열왕기상 묵상 【적이 생길 때】 20240429(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 11:14~2511:14 여호와께서 에돔 사람 하닷을 일으켜 솔로몬의 대적이 되게 하시니 저는 왕의 자손으로서 에돔에 거하였더라11:15 전에 다윗이 에돔에 있을 때에 군대 장관 요압이 가서 죽임을 당한 자들을 장사하고 에돔의 남자를 다 쳐서 죽였는데11:16 요압은 에돔의 남자를 다 없이 하기까지 이스라엘 무리와 함께 여섯달을 그곳에 유하였었더라11:17 그 때에 하닷은 작은 아이라 그 아비의 신복 중…

I 列王記 【絶対的基準、相対的基準】 20240427(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

I 列王記 10:14-29 10:14 一年間にソロモンのところに入って来た金の重さは、金の目方で六百六十六タラントであった。 10:15 このほかに、隊商から得たもの、貿易商人の商いで得たもの、アラビアのすべての王たち、およびその地の総督たちからのものがあった。 10:16 ソロモン王は、延べ金で大盾二百を作り、その大盾一つに六百シェケルの金を使った。 10:17 また延べ金で盾三百を作り、その盾一つに三ミナの金を使った。王はそれらを「レバノンの森の宮殿」に置いた。 10:18 王は大きな象牙の王座を作り、これに純粋な金をかぶせた。 10:19 王座には六つの段があり、その王座の背の上部は丸かった。座席の両側に肘掛けがあり、その肘掛けのわきには二頭の雄獅子が立っていた。 10:20 また、十二頭の雄獅子が六つの段の両側に立っていた。このような物は、どこの王国でも作られたことがなかった。 10:21 ソロモン王が飲み物に用いる器はすべて金であった。「レバノンの森の宮殿」にあった器もすべて純金で、銀の物はなかった。銀は、ソロモンの時代には価値あるものとは見なされていなかった。 10:22 王が海にヒラムの船団のほかにタルシシュの船団を持っていて、三年に一度、タルシシュの船団が金、銀、象牙、猿、孔雀を運んで来たからである。 10:23 ソロモン王は、富と知恵において、地上のどの王よりもまさっていた。 10:24 全世界は、神がソロモンの心に授けられた知恵を聞こうとして、彼に謁見を求めた。 10:25 彼らはそれぞれ贈り物として、銀の器、金の器、衣服、武器、バルサム油、馬、ろばなどを、毎年携えて来た。 10:26 ソロモンは戦車と騎兵を集め、戦車千四百台と騎兵一万二千人を所有した。彼はこれらを戦車の町々、およびエルサレムの王のもとに配置した。 10:27 王はエルサレムで銀を石のように用い、杉の木をシェフェラのいちじく桑の木のように大量に用いた。 10:28 ソロモンが所有していた馬は、エジプトとクエから輸入されたもので、王の商人たちが、代価を払ってクエから手に入れたものであった。 10:29 戦車はエジプトから銀六百、馬は銀百五十で買い上げられて、輸入された。同様に、ヒッタイト人のすべての王やアラムの王たちにも、王の商人たちの仲買で輸出された。    人々は同じものを見て、経験をしても、それぞれ異なる評価を出します。それは、彼らが見るところ、大切にするところ、究極的に、異なる基準を持っているからでしょう。  ダビデの時代にも、イスラエルは近辺に強い威勢をふっていました。しかし、ダビデの時代も比べにならないほど、ソロモンの時代のイスラエルは最大の最盛期を迎えていました。  このような背景の中で、私たちはダビデが神殿を建築しようとした背景もよく知っています。大きく派手な王宮から見える神様の殿、そのテントがあまりにも貧弱に見え、自分は素晴らしい王宮で暮らしているのに、そのすべてを与えてくださった神様がテントにおられるのは良くないと考えたためです。ダビデは自分の王宮と神様の神殿の間に、相対的な基準を持っている者でした。  そして今、その場所、以前より派手になったその王宮の一番高い王座にはソロモンが座っています。より高くなった王座、より派手になった王宮からは、より多くのものが見えたでしょう。