사사기묵상 QT8 210818수【기드온 부대의 병력 감축】사사기 7장 1~8

사사기 7장 1~87:1 여룹바알이라 하는 기드온과 그를 좇은 모든 백성이 일찌기 일어나서 하롯샘 곁에 진 쳤고 미디안의 진은 그들의 북편이요 모레산 앞 골짜기에 있었더라7:2 여호와께서 기드온에게 이르시되 너를 좇은 백성이 너무 많은즉 내가 그들의 손에 미디안 사람을 붙이지 아니하리니 이는 이스라엘이 나를 거스려 자긍하기를 내 손이 나를 구원하였다 할까 함이니라7:3 이제 너는 백성의 귀에 고하여…

士師記 QT7 210817火【神様の御旨を探る祈り】士師記 6章 33~40

士師記 6章 33~406:33 ミディアン人やアマレク人、また東方の人々はみな連合してヨルダン川を渡り、イズレエルの平野に陣を敷いた。6:34 主の霊がギデオンをおおったので、彼が角笛を吹き鳴らすと、アビエゼル人が集まって来て、彼に従った。6:35 ギデオンはマナセの全域に使者を遣わしたので、彼らもまた、呼び集められて彼に従った。また彼は、アシェル、ゼブルン、そしてナフタリに使者を遣わし、彼らも上って来て合流した。6:36 ギデオンは神に言った。「もしあなたが言われたとおり、私の手によってイスラエルを救おうとされるのなら、6:37 ご覧ください。私は刈り取った一匹分の羊の毛を打ち場に置きます。もしその羊の毛だけに露が降りていて、土全体が乾いていたら、あなたが言われたとおり、私の手によって、あなたがイスラエルをお救いになると私に分かります。」6:38 すると、そのようになった。ギデオンが翌日朝早く、羊の毛を押しつけて、その羊の毛から露を絞り出すと、鉢は水でいっぱいになった。6:39 ギデオンは神に言った。「私に向かって御怒りを燃やさないでください。私にもう一度だけ言わせてください。どうか、この羊の毛でもう一度だけ試みさせてください。今度はこの羊の毛だけが乾いていて、土全体には露が降りるようにしてください。」6:40 神はその夜、そのようにされた。羊の毛だけが乾いていて、土全体には露が降りていたのであった。   神様の御心が知りたくて悩むことがあります。自分に対する神様のご計画を見つけるということは、信仰者であれば、誰にでも与えられている課題です。誰も避けられません。その過程を省いて信仰生活を送る方法はありません。神様を知り、私に対する神様の御意志を知り、それに聞き従う過程がまさに信仰です。ですから私たちは、自分に対する神様の御旨を見つけるために祈ります。   ところが、ある場合には、答えを決めておいて祈ることがあります。行きたい道とやりたいことは、自分の中ですでに決めておいてそれに合わせる言葉を求めます。実際は探りたいことも聞きたいこともありません。自分が願っていることしたいだけです。だから自分の結論に合わせた神様の御言葉や解釈を裏付けます。自分を空にしない祈りからは、神様の御声が聞こえることはありません。祈りさえ自分の合理化の道具として用いるのです。   私は大切な選択の岐路で6ヶ月間祈ったことがあります。3日間の断食祈りを始めましたが、何の御言葉何も与えられなかったので、断食を終え6ヶ月間祈ることを約束しました。180日間、毎朝のQTで神様に出会い、御言葉を聞きました。毎朝、神様は私に語られました。そしてその御言葉の意味を探るために一日中勉強しながら悩みました。黙想を学ぶ機会でした。 6ヶ月後に、私が持っていた問題に対する答えが分かりました。180日間の重なった御言葉は、鮮明な答えだったので、それ以上の疑問や混乱の余地はありませんでした。   そこから残るのは従順の問題です。神様の御旨も分からないのに従順することはできないからです。それは、神様をテストすることではありません。むしろ自分の意のままに、それに対して従順したと言うことこそが、神様を試みることです。ギデオンは今、イスラエル連合軍を結成して、ミディアンとの戦いを始めるところです。自分の責任で、この戦争を始めてもよいのか、神様に尋ねています。朝露が羊の毛をぬらすように祈ると、その通りにました。再び羊の毛を除いた地面をぬらすように祈ると、その通りになりました。重なった神様の言葉は、約束になり、信仰になり、使命になります。ギデオンはそれに従いました。やがてその御言葉は現実になります。

