사무엘하 묵상3【유다의 왕 다윗】-헤브론에서 왕이 되다- 20230412 (수) 사무엘하 2장 1-11

사무엘하 2:1~112:1 그 후에 다윗이 여호와께 물어 가로되 내가 유다 한 성으로 올라가리이까 여호와께서 가라사대 올라가라 다윗이 가로되 어디로 가리이까 가라사대 헤브론으로 갈지니라2:2 다윗이 그 두 아내 이스르엘 여인 아히노암과 갈멜 사람 나발의 아내 되었던 아비가일을 데리고 그리로 올라갈 때에2:3 또 자기와 함께한 종자들과 그들의 권속들을 다 데리고 올라가서 헤브론 각 성에 거하게 하니라2:4 유다…

Ⅱサムエル 黙想2 【サウルのための哀歌】-恨みまで入れる器-230411(火) 枝川愛の教会Ⅰサムエル 1章17‐27

Ⅰサムエル 1:17~271:17 ダビデは、サウルのため、その息子ヨナタンのために、次の哀歌を歌った。1:18 これはユダの子らに弓を教えるためのもので、『ヤシャルの書』にまさしく記されている。1:19 「イスラエルよ、君主はおまえの高き所で殺された。ああ、勇士たちは倒れた。1:20 これをガテに告げるな。アシュケロンの通りに告げ知らせるな。ペリシテ人の娘らを喜ばせないために。無割礼の者の娘らが喜び躍ることがないために。1:21 ギルボアの山よ。高原の野よ。おまえたちの上に、露は降りるな。雨も降るな。そこでは勇士たちの盾が汚され、サウルの盾に油も塗られなかったからだ。1:22 殺された者の血から、勇士たちの脂から、ヨナタンの弓は退くことがなく、サウルの剣も、空しく帰ることがなかった。1:23 サウルもヨナタンも、愛される、立派な人だった。生きているときも死ぬときも、二人は離れることはなく、鷲よりも速く、雄獅子よりも強かった。1:24 イスラエルの娘たちよ、サウルのために泣け。サウルは、紅の衣を華やかにおまえたちに着せ、おまえたちの装いに金の飾りを着けてくれた。1:25 ああ、勇士たちは戦いのさなかに倒れた。ヨナタンはおまえの高き所で殺された。1:26 あなたのために私はいたく悲しむ。私の兄弟ヨナタンよ。あなたは私を大いに喜び楽しませ、あなたの愛は、私にとって女の愛にもまさって、すばらしかった。1:27 ああ、勇士たちは倒れた。戦いの器は失せた。」   ダビデはサウルとヨナタンが死んだことを悲しんで哀歌を作って歌いました。民にも歌わせました。ダビデの心の中にはヨナタンの死が悲しかったと思いますが、サウルの死には複雑な思いがあったと思います。権力を握ったサウルは自分の感情どおりに物事を処理しましたが、それから反面教師で学んだダビデは権力者の力を私的な感情に使いません。そしてイスラエルと共にサウルの死を悲しみました。   ダビデはユダ族で、サウルはベニャミン族です。ベニャミン族の人々は、自分たちの出身の王サウルの死をさらに悲しんだはずです。サウルが死んでダビデが王になれば、ベニャミン族としてはダビデが暫定的な政敵になることもあります。しかし、ベニャミン族は一緒に泣いているダビデを信頼します。後にダビデとソロモン以降に王国が分裂し、南ユダと北イスラエルに分かれる時、南ユダから十の部族が離れていきますが、ベニャミン族だけはユダ族の隣に残ります。それはベニャミンのユダ族に対する信頼を示します。憎しみと恨みまで入れ込むダビデの器は確かに偉大です。

사무엘하 묵상2【사울을 위한 애가】-미움까지 담는 그릇- 20230411 (화) 사무엘하 1장 17-27

사무엘하 1:17~271:17 다윗이 이 슬픈 노래로 사울과 그 아들 요나단을 조상하고1:18 명하여 그것을 유다 족속에게 가르치라 하였으니 곧 활 노래라 야살의 책에 기록되었으되1:19 이스라엘아 너의 영광이 산 위에서 죽임을 당하였도다 오호라 두 용사가 엎드러졌도다1:20 이 일을 가드에도 고하지 말며 아스글론 거리에도 전파하지 말지어다 블레셋 사람의 딸들이 즐거워할까, 할례받지 못한 자의 딸들이 개가를 부를까 염려로다1:21 길보아…

