創世記 黙想50【夢見るファラオ】221028(金) 枝川愛の教会

創世記 41:1~1641:1 それから二年後、ファラオは夢を見た。見ると、彼はナイル川のほとりに立っていた。41:2 すると、ナイル川から、つやつやした、肉づきの良い雌牛が七頭、上がって来て、葦の中で草をはんだ。41:3 するとまた、その後を追って、醜く痩せ細った別の雌牛が七頭、ナイル川から上がって来て、その川岸にいた雌牛のそばに立った。41:4 そして、醜く痩せ細った雌牛が、つやつやした、よく肥えた七頭の雌牛を食い尽くしてしまった。そのとき、ファラオは目が覚めた。41:5 彼はまた眠り、再び夢を見た。見ると、一本の茎に、よく実った七つの良い穂が出て来た。41:6 すると、その後を追って、しなびた、東風に焼けた七つの穂が出て来た。41:7 そして、しなびた穂が、よく実った七つの穂を吞み込んでしまった。そのとき、ファラオは目が覚めた。それは夢だった。41:8 朝になって、ファラオは心が騒ぎ、人を遣わして、エジプトのすべての呪法師とすべての知恵のある者たちを呼び寄せた。ファラオは彼らに夢のことを話したが、解き明かすことのできる者はいなかった。41:9 そのとき、献酌官長がファラオに告げた。「私は今日、私の過ちを申し上げなければなりません。41:10 かつて、ファラオがしもべらに対して怒って、私と料理官長を侍従長の家に拘留されました。41:11 私と彼は、同じ夜に夢を見ました。それぞれ意味のある夢でした。41:12 そこには、私たちと一緒に、侍従長のしもべで、ヘブル人の若者がいました。私たちが彼に話しましたところ、彼は私たちの夢を解き明かしてくれました。それぞれの夢に応じて、解き明かしてくれたのです。41:13 そして、彼が私たちに解き明かしたとおりになり、ファラオは私を元の地位に戻され、料理官長は木につるされました。」41:14 ファラオは人を遣わして、ヨセフを呼び寄せた。人々は急いで彼を地下牢から連れ出した。ヨセフはひげを剃り、着替えをして、ファラオの前に出た。41:15 ファラオはヨセフに言った。「私は夢を見たが、それを解き明かす者がいない。おまえは夢を聞いて、それを解き明かすと聞いたのだが。」41:16 ヨセフはファラオに答えた。「私ではありません。神がファラオの繁栄を知らせてくださるのです。」   ヨセフに再び機会が訪れます。エジプトの王ファラオが不思議な夢を見て慌てていたとき、ヨセフに助かった経験のある復権した献酌官長が、ヨセフの存在と優れた解釈を推薦し、ヨセフはファラオの前に出ていきます。ファラオはすでに夢を見ています。すなわち神様の御計画と啓示がすでに与えられているのです。ですから、それは間違いなく起こります。ただし人間はそれをどのように解釈するかの問題が残っています。   ヨセフがファラオが見た夢を解釈するようになります。ヨセフは自分の夢のためにこの苦労をしていますが、夢のために回復するようになります。その夢は人間の願いという夢ではなく、神様の啓示です。王の夢を解く鍵は、神様がヨセフに与える洞察と知恵です。知識と経験の量ではなく、霊的な洞察と知恵です。   ということでヨセフはファラオに「私ではありません。神がファラオの繁栄を知らせてくださるのです。」と言います。王の前に立った奴隷出身の受刑者ヨセフの自信感の根拠は神様です。異邦の王の前で神様の存在を証し、その力を宣言する信仰を通して、神様はその時代に現れます。神様を認めないこの時代にも、神様の存在を証しし、その力を宣言する人々、神様のみことばを解釈するヨセフのような人々がいるなら、神様はこの時代にも彼らを通して現れます。そして彼らは神様による成功を経験します。

