ゼパニヤ 黙想 【もし、主の怒りの日に】202311221(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ゼパニヤ 1:14~2:31:14 主の大いなる日は近い。それは近く、すぐにも来る。主の日に声がする。勇士の悲痛な叫び声が。1:15 その日は激しい怒りの日、苦難と苦悩の日、荒廃と滅亡の日、闇と暗黒の日、雲と暗闇の日、1:16 角笛と、ときの声の日、城壁のある町々と高い四隅の塔が襲われる日だ。1:17 「わたしが人を苦しめるので、人々は目の見えない人のように歩く。主に対して罪を犯したからだ。彼らの血は、ちりのように、はらわたは、糞のようにまき散らされる。1:18 彼らの銀も、彼らの金も、主の激しい怒りの日に彼らを救い出せない。主のねたみの火で、全土は焼き払われる。主が地に住むすべての人をたちまちのうちに滅ぼし尽くすからだ。」2:1 ともに集まれ、集まれ。恥知らずの国民よ。2:2 御定めが行われて、その日が籾殻のように過ぎ去らないうちに。主の燃える怒りが、まだあなたがたを襲わないうちに。主の怒りの日が、まだあなたがたを襲わないうちに。2:3 すべてこの国の、主のさばきを行う柔和な者たちよ、主を尋ね求めよ。義を尋ね求めよ。柔和さを尋ね求めよ。そうすれば、主の怒りの日に、かくまってもらえるかもしれない。   ゼパニヤの時代は、北イスラエルを滅ぼしたアッシュルが衰退し、まだユダがバビロニアに滅ぼされる前、南ユダにたった3人だけだった良い王の一人であるヨシヤ王が宗教改革をしていた時です。 ゼパニヤのテーマは「主の日」です。主の日というのはさばきの日です。ヨシヤ王が改革を推進しますが、それは未完に終わり、ユダは結局バビロニアに滅びることになります。ゼパニヤは、その日が迫っていることを伝えています。   「…彼らの血は、ちりのように、はらわたは、糞のようにまき散らされる。彼らの銀も、彼らの金も、主の激しい怒りの日に彼らを救い出せない。主のねたみの火で、全土は焼き払われる。主が地に住むすべての人をたちまちのうちに滅ぼし尽くすからだ。1:17,18」それはユダだけに当てはまることではありません。滅亡はバビロニアによるもの、ローマによるものだけではありません。滅亡は誰にでも予定されており、さばきは刻々と迫っています。   「…そうすれば、主の怒りの日に、かくまってもらえるかもしれない。2:3」、「そうすれば」(אוּלַי)は、「もし」という意味の副詞です。これが持っている望みは大きいです。しかし、この「もし」は「もし神様が心が変わったら」ではなく、「もしあなたが悔い改めれば」です。「もし」の主体は滅亡に向かう民です。彼らが「もし」悔い改めることさえできれば、主の日は、怒りのさばきの日ではなく、神様の救いの日になります。「もし」悔い改めることはできますか?   「もし」の条件は自分の恥を知ること、神様の御言葉を覚えて守ること、義を求め、柔和さを求めることです。「すべてこの国の、主のさばきを行う柔和な者たちよ、主を尋ね求めよ。義を尋ね求めよ。柔和さを尋ね求めよ。…2:3」悔い改めという言葉はいつも聞いていますが、単なる道徳的な反省とは違います。悔い改めは変化の意志もない常套的な自己批判ではありません。 人生の方向を変えるのが悔い改めです。そういう意味で悔い改めというのは一生に何度もできないのかもしれません。しかし、人間が「もし」悔い改めることができれば、神様は「必ず」救われます。

스바냐 묵상 【혹시 여호와의 분노의 날에】 20231127(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

스바냐 1:14~2:31:14 여호와의 큰 날이 가깝도다 가깝고도 심히 빠르도다 여호와의 날의 소리로다 용사가 거기서 심히 애곡하는도다1:15 그날은 분노의 날이요 환난과 고통의 날이요 황무와 패괴의 날이요 캄캄하고 어두운 날이요 구름과 흑암의 날이요1:16 나팔을 불어 경고하며 견고한 성읍을 치며 높은 망대를 치는 날이로다1:17 내가 사람들에게 고난을 내려 소경같이 행하게 하리니 이는 그들이 나 여호와께 범죄하였음이라 또 그들의…

