創世記 黙想15【ハランで会ったリベカ】220914(水) 枝川愛の教会
創世記 24:10~2724:10 しもべは主人のらくだの中から十頭を連れて出かけた。主人のあらゆる良い品々をその手に携えていた。彼は立って、アラム・ナハライムのナホルの町へ行った。24:11 彼は夕暮れ時、水を汲む女たちが出て来るころ、町の外の井戸のそばにらくだを伏させた。24:12 そうして言った。「私の主人アブラハムの神、主よ。どうか今日、私のために取り計らい、私の主人アブラハムに恵みを施してください。24:13 ご覧ください。私は泉のそばに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出て来るでしょう。24:14 私が娘に、『どうか、あなたの水がめを傾けて、私に飲ませてください』と言い、その娘が、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたが、あなたのしもべイサクのために定めておられた人です。このことで、あなたが私の主人に恵みを施されたことを、私が知ることができますように。」24:15 しもべがまだ言い終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せて出て来た。リベカはミルカの子ベトエルの娘で、ミルカはアブラハムの兄弟ナホルの妻であった。24:16 この娘は非常に美しく、処女で、男が触れたことがなかった。彼女は泉に下りて行き、水がめを満たして上がって来た。24:17 しもべは彼女の方に走って行って、言った。「どうか、あなたの水がめから、水を少し飲ませてください。」24:18 すると彼女は、「どうぞ、お飲みください。ご主人様」と言って、すばやくその手に水がめを取り降ろし、彼に飲ませた。24:19 水を飲ませ終わると、彼女は、「あなたのらくだにも、飲み終わるまで、水を汲みましょう」と言った。24:20 彼女は急いで水がめの水を水ぶねにあけ、水を汲みに、再び井戸まで走って行き、すべてのらくだのために水を汲んだ。24:21 この人は、主が自分の旅を成功させてくださったかどうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。24:22 らくだが水を飲み終わったとき、その人は、重さ一ベカの金の飾り輪と、彼女の腕のために、重さ十シェケルの二つの金の腕輪を取り、24:23 尋ねた。「あなたは、どなたの娘さんですか。どうか私に言ってください。あなたの父上の家には、私どもが泊めていただける場所があるでしょうか。」24:24 彼女は答えた。「私は、ミルカがナホルに産んだ子ベトエルの娘です。」24:25 また言った。「藁も飼料も、私たちのところには、たくさんあります。それに、お泊まりになる場所も。」24:26 その人は、ひざまずき、主を礼拝して、24:27 こう言った。「私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は、私の主人に対する恵みとまことをお捨てになりませんでした。主は道中、この私を導いてくださいました。主人の兄弟の家にまで。」 一度に障りなく事が進むことを「一瀉千里」といいます。千里は400kmほどで、イサクの妻になる人を探しに行ったアブラハムのしもべが歩いた距離は600kmです。長い旅に苦労したと思いますが、到着するとすぐに一瀉千里で事が進められます。この件においては、アブラハムが信仰を持っており、忠実なしもべがお祈りしましたが、イサクの妻になる人を一瀉千里で見つけたのは、その時が神様の時であり、神様の御旨をそってしるからです。 できない時は何をしてもできません。努力しても止まっています。アブラハムは子どもを持つために努力しましたが、まだ神様の時ではないのでできませんでした。しかし、神様の時となると、急激にはかどるように事が一瀉千里に進められます。それは根本的に人が事を成功させることではなく、神様が人を通して神様の目的を成し遂げられているのです。 だからといって、人に何の意志や原因がないということではありません。忠実なしもべは、信義と愛をもって奉仕し、とりなしました。そして、イサクの妻になるリベカは、アブラハムが御使いたちにしたように、旅人を美徳を持っておもてなししました。しもべが祈りで願った美徳は慈悲深さです。しもべの祈りとリベカの徳性が出会い、神様の御旨が一瀉千里で進められます。何かに詰まっているなら、まず神様の御心を求め、その後、自分と人に対する態度を確認すればよいと思います。