민수기 묵상【생소한 이름】20250607(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

민수기 34:16-29 34:16 여호와께서 또 모세에게 말씀하여 이르시되 34:17 너희에게 땅을 기업으로 나눌 자의 이름은 이러하니 제사장 엘르아살과 눈의 아들 여호수아니라 34:18 너희는 또 기업의 땅을 나누기 위하여 각 지파에 한 지휘관씩 택하라 34:19 그 사람들의 이름은 이러하니 유다 지파에서는 여분네의 아들 갈렙이요 34:20 시므온 지파에서는 암미훗의 아들 스므엘이요 34:21 베냐민 지파에서는 기슬론의 아들 엘리닷이요…

民数記 黙想 【その地の住民をことごとく追い払って】 20250605(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

民数記 33:38~56 33:38 祭司アロンは主の命によりホル山に登り、そこで死んだ。それは、イスラエルの子らがエジプトの地を出てから四十年目の第五の月の一日であった。 33:39 アロンはホル山で死んだとき、百二十三歳であった。 33:40 カナンの地のネゲブに住んでいたカナン人、アラドの王は、イスラエル人がやって来るのを聞いた。 33:41 それから、彼らはホル山を旅立ってツァルモナに宿営し、 33:42 ツァルモナを旅立ってプノンに宿営し、 33:43 プノンを旅立ってオボテに宿営し、 33:44 オボテを旅立ってモアブの領土のイエ・ハ・アバリムに宿営した。 33:45 イイムを旅立ってディボン・ガドに宿営し、 33:46 ディボン・ガドを旅立ってアルモン・ディブラタイムに宿営した。 33:47 アルモン・ディブラタイムを旅立って、ネボの手前にあるアバリムの山々に宿営し、 33:48 アバリムの山々を旅立って、エリコをのぞむヨルダン川のほとりのモアブの草原に宿営した。 33:49 すなわち、ヨルダン川のほとり、ベテ・ハ・エシモテからアベル・ハ・シティムに至るまでのモアブの草原に、彼らは宿営した。 33:50 エリコをのぞむヨルダン川のほとりのモアブの草原で、主はモーセに告げられた。 33:51 「イスラエルの子らに告げよ。あなたがたがヨルダン川を渡ってカナンの地に入るときには、 33:52 その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払って、彼らの石像をすべて粉砕し、彼らの鋳像をすべて粉砕し、彼らの高き所をすべて打ち壊さなければならない。 33:53 あなたがたはその地を自分の所有とし、そこに住め。あなたがたが所有するように、わたしがそれを与えたからである。 33:54 あなたがたは、氏族ごとに、くじを引いて、その地を相続地とせよ。大きい部族には、その相続地を大きくし、小さい部族には、その相続地を小さくしなければならない。くじで当たったその場所が、その部族のものとなる。あなたがたは、自分の父祖の部族ごとに相続地を受けなければならない。 33:55 もしその地の住民をあなたがたの前から追い払わなければ、あなたがたが残しておく者たちは、あなたがたの目のとげとなり、脇腹の茨となり、彼らはあなたがたが住むその土地であなたがたを苦しめる。 33:56 そしてわたしは、彼らに対してしようと計画したとおりを、あなたがたに対してすることになる。」 34:1 主はモーセに告げられた。 神様がカナンの住民を完全に滅ぼせと命じられたことは、今日の多くの人々にとって大きなつまずきとなっています。愛と憐れみの神様が、民族全体の根絶を命じたという事実を受け入れることが、どうしても難しく思えるからです。しかしこの御言葉は、単なる文字通りの命令として読むのではなく、神様なしに築かれた秩序と生き方は、最終的に必ず崩壊してしまうという存在の原理の中で理解されるべきです。神様のいない世界は、やがて自己破壊に向かい、そこに神の民が立ち入るとき、必ず「清め」が求められます。神様の統治は、常にそのような必然的転換を伴うのです。 この「清め」は、外面的には人を滅ぼす戦争というかたちで啓示されていますが、その本質は異なります。それは神様が宿られるために、人生の構造と方向が徹底的に転換されることを意味します。旧約におけるこの「清め」のモデルは、イエス・キリストにおいて完全に成就しました。イエス様は剣によって世界を征服されたのではなく、ご自身を差し出すことによって、世の罪を清められたのです。「滅ぼせ」という神様の命令に対する誤解は、十字架の上でその意味が反転されます。旧約において殲滅として示された神様の聖は、イエス・キリストの完全な自己犠牲のうちに、真の解釈を得るのです。 カナンに入ったイスラエルの民のように、イエス・キリストを受け入れた者は、以前のものとの混合を許すことはできません。妥協された価値観も、密かな偶像も、主を信じる信仰と共存することはできません。ですから、旧約の「殲滅せよ」という命令は、今日の私たちの内なる偶像と妥協に対する悔い改めと刷新への呼びかけとして再解釈されるべきです。この聖書の言葉を文字通りに適用し、現代の政治的・領土的な争いを正当化しようとする試みは、福音の精神とは本質的に矛盾しています。キリストは人を滅ぼし、土地を奪うために来られたのではなく、心を徹底的に洗い清め、その中に神の国を植えられるために来られたのです。 今、私たちに与えられている課題は、「自分の内なるカナン」を完全に清めることです。イエス・キリストだけがそこに住まわれるように、混合なく、妥協なく、残ることなく、神様に向かって完全に転換されること――ただ主だけが私たちの主となられるようにすること――それこそが、現代の私たちに与えられている真の「清めの命令」なのです。

