民数記 黙想 【いけにえこそが従順】 20250331(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

民数記 7:10~89 7:10 祭壇に油注ぎが行われた日に、族長たちは祭壇奉献のためのささげ物を献げた。族長たちが自分たちのささげ物を祭壇の前に近づけたとき、 7:11 主はモーセに言われた。「族長たちは一日に一人ずつの割合で、祭壇奉献のために彼らのささげ物を献げなければならない。」 7:12 最初の日にささげ物を献げたのは、ユダ部族のアミナダブの子ナフションであった。 7:13 そのささげ物は、聖所のシェケルで重さ百三十シェケルの銀の皿一枚、七十シェケルの銀の鉢一つ。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱいに入れてあった。 7:14 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。 7:15 全焼のささげ物として若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊一匹。 7:16  罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹。 7:17 交わりのいけにえとして雄牛二頭、雄羊五匹、雄やぎ五匹、一歳の雄の子羊五匹。これがアミナダブの子ナフションのささげ物であった。 7:18 二日目にはイッサカルの族長、ツアルの子ネタンエルが献げた。 7:19 彼は、ささげ物として聖所のシェケルで重さ百三十シェケルの銀の皿一枚、七十シェケルの銀の鉢一つを献げた。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱいに入れてあった。 7:20 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。 7:21 全焼のささげ物として若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊一匹。 7:22 罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹。 7:23 交わりのいけにえとして雄牛二頭、雄羊五匹、雄やぎ五匹、一歳の雄の子羊五匹。これがツアルの子ネタンエルのささげ物であった。 7:24 三日目は、ゼブルン族の族長、ヘロンの子エリアブ。 7:25 そのささげ物は、聖所のシェケルで重さ百三十シェケルの銀の皿一枚、七十シェケルの銀の鉢一つ。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱいに入れてあった。 7:26 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。 7:27 全焼のささげ物として若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊一匹。 7:28 罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹。 7:29 交わりのいけにえとして雄牛二頭、雄羊五匹、雄やぎ五匹、一歳の雄の子羊五匹。これがヘロンの子エリアブのささげ物であった。 7:30 四日目は、ルベン族の族長、シェデウルの子エリツル。 7:31 そのささげ物は、聖所のシェケルで百三十シェケルの銀の皿一枚、七十シェケルの銀の鉢一つ。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱいに入れてあった。 7:32 また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。 7:33 全焼のささげ物として若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊一匹。 7:34 罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹。 7:35 交わりのいけにえとして雄牛二頭、雄羊五匹、雄やぎ五匹、一歳の雄の子羊五匹。これがシェデウルの子エリツルのささげ物であった。 7:36…

민수기 묵상 【제사가 곧 순종】 20250331(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

민수기 7:10~89 7:10 단에 기름을 바르던 날에 족장들이 단의 봉헌을 위하여 예물을 가져다가 그 예물을 단 앞에 드리니라 7:11 여호와께서 모세에게 이르시기를 족장들은 하루 한 사람씩 단의 봉헌 예물을 드릴지니라 하셨더라 7:12 제 일 일에 예물을 드린 자는 유다 지파 암미나답의 아들 나손이라 7:13 그 예물은 성소의 세겔대로 일백 삼십 세겔중 은반 하나와 칠십 세겔중…

民数記 黙想 【ねたみのためのささげ物】 20250327(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