もっと多くのことを持っていたでしょう。しかし、いつの間にかソロモンの目には神様が見えなくなり、自分が治める国の豊かさと強大な力が見えるようになりました。ソロモンの目に見える神殿は確かに立派な神殿ではあっても、ダビデのように自分のものより立派な神殿ではありませんでした。ソロモンが見た神殿は絶対的な基準で立派な神殿であったためです。  良く知られている考え方の例としては、「水が半分もある」「水が半分しかない」ということでしょう。ここでの回答によって肯定的思考、否定的思考に分かれて結果が出ます。そうすると、今日のソロモンと彼の父親ダビデの考え方はどうだったのでしょうか。  ダビデが建てようとした神殿は、自分の王宮よりも派手で大きい神殿でした。彼は自分の王宮で神様のテントを見て、絶対的な基準ではなく相対的な基準で、自分を低くし、神様をあがめる考え方を持っていたのです。  しかし、ソロモンはダビデに比べても、はるかに派手で、壮大な王宮を持っていました。より豊かな財力も持っています。しかし、彼が建てた神殿は、ダビデが考えていた相対的に優れた神殿ではなく、ダビデが準備した通り、絶対的基準から優れている神殿でした。ソロモンはその神殿で満足したかもしれませんが、ダビデがもしその王宮から神殿を見ると、自分の王宮で神様のテントを見た時と同じ考えをしたかもしれません。  私たちはイエス様が神殿で献金する者たちを見て、ある貧しい未亡人が入れた献金が最も大きな献金だと言われたことを知っています。(マルコ12:41-44)。ダビデが建てようとした神殿は貧しい未亡人の献金のようなことです。しかし、ソロモンが建てた神様の神殿は、多くのお金持ちが入れた献金に過ぎないでしょう。  神様への私たちの信仰の基準は、過去に留まってはいけません。時間が経って、私たちの信仰が成長すると共に、神様に向けた私たちの生き方も共に成長しなければなりません。私たちが建てなければならない神殿は一つの大きな神殿ではなく、私たちが持っているものより大きく、立派な神殿であるのです。 https://youtu.be/1QMlz4GKeUs?si=v5bqzuaL0V2dkGKh

열왕기상 묵상 【절대적 기준, 상대적 기준】 20240427(토) 최종석 전도사

열왕기상 10:14-29 10:14 솔로몬의 세입금의 무게가 금 육백육십육 달란트요 10:15 그 외에 또 상인들과 무역하는 객상과 아라비아의 모든 왕들과 나라의 고관들에게서도 가져온지라 10:16 솔로몬 왕이 쳐서 늘인 금으로 큰 방패 이백 개를 만들었으니 매 방패에 든 금이 육백 세겔이며 10:17 또 쳐서 늘인 금으로 작은 방패 삼백 개를 만들었으니 매 방패에 든 금이 삼 마네라…

I 列王記 【リーダーの位置】 20240426(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

I 列王記 10:1-13 10:1 ときに、シェバの女王は、主の御名によるソロモンの名声を聞き、難問をもって彼を試そうとしてやって来た。 10:2 彼女は非常に大勢の従者を率い、バルサム油と非常に多くの金および宝石をらくだに載せて、エルサレムにやって来た。彼女はソロモンのところに来ると、心にあることをすべて彼に問いかけた。 10:3 ソロモンは、彼女のすべての問いに答えた。王が分からなくて、彼女に答えられなかったことは何一つなかった。 10:4 シェバの女王は、ソロモンのすべての知恵と、彼が建てた宮殿と、 10:5 その食卓の料理、列席の家来たち、給仕たちの態度とその服装、献酌官たち、そして彼が主の宮で献げた全焼のささげ物を見て、息も止まるばかりであった。 10:6 彼女は王に言った。「私が国であなたの事績とあなたの知恵について聞き及んでいたことは、本当でした。 10:7 私は自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、なんと、私にはその半分も知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさより、はるかにまさっています。 