출애굽기 QT27 210505수【무교병의 기억】출애굽기 13장 1~10

출애굽기 13장 1~1013:1 여호와께서 모세에게 일러 가라사대13:2 이스라엘 자손 중에 사람이나 짐승이나 무론하고 초태생은 다 거룩히 구별하여 내게 돌리라 이는 내 것이니라 하시니라13:3 모세가 백성에게 이르되 너희는 애굽에서 곧 종 되었던 집에서 나온 그 날을 기념하여 유교병을 먹지 말라 여호와께서 그 손의 권능으로 너희를 그곳에서 인도하여 내셨음이니라13:4 아빕월 이 날에 너희가 나왔으니13:5 여호와께서 너를 인도하여…

出エジプト記 QT26 20210504火【ともに行った多くの異国人】出エジプト 12章 37~51

出エジプト記 12章 37~5112:37 イスラエルの子らはラメセスからスコテに向かって旅立った。女、子どもを除いて、徒歩の壮年男子は約六十万人であった。12:38 さらに、入り混じって来た多くの異国人と、羊や牛などおびただしい数の家畜も、彼らとともに上った。12:39 彼らはエジプトから携えて来た生地を焼いて、種なしのパン菓子を作った。それにはパン種が入っていなかった。彼らはエジプトを追い出されてぐずぐずしてはいられず、また自分たちの食糧の準備もできなかったからである。12:40 イスラエルの子らがエジプトに滞在していた期間は、四百三十年であった。12:41 四百三十年が終わった、ちょうどその日に、主の全軍団がエジプトの地を出た。12:42 それは、彼らをエジプトの地から導き出すために、主が寝ずの番をされた夜であった。それでこの夜、イスラエルの子らはみな、代々にわたり、主のために寝ずの番をするのである。12:43 主はモーセとアロンに言われた。「過越に関する掟は次のとおりである。異国人はだれも、これにあずかってはならない。12:44 しかし、金で買われた奴隷はだれでも、あなたが割礼を施せば、これにあずかることができる。12:45 居留者と雇い人は、これにあずかってはならない。12:46 これは一つの家の中で食べなければならない。あなたは家の外にその肉の一切れでも持ち出してはならない。また、その骨を折ってはならない。12:47 イスラエルの全会衆はこれを行わなければならない。12:48 もし、あなたのところに寄留者が滞在していて、主に過越のいけにえを献げようとするなら、その人の家の男子はみな割礼を受けなければならない。そうすれば、その人は近づいてそれを献げることができる。彼はこの国に生まれた者と同じになる。しかし無割礼の者は、だれもそれを食べてはならない。12:49 このおしえは、この国に生まれた者にも、あなたがたの間に寄留している者にも同じである。」12:50 イスラエルの子らはみな、そのように行った。主がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。12:51 まさにこの日に、主はイスラエルの子らを、軍団ごとにエジプトの地から導き出された。   イスラエルの民は、いよいよエジプトを旅立ちます。奴隷の生活から解放されましたが、変化には恐れも伴います。しかし自由を得る機会が与えられたときは、迷ってはなりません。変化を恐れ、束縛の習慣に囚われたままになってはいけません。その場から立ち上がり、速やかに離れなければなりません。変化を恐れると奴隷の生活を終えられないのです。   立ち上がって離れた人々の中には、イスラエルの民ではない少数の人々がいました。出エジプト記は、スコテに到着した出エジプトの共同体の中にイスラエルの血統ではなく、多くの異国人が入り混じっていたと伝えます。イスラエルの民に加えて、少数民族やエジプトで遊離したエジプト人たちもこの共同体の中に混合されていたわけです。   神の民が自由を得るときに、その自由の恵みは、当事者だけではありません。聖徒が神様に導かれ自由と尊厳を追い求めるとき、それは当然として隣の人や社会に拡大されていくものだからです。ですから、イスラエルの解放と自由はすなわち、隣人の自由と解放の機会を意味します。神様は一つの自由をはじめ、その自由を広げておられます。   束縛から解放され、救われた人々は、救いの共同体を閉鎖しようと思ってしまいます。しかし、神様はそれを許しません。他の人と入り混じって開放的かつ包容的な共同体を作って行かれます。変化を恐れてしまうと、自由を楽しむことができず、利己主義と集団利己主義という限界から逃れることもできません。   イスラエルの民ではなく人々は割礼を受けることにより、共同体に入ることができました。ですから、割礼は血統的選民たげに与えられた標識ではなく、信仰告白をするすべての人に与えられたものです。割礼という行為自体を信仰のしるしと思っていた形式の時代に、パウロは割礼は心に行いなさいと言いました。   共同体の一員になるというのは、信仰の告白によるものです。主人も客もいません。信仰の告白の中で、すべての人は神の子となります。もし信仰共同体が閉鎖的に流れるならば、それは神のことを私有化しようとする欲です。   奴隷になっていた人生から引きあげられ、自由を与えられたと信仰を告白する人々の集まりであれば、その教会は一つに統合することができます。教会が宣教をしてない、もしくは分裂しているなら、それは言語と文化と人種などが違うからではなく、共有すべき信仰告白がないからではないでしょうか。