民数記 5:11~31 5:11 主はモーセにこう告げられた。 5:12 「イスラエルの子らに告げよ。もし人の妻が道を外して夫の信頼を裏切り、 5:13 ほかの男が彼女と寝て交わり、そのことが夫の目から隠れていて、彼女が身を汚したことが見つからず、証人もなく、彼女が捕らえられないままであるが、 5:14 妻が身を汚していて、夫にねたみの心が起こり、妻に対して憤る場合、あるいは妻が身を汚していないのに、夫にねたみの心が起こり、妻に対して憤る場合、 5:15 夫は妻を祭司のところに連れて行き、彼女のために大麦の粉十分の一エパをささげ物として携えて行きなさい。この上に油を注いでも乳香を加えてもいけない。これはねたみのためのささげ物、咎を思い出させる、覚えの分としての穀物のささげ物だからである。 5:16 祭司は、その女を進み出させ、主の前に立たせる。 5:17 祭司は聖なる水を土の器に取る。そして祭司は幕屋の床にある土のちりを取って、その水に入れる。 5:18 祭司は女を主の前に立たせ、その女の髪の毛を乱れさせて、その両方の手のひらに、覚えの分としての穀物のささげ物、すなわち、ねたみのためのささげ物を置く。一方、祭司の手には、のろいをもたらす苦みの水があるようにする。 5:19 祭司は女に誓わせて、この女に言う。『もし、ほかの男があなたと寝たことがなく、またあなたが夫のもとにあるのに、道ならぬことをして身を汚したことがないなら、あなたは、のろいをもたらすこの苦みの水の害を受けないように。 5:20 しかし、もしあなたが夫のもとにあるのに、道ならぬことをして身を汚し、夫以外の男があなたと寝たのであれば──』 5:21 ここで祭司はその女にのろいの誓いを立てさせて、その女に言う。『主があなたのももを痩せ衰えさせ、あなたの腹をふくれさせ、あなたの民のうちにあって、主があなたをのろいと非難の的とされるように。 5:22 また、のろいをもたらすこの水があなたのからだに入って腹をふくれさせ、ももを痩せ衰えさせるように。』そしてその女は、『アーメン、アーメン』と言う。 5:23 祭司はこののろいを書き物に書き、それを苦みの水の中に洗い落とす。 5:24 のろいをもたらすこの苦みの水を彼女に飲ませると、のろいをもたらす水が彼女の中に入って、苦くなる。 5:25 祭司は女の手から、ねたみのためのささげ物を取り、この穀物のささげ物を主に向かって揺り動かし、それを祭壇に近づける。 5:26 祭司は、穀物のささげ物から、覚えの分としてひとつかみを取り、それを祭壇で焼いて煙にする。その後で女に先の水を飲ませる。 5:27 その水を飲ませたとき、もし、その女が夫の信頼を裏切って身を汚していれば、のろいをもたらす水はその女の中に入って苦くなり、その腹はふくれて、そのももは痩せ衰える。その女はその民の間で、のろいの的となる。 5:28 しかし、もし女が身を汚しておらず、きよければ、罰を免れて、子を宿すようになる。 5:29 これが、ねたみについてのおしえである。女が夫のもとにあるのに、道ならぬことをして身を汚したり、 5:30 または夫にねたみの心が起こって、自分の妻に対して憤ったりする場合には、その妻を主の前に立たせる。そして祭司は彼女にこのおしえのすべてを行う。 5:31 夫に咎はなく、妻が自分の咎を負うのである。」 本日の本文には、姦淫の疑いをかけられた妻が登場します。疑いはあるものの明確な証拠がない場合に、その真偽を明らかにするための制度が記されています。夫はねたみのためのささげ物を捧げますが、これは裁きと判決の意味を含んでいます。このささげ物によって真実が明らかになると、罪のある者は呪いを受け、無実の者は名誉を回復します。民数記には男性側に対する規定はありませんが、女性の姦淫に関するこの制度は、社会的に発言権のなかった女性を守るための装置でもありました。 現代社会では、個人の性的自己決定権が強調され、不倫や姦通はもはや罪とは見なされない時代になっています。性は私的な権利と解釈され、結婚や家族の公共的意味や共同体における責任は徐々に希薄になっています。しかしながら、家庭は私的な領域であると同時に、公共秩序を維持する上で最も重要で基本的な単位でもあります。不倫は単なる道徳的逸脱としてではなく、法的に結ばれた婚姻契約の違反であり、社会的信頼と共同体の正義を損なう「契約不履行行為」として理解されるべきです。 したがって、事実関係を明らかにし、責任を問う手続きは、共同体の秩序を回復するための当然の措置でした。「ねたみのためのささげ物」は、夫の嫉妬心を晴らすための儀式ではありません。そのような感情のままでは礼拝を捧げることはできません。このささげ物は、真実を神様の御前に委ね、問題の解決と関係の回復を願う「請願の行為」なのです。時代や性別、宗教の有無に関係なく、夫婦と家庭という単位は神様が定められた秩序です。その中でこそ、本当の自由と慰めを共に味わうことができるのです。