10:8 なんと幸せなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんと幸せなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことができる、このあなたの家来たちは。 10:9 あなたの神、主がほめたたえられますように。主はあなたを喜び、イスラエルの王座にあなたを就かせられました。主はイスラエルをとこしえに愛しておられるので、あなたを王とし、公正と正義を行わせるのです。」 10:10 彼女は百二十タラントの金と、非常に多くのバルサム油と宝石を王に贈った。シェバの女王がソロモン王に贈ったほど多くのバルサム油は、二度と入って来なかった。 10:11 また、オフィルから金を積んで来たヒラムの船団は、非常に多くの白檀の木材と宝石を、オフィルから運んで来た。 10:12 王はこの白檀の木材で、主の宮と王宮のための柱を作り、歌い手たちのための竪琴と琴を作った。今日まで、このような白檀の木材が入って来たことはなく、見られたこともなかった。 10:13 ソロモン王は、シェバの女王が求めたものは何でもその望みのままに与えた。さらに、ソロモン王の豊かさにふさわしいものも彼女に与えた。彼女は家来たちを連れて、自分の国へ帰って行った。    良いリーダーが導く共同体には発展があり、喜びがあり、その中に堅い仲間関係が形成されます。しかし、そうでない共同体は退歩するだけで、冷たい空気が回り、互いを利用しようとする個人主義が生まれてきます。一人ひとりの共同体の一員の役割も当然大事ですが、その雰囲気を造り直し、引っ張っていけることはリーダーの役割でしょう。  今日の箇所のソロモンの知恵は、単純に彼の人生を豊かにすることにとどまりませんでした。彼はイスラエルの王、リーダーとして国を導き、彼に与えられている知恵を用いました。 その結果、ソロモン王だけでなくイスラエルという国が最大の黄金期を迎えることができました。単にソロモンが祝福を受けたことにとどまらず、ソロモンというリーダーがいるイスラエルが祝福されたのです。  今日箇所のシェバの女王はこれを見て「なんと幸せなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんと幸せなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことができる、このあなたの家来たちは。」とうらやましい心を隠しませんでした。当然ソロモンの驚くべき知恵を常に近くで聞けるというところがうらやましかったのかもしれませんが、その次の節の内容から見れば神様がソロモンを愛することと同じく、もしかしたらそれ以上にイスラエルを愛してソロモンを王にしたという話を通して、恵まれたイスラエルがうらやましかってたと見ることもできるでしょう。  私が成人になったばかりの頃に、コンビニで長い間深夜バイトをしました。深夜バイトの主な仕事は、商品の整理と補足でした。もし飲み物がなくなった場合は、裏側の冷凍倉庫で一つずつ飲み物を詰め込みます。この時に最も重要なのは、最初に入れるカンです。そのカンが一番前で真っすぐ立っていれば、その次に入れるカンも揃えてきれいに入ります。でも、一番前のカンが倒れてしまうと、その次に入れるカンも入るたびに次々と倒れてしまいます。  当時、青年会に登ってきたばかりの末っ子だった私は、リーダーがなぜ重要なのか、どれほど重要なのかをコンビニのバイトを通して経験しました。しかし、色んな問題が多かった当時の青年会は結局、多くの人が傷ついてしまい、教会から離れ去っていくことになりました。私もその中の一人でした。  前に立っているリーダーは、単に真っすぐ立っているだけで、その共同体に大きな力になります。そのため、常に緊張し、負担になる位置であるのが当たり前です。実際、どれだけ素晴らしいリーダーだとしても、人間である以上、いつも真っすぐに立っていることはできません。  しかし、私たちの真のリーダーはその人ではありません。私たちの目の前に立っている人が一番前にいるのではなく、その前に神様がおられます。