箴言 黙想 【チャンスを逃さない信仰】20231115(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師
箴言 17:1~1217:1 乾いたパンが一切れあって平穏なのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。17:2 賢明なしもべは、恥知らずな子をも治め、兄弟たちの間にあって、資産の分け前にあずかる。17:3 銀にはるつぼ、金には炉、人の心を試すのは主。17:4 悪を行う者は邪悪な唇に聞き入り、偽り者は破滅の舌に耳を傾ける。17:5 貧しい者を嘲る者は自分の造り主をそしる。人の災難を喜ぶ者は罰を免れない。17:6 孫たちは老人の冠。父祖たちは子らの栄え。17:7 愚か者に雄弁な舌はふさわしくない。高貴な人に偽りの唇はなおふさわしくない。17:8 賄賂は、その贈り主の目には宝石。その向かうところ、どこにおいても、うまくいく。17:9 愛を追い求める者は背きの罪をおおう。同じことを蒸し返す者は親しい友を離れさせる。17:10 分別のある者を一回叱ることは、愚かな者を百回むち打つよりも効き目がある。17:11 悪人はただ逆らうことだけを求める。その者には残忍な使者が送られる。17:12 愚かさにふける愚かな者に会うより、子を奪われた雌熊に出会うほうがましだ。 【家庭の平和】「17:1 乾いたパンが一切れあって平穏なのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」家族も根本的に他人なので葛藤はあります。しかし家族にまさる安息の名はありません。理解し合い、赦し合うなら天国が広がり、憎み合い、戦い合えば地獄に落ちます。この世にお金はたくさんあります。そのために戦わず、一つだけの家庭の安息と平和を守らなければなりません。 【社会的機会】「17:2 賢明なしもべは、恥知らずな子をも治め、兄弟たちの間にあって、資産の分け前にあずかる。」個人化したた世代は、自分のこと以外には関心を持たず、責任を追うこともありません。もちろん会社員は会社や上司のしもべではありません。だからといって主人であるわけでもないです。主人の働きを主人意識を持って果たすしもべがいるなら彼に社会的な機会が与えられます。そういう意味ではチャンスは以前よりも多い時代です。神様は神の国に主人意識を持って働くしもべを探し求めます。 【苦難と成長】「17:3 銀にはるつぼ、金には炉、人の心を試すのは主。」This too will pass(これもまた過ぎ去る)。死にそうな時間がありますが、それに耐えるといつかは過ぎ去っていきます。気が付いたら、自分が変わったか、状況が変わったか、どちらかは変わっています。るつぼと炉に入る時は苦しいですが、その結果、精練されると純銀と純金が残ります。ところが、神様が関心を持っておられるのは、金でも銀でもなく、苦しい時に貫き、試された人の心です。 【裕福な者の態度】「17:5 貧しい者を嘲る者は自分の造り主をそしる。人の災難を喜ぶ者は罰を免れない。」他人のせいにせずに努力すれば、誰でも自立した生活はできます。しかし、富は神様から与えられるものです。人が頑張って富を獲得することではなく、神様が時とチャンスを与えたからです。機会と恵みを持続する方法は感謝をもって謙遜に貧しいところに仕えることです。世の中の富が均等ではないのは、富んでいる者が貧しい者に仕える機会を与えられているからです。みんなが一生懸命生きていますが、富む者と貧しい者はいつ席を変わるかはわかりません。 【心と物質】「17:8 賄賂は、その贈り主の目には宝石。その向かうところ、どこにおいても、うまくいく。」賄賂と訳しましたが、意味は贈り物です。プレゼントというのは、相手を大切にしていることが伝わり、信頼を深めます。牧師の家庭ということでおいしいプレゼントをいただくことがあります。いつも感謝しています。ところが、私の妻はそれを玄関にしばらく置いてから、また別のところに持っていきます。外に持ち続けますが、神様の計算法により、家にはいつもおいしいものが溢れます。 【言うべきこと、言ってはならないこと】「17:9 愛を追い求める者は背きの罪をおおう。同じことを蒸し返す者は親しい友を離れさせる。」自分の過ちには神様の慈悲を適用し、他人の過ちには指摘と矯正を長く言う人がいます。あることは何もしなくても解決されますし、ある人は何も教えなくても自ら成長します。覆ってあげて、慰めてあげればそれでできる限りの最善を尽くしたことです。最悪はそれをあちらこちらいいつけることです。