민수기 묵상 【질투의 소제】 20250327(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

민수기 5:11~31 5:11 여호와께서 모세에게 일러 가라사대 5:12 이스라엘 자손에게 고하여 그들에게 이르라 만일 어떤 사람의 아내가 실행하여 남편에게 범죄하여 5:13 타인과 정교를 하였으나 그 남편의 눈에 숨겨 드러나지 아니하였고 그 여자의 더러워진 일에 증인도 없고 그가 잡히지 아니하였어도 5:14 그 더러워짐을 인하여 남편이 의심이 생겨서 그 아내를 의심하든지 또는 아내가 더럽히지 아니하였어도 그 남편이…

민수기 묵상 【마음을 증명해 보려면】 20250326(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

민수기 5:1~10 5:1 여호와께서 모세에게 일러 가라사대 5:2 이스라엘 자손에게 명하여 모든 문둥병 환자와 유출병이 있는 자와 주검으로 부정케 된 자를 다 진 밖으로 내어 보내되 5:3 무론 남녀하고 다 진 밖으로 내어 보내어 그들로 진을 더럽히게 말라 내가 그 진 가운데 거하느니라 하시매 5:4 이스라엘 자손이 그같이 행하여 그들을 진 밖으로 내어 보내었으니 곧…

民数記 黙想 【心を明かしたいなら】 20250325(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

民数記 5:1~10 5:1 主はモーセにこう告げられた。 5:2 「イスラエルの子らに命じて、ツァラアトに冒された者、漏出を病む者、死体によって身を汚している者をすべて宿営の外に追い出せ。 5:3 男でも女でも追い出し、彼らを宿営の外に追い出し、わたしがそのただ中に住む宿営を、彼らが汚さないようにしなければならない。」 5:4 イスラエルの子らはそのようにして、彼らを宿営の外に追い出した。主がモーセに告げられたとおりにイスラエルの子らは行った。 5:5 主はモーセにこう告げられた。 5:6 「イスラエルの子らに告げよ。男にせよ、女にせよ、他人に何か一つでも罪となることを行って主の信頼を裏切り、後になって、その人自身がその責めを覚えたときは、 5:7 自分が行った罪を告白しなければならない。その人は償いとして総額を弁償し、それにその五分の一を加えて、償いの責めを果たすべき相手に支払わなければならない。 5:8 もしその相手の人に、償いを受け取る権利のある親類がいなければ、その咎のために弁償されたものは主のものであり、祭司のものとなる。そのほか、その人のために宥めを行うための、宥めの雄羊もそうなる。 5:9 こうして、イスラエルの子らが祭司のところに携えて来るすべての聖なるものは、どの奉納物も祭司のものとなる。 5:10 聖なるささげ物は、人のもとにあればその人のものであるが、人が祭司に与えるものは祭司のものとなる。」 第5章に入ると、ツァラアトに冒された者、漏出を病む者、死体によって身を汚している者は宿営の外に出され、共同体全体が汚れないように命じられています。これは内面的な衛生と保健に関する指示です。感染症にかかっていたり、衛生的に危険にさらされている人々を隔離することが求められています。しかし、これは追放や排除を目的とするものではなく、共同体全体の健康を守るための措置です。回復すれば、再び共同体に戻ることができます。共同体全体が汚染されてしまえば、少数の病者を救う手立ても失われてしまうからです。少数者は尊重されるべきですが、同時に少数者も多数者を尊重しなければなりません。 罪を犯して他人に被害を与えた人は、まず自分の罪を認め、反省し、謝罪しなければなりません。法律の抜け道を利用して理屈で争おうとすることは、法律の本来の趣旨を無視し、立法者である神様を欺こうとすることです。法律と罰があるのは、過ちに気づき、反省し、悔い改めるためです。被害を受けた人には、元金に加えて20%の損害賠償をしなければなりません。被害者に補償せずに「神様が許された」と言うのは、裁き主である神様を侮辱する行為です。究極的な目的は、罪人を処罰することではなく、市民の安全と財産を守るためなのです。 被害者が存在しない場合や相続人がいない場合、賠償金は祭司に渡されます。また、神様にささげるすべての聖なるもののうち、祭司が受け取るべき分は必ず祭司に与えられなければなりません。それは祭司の特権ではなく、収入の仕組みなのです。民には土地が分配され、労働と経済的な機会が与えられましたが、祭司たちには最初から資本が与えられていませんでした。彼らは民が神様にささげた聖物の中から一部を収入として得ました。経済的利益を追求するのではなく、宗教的奉仕に集中していたのです。祭司の収入の権利が強調されているのは、継続的で安定した礼拝を維持するために、宗教的かつ社会的基盤が必要だったからです。 律法は心を守るために与えられたものです。汚れた者は、自ら進んで共同体のために隔離されなければなりません。他者に害を与えないようにするためには、自分の権利を制限しなければなりません。そうしてこそ、共同体を大切に思う心が示されるのです。他人に被害を与えた場合には、口で謝罪するだけでなく、金銭的に賠償しなければなりません。それによって、心から謝罪しようとする真実さが証明されるのです。礼拝をささげるには、心を込めた供え物が伴わなければなりません。そうしてこそ、礼拝を慕う心を自ら確認することができるのです。 口先だけでは、心を証明することはできません。口だけの言葉では、真の心を示すことはできません。それは本当の「心」ではないのです。お金を惜しむ心が露わになるだけです。支払ってこそ、本当の心が証明されるのです。救いは決して「ただ」ではありません。「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。ローマ5:8」イエス様が私の代わりに死んでくださったことで、私に対する愛を明らかにしてくださいました。イスラエルは、自分の権利を保留したり譲渡したりすることによって、自らの心を証明し、それを通して社会の安全、個人の命と財産、共同体の礼拝が守られたのです。

