데살로니가전서 묵상 【너희를 택하심을 아노라】 20240820(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

데살로니가전서 1:1~101:1 바울과 실루아노와 디모데는 하나님 아버지와 주 예수 그리스도 안에 있는 데살로니가인의 교회에 편지하노니 은혜와 평강이 너희에게 있을지어다1:2 우리가 너희 무리를 인하여 항상 하나님께 감사하고 기도할 때에 너희를 말함은1:3 너희의 믿음의 역사와 사랑의 수고와 우리 주 예수 그리스도에 대한 소망의 인내를 우리 하나님 아버지 앞에서 쉬지 않고 기억함이니1:4 하나님의 사랑하심을 받은 형제들아 너희를 택하심을…

Ⅱ列王記 黙想 【最後の二人の王】 20240815(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 25:18~3025:18 親衛隊の長は、祭司のかしらセラヤと次席祭司ゼパニヤと三人の入り口を守る者を捕らえ、25:19 戦士たちの指揮官であった一人の宦官、都にいた王の五人の側近、民衆を徴兵する軍の長の書記、そして都にいた民衆六十人を、都から連れ去った。25:20 親衛隊の長ネブザルアダンは彼らを捕らえ、リブラにいるバビロンの王のところへ連れて行った。25:21 バビロンの王はハマテの地のリブラで、彼らを打ち殺した。こうして、ユダはその国から捕らえ移された。25:22 バビロンの王ネブカドネツァルは、彼が残したユダの地の残りの民の上に、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤを総督として任命した。25:23 軍の高官たちとその部下たちはみな、バビロンの王がゲダルヤを総督としたことを聞いて、ミツパにいるゲダルヤのもとに来た。それは、ネタンヤの子イシュマエル、カレアハの子ヨハナン、ネトファ人タンフメテの子セラヤ、マアカ人の子ヤアザンヤ、彼らとその部下たちであった。25:24 ゲダルヤは彼らとその部下たちに誓って、彼らに言った。「カルデア人の家来たちを恐れてはならない。この地に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすれば、あなたがたは幸せになる。」25:25 ところが第七の月に、王族の一人、エリシャマの子ネタンヤの子イシュマエルは、十人の部下とともに来て、ゲダルヤを打ち殺し、ミツパで彼と一緒にいたユダの人たちとカルデア人たちを打ち殺した。25:26 そこで民はみな、身分の下の者から上の者まで、軍の高官たちとともに、立ってエジプトへ行った。カルデア人を恐れたからである。25:27 ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十七日、バビロンの王エビル・メロダクは、王となったその年のうちにユダの王エホヤキンを牢獄から呼び戻し、25:28 優しいことばをかけ、バビロンで彼とともにいた王たちの位よりも、彼の位を高くした。25:29 彼は囚人の服を脱ぎ、その一生の間、いつも王の前で食事をした。25:30 彼の生活費はその日々の分を、一生の間、いつも王から支給されていた。 ■エホヤキンは在位期間中にバビロンに降伏し、最終的にバビロンに連行されました。その後、バビロンは次のユダの王としてゼデキヤを立てます。しかし、ゼデキヤはエジプトと同盟を結び、バビロンを裏切りました。それに対して、バビロンは再びユダを征服し、ゼデキヤの目の前で彼の息子たちをすべて殺し、ゼデキヤの両目をくり抜いてバビロンに連行し、そこで死に至りました。バビロンがゼデキヤの目をくり抜いたのは、目があっても情勢を見極められなかったという嘲笑の意味があったのでしょう。ゼデキヤ個人の判断力の責任と言うよりも、ユダの運命はすでに決まっており、ゼデキヤが悲惨な死を迎えたことは、悲惨なユダの滅亡を象徴するものでした。ゼデキヤはユダの滅亡に終止符を打つことになったのです。 ■一方、バビロンに降伏して捕虜として連行されたエホヤキンは、バビロンの王がネブカドネザルから次の王に変わると釈放され、待遇が改善され、バビロンで快適な生活を送ることができました。列王記の終わりがエホヤキンの復権で締めくくられることは、意図的な編集であると考えざるを得ません。ユダ滅亡のメッセージを伝えるためには、ゼデキヤが悲惨な死を迎えることで終わる方がふさわしかったでしょう。しかし、この長い列王記の終わりが部分的であれヨヤキンの復権で締めくくられるということは、ダビデ王朝は滅びても、その切り株は残るという暗示だと考えるべきでしょう。歴史的なダビデ王朝は情勢を見極められず、ゼデキヤの死で終わりますが、バビロンでも地位を見出すエホヤキンを通じて、ダビデの子孫という希望が残るのです。 ■エホヤキンはヨシヤの孫であり、エホヤキムの息子です。その後王となったゼデキヤはエホヤキンの叔父であり、ヨシヤの息子です。どちらもダビデの子孫です。しかし、一人の王は悲惨な死を遂げ、もう一人の王は限定的ではありますが回復して終わります。したがって、神様の怒りはゼデキヤを通して示されたと言え、神様の慈悲と約束の誠実さはエホヤキンを通して示されたと言えます。神様の公正さと神様の慈悲は互いに衝突することなく、神様の二重の属性として理解されます。偶像崇拝と不従順の代償を求める公正な神様と、怒りの中でも憐れみを忘れず、約束を守る救いの神様が、ユダが滅びる場面に共におられます。誇るべきことのなかった列王の物語は、ここに終わります。