箴言 黙想 【共に生きる生活】20231125(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

箴言 22:17-29 22:17 耳を傾けて、知恵のある者たちのことばを聞け。私の知識に心を向けよ。 22:18 これらをあなたのうちに保つのは楽しいこと。これらをみな、あなたの唇に備えよ。 22:19 あなたが主に拠り頼むことができるように、私は今日、特にあなたに教える。 22:20 私はあなたのために、勧告と知識についての三十句を書いたではないか。 22:21 これは、あなたに真理のことばの確かさを教え、あなたを遣わした者に、真理のことばを持ち帰らせるためである。 22:22 貧しい者からかすめ取るな。彼が貧しいからといって。苦しむ者を門のところで踏みにじるな。 22:23 主が彼らの訴えを取り上げ、彼らから奪う者のいのちを、奪われるからだ。 22:24 怒りっぽい者と交わるな。激しやすい者と一緒に行くな。 22:25 あなたがその道に倣って、自分が罠にかからないために。 22:26 あなたは人と誓約をしてはならない。負債の保証人となってはならない。 22:27 あなたに償うものがないとき、人があなたの下から寝床を奪ってもよいだろうか。 22:28 昔からの地境を移してはならない。それはあなたの先祖が設けたものだ。 22:29 仕事に熟練した人を見たことがあるか。その人は王の前に立つが、無名の人の前には立たない。  人間は社会的な存在であると言われています。 一人では生きていけず、どこかに属し、誰かと一緒に生きていく存在であるという意味です。    昔の中世ヨーロッパでは信仰を守るために世俗から離れて修道院生活をしたり、旅人生活をする人々がいました。 そして、彼らによって中世時代の神学が発展しました。    現代時代、教会は世の中で塩と光の役割に果たすべきというイエス様の命令によって、世俗化を避けて修道院に入るのではなく、世の中に進んでいき、その世の中を変えることがキリスト者の使命であると強調しています。 確かにこれが御言葉に従うことだと私も思いますが、中世時代の修道院が見せてくれた信仰のための努力はただの過ちでなく、私たちも見習うべき姿であることを覚えるべきです。    社会的存在である人間は共に生きる生活、見て聞いて言って行動するすべてのことを通じてお互いに影響を受け、影響を及ぼす存在です。 だからこそ、この世の中で生きていく私たちは、常に自分の心を振り返りながら調べなければなりません。    私たちは皆、それぞれが最も多くの時間を過ごす場所、人がいます。 職場、学校、家庭などいろいろなところが挙げられます。 しかし、私たちはどこでも、どんな時も神様が私たちと共にしていることを覚えておかなければなりません。 私たちが最も多くの時間を一緒に過ごすのは家族でも、友人でも、職場の同僚でもなく、いつも私たちと共にするインマヌエルの神様です。    だとしたら、私たちはどこの誰に影響を受ける存在にならなければならないのでしょうか。 当然、私たちと最も多くの時間を共に過ごす神様の影響を受け、神様の御心とその考え方に似ていく存在にならなければならないでしょう。 そして、その影響を世の中に及ぼす者にならなければなりません。 https://youtu.be/AIvLEBfQ8J8?si=bBkiNzzNPWB1I_vD

잠언 묵상 【함께 하는 삶】 20231125(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

잠언 22:17-29 22:17 너는 귀를 기울여 지혜 있는 자의 말씀을 들으며 내 지식에 마음을 둘지어다 22:18 이것을 네 속에 보존하며 네 입술 위에 함께 있게 함이 아름다우니라 22:19 내가 네게 여호와를 의뢰하게 하려 하여 이것을 오늘 특별히 네게 알게 하였노니 22:20 내가 모략과 지식의 아름다운 것을 너를 위해 기록하여 22:21 네가 진리의 확실한 말씀을 깨닫게 하며 또 너를 보내는 자에게…

