ヨハネの福音書 黙想 【十字架につけろ】 20250307(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ヨハネの福音書 19:1-13 19:1 それでピラトは、イエスを捕らえてむちで打った。 19:2 兵士たちは、茨で冠を編んでイエスの頭にかぶらせ、紫色の衣を着せた。 19:3 彼らはイエスに近寄り、「ユダヤ人の王様、万歳」と言って、顔を平手でたたいた。 19:4 ピラトは、再び外に出て来て彼らに言った。「さあ、あの人をおまえたちのところに連れて来る。そうすれば、私にはあの人に何の罪も見出せないことが、おまえたちに分かるだろう。」 19:5 イエスは、茨の冠と紫色の衣を着けて、出て来られた。ピラトは彼らに言った。「見よ、この人だ。」 19:6 祭司長たちと下役たちはイエスを見ると、「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ。ピラトは彼らに言った。「おまえたちがこの人を引き取り、十字架につけよ。私にはこの人に罪を見出せない。」 19:7 ユダヤ人たちは彼に答えた。「私たちには律法があります。その律法によれば、この人は死に当たります。自分を神の子としたのですから。」 19:8 ピラトは、このことばを聞くと、ますます恐れを覚えた。 19:9 そして、再び総督官邸に入り、イエスに「あなたはどこから来たのか」と言った。しかし、イエスは何もお答えにならなかった。 19:10 そこで、ピラトはイエスに言った。「私に話さないのか。私にはあなたを釈放する権威があり、十字架につける権威もあることを、知らないのか。」 19:11 イエスは答えられた。「上から与えられていなければ、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに引き渡した者に、もっと大きな罪があるのです。」 19:12 ピラトはイエスを釈放しようと努力したが、ユダヤ人たちは激しく叫んだ。「この人を釈放するのなら、あなたはカエサルの友ではありません。自分を王とする者はみな、カエサルに背いています。」 19:13 ピラトは、これらのことばを聞いて、イエスを外に連れ出し、敷石、ヘブル語でガバタと呼ばれる場所で、裁判の席に着いた。  イエス様の十字架は私たちの罪を赦すためであるということを、これまでのヨハネの福音書の黙想を通して見てきました。そして、それがイエス様を遣わされた父なる神様の御心、父なる神様が許されたことであるということも見ることができました。    私たちは使徒信条を通して「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と、ピラトがイエス様を十字架につけたこと、その判決を下したことを覚えると同時に、その十字架につけられたイエス・キリストを覚えます。しかし、今日の箇所は、イエス様を十字架につけたのが本当にピラトなのか、私たちに改めて考えさせます。    ユダヤの総督という権威は確かに死刑の判決を下す権限を持ち、イエス様を十字架につける権限を持っています。しかし、イエス様が言われたように、その権威は上から、つまり神様から与えられた権威であります。そのような神様から与えられた権威を持っていたにもかかわらず、ピラトが恐れていたのは、神様ではなく人間でした。イエス様を十字架につけなければ、ローマに背いた者を死刑にしなかったという罪をピラトに適用しようとした人々でした。そのため、ピラトは、高い所という意味を持つヘブル語、ガバタに自ら座りました。    イエス様はピラトに向かって「わたしをあなたに引き渡した者に、もっと大きな罪があるのです」と言われました。自ら高い所、神の御座に座って十字架での死刑を宣告したピラトの罪は重大です。しかし、それよりもそのピラトの前にイエス様を引き渡した者たちの罪がさらに大きいのです。    イエス様をこの所に引き渡したユダヤ人たち、私たちはその姿を想像しながら当時のユダヤ人たちの愚かさを訴えようしますが、私たちは覚えなければなりません。なぜ神様がピラトにイエス様を十字架につける権威を与えられたのか、なぜそのことを許されたのか、それは自分を引き渡したもっと大きな罪をもっている者たちを救うためでした。    ユダヤ人たちはピラトに「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫びます。彼らの罪はますます大きくなっていきます。しかし、だからこそイエス様は十字架につけられなければなりませんでした。