創世記 黙想60【生かせるための拡張】221115(火) 枝川愛の教会

創世記 47:13~2247:13 飢饉が非常に激しかったので、全地で食物がなくなり、エジプトの地もカナンの地も飢饉によって衰え果てた。47:14 ヨセフは、エジプトの地とカナンの地にあった銀をすべて集めた。それは人々が穀物に対して払ったものである。ヨセフはその銀をファラオの家に納めた。47:15 エジプトの地とカナンの地に銀が尽きたとき、エジプト人はみなヨセフのところに来て言った。「私たちに食物を下さい。銀が尽きたからといって、どうして私たちがあなた様の前で死んでよいでしょうか。」47:16 ヨセフは言った。「おまえたちの家畜を差し出しなさい。銀が尽きたのなら、家畜と引き替えに与えよう。」47:17 人々がヨセフのところに家畜を引いて来たので、ヨセフは、馬、羊の群れ、牛の群れ、ろばと引き替えに、彼らに食物を与えた。こうして彼はその年、すべての家畜と引き替えに、彼らに食物を分け与えた。47:18 やがてその年も終わり、次の年にも人々はヨセフのところに来て言った。「私たちはあなた様に何も隠しません。銀も尽き、家畜の群れもあなた様のものになったので、自分のからだと土地のほかには、あなた様の前に何も残っておりません。47:19 どうして私たちが、土地と一緒にあなた様の前で死んでよいでしょうか。食物と引き替えに、私たちと私たちの土地を買い取ってください。私たちは土地と一緒にファラオの奴隷となります。どうか種を下さい。そうすれば私たちは生き延び、死なずにすみます。土地も荒れないでしょう。」47:20 それでヨセフは、エジプトのすべての土地をファラオのために買い取った。エジプト人に飢饉が厳しかったので、人々がみな、自分の畑地を売ったからである。こうしてその土地は、ファラオのものとなった。47:21 また民については、エジプトの領土の端から端に至るどこででも、彼らを町々に移動させた。47:22 しかし、祭司たちの土地だけは買い取らなかった。祭司たちにはファラオからの給与があり、ファラオが与える給与によって生活していたからである。そのため、自分たちの土地を売らなかった。   ヨセフの夢の解釈のどおり、エジプトを取り巻く周辺国の過酷な飢饉は続きます。エジプトだけが食糧を備蓄していたので、周辺国はエジプトで食糧を求めなければなりませんでした。 したがって、貨幣はエジプトに集まるようになり、周辺国は追加の食料を買うために家畜や土地や人までエジプトに服属され始めます。ヨセフの経済政策によりエジプトの土地領土は拡大し、最終的にエジプトを中心に国際秩序は再編されます。   ある人はこれについて覇権的な搾取であると言うこともありますが、昔も今も国際関係を力という基準を抜きにして扱うことはできません。それにヨセフが隣人の土地を奪うために命を殺すような戦争を起こしたことではなく、隣人の命を救うために食料を提供し、一国の総理の責任のもとでエジプトの影響力を広げたことが非難されることではありません。   ヨセフは、広がったエジプトの行政区画を再編し、人口を移動させ、統治システムを整備します。周辺国はエジプトに統合され、エジプト国民の恵みを受けるでしょう。ヨセフは夢を解釈する予言者の能力だけでなく、国際情勢を知る洞察と行政力まで持っていました。出所が神様です。神様が知恵を与え、様々な経験を積ませたからです。困難な時代に困難な人々を生かし、自分の境はさらに広げていける神様の知恵と賜物を願い求めます。

창세기 묵상60【살리기 위한 확장】221115(화) 에다가와 사랑의 교회

창세기 47:13~2247:13 기근이 더욱 심하여 사방에 식물이 없고 애굽 땅과 가나안 땅이 기근으로 쇠약하니47:14 요셉이 곡식을 팔아 애굽 땅과 가나안 땅에 있는 돈을 몰수이 거두고 그 돈을 바로의 궁으로 가져오니47:15 애굽 땅과 가나안 땅에 돈이 진한지라 애굽 백성이 다 요셉에게 와서 가로되 돈이 진하였사오니 우리에게 식물을 주소서 어찌 주 앞에서 죽으리이까47:16 요셉이 가로되 너희의 짐승을…

