민수기 묵상 【늦은 순종은 불순종】 20250424(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

민수기 14:39~45 14:39 모세가 이 말로 이스라엘 모든 자손에게 고하매 백성이 크게 슬퍼하여 14:40 아침에 일찌기 일어나 산꼭대기로 올라가며 가로되 보소서 우리가 여기 있나이다 우리가 여호와의 허락하신 곳으로 올라 가리니 우리가 범죄하였음이니이다 14:41 모세가 가로되 너희가 어찌하여 이제 여호와의 명령을 범하느냐 이 일이 형통치 못하리라 14:42 여호와께서 너희 중에 계시지 아니하니 올라가지 말라 너희 대적앞에서…

民数記 黙想 【救いを拒んだ人々】 20250423(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師  

民数記 14:26~38 14:26 主はモーセとアロンに告げられた。 14:27 「いつまで、この悪い会衆は、わたしに不平を言い続けるのか。わたしは、イスラエルの子らがわたしにつぶやく不平を聞いた。 14:28 彼らに言え。わたしは生きている──主のことば──。わたしは必ず、おまえたちがわたしの耳に語ったとおりに、おまえたちに行う。 14:29 この荒野におまえたちは、屍をさらす。わたしに不平を言った者で、二十歳以上の、登録され数えられた者たち全員である。 14:30 エフンネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアのほかは、おまえたちを住まわせるとわたしが誓った地に、だれ一人入ることはできない。 14:31 おまえたちが『かすめ奪われてしまう』と言った、おまえたちの子どもについては、わたしは彼らを導き入れる。彼らはおまえたちが拒んだ地を知るようになる。 14:32 しかし、おまえたちはこの荒野に屍をさらす。 14:33 おまえたちの子どもは、この荒野で四十年の間羊を飼う者となり、おまえたちがみな、屍となるまで、おまえたちの背信の責めを負わなければならない。 14:34 おまえたちが、あの地を偵察した日数は四十日であった。その一日を一年と数えて、四十年の間おまえたちは自分の咎を負わなければならない。こうして、わたしへの反抗が何であるかを思い知ることになる。 14:35 主であるこのわたしが言う。一つになってわたしに逆らったこの悪い会衆のすべてに対して、わたしは必ずこうする。この荒野で彼らは死に絶える。 14:36 また、モーセがあの地の偵察のために遣わした者で、帰って来て、その地について悪く言いふらし、全会衆にモーセに対する不平を言わせた者たちもだ。」 14:37 こうして、その地を悪く言いふらした者たちは、主の前に疫病で死んだ。 14:38 しかし、あの地を偵察しに行った者のうち、ヌンの子ヨシュアと、エフンネの子カレブは生き残った。 神様はカデシュ・バルネアで不平と不満を口にした民に対して怒りを表され、その世代は約束の地に入ることができないと宣言されました。ヨシュアとカレブを除く20歳以上のすべての者は荒野で死に、その子どもたちの世代が約束の地に入ることになります。否定的な報告で共同体を絶望に陥れた10人の斥候は、即座に災いを受けて命を落としました。 神様は彼らを全滅させると仰いましたが、モーセの執り成しによりその意思は撤回されました。しかし、全滅が完全に取り消されたのではなく、一時的に猶予されたにすぎません。むしろ一部はその場で処罰されました。出エジプトの準備段階から今に至るまで、神様は幾度となくご自身を現されましたが、この滅びの世代は神を信じることができず、不平不満を繰り返した結果です。 彼らが自ら滅びを招いた原因は、「慢性的な不平の病」でした。出エジプト直後には紅海の前で不満を述べ、マラでは水の味が悪いと文句を言い、マナに飽きて肉が食べたいと訴え、メリバでは水がないと騒ぎました。事件が起こるたびに神に不満をぶつけることが、彼らの習慣となっていたのです。カデシュ・バルネアの事件を定義するならば、それは「救われたくないという不満の爆発」であったと言えるでしょう。 民数記14章の不満は、それまでのものとは次元が異なります。「神が私たちを殺すためにここまで連れてきたのだ」と言い出し、「新しい指導者を立てて、エジプトの奴隷生活に戻ろう」とまで言い出しました。神様の代わりに人間のリーダーを立て、再び奴隷になることを選ぼうとしたのです。これは偶像に従い、神から離れる行為です。しかも、すでにシナイ山で秩序の根幹となる十戒を受けていた後だったため、これは言わば立憲秩序を壊すクーデター、すなわち律法の一方的な破棄でした。 それゆえ、彼らに再び機会は与えられません。それはあまりに厳しすぎるのではないかと思うかもしれません。しかし、よく考えてみれば、彼らが拒み不満をぶつけた対象は、カナン、すなわち救いと約束の地でした。それを拒んだのであれば、滅びは当然の帰結です。福音は常に与えられています。しかし、それを最後まで拒んだのであれば、滅びを免れることはできません。厳しすぎるのは神ではなく、それを頑なに拒み続けた人間のほうなのです。 この箇所で神の怒りが断固として現れるのは、この事件が「救いを拒んだ罪」であるからです。本質的に「怒りの子ら」が、その本質へと戻っていっただけであり、もはや神の怒りを免れることはできません。神の怒りとは、人間のような感情の爆発ではありません。むしろ、救いを拒む人間の反応に対する、神の聖なる応答なのです。福音は常に存在しています。しかし、それを拒む者は、福音の対極にあるもの──すなわち「滅び」の責任を、自ら負わなければならないのです。