永遠に揺がず、倒れず、間違うこともない完全な方が、私たちの一番前のリーダーとして真っすぐに立っておられるのです。  そのリーダーとなる神様に進んでいく道は不安定かもしれません。一番前のカンがいくら真っすぐに立っていても、そのカンと触れ合う前までは次のカンも不安に揺れて滑り降りていきます。しかし、一番前のカンに触れた瞬間、すべての揺れや不安は止まり、安定感を得ます。時には、真ん中のカンが倒れていることもあります。しかし、不思議なことに、後ろから別のカンを押し込むと真ん中のカンがまた立ち上がります。  私たちの目に見えるリーダーは、確かに重要です。真っすぐに立っていなければなりません。しかし、リーダーたちもそこまで心配しなくてもいいでしょう。いつも変わらず、真っすぐに立っておられる神様に頼ればいい問題です。時には転ぶこともありますが、後ろから一緒に押して助けてあげれば、また立ち上がって真っすぐに立つことができます。そのため、共同体の役割も重要になります。自分たちのリーダーを再び立て直すために一緒に力を合わせ、一番前に立っておられる神様に進んでいけば、その真ん中にいるリーダーもまた再び立ち上がることができるでしょう。このような美しい関係が私たちの日々の中にも起こることを望みます。https://youtu.be/GA-xP0sI8_g?si=fTe8qsLrGNHBpIzm

열왕기상 묵상 【리더의 자리】 20240426(금) 최종석 전도사

열왕기상 10:1-13 1 스바의 여왕이 여호와의 이름으로 말미암은 솔로몬의 명성을 듣고 와서 어려운 문제로 그를 시험하고자 하여 2 예루살렘에 이르니 수행하는 자가 심히 많고 향품과 심히 많은 금과 보석을 낙타에 실었더라 그가 솔로몬에게 나아와 자기 마음에 있는 것을 다 말하매 3 솔로몬이 그가 묻는 말에 다 대답하였으니 왕이 알지 못하여 대답하지 못한 것이 하나도 없었더라…

Ⅰ列王記 黙想 【権力者ソロモン】 20240425(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰ列王記 9:10~289:10 ソロモンが主の宮と王宮との二つの家を二十年かけて建て終えたとき、9:11 ツロの王ヒラムが、ソロモンの要請に応じて、杉の木材、もみの木材、および金を用立てたので、ソロモン王はガリラヤ地方の二十の町をヒラムに与えた。9:12 ヒラムはツロからやって来て、ソロモンが彼に与えた町々を見たが、彼はそれらが気に入らなかった。9:13 彼は、「兄弟よ。あなたが私に下さったこの町々は、いったい何ですか」と言った。そのため、これらの町々はカブルの地と呼ばれ、今日に至っている。9:14 ヒラムは王に金百二十タラントを贈っていた。9:15 ソロモン王は役務者を徴用して次のような事業をした。彼は主の宮と自分の宮殿、ミロとエルサレムの城壁、ハツォルとメギドとゲゼルを築き直した。9:16 かつてエジプトの王ファラオは、上って来てゲゼルを攻め取り、これを火で焼き、この町に住んでいたカナン人を殺して、ソロモンの妻である自分の娘に結婚の贈り物としてこの町を与えた。9:17 ソロモンはこのゲゼルを築き直したのである。また、下ベテ・ホロン、9:18 バアラテ、この地の荒野にあるタデモル、9:19 ソロモンの所有するすべての倉庫の町々、戦車のための町々、騎兵のための町々、またソロモンがエルサレム、レバノン、および彼の全領地に建てたいと切に願っていたものを建てた。9:20 イスラエル人ではない、アモリ人、ヒッタイト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民すべて、9:21 すなわち、この地に残されていた人々、イスラエル人が聖絶できなかった人々の子孫を、ソロモンは強制労働に徴用した。今日に至るまで、そうである。9:22 しかし、ソロモンはイスラエル人を奴隷にはしなかった。彼らは戦士であり、彼の家来であり、隊長であり、補佐官であり、戦車隊や騎兵隊の長だったからである。9:23 ソロモンには工事の監督をする長が五百五十人いて、工事に携わる民を指揮していた。