민수기 묵상 【그 땅 거민을 다 몰아내고】 20250605(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

민수기 33:38~56 33:38 이스라엘 자손이 애굽 땅에서 나온 지 사십 년 오월 일 일에 제사장 아론이 여호와의 명으로 호르산에 올라가 거기서 죽었으니 33:39 아론이 호르산에서 죽던 때에 나이 일백 이십 삼 세이었더라 33:40 가나안 땅 남방에 거한 가나안 사람 아랏 왕이 이스라엘의 옴을 들었더라 33:41 그들이 호르산에서 발행하여 살모나에 진쳤고 33:42 살모나에서 발행하여 부논에 진쳤고…

民数記 黙想 【次はどこへ向かうのか】 20250604(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

民数記 33:1~37 33:1 モーセとアロンの指導のもとに、その軍団ごとにエジプトの地から出て来たイスラエルの子らの旅程は次のとおりである。 33:2 モーセは主の命により、彼らの旅程の出発地点を書き記した。その旅程は、出発地点によると次のとおりである。 33:3 彼らは第一の月、その月の十五日に、ラメセスを旅立った。すなわち過越のいけにえの翌日、イスラエルの子らは、全エジプトが見ている前を臆することなく出て行った。 33:4 エジプトは、彼らの間で主が打たれたすべての長子を埋葬していた。主は彼らの神々にもさばきを下された。 33:5 イスラエルの子らはラメセスを旅立ってスコテに宿営し、 33:6 スコテを旅立って荒野の端にあるエタムに宿営した。 33:7 エタムを旅立ってバアル・ツェフォンの手前にあるピ・ハヒロテの方に向きを変え、ミグドルの前で宿営した。 33:8 ピ・ハヒロテを旅立って海の真ん中を通って荒野に向かい、エタムの荒野を三日路ほど行ってマラに宿営した。 33:9 マラを旅立ってエリムに行き、そこに宿営した。エリムには十二の泉と、七十本のなつめ椰子の木があった。 33:10 それから、彼らはエリムを旅立って葦の海のほとりに宿営し、 33:11 葦の海を旅立ってシンの荒野に宿営した。 33:12 シンの荒野を旅立ってドフカに宿営し、 33:13 ドフカを旅立ってアルシュに宿営し、 33:14 アルシュを旅立ってレフィディムに宿営した。そこには民の飲む水がなかった。 33:15 それから、彼らはレフィディムを旅立ってシナイの荒野に宿営し、 33:16 シナイの荒野を旅立ってキブロテ・ハ・タアワに宿営した。 33:17 キブロテ・ハ・タアワを旅立ってハツェロテに宿営し、 33:18 ハツェロテを旅立ってリテマに宿営した。 33:19 リテマを旅立ってリンモン・ペレツに宿営し、 33:20 リンモン・ペレツを旅立ってリブナに宿営した。 33:21 リブナを旅立ってリサに宿営し、 33:22 リサを旅立ってケヘラタに宿営し、 33:23 ケヘラタを旅立ってシェフェル山に宿営した。 33:24 シェフェル山を旅立ってハラダに宿営し、 33:25 ハラダを旅立ってマクヘロテに宿営した。 33:26 マクヘロテを旅立ってタハテに宿営し、 33:27…

민수기 묵상 【다음은 어디로 갈 것인가】 20250604(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

민수기 33:1~37 33:1 이스라엘 자손이 모세와 아론의 관할하에 그 항오대로 애굽 땅에서 나오던 때의 노정이 이러하니라 33:2 모세가 여호와의 명대로 그 노정을 따라 그 진행한 것을 기록하였으니 그 진행한 대로 그 노정은 이러하니라 33:3 그들이 정월 십 오 일에 라암셋에서 발행하였으니 곧 유월절 다음 날이라 이스라엘 자손이 애굽 모든 사람의 목전에서 큰 권능으로 나왔으니 33:4…