민수기 묵상 【구원을 거절한 사람들】 20250423(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

민수기 14:26~38 14:26 여호와께서 모세와 아론에게 일러 가라사대 14:27 나를 원망하는 이 악한 회중을 내가 어느 때까지 참으랴 이스라엘 자손이 나를 향하여 원망하는 바 그 원망하는 말을 내가 들었노라 14:28 그들에게 이르기를 여호와의 말씀에 나의 삶을 가리켜 맹세하노라 너희 말이 내 귀에 들린 대로 내가 너희에게 행하리니 14:29 너희 시체가 이 광야에 엎드러질 것이라 너희…

民数記 黙想 【荒野に戻る】 20250422(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

民数記 14:11~25 14:11 主はモーセに言われた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じようとしないのか。 14:12 わたしは彼らを疫病で打ち、ゆずりの地を剝奪する。しかし、わたしはあなたを彼らよりも強く大いなる国民にする。」 14:13 モーセは主に言った。「エジプトは、あなたが御力によって、自分たちのうちからこの民を導き出されたことを聞いて、 14:14 この地の住民に告げるでしょう。事実、住民たちは聞いています。あなた、主がこの民のうちにおられ、あなた、主が目の当たりにご自身を現されること、またあなたの雲が彼らの上に立ち、あなたが昼は雲の柱、夜は火の柱の内にあって、彼らの前を歩んでおられることを。 14:15 もし、あなたがこの民を一人残らず殺すなら、あなたのうわさを聞いた異邦の民は、このように言うに違いありません。 14:16 『主はこの民を、彼らに誓った地に導き入れることができなかったので、荒野で殺したのだ』と。 14:17 どうか今、あなたが語られたように、わが主の大きな力を現してください。あなたは言われました。 14:18 『主は怒るのに遅く、恵み豊かであり、咎と背きを赦す。しかし、罰すべき者を必ず罰し、父の咎を子に報い、三代、四代に及ぼす』と。 14:19 この民をエジプトから今に至るまで耐え忍んでくださったように、どうかこの民の咎をあなたの大きな恵みによって赦してください。」 14:20 主は言われた。「あなたのことばどおりに、わたしは赦す。 14:21 しかし、わたしが生きていて、主の栄光が全地に満ちている以上、 14:22 わたしの栄光と、わたしがエジプトとこの荒野で行ったしるしとを見ながら、十度もこのようにわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、だれ一人、 14:23 わたしが彼らの父祖たちに誓った地を見ることはない。わたしを侮った者たちは、だれ一人、それを見ることはない。 14:24 ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者とは違った霊を持ち、わたしに従い通したので、わたしは、彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。 14:25 平地にはアマレク人とカナン人が住んでいるので、あなたがたは、明日、向きを変えてここを旅立ち、葦の海の道を通って荒野へ行け。」 カナンの地を探った者たちが戻ってきて否定的な報告をすると、民はその言葉を聞いてモーセとアロンを責め、攻撃し始めました。彼らはついにはエジプトに戻りたいと願いました。それに対して主は怒り、彼らを滅ぼし、モーセを通して新しい民を起こすと宣言されました。しかしモーセは、このことによって、忍耐深く憐れみに富まれる神様の御名が汚されてはならないと主張し、民の罪を赦してほしいと執り成しの祈りを始めました。 民は神様を侮り、神の約束を無視しました。まず優先すべきなのは状況ではなく、神様の御言葉です。状況に振り回され始めると、その状況はさらに悪化します。しかし状況を脇に置き、神様の御言葉を選ぶなら、その御言葉が状況を切り開き、前へ進ませ、新たな状況を造り出します。すべての証はこの原理を物語っています。従順を経験した者は再び従うようになり、従ったことのない者は最後までその機会を逃し、荒野をさまようことになります。 民数記14章に現れるイスラエルの民の集団的な暴力性は、現代においても決して珍しいものではありません。神様の御言葉と人格的な交わりなしに群れる者は、容易に集団的な扇動に流され、最終的には過激な判断や反応へと走ってしまいます。神様の御言葉が心を支配しないなら、結局、恐れと不信が人を支配するようになります。問題は、「御言葉に従う」とは具体的に何を意味するのかを見極めることにあります。共同体を構成する一人一人の人格的な信仰と共同体意識の水準こそが、イスラエルの民全体の霊的なレベルを決定づけるのです。