9:24 ファラオの娘が、ダビデの町から、ソロモンが彼女のために建てた家に上って来たとき、ソロモンはミロを建てた。9:25 ソロモンは、主のために築いた祭壇の上に、一年に三度、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ、それらとともに主の前で香をたいた。彼は神殿を完成させた。9:26 また、ソロモン王は、エドムの地の葦の海の岸辺にあるエイラトに近いエツヨン・ゲベルに船団を設けた。9:27 ヒラムはこの船団に、自分のしもべで海に詳しい水夫たちを、ソロモンのしもべたちと一緒に送り込んだ。9:28 彼らはオフィルへ行き、そこから四百二十タラントの金を取って、ソロモン王のもとに運んだ。   神様は、ソロモンに掟と定めを守り、偶像に仕えてはいけないと言われた。掟と定めは約束を言うことであり、その約束は道徳的規律や抑圧的な遵守義務に対するものではなく、神様が今まで導いてくださった愛を覚えること、その思いを守ることです。そのような人は偶像に仕えることはできません。神様がソロモンに偶像に仕えてはいけない、掟と定めを守ると言われたのは、立憲制で考えるならば権力者に対する憲法的要求です。法律は社会的秩序のために必要なものなので、国民を制限することがあります。その反面、憲法は権力を制限し、国民の権利と自由を保障します。すべての法律は憲法に基づいて立法されなければならず、憲法と法律は相互互換しなければなりません。矛盾を起こすことがあっても、原則の中で現実が調和するようにしなければなりません。   神様の能力と神様の栄光を表わすために、王に権力と富と知恵が必要であり、神様はソロモンにそれを全て与えました。しかし、君主制といってもソロモン個人の専有物として与えられたわけではありません。新約でイエス様と律法学者の対話でイエス様と律法学者が同意した律法の憲法的解釈があります。それは申命記の「神様を愛すること」と、レビ記を根拠にした「隣人を自分のように愛すること」です。それが数多くの律法の上に存在する第一の律法、すなわち憲法的優先順位ということです。ソロモンにとっても変わりません。自分に与えられた権限と力は、神様の民のために使わなければなりません。権力を持つ人は一様に国民のために、皆のために働くと言いますが、それは口実になり、自分自身のための道に進むことがあるからです。   ソロモンはすでに神殿と王宮を建てました。ところが、15節を見ると、「ソロモン王は役務者を徴用して次のような事業をした。彼は主の宮と自分の宮殿、ミロとエルサレムの城壁、ハツォルとメギドとゲゼルを築き直した。9:15」 ソロモンが追加で大規模な土木建築事業を起こしました。ミロとエルサレムに城壁を作り、ハツォルとメギドとゲゼルに軍事基地を建設しました。それだけではありません。 「ソロモンはこのゲゼルを築き直したのである。また、下ベテ・ホロン、バアラテ、この地の荒野にあるタデモル、ソロモンの所有するすべての倉庫の町々、戦車のための町々、騎兵のための町々、またソロモンがエルサレム、レバノン、および彼の全領地に建てたいと切に願っていたものを建てた。9:17-19」 これだけの多くの事業の裏に隠れている民の苦労は大変なことでありました。イスラエルは奴隷にしてないということですが、全民は何らかの形で動員されなければならず、それは後の分裂の原因となります。   人員だけでなく財政も確保しなければなりませんでした14節を見ると、ソロモンはヒラムに金百二十タラントをもらいます。ソロモンはダビデから金十万ダラントをもらいましたが、使い果たしたようです。 ソロモンは、ヒラムに現金支援の見返りとしてガリラヤ地方の二十の町を与えます。神様がくださったカナンの地を異邦人に売ったのです。その土地を受け取ったヒラムが土地に失望したことがあるから、ソロモンは神様の土地の売り払い、また隣人のヒラムには不当なパワハラの取引までしたようです。ソロモンは中毒ではないかと思われます。成功志向の中毒に加え、傍若無人の権力中毒です。自分の成功と業績を絶えず築きたいという誘惑です。その誘惑に陥れば、その中には神も民も入れません。イエス様が教えてくださったのは「私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです」です。スプリングが長く伸びることがありますが、すぐに自分のところに戻らなければなりません。

