출애굽기 QT32 2105011화【목마른 이스라엘】출애굽기 15장 22~27

출애굽기 15장 22~2715:22 모세가 홍해에서 이스라엘을 인도하매 그들이 나와서 수르 광야 로 들어가서 거기서 사흘길을 행하였으나 물을 얻지 못하고15:23 마라에 이르렀더니 그 곳 물이 써서 마시지 못하겠으므로 그 이름을 마라라 하였더라15:24 백성이 모세를 대하여 원망하여 가로되 우리가 무엇을 마실까 하매15:25 모세가 여호와께 부르짖었더니 여호와께서 그에게 한 나무를 지시하시니 그가 물에 던지매 물이 달아졌더라 거기서 여호와께서…

出エジプト記 QT31 20210510月【マエストロ・ミリアム】出エジプト 15章 13~21

出エジプト記 15章 13~2115:13 あなたが贖われたこの民を、あなたは恵みをもって導き、御力をもって、あなたの聖なる住まいに伴われた。15:14 もろもろの民は聞いて震え、ペリシテの住民も、もだえ苦しんだ。15:15 そのとき、エドムの首長らは、おじ惑い、モアブの有力者たちを震えが襲い、カナンの住民の心はみな溶け去った。15:16 恐怖と戦慄が彼らに臨み、あなたの偉大な御腕により、彼らは石のように黙った。主よ、あなたの民が通り過ぎるまで。あなたが買い取られた民が通り過ぎるまで。15:17 あなたは彼らを導き、あなたのゆずりの山に植えられる。主よ、御住まいのために、あなたがお造りになった場所に。主よ、あなたの御手が堅く建てた聖所に。15:18 主はとこしえまでも統べ治められる。」15:19 ファラオの馬が戦車や騎兵とともに海の中に入ったとき、主は海の水を彼らの上に戻された。しかし、イスラエルの子らは海の真ん中で乾いた地面を歩いて行った。15:20 そのとき、アロンの姉、女預言者ミリアムがタンバリンを手に取ると、女たちもみなタンバリンを持ち、踊りながら彼女について出て来た。15:21 ミリアムは人々に応えて歌った。「主に向かって歌え。主はご威光を極みまで現され、馬と乗り手を海の中に投げ込まれた。」   聖書でミリアムの記事はそれほど多くありませんが、幼い時、ナイル川に流されていたかわいそうなモーセについていた悲しい姉ちゃんがミリアムです。そして、出エジプト途上でモーセが異邦の女性を取ったことを非難したミリアムが登場します。それはモーセに一次的な誤りがあるようですが、モーセのリーダーシップを強化しなければならない神様は、公開的にモーセを攻撃したミリアムをらい病にかからせました。モーセはありがたい姉が自分のためにらい病にかかってしまったということで、神様に痛く祈り、ミリアムを回復しました。   今日の本文は、モーセの歌に、姉ミリアムの歌が続きます。20節ではミリアムを女預言者と称しています。ミリアムはタンバリンを持って踊りながら賛美しました。それについて女性のみなが彼女に従って賛美します。ミリアムはイスラエル、とりわけ出エジプトの共同体の中でリーダーシップをもって女性の世界を指揮していました。ミリアムには女丈夫のような面があります。   モーセの歌は長いですが、女丈夫のミリアムの歌は21節のみで短いです。始めてからすぐに終わります。それはミリアムの歌の全部ではなく、編集したものだと思います。一行の詩をもって楽器を演奏し、踊ることはないからです。そして、その編集にも理由があると思います。「主に向かって歌え。主はご威光を極みまで現され、馬と乗り手を海の中に投げ込まれた。21」   美辞麗句はありません。むしろ神学的論争を呼び起こすような敏感な素材を積極的かつ簡潔に述べています。ミリアムは、神様がイスラエルを救ったことを言わずに、神様がエジプトを殺したことを言っているからです。それがそれで同じことですが、私はミリアムの歌がすっきりして好きになりました。   救いと恵みという言葉が私たちの中でいかに抽象的な意味で使われるのが振り返ってみてください。救いは実際のものであり、私を絶望に引っ張て行く力に対して私の代わりに戦って私を勝たせてくださるのが救です。ミリアムの詩は、神様が救いを妨げる絶望を持ち上げ、それを海にも投げ込んでくださったと歌っているのです。   信じる人は紅海が分かれたことの科学的な証拠を見つけだし、それをもって説得しようと図ります。また、愛の神様がエジプト軍を海の中で殺したという話をするのに自信がなくてイスラエルが紅海を渡ったという婉曲な表現を言いまわします。   間違ってはありませんが、紅海を渡ったことを科学的に説明しなくてもよいです。それは私がイエス様を信じて救われたことを告白したときから、紅海はすでに割れたからです。神様がエジプトを殺したことを言うことにまよまよしなくてもよいです。それは、今でも私の絶望と戦われる神様がなさることだからです。私の救いのために神様は今日も馬と乗り手を海に投げ込っでくださいます。  

