사사기묵상 QT4 210806금【길갈에서 보김까지】사사기 2장 1~10

사사기 2장 1~102:1 여호와의 사자가 길갈에서부터 보김에 이르러 가로되 내가 너희로 애굽에서 나오게 하고 인도하여 너희 열조에게 맹세한 땅으로 이끌어 왔으며 또 내가 이르기를 내가 너희에게 세운 언약을 영원히 어기지 아니하리니2:2 너희는 이 땅 거민과 언약을 세우지 말며 그들의 단을 헐라 하였거늘 너희가 내 목소리를 청종치 아니하였도다 그리함은 어찜이뇨2:3 그러므로 내가 또 말하기를 내가 그들을…

士師記 QT3 210805木【私の中にいるカナン人】士師記 1章 22~36

士師記 1章 22~361:22 ヨセフの一族もまた、ベテルに上って行った。主は彼らとともにおられた。1:23 ヨセフの一族はベテルを探った。この町の名は、かつてはルズであった。1:24 見張りの者たちは、その町から出て来た人を見て言った。「この町に入るところを教えてほしい。そうすれば私たちも、あなたに誠意を尽くすから。」1:25 彼が町の出入り口を教えたので、彼らは剣の刃でこの町を討った。しかし、その人とその氏族の者はみな自由にしてやった。1:26 その人はヒッタイト人の地に行って町を建て、その名をルズと呼んだ。これが今日までその名である。1:27 マナセは、ベテ・シェアンとそれに属する村々、タアナクとそれに属する村々、ドルの住民とそれに属する村々、イブレアムの住民とそれに属する村々、メギドの住民とそれに属する村々は占領しなかった。それで、カナン人はその土地に住み続けた。1:28 イスラエルは強くなったとき、カナン人を苦役に服させたが、彼らを完全に追い払うことはしなかった。1:29 エフライムはゲゼルの住民であるカナン人を追い払わなかったので、カナン人はゲゼルで彼らのただ中に住んだ。1:30 ゼブルンはキテロンの住民とナハロルの住民を追い払わなかったので、カナン人は彼らのただ中に住み、苦役に服した。1:31 アシェルはアッコの住民やシドンの住民、またアフラブ、アクジブ、ヘルバ、アフィク、レホブの住民を追い払わなかった。1:32 それで、アシェル人は、その土地に住むカナン人のただ中に住んだ。カナン人を追い払わなかったのである。1:33 ナフタリはベテ・シェメシュの住民やベテ・アナトの住民を追い払わずに、その土地に住むカナン人のただ中に住んだ。しかし、ベテ・シェメシュとベテ・アナトの住民は、彼らのために苦役に服した。1:34 アモリ人はダン族を山地に追いつめ、平地に下りることを許さなかった。1:35 こうしてアモリ人は、ハル・ヘレス、アヤロン、そしてシャアルビムに住み続けたが、ヨセフの一族が勢力を増すと、彼らは苦役に服した。1:36 アモリ人の領地は、アクラビムの坂からセラを経た上の方であった。   感情を伴った信仰の情熱と勢いというのは強く見えますが、時間に伴ってしずまります。引き受けた職責と役割が信仰を現すことでもありません。信仰を継続し、成熟する力は、神様を知っていくことと、神様への信仰の告白の蓄積です。告白を積み重ねていくということは、知的に経験的にまだ知らなかったことを新たに知り、それを信仰としてまとめることです。   だから生きている信仰は、神様への告白が絶えず更新されていく人です。言葉と格闘する人は、神様を知って行き、生活の中で御言葉である神様を経験します。それは、告白になります。それが自分の生活の中で求めるべき価値観となって、世を理解する世界観になります。   私たちの周りには、神様を理解することを妨害したり、逆行する多くの価値観と世界観が多様に存在しています。それらを断罪したり、取り除くことはできません。信仰は、それに影響を受け、引きずられずに、それを解釈してわきまえることです。偏狭で部分的なもの、または反聖書的なことを聖書から見分けることができる力が必要です。   それらに吸収されず、汚染されず、神様の世界観を持ったなければありません。分かろうとせず、質問せず、悩まなければ、神様に飾った他のもの見分けることはできません。むしろ影響を受け、ますます混合され、同化されていきます。   今日の本文でヨセフの一族は、ベテルを探ったときに、その町の入り口を教えてくれた住民を生かします。追い出せなかったわけではなく、意図的に生かしてあげました。マナセ、ゼブルン、アシェル、ナフタリもカナン人を追い出せず、自分たちと一緒に住むことになります。ダンはむしろアモリ人に追われ、山地に入り、平地に来れない境遇になります。   神様はカナンを完全に一掃するように命じられました。これを聖書が侵略戦争や殺戮を正当化するものと理解してはいけません。神様は、イスラエルがなにことにみにも邪魔されず、混合されない純潔な神様への世界観を持つことを願われたのです。神様は白い紙の上に、イスラエルの考えを作りたかったのです。   私たちと他の考えを持っている人々敵対したり、嫌悪しません。それを政治的に排除しようとする人もいますが、そのものがすでに、キリスト教の価値ではありません。一つは知り、全体を知らないのです。私たちには、この複雑な世の中で、神様の目でそれを見て、神様に対する純潔な価値を持ち、それをこの世界に提示すしなければならない義務があります。まず、私の中に混じっているカナンを消滅することを願います。

