、食事をした。27:37 船にいた私たちは、合わせて二百七十六人であった。27:38 十分に食べた後、人々は麦を海に投げ捨てて、船を軽くした。27:39 夜が明けたとき、どこの陸地かよく分からなかったが、砂浜のある入江が目に留まったので、できればそこに船を乗り入れようということになった。27:40 錨を切って海に捨て、同時に舵の綱を解き、吹く風に船首の帆を上げて、砂浜に向かって進んで行った。27:41 ところが、二つの潮流に挟まれた浅瀬に乗り上げて、船を座礁させてしまった。船首はめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波によって壊れ始めた。27:42 兵士たちは、囚人たちがだれも泳いで逃げないように、殺してしまおうと図った。27:43 しかし、百人隊長はパウロを助けたいと思い、彼らの計画を制止して、泳げる者たちがまず海に飛び込んで陸に上がり、27:44 残りの者たちは、板切れや、船にある何かにつかまって行くように命じた。こうして、全員が無事に陸に上がった。   控訴したパウロが皇帝の裁判を受けるために船で地中海を渡ってイタリア半島のローマに圧送されます。その道で地中海の風浪に遭遇し、破船の危機に瀕しています。パウロは航海の責任を持った水夫でもなく、移送の責任を持った軍人でもありません。パウロは囚人として危機管理のリーダーシップを発揮します。   水夫たちが破船の危険に気づき、小さな救命船舶で脱出しようとした時、彼らを捕まえて船舶運行を維持できるようにし、海岸に着いた時、囚人たちの脱出を憂慮した看守たちが囚人たちを殺そうとした時もパウロのおかげですべての囚人たちが救助されることになります。落ち着き、危機を管理したパウロのおかげで、パウロの予言どおり全員安全に上陸することができました。   船には軍人もいれば水夫もいて囚人もいましたが、生きなければならないという目標はすべて同じです。軍人も囚人も水夫も生き残らなければなりません。その救いを妨げるのは、ただ自分だけが生きるといった人のエゴです。彼らが同じ船に乗船した以上、風浪の前で運命共同体です。一緒に生きるという共同体意識がなく、自分だけ生きるという利己心では全体が危険になります。   生きるという生存意志は誰にとっても大切です。しかし、救いたいというパウロの救いの意志がより強かったため、すべての人は救われ、さらにイタリア半島には救いのメッセンジャーパウロがたどり着きました。歴史的に見ればパウロの上陸以後、ローマ帝国のすべての人がキリストの福音を聞き、信じるようになります。生かす人になりたいと祈ります。