彼らが自らでは償うことができないその罪を、イエス様が贖わなければならなかったからです。    彼らがイエス様を十字架につけようとすればするほど、イエス様が十字架につけられなければならなくなっていったように、私たちが持っている罪が、今もユダヤ人たちのように叫んでいるのです。「イエスを十字架につけろ」と。イエス様を十字架につけたのはピラトだけではありません。ユダヤ人たちだけでもありません。今を生きている私たちもです。そのような私たちのために、イエス様は自ら進んで十字架につけられたのです。 https://youtu.be/TaIUDJUsvYU?si=zIUl5fqyEcDT_Iu_

요한복음 묵상 【십자가에 못 박으소서】 20250307(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

요한복음 19:1-13 19:1 이에 빌라도가 예수를 데려다가 채찍질하더라 19:2 군인들이 가시나무로 관을 엮어 그의 머리에 씌우고 자색 옷을 입히고 19:3 앞에 가서 이르되 유대인의 왕이여 평안할지어다 하며 손으로 때리더라 19:4 빌라도가 다시 밖에 나가 말하되 보라 이 사람을 데리고 너희에게 나오나니 이는 내가 그에게서 아무 죄도 찾지 못한 것을 너희로 알게 하려 함이로라 하더라 19:5…

ヨハネによる福音書 黙想 【第3の犯人】 20250306(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ヨハネによる福音書 18:28~40 18:28 さて、彼らはイエスをカヤパのもとから総督官邸に連れて行った。明け方のことであった。彼らは、過越の食事が食べられるようにするため、汚れを避けようとして、官邸の中には入らなかった。 18:29 それで、ピラトは外に出て、彼らのところに来て言った。「この人に対して何を告発するのか。」 18:30 彼らは答えた。「この人が悪いことをしていなければ、あなたに引き渡したりはしません。」 18:31 そこで、ピラトは言った。「おまえたちがこの人を引き取り、自分たちの律法にしたがってさばくがよい。」ユダヤ人たちは言った。「私たちはだれも死刑にすることが許されていません。」 18:32 これは、イエスがどのような死に方をするかを示して言われたことばが、成就するためであった。 18:33 そこで、ピラトは再び総督官邸に入り、イエスを呼んで言った。「あなたはユダヤ人の王なのか。」 18:34 イエスは答えられた。「あなたは、そのことを自分で言っているのですか。それともわたしのことを、ほかの人々があなたに話したのですか。」 18:35 ピラトは答えた。「私はユダヤ人なのか。あなたの同胞と祭司長たちが、あなたを私に引き渡したのだ。あなたは何をしたのか。」 18:36 イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」 18:37 そこで、ピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたの言うとおりです。わたしは、真理について証しするために生まれ、そのために世に来ました。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」 18:38 ピラトはイエスに言った。「真理とは何なのか。」こう言ってから、再びユダヤ人たちのところに出て行って、彼らに言った。「私はあの人に何の罪も認めない。 18:39 過越の祭りでは、だれか一人をおまえたちのために釈放する慣わしがある。おまえたちは、ユダヤ人の王を釈放することを望むか。」 18:40 すると、彼らは再び大声をあげて、「その人ではなく、バラバを」と言った。バラバは強盗であった。   大祭司たちはイエス様を直ちに殺したいと考えていましたが、ローマから辛うじて宗教的な自治権のみを認められていた彼らには、死刑を宣告し執行する司法権がありませんでした。そこで彼らはイエス様をローマ総督ポンティオ・ピラトのもとへ引き渡し、世論を動員して植民地の騒乱を恐れる総督府に圧力をかけました。ピラトはイエス様に対し、政治的な反逆の罪があるかどうか尋問し、「あなたはユダヤ人の王なのか?」と問いました。すると、イエス様は「私の国はこの世には属していません」と答えられました。ピラトはイエス様に政治犯罪の証拠を見つけることができず、過越の祭りの恩赦として釈放しようとしました。 