사사기묵상 QT7 210817화【하나님의 뜻을 찾는 기도】사사기 6장 33~40

사사기 6장 33~406:33 때에 미디안 사람과 아말렉 사람과 동방 사람들이 다 모여 요단을 건너와서 이스르엘 골짜기에 진을 친지라6:34 여호와의 신이 기드온에게 강림하시니 기드온이 나팔을 불매 아비에셀 족속이 다 모여서 그를 좇고6:35 기드온이 또 사자를 온 므낫세에 두루 보내매 그들도 모여서 그를 좇고 또 사자를 아셀과 스불론과 납달리에 보내매 그 무리도 올라와서 그를 영접하더라6:36 기드온이 하나님께…

士師記 QT6 210816月【エルバアル・ギデオン】士師記 6章 25~32

士師記 6章 25~326:25 その夜、主はギデオンに言われた。「あなたの父の若い雄牛で、七歳の第二の雄牛を取り、あなたの父が持っているバアルの祭壇を壊し、そのそばにあるアシェラ像を切り倒せ。6:26 あなたの神、主のために、その砦の頂に石を積んで祭壇を築け。あの第二の雄牛を取り、切り倒したアシェラ像の木で全焼のささげ物を献げよ。」6:27 そこで、ギデオンは自分のしもべの中から十人を引き連れて、主が言われたとおりに行った。しかし、彼は父の家の者や、町の人々を恐れたので、昼間はそれをせず、夜に行った。6:28 町の人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、バアルの祭壇は打ち壊され、そのそばにあったアシェラ像は切り倒され、新しく築かれた祭壇の上には、第二の雄牛が献げられていた。6:29 そこで、彼らは互いに言った。「だれがこのようなことをしたのか。」彼らは調べて尋ね回り、「ヨアシュの子ギデオンがこれをしたのだ」と言った。6:30 町の人々はヨアシュに言った。「おまえの息子を引っ張り出して殺せ。あれはバアルの祭壇を打ち壊し、そばにあったアシェラ像も切り倒したのだ。」6:31 すると、ヨアシュは自分に向かって来たすべての者に言った。「あなたがたは、バアルのために争おうというのか。あなたがたは、それを救おうとするのか。バアルのために争う者は、朝までに殺される。もしバアルが神であるなら、自分の祭壇が打ち壊されたのだから、自分で争えばよいのだ。」6:32 こうして、その日、父は「バアルは自分で彼と争えばよい。なぜなら彼はバアルの祭壇を打ち壊したのだから」と言って、ギデオンをエルバアルと呼んだ。   神様はギデオンにバアル祭壇を壊し、アシェラ像を切り倒すように、さらにそれを薪にして、7才の雄牛をとり、神様の全焼のいけにえとしてささげるようにと命じられました。イスラエルがミデヤンに苦しまれた時間がもう7年目だからです。バアルについては偶像とか異邦の神と言う前に虚像と言わなければなりません。それに人間に富と幸いを与える力はありません。それを破壊するということは、何もないことを何もない状態で戻すことだけだからです。   イスラエルがミデヤンに圧制されているところだったのでそれらの像を毀損することは恐いことです。ギデオンは、人々を恐れ、昼ではなく夜にバアルを破壊し、アシェラを切り倒しました。翌朝、人々が起きてみると、バアルの祭壇は破壊され、アシェラ像は蒔きになり、雄牛が焼かれていることを見ました。ギデオンは神様の命令を実行しました。   神様はご自身のために人を用いる祭に、まだ現実が整えられてないところで信仰を問われます。モーセをファラオに送ったときも、ダビデをゴリアテの前に立たせたときも、エリヤをアハブ王に送ったときも非現実的な状況の中で先に信仰を求められました。   ギデオンは神様の命令を実行しますが、実にギデオンは、気が小さくて臆病な人でした。世に対して恐れないということは、神様に対して恐れていることであって、神様を恐れることこそが、神様を信じていることです。同じように世に対して恐れているのは、神様を信じていないからです。ギデオンは、バアルと戦うという意味で「エルバアル」と呼ばれました。神様を信じているなら、私たちの中にある虚像と対決することはできるのではないでしょうか?