사사기묵상 QT3 210805목【내 안에 있는 가나안 사람】사사기 1장 22~36

사사기 1장 22~361:22 요셉 족속도 벧엘을 치러 올라가니 여호와께서 그와 함께 하시니라1:23 요셉 족속이 벧엘을 정탐케 하였는데 그 성읍의 본 이름은 루스라1:24 탐정이 그 성읍에서 한 사람의 나오는 것을 보고 그에게 이르되 청하노니 이 성읍의 입구를 우리에게 가르치라 그리하면 너를 선대하리라 하매1:25 그 사람이 성읍의 입구를 가르친지라 이에 칼날로 그 성읍을 쳤으되 오직 그 사람과…

士師記 QT2 210804水【挑戦する勇気】士師記 1篇 11~21

士師記 1篇 11~211:11 彼らは、そこから進んでデビルの住民を攻めた。デビルの名は、かつてはキルヤテ・セフェルであった。1:12 そのときカレブは言った。「キルヤテ・セフェルを討って、これを攻め取る者に、私の娘アクサを妻として与えよう。」1:13 カレブの同族ケナズの子オテニエルがそれを攻め取ったので、カレブは娘アクサを彼に妻として与えた。1:14 嫁ぐとき、彼女は夫に、自分の父に畑を求めるよう、しきりに促した。彼女がろばから降りると、カレブは「何が欲しいのか」と彼女に言った。1:15 アクサは彼に言った。「どうか私にお祝いを下さい。ネゲブの地を私に下さるのですから、湧き水を下さい。」そこでカレブは上の泉と下の泉を彼女に与えた。1:16 モーセのしゅうとがその一族であるケニ人たちは、ユダ族と一緒に、なつめ椰子の町からアラドの南にあるユダの荒野に上って行き、そこの民とともに住んだ。1:17 ユダは兄弟シメオンと一緒に行って、ツェファテに住んでいたカナン人を討ち、それを聖絶し、その町にホルマという名をつけた。1:18 ユダは、ガザとその地域、アシュケロンとその地域、エクロンとその地域を攻め取った。1:19 主がユダとともにおられたので、ユダは山地を占領した。しかし、平地の住民は鉄の戦車を持っていたので、ユダは彼らを追い払えなかった。1:20 モーセが約束したとおり、ヘブロンはカレブに与えられ、カレブはそこからアナクの三人の息子を追い払った。1:21 エルサレムに住んでいるエブス人に関しては、ベニヤミン族がこれを追い払わなかったので、エブス人は今日までベニヤミン族とともにエルサレムに住んでいる。   ヨシュアは死にましだが、私たちが覚えているカレブはまだ生きて働いています。彼は命がある限り、神様の約束に頼って戦います。カレブは、勇気をもって地を征服する者に、自分の娘と結婚させるとのことを約束します。オテニエルが立ち上がって地を征服し、カレブの娘と結婚します。カレブの婿となったオテニエルは、士師時代の最初の士師となります。   カレブは、婿に約束したことと娘が求めたことよりも豊かなものをもって補償しました。挑戦することを通して受けられる資源はは無限です。問題は、挑戦する勇気がないことです。神様の資源は一度も枯渇したことはありません。使用しようとする人によって開発されます。神様は私たちに勇気を出して開拓し、信仰をもってそれらを受け取ることを望まれます。神は、そのような挑戦と信仰に豊かに報われます。   しかし、ユデ族の勢いも折れます。「モーセが約束したとおり、ヘブロンはカレブに与えられ、カレブはそこからアナクの三人の息子を追い払った。19」山地の人々は追い出しましたが、谷の人々を追い出すのは出来なかったです。それは、彼らに鉄の戦車があったからです。カナンに定住する前のイスラエルは青銅器文化でした。鉄を持っていなかったので、鉄の戦車というのは脅威的な武器でした。だからユダはその戦いを放棄してしまいます。   ベニヤミン族も変わらなかったです。 21節を見れば「エルサレムに住んでいるエブス人に関しては、ベニヤミン族がこれを追い払わなかったので、エブス人は今日までベニヤミン族とともにエルサレムに住んでいる。」エブスびは、エルサレムの山岳地帯です。エブスと戦うためには、戦闘力の損失が多かったようです。だから、その地を征服しなかったです。すでに多くの土地があるからです。これによってエブスはこれからずっとイスラエルを苦しめる存在になります。   神の戦いは、現実の戦いではありません。現実に縛られると必ず負けます。負けると思ったら間違いなく負けます。不可能と思ったら不可能です。維持しようと思ったら、維持できず、後退してしまいます。使命を果たそうと思ったら挑戦しなければならないし、挑戦するためには勇気が必要です。信仰は、現実を越え、神様の力を現実の中で実現させる力です。   神様は、確かにイスラエルの民にカナン人を滅ぼし、てカナンを白紙の状態にするようにとされました。イスラエルは、ヨシュアの不在にも、最初によくしましたが、完全な従順はしていません。この完全ではないというのは、勇気がなかったということです。過度に欲張ってしまっても倒れますが、挑戦しない臆病も神様の力が実現されることに妨げになります。私の信仰にいつも勇気というものが含まれていますように。