しかし、ユダヤ人たちはイエス様ではなくバラバを釈放するよう要求しました。バラバは強盗として紹介されますが、過激な解放主義者として民衆の支持を得ていました。イエス様ではなくバラバを選ぶということも、彼らの政治的な選択だったのです。ユダヤの宗教指導者たちは自らの権力を守るために民衆を扇動し、政治的な圧力と陰謀を駆使してイエス様の処刑を求めました。彼らの目的は信仰ではなく権力であり、その手段は扇動と暴力、殺人でした。 イエス様を死へ追いやったのはローマではなくユダヤであり、政治ではなく宗教でした。この逆説は歴史の中で絶えず繰り返され、現在も再現されています。ローマと政治は外的な問題であり、ユダヤと宗教は内面的な問題です。イエス様が十字架にかけられることは、外部で起こった事件ではなく、私たちの心の中で今も繰り返されている出来事なのです。権力と利益にとらわれた宗教は、いつでもイエス様を再び十字架にかけます。 ニコス・カザンザキスの『キリストは再び十字架にかけられる』は、宗教的な偽善と人間社会の不条理を暴いた小説です。ギリシャの小さな村では、宗教指導者たちが自らの特権を守るために貧しい難民を見捨て、イエス様の教えを実践しようとする者たちを弾圧します。彼らは表向きには信仰を掲げながらも、実際には貪欲と権力欲に支配されていました。カザンザキスは、宗教が本来の役割を失い、信仰の守護者ではなく信仰の敵となったことを告発します。 イエス・キリストの死は過去の出来事として終わったのではなく、時代や状況が変わっても今なお繰り返される現実です。宗教は絶えずイエス様を再び十字架にかけてきました。それを阻止する唯一の方法は、宗教が利益を追求し声を高めるのではなく、頭を垂れ、自らを省みることです。ローマのせいにはできません。殺害の犯人はピラトではなく、カヤパでもありません。第三の犯人、それは 私 です。私のために十字架につけられたイエス様、そのイエス様を 私の手で 十字架につけたのです。そうでなければ、十字架と私の関係を見出すことはできません。

요한복음 묵상 【제3의 범인】 20250306(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한복음 18:28~40 18:28 저희가 예수를 가야바에게서 관정으로 끌고 가니 새벽이라 저희는 더럽힘을 받지 아니하고 유월절 잔치를 먹고자 하여 관정에 들어가지 아니하더라 18:29 그러므로 빌라도가 밖으로 저희에게 나가서 말하되 너희가 무슨 일로 이 사람을 고소하느냐 18:30 대답하여 가로되 이 사람이 행악자가 아니었더면 우리가 당신에게 넘기지 아니하였겠나이다 18:31 빌라도가 가로되 너희가 저를 데려다가 너희 법대로 재판하라 유대인들이…

ヨハネによる福音書 黙想 【私はイエスを知らない】 20250305(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ヨハネによる福音書 18:15~27 18:15 シモン・ペテロともう一人の弟子はイエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の家の中庭に入ったが、 18:16 ペテロは外で門のところに立っていた。それで、大祭司の知り合いだったもう一人の弟子が出て来て、門番の女に話し、ペテロを中に入れた。 18:17 すると、門番をしていた召使いの女がペテロに、「あなたも、あの人の弟子ではないでしょうね」と言った。ペテロは「違う」と言った。 18:18 しもべたちや下役たちは、寒かったので炭火を起こし、立って暖まっていた。ペテロも彼らと一緒に立って暖まっていた。 18:19 大祭司はイエスに、弟子たちのことや教えについて尋問した。 18:20 イエスは彼に答えられた。「わたしは世に対して公然と話しました。いつでも、ユダヤ人がみな集まる会堂や宮で教えました。何も隠れて話してはいません。 18:21 なぜ、わたしに尋ねるのですか。わたしが人々に何を話したかは、それを聞いた人たちに尋ねなさい。その人たちなら、わたしが話したことを知っています。」 18:22 イエスがこう言われたとき、そばに立っていた下役の一人が、「大祭司にそのような答え方をするのか」と言って、平手でイエスを打った。 18:23 イエスは彼に答えられた。「わたしの言ったことが悪いのなら、悪いという証拠を示しなさい。正しいのなら、なぜ、わたしを打つのですか。」 