출애굽기 QT31 2105010월【마에스트로 미리암】출애굽기 15장 13~21

출애굽기 15장 13~2115:13 주께서 그 구속하신 백성을 은혜로 인도하시되 주의 힘으로 그들을 주의 성결한 처소에 들어가게 하시나이다15:14 열방이 듣고 떨며 블레셋 거민이 두려움에 잡히며15:15 에돔 방백이 놀라고 모압 영웅이 떨림에 잡히며 가나안 거민이 다 낙담하나이다15:16 놀람과 두려움이 그들에게 미치매 주의 팔이 큼을 인하여 그들이 돌같이 고요하였사오되 여호와여 주의 백성이 통과하기까지 곧 주의 사신 백성이 통과하기까지였나이다15:17…

出エジプト記 QT30 20210508土【紅海が分かれる時間】出エジプト 14章 15~31

出エジプト記 14章 15~3114:15 主はモーセに言われた。「なぜ、あなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの子らに、前進するように言え。14:16 あなたは、あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に伸ばし、海を分けなさい。そうすれば、イスラエルの子らは海の真ん中の乾いた地面を行くことができる。14:17 見よ、このわたしがエジプト人の心を頑なにする。彼らは後から入って来る。わたしはファラオとその全軍勢、戦車と騎兵によって、わたしの栄光を現す。14:18 ファラオとその戦車とその騎兵によって、わたしが栄光を現すとき、エジプトは、わたしが主であることを知る。」14:19 イスラエルの陣営の前を進んでいた神の使いは、移動して彼らのうしろを進んだ。それで、雲の柱は彼らの前から移動して彼らのうしろに立ち、14:20 エジプトの陣営とイスラエルの陣営の間に入った。それは真っ暗な雲であった。それは夜を迷い込ませ、一晩中、一方の陣営がもう一方に近づくことはなかった。14:21 モーセが手を海に向けて伸ばすと、主は一晩中、強い東風で海を押し戻し、海を乾いた地とされた。水は分かれた。14:22 イスラエルの子らは、海の真ん中の乾いた地面を進んで行った。水は彼らのために右も左も壁になった。14:23 エジプト人は追跡し、ファラオの馬も戦車も騎兵もみな、イスラエルの子らの後を海の中に入って行った。14:24 朝の見張りのころ、主は火と雲の柱の中からエジプトの陣営を見下ろし、エジプトの陣営を混乱に陥れ、14:25 戦車の車輪を外してその動きを阻んだ。それでエジプト人は言った。「イスラエルの前から逃げよう。主が彼らのためにエジプトと戦っているのだ。」14:26 主はモーセに言われた。「あなたの手を海に向けて伸ばし、エジプト人と、その戦車、その騎兵の上に水が戻るようにせよ。」14:27 モーセが手を海に向けて伸ばすと、夜明けに海が元の状態に戻った。エジプト人は迫り来る水から逃れようとしたが、主はエジプト人を海のただ中に投げ込まれた。14:28 水は元に戻り、後を追って海に入ったファラオの全軍勢の戦車と騎兵をおおった。残った者は一人もいなかった。14:29 イスラエルの子らは海の真ん中の乾いた地面を歩いて行った。水は彼らのために右も左も壁になっていた。14:30 こうして主は、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた。イスラエルは、エジプト人が海辺で死んでいるのを見た。14:31 イスラエルは、主がエジプトに行われた、この大いなる御力を見た。それで民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。   イスラエルの後を追ってくるエジプトの戦車部隊の前で、神様は紅海に道を開いておかれました。15章13節でモーセはこれを「…聖なる住まいに伴われた」と言いました。聖別された民は紅海を歩いて行き、エジプト軍はおぼれて死にました。エジプト軍の戦車の車輪は、泥にはまって無力でしたが、聖別した民は、乾いた地を歩いて渡りました。同じ奇跡でも、その奇跡によって生きる人は生き、死ぬ人は死にます。   紅海というのは、出発点であってゴールではありません。まだ行くべき道は遠いのです。救いが完成するために、神様の救いの意志と計画が人生の中に満たさなければなりません。紅海の奇跡はすなわち荒野の始まりです。神様は私たちの救いのために荒野のただ中に私たちを導き出されます。Ⅰコリント10章2節でパウロはこのことを「…海の中で、モーセにつくバプテスマを受け」と述べました。紅海に入ったことを洗礼と表現したものです。紅海と洗礼の共通点は、選ばれ、聖別され、聖い道を歩き始めたというものです。   罪と共に生きる道の上では何が起こるか分かりませんが、世から離れ聖別した生き方をする信仰の旅を続けるなら、四面楚歌の危機に遭っても奇跡は必ず起こります。奇跡を祈る前に、自らが神様の道を歩んでいるのかを確認しなければなりません。信仰の道、聖別された道を行こうとする神の民には、今日も紅海は開かれています。