使徒の働き 黙想48 【険しい道】 20230826 (土) 枝川愛の教会 使徒の働き 27章1-12

使徒の働き 27章 1-12 27:1 さて、私たちが船でイタリアへ行くことが決まったとき、パウロとほかの数人の囚人は、親衛隊のユリウスという百人隊長に引き渡された。 27:2 私たちは、アジアの沿岸の各地に寄港して行く、アドラミティオの船に乗り込んで出発した。テサロニケのマケドニア人アリスタルコも同行した。 27:3 翌日、私たちはシドンに入港した。ユリウスはパウロを親切に扱い、友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許した。 27:4 私たちはそこから船出し、向かい風だったので、キプロスの島陰を航行した。 27:5 そしてキリキアとパンフィリアの沖を航行して、リキアのミラに入港した。 27:6 ここで、百人隊長はイタリアへ行くアレクサンドリアの船を見つけて、それに私たちを乗り込ませた。 27:7 何日もの間、船の進みは遅く、やっとのことでクニドの沖まで来たが、風のせいでそれ以上は進めず、サルモネ沖のクレタの島陰を航行した。 27:8 そしてその岸に沿って進みながら、やっとのことで、ラサヤの町に近い「良い港」と呼ばれる場所に着いた。 27:9 かなりの時が経過し、断食の日もすでに過ぎていたため、もはや航海は危険であった。そこでパウロは人々に警告して、 27:10 「皆さん。私の見るところでは、この航海は積荷や船体だけでなく、私たちのいのちにも危害と大きな損失をもたらすでしょう」と言った。 27:11 しかし百人隊長は、パウロの言うことよりも、船長や船主のほうを信用した。 27:12 また、この港は冬を過ごすのに適していなかったので、多数の者たちの意見により、ここから船出し、できれば、南西と北西に面しているクレタの港フェニクスに行き、そこで冬を過ごそうということになった。  ローマに送られるパウロはあくまで‘罪人’の身分でした。たとえ、ユダヤ人たちは彼に罪を見つけられなかったとしても、彼はローマの皇帝に裁判を受けるためにローマへの旅に立ちました。  ローマまでの彼の道は険しいでした。ただ遠いだけではなく、時期も彼らが道を進んでいくには困難な時期でした。大変な航海を続けて、パウロは「良い港」と呼ばれる所に着きました。パウロはそこで、共に行っていた人々にここで冬が過ぎるまで泊まることを警告しました。しかし、船の人々はフェニクスに行って、そこで冬を過ごそうとしました。フェニクスは1年中安全な港で有名だったところだったからです。この事実はパウロも知っていたはずです。    しかし、彼は自分と共にしている人々のことを心配していました。福音を伝えるためにはどんな辛い道でも拒まなかった彼の姿とは少し違うようです。確かに、パウロは福音のために自分の体を惜しまず、その道を歩んで来ましたが、実は、その中でもいつも周りの仲間たちに気を使っていました。自分の事情は考慮しなくても、仲間たちの事情は考慮し、困難な状況にある教会たちに手を借りないように、その旅の途中にも自分の仕事をしながら旅費を備えました。     神様は私たちに隣人愛を命じました。そして、それは私たちの仲間、同じクリスチャンに限ることではありません。パウロは今日、自分の仲間を超えて、彼をローマに送る人々までも愛し、彼らを危機から守ろうとしました。これは彼らに向けたパウロの伝道の一つだったのです。  私たちが隣人愛を実践するためには、まず彼らを大事にしなければなりません。ただ私の力でどうにか愛しようとすれば、彼らの小さい行動一つ一つに傷つき、絶望するだけです。今日のパウロの道のように、私たちが隣人を愛する道は‘険しい道’です。しかし、その人々を神様が愛する者であり、その愛を伝える者として私が呼ばれたという召命感を持って隣人を見ると、神様を愛する私たちはきっと、彼らのことも愛せるでしょう。

사도행전 묵상48 【험난한 여정】 20230826 (토) 사도행전 27장 1-12

사도행전 27장 1-12 27:1 우리가 배를 타고 이달리야에 가기로 작정되매 바울과 다른 죄수 몇 사람을 아구스도대의 백부장 율리오란 사람에게 맡기니 27:2 아시아 해변 각처로 가려 하는 아드라뭇데노 배에 우리가 올라 항해할새 마게도냐의 데살로니가 사람 아리스다고도 함께 하니라 27:3 이튿날 시돈에 대니 율리오가 바울을 친절히 대하여 친구들에게 가서 대접 받기를 허락하더니 27:4 또 거기서 우리가 떠나가다가…

使徒の働き 黙想47 【弁明と証明】 20230825 (金) 枝川愛の教会 使徒の働き 26章24-32

使徒の働き 26章 24-32 26:24 パウロがこのように弁明していると、フェストゥスが大声で言った。「パウロよ、おまえは頭がおかしくなっている。博学がおまえを狂わせている。」 26:25 パウロは言った。「フェストゥス閣下、私は頭がおかしくはありません。私は、真実で理にかなったことばを話しています。 26:26 王様はこれらのことをよくご存じですので、その王様に対して私は率直に申し上げているのです。このことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも、王様がお気づきにならなかったことはない、と確信しています。 26:27 アグリッパ王よ、王様は預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」 26:28 するとアグリッパはパウロに、「おまえは、わずかな時間で私を説き伏せて、キリスト者にしようとしている」と言った。 26:29 しかし、パウロはこう答えた。「わずかな時間であろうと長い時間であろうと、私が神に願っているのは、あなたばかりでなく今日私の話を聞いておられる方々が、この鎖は別として、みな私のようになってくださることです。」 26:30 王と総督とベルニケ、および同席の人々は立ち上がった。 26:31 彼らは退場してから話し合った。「あの人は、死や投獄に値することは何もしていない。」 26:32 また、アグリッパはフェストゥスに、「あの人は、もしカエサルに上訴していなかったら、釈放してもらえたであろうに」と言った。  パウロは当時のユダヤの支配者たちの前で自分のことを‘弁明’しました。しかし、彼の弁明は私たちが知っている弁明とは少し違うようです。彼は自分の目の前に直面している困難を避けるための説明、自分に有利な証言をしたのではなく、むしろ、その状況を悪化させる弁明、自分になさったイエス・キリストのことを表しました。彼はその場で自分を通してイエス・キリストを‘証明’したのです。   ダマスコでイエス様と出会ってから、今まで使徒パウロの生き方は‘イエス・キリストに似ている生き方’でした。彼は自分の生き方を通してイエス・キリストを表していたのです。今、私たちのことを振り返れば、そこには何が表しているでしょうか。    パウロはこの世が問う‘君はクリスチャンなのか。’という質問に、自分の生き方を通して自分がクリスチャンであることを‘証明’しました。そして、この世は今、私たちにも同じ質問を問っています。‘あなたがたはクリスチャンなのか。’という質問に私たちは、もしかしたら、私たちがクリスチャンであることを表すために‘弁明’しなければならないかも知れません。    クリスチャンの目標はイエス・キリストに似た者になることです。その姿を通して、その根源になるイエス・キリストを表し、宣べ伝えることです。イエス・キリストに出会ってからの私の生き方を振り返ると、そこにイエス・キリストだけが表れる生き方、イエス・キリストを証明する生き方になりたいと思います。  https://youtu.be/1zt_jiZA-mk?si=TWxYb6_iS_OTE5lS