창세기 묵상50【꿈꾸는 파라오】221028(금) 에다가와 사랑의 교회

창세기 41:1~1641:1 만 이년 후에 바로가 꿈을 꾼즉 자기가 하숫가에 섰는데41:2 보니 아름답고 살진 일곱 암소가 하수에서 올라와 갈밭에서 뜯어먹고41:3 그 뒤에 또 흉악하고 파리한 다른 일곱 암소가 하수에서 올라와 그 소와 함께 하숫가에 섰더니41:4 그 흉악하고 파리한 소가 그 아름답고 살진 일곱 소를 먹은지라 바로가 곧 깨었다가41:5 다시 잠이 들어 꿈을 꾸니 한 줄기에…

創世記 黙想49【成果があり、報いはない】221027(木) 枝川愛の教会

創世記 40:9~2340:9 献酌官長はヨセフに自分の夢を話した。「夢の中で、私の前に一本のぶどうの木があった。40:10 そのぶどうの木には三本のつるがあった。それは、芽を出すと、すぐ花が咲き、房が熟してぶどうの実になった。40:11 私の手にはファラオの杯があったので、私はそのぶどうを摘んで、ファラオの杯の中に搾って入れ、その杯をファラオの手に献げた。」40:12 ヨセフは彼に言った。「その解き明かしはこうです。三本のつるとは三日のことです。40:13 三日のうちに、ファラオはあなたを呼び出し、あなたを元の地位に戻すでしょう。あなたは、ファラオの献酌官であったときの、以前の定めにしたがって、ファラオの杯をその手に献げるでしょう。40:14 あなたが幸せになったときには、どうか私を思い出してください。私のことをファラオに話して、この家から私が出られるように、私に恵みを施してください。40:15 実は私は、ヘブル人の国から、さらわれて来たのです。ここでも私は、投獄されるようなことは何もしていません。」40:16 料理官長は、解き明かしが良かったのを見て、ヨセフに言った。「私の夢の中では、頭の上に枝編みのかごが三つあった。40:17 一番上のかごには、ファラオのために、ある料理官が作ったあらゆる食べ物が入っていたが、鳥が私の頭の上のかごの中から、それを食べてしまった。」40:18 ヨセフは答えた。「その解き明かしはこうです。三つのかごとは三日のことです。40:19 三日のうちに、ファラオはあなたを呼び出し、あなたを木につるし、鳥があなたの肉をついばむでしょう。」40:20 三日目はファラオの誕生日であった。それで彼は、すべての家臣たちのために祝宴を催し、献酌官長と料理官長を家臣たちの中に呼び戻した。40:21 そうして献酌官長をその献酌の役に戻したので、彼はその杯をファラオの手に献げた。40:22 しかし、料理官長のほうは木につるした。ヨセフが彼らに解き明かしたとおりであった。40:23 ところが、献酌官長はヨセフのことを思い出さないで、忘れてしまった。   ファラオの献酌官長と料理官長がヨセフがいる政治犯の監獄が投獄されました。ヨセフは彼らの夢を解釈します。一人の夢は生きる夢で、一人の夢は死ぬ夢でした。ヨセフの夢の解釈は的中して死ぬ人は死に、生きる人は生きて釈放されます。しかし、最初の約束とは異なり、釈放された人はヨセフのことを覚えていませんでした。ヨセフは仕方なく、いつまでかわからない監獄の生活を続けます。それでもヨセフは監獄という与えられた環境の中で忙しく、そして一生懸命に働きます。   たとえ、今は底にいますが、ヨセフは大きき成功する人です。ヨセフが覇権国の総理になれたのは、ヨセフが神様の啓示を受けてそれを解釈したからです。ヨセフが総理になったという立身揚命に集中しかちですが、ヨセフの真の成功というのは、自分の解釈によって多くの人を助けたことです。日照りと凶作で滅びたはずのエジプトを助け、飢饉に苦しんだ周辺国を助け、父親と自分を売った兄弟たちまで助けます。聖書にはエジプトと戦う人もいれば、カナンと戦って勝つ人もいますが、エジプトとイスラエルを両方救った人はヨセフだけです。   それは、ヨセフが神様が啓示したメッセージを解釈できる力のゆえでした。考古学で発見されたヨセフの記録には、エジプトの政治家や行政家ではなく予言者だと記録されているそうです。彼は神様の啓示を解釈する人でした。神様がヨセフに秘密を教えてくださったからです。創世記が繰り返し強調しているように、ヨセフが成功したのは、神様がヨセフとともにおられたからです。   しかし、これからも待たなければなりません。ヨセフには確かに成果がありましたが、それに伴う評価や補償がまだありません。人々は忘れたり、わざと漏らしたりもしますが、神様を信じる人は神様の間違いを心配することはないです。「イスラエルを守る方はまどろむこともなく眠ることもない」神様はヨセフの成果を知っており、勤務態度と周辺の評価まで正確に把握しておられます。そして、すでに人事考課に反映する準備をもしておられます。もし、今日一日の苦労が人に評価されなくても、神様の報いを願いながら一日を楽しめることを願います。