출애굽기 QT30 210508토【홍해가 갈라지는 시간】출애굽기 14장 15~31

출애굽기 14장 15~3114:15 여호와께서 모세에게 이르시되 너는 어찌하여 내게 부르짖느뇨 이스라엘 자손을 명하여 앞으로 나가게 하고14:16 지팡이를 들고 손을 바다 위로 내밀어 그것으로 갈라지게 하라 이스라엘 자손이 바다 가운데 육지로 행하리라14:17 내가 애굽 사람들의 마음을 강퍅케 할 것인즉 그들이 그 뒤를 따라 들어갈 것이라 내가 바로와 그 모든 군대와 그 병거와 마병을 인하여 영광을 얻으리니14:18…

出エジプト記 QT29 20210507金【黙れ、主が戦われる】出エジプト 14章 1~14

出エジプト記 14章 1~1414:1 主はモーセに告げられた。14:2 「イスラエルの子らに言え。引き返して、ミグドルと海の間にあるピ・ハヒロテに面したバアル・ツェフォンの手前で宿営せよ。あなたがたは、それに向かって海辺に宿営しなければならない。14:3 ファラオはイスラエルの子らについて、『彼らはあの地で迷っている。荒野は彼らを閉じ込めてしまった』と言う。14:4 わたしはファラオの心を頑なにするので、ファラオは彼らの後を追う。しかし、わたしはファラオとその全軍勢によって栄光を現す。こうしてエジプトは、わたしが主であることを知る。」イスラエルの子らはそのとおりにした。14:5 民が去ったことがエジプトの王に告げられると、ファラオとその家臣たちは民に対する考えを変えて言った。「われわれは、いったい何ということをしたのか。イスラエルをわれわれのための労役から解放してしまったとは。」14:6 そこでファラオは戦車を整え、自分でその軍勢を率い、14:7 選り抜きの戦車六百、そしてエジプトの全戦車を、それぞれに補佐官をつけて率いて行った。14:8 主がエジプトの王ファラオの心を頑なにされたので、ファラオはイスラエルの子らを追跡した。一方、イスラエルの子らは臆することなく出て行った。14:9 エジプト人は彼らを追った。ファラオの戦車の馬も、騎兵も軍勢もことごとく、バアル・ツェフォンの前にあるピ・ハヒロテで、海辺に宿営している彼らに追いついた。14:10 ファラオは間近に迫っていた。イスラエルの子らは目を上げた。すると、なんと、エジプト人が彼らのうしろに迫っているではないか。イスラエルの子らは大いに恐れて、主に向かって叫んだ。14:11 そしてモーセに言った。「エジプトに墓がないからといって、荒野で死なせるために、あなたはわれわれを連れて来たのか。われわれをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということをしてくれたのだ。14:12 エジプトであなたに『われわれのことにはかまわないで、エジプトに仕えさせてくれ』と言ったではないか。実際、この荒野で死ぬよりは、エジプトに仕えるほうがよかったのだ。」14:13 モーセは民に言った。「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、今日見ているエジプト人をもはや永久に見ることはない。14:14 主があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。」   