民数記 黙想 【聖別した職務】 20250325(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

民数記 4:34~49 4:34 そこでモーセとアロンと会衆の上に立つ族長たちは、ケハテ族をその氏族ごと、一族ごとに、 4:35 三十歳以上五十歳までの者で、会見の天幕での奉仕の務めに就くことのできる者を、すべて登録した。 4:36 その氏族ごとに登録された者は、二千七百五十人であった。 4:37 これはケハテ人諸氏族で登録された者であって、会見の天幕で奉仕する者の全員であり、モーセを通して示された主の命によって、モーセとアロンが登録した者たちである。 4:38 ゲルション族で、その氏族ごと、一族ごとに登録され、 4:39 三十歳以上五十歳までの者で、会見の天幕での奉仕の務めに就くことのできる者の全員、 4:40 その氏族ごと、一族ごとに登録された者は、二千六百三十人であった。 4:41 これはゲルション人諸氏族で登録された者たちで、会見の天幕で奉仕する者の全員であり、主の命により、モーセとアロンが登録した者たちである。 4:42 メラリ人諸氏族で、その氏族ごと、一族ごとに登録され、 4:43 三十歳以上五十歳までの者で、会見の天幕での奉仕の務めに就くことのできる者の全員、 4:44 その氏族ごとに登録された者は、三千二百人であった。 4:45 これはメラリ人諸氏族で登録された者であり、モーセを通して示された主の命により、モーセとアロンが登録した者たちである。 4:46 モーセとアロンとイスラエルの族長たちが、レビ人を、その氏族ごと、一族ごとに登録した登録者の全員、 4:47 三十歳以上五十歳までの者で、会見の天幕で労働の奉仕と運搬の奉仕をする者の全員、 4:48 その登録された者は、八千五百八十人であった。 4:49 彼らは主の命により、モーセを通して任じられ、それぞれその奉仕とその運ぶ物を受け持った。主がモーセに命じた、主によって登録された者たちである。 民数記の始まりは、イスラエルの宿営の配置と、幕屋を中心とした共同体としての移動と礼拝体制を整える過程です。その核心には、レビ人の特別に区別された役割があります。本日の本文では、コハテ族、ゲルション族、メラリ族に代表されるレビ人たちを、三十歳から五十歳まで数え、それぞれに幕屋奉仕の役割を割り当てています。 神様がレビ人を選ばれ、またコハテ族やゲルション族など、特定の系統を指名されたのは、神様の主権的な選びによるものです。神様がレビ人を選ばれたのは、彼らの能力や道徳的な優越性によるのではなく、全く神様の主権的な区別によるものです。彼らが聖なる者であったから区別されたのではなく、神様によって選ばれ、聖別された務めを委ねられたことによって、聖とされたのです。 へブル人への手紙では、イエス・キリストはレビの系統ではなく、メルキゼデクの位に等しい大祭司として説明されています。メルキゼデクは系譜を持たず、始まりも終わりもない存在として、永遠の祭司として登場します。レビ人の使命は、神様に近づくための道を備える仲介的な役割であったことは明らかです。しかし、それはあくまでも「型」であり、イエス・キリストこそがその務めを成就された「実体」です。 レビ人の務めは、イエス・キリストにおいてその実体が明らかにされ、もはや繰り返す必要のない完全なものへと置き換えられました。イエス・キリストの務めは、唯一無二の仲介者としての役割です。贖いを成し遂げ、神と人との和解を実現するという特別な使命を担って、この地に来られた人としてのイエス。その方が担われた職務、すなわちキリストこそが、真に聖別された職務なのです。

