ゼパニヤ 黙想 【領域主権】202311228(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

ゼパニヤ 2:4~152:4 まことに、ガザは捨てられ、アシュケロンは荒れ果てる。アシュドデは真昼に追い払われ、エクロンは根こそぎにされる。2:5 わざわいだ、海辺に住む者たち、クレタ人の国。主のことばはおまえたちに向けられている。「ペリシテ人の地、カナンよ。わたしはおまえを消し去って、住む者がいないようにする。」2:6 海辺よ。おまえは牧場となり、牧者たちの牧草地となり、羊の囲い場となる。2:7 海辺はユダの家の残りの者の所有となる。彼らは海辺で羊を飼い、日が暮れると、アシュケロンの家々で横になる。彼らの神、主が彼らを顧みて、彼らを元どおりにされるからだ。2:8 「わたしはモアブのそしりと、アンモン人の、ののしりを聞いた。彼らはわたしの民をそしり、自分の領土のことで高ぶった。2:9 わたしは生きている。──イスラエルの神、万軍の主のことば──それゆえ、モアブは必ずソドムのようになり、アンモン人はゴモラのようになり、いらくさの茂る所、塩の穴、とこしえに荒れ果てた地となる。わたしの民の残りの者が、そこをかすめ奪う。わたしの国民の生き残りが、そこを受け継ぐ。」2:10 これは彼らの高慢のためだ。彼らが万軍の主の民をそしり、これに向かって高ぶったからだ。2:11 主への恐れが彼らに下る。主が地のすべての神々を消し去られるからだ。人々はそれぞれ、自分のところで主を礼拝する。異国のすべての島々も。2:12 「あなたがた、クシュ人も、わたしの剣で刺し殺される。」2:13 主は手を北に向けて伸ばし、アッシリアを滅ぼし、ニネベを荒れ果てた地とし、荒野のようにし、砂漠とされる。2:14 その中に、獣の群れが、あらゆる地の獣が伏す。ふくろうと針ねずみは、その柱頭をねぐらとし、その鳴き声は窓に響き渡り、荒廃は敷居に及ぶ。まことに、その杉材が剝がされる。2:15 これが、安心して過ごし、「私だけは特別だ」と心の中で言っていた、あのおごった都だ。ああ、その都は荒れ果て、動物の伏す所となる。そこを通り過ぎる者はみな、嘲って手を振る。   神様はユダだけが懲戒されるのではなく、周辺国にも災いを下します。ガザ、アシュケロン、アシュドデ、エクロン、クレタ、ペリシテ、モアブ、アンモンクシュ、クシュ、アッシリアまですべて懲戒され、滅亡し、荒廃することになります。ユダの懲戒は神様の民が神様から離れたことですたが、周辺国が罰を受けるのは神様から離れたことではなく、神様の民を苦しめ、神様を侮辱したからです。共通分母は高慢です。神様を認めない人の謙遜は謙遜ではありません。それは社会性です。神様を認め、その下にいる人間こそが真の意味で謙遜になれます。周辺国が一時的に神の鞭になったのは事実です。しかし、それを誤解し、高慢になると、使い道を終え、滅亡の道に入ります。   救贖史 (salvation history)から見ればバビロニア帝国の勃興という世界史の事件は神様がユダの考えを変えるためのものでした。考えを変えるために国を滅ぼしたり、帝国を起こしたりします。高慢になった心を変えるためにどれほどのことを払えば合理的でしょうか?神様の経済性は驚くべきものです。人間の考え一つを変えるために国を建てたり、国を滅ぼしたりする方です。神様は御子を肉に送って死なせる犠牲と払われました。神様の愛と救いとは、人間の計算では合理的ではありません。自分では考えることを変えることができないで、環境の変化を通して考えを変えざるえません。だから、人が御言葉を現在的に解釈し、自分を省察し、聞き従う勇気を持てば懲戒を受けずに平安の中で歩むことができます。   周辺国は成功しているように、勝っているように思いましたが、神様はいつも選ばれた民に関心をもっておられます。たとえ、神様の民が罪を犯し、懲戒を受けるとしても、彼らはやがて回復します。その時に嘲って侮辱したものの権利と栄光は回復した民に与えられます。神様は選ばれた民を愛しておられます。そして世も神様の統治の領域です。「領域主権(souvereiniteit in eigen kring):すべては神様に主権があり、この地のどこでもキリストのものではないもののはない。-アブラハム·カイパー-」世の中で愛される子として選ばれ、召されたので、その愛にふさわしく遣わされなければならないと思います。