열왕기하 묵상 【마지막 두 왕】 20240819(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 25:18~3025:18 시위대 장관이 대제사장 스라야와 부제사장 스바냐와 전 문지기 세 사람을 잡고왕하25:19 또 성중에서 사람을 잡았으니 곧 군사를 거느린 내시 하나와 또 성중에서 만난바 왕의 시종 다섯 사람과 국민을 초모하는 장관의 서기관 하나와 성중에서 만난바 국민 육십명이라25:20 시위대 장관 느부사라단이 저희를 잡아가지고 립나 바벨론 왕에게 나아가매25:21 바벨론 왕이 하맛 땅 립나에서 다 쳐 죽였더라…

列王記第二 黙想 【反逆】 20240817(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

列王記第二 24:8-20 24:8 エホヤキンは十八歳で王となり、エルサレムで三か月間、王であった。彼の母の名はネフシュタといい、エルサレム出身のエルナタンの娘であった。 24:9 彼は、すべて先祖たちがしたように、主の目に悪であることを行った。 24:10 そのころ、バビロンの王ネブカドネツァルの家来たちがエルサレムに攻め上り、都は包囲された。 24:11 バビロンの王ネブカドネツァルが都にやって来たとき、彼の家来たちは都を包囲していた。 24:12 ユダの王エホヤキンは、その母、家来たち、高官たち、宦官たちと一緒にバビロンの王に降伏したので、バビロンの王は、その治世の第八年に、彼を捕虜にした。 24:13 バビロンの王は、主の宮の財宝と王宮の財宝をことごとく運び出し、主の神殿の中にあるイスラエルの王ソロモンが作ったすべての金の用具を切り裂いた。主が告げられたとおりであった。 24:14 彼はエルサレムのすべて、すなわち、すべての高官、すべての有力者一万人、それに職人や鍛冶もみな、捕囚として捕らえ移した。貧しい民衆のほかは残されなかった。 24:15 彼はさらに、エホヤキンをバビロンへ引いて行き、王の母、王の妻たち、その宦官たち、この国のおもだった人々を、捕囚としてエルサレムからバビロンへ行かせた。 24:16 バビロンの王は、すべての勇士たち七千人と、職人、鍛冶千人からなる勇敢な戦士たちすべてを、捕囚としてバビロンへ連れて行った。 24:17 バビロンの王は、エホヤキンのおじマタンヤをエホヤキンの代わりに王とし、その名をゼデキヤと改めさせた。 24:18 ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。彼の母の名はハムタルといい、リブナ出身のエレミヤの娘であった。 24:19 彼は、すべてエホヤキムがしたように、主の目に悪であることを行った。 24:20 実に、エルサレムとユダが主の前から投げ捨てられるに至ったのは、主の怒りによることであったのである。その後、ゼデキヤはバビロンの王に反逆した。     分裂したイスラエルの多くの王と民、そして神様の間にあった歴史を記録した列王記の最後の王であるユダの王ゼデキヤが登場しました。彼の生涯は「反逆」という一言でも説明できると思います。  ゼデキヤ王の当時は、バビロンとエジプトの対立が続いていました。地理的にも政治的にもその間に置かれていたユダ王国は、バビロンの支配を受けていましたが、ゼデキヤ王はユダ王国内の政治的理由で、そして周辺諸国との関係を理由にバビロンに反逆し、エジプトの同盟国となりました。  このような反逆の結果がユダ王国の滅亡です。しかし、このような滅亡という結果は、ゼデキヤ王が単純にバビロンに反逆した結果ではありません。彼がバビロンに反逆しただけでなく、神様に反逆したためです。  ゼデキヤ王当時、神様は預言者エレミヤを通して語り、悔い改めを促し、イスラエルに向けたご自分の心を伝えられたにもかかわらず、ゼデキヤはその御言葉を無視してきました。むしろ、神様の目に悪を行い、偶像に拝み、神様に反逆したのです。  理由のない反逆はありません。 何か信じているところがあるから、根拠があるから反逆もできるのでしょう。ゼデキヤ王はエジプト同盟の力を信じていたため、バビロンに反逆することができました。そして、偶像を信じていたため神様に反逆することができたのです。  私たちが神様の御側を立ち去ることには明らかな理由があります。私たちの罪深い本性という根本的な理由から始め、神様より大きく見えること、神様より良く見えることがあるため、神様に逆らい、離れてしまうのでしょう。そのため、私たちは日々御言葉を通して、神様との交わりを通してこの世に神様に勝ることはないということを心に刻んでいかなければならないでしょう。https://youtu.be/oA7pzzRheFc?si=4GqQdvVGmdem37_w