민수기 묵상 【성별된 직무】 20250325(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

민수기 4:34~49 4:34 모세와 아론과 회중의 족장들이 고핫 자손들을 그 가족과 종족대로 계수하니 4:35 삼십 세 이상으로 오십 세까지 회막 봉사에 입참하여 일할 만한 모든 자 4:36 곧 그 가족대로 계수함을 입은 자가 이천 칠백 오십이니 4:37 이는 모세와 아론이 여호와께서 모세로 명하신 대로 회막에서 종사하는 고핫인의 모든 가족 중 계수한 자니라 4:38 게르손 자손의…

民数記 黙想 【動く幕屋、留まる臨在】 20250324(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

民数記 4:21~33 4:21 主はモーセにこう告げられた。 4:22 「あなたはまた、ゲルション族の頭数を、その一族ごと、氏族ごとに調べ、 4:23 三十歳以上五十歳までの者で会見の天幕で任務に当たり、奉仕をすることのできる者をすべて登録しなければならない。 4:24 ゲルション人諸氏族のなすべき奉仕と運ぶ物は次のとおりである。 4:25 幕屋の幕、会見の天幕とその覆い、その上に掛けるじゅごんの皮の覆い、会見の天幕の入り口の垂れ幕を運び、 4:26 また庭の掛け幕、幕屋と祭壇の周りを取り巻く庭の門の入り口の垂れ幕、それらのひも、およびそれらに用いるすべての用具を運び、これらに関係するすべての奉仕をしなければならない。 4:27 ゲルション族のすべての奉仕、すなわち、彼らが運ぶすべての物と彼らのすべての仕事は、アロンとその子らの命令によらなければならない。あなたがたは彼らに、任務として、彼らが運ぶ物をすべて割り当てなければならない。 4:28 以上がゲルション人諸氏族の会見の天幕における奉仕で、彼らの任務は祭司アロンの子イタマルの指揮下にある。 4:29 メラリ族について、あなたはその氏族ごと、一族ごとに、彼らを登録しなければならない。 4:30 三十歳以上五十歳までの者で、務めに就き、会見の天幕の奉仕をすることができる者たちをすべて、登録しなければならない。 4:31 会見の天幕での彼らのすべての奉仕の中で、彼らが任務として運ぶ物は次のとおりである。幕屋の板、その横木、その柱とその台座、 4:32 庭の周りの柱と、その台座、杭、ひも、これらの備品と、その奉仕に使うすべての物である。あなたがたは、彼らが任務として運ぶ備品を、名を挙げて割り当てなければならない。 4:33 これが会見の天幕でのすべての仕事に関するメラリ人諸氏族の奉仕で、これは祭司アロンの子イタマルの指揮下にある。」 イスラエルが幕屋を運ばなければならなかったのは、彼らが荒野を旅する民であったからです。出エジプトした民は、荒野でしばらくの間留まりはしますが、やがて再び出発しなければなりませんでした。そのたびに幕屋もまた共に移動しなければなりませんでした。移動は面倒で大変なことだったでしょう。しかし、いつ出発し、いつ留まるのかを決めるのは神様ご自身であり、民が移動する際に最も重要で優先すべきことは、神様のご臨在の象徴である幕屋を整えることでした。巡礼の旅路を歩む信仰者は、一か所に留まり続けることはできません。しかし、幕屋が共に移動するところには、神様がその中に宿られ、臨在されるのです。 幕屋の運搬は、誰でもできることではありませんでした。