민수기 묵상 【다시 광야로】 20250422(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

민수기 14:11~25 14:11 여호와께서 모세에게 이르시되 이 백성이 어느 때까지 나를 멸시하겠느냐 내가 그들 중에 모든 이적을 행한 것도 생각하지 아니하고 어느 때까지 나를 믿지 않겠느냐 14:12 내가 전염병으로 그들을 쳐서 멸하고 너로 그들보다 크고 강한 나라를 이루게 하리라 14:13 모세가 여호와께 여짜오되 애굽인 중에서 주의 능력으로 이 백성을 인도하여 내셨거늘 그리하시면 그들이 듣고 14:14…

民数記 黙想 【バッタのようだと言った自己認識】 20250331(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

民数記 14:1~10 14:1 すると、全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。 14:2 イスラエルの子らはみな、モーセとアロンに不平を言った。全会衆は彼らに言った。「われわれはエジプトの地で死んでいたらよかった。あるいは、この荒野で死んでいたらよかったのだ。 14:3 なぜ主は、われわれをこの地に導いて来て、剣に倒れるようにされるのか。妻や子どもは、かすめ奪われてしまう。エジプトに帰るほうが、われわれにとって良くはないか。」 14:4 そして互いに言った。「さあ、われわれは、かしらを一人立ててエジプトに帰ろう。」 14:5 そこで、モーセとアロンは、イスラエルの会衆の集会全体の前でひれ伏した。 14:6 すると、その地を偵察して来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフンネの子カレブが、自分たちの衣を引き裂き、 14:7 イスラエルの全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて偵察した地は、すばらしく、良い地だった。 14:8 もし主が私たちを喜んでおられるなら、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さる。あの地は乳と蜜が流れる地だ。 14:9 ただ、主に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちの餌食となる。彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」 14:10 しかし全会衆は、二人を石で打ち殺そうと言い出した。すると、主の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエルの子らに現れた。 イスラエルの民は、カナンを偵察した者たちの報告を聞いて、一晩中泣き叫びました。しかし、『民数記』に記されているその報告は、それほど長くも詳しくもなく、むしろ抽象的で誇張されたものでした。負けると決めつけている者の報告には、負ける理由しかありません。敗北主義者の現実認識は、認知の歪みです。最初から「できない理由」ばかりを探します。臆病でありながら論理的であろうとする人は、自らの卑怯さを他人にもっともらしく説明しようとします。