箴言 黙想 【主に造られたもの】20231124(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

箴言 22:1-16 22:1 名声は多くの富より望ましく、愛顧を受けることは銀や金にまさる。 22:2 富む者と貧しい者が出会う。どちらもみな、造られたのは主である。 22:3 賢い者はわざわいを見て身を隠し、浅はかな者は入って行って痛い目にあう。 22:4 へりくだりと、主を恐れることの報いは、富と誉れといのち。 22:5 曲がった者の道には茨と罠がある。たましいを守る者はこれらから遠く離れる。 22:6 若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。 22:7 富む者は貧しい者を支配する。借りる者は貸す者のしもべとなる。 22:8 不正を蒔く者はわざわいを刈り取る。こうして彼への激しい怒りのむちは終わる。 22:9 善意の人は祝福を受ける。自分のパンを貧しい者に与えるからだ。 22:10 嘲る者を追い出せ。争いは出て行く。もめごとも辱めも終わる。 22:11 心のきよさを愛し、優しく話をする者は、王がその友となる。 22:12 主の目は知識を見守り、裏切り者のことばをくつがえす。 22:13 怠け者は言う。「獅子が通りにいる。私は広場で殺される」と。 22:14 よその女の口車は深い穴。主の憤りに触れた者がそこに落ち込む。 22:15 愚かさは子どもの心に絡み付いている。懲らしめのむちがこれを子どもから遠ざける。 22:16 自分を富ませるために貧しい人を虐げる者、富む人に与える者──どちらも欠乏に至るのみ。  先週の主日は感謝の礼拝で、共にに神様に感謝の礼拝を捧げる時間を持ちました。    しかし、戻ってきた現実の中には未だにも細かいことから大きなことまで、感謝の課題とは言えないようなことが起きています。 その中でも確かなことは、「どちらもみな、造られたのは主である。」という御言葉の通り、すべてのことの主が神様であるという事実です。    善である神様が、なぜ私たちをこのような苦難の状況と事柄の前に立たせるのでしょうか。 私たちはこのような悩みの中で、御言葉を通して慰めを得ることができます。    イスラエルの民の出エジプトの当時、安全にそこから抜け出すことができたはずのイスラエルの民たちに、神様はファラオの心を頑なにされ、彼らの後を追わせました。 家族と共にに幸せな日々を過ごしていたヨブに、神様はサタンの試みを許しました。 木にかけられた者は神にのろわれた者(申21:23)という御言葉と共に、御自分の子イエス·キリストを十字架につけられるようにしました。    このような苦難の時を過ぎて、彼らに与えられたものは何でしたか。 それは、神様の完全な栄光でした。 神様は私たちに自分の完全な栄光を見せるために、その栄光に私たちを加えるために、この世の悪そうなものまで善のために用いておられます。    私たちの心は子供の心のようで、愚かさに絡み付かれています。 しかし、神様の懲らしめの鞭は、この愚かさを追い出し、私たちを愚かな者の道ではなく知恵のある者の道に導いてくださいます。    私たちの人生に苦難は確かに訪れてくるでしょう。 誰かは今、その苦難の時を過ごしているかもしれません。…

잠언 묵상 【모든 것이 주의 것】 20231124(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

잠언 22:1-16 22:1 많은 재물보다 명예를 택할 것이요 은이나 금보다 은총을 더욱 택할 것이니라 22:2 가난한 자와 부한 자가 함께 살거니와 그 모두를 지으신 이는 여호와시니라 22:3 슬기로운 자는 재앙을 보면 숨어 피하여도 어리석은 자는 나가다가 해를 받느니라 22:4 겸손과 여호와를 경외함의 보상은 재물과 영광과 생명이니라 22:5 패역한 자의 길에는 가시와 올무가 있거니와 영혼을 지키는 자는 이를 멀리 하느니라 22:6 마땅히…