출애굽기 QT26 210504화【함께 한 중다한 잡족】출애굽기 12장 37~51

출애굽기 12장 37~5112:37 이스라엘 자손이 라암셋에서 발행하여 숙곳에 이르니 유아 외에 보행하는 장정이 육십만 가량이요12:38 중다한 잡족과 양과 소와 심히 많은 생축이 그들과 함께하였으며12:39 그들이 가지고 나온 발교되지 못한 반죽으로 무교병을 구웠으니 이는 그들이 애굽에서 쫓겨 남으로 지체할 수 없었음이며 아무 양식도 준비하지 못하였음이었더라12:40 이스라엘 자손이 애굽에 거주한지 사백 삼십년이라12:41 사백 삼십년이 마치는 그 날에…

出エジプト記 QT25 20210503月【十の災いより恐ろしい心の災い】出エジプト 12章 29~36

出エジプト記 12章 29~3612:29 真夜中になったとき、主はエジプトの地のすべての長子を、王座に着いているファラオの長子から、地下牢にいる捕虜の長子に至るまで、また家畜の初子までもみな打たれた。12:30 その夜、ファラオは彼の全家臣、またエジプト人すべてとともに起き上がった。そして、エジプトには激しく泣き叫ぶ声が起こった。それは死者のいない家がなかったからである。12:31 彼はその夜、モーセとアロンを呼び寄せて言った。「おまえたちもイスラエル人も立って、私の民の中から出て行け。おまえたちが言うとおりに、行って主に仕えよ。12:32 おまえたちが言ったとおり、羊の群れも牛の群れも連れて出て行け。そして私のためにも祝福を祈れ。」12:33 エジプト人は民をせき立てて、その地から出て行くように迫った。人々が「われわれはみな死んでしまう」と言ったからである。12:34 それで民は、パン種を入れないままの生地を取り、こね鉢を衣服に包んで肩に担いだ。12:35 イスラエルの子らはモーセのことばどおりに行い、エジプトに銀の飾り、金の飾り、そして衣服を求めた。12:36 主はエジプトがこの民に好意を持つようにされたので、エジプト人は彼らの求めを聞き入れた。こうして彼らはエジプトからはぎ取った。   十回にわたる災いの末に長子が死んだエジプトは無条件に降伏します。エジプトは大破となりましたが神様の損はありません。これまで神様は神であることを示し、モーセには、誰も逆らうことができない力と権威が与えられたからです。ファラオの不従順という否定的な役割は、出エジプトのスタートとモーセのリーダーシップという肯定的な役割となりました。その意味でファラオはかわいそうな功労者です。   ミデヤンの荒野で神様に出会ったモーセは、誰も自分の話を聞かないと、自信がなくて断りましたが、最終的にモーセを通して神様の計画は現実化しました。恐れていたモーセは、ますます堂々となり、堂々だったファラオは折れて意気消沈しました。羊も牛も連れていくことができ、エジプトの価値あるものも持っていくことができました。   ファラオがこのような目にあわされたのは、自分が追い求めている自分の考えにのみ執着していたからです。奇跡が起きても、それを信じようとしませんでした。そういう意味でファラオには信仰があります。現実を否定し、自分が信じたがることを信じ込む固執の信仰です。エジプトとファラオは「今日の一針、明日の十針」をしました。国全体が満身創痍になったときようやく現実を知りました。   神様の御言葉があり、現実の中で奇跡が示されても、自分の感情や考えのゆえにそれに気づきません。奇跡というのは私たちの周りで常に起きますが、そこから神様を見上げる人は少ないのです。それを告白する人はもっと少ない。十の災いが与えるもう一つの教訓は、人間は神様の奇跡が起こっても、神様を信じないということです。   人々は奇跡を求めますが、奇跡はまるで原石のようなものです。奇跡を奇跡として気づき、掘り出してからはじめて奇跡になります。奇跡が起きても、それが何を意味するのかを解釈しようとしないから、奇跡は単なる偶然の出来事となり、現実に埋もれてしまうのです。人間に覚えられるのは、奇跡という当時の不思議な出来事ではなく、奇跡に気づき、その出所である神様を認め、告白することです。奇跡を経験しても、人々はそれを覚えません。ただ、その都度口で告白するその告白が心の中で信仰となって残ります。 https://www.youtube.com/watch?v=c2N2fMopYbM