18:24 アンナスは、イエスを縛ったまま大祭司カヤパのところに送った。 18:25 さて、シモン・ペテロは立ったまま暖まっていた。すると、人々は彼に「あなたもあの人の弟子ではないだろうね」と言った。ペテロは否定して、「弟子ではない」と言った。 18:26 大祭司のしもべの一人で、ペテロに耳を切り落とされた人の親類が言った。「あなたが園であの人と一緒にいるのを見たと思うが。」 18:27 ペテロは再び否定した。すると、すぐに鶏が鳴いた。   ペテロがイエス様を否認する場面は、聖書の中でも最も悲しい瞬間の一つです。彼はこの記憶を生涯抱え、深く嘆いたことでしょう。そして、この本文を読む私たちも、その場面を思い浮かべるだけで深い悲しみを感じます。信仰の英雄譚として語られたならばよかったのかもしれませんが、ペテロには誇れるものは何もありませんでした。彼は誰よりも熱心にイエス様に従いましたが、身の危険を感じた途端にイエス様を否認してしまいました。それは単なる過ちではなく、ペテロが自身の弱さと人間的な限界を悟る過程だったのです。 しかし、この悲しみと恥の感情は、もしかするとペテロが自らの使命を果たすための前提となっていたのかもしれません。信仰は、神様の恵みのうちに罪を自覚し、キリストの救いの必要性を認識することから始まります。福音を受け入れた信仰者には誇るべきものは何もありません。私たちは皆、自分の小ささ、弱さ、悪を認識し、罪を認めるその惨めさの中で、信仰を始めるのです。 逆説的ですが、ペテロは朝、鶏の鳴き声を聞くたびに、福音へと立ち戻る準備が整っていったのでしょう。もはや自ら誇れるものも、自信を持てるものも何もありませんでした。彼の内にあった情熱さえも、信仰ではなかったことを悟りました。今や、彼はただイエス・キリストの憐れみと救いの成就に頼り、福音の前で自分自身を透き通るように映し出していました。この本文は、ペテロにとっても、私たちにとっても、それを知るだけで十分であることを語っています。偉大さや誇り、強さや能力を信仰の前面に押し出そうとする人々によって、キリスト教信仰は常に危機にさらされてきたのです。 厳密に言えば、ペテロは信仰を捨てたのではありません。しかし、彼はヨハネによる福音書18章の時点で、自らの信仰を完全に理解できず、弱さの中で揺れ動いていました。彼は確かにイエス様に従っていましたが、なぜイエス様を信じなければならないのかを明確には理解していませんでした。だからこそ、彼が三度繰り返した 私はイエスを知らないという言葉は、文字通りに捉えれば間違いではありませんでした。経験的に見ても、ペテロはまだイエス様が誰なのかを完全には理解していなかったのです。 しかし、ペテロは今、自分が何者であるかを学んでいる最中です。彼は、自らの弱さ、臆病さ、偽善的な姿を知ることになります。しかし、イエス様が誰であるかを知るには、もう少し時間が必要でした。しばらく経てば、イエス様が約束された聖霊が訪れ、イエス様が誰であり、何を成し遂げられたのかを示してくださるでしょう。自己を知ることと、イエス・キリストを知ることは密接に関係しているからです。  

요한복음 묵상 【나는 예수를 모릅니다】 20250305(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한복음 18:15~27 18:15 시몬 베드로와 또 다른 제자 하나가 예수를 따르니 이 제자는 대제사장과 아는 사람이라 예수와 함께 대제사장의 집 뜰에 들어가고 18:16 베드로는 문 밖에 섰는지라 대제사장과 아는 그 다른 제자가 나가서 문지키는 여자에게 말하여 베드로를 데리고 들어왔더니 18:17 문 지키는 여종이 베드로에게 말하되 너도 이 사람의 제자 중 하나가 아니냐 하니 그가 말하되…

ヨハネによる福音書 黙想 【父がわたしに下さった杯】 20250304(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ヨハネによる福音書 18:1~14 18:1 これらのことを話してから、イエスは弟子たちとともに、キデロンの谷の向こうに出て行かれた。そこには園があり、イエスと弟子たちは中に入られた。 18:2 一方、イエスを裏切ろうとしていたユダもその場所を知っていた。イエスが弟子たちと、たびたびそこに集まっておられたからである。 