創世記 黙想59【旅路】221114(月) 枝川愛の教会

創世記 47:1~1247:1 ヨセフはファラオのところに来て、報告した。「私の父と兄弟たち、また、その羊の群れ、牛の群れ、そして、彼らの所有するものすべてが、カナンの地から参りました。今、ゴシェンの地におります。」47:2 彼は兄弟の中から五人を連れて来て、ファラオに引き合わせた。47:3 ファラオはヨセフの兄弟たちに尋ねた。「おまえたちの職業は何か。」彼らはファラオに答えた。「しもべどもは羊を飼う者で、私どもも、私どもの先祖もそうでございます。」47:4 また、彼らはファラオに言った。「私たちはこの地に寄留しようとして参りました。カナンの地は飢饉が激しくて、しもべどもの羊のための牧草がございません。どうか、しもべどもをゴシェンの地に住まわせてください。」47:5 ファラオはヨセフに言った。「おまえの父と兄弟たちが、おまえのところに来た。47:6 エジプトの地はおまえの前にある。最も良い地に、おまえの父と兄弟たちを住まわせなさい。彼らをゴシェンの地に住まわせるがよい。彼らの中に有能な者たちがいるのが分かったなら、その者たちを私の家畜の係長としなさい。」47:7 それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせた。ヤコブはファラオを祝福した。47:8 ファラオはヤコブに尋ねた。「あなたの生きてきた年月は、どれほどになりますか。」47:9 ヤコブはファラオに答えた。「私がたどってきた年月は百三十年です。私の生きてきた年月はわずかで、いろいろなわざわいがあり、私の先祖がたどった日々、生きた年月には及びません。」47:10 ヤコブはファラオを祝福し、ファラオの前から立ち去った。47:11 ヨセフは、ファラオが命じたとおりに、父と兄弟たちの住まいを定め、彼らにエジプトの地で最も良い地、ラメセスの地に所有地を与えた。47:12 またヨセフは、父と兄弟たちとその一族全員を、扶養すべき者の数に応じて、食物を与えて養った。   エジプトに到着したヤコブは、エジプトの王ファラオに会います。ファラオがヤコブの年齢を尋ねると、130歳だと言い、旅人の道でいろいろなわざわいがある年月を送ったと言います。ヤコブの口からわざわいの人生ということを聞くと、彼の人生が走馬灯のように流れます。エジプトに下る道でヤコブは何を考えたのでしょうか。ヨセフに会えること喜びですが、老年に定着したところを離れて食べ物を求めて移住しているヤコブはとても悲しかったと思います。確かにヤコブの人生は旅人の人生でした。だからヤコブの祝福というのは、安定して安らぎを楽しむ祝福ではありませんでした。「生きるということは何か」という質問は忘れたらまたくださる神様の質問です。しかし、生きることが何であるかは誰にもわかりません。与えられた時間を生きていくだけです。   ファラオの質問に対するヤコブの答えは、自分自身の憐憫を超え、人生の本質を告白したことだと思います。ヤコブだけがそうではありません。すべての人生は神様の中で旅人です。昨日の説教で「神様がくださる時間と空間の提供が終わるのが人間の死」と言いました。与えられた時間と空間を生きる人間にとって、旅人という言葉ほど正確にアイデンティティを表すことはありません。誰もが旅人の道を生きていきます。執着せずに生きたいです。今朝の祈祷会で伝道書を読みました。 「人の労苦はみな、自分の口のためである。しかし、その食欲は決して満たされない。6:7」満たされない食欲、食べられないという不安のために何かを捕まえていきますが、思った通りになりません。旅立ちなので可哀想です。しかし、それよりもっとかわいそうなのは、この地にあるものを捕まえて死なないように執着して生きていく愚かさでしょう。

창세기 묵상59【나그네길】221114(월) 에다가와 사랑의 교회

창세기 47:1~1247:1 요셉이 바로에게 가서 고하여 가로되 나의 아비와 형들과 그들의 양과 소와 모든 소유가 가나안 땅에서 와서 고센 땅에 있나이다 하고47:2 형들 중 오인을 택하여 바로에게 보이니47:3 바로가 요셉의 형들에게 묻되 너희 생업이 무엇이냐 그들이 바로에게 대답하되 종들은 목자이온데 우리와 선조가 다 그러하니이다 하고47:4 그들이 또 바로에게 고하되 가나안 땅에 기근이 심하여 종들의 떼를…