Ⅱサムエル 黙想1 【サウルの死を悲しむダビデ】-神の時間-230410(月) 枝川愛の教会Ⅰサムエル 1章1ー16

Ⅰサムエル 1:1~161:1 サウルが死んだとき、ダビデはアマレク人を打ち破って帰って来ていた。その後ダビデは二日間、ツィクラグにとどまっていた。1:2 すると三日目に、見よ、一人の男がサウルのいた陣営からやって来た。衣は裂け、頭には土をかぶっていた。彼はダビデのところに来ると、地にひれ伏して礼をした。1:3 ダビデは言った。「どこから来たのか。」彼は言った。「イスラエルの陣営から逃れて来ました。」1:4 ダビデは彼に言った。「状況はどうか。話してくれ。」彼は言った。「兵たちは戦場から逃げ、しかも兵たちの多くの者が倒れて死にました。それに、サウルも、その子ヨナタンも死にました。」1:5 ダビデは、報告をもたらしたその若い者に言った。「サウルとその子ヨナタンが死んだことを、どのようにして知ったのか。」1:6 報告をもたらしたその若い者は言った。「私は、たまたまギルボア山にいましたが、見ると、サウルは自分の槍にもたれ、戦車と騎兵が押し迫っていました。1:7 サウルが振り返って、私を見て呼びました。私が『はい』と答えると、1:8 私に『おまえはだれだ』と言いましたので、『私はアマレク人です』と答えますと、1:9 『さあ、近寄って、私を殺してくれ。激しいけいれんが起こっているが、息はまだ十分あるから』と言いました。1:10 私は近寄って、あの方を殺しました。もう倒れて生き延びることができないと分かったからです。私は、頭にあった王冠と、腕に付いていた腕輪を取って、ここに、あなた様のところに持って参りました。」1:11 ダビデは自分の衣をつかんで引き裂いた。ともにいた家来たちもみな、そのようにした。1:12 彼らは、サウルのため、その子ヨナタンのため、また主の民のため、イスラエルの家のために悼み悲しんで泣き、夕方まで断食した。サウルらが剣に倒れたからである。1:13 ダビデは自分に報告したその若い者に言った。「おまえはどこの者か。」彼は言った。「私はアマレク人で、寄留者の子です。」1:14 ダビデは彼に言った。「主に油注がれた方に手を下して殺すのを恐れなかったとは、どうしたことか。」1:15 ダビデは家来の一人を呼んで言った。「これに討ちかかれ。」彼がその若い者を討ったので、若い者は死んだ。1:16 ダビデは若い者に言った。「おまえの血は、おまえの頭上に降りかかれ。おまえ自身の口で、『私は主に油注がれた方を殺した』と証言したのだから。」   Ⅰサムエルでサウルとその3人の息子が死にました。 Ⅱサムエルでは、ダビデの時代が始まります。 Ⅰサムエルを読んで分かるように、ダビデの時間というのは、ダビデが自ら作り出した時間ではないです。時間においてダビデは徹底的に神様に従いました。自分の期待と意志に基づいて違法を行ったり、任意で時間を引っ張ろうとはしませんでした。 ダビデは長い歳月を耐え忍びました。その時間は確かに苦痛でしたが、決して無駄な時間ではありません。歴史の中に王は多いですが、信仰の中のダビデが生まれるために差し替えない時間です。   サウルが死んでしばらくして誰かが陣営から逃げてダビデのところに来ます。 ダビデはサウルとヨナダンが死んだという知らせを聞き、悲痛に思います。 ところが、その知らせを伝えた人は実際のサウルの最後とは少し違う陳述をしました。彼は偽物です。サウルの最後を目撃した人ではないのです。サウルが死んでダビデの時代が来たから、サウルの死という嬉しい知らせをダビデに告げ、王の象徴をダビデに捧げ、自分の功績を表わすためでした。   サウルの死がダビデの回復の転機を作ったのは明らかです。しかし、ダビデはサウルを殺しませんでした。サウルを殺せる機会がありましたが、一度もその実力を行使してないです。サウルがたとえ暴君に転落したとしても、神様が油を注いで立てた王であるということをダビデは一瞬も忘れませんでした。ダビデはずる賢い功名心で偽りの報告をした兵士を殺します。ここに死んだこの人は、自分の功績がないにもかかわらず功績を取るために偽りを言い、自分の時間を自ら引っ張ろうとした人です。 その浅はかな時間は恥と死で終わり、ダビデは神様の時間を迎えます。