창세기 묵상49【성과가 있으나 보상은 없는】221027(목) 에다가와 사랑의 교회

창세기 40:9~2340:9 술 맡은 관원장이 그 꿈을 요셉에게 말하여 가로되 내가 꿈에 보니 내 앞에 포도나무가 있는데40:10 그 나무에 세 가지가 있고 싹이 나서 꽃이 피고 포도송이가 익었고40:11 내 손에 바로의 잔이 있기로 내가 포도를 따서 그 즙을 바로의 잔에 짜서 그 잔을 바로의 손에 드렸노라40:12 요셉이 그에게 이르되 그 해석이 이러하니 세 가지는 사흘이라40:13…

創世記 黙想48【牢屋で会った人】221026(水) 枝川愛の教会

創世記 40:1~840:1 これらのことの後、エジプト王の献酌官と料理官が、その主君、エジプト王に対して過ちを犯した。40:2 ファラオは、この献酌官長と料理官長の二人の廷臣に対して怒り、40:3 彼らを侍従長の家に拘留した。それは、ヨセフが監禁されているのと同じ監獄であった。40:4 侍従長がヨセフを彼らの付き人にしたので、ヨセフは彼らの世話をした。彼らは、しばらく拘留されていた。40:5 さて、監獄に監禁されていた、エジプト王の献酌官と料理官は、二人とも同じ夜にそれぞれ夢を見た。その夢にはそれぞれ意味があった。40:6 朝、ヨセフが彼らのところに来て、見ると、彼らは顔色がすぐれなかった。40:7 それで彼は、自分の主人の家に一緒に拘留されている、このファラオの廷臣たちに「なぜ、今日、お二人は顔色がさえないのですか」と尋ねた。40:8 二人は答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは言った。「解き明かしは、神のなさることではありませんか。さあ、私に話してください。」   投獄さられたヨセフは、獄中でもできる限りのことを誠実に、実に行います。誰にいてもどこにおいてもそのような誠実さが人々に伝われると信頼を受けます。いつまでも続くか分からない牢屋の時間ですが、ヨセフは最善を尽くして働きます。より良い条件が与えられれば、より良いことができると思いがちますが、神様は劣悪な条件の中でも真正性を判断することができます。それが確認されれば、信頼が与えられ、機会が与えられます。   神様の働きは出会いを通じてなされていきます。信仰の証はいつも出会いから始まり、出会いで終わります。同役者の出会いだけではありません。予期せぬ出会いを通じて新しい歴史が続きます。『心に折り合いをつけてうまいことやる習慣』を書いた90代の女性の医師は、自分の人生経験を通して人の運命を左右するのは人との縁であり、それは全く偶然だと言いました。90代の先輩らしく、素直ながらも正確な結論だと思います。因果関係を説明できない数多くの偶然が私たちの人生を作っていきます。   人間にとっては偶然ですが、神様にとっては摂理であり、計画です。ですから、私たちは劣悪だと思い、損だと思うすべての悔しい瞬間、そして何の役にも立たないと思う会うすべての人に対して丁寧にしなければなりません。ヨセフは確かにそうでした。それが偶然と絶望を成功に変える力でした。人ではなくその人の後ろにおられる神様を見上なければなりません。  