열왕기하 묵상 【배반】 20240817(토) 최종석 전도사

열왕기하 24:8-20 24:8 여호야긴이 왕이 될 때에 나이가 십팔 세라 예루살렘에서 석 달간 다스리니라 그의 어머니의 이름은 느후스다요 예루살렘 엘라단의 딸이더라 24:9 여호야긴이 그의 아버지의 모든 행위를 따라서 여호와께서 보시기에 악을 행하였더라 24:10 그 때에 바벨론의 왕 느부갓네살의 신복들이 예루살렘에 올라와서 그 성을 에워싸니라 24:11 그의 신복들이 에워쌀 때에 바벨론의 왕 느부갓네살도 그 성에 이르니…

列王記第二 黙想 【代替者】 20240816(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

列王記第二 23:31-24:7 23:31 エホアハズは二十三歳で王となり、エルサレムで三か月間、王であった。彼の母の名はハムタルといい、リブナ出身のエレミヤの娘であった。 23:32 彼は、すべてその先祖たちがしたように、主の目に悪であることを行った。 23:33 ファラオ・ネコは、エルサレムで王であった彼をハマテの地リブラに幽閉し、この国に銀百タラントと金一タラントの科料を課した。 23:34 それから、ファラオ・ネコは、ヨシヤの子エルヤキムをその父ヨシヤに代えて王とし、その名をエホヤキムと改めさせた。エホアハズは捕らえられ、エジプトに行き、そこで死んだ。 23:35 エホヤキムは銀と金をファラオに贈った。ただし、ファラオの要求するだけの銀を贈るために、この国に税を課さなければならなかった。彼は、ファラオ・ネコに贈るために、一人ひとりに税を割り当て、銀と金を民衆から取り立てた。 23:36 エホヤキムは二十五歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。彼の母の名はゼブダといい、ルマ出身のペダヤの娘であった。 23:37 彼は、すべてその先祖たちがしたように、主の目に悪であることを行った。 24:1 エホヤキムの時代に、バビロンの王ネブカドネツァルが攻め上って来た。エホヤキムは三年間彼のしもべとなったが、その後、再び彼に反逆した。 24:2 そこで主は、カルデア人の略奪隊、アラムの略奪隊、モアブの略奪隊、アンモン人の略奪隊を遣わしてエホヤキムを攻められた。ユダを攻めて滅ぼすために彼らを遣わされたのである。主がそのしもべである預言者たちによって告げられたことばのとおりであった。 24:3 実に、このようなことがユダに起こったのは、ユダを主の前から除くという主の命によることであり、それはマナセが犯したすべての罪のゆえ、 24:4 また、マナセが流した咎のない者の血のためであった。マナセはエルサレムを咎のない者の血で満たした。そのため主は赦そうとはされなかったのである。 24:5 エホヤキムについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。 24:6 エホヤキムは先祖とともに眠りにつき、その子エホヤキンが代わって王となった。 24:7 エジプトの王は自分の国から再び出て来ることがなかった。バビロンの王が、エジプト川から大河ユーフラテスに至るまで、かつてエジプトの王に属していた全領土を占領したからである。    ユダ王国の宗教改革を導いたヨシヤ王の死後、ユダの王は彼の息子たちに代えられました。しかし、エホアハズもエルヤキムも、彼らの父ヨシヤ王が行ったように、神様の目に善を行うことはできませんでした。  私たちに与えられた役割、席を外した時には常にその席を代替してくれる方案、または人を立てておき、そのために工夫します。自分が席を外しても問題が生じないようにすることまでも自分の役割であるためです。  ヨシヤの突然な死の後、不安定な状況に新しく立てられたエホアハズとエルヤキムは、もう周辺の国々によって立てられた操り人形のような王に過ぎませんでした。彼らはヨシヤの代替者ではなく、ファラオの代替者であり、ネブカドネツァルの代替者であったのです。  キリスト者の中心はイエス·キリストでなければなりません。しかし、このようなキリスト者たちに、世は絶えずその席に代わる何かを提示し、彼らを誘惑します。そして、その誘惑に負けてしまい、イエス·キリストの席を世のものに代えてしまうのが罪深い私たちの姿であるでしょう。  ユダ王国は、偉い指導者であったヨシヤが死んだ後のこと、彼の代わりに王なる者のために悩み、準備しておかなければならなかったのでしょう。そのことがうまくいかなかった結果が、今日の箇所だとも言えるようです。  しかし、私たちはそのようなことについては心配する必要ありません。私たちの唯一の中心にならなければならないイエス·キリストに代わりに代替者になれる者は存在しないのみならず、その方は永遠に私たちと共におられる方であるためです。私たちは代替者のことを悩むべきでなく、どうすればイエス·キリストという中心から離れずに留まれるかを悩むべきでしょう。https://youtu.be/GgFab1Gj8eE?si=8Woml2I54vyQa4F8