사무엘하 묵상1【사울의 죽음을 슬퍼하는 다윗】-하나님의 시간- 20230410 (월) 사무엘하 1장 1-16

사무엘하 1:1~161:1 사울의 죽은 후라 다윗이 아말렉 사람을 도륙하고 돌아와서 시글락에서 이틀을 유하더니1:2 제 삼일에 한 사람이 사울의 진에서 나왔는데 그 옷은 찢어졌고 머리에는 흙이 있더라 저가 다윗에게 나아와 땅에 엎드려 절하매1:3 다윗이 저에게 묻되 너는 어디서 왔느냐 대답하되 이스라엘 진에서 도망하여 왔나이다1:4 다윗이 가로되 일이 어떻게 되었느뇨 너는 내게 고하라 저가 대답하되 군사가 전쟁…

マタイ黙想5【イエス・キリストの死】-幕が裂けられる-枝川愛の教会 20230407 (金) マタイの福音書 27章35‐53

マタイの福音書 27:35~5327:35 彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いてその衣を分けた。27:36 それから腰を下ろし、そこでイエスを見張っていた。27:37 彼らは、「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれた罪状書きをイエスの頭の上に掲げた。27:38 そのとき、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右に、一人は左に、十字架につけられていた。27:39 通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしった。27:40 「神殿を壊して三日で建てる人よ、もしおまえが神の子なら自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」27:41 同じように祭司長たちも、律法学者たち、長老たちと一緒にイエスを嘲って言った。27:42 「他人は救ったが、自分は救えない。彼はイスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおう。そうすれば信じよう。27:43 彼は神に拠り頼んでいる。神のお気に入りなら、今、救い出してもらえ。『わたしは神の子だ』と言っているのだから。」27:44 イエスと一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。27:45 さて、十二時から午後三時まで闇が全地をおおった。27:46 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。27:47 そこに立っていた人たちの何人かが、これを聞いて言った。「この人はエリヤを呼んでいる。」27:48 そのうちの一人がすぐに駆け寄り、海綿を取ってそれに酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けてイエスに飲ませようとした。27:49 ほかの者たちは「待て。エリヤが救いに来るか見てみよう」と言った。27:50 しかし、イエスは再び大声で叫んで霊を渡された。27:51 すると見よ、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。地が揺れ動き、岩が裂け、27:52 墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる人々のからだが生き返った。27:53 彼らはイエスの復活の後で、墓から出て来て聖なる都に入り、多くの人に現れた。   イエス様を裸になりました。朝9時に手首と足が釘で十字架に付けられました。ローマ軍兵たちはイエス様の服をくじ引きで分け、頭上にユダヤ人の王イエスと書いた罪牌を貼って嘲笑しました。昼12時になると、昼なのに世が暗くなりました。そして午後3時にイエスは亡くなります。この瞬間、イエス様は子羊です。すでにイエス様の上にすべての罪が転嫁されています。イエス様は徹底した罪人であり、その罪により、必ず十字架で死ななければなりませんでした。。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」、罪を背負って十字架に付けられたイエス様は神様との断絶のゆえに苦みを訴えました。   イエス様が十字架で亡くなった後、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けられました。神様が裂けられたのですから、上から裂けられました。幕は至聖所と聖所を区分したものです。至聖所は大祭司長が年に一度、民の罪を代わりに贖罪のために入る場所でした。民は入れない所です。その幕が裂けられ、道が開かれたのです。イエス·キリストの十字架に自分の罪がついていたことを信じる人なら、もう祭司を通らなくても神様のところに入る道が開かれたのです。