民数記 黙想 【ノブレス・オブリージュ】 20250603(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

民数記 32:28~42 32:28 そこで、モーセは彼らについて、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、イスラエルの諸部族の一族のかしらたちに命令を下した。 32:29 モーセは彼らに言った。「もし、ガド族とルベン族の、戦いのために武装した者がみな、あなたがたとともにヨルダン川を渡り、主の前で戦い、その地があなたがたの前に征服されたなら、あなたがたはギルアデの地を所有地として彼らに与えなさい。 32:30 しかし、もし彼らが武装してあなたがたとともに渡って行かなければ、彼らはカナンの地であなたがたの間に所有地を得なければならない。」 32:31 ガド族とルベン族は答えた。「主があなたのしもべたちに語られたことを、私たちは実行いたします。 32:32 私たちは武装して主の前にカナンの地に渡って行き、私たちの相続の所有地を、このヨルダンの川向こうとします。」 32:33 そこでモーセは、ガド族と、ルベン族と、ヨセフの子マナセの半部族に、アモリ人の王シホンの王国とバシャンの王オグの王国、すなわち町々がある地と、周辺の地の町々がある領土を与えた。 32:34 そこでガド族は、ディボン、アタロテ、アロエル、 32:35 アテロテ・ショファン、ヤゼル、ヨグボハ、 32:36 ベテ・ニムラ、ベテ・ハランを城壁のある町々として、または羊の囲い場として建て直した。 32:37 また、ルベン族は、ヘシュボン、エルアレ、キルヤタイム、 32:38 および、後に名を改められたネボとバアル・メオン、またシブマを建て直した。彼らは、建て直した町々に新しい名をつけた。 32:39 マナセの子マキルの子らはギルアデに行って、そこを攻め取り、そこにいたアモリ人を追い出した。 32:40 モーセがギルアデをマナセの子マキルに与えたので、彼はそこに住んだ。 32:41 マナセの子ヤイルは行って、彼らの町々を攻め取り、それらをハボテ・ヤイルと名づけた。 32:42 ノバフは行って、ケナテとそれに属する村々を攻め取り、自分の名にちなんで、それをノバフと名づけた。 ヨルダン川を渡る前、ルベン族とガド族はギレアデの牧草地を見て、その地を自分たちの相続地として求めました。他の部族はまだ割り当て地が決まっておらず、カナン本土の征服もこれからという段階でした。しかしヨルダン川の東側の一部地域は、すでにモーセがアモリ人の王シホンとバシャンの王オグを打ち破って手に入れた土地でした。彼らの要求は、一歩間違えれば共同体の秩序を乱し、対立を招く可能性がありました。しかし彼らは条件を提示しました――すべての征服戦争が終わるまで、武装して先頭に立って戦うという約束でした。モーセはその約束を受け入れましたが、神様と共同体の前で責任をもって果たすことを明確に求めました。 本日の本文は、ガド族とルベン族がモーセと神様の前で交わした約束が、どのように公に確定されていくかを示しています。モーセは彼らの要求を条件付きで受け入れ、祭司エルアザルとヨシュア、そして各部族の族長たちに引き継ぎます。その結果、ガド族・ルベン族、そしてマナセの半部族が、ヨルダン川の東側にあるギレアデとバシャンの地を分与され、それぞれの名を付けて町々を建設しました。これは、共同体の前で約束を実践するという意志の表れだったと言えるでしょう。 現実的な願いは、時に利己的な欲望と見なされがちですが、それが共同体の中で責任と献身を伴うならば、信仰の中で正当な権利として認められることがあります。「現実的な必要」という意味において、欲望は誰の心にも存在します。正当な権利を求めること自体は人間として当然であり、信仰はそれを否定したり、罪として断じたりはしません。しかし、その権利を求めるには、それに見合う責任と献身が必要です。対立の兆しがあったからこそ、より明確な方法で信頼を守る必要があったのです。信仰とは、欲望を持たない状態ではなく、その欲望を誠実に取り扱う姿勢なのです。後に東側の征服で登場するアカンの出来事は、この点において強く対照的です。自分の権利や現実的な必要を主張するとき、それに伴う献身の重さを果たして自覚しているのか――そのことを私たちは自らに問い直さなければなりません。

민수기 묵상 【노블레스 오블리주】 20250603(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