創世記 黙想58【エジプトに行くヤコブ】221111(金) 枝川愛の教会

創世記 46:1~746:1 イスラエルは、彼に属するものすべてと一緒に旅立った。そしてベエル・シェバに来たとき、父イサクの神にいけにえを献げた。46:2 神は、夜の幻の中でイスラエルに「ヤコブよ、ヤコブよ」と語りかけられた。彼は答えた。「はい、ここにおります。」46:3 すると神は仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民とする。46:4 このわたしが、あなたとともにエジプトに下り、また、このわたしが必ずあなたを再び連れ上る。そしてヨセフが、その手であなたの目を閉じてくれるだろう。」46:5 ヤコブはベエル・シェバを出発した。イスラエルの息子たちは、ヤコブを乗せるためにファラオが送った車に、父ヤコブと自分の子どもたちや妻たちを乗せた。46:6 そして、家畜とカナンの地で得た財産を携えて、ヤコブとそのすべての子孫は、一緒にエジプトにやって来た。46:7 彼は、自分の息子と孫、娘と孫娘、すなわちすべての子孫を、一緒にエジプトに連れて来た。   ヤコブは老年になってカナンを離れ、エジプトに移住することになります。ヤコブ一家のエジプト行きには選択の余地がありませんでした。ヨセフに会えることだけではなく、家族全体が飢饉の危険から逃れる唯一の機会からです。一方、ヤコブは恐れていたと思います。約束の地のカナンを捨てて、家族全員を連れて異邦の地、エジプトに行かなければならなかったからです。   ヤコブはエジプトに行く途中に父親のイサクが神様に会ったベエル・シェバで立ち止まって礼拝します。本文は、をヤコブが「父イサクの神にいけにえを献げた」と言います。それは父の地を離れる息子の気持ちと、カナンを守れなかった恐れがあったからだと思います。神様は複雑な心のヤコブの夢に現れ、「エジプトに下ることを恐れるな」と言ってくださいます。一寸先も見通せず不安な時に神様の御声が聞こえるのは幸いです。御声が聞こえるのは恵みです。神様の御声を聞いてから動く人は揺れ動きません。   カイロス(神様の時間)をむやみに判断してはいけません。ヨセフが夢を見てから総理になるまでには、多くの事件と時間が必要でした。人間がその時間を早めたり、遅らせたりすることはできません。神様がアブラハムに約束された繁栄する民族という約束の空間的な背景がエジプトになるとは思いませんでした。その約束の子孫がエジプトの奴隷になることも予想しませんでした。しかも、500年の後にカナンに戻ってきます。だから、クロノス(人間の時間)にカイロス(神様の時間)を無理やりに入れ込むことはできません。   神様は歴史の主人公であり、神様が全体のパズルを持っておられます。人生は、そのパズルの上に置かれている破片のようなものです。人間は独立的に自分の人生の目的と意味を見つけることはできません。神様のパズルの中でその位置と意味が分かります。一つの時代を作るパズルのピースとなって自分の場所を見つけなければなりません。ある人は離れなければならず、ある人は止まらなければなりません。使命は自分で作ることではなく、神様が定められ、召されることです。置かれている状況で神様の御声を聞き、それに聞き従い、神様の国というパズルに一つのピースになることを願います。

창세기 묵상58【이집트로 가는 야곱】221111(금) 에다가와 사랑의 교회

창세기 46:1~746:1 이스라엘이 모든 소유를 이끌고 발행하여 브엘세바에 이르러 그 아비 이삭의 하나님께 희생을 드리니46:2 밤에 하나님이 이상중에 이스라엘에게 나타나시고 불러 가라사대 야곱아 야곱아 하시는지라 야곱이 가로되 내가 여기 있나이다 하매46:3 하나님이 가라사대 나는 하나님이라 네 아비의 하나님이니 애굽으로 내려가기를 두려워 말라 내가 거기서 너로 큰 민족을 이루게 하리라46:4 내가 너와 함께 애굽으로 내려가겠고 정녕…