열왕기상 묵상 【권력자 솔로몬】 20240425(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 9:10~289:10 솔로몬이 두 집 곧 여호와의 전과 왕궁을 이십년 만에 건축하기를 마치고9:11 갈릴리 땅의 성읍 이십을 히람에게 주었으니 이는 두로 왕 히람이 솔로몬에게 그 온갖 소원대로 백향목과 잣나무와 금을 지공하였음이라9:12 히람이 두로에서 와서 솔로몬이 자기에게 준 성읍들을 보고 눈에 들지 아니하여9:13 이르기를 나의 형이여 내게 준 이 성읍들이 이러하뇨 하고 이름하여 가불 땅이라 하였더니…

Ⅰ列王記 黙想 【守るべきこと】 20240424(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰ列王記 9:1~99:1 ソロモンが、主の宮と王宮、および、ソロモンが造りたいと望んでいたすべてのものを完成させたとき、9:2 主は、かつてギブオンで現れたときのように、ソロモンに再び現れた。9:3 主は彼に言われた。「あなたがわたしの前で願った祈りと願いをわたしは聞いた。わたしは、あなたがわたしの名をとこしえに置くために建てたこの宮を聖別した。わたしの目と心は、いつもそこにある。9:4 もしあなたが、あなたの父ダビデが歩んだように、全き心と正直さをもってわたしの前に歩み、わたしがあなたに命じたことすべてをそのまま実行し、わたしの掟と定めを守るなら、9:5 わたしが、あなたの父ダビデに『あなたには、イスラエルの王座から人が断たれることはない』と約束したとおり、あなたの王国の王座をイスラエルの上にとこしえに立たせよう。9:6 もし、あなたがたとあなたがたの子孫が、わたしに背を向けて離れ、あなたがたの前に置いたわたしの命令とわたしの掟を守らずに、行ってほかの神々に仕え、それを拝むなら、9:7 わたしは彼らに与えた地の面からイスラエルを断ち切り、わたしがわたしの名のために聖別した宮をわたしの前から投げ捨てる。イスラエルは、すべての民の間で物笑いの種となり、嘲りの的となる。9:8 この宮は廃墟となり、そのそばを通り過ぎる者はみな驚き恐れてささやき、『何のために、主はこの地とこの宮に、このような仕打ちをされたのだろう』と言う。9:9 人々は、『彼らは、エジプトの地から自分たちの先祖を導き出した彼らの神、主を捨ててほかの神々に頼り、それを拝み、それに仕えた。そのため主はこのすべてのわざわいを彼らに下されたのだ』と言う。」   ソロモンが神殿と王宮建築を全て終え、奉献礼拝を終えた後に神様が再び現れます。最初に現れたのは、政権初期にギブオンで一千回祭を行った時でした。ソロモンは知恵を求め、神様はソロモンに知恵を与えました。 奉献礼拝の後、神様が再び現れたときには 政治的な状況はかなり変わっていたはずです。ソロモンは王権と中央集権体制を強化し、権威ある王宮と神殿を完成させました。政敵はもういません。ソロモン在位期間がイスラエルの全歴史の全盛期ではありますが、ソロモン個人にとって奉献礼拝が行われた時点は全盛期の中でも頂点です。すべてが順調で、平和で、恐いこともなく、うらやましいこともありません。   その時期に神様がソロモンに再び現れたのです。「ソロモンが、主の宮と王宮、および、ソロモンが造りたいと望んでいたすべてのものを完成させたとき、9:1」のニュアンスが妙です。「ソロモンが造りたいと望んでいたすべてのものを完成させた」という表現は何か不安な気がします。ソロモンが自分に酔いしれる危険性を言っているような気もします。栄える時が危機です。初代王サウルが権力を知った時、すでに中毒していましたし、父親のダビデも権力の頂点で倒れ、一生苦痛の中で生きていました。謙遜は態度ではわかりません。ただ、何を選び、どのように決めるかです。