민수기 32:28~42 32:28 이에 모세가 그들에게 대하여 제사장 엘르아살과 눈의 아들 여호수아와 이스라엘 자손 지파의 두령들에게 명하니라 32:29 모세가 그들에게 이르되 갓 자손과 르우벤 자손이 만일 각기 무장하고 너희와 함께 요단을 건너가서 여호와 앞에서 싸워서 그 땅이 너희 앞에 항복하기에 이르거든 길르앗 땅을 그들에게 산업으로 줄 것이니라 32:30 그러나 그들이 만일 너희와 함께 무장하고 건너지…

民数記 黙想 【ヨルダン川の東で】 20250602(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

民数記 32:16~27 32:16 彼らはモーセに近寄って言った。「私たちはここに、家畜のために羊の囲い場を作り、子どもたちのために町々を建てます。 32:17 しかし私たちは、イスラエルの子らを彼らの場所に導き入れるまで、武装して先頭に立って急ぎ進みます。子どもたちは、この地の住民の前で城壁のある町々に住みます。 32:18 私たちは、イスラエルの子らがそれぞれその相続地を受け継ぐまで、自分の家に帰りません。 32:19 ヨルダン川の向こう側では、彼らとともに相続地を持ちません。私たちの相続地は、このヨルダンの川向こう、東の方になります。」 32:20 モーセは彼らに言った。「もしあなたがたがそのことを実行するなら、すなわち、もし主の前で戦いのために武装し、 32:21 あなたがたのうちの武装した者がみな主の前でヨルダン川を渡り、ついに主がその敵を御前から追い払い、 32:22 その地が主の前に征服され、その後であなたがたが帰って来るなら、あなたがたは主に対してもイスラエルに対しても責任を解かれる。そして、この地は主の前であなたがたの所有地となる。 32:23 しかし、もしそのように行わないなら、そのとき、あなたがたは主の前に罪ある者となり、自分たちの身に降りかかる罪の罰を思い知ることになる。 32:24 あなたがたは、自分の子どもたちのために町々を建て、自分の羊のために囲い場を作るがよい。自分の口から出たことを実行しなさい。」 32:25 ガド族とルベン族はモーセに答えた。「しもべどもは、あなたが命じられるとおりにします。 32:26 私たちの子どもたちや妻たち、家畜とすべての動物は、あそこ、ギルアデの町々にとどまります。 32:27 しかし、しもべども、戦のために武装した者はみな、あなたがおっしゃるとおり、渡って行って、主の前で戦います。」 イスラエルがヨルダン川を渡る直前、モアブの平野に宿営していたときのことです。モーセはまだ存命であり、カナン征服の本格的な開始を目前に控えていました。ヨルダン川を渡って西側に入ることでカナン征服は始まりますが、東側にもギレアデやヤゼルといった土地が存在していました。ギレアデとヤゼル一帯は家畜の飼育に適した牧草地であったため、ルベン族とガド族はその地を自分たちの所有地として確保してほしいとモーセに願い出たのです。 彼らは条件を提示しました。すべての征服戦争が終わるまで武装して先頭に立って戦い、戦いが終わるまでその地には戻らないと約束したのです。モーセはこの条件付きでそれを認めますが、その約束が守られなかった場合、それは神様の前で罪となることを警告し、権利を得たいのであれば共同体のために誠実な献身を伴うことを厳しく求めました。 ルベン族とガド族による東側の土地の先取り要求は、カナン征服がまだ始まっていない時点で内部的な対立が生じたという意味で、試練の瞬間でもありました。しかしモーセは、動機に不完全さを含む一部の提案を、共同体への責任ある約束へと転換させました。個人的な願いを認めつつも、共同体の秩序を保ちながら柔軟に問題を解決した姿勢は高く評価されるべきでしょう。 ヨシュア記を読むと、その後のルベン族とガド族の行動が確認できます。彼らは約束を守り、実際にヨルダン川を渡って先陣を切って戦い、戦争が終わった後、自分たちの相続地へと戻っていきました。人間の欲望は、使命の道においても現れます。人間とはそういう存在なのです。現実的な欲求と信仰共同体の理想との間には常に緊張が存在します。しかし、それを善と悪の二元論で裁くのではなく、責任ある約束の履行を通してこそ、真の連帯と信頼を築くことができる――そのことを私たちは学ぶべきでしょう。

민수기 묵상 【요단강 동편에서】 20250602(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

민수기 32:16~27 32:16 그들이 모세에게 가까이 나아와 가로되 우리가 이 곳에 우리 가축을 위하여 우리를 짓고 우리 유아들을 위하여 성읍을 건축하고 32:17 이 땅 거민의 연고로 우리 유아들로 그 견고한 성읍에 거하게 한 후에 우리는 무장하고 이스라엘 자손을 그 곳으로 인도하기까지 그들의 앞에 행하고 32:18 이스라엘 자손이 각기 기업을 얻기까지 우리 집으로 돌아오지 아니하겠사오며 32:19…