스바냐 묵상 【영역주권】 20231128(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

스바냐 2:4~152:4 가사가 버리우며 아스글론이 황폐되며 아스돗이 백주에 쫓겨나며 에그론이 뽑히우리라2:5 해변 거민 그렛족속에게 화 있을진저 블레셋 사람의 땅 가나안아 여호와의 말이 너희를 치나니 내가 너를 멸하여 거민이 없게 하리라2:6 해변은 초장이 되어 목자의 움과 양떼의 우리가 거기 있을 것이며2:7 그 지경은 유다 족속의 남은 자에게로 돌아갈찌라 그들이 거기서 양떼를 먹이고 저녁에는 아스글론 집들에 누우리니…

ゼパニヤ 黙想 【もし、主の怒りの日に】202311221(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ゼパニヤ 1:14~2:31:14 主の大いなる日は近い。それは近く、すぐにも来る。主の日に声がする。勇士の悲痛な叫び声が。1:15 その日は激しい怒りの日、苦難と苦悩の日、荒廃と滅亡の日、闇と暗黒の日、雲と暗闇の日、1:16 角笛と、ときの声の日、城壁のある町々と高い四隅の塔が襲われる日だ。1:17 「わたしが人を苦しめるので、人々は目の見えない人のように歩く。主に対して罪を犯したからだ。彼らの血は、ちりのように、はらわたは、糞のようにまき散らされる。1:18 彼らの銀も、彼らの金も、主の激しい怒りの日に彼らを救い出せない。主のねたみの火で、全土は焼き払われる。主が地に住むすべての人をたちまちのうちに滅ぼし尽くすからだ。」2:1 ともに集まれ、集まれ。恥知らずの国民よ。2:2 御定めが行われて、その日が籾殻のように過ぎ去らないうちに。主の燃える怒りが、まだあなたがたを襲わないうちに。主の怒りの日が、まだあなたがたを襲わないうちに。2:3 すべてこの国の、主のさばきを行う柔和な者たちよ、主を尋ね求めよ。義を尋ね求めよ。柔和さを尋ね求めよ。そうすれば、主の怒りの日に、かくまってもらえるかもしれない。   ゼパニヤの時代は、北イスラエルを滅ぼしたアッシュルが衰退し、まだユダがバビロニアに滅ぼされる前、南ユダにたった3人だけだった良い王の一人であるヨシヤ王が宗教改革をしていた時です。 ゼパニヤのテーマは「主の日」です。主の日というのはさばきの日です。ヨシヤ王が改革を推進しますが、それは未完に終わり、ユダは結局バビロニアに滅びることになります。ゼパニヤは、その日が迫っていることを伝えています。   「…彼らの血は、ちりのように、はらわたは、糞のようにまき散らされる。彼らの銀も、彼らの金も、主の激しい怒りの日に彼らを救い出せない。主のねたみの火で、全土は焼き払われる。主が地に住むすべての人をたちまちのうちに滅ぼし尽くすからだ。1:17,18」それはユダだけに当てはまることではありません。滅亡はバビロニアによるもの、ローマによるものだけではありません。滅亡は誰にでも予定されており、さばきは刻々と迫っています。   「…そうすれば、主の怒りの日に、かくまってもらえるかもしれない。2:3」、「そうすれば」(אוּלַי)は、「もし」という意味の副詞です。これが持っている望みは大きいです。しかし、この「もし」は「もし神様が心が変わったら」ではなく、「もしあなたが悔い改めれば」です。「もし」の主体は滅亡に向かう民です。彼らが「もし」悔い改めることさえできれば、主の日は、怒りのさばきの日ではなく、神様の救いの日になります。「もし」悔い改めることはできますか?   「もし」の条件は自分の恥を知ること、神様の御言葉を覚えて守ること、義を求め、柔和さを求めることです。「すべてこの国の、主のさばきを行う柔和な者たちよ、主を尋ね求めよ。義を尋ね求めよ。柔和さを尋ね求めよ。…2:3」悔い改めという言葉はいつも聞いていますが、単なる道徳的な反省とは違います。悔い改めは変化の意志もない常套的な自己批判ではありません。 人生の方向を変えるのが悔い改めです。そういう意味で悔い改めというのは一生に何度もできないのかもしれません。しかし、人間が「もし」悔い改めることができれば、神様は「必ず」救われます。

스바냐 묵상 【혹시 여호와의 분노의 날에】 20231127(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