사사기묵상 QT2 210804수【도전하는 용기】사사기 1장 11-21

사사기 1장 11-211:11 거기서 나아가서 드빌의 거민들을 쳤으니 드빌의 본 이름은 기럇세벨이라1:12 갈렙이 말하기를 기럇 세벨을 쳐서 그것을 취하는 자에게는 내 딸 악사를 아내로 주리라 하였더니1:13 갈렙의 아우요 그나스의 아들인 옷니엘이 그것을 취한고로 갈렙이 그 딸 악사를 그에게 아내로 주었더라1:14 악사가 출가할 때에 그에게 청하여 자기 아비에게 밭을 구하자 하고 나귀에서 내리매 갈렙이 묻되 네가…

士師記 QT1 210803火【士師記を読み始める】士師記 1篇 1~10

士師記 1篇 1~101:1 ヨシュアの死後、イスラエルの子らは主に尋ねた。「だれが私たちのために最初に上って行って、カナン人と戦うべきでしょうか。」1:2 すると、主は言われた。「ユダが上って行くべきである。見よ、わたしはその地を彼の手に渡した。」1:3 ユダは自分の兄弟シメオンに言った。「私と一緒に、私に割り当てられた地に上ってください。私たちはカナン人と戦うのです。私も、あなたに割り当てられた地に一緒に行きます。」そこでシメオンは彼と一緒に行った。1:4 ユダが上って行くと、主はカナン人とペリジ人を彼らの手に渡されたので、彼らはベゼクで一万人を討ち取った。1:5 彼らはベゼクでアドニ・ベゼクに出会い、彼と戦ってカナン人とペリジ人を討った。1:6 ところが、アドニ・ベゼクが逃げたので、彼らは後を追って捕らえ、その両手両足の親指を切り落とした。1:7 アドニ・ベゼクは言った。「かつて、両手両足の親指を切り落とされた七十人の王たちが、私の食卓の下でパン屑を拾い集めていたものだ。私がしたとおりに、神は私に報いを返された。」彼らはアドニ・ベゼクをエルサレムに連れて行き、彼はそこで死んだ。1:8 ユダ族は、エルサレムを攻めてこれを取り、剣の刃で討って町に火を放った。1:9 その後、ユダ族は、山地やネゲブやシェフェラに住んでいるカナン人と戦うために下って行った。1:10 ユダはヘブロンに住んでいるカナン人を攻めた。ヘブロンの名は、かつてはキルヤテ・アルバであった。彼らはシェシャイとアヒマンとタルマイを討った。   今日から士師記のQTが始まります。出エジプト記がモーセの時代であれば、ヨシュア記はモーセの死後にたてられたヨシュアの時代です。それから士師記1章1節は、「ヨシュアの死後」という言葉から始め、士師記の最後の第21章25節は、「それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。25」で終わります。つまり、士師記の時代的な位置はヨシュア以後からイスラエルに王が立てられるまでの混乱期であり、期間は350年間です。   イスラエルは神様の恵みによって奴隷の地から救い出され、荒野の生活を経て、与えられた約束の地に彼らが定住できるようになりました。その地がカナンでした。いかに大きな祝福でしょうか。しかし、人は恵みをくださった神様に集中せず、恵みが残した結果に執着します。それゆえに恵みを失ってしまいます。祖父の紅海は伝説となり、父のヨルダン川は老害になってしまいました。神様は何度も約束を求め、民はそれに答えましたが、祝福の環境に慣れるうちにイスラエルは記憶を失って、子どもたちにも教えませんでした。   彼らは、約束という原則を破り、自分たちの合理性に従います。カナンの地にある部族を消滅せず、妥協して利益を取り、それによって最終的には彼らの宗教と混合してしまいます。記憶を持続しなければ、恵みも持続しません。士師記のサイクルは、罪を犯すことにとって懲戒され、悔い改め、また回復が与えられる、というものです。士師記は失敗の歴史です。なぜならそれが繰り返されているからです。カナンは確かに祝福の地でしたが、祝福を受け取った当事者たちが、それを祝福の地として楽しむことができません。私はたちは恐れをもって士師記を読んでいきたい思います。