ファラオの心が変わり、イスラエルの後を追ってきました。映画『十戒』で戦車部隊を率いて出撃するユル・ブリンナーは堂々として素敵でした。しかし、イスラエルの民は追撃してくるエジプトの戦車部隊という状況に絶望し、モーセに嘆き、恨みました。ユル・ブリンナーのカリスマに比べると、イスラエルは情けないものでした。   支配者と被支配者の根性はしつこく続きます。十の災いでやられても、奴隷への未練を捨てられないファラオの貪欲は愚かなものであり、ようやくエジプトを出ましたが、危機の前で奴隷の生活に回帰しようとする、イスラエルの奴隷根性も愚かなことにおいては同じでした。支配しようとするものと支配されたいものが同じく愚かなのです。両方とも人間の尊厳について知らないからです。   神様は恨まれながらも、救いの働きを進められます。神様が選ばれた民は奴隷ではないからです。映画『十戒』を撮影する時、エジプト軍が協力したという話を聞いたことがあります。出エジプト記の中でイスラエルの敵はエジプト軍ではなく、変わらないイスラエルの奴隷根性です。荒野で40年間をさまよったのは、エジプト軍が追い続けて来たわけではなく、奴隷の衣を脱がなかったからです。   司馬遷の『史記』に、漢が楚と戦った時、楚の勢いは止まりませんでした。そこで漢が四方から楚の歌を歌ったという話があります。楚軍は楚の歌を聞いて家に帰りたくなって脱走し始めました。漢軍は脱走する楚軍を捕らえたり殺したりせず家に戻らせました。それで楚軍は烏合の衆になってしまいます。これが四面楚歌の由来です。四面楚歌の本来の意味は、到底抜け出せない状況を示しているのではなく、心が散らばってしまったという状況です。   目の前に海が横妨げられ、四方から惑わす楚歌が聞こえてくる、心が罪の奴隷に戻りたくなってしまうときは空を見上げます。「「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、今日見ているエジプト人をもはや永久に見ることはない。主があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。13,14」人の絶望があるからこそ神は救いです。   信仰は霊的戦いです。引きさげる力があります。それを振り切って前進しなければなりません。ひどい罪と不信仰の奴隷になった根性から脱出しなければなりません。奴隷だったところから引き出し、生かし、背中を押してくださる方が、神様です。信仰はそれを知るこです。詩篇46篇は、出エジプトについてこう告白しました。「やめよ。知れ。わたしこそ神。わたしは国々の間であがめられ地の上であがめられる。46:10」

출애굽기 QT29 210507금【주가 하나님 됨 알찌어다】출애굽기 14장 1~14

출애굽기 14장 1~1414:1 여호와께서 모세에게 일러 가라사대14:2 이스라엘 자손을 명하여 돌쳐서 바다와 믹돌 사이의 비하히롯 앞 곧 바알스본 맞은편 바닷가에 장막을 치게 하라14:3 바로가 이스라엘 자손에 대하여 말하기를 그들이 그 땅에서 아득하여 광야에 갇힌바 되었다 할지라14:4 내가 바로의 마음을 강퍅케 한즉 바로가 그들의 뒤를 따르리니 내가 그와 그 온 군대를 인하여 영광을 얻어 애굽 사람으로…