열왕기하 묵상 【대체자】 20240816(금) 최종석 전도사

열왕기하 23:31-24:7 23:31 여호아하스가 왕이 될 때에 나이가 이십삼 세라 예루살렘에서 석 달간 다스리니라 그의 어머니의 이름은 하무달이라 립나 예레미야의 딸이더라 23:32 여호아하스가 그의 조상들의 모든 행위대로 여호와 보시기에 악을 행하였더니 23:33 바로 느고가 그를 하맛 땅 립나에 가두어 예루살렘에서 왕이 되지 못하게 하고 또 그 나라로 은 백 달란트와 금 한 달란트를 벌금으로 내게…

Ⅱ列王記 黙想 【両刃の剣】 20240815(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 23:21~3023:21 王は民全体に次のように命じた。「この契約の書に記されているとおり、あなたがたの神、主に、過越のいけにえを献げよ。」23:22 実に、さばきつかさたちがイスラエルをさばいた時代以来、イスラエルの王たちとユダの王たちのどの時代にも、このような過越のいけにえが献げられたことはなかった。23:23 ただ、ヨシヤ王の第十八年に、エルサレムでこの過越のいけにえが主に献げられただけであった。23:24 さらにヨシヤは、霊媒、口寄せ、テラフィム、偶像、それに、ユダの地とエルサレムに見られるすべての忌むべき物も除き去った。こうして、彼は祭司ヒルキヤが主の宮で見つけた書物に記されている律法のことばを実行した。23:25 ヨシヤのようにモーセのすべての律法にしたがって、心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって主に立ち返った王は、彼より前にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、一人も起こらなかった。23:26 それにもかかわらず、マナセが引き起こした主のすべての怒りのゆえに、主はユダに向けて燃やした激しい怒りを収めようとはされなかった。23:27 主は言われた。「わたしがイスラエルを除いたのと同じように、ユダもわたしの前から除く。わたしが選んだこの都エルサレムも、わたしの名を置くと言ったこの宮も、わたしは退ける。」23:28 ヨシヤについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。23:29 彼の時代に、エジプトの王ファラオ・ネコが、アッシリアの王のもとに行こうと、ユーフラテス川を目指して上って来た。そこで、ヨシヤ王は彼を迎え撃ちに行ったが、ファラオ・ネコはメギドで彼に出会った際、彼を殺した。23:30 ヨシヤの家来たちは、彼の遺体を戦車に載せ、メギドからエルサレムに運んで、彼の墓に葬った。その国の民は、ヨシヤの子エホアハズを選んで油を注ぎ、彼の父に代えて王とした。 ■ヨシヤは、ユダが失っていた過越祭を守るようにしました。彼のリーダーシップと推進力は非常に強力で、列王記下23章25節では彼の改革と信仰について次のように評価されています。