創世記 黙想10【イサクとイシュマエル】220909(金) 枝川愛の教会
創世記 21:8~2121:8 その子は育って乳離れした。アブラハムはイサクの乳離れの日に、盛大な宴会を催した。21:9 サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムに産んだ子が、イサクをからかっているのを見た。21:10 それで、アブラハムに言った。「この女奴隷とその子を追い出してください。この女奴隷の子は、私の子イサクとともに跡取りになるべきではないのですから。」21:11 このことで、アブラハムは非常に苦しんだ。それが自分の子に関わることだったからである。21:12 神はアブラハムに仰せられた。「その少年とあなたの女奴隷のことで苦しんではならない。サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。というのは、イサクにあって、あなたの子孫が起こされるからだ。21:13 しかし、あの女奴隷の子も、わたしは一つの国民とする。彼も、あなたの子孫なのだから。」21:14 翌朝早く、アブラハムは、パンと、水の皮袋を取ってハガルに与え、彼女の肩に担がせ、その子とともに彼女を送り出した。それで彼女は行って、ベエル・シェバの荒野をさまよった。21:15 皮袋の水が尽きると、彼女はその子を一本の灌木の下に放り出し、21:16 自分は、弓で届くぐらい離れた向こうに行って座った。「あの子が死ぬのを見たくない」と思ったからである。彼女は向こうに座り、声をあげて泣いた。21:17 神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神が、あそこにいる少年の声を聞かれたからだ。21:18 立って、あの少年を起こし、あなたの腕でしっかり抱きなさい。わたしは、あの子を大いなる国民とする。」21:19 神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけた。それで、行って皮袋を水で満たし、少年に飲ませた。21:20 神が少年とともにおられたので、彼は成長し、荒野に住んで、弓を射る者となった。21:21 彼はパランの荒野に住んだ。彼の母は、エジプトの地から彼のために妻を迎えた。 アブラハム夫婦がイサクを産む前に、サラはアブラハムに子孫がいないことを心配し、自分の女僕のハガルを通してシュマエルという男の子を産ませます。これを推進したのはサラ自身です。ですから、アブラハムにとって、最初の子はイサクではなくシュマエルです。当時としては、僕を通して子を産む婚外子という道徳的非難が今のようなものではなかったでしょう。私たちはむしろ、この夫婦が神様の約束を信じずに、人為的な方法を取ったという霊的な問題に注目します。それはまるでボタンを掛け違えたようなことで次々と問題を生み出します。 イサクが生まれ、イシュマエルはすでに幼年期を過ぎて成長していました。イシュマエルがイサクを憎むような衝突があり、サラはイシュマエルが嫌いになります。サラは自分の意志で自分の女僕を通して夫の子どもを産み、またその子の養育にも関わったはずですが、イサクがイシュマエルにやられるとハガルとイスマエルの母子を憎み、家から追い出そうとします。 アブラハムがこのことで悩んでいると、神様はサラの言葉の通りにハガルとイシュマエルを追い出すようにと言われます。ハガルとイシュマエルにとっては恨むことで不幸なこうですが、神様は彼らの安全と未来を保証し、約束されます。家を出た母子は悲しみに会いますが、彼らは別の環境、別の神様の計画と恵みの中で生きています。問題は人が起こし、解決は神様がなされることが続きます。神様はユダヤ教的、またはキリスト教的な純粋血統主義の中に閉じ込められていません。それは神様がイシュマエルを捨ててイサクを用いますが、それを通して成し遂げられる福音によってすべての人は神様の子とされる回復になるからです。