創世記 黙想57【言い争いをしないでください】221110(水) 枝川愛の教会

創世記 45:16~2845:16 ヨセフの兄弟たちが来たという知らせが、ファラオの家に伝えられると、ファラオもその家臣たちも喜んだ。45:17 ファラオはヨセフに言った。「おまえの兄弟たちに言うがよい。『こうしなさい。家畜に荷を積んで、すぐカナンの地へ行き、45:18 あなたがたの父と家族を連れて、私のもとへ来なさい。私はあなたがたに、エジプトの地の最良のものを与えよう。あなたがたは、地の最も良い物を食べるがよい。』45:19 おまえはこう命じなさい。『子どもたちと妻たちのために、エジプトの地から車を持って行き、あなたがたの父を乗せて来なさい。45:20 家財に未練を残してはならない。エジプト全土の最良の物は、あなたがたのものだから』と。」45:21 そこで、イスラエルの息子たちはそのようにした。ヨセフは、ファラオの命により、彼らに車を与え、また道中のための食糧も与えた。45:22 彼ら一人ひとりに晴れ着を与えたが、ベニヤミンには銀三百枚と晴れ着五着を与えた。45:23 父に贈ったものは、エジプトの最良のものを積んだろば十頭と、穀物とパンと父の道中の食糧を積んだ雌ろば十頭であった。45:24 こうしてヨセフは兄弟たちを送り出し、彼らが出発するとき、彼らに言った。「道中、言い争いをしないでください。」45:25 彼らはエジプトから上って、カナンの地、彼らの父ヤコブのもとへ戻って来た。45:26 彼らは父に告げた。「ヨセフはまだ生きています。しかも、エジプト全土を支配しているのは彼です。」父は茫然としていた。彼らのことばが信じられなかったからである。45:27 彼らは、ヨセフが話したことを残らず彼に話して聞かせた。ヨセフが自分を乗せるために送ってくれた車を見ると、父ヤコブは元気づいた。45:28 イスラエルは言った。「十分だ。息子のヨセフがまだ生きているとは。私は死ぬ前に彼に会いに行こう。」   エジプトはヨセフの兄たちを歓迎し、エジプトの王ファラオは破格の条件でヤコブ家族を招待します。ヤコブの家はすべてを捨てて移住すればいいです。兄弟たちはヨセフを売ってしまったことを赦され、まだ残っている飢饉から救われ、死んだと思った息子に会える希望を得ました。   ヨセフは父親を連れて来られる往復経費を与えて帰らせます。ヨセフは、「道中、言い争いをしないでください。」と頼みます。遅ればせながら責任論で互いに争うのではないかと心配したからです。赦した人はヨセフで、兄弟たちは赦されました。だから赦された人たちがお互いの責任を問い詰めて戦うのはみっともないことです。教会は赦された人々の集まりです。赦しは神様がなさったので、人々がその中で互いに戦うこともみっともないことです。   ヤコブはヨセフが今まで生きてエジプトの総理になったという信じられない知らせを聞きます。それはヨセフがいなくなった当時、兄弟たちが嘘をつき、ヨセフを売ったことがばれることでもありました。ヤコブにはヨセフに会える喜びがありますが、子どもたちに対する裏切りと恨みも大きかったはずです。しかし、ヤコブも赦さなければなりません。お互いに赦し合わずには何も始まりません。この救いの物語は、ヨセフが兄弟たちを赦した自己否定から始まります。

창세기 묵상57【노중에서 다투지 말라】221110(목) 에다가와 사랑의 교회

창세기 45:16~2845:16 요셉의 형들이 왔다는 소문이 바로의 궁에 들리매 바로와 그 신복이 기뻐하고45:17 바로는 요셉에게 이르되 네 형들에게 명하기를 너희는 이렇게 하여 너희 양식을 싣고 가서 가나안 땅에 이르거든45:18 너희 아비와 너희 가속을 이끌고 내게로 오라 내가 너희에게 애굽땅 아름다운 것을 주리니 너희가 나라의 기름진 것을 먹으리라45:19 이제 명을 받았으니 이렇게 하라 너희는 애굽 땅에서…