18:3 それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやパリサイ人たちから送られた下役たちを連れ、明かりとたいまつと武器を持って、そこにやって来た。 18:4 イエスはご自分に起ころうとしていることをすべて知っておられたので、進み出て、「だれを捜しているのか」と彼らに言われた。 18:5 彼らは「ナザレ人イエスを」と答えた。イエスは彼らに「わたしがそれだ」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒に立っていた。 18:6 イエスが彼らに「わたしがそれだ」と言われたとき、彼らは後ずさりし、地に倒れた。 18:7 イエスがもう一度、「だれを捜しているのか」と問われると、彼らは「ナザレ人イエスを」と言った。 18:8 イエスは答えられた。「わたしがそれだ、と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人たちは去らせなさい。」 18:9 これは、「あなたが下さった者たちのうち、わたしは一人も失わなかった」と、イエスが言われたことばが成就するためであった。 18:10 シモン・ペテロは剣を持っていたので、それを抜いて、大祭司のしもべに切りかかり、右の耳を切り落とした。そのしもべの名はマルコスであった。 18:11 イエスはペテロに言われた。「剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を飲まずにいられるだろうか。」 18:12 一隊の兵士と千人隊長、それにユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、 18:13 まずアンナスのところに連れて行った。彼が、その年の大祭司であったカヤパのしゅうとだったからである。 18:14 カヤパは、一人の人が民に代わって死ぬほうが得策である、とユダヤ人に助言した人である。   イスカリオテのユダはイエス様を売るために出て行き、兵士たちや大祭司の護衛たちを連れてきました。これは、イエス様を大祭司に引き渡すためでした。ペテロは剣を抜き、大祭司のしもべマルコの耳を切り落としましたが、イエス様はペテロを止め、ご自身を自ら捕えさせ、縛られたまま連れて行かれました。イエス様はユダを制止することもなく、兵士たちに抵抗することもありませんでした。しかし、ただ剣を抜いたペテロだけは止められました。ペテロの心情は理解できますが、この物語の流れを最も妨げる存在はペテロだったからです。 では、イエス様が捕らえられたことについて、誰を責めるべきでしょうか?イスカリオテのユダがイエス様を売ったからでしょうか?大祭司が殺害を企んだからでしょうか?イエス様を見捨てて逃げた弟子たちを非難すればいいのでしょうか?私たちはこれまで、誰かを責めたり非難したりする視点でこの物語を読んできました。しかし、イエス様は裏切られなければならず、捕らえられなければならず、引き渡されなければならなかったのです。この物語が進む理由は、私の罪のためです。私の罪のためにユダはイエス様を売り、私の罪のために大祭司は殺害を企み、私の罪のために兵士たちは出動し、私の罪のために弟子たちは逃げ、イエス様は捕らえられました。イエス様はこれを「父が与えられた杯」と言われました。 いまヨハネによる福音書18章を読んでいる私たちは、全知的読者の視点に立っています。この物語がどのように展開し、その出来事がどんな意味を持つのか、すでに知っています。では、この視点に立った私たちは、イエス様を応援することができるでしょうか?私の代わりに死ぬために捕らえられていく姿を、どう応援できるでしょうか?私の代わりに死ななければならない道を進んでいる誰かを非難することも、応援することもできません。非難する資格がないだけでなく、応援する図々しさもありません。この物語の中で、私はどこかに立っていなければなりません。ただ、戸惑いながら、イエスが父から受けた杯を取るのを見つめているだけです。

요한복음 묵상 【아버지께서 주신 잔】 20250304(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한복음 18:1~14 18:1 예수께서 이 말씀을 하시고 제자들과 함께 기드론 시내 저편으로 나가시니 거기 동산이 있는데 제자들과 함께 들어가시다 18:2 거기는 예수께서 제자들과 가끔 모이시는 곳이므로 예수를 파는 유다도 그곳을 알더라 18:3 유다가 군대와 및 대제사장들과 바리새인들에게서 얻은 하속들을 데리고 등과 홰와 병기를 가지고 그리로 오는지라 18:4 예수께서 그 당할 일을 다 아시고 나아가 가라사대…