출애굽기 QT25 210503월【열 재앙보다 무서운 마음의 재앙】출애굽기 12장 29~36

출애굽기 12장 29~3612:29 밤중에 여호와께서 애굽 땅에서 모든 처음 난 것 곧 위에 앉은 바로의 장자로부터 옥에 갇힌 사람의 장자까지와 생축의 처음 난것을 다 치시매12:30 그 밤에 바로와 그 모든 신하와 모든 애굽 사람이 일어나고 애굽에 큰 호곡이 있었으니 이는 그 나라에 사망치 아니한 집이 하나도 없었음이었더라12:31 밤에 바로가 모세와 아론을 불러서 이르되 너희와 이스라엘…

出エジプト記 QT24 20210501土【救いの方策、子羊】出エジプト 12章 1~13

出エジプト記 12章 1~1312:1 主はエジプトの地でモーセとアロンに言われた。12:2 「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。12:3 イスラエルの全会衆に次のように告げよ。この月の十日に、それぞれが一族ごとに羊を、すなわち家ごとに羊を用意しなさい。12:4 もしその家族が羊一匹の分より少ないのであれば、その人はすぐ隣の家の人と、人数に応じて取り分けなさい。一人ひとりが食べる分量に応じて、その羊を分けなければならない。12:5 あなたがたの羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎのうちから取らなければならない。12:6 あなたがたは、この月の十四日まで、それをよく見守る。そしてイスラエルの会衆の集会全体は夕暮れにそれを屠り、12:7 その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と鴨居に塗らなければならない。12:8 そして、その夜、その肉を食べる。それを火で焼いて、種なしパンと苦菜を添えて食べなければならない。12:9 生のままで、または、水に入れて煮て食べてはならない。その頭も足も内臓も火で焼かなければならない。12:10 それを朝まで残してはならない。朝まで残ったものは燃やさなければならない。12:11 あなたがたは、次のようにしてそれを食べなければならない。腰の帯を固く締め、足に履き物をはき、手に杖を持って、急いで食べる。これは主への過越のいけにえである。12:12 その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人から家畜に至るまで、エジプトの地のすべての長子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下す。わたしは主である。12:13 その血は、あなたがたがいる家の上で、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。わたしがエジプトの地を打つとき、滅ぼす者のわざわいは、あなたがたには起こらない。   エジプトの家の初子が死ぬとき、イスラエルの民には救いの方法が提示されました。どのような災いてあっても逃れる道はあります。問題は逃れる道がないことではなくて、救われる道を言っても信じないということです。生きられる道は今も提示されており、その判断はあの時も今も、神様の御言葉を信じる信仰によって分かれます。   死の災いから逃れるためには御言葉を聞いて子羊を用意し、その月の14日にそれを屠り、その血を取り、家の二本の門柱と鴨居に塗ることであります。神様がエジプトの初子を打つとき、子羊の血を塗った家は通り過ぎるという救いの方策です。これを記念する日を過越の祭りといいます。越えて通り過ぎったという意味です。 Passoverです。   イスラエルの民の家だといってこの災いが源泉的に免除されたわけではありません。条件があります。救いの御言葉を信じて子羊を用意し、屠り、その血を門柱と鴨に塗ることです。初子が死ななかったことより、羊が代わりに死んだということを覚えなけれありません。ここに贖いの原理があります。子羊の流した血を見たとき、災いはその家を過ぎ越していきます。   「…見よ、世の罪を取り除く神の子羊。ヨハネ1:29」バプテスマのヨハネは、イエス様を見たときに災いを代わりに負っていく過越の子羊であると予言しました。イエス様はイスラエル民が出エジプトしてから、千年が過ぎたある日に十字架にかかって死なれました。さらにそれから2千年が過ぎたある日に私たちは、その血を信じる信仰によって救われました。救いの方策は完成されており、子羊イエス・キリストの血を心の門柱に塗れば死の災いは過ぎ越していくのです。すでに打ち勝ち、成し遂げられました。ただそれを信じる信仰が必要であるだけです。滅びることを信じず、救われることを信じなければなりません。敵のいかなる攻撃にも、もはや倒れません。私たちは主の血潮の中にいます。