마태복음 묵상5【예수님의 죽음】-성소 휘장이 찢어지다- 20230407 (금) 마태복음 27장 35-53

마태복음 27:35~5327:35 저희가 예수를 십자가에 못 박은 후에 그 옷을 제비 뽑아 나누고27:36 거기 앉아 지키더라27:37 그 머리 위에 이는 유대인의 왕 예수라 쓴 죄패를 붙였더라27:38 이 때에 예수와 함께 강도 둘이 십자가에 못 박히니 하나는 우편에, 하나는 좌편에 있더라27:39 지나가는 자들은 자기 머리를 흔들며 예수를 모욕하여27:40 가로되 성전을 헐고 사흘에 짓는 자여 네가 만일…

マタイ黙想4【ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け】-イエス様を殺した人々-枝川愛の教会 20230406 (木) マタイの福音書 26章 27章15‐26

マタイの福音書 27:15~2627:15 ところで、総督は祭りのたびに、群衆のため彼らが望む囚人を一人釈放することにしていた。27:16 そのころ、バラバ・イエスという、名の知れた囚人が捕らえられていた。27:17 それで、人々が集まったとき、ピラトは言った。「おまえたちはだれを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」27:18 ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことを知っていたのである。27:19 ピラトが裁判の席に着いているときに、彼の妻が彼のもとに人を遣わして言った。「あの正しい人と関わらないでください。あの人のことで、私は今日、夢でたいへん苦しい目にあいましたから。」27:20 しかし祭司長たちと長老たちは、バラバの釈放を要求してイエスは殺すよう、群衆を説得した。27:21 総督は彼らに言った。「おまえたちは二人のうちどちらを釈放してほしいのか。」彼らは言った。「バラバだ。」27:22 ピラトは彼らに言った。「では、キリストと呼ばれているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはみな言った。「十字架につけろ。」27:23 ピラトは言った。「あの人がどんな悪いことをしたのか。」しかし、彼らはますます激しく叫び続けた。「十字架につけろ。」27:24 ピラトは、語ることが何の役にも立たず、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の目の前で手を洗って言った。「この人の血について私には責任がない。おまえたちで始末するがよい。」27:25 すると、民はみな答えた。「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に。」27:26 そこでピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した。   ポンテオ・ピラトがイエス様を尋問した結果、処罰を受けるに値する罪は発見できませんでした。その上、彼の妻がイエス様の処罰にについて何もかかわらないようにお願いします。ユダヤの祭りになると囚人のうち1人を特別釈放する赦免の前例があります。ピラトはその機会にイエス様を釈放しようとしましたが、群衆はバラバを解放してイエスを殺せと叫びます。決定権者の総督ピラトは世論により、イエス様に十字架刑を宣告します。   使徒信条はイエス様がポンテオ・ピラトのもとに苦みを受け、という言葉で最終的な責任はピラトにあると言います。それに免れませんが、実際、ピラトはイエスに敵対的ではありませんでした。イエス様を殺そうとする気持ちはなかったのです。たとえ積極的ではなかったとしても、イエス様を助け、釈放しようとしました。   しかし、ピラトは政治的目的によって世論と妥協し、イエス様の死刑を処します。その後、手を洗って自分には責任がないと言います。手を洗ったというのは、責任がユダヤ人にあるということです。 ユダヤ人がユダヤ人を殺そうとしていて、自分はそれに同意してあげた植民統治者であるということです。   イエス様を殺した人は、イエス様を憎んでいた人ではなく、イエス様に無関心な人々でした。世論に流され、政治的な目的と目の前の利益のためにイエス様を殺しました。無責任と群衆は流されるでしょう。キリスト教に反対することまだ大丈夫です。キリスト教真理に関心のない人が怖いです。彼らは他の理由で信仰を用いることも、敵対することもできるからです。   ピラトは自分の卑劣さのために結局に政治的に失敗し、自殺で死にます。もし、ピラトが義なる人であってイエス様を釈放したとしてそれがいいことだとは思いません。歴史的な意味でも、霊的な意味でも、ピラトがイエス·キリストに対してもう少し真剣だったらよかったと思います。苦難週です。イエス·キリストの十字架と復活に真剣な関心を持つ、真のクリスチャンの苦難週となることを祈ります。