出エジプト記 QT28 20210506木【雲の柱、火の柱】出エジプト 13章 11~22

出エジプト記 13章 11~2213:11 主が、あなたとあなたの父祖たちに誓われたとおりに、あなたをカナン人の地に導き、そこをあなたに与えられるとき、13:12 最初に胎を開くものはみな、主のものとして献げなければならない。家畜から生まれ、あなたのものとなるすべての初子のうち、雄は主のものである。13:13 ただし、ろばの初子はみな、羊で贖わなければならない。もし贖わないなら、首を折らなければならない。また、あなたの子どもたちのうち、男子の初子はみな、贖わなければならない。13:14 後になって、あなたの息子があなたに『これは、どういうことですか』と尋ねるときは、こう言いなさい。『主が力強い御手によって、私たちを奴隷の家、エジプトから導き出された。13:15 ファラオが頑なになって、私たちを解放しなかったとき、主はエジプトの地の長子をみな、人の長子から家畜の初子に至るまで殺された。それゆえ私は、最初に胎を開く雄をみな、いけにえとして主に献げ、私の子どもたちの長子をみな贖うのだ。』13:16 このことは手の上のしるしとなり、あなたの額の上の記章となる。それは主が力強い御手によって、私たちをエジプトから導き出されたからである。」13:17 さて、ファラオがこの民を去らせたとき、神は彼らを、近道であっても、ペリシテ人の地への道には導かれなかった。神はこう考えられた。「民が戦いを見て心変わりし、エジプトに引き返すといけない。」13:18 それで神はこの民を、葦の海に向かう荒野の道に回らせた。イスラエルの子らは隊列を組んでエジプトの地から上った。13:19 モーセはヨセフの遺骸を携えていた。それはヨセフが、「神は必ずあなたがたを顧みてくださる。そのとき、あなたがたは私の遺骸をここから携え上らなければならない」と言って、イスラエルの子らに堅く誓わせていたからである。13:20 彼らはスコテを旅立ち、荒野の端にあるエタムで宿営した。13:21 主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。13:22 昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。   危機から救われたことを覚えて記念するのは、いかなるものも、神様の恵みより大きいものはないということを認めることです。本当に死ぬことから命が救われたことを経験した人であれば、何をささげても、その恵みに対する感謝を表しきれません。   神様の恵みの大きさを測ることはできませんが、最初のものを区別して、神様にささげることを通して、人が受けた恵みがどのようなものかは見計ることができます。イスラエルの民は、最善のもの、最高のものの意味で最初に与えられたものを神様にお返ししました。後日、子ごもたちにその理由について聞かれたら、その日の救いの感激を教育するようにと言われます。   神様は、ご自分が示してくださる奇跡と神秘によってではなく、自らの大切なものを神様の前に区別してささげる人の信仰を通して、現われてくださいます。私たちの隣人が信仰共同体に関心を持って出てくる理由、すなわち伝道できるかどうかは、聖徒の信仰の真実性です。信仰が信仰を生み、献身が献身を生み出すからです。私たちが生きていた信仰の時代が過ぎると、その後、間違いなくそれが結んだ実をもって私たちの信仰の真実性は明らかになるでしょう。   モアブ平地からヨルダン川を渡って西の方に入らず、地中海の海辺に沿って東の方に入ると、カナンへの近道になります。しかし、その場合ペリシテを通らなければなりません。イスラエルは恐がります。神様はイスラエルがペリシテを恐れてエジプトに帰るかもしれないということでその道をふさいで、紅海を渡る荒野に導かれました。   神様がその荒野で同行してくださったことを22節はこう言います。「昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。」雲の柱が真昼の荒野の暑さを防ぎ、火の柱が荒野の夜の寒さを防いでくれました。神様は、暑い時には涼しい影を、寒い時には暖かい暖炉を用意して荒野の道を同行してくださいました。暑さと寒さという苦労は恵みを経験するためのものでした。   まもまく母の日です。苦しみの中で産み、育てた恵み、世話の恵み、子どものために苦労したのは、雲の柱、火の柱となって子どもを守るためでした。まだ幼く、未熟な子どもを守る母の愛は、神様がこの地に植えられたものの中で最も神様の愛に似た愛です。5月に入りましたが、朝から雨が降ったせいで肌寒いです。母の懐に抱かれた暖かさと神様を頼る平安が私たちの中にあることを祈ります。