創世記 黙想56【ユダの勇気】221108(火) 枝川愛の教会

創世記 44:14~3444:14 ユダと兄弟たちがヨセフの家にやって来たとき、ヨセフはまだ、そこにいた。彼らはヨセフの前で顔を地に伏せた。44:15 ヨセフは彼らに言った。「おまえたちの、このしわざは何だ。私のような者は占いをするということを知らなかったのか。」44:16 ユダが答えた。「あなた様に何を申し上げられるでしょう。何の申し開きができるでしょう。何と言って弁解することができるでしょう。神がしもべどもの咎を暴かれたのです。今このとおり、私たちも、そして、その手に杯が見つかった者も、あなた様の奴隷となります。」44:17 ヨセフは言った。「そんなことをするなど、とんでもないことだ。その手に杯が見つかった者、その者が私の奴隷となるのだ。おまえたちは安心して父のもとへ帰るがよい。」44:18 すると、ユダが彼に近づいて言った。「ご主人様。どうか、しもべが申し上げることに、耳をお貸しください。どうか、しもべを激しくお怒りにならないでください。あなた様はファラオのようなお方です。44:19 あなた様は、以前しもべどもに、おまえたちに父や弟がいるかとお尋ねになりました。44:20 それで私たちは、『私たちには、年老いた父と、年寄り子の末の弟がおります。彼の兄は死に、その母の子としては彼だけが残されましたので、父は彼を愛しています』と申し上げました。44:21 するとあなた様は、『彼を私のところに連れて来い。私はこの目で彼を見たい』とおっしゃいました。44:22 そのとき私たちは、『その子は父親と離れることはできません。離れたら父親は死ぬでしょう』とあなた様に申し上げました。44:23 しかし、あなた様が、『末の弟が一緒に下って来なければ、二度と私の顔を見てはならない』とおっしゃったので、44:24 私たちは、あなた様のしもべである私の父のもとに帰ったとき、父にあなた様のおことばを伝えました。44:25 そして父が、『また行って、われわれのために少し食糧を買って来てくれ』と言ったので、44:26 私たちは、『下って行くことはできません。もし末の弟が私たちと一緒なら、下って行きます。というのは、末の弟と一緒でなければ、あの方のお顔を見ることはできないからです』と答えました。44:27 すると、あなた様のしもべ、私の父がこう申しました。『おまえたちもよく知っているように、私の妻は二人の子を産んだ。44:28 一人は私のところから出て行ったきりで、きっと獣にかみ裂かれてしまったのだ、と私は言った。今に至るまで、私は彼を見ていない。44:29 おまえたちがこの子まで私から奪って、この子にわざわいが降りかかるなら、おまえたちは白髪頭の私を、苦しみながらよみに下らせることになる。』44:30 私が今、あなた様のしもべである私の父のもとへ帰ったとき、あの子が私たちと一緒にいなかったら、父のいのちはあの子のいのちに結ばれていますから、44:31 あの子がいないのを見たら、父は死んでしまうでしょう。しもべどもは、あなた様のしもべである白髪頭の父を、悲しみながらよみに下らせることになります。44:32 というのは、このしもべは父に、『もしも、あの子をお父さんのもとに連れ帰らなかったなら、私は一生あなたの前に罪ある者となります』と言って、あの子の保証人となっているからです。44:33 ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなた様の奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと一緒に帰らせてください。44:34 あの子が一緒でなくて、どうして私は父のところへ帰れるでしょう。父に起こるわざわいを見たくありません。」   ヨセフの銀の杯はベニャミンのかばんから見つかりました。ヨセフは窃盗の疑いがあるベニャミンをエジプトに残してしもべにすると言います。すなわち、兄弟たちはしもべにならずに帰ることができます。しかし、そうにはいかない四男のユダが起き上がります。ユダも子どもがいて子どもを失う経験をもした父親です。   もうユダはヨセフの時とは違います。父ヤコブをかわいそうに思っています。実際、兄弟たちはヤコブにはそれほど愛されなかったのです。ヤコブが絶えずベニャミンを愛するえこひいきをしてきたからです。ヨセフ以降もヤコブはベニャミンに執着していました。しかし、ユダは今や嫉妬したり憎んだりせず、父と弟たちをかわいそうに思っています。ユダにはベニャミンを生かして家に帰らせなければならないという一念だけです。   ユダが出てきて家庭事の始末をヨセフに率直に告げ、父親のヤコブのためにベニャミンを帰らせ、代わりに自分がしもべにりたい願いします。勇気とは恐れがないからではなく、恐れてもやる力です。恐れがないわけではありません。恐いですが、責任を負うのです。信仰と責任は他の事ではありません。信じることには責任も勇気も必要です。責任を負うべき時に、責任を負いたくないことで信仰云々してはいけません。   ユダの勇気とは兄弟の中で一番先に出て責任を負うことであります。ユダの勇気とはヨセフの事の間違いを認め、悔い改めたということであり、そのようなことを二度は繰り返さないという心構えです。ユダの勇気とは自分がしもべになる犠牲を覚悟して責任を負うことです。信仰は、自分を認め、責任を持つ勇気です。ユダの家からダビデが生まれ、ダビデの家からイエス·キリストが来られることは偶然ではありません。勇気がなければ信仰を明かすことはできません。

창세기 묵상56【유다의 용기】221108(화) 에다가와 사랑의 교회

창세기 44:14~3444:14 유다와 그 형제들이 요셉의 집에 이르니 요셉이 오히려 그곳에 있는지라 그 앞 땅에 엎드리니44:15 요셉이 그들에게 이르되 너희가 어찌하여 이런 일을 행하였느냐 나 같은 사람이 점 잘 칠 줄을 너희가 알지 못하느냐44:16 유다가 가로되 우리가 내 주께 무슨 말을 하오리이까 무슨 설명을 하오리이까 어떻게 우리의 정직을 나타 내리이까 하나님이 종들의 죄악을 적발하셨으니 우리와…