창세기 묵상48【감옥에서 만난 사람】221026(수) 에다가와 사랑의 교회

창세기 40:1~840:1 그 후에 애굽 왕의 술 맡은 자와 떡굽는 자가 그 주 애굽왕에게 범죄한지라40:2 바로가 그 두 관원장 곧 술 맡은 관원장과 떡 굽는 관원장에게 노하여40:3 그들을 시위대장의 집 안에 있는 옥에 가두니 곧 요셉의 갇힌 곳이라40:4 시위대장이 요셉으로 그들에게 수종하게 하매 요셉이 그들을 섬 겼더라 그들이 갇힌 지 수일이라40:5 옥에 갇힌 애굽 왕의…

創世記 黙想47【監獄という機会】221025(火) 枝川愛の教会

創世記 39:11~2339:11 このようなある日のこと、彼が仕事をしようとして家に入ると、家の中には、家の者が一人もいなかった。39:12 彼女はヨセフの上着をつかんで、「一緒に寝ましょう」と言った。しかしヨセフはその上着を彼女の手に残し、彼女から逃れて外へ出た。39:13 彼が上着を彼女の手に残して外へ逃げたのを見ると、39:14 彼女は家の者たちを呼んで、こう言った。「見なさい。私たちに対していたずらをさせるために、主人はヘブル人を私たちのところに連れ込んだのです。あの男が私と寝ようとして入って来たので、私は大声をあげました。39:15 私が声をあげて叫んだのを聞いて、あの男は私のそばに上着を残して、外へ逃げて行きました。」39:16 彼女は、ヨセフの主人が家に帰って来るまで、その上着を自分のそばに置いておいた。39:17 彼女は主人に、このように告げた。「あなたが私たちのところに連れて来た、あのヘブル人の奴隷は、私にいたずらをしようとして私のところに入って来ました。39:18 私が声をあげて叫んだので、あの男は私のそばに上着を残して、外へ逃げました。」39:19 彼の主人は、「あなたの奴隷がこのようなことを私にしました」と告げた妻のことばを聞いて、怒りに燃えた。39:20 ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄に置かれた。39:21 しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。39:22 監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手に委ねた。ヨセフは、そこで行われるすべてのことを管理するようになった。39:23 監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。   ポティファルの妻がヨセフを誘惑しますが、ヨセフはそれを断って逃げます。恨みをいだいたボディバルの妻はヨセフが自分を劫奪しようとしたと嘘をつき、ヨセフを窮地に陥れます。これを聞いたポティファルは、王の囚人が監禁されている監獄にヨセフを閉じ込めます。   ポティファルはエジプトという大国の長官で、ヨセフはしばらくポティファルの家でマネージャーの仕事をしただけで、奴隷の身分です。ポティファルの妻が言ったように、ヨセフが主人の妻を犯そうとしたことが本当なら、ヨセフは牢に入るところではなく、命を失わなければならないと思います。   ヨセフを殺さずに政治犯の監獄に入れたことを見れば、もしかしてポティファルははじめからヨセフの無罪を知っていたかも知れません。それでヨセフはもう一度投獄という危機に落ち、舞台はポティファルの家から監獄に変わります。   舞台が変わりますが、神様がヨセフと共におられることは変わりません。監獄の中でも信任を得、監獄の総括管理者になり、刑務業務という公務を学ぶようになります。人間にとっては落ち込みですが、神様とっては将来のためのレッスンです。 奴隷生活をしても監獄生活をしても神様がともにおられるので、ヨセフは全てのことに成功します。 ヨセフの危機の中にはいつも神様の機会があります。

창세기 묵상47【감옥이라는 기회】221025(화) 에다가와 사랑의 교회

창세기 39:11~2339:11 그러할 때에 요셉이 시무하러 그 집에 들어갔더니 그 집 사람은 하나도 거기 없었더라39:12 그 여인이 그 옷을 잡고 가로되 나와 동침하자 요셉이 자기 옷을 그 손에 버리고 도망하여 나가매39:13 그가 요셉이 그 옷을 자기 손에 버려두고 도망하여 나감을 보고39:14 집 사람들을 불러서 그들에게 이르되 보라 주인이 히브리 사람을 우리에게 데려다가 우리를 희롱하게 하도다…