箴言 黙想 【悪しきもの捕り方】20231123(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

箴言 21:15~3121:15 公正が行われることは、正しい人には喜び、不法を行う者には恐怖。21:16 賢明さへの道から迷い出る人は、死者の霊たちの集いで安らぐ。21:17 快楽を愛する者は貧しい人となり、ぶどう酒や油を愛する者は富むことがない。21:18 悪しき者が正しい人のための身代金となり、裏切り者が直ぐな人の身代わりとなる。21:19 争い好きで、苛立つ女といるよりは、荒野に住むほうがまだましだ。21:20 知恵のある者の住まいには、好ましい財宝と油がある。しかし、愚かな人はこれを吞み尽くす。21:21 義と恵みを追い求める者は、いのちと義と誉れを見出す。21:22 知恵のある者は勇士たちの町に攻め上り、その頼みとする砦を崩す。21:23 自分の口と舌を守る者は、自分自身を守って苦難にあわない。21:24 横柄で不遜な者、その名は「嘲る者」。彼は憤然として横柄にふるまう。21:25 怠け者の欲望はその身を殺す。その手が、働くことを拒むからだ。21:26 この者は一日中、自分の欲望に明け暮れる。しかし、正しい人は人に与えて惜しまない。21:27 悪しき者のいけにえは忌み嫌われる。悪意をもって献げるときは、なおさらのこと。21:28 偽りの証人は滅びる。しかし、よく聞く者は正しく語り続ける。21:29 悪しき者は厚かましいが、直ぐな人は自分の道をわきまえる。21:30 どんな知恵も英知も、はかりごとも、主の前では無きに等しい。   「21:22 知恵のある者は勇士たちの町に攻め上り、その頼みとする砦を崩す。」ライオンが自分より大きな獲物を狩る時、首をくわえて垂れ下がって息を止めます。ライオンから逃げられないと命を奪われますが、狩りをするライオンもリスクを抱えて狩りをします。怠けたり、失敗すると、飢えなければならず、死ななければなりません。狩る獣と逃げる獣が皆命をかけています。だから怠けてはいけないしし、恐れてもいけません。勇気を出して獲物を捕まえて、あっという間に息の根を止めなければなりません。   「まず強い者を縛り上げるのでなければ、強い者の家に入って家財を奪い取ることが、どうしてできるでしょうか。縛り上げれば、その家を略奪できます。マタイ12:29」 これは盗みの要領を教えたことではありません。イエス様が悪しきものを追い出されえる時に言われたことです。聖霊がおられるので悪しきものを追い出すことができます。だから、聖霊を冒涜してはならないと言われたのです。他人に勝つためには最も強いものを攻めなければならず、自分に勝つためには日常の習慣で最も恐いもの、最も避けたいものの息の根を止めなければなりません。   「21:26 この者は一日中、自分の欲望に明け暮れる。しかし、正しい人は人に与えて惜しまない。」計算が速い人は、利益と損害をすばやく数え、交渉します。計算に遅い私としてはうらやましい能力です。ところが、神様の算数はそれとは違います。使うのに減らず、汲み出すのにも枯れません。握りしめても漏れますが、手放しても満たされます。財政において信仰の挑戦にならない人は算数が速すぎるからでしょう。財政において神様を信じることができなければ、他のことからも神様を信じることはできません。信仰の挑戦ができないのは、算数力が速いからです。「21:30どんな知恵も英知も、はかりごとも、主の前では無きに等しい。」知恵より、英知より、はかりよりも神様の側に立つ方が利益です。 計算と決算は神様が行われます。

잠언 묵상 【귀신 잡는 법】 20231123(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

잠언 21:15~3121:15 공의를 행하는 것이 의인에게는 즐거움이요 죄인에게는 패망이니라21:16 명철의 길을 떠난 사람은 사망의 회중에 거하리라21:17 연락을 좋아하는 자는 가난하게 되고 술과 기름을 좋아하는 자는 부하게 되지 못하느니라21:18 악인은 의인의 대속이 되고 궤사한 자는 정직한 자의 대신이 되느니라21:19 다투며 성내는 여인과 함께 사는 것보다 광야에서 혼자 사는 것이 나으니라21:20 지혜있는 자의 집에는 귀한 보배와 기름이…