사사기묵상 QT6 210816월【여룹바알 기드온】사사기 6장 25~32

사사기 6장 25~326:25 그 날 밤에 여호와께서 기드온에게 이르시되 네 아버지에게 있는 수소 곧 칠 년 된 둘째 수소를 끌어 오고 네 아버지에게 있는 바알의 제단을 헐며 그 곁의 아세라 상을 찍고6:26 또 이 산성 꼭대기에 네 하나님 여호와를 위하여 규례대로 한 제단을 쌓고 그 둘째 수소를 잡아 네가 찍은 아세라 나무로 번제를 드릴지니라 하시니라6:27…

枝川のレホボテ

  枝川は、1940年に東京で開かれる予定だったオリンピックのための浄化事業によって、強制移住させられた在日朝鮮人が住み着いた地域です。1991年母教会の足立愛の教会によって礼拝が始まり、これまで30年間礼拝してきました。教会は、埋立地のブロックの行き止まりにありました。教会が借りた場所は13坪の小さな教会でした。   1ヶ月前に脳出血で倒れた重道(崔、74才)姉妹は、枝川1丁目の工場で働いていたのですが、出勤する前、早天祈祷会に来て「日が当たるところに引越しができるように」と、いつも祈りをささげていました。教会が北向きの1階だったため、一日中日が当たらなかったのです。姉妹の職場は、日当たりが良かったので、いつもそのことを気にかけていたのかも知れません。しかしこれは偶然なのでしょうか。教会は、姉妹が働いていたその工場を買い取ることになり、その場所は礼拝堂となりました。今や教会は日当たりの良い100坪の建物が与えられ、礼拝中に子どもたちを公園で遊ばせることをしなくても済むようになりました。   教会の財政は、当初提示された金額の50分の1もありませんでした。現実的に購入活動を始める根拠は何も無かったのです。何度も挑戦しましたが、扉は開かれませんでした。最後のチャンスに教団に助けられ、購入活動を始めてから1年半ぶりに、ついに該当建物を購入することができました。小人数の信徒たちは献堂のために最善のものをささげました。「借金をしても献金します」と言う信徒を牧師がやめさせるほどでした。会ったこともない韓国教会の信徒たちは、東京の教会が建物を持つということに対して、喜びをもって献金を送ってくださいました。   建物の元所有者は、在日の方で敗戦後、お姉さんは韓国に行き、ご自身は日本に残ったそうです。お姉さんは、韓国でクリスチャンになり、一生宣教師として働いたとのことでした。どこかに隠れていたお祈りが今、形になって現われているように思えます。イサクが出会った広いところ、レホボテで今、枝川愛の教会は、再び30年の礼拝と宣教をスタートしました。30年後には、次の世代が結ばれた実を見て喜ぶことができるように、私たちもあちらこちらに、祈りを植えていかなければならないと思っています。

에다가와의 르호봇

  에다가와는 1940년 동경에서 열릴 예정이던 올림픽을 위한 정화사업으로 강제 이주되었던 재일조선인들이 살던 지역입니다. 1991년 모교회인 아다치 사랑의 교회에 의해 예배가 시작되었고 이곳에서 30년을 예배해 왔습니다. 교회는 매립지 블록의 막다른 골목에 있었습니다. 교회가 빌려 쓰는 공간은 13평 남짓으로 아주 작고 좁은 교회였습니다.   한 달 전 뇌출혈로 쓰러진 시게미치(최)자매는 에다가와 1초메에 있는 공장에 다녔습니다. 공장에…