それはまさに「似た者同士が群れる」ようなものです。そのような報告を聞いた民は、偏った歪んだ情報をそのまま受け入れ、現実以上に誇張された恐怖を共有し合います。臆病で虚偽のニュースを生み出す者たち、それに騙されて仲間割れし争う者たちの姿は、現代の私たちの愚かな姿と何ら変わりません。 民はモーセとアロンを非難し、「エジプトで死んだほうがよかった」「この荒野で死ねばよかった」と言いました。これは明らかに嘘です。臆病者たちは、命さえ助かるなら、何でも受け入れるのです。食べ物さえ与えられれば奴隷でもよく、命さえ助かるなら浮浪者でも構わないのです。「カナンに入れば殺される」と言って現実に妥協し、危機を回避しようとするその言葉の裏には、本性があらわになっています。彼らは神を礼拝したのではなく、ただ自分たちの食物と安全を拝んでいたのです。一見すると共同体が危機に瀕しているように見えますが、実は神ご自身が共同体の中にいる偽物たちを明らかにしておられるのです。神様は、民を生かすためにカナンへと導こうとされていました。しかし民は「生きるために」カナンへ入ろうとせず、その結果、むしろそこで滅びることになるのです。 ヨシュアとカレブは衣を裂いて民に立ち向かいます。彼らがそうしたのは、自分たちの意見が異なることを示すためではありません。戦力を比較し「勝てる可能性がある」と主張したのでもありません。彼らが衣を裂いたのは、偵察者と民が神の約束を蔑ろにしたからです。神に勝ろうとする者が拠り所にするのは、いつも「現実」という名の盾です。その「現実」は、必ず自己保身の論理にすぎません。カナンに入ることは神様の御心であり、信仰と勇気は同義語です。この二人の信仰ある若者は、民に対し「神に逆らってはならない」と警告しました。現実を凌駕する信仰を見つけることは実に難しいことです。しかし神様は、勇気ある少数の信仰を用いられるのです。 神様はエジプトで奴隷であった民を、自立させるために荒野へと導き出されました。神様を信頼して生きる者は、社会においても自立して生きていきます。しかし、荒野の民は自立の代価を払おうともせず、挑戦しようともしませんでした。そのくせ、怒りを募らせたのです。ヨシュアとカレブは、自立への挑戦を恐れて「奴隷に戻ろう」と叫ぶ臆病者たちに、深い怒りを感じました。カナンの人々に比べて「自分たちはバッタのようだ」と語った彼らの自己認識は、実は的を射ていたのです。あの「神様に出会えるはずの荒野」にあっても、神様に出会うことなく迷い歩き、ついには消え去っていった哀れなバッタの群れ――それが彼らの真の姿でした。

민수기 묵상 【메뚜기라던 자기인식】 20250421(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

민수기 14:1~10 14:1 온 회중이 소리를 높여 부르짖으며 밤새도록 백성이 곡하였더라 14:2 이스라엘 자손이 다 모세와 아론을 원망하며 온 회중이 그들에게 이르되 우리가 애굽 땅에서 죽었거나 이 광야에서 죽었더면 좋았을 것을 14:3 어찌하여 여호와가 우리를 그 땅으로 인도하여 칼에 망하게 하려 하는고 우리 처자가 사로잡히리니 애굽으로 돌아가는 것이 낫지 아니하랴 14:4 이에 서로 말하되 우리가…