출애굽기 QT24 210501토【구원의 방도, 어린 양】출애굽기 12장 1~13

출애굽기 12장 1~1312:1 여호와께서 애굽 땅에서 모세와 아론에게 일러 가라사대12:2 이 달로 너희에게 달의 시작 곧 해의 첫 달이 되게 하고12:3 너희는 이스라엘 회중에게 고하여 이르라 이 달 열흘에 너희 매인이 어린 양을 취할지니 각 가족대로 그 식구를 위하여 어린 양을 취하되12:4 그 어린 양에 대하여 식구가 너무 적으면 그 집의 이웃과 함께 인수를 따라서…

出エジプト記 QT23 20210430金【不従順を止めさせる災い】出エジプト 11章 1~10

出エジプト記 11章 1~1011:1 主はモーセに言われた。「わたしはファラオとエジプトの上に、もう一つのわざわいを下す。その後で彼は、あなたがたをここから去らせる。彼があなたがたを去らせるときには、本当に一人残らず、あなたがたをここから追い出す。11:2 さあ、民に言って聞かせよ。男は隣の男に、女は隣の女に、銀の飾りや金の飾りを求めるように。」11:3 主は、エジプトがこの民に好意を持つようにされた。モーセその人も、エジプトの地でファラオの家臣と民にたいへん尊敬された。11:4 モーセは言った。「主はこう言われます。『真夜中ごろ、わたしはエジプトの中に出て行く。11:5 エジプトの地の長子は、王座に着いているファラオの長子から、ひき臼のうしろにいる女奴隷の長子、それに家畜の初子に至るまで、みな死ぬ。11:6 そして、エジプト全土にわたって大きな叫びが起こる。このようなことは、かつてなく、また二度とない。』11:7 しかし、イスラエルの子らに対しては、犬でさえ、人だけでなく家畜にも、だれに対してもうなりはしません。こうして主がエジプトとイスラエルを区別されることを、あなたがたは知るようになります。11:8 あなたのこの家臣たちはみな、私のところに下って来て、私にひれ伏し、『あなたもあなたに従う民もみな、出て行ってください』と言うでしょう。その後私は出て行きます。」こうして、モーセは怒りに燃えてファラオのところから出て行った。11:9 主はモーセに言われた。「ファラオはあなたがたの言うことを聞き入れない。わたしの奇跡がエジプトの地で大いなるものとなるためである。」11:10 モーセとアロンは、ファラオの前でこれらの奇跡をすべて行った。主はファラオの心を頑なにされ、ファラオはイスラエルの子らを自分の国から去らせなかった。   三日間の暗闇の後、神様はモーセを通してファラオの長子をはじめ、民と家畜の初子に至るまで、すべて死ぬことを予告します。この長子が死ぬ災いによって、エジプト全域に空前絶後の大きな叫びがあると告げられます。長子というのは、父の権利を受け継ぐ資格を持つ者です。古代社会はみな同じですが、エジプトの中でも長子が持つ権利とその地位は特別なものでした。王の子どもが王になり、父の財産は長子に相続されます。エジプトの長子が死ぬ災いによってその相続と正統性が断たれてしまいます。   環境をめぐる災いは、いよいよ人間の死の災いへと変貌を遂げます。この災いが実行されれば、不従順はそれ以上存在しなくなります。不従順の主体は人生なので、その人生が終われば、不従順も終わるからです。従順の機会も生きている間です。これまで多くの啓示がありました。その機会を逃して死に駆け上がっていくのがファラオの頑なさです。しかし、どんなに気強い不信仰と不従順であっても死の前では、みなが止まります。神はいないと、まるで自分が神であるかのように生きていきますが、死の前では誰も立ち止まらなければなりません。   死という明確な啓示がいつも目の前にありますが、私たちも、ファラオと同じように根拠のない楽観論を落ちて生きているのではないでしょうか。神様の警告の言葉を聞こうとせず、周りで起こっていることに鈍感でそれを解釈しようとしません。これまでの災いは、神様が偶像を壊す過程でした。昨日の本文の闇の災いも、エジプトが太陽を崇拝するからです。王の名前ラムセスは、太陽の神という意味です。今も最も強力な偶像が残っています。子が死にます。他人の子は奴隷にして働かせて、自分の子は神のように仕える、まさにその偶像が崩れるのです。   エジプトの長子が死んでいくという痛みを通してイスラエルが出エジプトするということは、神様の伏線です。神様は独り子を死に明け渡し、罪の中に生きている民を救ってくださったからです。ファラオは奴隷にしたイスラエルの民の失われた生きるべき権利を知りませんでしたが、自分の王子が死んだときに、生きるべき権利を失ってしまうということが、どれほど大きな苦しみであるか知ることになります。