士師記 QT5 210807토【苦しみが繰り返される理由】士師記 2章 11~23

士師記 2章 11~232:11 すると、イスラエルの子らは主の目に悪であることを行い、もろもろのバアルに仕えた。2:12 彼らは、エジプトの地から自分たちを導き出した父祖の神、主を捨てて、ほかの神々、すなわち彼らの周りにいるもろもろの民の神々に従い、それらを拝んで、主の怒りを引き起こした。2:13 彼らが主を捨てて、バアルとアシュタロテに仕えたので、2:14 主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らを略奪する者の手に渡して略奪されるままにし、周りの敵の手に彼らを売り渡された。彼らはもはや、敵に立ち向かうことができなかった。2:15 彼らがどこへ行っても、主の手は彼らにわざわいをもたらした。主が告げ、主が彼らに誓われたとおりであった。彼らは大いに苦しんだ。2:16 そのとき、主はさばきつかさを起こして、略奪する者の手から彼らを救われた。2:17 ところが、彼らはそのさばきつかさにも聞き従わず、ほかの神々を慕って淫行を行い、それらを拝んだ。彼らの先祖が主の命令に聞き従って歩んだ道から早くも外れて、先祖たちのようには行わなかった。2:18 主が彼らのためにさばきつかさを起こしたとき、主はさばきつかさとともにおられ、そのさばきつかさが生きている間、彼らを敵の手から救われた。これは、圧迫し、虐げる者を前にして彼らがうめいたので、主があわれまれたからである。2:19 しかし、さばきつかさが死ぬと、彼らは元に戻って先祖たちよりもいっそう堕落し、ほかの神々に従い、それらに仕え、それらを拝んだ。彼らはその行いや、頑なな生き方から離れなかった。2:20 そのため、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がった。主は言われた。「この民は、わたしが彼らの先祖たちに命じたわたしの契約を破り、わたしの声に聞き従わなかったから、2:21 わたしもまた、ヨシュアが死んだときに残しておいたいかなる異邦の民も、彼らの前から追い払わない。2:22 これは、先祖たちが守ったように、彼らも主の道を守って歩むかどうか、これらの国民によってイスラエルを試みるためである。」2:23 こうして、主はこれらの異邦の民をただちに追い払うことをせずに残しておき、ヨシュアの手に渡されなかったのである。   イスラエルが神様を捨ててバアルとアシュタロテに仕えていました。物質的な豊かさと多産のために拝む農耕の神です。彼らの追い求めていたことは何であったのかが分かります。農業経済が始まったイスラエルにとって、それよりも魅力的な誘惑はなかったと思います。豊かさという期待を与えられた神様を忘れてしまい、豊かなものそのものに仕え始めたのです。本文は、士師時代に繰り返された不従順と堕落、それに伴う審判と悔い改め、そして神様の救いというサイクルを予告しています。   神様との約束を捨て、世にあるものを追い求めるイスラエルは、彼らが残したカナンの地に人々の手に渡されます。経済が幸せを与えると思いますが、神様の保護と供給がなしに生活は営まれません。イスラエルは苦しみ、その都度神様を呼び求めます。苦しみは神様のサインであって、呪いではありません。神様はその度に士師を立て、彼ら救われます。   苦しむとき神様の助けを求めるなら、それは幸いなことです。しかし、士師記のメッセージはそれを勧めるためにあるのではありません。世に拝み、苦しくなった時に神様に戻るのではなく、常に神様を礼拝しながら生活すること。「あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。箴言3:6」急ぎときや痛むときに呼び求める神様であれば、平和にある今、その御名を呼び求めなければありません。   人間の本性は変わりません。救われたイスラエルは、士師が死んでから再び堕落します。神様は再び彼らを苦しみの中で放置されます。祝福を望むものの、神様の御言葉に興味がない信仰生活は、再び罪と不従順を陥ることを繰り返すことになるだけです。世のものに惑わされず、すでに与えられた平安の中にとどまり、神様を認める静かな時間が必要です。