箴言 黙想 【Paradox】20231122(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

箴言 20:1~1421:1 王の心は、主の手の中にあって水の流れのよう。主はみこころのままに、その向きを変えられる。21:2 人には自分の歩みがみなまっすぐに見える。しかし、主は人の心を評価される。21:3 義と公正を行うことは、主の前で、いけにえより望ましい。21:4 高ぶる目とおごる心。悪しき者のともしびは罪。21:5 勤勉な人の計画は利益をもたらし、すべて慌てる者は損失を招くだけだ。21:6 偽りの舌をもって財宝を得る者は、吹き払われるもやのよう。死を追い求める者だ。21:7 悪しき者たちは自らの暴力に引きずられる。公正を行おうとしないからだ。21:8 罪人の道はねじれている。しかし、純粋な人の行いは真っ直ぐだ。21:9 争い好きな女と一緒に家にいるよりは、屋上の片隅に住むほうがよい。21:10 悪しき者のたましいは悪事に憧れ、その目に隣人へのあわれみはない。21:11 嘲る者が罰を受けると、浅はかな者が知恵を得る。知恵のある人が賢くなると、その人は知識を加える。21:12 正しい方は悪者の家を見抜き、悪者どもをわざわいに導かれる。21:13 貧しい者の叫びに耳を閉ざす者は、自分が呼ぶときにも答えてもらえない。21:14 ひそかな贈り物は怒りを鎮め、懐の賄賂は激しい憤りを鎮める。   「21:2 人には自分の歩みがみなまっすぐに見える。しかし、主は人の心を評価される。」「人には自分の歩みがみなまっすぐに見える。しかし」と言うのは、自分がそう思うだけで、実際はそうではないということです。人が自己中心であるということは、自分自身の動機さえ冷徹に把握できないからです。意図的に人をだますことがあれば、自分も自分にだまされることにもあります。   正式の心理学用語ではないですが、リプリー症候群というものがあります。「リプリー症候群(Ripley Syndrome):自分の現実を否定し、実際には存在しない虚構の世界を真実のように信じ、偽りの言葉と行動を繰り返す反社会的人格障害」自己合理化のために偽りを混ぜ込み、ついに自分がそれを真実と信じてしまうことです。   日差しの良い午後に布団を干すと、夕方に布団に入る気持ちがよくなります。人が自分にだまされないためには、心を取り出して日光に干さなければなりません。神様は騙されません。私が私を知っていることと、神様が私を知っていることが異ならないことを願います。   「21:3 義と公正を行うことは、主の前で、いけにえより望ましい。」主日礼拝聖守という言葉が信仰の絶対的基準のように思われましたが、主日礼拝と平日の関係、そしてその持続性と一貫性が説明できなければ聖守という言葉は色あせてしまいます。誰でも宗教儀式より聖徒の考え方と生き方が大切であることに反対する人はいないと思います。よく信じているということ、それが自分が自分を騙しているのではないか、自分が自分に騙されているのではないかと疑ってみなければなりません。   「21:9 争い好きな女と一緒に家にいるよりは、屋上の片隅に住むほうがよい。」それぞれの事情によって結婚生活を維持する人もいれば、そうでない人もいます。結婚生活が幸せでない人は屋上の片隅に一人で住んでみるのもいいと思います。同じ道を一緒に歩む人がいるということは大きな慰めであり、幸いです。経済的に豊かになれば幸せのための様々なことができますが、愛と信頼の関係がなければ何をしても幸せにはなりません。一人で屋上の片隅に行きなさいということではありません。家庭の平和のための知恵の御言葉です。

잠언 묵상 【Paradox】 20231122(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

잠언 21:1~1421:1 왕의 마음이 여호와의 손에 있음이 마치 보의 물과 같아서 그가 임의로 인도하시느니라21:2 사람의 행위가 자기 보기에는 모두 정직하여도 여호와는 심령을 감찰하시느니라21:3 의와 공평을 행하는 것은 제사 드리는 것보다 여호와께서 기쁘게 여기시느니라21:4 눈이 높은 것과 마음이 교만한 것과 악인의 형통한 것은 다 죄니라21:5 부지런한 자의 경영은 풍부함에 이를 것이나 조급한 자는 궁핍함에 이를 따름이니라21:6…