출애굽기 QT23 210430금【불순종을 멈추어 서게 하는 재앙】출애굽기 11장 1~10

출애굽기 11장 1~1011:1 여호와께서 모세에게 이르시기를 내가 이제 한 가지 재앙을 바로와 애굽에 내린 후에야 그가 너희를 여기서 보낼지라 그가 너희를 보낼 때에는 여기서 정녕 다 쫓아 내리니11:2 백성에게 말하여 남녀로 각기 이웃들에게 은금 패물을 구하게 하라 하시더니11:3 여호와께서 그 백성으로 애굽 사람의 은혜를 받게 하셨고 또 그 사람 모세는 애굽국에서 바로의 신하와 백성에게 심히…

出エジプト記 QT22 20210429木【闇に戻る】出エジプト 10章 21~29

出エジプト記 10章 21~2910:21 主はモーセに言われた。「あなたの手を天に向けて伸ばし、闇がエジプトの地の上に降りて来て、闇にさわれるほどにせよ。」10:22 モーセが天に向けて手を伸ばすと、エジプト全土は三日間、真っ暗闇となった。10:23 人々は三日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立つこともできなかった。しかし、イスラエルの子らのすべてには、住んでいる所に光があった。10:24 ファラオはモーセを呼んで言った。「行け。主に仕えるがよい。ただ、おまえたちの羊と牛は残しておけ。妻子はおまえたちと一緒に行ってもよい。」10:25 モーセは言った。「あなた自身が、いけにえと全焼のささげ物を直接私たちに下さって、私たちが、自分たちの神、主にいけにえを献げられるようにしなければなりません。10:26 私たちの家畜も私たちと一緒に行きます。ひづめ一つ残すことはできません。私たちの神、主に仕えるために、家畜の中から選ばなければならないからです。しかも、あちらに着くまでは、どれをもって主に仕えるべきか分からないのです。」10:27 しかし、主がファラオの心を頑なにされたので、ファラオは彼らを去らせようとはしなかった。10:28 ファラオは彼に言った。「私のところから出て行け。私の顔を二度と見ないように気をつけろ。おまえが私の顔を見たら、その日に、おまえは死ななければならない。」10:29 モーセは言った。「けっこうです。私はもう二度とあなたのお顔を見ることはありません。」   第九の災いは暗闇の災いです。3日間闇になりました。物理的に闇は存在しません。闇ができたのではなく、光が消えたのです。光がないのが闇です。誰かに呪いを浴びせてもそれが呪いになるわけではありません。神様と断たれてしまうのが呪いです。   昨日の水曜礼拝で詩篇12篇を読みました。ダビデは「なぜこの世に不義と悪、不条理が存在するのか​​と神様に胸痛く尋ねます。しかし彼らに不義と悪、不条理があるのではなく、彼らに神がいないのです。絶望があるのではなく希望が消えたのです。憎しみがあるのではなく、愛が消えたのです。   本を通じて多くを学んだイ・ジェチョル牧師と李御寧先生の対談の中でイ・オリョン先生の文学想像が印象深くて今も覚えています。アダムが造られた最初の日、夜になった時、漆黒の闇の中でアダムはいかに怖かっのかという想像です。   それは完璧な暗闇であったと思います。アダムは不安と恐怖を夜を過ごさなければならなかった。しかし、朝になると太陽は浮かびあがり、アダムは朝という希望があることを知りました。その時、アダムの宗教は始まったということです。   時間は流れて、李御寧先生はがんにかかり、闘病しています。あるインタビューで「私の宗教は、今から始める」と告白しました。死という暗闇に会ったとき、生きている存在は、光を願望します。照らされなければ存在を認めてもらうことは出来ません。照らされなければ存在は現れません。神様に照らされなければは人間の存在も人生の意味も役割も見つけられません。   神様が初めにお造りになったのが、光です。日がのぼってから一日が始まります。「神が光よ。あれ。と仰せられた。すると光ができた。3」その時、暗やみと混沌は消えました。初めに、神が「光よ。あれ。」と言われたの覚えていれば、エジプトに暗闇を下したのは、いかに恐ろしいことでしょうか。神様の恵みが遮られること、それが災いなのです。