사사기묵상 QT1 210803화【사사기를 시작하며】사사기 1장 1-10

사사기 1장 1-101:1 여호수아가 죽은 후에 이스라엘 자손이 여호와께 묻자와 가로되 우리 중 누가 먼저 올라가서 가나안 사람과 싸우리이까1:2 여호와께서 가라사대 유다가 올라갈지니라 보라 내가 이 땅을 그 손에 붙였노라 하시니라1:3 유다가 그 형제 시므온에게 이르되 나의 제비 뽑아 얻은 땅에 나와 함께 올라가서 가나안 사람과 싸우자 그리하면 나도 너의 제비 뽑아 얻은 땅에 함께…

ピレモンへの手紙 QT1 210802月【福音によって生きる】ピレモン 1篇 15~25

ピレモン1章 15~251:15 オネシモがしばらくの間あなたから離されたのは、おそらく、あなたが永久に彼を取り戻すためであったのでしょう。1:16 もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟としてです。特に私にとって愛する兄弟ですが、あなたにとっては、肉においても主にあっても、なおのことそうではありませんか。1:17 ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。1:18 もし彼があなたに何か損害を与えたか、負債を負っているなら、その請求は私にしてください。1:19 私パウロが自分の手で、「私が償います」と書いています。あなたが、あなた自身のことで私にもっと負債があることは、言わないことにします。1:20 そうです、兄弟よ。私は主にあって、あなたの厚意にあずかりたいのです。私をキリストにあって安心させてください。1:21 私はあなたの従順を確信して書いています。私が言う以上のことまで、あなたはしてくださると、分かっています。1:22 同時に、私の宿も用意しておいてください。あなたがたの祈りによって、私はあなたがたのもとに行くことが許されると期待しているからです。1:23 キリスト・イエスにあって私とともに囚人となっているエパフラスが、あなたによろしくと言っています。1:24 私の同労者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカがよろしくと言っています。1:25 主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。   ピレモンへの手紙は、パウロがピレモンという人にオネシモという人を嘆願している短い手紙です。オネシモは、コロサイ地方のピレモンという人の奴隷でしたが、主人のピレモンのものを盗んで逃げたということでローマで捕まえて投獄されていました。その牢屋のパウロも投獄されていて、パウロは彼を伝道し、彼はイエス・キリストを信じて受け入れたのです。それでパウロはピレモンにオネシモののことを赦してくれるように嘆願の文を書き送りました。   ピレモンはオネシモの主人でありましたが、コロサイ教会の信徒でもありました。彼もエペソを訪問したときにパウロによって伝道を受け、信徒になった人でコロサイ教会が建てられることに重要な役割を果たした人です。パウロはこのようなピレモンにオネシモを赦してくれるようお願いしながら、財産上の被害は、自分が代わりに返済しますと言っています。   ピレモンの返信は残っていませんが、結果的にピレモンはオネシモのことを赦し、その恵みによってオネシモは変わり、パウロの大切な同労者となります。コロサイ人への手紙を読むと、オネシモの名前が再び出てきます。「また彼は、あなたがたの仲間の一人で、忠実な、愛する兄弟オネシモと一緒に行きます。この二人がこちらの様子をすべて知らせます。4:9」逃げだした奴隷が故郷に戻り、パウロのメッセージを伝えました。赦しという恵みは、いかに劇的で美しいことでしょうか。オネシモとピレモンの再会がどのようなものだったのか想像できます。   短い手紙ですが、貴重な神学的内容と感動が残る手紙です。この手紙の中に福音があり、福音にふさわしい信仰の実践もあります。福音はたくさんのことを変える力があります。財産の被害を代わりに返すといいながら願うパウロから、キリストの愛に出会います。キリストの教会を立てた功労者ピレモンから、「我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく」との信仰が確認されます。赦された罪人、オネシモは生まれ変わり、自分を救った恵み、福音のための働き手となりました。これまで読んできた詩篇では、人間の奥深いところにあることをを吐き出すようなことを読みましたが、ピレモンへの手紙からは、人々の間に複雑に絡まっていることが解決されていくような感動を読みました。