사도행전 묵상47 【변명과 증명】 20230825 (금) 사도행전 26장 24-32

사도행전 26장 24-32 26:24 바울이 이같이 변명하매 베스도가 크게 소리 내어 이르되 바울아 네가 미쳤도다 네 많은 학문이 너를 미치게 한다 하니 26:25 바울이 이르되 베스도 각하여 내가 미친 것이 아니요 참되고 온전한 말을 하나이다 26:26 왕께서는 이 일을 아시기로 내가 왕께 담대히 말하노니 이 일에 하나라도 아시지 못함이 없는 줄 믿나이다 이 일은 한쪽…

使徒の働き 黙想46 【パウロを変えたこと】 20230824 (木) 枝川愛の教会 使徒の働き 26章13~23

使徒の働き 26章13~2326:13 その途中のこと、王様、真昼に私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と私に同行していた者たちの周りを照らしました。26:14 私たちはみな地に倒れましたが、そのとき私は、ヘブル語で自分に語りかける声を聞きました。『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い。』26:15 私が『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、主はこう言われました。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。26:16 起き上がって自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たことや、わたしがあなたに示そうとしていることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。26:17 わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのところに遣わす。26:18 それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。』26:19 こういうわけで、アグリッパ王よ、私は天からの幻に背かず、26:20 ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤ地方全体に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えてきました。26:21 そのために、ユダヤ人たちは私を宮の中で捕らえ、殺そうとしたのです。26:22 このようにして、私は今日に至るまで神の助けを受けながら、堅く立って、小さい者にも大きい者にも証しをしています。そして、話してきたことは、預言者たちやモーセが後に起こるはずだと語ったことにほかなりません。26:23 すなわち、キリストが苦しみを受けること、また、死者の中から最初に復活し、この民にも異邦人にも光を宣べ伝えることになると話したのです。」   パウロはダマスコスで会ったイエス·キリストをアグリッパ王の前で証しします。パウロの証言を聞いてみると、パウロは確かに人生が変わりました。しかし、パウロの変化というのは、人生の目的を以前のままにして教会だけ通うような形だけの変化ではありませんでした。福音によって変わったということは教会に出席したり、以前よりう少しいい人になったという意味ではありません。人生の追い求める価値と方向が転換することです。   福音というのは、学習を通じて知的に理解できるようなものではありません。福音は神様が悲惨な一人の人間に来られ、出会ってくださる人格的な経験です。聖徒の献身というのは、そのような福音に出会った結果です。献身ができないということは、まだ福音を知的にしか知らないからです。パウロの人生は既得権者から迫害を受ける立場に変わりましたが、それも信仰の告白と献身の結果です。単純です。言わざるを得ないから言い続ける、それがもたらす結果も受け入れざる得ません。   自分を変えた証し···何が変わったのでしょう?教会に通うことになりましたか?もっと優しくなりましたか?もっといい人になりましたか?それは形であり、一部分に過ぎず、実際ではありません。 パウロは昔も今も熱心です。イエス・キリストを信じたから熱心に働いたのではなく、もともと熱心に生きていた人です。ただ、何のために熱心だったのかが大切です。福音を信じてそれを伝え続ける人生に変化したのがパウロの証しです。パウロには確かに偉大なもの、素晴らしいものがたくさんありますが、それらのすべてはイエス·キリストの出会いから始まります。