高慢が謙遜なふりをすることはできますが、決して謙遜を選択することはありません。   神様はソロモンに誓われ、約束することを望んでおられます。しかし、ソロモンだけでなく、すべての人が完全な意味で神様との約束を守ることはできませんでした。カナンに入る前のイスラエルの民も固く約束しましたが、守れませんでした。聖書の中で誰も守った人はいません。ここで守り抜くように言っていますが、完全に守り抜くことはできないという教訓が一緒にあります。ただ一人の方が守られました。イエス様だけが守り抜いた方です。私たちが守るべきことは、すでに廃棄された律法と、宗教的と道徳的な規範ではなく、その律法を完成されたイエス様をキリストとして信じることです。だから、間違いなく、失敗なく握りしめなければならないのはイエス·キリストです。イエス・キリストのいない空間に偶像が入ってくるからです。イエス様と一緒に歩まなければ、神様に会えず、偶像を求めることになります。

열왕기상 묵상 【지켜야 할 것】 20240424(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 9:1~99:1 솔로몬이 여호와의 전과 왕궁 건축하기를 마치며 자기의 무릇 이루기를 원하던 일이 마친 때에9:2 여호와께서 전에 기브온에서 나타나심 같이 다시 솔로몬에게 나타나사9:3 저에게 이르시되 네가 내 앞에서 기도하며 간구함을 내가 들었은즉 내가 너의 건축한 이 전을 거룩하게 구별하여 나의 이름을 영영히 그곳에 두며 나의 눈과 나의 마음이 항상 거기 있으리니9:4 네가 만일 네 아비…

Ⅰ列王記 黙想 【神様のビジョン】 20240423(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰ列王記 8:54~668:54 こうしてソロモンは、この祈りと願いをことごとく主にささげ終えた。彼は、それまでひざまずいて、天に向かって両手を伸べ広げていた主の祭壇の前から立ち上がり、8:55 まっすぐに立って、イスラエルの全会衆を大声で祝福して言った。8:56 「主がほめたたえられますように。主は約束どおり、ご自分の民イスラエルに安住の地を与えてくださいました。しもべモーセを通してお告げになった良い約束はみな、一つも、地に落ちることはありませんでした。8:57 私たちの神、主が、私たちの先祖とともにいてくださったように、私たちとともにいて、私たちを見放さず、私たちをお見捨てになることがありませんように。8:58 私たちの心を主に傾けさせ、私たちが主のすべての道に歩み、私たちの先祖にお命じになった命令と掟と定めを守らせてくださいますように。8:59 私が主の御前で願ったこれらのことばが、昼も夜も、私たちの神、主のみそば近くにあって、日常のことにおいても、しもべの訴えや、御民イスラエルの訴えを正しくかなえてくださいますように。8:60 こうして、ついに地上のあらゆる民が、主こそ神であり、ほかに神はいないことを知るに至りますように。8:61 あなたがたは、今日のように、私たちの神、主と心を一つにし、主の掟に歩み、主の命令を守らなければならないのです。」8:62 それから、王と、一緒にいたすべてのイスラエル人は、主の前にいけにえを献げた。8:63 ソロモンは主へのいけにえとして、牛二万二千頭と羊十二万匹の交わりのいけにえを献げた。こうして、王とすべてのイスラエルの人々は主の宮を奉献した。8:64 その日、王は主の宮の前庭の中央部を聖別し、そこで全焼のささげ物と、穀物のささげ物と、交わりのいけにえの脂肪を献げた。主の前にあった青銅の祭壇は、全焼のささげ物と、穀物のささげ物と、交わりのいけにえの脂肪を受け入れるには小さすぎたからである。8:65 ソロモンはこのとき、ともにいた全イスラエル、すなわち、レボ・ハマテからエジプト川に至るまでの大会衆と一緒に、七日と七日の十四日間、私たちの神、主の前で祭りを行った。8:66 八日目に王は民を帰らせた。民は王に祝福のことばを述べ、主がそのしもべダビデと、その民イスラエルに下さったすべての恵みを喜び、心満たされて、彼らの天幕に帰って行った。   