ヨハネによる福音書 黙想 【つながる関係】 20250303(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ヨハネによる福音書 17:20~26 17:20 わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。 17:21 父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。 17:22 またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。 17:23 わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。 17:24 父よ。わたしに下さったものについてお願いします。わたしがいるところに、彼らもわたしとともにいるようにしてください。わたしの栄光を、彼らが見るためです。世界の基が据えられる前からわたしを愛されたゆえに、あなたがわたしに下さった栄光を。 17:25 正しい父よ。この世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知っています。 17:26 わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。あなたがわたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり、わたしも彼らのうちにいるようにするためです。」 ヨハネの福音書17章の祈りは、イエス様の大祭司的祈りと言われます。祈りを超えて、教会と信仰の本質を説明する神学的宣言の役割を果たしています。17章は、すべてが関係の中で説明されます。神様とイエス様、イエス様と弟子たち、弟子たちと未来の不特定多数の聖徒たちとの関係です。イエス様と神様は互いに「私のうちにおられる」と言われることで、三位一体的関係を表し、イエス様と神様が本質的に一つであることを語っておられます。 世は神様を知りませんが、イエス様は神様を知っておられます。そして、イエス様を通して弟子たちは神様を知るようになります。弟子たちは福音を伝え、それによって将来救われる聖徒たちは再びこの関係へとつながります。結局、聖徒は神様との関係へと結びついていきます。すべての関係は有機的につながっています。福音の中にある聖徒は、イエス様が神様と結んでいる親密な関係の中へと招かれた存在であり、それはすなわち、聖徒の交わりが神様との交わりという関係へとつながることを意味します。 神様がイエス様に与えられた栄光とは、神様の本質と臨在です。イエス様は弟子たちに、そして弟子たちを通して聖徒たちにそれを分け与えられました。ここで重要なのは、三位一体のように聖徒も一つになることです。神様とイエス様が一体の関係の中で一つであるように、聖徒たちも教会を通して分裂することなく、一つとなるべきです。教会共同体は、個々の存在が集まった集団ではなく、有機的な関係を持つ神様の国の共同体であるべきです。 神様がイエス様のうちにおられ、イエス様が聖徒たちのうちにおられるという連合関係の根拠を通して、聖徒は一つになることができます。神様とイエス様と聖霊様は三位一体の連合を成し、イエス様と聖徒はキリストとの連合を成し、聖徒同士の連合は神様を現します。これは組織的な効率性のためではなく、共同体の中に一体となる三位の神様がおられるということを世に対する証しとするためのものです。教会の一致は、世に神様を現す聖徒のしるしです。イエス様の祈りは、神論、キリスト論、聖霊論、教会論を包括し、教会と信仰の基礎を教えておられます。

요한복음 묵상 【이어지는 관계】 20250303(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한복음 17:20~26 17:20 내가 비옵는 것은 이 사람들만 위함이 아니요 또 저희 말을 인하여 나를 믿는 사람들도 위함이니 요17:21 아버지께서 내 안에 내가 아버지 안에 있는 것 같이 저희도 다 하나가 되어 우리 안에 있게 하사 세상으로 아버지께서 나를 보내신 것을 믿게 하옵소서 요17:22 내게 주신 영광을 내가 저희에게 주었사오니 이는 우리가 하나가 된것 같이…