마태복음 묵상4【본디오 빌라도에게 고난을 받으사】-예수님을 죽인 사람들- 에다가와 사랑의 교회 20230406 (목) 마태복음 27장 15~26

마태복음 27:15~2627:15 명절을 당하면 총독이 무리의 소원대로 죄수 하나를 놓아 주는 전례가 있더니27:16 그 때에 바라바라 하는 유명한 죄수가 있는데27:17 저희가 모였을 때에 빌라도가 물어 가로되 너희는 내가 누구를 너희에게 놓아 주기를 원하느냐 바라바냐 그리스도라 하는 예수냐 하니27:18 이는 저가 그들의 시기로 예수를 넘겨준줄 앎이러라27:19 총독이 재판 자리에 앉았을 때에 그 아내가 사람을 보내어 가로되…

マタイ黙想3【ゲツセマネの祈り】-自分の十字架の確認-枝川愛の教会 20230405

マタイの福音書 26:36~5026:36 それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという場所に来て、彼らに「わたしがあそこに行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。 26:37 そして、ペテロとゼベダイの子二人を一緒に連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。 26:38 そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、わたしと一緒に目を覚ましていなさい。」 26:39 それからイエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈られた。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」 26:40 それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らが眠っているのを見、ペテロに言われた。「あなたがたはこのように、一時間でも、わたしとともに目を覚ましていられなかったのですか。26:41 誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」 26:42 イエスは再び二度目に離れて行って、「わが父よ。わたしが飲まなければこの杯が過ぎ去らないのであれば、あなたのみこころがなりますように」と祈られた。 26:43 イエスが再び戻ってご覧になると、弟子たちは眠っていた。まぶたが重くなっていたのである。 26:44 イエスは、彼らを残して再び離れて行き、もう一度同じことばで三度目の祈りをされた。 26:45 それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されます。 26:46 立ちなさい。さあ、行こう。見なさい。わたしを裏切る者が近くに来ています。」 26:47 イエスがまだ話しておられるうちに、見よ、十二人の一人のユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちから差し向けられ、剣や棒を手にした大勢の群衆も一緒であった。 26:48 イエスを裏切ろうとしていた者は彼らと合図を決め、「私が口づけをするのが、その人だ。その人を捕まえるのだ」と言っておいた。26:49 それで彼はすぐにイエスに近づき、「先生、こんばんは」と言って口づけした。 26:50 イエスは彼に「友よ、あなたがしようとしていることをしなさい」と言われた。そのとき人々は近寄り、イエスに手をかけて捕らえた。 十字架の苦難が近づいてきています。イエス様はゲッセマネで必死に祈りました。イエス様が肉体の不安と恐怖を持っていた時、弟子たちはその苦痛を共にすることができませんでした。なぜならイエス様が死ぬほど祈っていた時、弟子たちは死ぬほど眠かったからです。しかし、イエス様が祈ったことも、弟子たちが眠ったことも肉体の弱さのゆえです。イエス様が苦痛を恐れたのは完全なる人間として受肉し、肉体を持ったからであり、弟子たちが眠りの陥ったことも眠らずには耐えられない肉体を持ったからです。   実際、弟子たちは何を祈らなければならないのかまだ分かっていません。イエス様が具体的な祈り課題を与えたこともないです。これまでイエス様が弟子たちを助けただけで、弟子たちがイエス様を助けたことはなかったのです。すでに十字架が近づいていますが、弟子たちはイエス様が十字架にかけられることを知らなかったし、ユダがイエス様を売るということも知りませんでした。弟子たちは十字架の仲間ではありませんでした。十字架はただイエス様に近づいてきています。   その当時、イエス様は確かに弟子たちに人間的に頼られたと思います。苦痛は恐いですが、一人で負う苦痛はさらに恐ろしいです。イエス様の血が汗のように流れたということは、十字架の恐怖がどれほどのものだったかを物語っています。十字架は神の御子のみが負うことを、神の御子であるイエス様は知っていました。祈りはそれを確認することでした。   恐くない使命はありません。恐いけど与った使命があるため勇気を出すのです。弟子たちもいつかは各自、自分の十字架を負うことになりますが、今は違います。使命は各自です。それぞれ自分の時代に自分の十字架を負うことになります。恐くて寂しいですが、自分に与えられた自分だけの十字架を自分の人生の中で、自分の責任の中で負っていかなければなりません。教会の歴史は群衆によるのではなく、自分の十字架を負う人々によって続いていきます。自分の十字架を自分が負けず、口づけで誰かに十字架を負わせた人がユダです。