神殿が完成し、奉献礼拝が終わります。「八日目に王は民を帰らせた。民は王に祝福のことばを述べ、主がそのしもべダビデと、その民イスラエルに下さったすべての恵みを喜び、心満たされて、彼らの天幕に帰って行った。8:66」全民とソロモンが渾然一体になって神様に捧げられた礼拝であり、神様が喜んで受けとる礼拝でした。 ソロモンは、神様に感謝することをモーセの時にさかのぼって、その意味を探ります。モーセのときというのは出エジプトのときです。出エジプトから始まった民たちの長い旅路を遡ってみなければなりませんでした。400年以上奴隷だった民族は、モーセの時にエジプトを出て40年間の荒野生活をしました。カナンとの戦争と征服の時代、長い士師時代を生き、王政が始まった後、3代目の王、王ソロモンになってから神殿時代が始まるようになったのです。   しかし、神殿時代が開かれる感激はソロモンではなく、神様が成し遂げたものです。民が奴隷だった時も、奴隷に戻りたいと言った時も、神様だけが彼らが礼拝できるその日のビジョンを持って来られました。奉献礼拝でソロモンがモーセを言及したのは、神様がご自身の民を引き出し、礼拝の恵みを与えたいというビジョンが、今になって実現されたものだからです。しかし、礼拝のための神様のビジョンはこれで終わることではありません。これは一次的なものに過ぎません。現代のキリスト教がこの神殿の意味を物理的な建築物として考えるなら、依然として大きく雄大で華麗な建物を建てなければならないでしょう。そのため、教会の建物の神殿と銘打って、高くて大きな建物を建てる場合もあります。もちろん、人が集まるための空間を広く確保し、美しくて安全な建物を建てることは重要です。しかし、だからといって教会の建物が神殿になるわけではありません。西暦70年に最後の神殿が破壊されて以来、この世に神殿は存在しません。   その神殿が破壊される少し前にイエス様は神殿が崩れると予言されたことがあります。「イエスは彼らに答えられた。この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる。そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかった。あなたはそれを三日でよみがえらせるのか。しかし、イエスはご自分のからだという神殿について語られたのであった。ヨハネ福音書2:19-21」 そして三日後に再び建てると言われました。それは三日後に復活されるということです。これがまだ終わっていない、決してあきらめない礼拝のための神様のビジョンです。イエス·キリストは十字架で神様との格差である罪を解決し、三日ぶりに復活して神殿を建て直しました。ソロモンの時、民は神殿があるから礼拝することができましたが、私たちはイエス·キリストのゆえに礼拝することができます。神様のビジョンは神殿ではなくイエス·キリストです。ただイエスの血潮です。獣の血はもう効力を失いました。 イエス·キリストの血潮でなければ、神様の礼拝の前に出ることはできません。   三位一体の神様の礼拝に対するビジョンは止まらず、補完され、強化されます。ということで聖霊様を送ってくださいました。「しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。ヨハネ福音16:7」 聖霊様が臨んだ後は、聖徒一人一人が礼拝の機関になります。イエス·キリストを主と告白する聖徒が、すなわちの神殿になるのです。「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。コリント人3:16」 私たちはエルサレムまで行かなくても良いです。礼拝堂を金で飾る必要はありません。人生の中心にイエス·キリストを主と告白する人々の集まり、一致した共同体がイエスを頼りにしてささげる礼拝は、ソロモン神殿の奉献礼拝よりまさる喜びです。皆んが良い家に住みたいと思いますが、家ではなく、家庭が大切のように、建物を追い求めますが、イエス·キリストとともに神殿になった聖徒たちの集まりと礼拝がより大切です。神様のビジョンは終わっていません。まだ礼拝に回復しなければならない人々がいるからです。