「ヨシヤのようにモーセのすべての律法にしたがって、心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって主に立ち返った王は、彼より前にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、一人も起こらなかった。」これは、申命記6章5節の「心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」という命令に基づいたヨシヤの評価です。ヨシヤの改革の意志に火をつけたのは、神殿で発見された律法書、すなわち申命記でした。 ■しかし、改革の意志があるからといって、誰もがこのような改革を実行できるわけではありません。それができたのは、ヨシヤが持っていた性格、恐れずに突き進む推進力という特別な賜物があったからです。ヨシヤのこの性格は、同様にしてエジプトのファラオ、ネコとの戦いに彼を駆り立てました。エジプトはアッシリアを助けるために北へ移動しようとしており、ユダとの直接的な戦争を望んでいませんでした。しかし、強硬なヨシヤはエジプトとの戦争を選択し、その結果、彼はメギドの戦いで無惨な死を遂げることになります。彼の死があまりにも簡単に、そして無情に描かれていることは、その判断が誤りであったことを暗示しています。 ■強い性格は障害物を打ち破るのには有利ですが、慎重さを失いやすい一面もあります。強硬なヨシヤは宗教改革を成し遂げましたが、その強さゆえに命を落とし、ユダの改革も未完のまま終わってしまいました。ヨシヤのブルドーザーのようなカリスマ性は、両刃の剣であり、その一方の刃で偶像を斬り、もう一方の刃で自らとユダを斬る結果となったのです。エジプト軍の前では、偶像を打ち壊していた剣をしばらく下ろし、外交に切り替えるべきでした。当時のユダは、バビロン、アッシリア、エジプトという強大な国々に囲まれ、すでに体力を消耗している状態でした。バビロンとエジプトはユダにとって大きな脅威であり、同時に潜在的な同盟国でもありました。軍事的な衝突を避ける外交戦略が必要だったのです。実力と対話のバランスは、現代においても必要です。内部的な改革は力強く推進し、外交は平和的かつ慎重に進めるべきです。両刃の剣を克服し、マルチプレイヤーとなることが求められています。

열왕기하 묵상 【양날의 검】 20240815(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 23:21~3023:21 왕이 뭇백성에게 명하여 가로되 이 언약책에 기록된대로 너희의 하나님 여호와를 위하여 유월절을 지키라 하매23:22 사사가 이스라엘을 다스리던 시대부터 이스라엘 열왕의 시대에든지 유다 열왕의 시대에든지 이렇게 유월절을 지킨 일이 없었더니23:23 요시야왕 십 팔년에 예루살렘에서 여호와 앞에 이 유월절을 지켰더라23:24 요시야가 또 유다 땅과 예루살렘에 보이는 신접한 자와 박수와 드라빔과 우상과 모든 가증한 것을 다…