創世記 黙想46【ヨセフの信義】221024(月) 枝川愛の教会

創世記 39:1~1039:1 一方、ヨセフはエジプトへ連れて行かれた。ファラオの廷臣で侍従長のポティファルという一人のエジプト人が、ヨセフを連れ下ったイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。39:2 主がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ。39:3 彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを彼に成功させてくださるのを見た。39:4 それでヨセフは主人の好意を得て、彼のそば近くで仕えることになった。主人は彼にその家を管理させ、自分の全財産を彼に委ねた。39:5 主人が彼にその家と全財産を管理させたときから、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を祝福された。それで、主の祝福が、家や野にある全財産の上にあった。39:6 主人はヨセフの手に全財産を任せ、自分が食べる食物のこと以外は、何も気を使わなかった。しかもヨセフは体格も良く、顔だちも美しかった。39:7 これらのことの後、主人の妻はヨセフに目をつけて、「一緒に寝ましょう」と言った。39:8 しかし彼は拒んで、主人の妻に言った。「ご覧ください。ご主人は、家の中のことは何でも私に任せ、心配せずに全財産を私に委ねられました。39:9 ご主人は、この家の中で私より大きな権威をふるおうとはせず、私がするどんなことも妨げておられません。ただし、あなたのことは別です。あなたがご主人の奥様だからです。どうして、そのような大きな悪事をして、神に対して罪を犯すことができるでしょうか。」39:10 彼女は毎日ヨセフに言い寄ったが、彼は聞き入れず、彼女のそばに寝ることも、一緒にいることもしなかった。   ヨセフがエジプトのファラオの廷臣で侍従長のポティファルの家に奴隷として売られます。奴隷として売られたのは確かに不運ですが、その後ヨセフには幸運が伴います。この世で言う幸運という言葉を聖書は神様が伴うことと言います。神様がともにおられるので、ヨセフは何をしても成果を上げます。ポティファルの信任を受けたヨセフは、ボディバルの家全体の管理を総括する執事になります。ヨセフはこの時から政務的感覚を身につけるようになります。   大家の執事になったから権利のない奴隷生活とは違った思います。順調でしたが、ある日、危機が訪れます。創世記はヨセフが体格も良く、顔だちも美しかったと言います。ポティファルの妻がそのヨセフを性的に誘惑します。誘惑を受け入れることも誘惑を断ることも、どれにも実は勇気が必要です。ヨセフは誘惑を断ります。若いヨセフに心の揺れがなかったとは思いませんが、ヨセフは断る勇気を出します。   ヨセフには姦通をしてはいけないというルールよりも、自分を信頼する主人を裏切れないという自分とのルールの方が強かったからです。最も恐い法は自分との法です。ヨセフが成功した理由、これからも成功していく背景には、常に信用と信義というものがあります。ヨセフの勝利は純潔の勝利というより信義の勝利です。   お金の誘惑も常にあります。しかし、信用を守ろうとする力がさらに強くなければならず、異性の誘惑も常にあるわけですが、信義を守ろうとする意志が先に働かなければなりません。それがヨセフの成功の力でした。危機の瞬間に神様との信義、家族との信義で判断すれば負けません。越えてはならない線は、越えないのが勇気です。

창세기 묵상46【요셉의 신의】221024(월) 에다가와 사랑의 교회

창세기 39:1~1039:1 요셉이 이끌려 애굽에 내려가매 바로의 신하 시위대장 애굽사람 보디발이 그를 그리로 데려간 이스마엘 사람의 손에서 그를 사니라39:2 여호와께서 요셉과 함께 하시므로 그가 형통한 자가 되어 그 주인 애굽 사람의 집에 있으니39:3 그 주인이 여호와께서 그와 함께하심을 보며 또 여호와께서 그의 범사에 형통케 하심을 보았더라39:4 요셉이 그 주인에게 은혜를 입어 섬기매 그가 요셉으로 가정…