民数記 黙想【記念とする日】20250531(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

民数記 31:25-54 31:25 主はモーセに言われた。 31:26 「あなたと祭司エルアザル、および会衆の氏族のかしらたちは、人でも家畜でも捕らえて分捕ったものの総数を調べ、 31:27 その分捕ったものを、戦に出た者たちと全会衆の間で二分せよ。 31:28 戦に出た戦士たちからは、人、牛、ろば、羊の中からそれぞれ五百のうち一を、主への貢ぎとして徴収せよ。 31:29 彼らが受けるその半分の中から取って、主への奉納物として祭司エルアザルに渡さなければならない。 31:30 イスラエルの子らが受けるもう半分の中から、人、また牛、ろば、羊、それぞれの家畜から、それぞれ五十のうち一を取り出して、主の幕屋の任務に当たるレビ人に与えなければならない。」 31:31 そこでモーセと祭司エルアザルは、主がモーセに命じられたとおりに行った。 31:48 すると、軍団の指揮官たち、すなわち千人の長、百人の長たちがモーセのもとに進み出て、 31:49 モーセに言った。「しもべどもは、部下の戦士たちの総数を数えました。私たちのうち一人も欠けていません。 31:50 それで、私たちは、各自が手に入れた金の飾り物、すなわち腕飾り、腕輪、指輪、耳輪、首飾りなどを主へのささげ物として持って来ました。主の前で私たち自身のための宥めとしたいのです。」 31:51 モーセと祭司エルアザルは、彼らから金を受け取った。それはあらゆる種類の細工を施した物であった。 31:52 千人の長や百人の長たちが主に献げた奉納物の金は、全部で一万六千七百五十シェケルであった。 31:53 従軍した人たちは、それぞれ、戦利品を自分のものとした。 31:54 モーセと祭司エルアザルは、千人の長や百人の長たちから金を受け取り、それを会見の天幕に持って行き、主の前における、イスラエルの子らのための記念とした。     ミディアンとの戦いの後、清めの儀式を経た捕虜と戦利品は、神様の命令に従って配分されました。半分は戦いに出て戦った兵士たちに、残りの半分はイスラエルの会衆に与えられました。そして兵士たちは受け取ったものの五百分の一を神様にささげ、民は受け取ったものの五十分の一をレビ人に与えるよう命じられました。    すべてがその命令どおりに行われ、すべてが終わったかのようなそのとき、兵士たちがモーセのところへやって来ました。彼らは前の箇所で、モーセの怒りを買った人々でした。そのような彼らがモーセのところに来た理由は、自分たちと自分たちの兵士を守ってくださった神様の御前に悔い改めるためでした。彼らは、自分たちが戦争に勝ったこと、それも一人の死者も出さずに勝てたことが、神様の恵みであることを告白していたのです。  だからこそ、自分たちが受け取ったすべての財物もまた自分たちのものではないと告白し、それらすべてをささげてでも神様のもとへ進み出ようとしたのです。本当の敵を知らず、罪を犯してしまった彼らが、本当の恩人を見知るようになった瞬間でした。  彼らがささげた物は「自分の物とした」戦利品でした。それは別の意味で、彼ら自分のためのものとなりました。自分たちの所有ではないと告白するための道具として、受けた恵みを再び神様にささげることで自分自身を新たにする道具として、その物が用いられたのです。モーセとエルアザルはその日を、神様の御前でイスラエルの子らのための記念としました。  このような姿は、私たちが初めて信仰を告白した瞬間、私たちの罪に気づいたその瞬間と似ていると思わされます。私たちが神様の御前で自らの罪を知り、自分がどのような存在であり、どのような結末を迎えるべきであったのか、しかし、そのような自分のために神様がどのようなことをなさってくださったかを知るそのとき、自分自身を神様にささげると告白します。その日は、私たちにとって忘れられない、忘れてはいけない記念とする日です。  だからこそ、私たちは年を重ねていく中で変わり行く人生の証しの中、変わらない唯一の瞬間、あの日を私たちの証しの始まりとします。私たちの人生の主人が自分自身から神様へと変わるその日は、私たちの人生において最も偉大で、意味深い日であり、私たちの一生を変える始まりなのです。 https://youtu.be/RUWuj5XFGvg?si=UUGSgtjYoqEJnXty