사사기묵상 QT5 210807토【고통이 반복되는 이유】사사기 2장 11~23

사사기 2장 11~232:11 이스라엘 자손이 여호와의 목전에 악을 행하여 바알들을 섬기며2:12 애굽 땅에서 그들을 인도하여 내신 그들의 조상들의 하나님 여호와를 버리고 다른 신들 곧 그들의 주위에 있는 백성의 신들을 따라 그들에게 절하여 여호와를 진노하시게 하였으되2:13 곧 그들이 여호와를 버리고 바알과 아스다롯을 섬겼으므로2:14 여호와께서 이스라엘에게 진노하사 노략하는 자의 손에 넘겨 주사 그들이 노략을 당하게 하시며 또…

士師記 QT4 210806金【ギルガルからボキムまで】士師記 2章 1~10

士師記 2章 1~102:1 主の使いがギルガルからボキムに上って来た。そして言った。「わたしはあなたがたをエジプトから上らせて、あなたがたの父祖たちに誓った地に連れて来て言った。『わたしはあなたがたと結んだわたしの契約を決して破らない。2:2 あなたがたは、この地の住民と契約を結んではならない。彼らの祭壇を打ち壊さなければならない。』ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。なぜこのようなことをしたのか。2:3 それでわたしも言う。『わたしはあなたがたの前から彼らを追い払わない。彼らはあなたがたの敵となり、彼らの神々はあなたがたにとって罠となる。』」2:4 主の使いがこれらのことばをイスラエルの子ら全体に語ったとき、民は声をあげて泣いた。2:5 彼らはその場所の名をボキムと呼んで、その場所で主にいけにえを献げた。2:6 ヨシュアが民を送り出したので、イスラエルの子らはそれぞれ土地を占領しようと、自分の相続する地へ出て行った。2:7 ヨシュアがいた間、また、主がイスラエルのために行われたすべての大いなるわざを見て、ヨシュアより長生きした長老たちがいた間、民は主に仕えた。2:8 主のしもべ、ヌンの子ヨシュアは百十歳で死んだ。2:9 人々は彼をガアシュ山の北、エフライムの山地にある、彼の相続地の領域にあるティムナテ・ヘレスに葬った。2:10 その世代の者たちもみな、その先祖たちのもとに集められた。そして彼らの後に、主を知らず、主がイスラエルのために行われたわざも知らない、別の世代が起こった。   ギルガルは、イスラエルの民が乾いたヨルダン川を渡ってカナンの地に入ったときにヨルダン川の底で拾って石12個で記念碑を立てたところです。それは、神様の恵みを覚え、その約束を守るという意志の表明でした。   主の使いがそのギルガルからボキムまできてイスラエルを懲らしめます。ギルガルから来たということは、恵みの記憶から来たことでしょう。恵みと約束を忘れてしまって逸脱し始めた民への警告なのです。   ギルガルからボギムまでの時間はそれほど長くありません。しかし、多くのことが起こりました。征服が始まり、打ち勝ち続けました。本来イスラエルは何もなくて荒野でマナを食べ、恵みによってヨルダン川を渡ってきましたが、今はかなり基盤ができました。土地を活用する方法を考えなければならないし、奴隷を働かせる必要もありました。   イスラエルは農耕の経験がありませんでしたが、カナンに入った以来、マナは終っているし、これから農耕を始めなければなりませんでした。耕作ということは、経験者の助言や指導がなければ難しいことです。イスラエルは、神様がカナンを白紙化するために与えられた戦闘力を用いてカナンと交渉し、殺さない代わりに、自分たちのために働かせたのです。   2節に「あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった」とありますが、聞こえなかったのではなく神様の御言葉を生活の基準にしてなかったのでしょう。知ってはいますが、それを基準にして生きることをしないということです。カナンという新都市は、急進的に変わるところであってイスラエルはその中で合理的な手段を見つけようとしましたが、結局神様の約束という原則から離れてしまいました。   しかし、希望は4節にあります。「主の使いがこれらのことばをイスラエルの子ら全体に語ったとき、民は声をあげて泣いた。4」しばらくの間、忘れてさまようことがあっても聞く耳を持っていれば戻ることができます。私たちの信仰の意志は完全ではありません。立ち止まって考え、確認する必要があります。御言葉を聞くことができ、自分の現実を直視することができれば、あるべきところにに戻ることができます。