출애굽기 QT28 210506목【구름기둥과 불기둥으로】출애굽기 13장 11~22

출애굽기 13장 11~2213:11 여호와께서 너와 네 조상에게 맹세하신대로 너를 가나안 사람의 땅에 인도하시고 그 땅을 네게 주시거든13:12 너는 무릇 초태생과 네게 있는 생축의 초태생을 다 구별하여 여호와께 돌리라 수컷은 여호와의 것이니라13:13 나귀의 첫새끼는 다 어린 양으로 대속할 것이요 그렇게 아니하려면 그 목을 꺽을 것이며 너의 아들중 모든 장자 된 자는 다 대속할지니라13:14 장래에 네 아들이…

出エジプト記 QT27 20210505水【種なしパンの記憶】出エジプト 13章 1~10

出エジプト記 13章 1~1013:1 主はモーセに告げられた。13:2 「イスラエルの子らの間で最初に胎を開く長子はみな、人であれ家畜であれ、わたしのために聖別せよ。それは、わたしのものである。」13:3 モーセは民に言った。「奴隷の家、エジプトから出て来た、この日を覚えていなさい。力強い御手で、主があなたがたをそこから導き出されたからである。種入りのパンを食べてはならない。13:4 アビブの月のこの日、あなたがたは出発する。13:5 主は、カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ヒビ人、エブス人の地、主があなたに与えると父祖たちに誓った地、乳と蜜の流れる地にあなたを連れて行かれる。そのときあなたは、この月に、この儀式を執り行いなさい。13:6 七日間、あなたは種なしパンを食べる。七日目は主への祭りである。13:7 七日間、種なしパンを食べなさい。あなたのところに、種入りのパンがあってはならない。あなたの土地のどこにおいても、あなたのところにパン種があってはならない。13:8 その日、あなたは自分の息子に告げなさい。『このことは、私がエジプトから出て来たときに、主が私にしてくださったことによるのだ。』13:9 これをあなたの手の上のしるしとし、あなたの額の上の記念として、主のおしえがあなたの口にあるようにしなさい。力強い御手で、主があなたをエジプトから導き出されたからである。13:10 あなたは、この掟を毎年その定められた時に守らなければならない。   イスラエルの民は過越祭を守った後、酵母を入れないパンを持っていきました。ファラオの心が変わる前に急いで出なければならなかったからです。躊躇っていればエジプトから出ていくことができません。逃げなければならないし、逃げ出した地で食べなければならないので、生地を持って走りました。発酵されてない生地でパンを作ると、それはパンではなく、お菓子のようなものになります。民は荒野で七日間種なしパンを食べました。荒野の生活は不慣れで種なしパンも美味しくはなかったことでしょう。しかし、神様が種なしパンの祭りを守らせたのは、彼らが苦労を覚えるためではなく、恵みを覚えるためです。   出てみたら奇跡がありました。思い起こしてみると恵みでした。神様の恵みは覚えるときに再生します。恵みであることを知らなかったけれども、思い起こし、吟味することで、その恵みは今ここで、より大きなものになってきます。恵みを覚えるということは、その恵みを、現在に戻すということです。覚えるというのは、単に考えることではなく、今ここで再生するということです。以前の恵みを忘れてしまうと、今、ここでの新しい恵みはありません。カナンの快適な生活において柔らかいパンを食べる時、神様が荒野に導き出し、硬いパンを食べさせたときのことを思い起こさなければなりません。