レビ族の中でも、ゲルションの子らとメラリの子らに、それぞれの職務と役割が明確に分けられていました。ゲルション族は幕屋の幕、覆い、庭の幕などを担当し、メラリ族は幕屋の板、柱、台座、縄など、構造物を担当しました。たとえて言えば、ゲルションはソフトウェアを、メラリはハードウェアを運んだようなものです。土木担当がメラリなら、内装・設計担当がゲルションといえるでしょう。彼らの働きは、祭司アロンの子イタマルの監督のもとで行われ、すべては神が定められた聖なる秩序の中で遂行されました。 幕屋に関するこのような規定は、制限ではなく、むしろ神の特別な許可であり恵みでした。誰でも触れられないということは、接近が禁止されているのではなく、神様が定められた方法によってのみ接触が許されるという、特別な許しなのです。「なぜ自分はできないのか」と問うのではなく、「どのようにして神様は道を開いてくださったのか」を思い巡らすべきです。聖なるものに近づく道は、人間の積極的な努力によって開かれるのではなく、常に神様が開いてくださる道を通してのみ可能なのです。 Ⅱサムエル6章では、ウザが契約の箱が落ちそうになるのを心配して手を伸ばし、その結果、死んでしまった出来事が描かれています。この出来事も、まさに本日の本文である民数記の規定に基づいたものです。ウザは契約の箱が心配で、それを支えようとしただけでした。しかし、その行為によって彼は命を失いました。ここで、私たちは神様の臨在に対して人間がどのような立場にあるのかという現実に直面します。幕屋が神様の臨在を象徴しているとはいえ、人間は本来、その臨在に自ら近づくことのできない存在です。人間が神様と触れ合うことができるのは、ただイエス・キリストのうちにおいてのみ、限定的に許されているのです。神様が認め、許された道を通してのみ、私たちは神様の臨在を経験することができます。だからこそ、イエス・キリストこそが「道」なのです。この制限と区別は、言い換えれば唯一無二の特別な恵みなのです。 ETC礼拝は、借りた場所を転々としなければならない移動型の礼拝です。礼拝と交わりに必要な物を持って、場所ごとに移動する必要があります。しかし、そのように運ばれてきた物が、ある借りた場所の中に配置され、礼拝が始まるとき、その場に神様が臨在してくださいます。私たちが神様の臨在を求め、経験できるのは、その空間によってでも、物によってでもありません。神様が、人間がご自身の前に出ることができるように、また人間が神様と触れ合えるように、「道」を開いてくださったからです。その道こそ、イエス・キリストです。今もなお、私たちは制限されたまま神様に近づいていきます。しかし、そのただひとつの開かれた道――それはイエス・キリストを通しての道なのです。私たちは、イエス・キリストという礼拝の装置を携えて、移動しています。

민수기 묵상 【움직이는 성막, 머무는 임재】 20250324(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

민수기 4:21~33 4:21 여호와께서 또 모세에게 일러 가라사대 4:22 게르손 자손도 그 종족과 가족을 따라 총계하되 4:23 삼십 세 이상으로 오십 세까지 회막 봉사에 입참하여 일할 만한 모든 자를 계수하라 4:24 게르손 가족의 할 일과 멜 것은 이러하니 4:25 곧 그들은 성막의 앙장들과 회막과 그 덮개와 그 위의 해달의 가죽 덮개와 회막 문장을 메이며 4:26…