빌레몬묵상 QT1 210802월【복음은 어떻게 삶이 되는가】빌레몬서 1장 15-25

빌레몬서 1장 15-251:15 저가 잠시 떠나게 된 것은 이를 인하여 저를 영원히 두게 함이니1:16 이 후로는 종과 같이 아니하고 종에서 뛰어나 곧 사랑 받는 형제로 둘 자라 내게 특별히 그러하거든 하물며 육신과 주 안에서 상관된 네게랴1:17 그러므로 네가 나를 동무로 알진대 저를 영접하기를 내게 하듯하고1:18 저가 만일 네게 불의를 하였거나 네게 진 것이 있거든 이것을…

詩篇 QT22 21073土【心の望み】詩篇 21篇 1~13

詩篇 21篇 1~1321:1 主よあなたの御力を王は喜びます。あなたの御救いをどんなに楽しむことでしょう。21:2 あなたは彼の心の望みをかなえ唇の願いを退けられません。セラ21:3 あなたは幸いに至る祝福をもって彼を迎え頭に純金の冠を置かれます。21:4 いのちを彼はあなたに願いあなたは彼にそれをお与えになります。いつまでもとこしえまでも限りなく。21:5 御救いによって彼の栄光は大いなるものとなり威厳と威光をあなたは彼の上に置かれます。21:6 あなたはとこしえに彼に祝福を与え御前で喜び楽しませてくださいます。21:7 王は主に信頼しているのでいと高き方の恵みにあって揺るぎません。21:8 あなたの御手はすべての敵を見つけ出しあなたの右の手はあなたを憎む者を見つけ出します。21:9 あなたの現れのときあなたは彼らを燃える炉のようにされます。主は御怒りによって彼らを吞み尽くし火は彼らを食い尽くします。21:10 地の上から彼らの裔を人の子らの中から彼らの子孫をあなたは滅ぼしてしまわれます。21:11 彼らがあなたに対して悪を企て計略をめぐらしても成し遂げられません。21:12 あなたは彼らが背を見せるようにし弓弦を引き彼らの顔を狙われます。21:13 主よあなたの御力のゆえにあなたがあがめられますように。大いなる御力を私たちは歌いほめ歌います。   望んでいること、求めていること、心の願いがある人は祈ります。祈りが良いものであっても心に願う望みがなければ祈りは続けられません。祈りは時間が経つにつれ、自分の中に溶けていき、熟成されていくものです。祈りは少しずつ発展して理由と目的と根拠を持ち、それなりの論理を作っていきます。根拠と論理は、神様を説得するためのものではなく、祈っている自分が自分の祈りを理解するためのものです。   ヤコブは、「…自分のものにならないのは、あなたがたが求めないからです。4:2」といいました。すべてが満たされて祈っていないなら、それは何かを失っていることかもしれません。祈りを始めると、心の中から捨てられるものがあり、新しく入ってくるものもあります。天の扉が開いて地上に降りかかる前にまず祈る人の心の中に何かの変化が起こります。でも祈らないから求めるべきものが何であるかを知らないし、求めるものがないから祈らないという悪循環になります。   ヤコブは続いて、「求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと、悪い動機で求めるからです。4:3」と言いました。ここで快楽とは、祈りの方向が常に自分自身に向かっている状態です。もちろん個人事の祈ってははいけないといううわけではありません。それは大切です。ただ、神様の御旨を探ることが省いていることの指摘です。本文2節でダビデは、「あなたは彼の心の望みをかなえ唇の願いを退けられません」とあります。ダビデが心に抱いた願いがあり、その願いは神様がダビデに与えたものであってダビデは、神様から与えられた心の願いを持って祈り、神様はそれをダビデに答えました。   ピリピ人への手紙でパウロは、「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。2:13」と言います。というのは、希望の源は神様であり、それの応える能力の源も神様です。神様が始め、神様が閉めるの間に神様はダビデに心の願いを与えました。ダビデはそれをもって祈りました。そして、祝福は祈った人、ダビデのものになります。神様が私に与えた私の願い、望みは何なのか、それを見つけたいのです。