民数記 黙想 【救いの名】 20250412(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

民数記 13:1-24 13:1 主はモーセに告げられた。 13:2 「人々を遣わして、わたしがイスラエルの子らに与えようとしているカナンの地を偵察させよ。父祖の部族ごとに一人ずつ、族長を遣わさなければならない。」 13:3 モーセは、主の命により、パランの荒野から彼らを遣わした。彼らはみな、イスラエルの子らのかしらであった。 13:4 彼らの名は次のとおりである。ルベン部族からはザクルの子シャムア。 13:5 シメオン部族からはホリの子シャファテ。 13:6 ユダ部族からはエフンネの子カレブ。 13:7 イッサカル部族からはヨセフの子イグアル。 13:8 エフライム部族からはヌンの子ホセア。 13:9 ベニヤミン部族からはラフの子パルティ。 13:10 ゼブルン部族からはソディの子ガディエル。 13:11 ヨセフ部族、すなわちマナセ部族からはスシの子ガディ。 13:12 ダン部族からはゲマリの子アンミエル。 13:13 アシェル部族からはミカエルの子セトル。 13:14 ナフタリ部族からはボフシの子ナフビ。 13:15 ガド部族からはマキの子ゲウエル。 13:16 以上が、モーセがその地の偵察のために遣わした者の名である。モーセはヌンの子ホセアをヨシュアと名づけた。 13:17 モーセは、カナンの地の偵察のために彼らを遣わして言った。「向こうに上って行ってネゲブに入り、山地に行き、 13:18 その地がどんなであるか、調べてきなさい。そこに住んでいる民が強いか弱いか、少ないか多いか、 13:19 また彼らが住んでいる土地はどうか、それが良いか悪いか、彼らが住んでいる町々はどうか、それらは宿営か、それとも城壁の町か、 13:20 土地はどうか、それは肥えているか痩せているか、そこには木があるかないか。勇気を出して、その地の果物を取って来なさい。」その季節は初ぶどうの熟すころであった。 13:21 それで、彼らは上って行き、ツィンの荒野からレボ・ハマテのレホブまで、その地を偵察した。 13:22 彼らは上って行ってネゲブに入り、ヘブロンまで行った。そこにはアナクの子孫であるアヒマンと、シェシャイと、タルマイがいた。ヘブロンはエジプトのツォアンより七年前に建てられていた。 13:23 彼らはエシュコルの谷まで来て、そこでぶどうが一房ついた枝を切り取り、二人で棒で担いだ。また、ざくろやいちじくの木からも切り取った。 13:24 その場所は、イスラエルの子らがそこで切り取ったぶどうの房にちなんで、エシュコルの谷と呼ばれた。   荒野での長旅を経って、イスラエルの民の目の前にはいよいよ約束の地、カナンがありました。しかし神様は、彼らをすぐにその地に入らせるのではなく、まず偵察を遣わすようにされました。彼らがこの偵察を通して何を目にすることになるのか、イスラエルの民には分かりませんでしたが、神様はすでにをご存じでした。    私たちも聖書の歴史から見たように、結論的に彼らはこの偵察によってカナンの地に入ることを恐れるようになりました。確かにその地は肥えていた地でしたが、そこに住んでいる民たちと戦って打ち勝つ自身がなかったのです。そしたら、なぜ神様はあえて彼らに偵察をさせたにでしょう。  その答えの手がかりが、今日の聖書の箇所の中に書いてあります。箇所の流れの中で、少し突然だとも思われる一節、モーセが「ヌンの子ホセア」を「ヨシュア」と名づけたことです。  聖書で名前が変わる時は、その人の存在に大きな変化がある時です。たとえば、アブラムがアブラハムになり、サライがサラになり、ヤコブがイスラエルになった時のようなことです。当然この偵察の出来事はイスラエルにとって、そしてヨシュアにとって大きな転換点ではありますが、それはまだ始まったばかりです。過去の先祖たちのように、明確な結果によって名前が変えられたわけではないのです。…

민수기 묵상 【구원의 이름】 20250412(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

민수기 13:1-24 13:1 여호와께서 모세에게 말씀하여 이르시되 13:2 사람을 보내어 내가 이스라엘 자손에게 주는 가나안 땅을 정탐하게 하되 그들의 조상의 가문 각 지파 중에서 지휘관 된 자 한 사람씩 보내라 13:3 모세가 여호와의 명령을 따라 바란 광야에서 그들을 보냈으니 그들은 다 이스라엘 자손의 수령 된 사람이라 13:4 그들의 이름은 이러하니라 르우벤 지파에서는 삭굴의 아들 삼무아요…