Ⅱ列王記 黙想 【信仰の認識体系】 20240814(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

Ⅱ列王記 23:10~2023:10 彼はベン・ヒノムの谷にあるトフェトを汚し、だれも、自分の息子や娘に火の中を通らせてモレクに献げることのないようにした。23:11 それから、ユダの王たちが太陽に献納した馬を、主の宮の入り口、前庭にある宦官ネタン・メレクの部屋のそばから取り除き、太陽の車を火で焼いた。23:12 王は、ユダの王たちがアハズの屋上の部屋の上に造った祭壇と、マナセが主の宮の二つの庭に造った祭壇を、そこから外して打ち壊し、砕いた。そうして、その灰をキデロンの谷に投げ捨てた。23:13 王は、エルサレムの東、破壊の山の南にあった高き所を汚れたものとした。これは、イスラエルの王ソロモンが、シドン人の忌むべき女神アシュタロテ、モアブの忌むべき神ケモシュ、アンモン人の忌み嫌うべき神ミルコムのために築いたものであった。23:14 また、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し、その場所を人の骨で満たした。23:15 さらに彼は、ベテルにある祭壇と、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムが造った高き所、すなわち、その祭壇も高き所も打ち壊し、さらに高き所を焼いて粉々に砕いて灰にし、アシェラ像も焼いた。23:16 ヨシヤが振り向くと、山の中に墓があるのが見えた。そこで彼は人を遣わしてその墓から骨を取り出し、それを祭壇の上で焼き、祭壇を汚れたものとした。かつて、神の人がこのことを預言して叫んだ主のことばのとおりであった。23:17 ヨシヤは言った。「あそこに見える石碑は何か。」すると、町の人々は彼に答えた。「ユダから出て来て、あなたがベテルの祭壇に対してされたこれらのことを預言した神の人の墓です。」23:18 王は言った。「そのままにしておけ。だれも彼の骨を移してはならない。」そこで人々は彼の骨を、サマリアから出て来たあの預言者の骨と一緒にそのままにしておいた。23:19 ヨシヤはまた、イスラエルの王たちが造って主の怒りを引き起こした、サマリアの町々の高き所の宮もすべて取り除き、彼がベテルでしたのと全く同じことを、それらに対しても行った。23:20 彼は、そこにいた高き所の祭司たちをみな、祭壇の上で屠り、その祭壇の上で人の骨を焼いた。こうして、彼はエルサレムに帰った。 ■ 古代近東の信仰認識体系は社会共同体中心であり、神殿を中心にしたものでした。その中にいることで、自分の信仰を確認することができました。中世では教会中心であり、聖職者を中心としたものでした。人々は教会の権威と聖職者の規律の下で管理され、聖礼典を通じて自分の信仰を認識しました。しかし、16世紀の宗教改革以降、信仰は個人的な次元で認識されるようになりました。それぞれが聖書を直接読み、解釈することが重要になり、個人の良心と信仰的な決断がより重視されるようになりました。啓蒙主義や近代哲学の影響を受けて、信仰を理性的に理解し説明しようとする努力がなされました。神様は変わらず、福音も変わりません。ただ時代が変わることで、その要求に応じて信仰の標準的な接続コードが変わったのです。そのため、信仰と理性を調和させようとする悩みが生じました。産業化の時代には、都市化された教会を中心に信仰が認識されました。過去数十年間、教会はその流れの中にありました。都市へ移住した人々は、礼拝、行事、奉仕の定例的な活動と共同体への所属や職分を大切にし、その枠組みや儀礼の中で信仰を認識していました。このような認識体系は安定的で強力に働きましたが、現代の個人主義的な傾向とデジタル化された環境の中では、軽視されつつあるのが現実です。時代は変わりました。教会は困惑しながらも、その代案を見つけられずにいます。同様に困惑しているのは若い世代も同じです。彼らは教会の中で信仰を認識する体系、接続するコードを見つけられず、教会の外へと離れていっています。 ■ ヨシヤの改革は徹底的に破壊する方法を取りました。偶像崇拝の根拠を除去し、異邦の神々の祭司を罰し、高き所を打ち壊しました。改革の究極の目的は破壊ではなく、回復であるべきです。偶像崇拝の基盤を破壊した後には、新しい信仰の認識体系が整備され、生産的な活動へとつながる必要があります。ヨシヤの改革には確かに破壊はありますが、代案が見当たりません。代案は儀礼や形式的なものではなく、知的であり、感情的に共感できるものでなければなりません。言い換えれば、心が込められるものでなければなりません。その意味では、私たちの現実はヨシヤの状況と似ています。時代の変化に伴い改革しようとしていますが、信仰を認識する新たな代案を見つけられていません。破壊的な改革は既存の体制を徹底的に打ち壊そうとする強力な意志で始まりますが、新しい代案や体制を築かなければ、むしろ混乱と不安定を招きます。代替案を提示できなければ、破壊したと思われたものが潜伏し、再び復活するでしょう。外的な変化や破壊だけでは真の改革は完成しません。新たな創造と御言葉を中心とした再建が伴うときに、持続的な改革と変化をもたらすことができるでしょう。偶像を打ち壊すだけではなく、積極的な改革は神様を知ることです。神様の御言葉と知的に交わりながら、神様の愛を認識することが唯一の道です。