民数記 黙想 【締め出し】 20250411(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

民数記 12:9-16 12:9 主の怒りが彼らに向かって燃え上がり、主は去って行かれた。 12:10 雲が天幕の上から離れ去ると、見よ、ミリアムは皮膚がツァラアトに冒され、雪のようになっていた。アロンがミリアムの方を振り向くと、見よ、彼女はツァラアトに冒されていた。 12:11 アロンはモーセに言った。「わが主よ。どうか、私たちが愚かにも陥ってしまった罪の罰を、私たちに負わせないでください。 12:12 どうか、彼女を、肉が半ば腐って母の胎から出て来る死人のようにしないでください。」 12:13 モーセは主に叫んだ。「神よ、どうか彼女を癒やしてください。」 12:14 しかし主はモーセに言われた。「もし彼女の父が彼女の顔に唾したら、彼女は七日間、恥をかかされることにならないか。彼女を七日間、宿営の外に締め出しておかなければならない。その後で彼女は戻ることができる。」 12:15 それでミリアムは七日間、宿営の外に締め出された。民はミリアムが戻るまで旅立たなかった。 12:16 それから民はハツェロテを旅立ち、パランの荒野に宿営した。  神様は確かに怒りを持たれるお方です。私たちはその神様の怒りを常に心に留め、恐れを持っていく必要があります。しかしそこで大切なのは、その怒りがどこに向かっているかを正しく理解することです。  私たちに与えられた救いについて語るとき、必ず一緒に語られることが「罪」です。人間に罪があるからこそ、神様の救いが必要であるからです。神様が救おうとされるのは、他の何かではなく、「罪」とその結果である「死」からの救いです。その理由は、聖書がはっきりと語っているように、神様が私たちを愛しておられるからです。  ある人は、「これは矛盾している」と感じることもあるかもしれません。しかし実は、神様ご自身が矛盾した存在とならないためにこそ、この方法ような方法を用いておられるのです。愛なる神でありながら、同時に罪を必ず裁かれるお方である神様が、愛のゆえに罪を見過ごすとしてしまえば、そこに矛盾が生まれます。逆に愛する民を罪の結果の通りに裁いてしまえば、それもまた神様の愛と矛盾することになってしまうのです。  だからこそ神様は、ご自身の民を愛しつつ、罪を裁くというかたちで救いを成し遂げられたのです。罪を犯した人間そのものに対して怒るのではなく、人間の中にある「罪」を憎まれ、怒っておられるのです。それゆえ人間を裁くのではなく、罪そのものを裁かれました。それと同時に、人間が犯した罪の代価を確かに払らわれたこと、このすべてのことがイエス・キリストの十字架によって成し遂げられたのです。    アロンがモーセに願ったように、イエス様は十字架の上で、ご自身の民のために神様に執り成しをされました。そして、ご自分がその罪のすべての結果を背負って行ったのです。  神様の怒りの対象は、ミリアムという人ではありませんでした。聖書のテキストだけを見ると、まるでイスラエルの民がミリアムを待っていたかのように見えるかもしれませんが、それだけではありません。イスラエルの民の旅立ちは、常に神様の導かれていました。つまり、ミリアムを待っていたのはイスラエルの民だけではなく、神様ご自身であったのです。  罪を犯して宿営の外に締め出されたミリアムが、裁きを受け終えて再び宿営に戻るまで、神様はイスラエルの民すべてをそこに留まらせました。神様は最後までミリアムを見捨てず、共に歩まれたのです。神様が宿営から締め出されたのは、ミリアムという人ではなく、彼女の中にあった「罪」だったのです。  私たちも時には、まるで荒野でひとりきりになったように感じることもあります。神様から見捨てられたのではないか、締め出されたのではないかと思ってしまうこともあるでしょう。しかし、そのような時間は、決して私たちが神様の御前から締め出された時間ではありません。私たちの中にある罪が、神様の御前から締め出される時間なのです。そしてその時こそ、罪に打ち勝ったイエス・キリストの勝利を、私たちの心に受け入れていく時間なのです。  神様の御前から締め出される苦しみは、すでにイエス・キリストが十字架で全て引き受けてくださいました。 https://youtu.be/CIVd8VOhRnU?si=l_PxK0DPbZXrvV-B