스바냐 1:14~2:31:14 여호와의 큰 날이 가깝도다 가깝고도 심히 빠르도다 여호와의 날의 소리로다 용사가 거기서 심히 애곡하는도다1:15 그날은 분노의 날이요 환난과 고통의 날이요 황무와 패괴의 날이요 캄캄하고 어두운 날이요 구름과 흑암의 날이요1:16 나팔을 불어 경고하며 견고한 성읍을 치며 높은 망대를 치는 날이로다1:17 내가 사람들에게 고난을 내려 소경같이 행하게 하리니 이는 그들이 나 여호와께 범죄하였음이라 또 그들의…

箴言 黙想 【共に生きる生活】20231125(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

箴言 22:17-29 22:17 耳を傾けて、知恵のある者たちのことばを聞け。私の知識に心を向けよ。 22:18 これらをあなたのうちに保つのは楽しいこと。これらをみな、あなたの唇に備えよ。 22:19 あなたが主に拠り頼むことができるように、私は今日、特にあなたに教える。 22:20 私はあなたのために、勧告と知識についての三十句を書いたではないか。 22:21 これは、あなたに真理のことばの確かさを教え、あなたを遣わした者に、真理のことばを持ち帰らせるためである。 22:22 貧しい者からかすめ取るな。彼が貧しいからといって。苦しむ者を門のところで踏みにじるな。 22:23 主が彼らの訴えを取り上げ、彼らから奪う者のいのちを、奪われるからだ。 22:24 怒りっぽい者と交わるな。激しやすい者と一緒に行くな。 22:25 あなたがその道に倣って、自分が罠にかからないために。 22:26 あなたは人と誓約をしてはならない。負債の保証人となってはならない。 22:27 あなたに償うものがないとき、人があなたの下から寝床を奪ってもよいだろうか。 22:28 昔からの地境を移してはならない。それはあなたの先祖が設けたものだ。 22:29 仕事に熟練した人を見たことがあるか。その人は王の前に立つが、無名の人の前には立たない。  人間は社会的な存在であると言われています。 一人では生きていけず、どこかに属し、誰かと一緒に生きていく存在であるという意味です。    昔の中世ヨーロッパでは信仰を守るために世俗から離れて修道院生活をしたり、旅人生活をする人々がいました。 そして、彼らによって中世時代の神学が発展しました。    現代時代、教会は世の中で塩と光の役割に果たすべきというイエス様の命令によって、世俗化を避けて修道院に入るのではなく、世の中に進んでいき、その世の中を変えることがキリスト者の使命であると強調しています。 確かにこれが御言葉に従うことだと私も思いますが、中世時代の修道院が見せてくれた信仰のための努力はただの過ちでなく、私たちも見習うべき姿であることを覚えるべきです。    社会的存在である人間は共に生きる生活、見て聞いて言って行動するすべてのことを通じてお互いに影響を受け、影響を及ぼす存在です。 だからこそ、この世の中で生きていく私たちは、常に自分の心を振り返りながら調べなければなりません。    私たちは皆、それぞれが最も多くの時間を過ごす場所、人がいます。 職場、学校、家庭などいろいろなところが挙げられます。 しかし、私たちはどこでも、どんな時も神様が私たちと共にしていることを覚えておかなければなりません。 私たちが最も多くの時間を一緒に過ごすのは家族でも、友人でも、職場の同僚でもなく、いつも私たちと共にするインマヌエルの神様です。    だとしたら、私たちはどこの誰に影響を受ける存在にならなければならないのでしょうか。 当然、私たちと最も多くの時間を共に過ごす神様の影響を受け、神様の御心とその考え方に似ていく存在にならなければならないでしょう。 そして、その影響を世の中に及ぼす者にならなければなりません。 https://youtu.be/AIvLEBfQ8J8?si=bBkiNzzNPWB1I_vD

잠언 묵상 【함께 하는 삶】 20231125(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

잠언 22:17-29 22:17 너는 귀를 기울여 지혜 있는 자의 말씀을 들으며 내 지식에 마음을 둘지어다 22:18 이것을 네 속에 보존하며 네 입술 위에 함께 있게 함이 아름다우니라 22:19 내가 네게 여호와를 의뢰하게 하려 하여 이것을 오늘 특별히 네게 알게 하였노니 22:20 내가 모략과 지식의 아름다운 것을 너를 위해 기록하여 22:21 네가 진리의 확실한 말씀을 깨닫게 하며 또 너를 보내는 자에게…

箴言 黙想 【主に造られたもの】20231124(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

箴言 22:1-16 22:1 名声は多くの富より望ましく、愛顧を受けることは銀や金にまさる。 22:2 富む者と貧しい者が出会う。どちらもみな、造られたのは主である。 22:3 賢い者はわざわいを見て身を隠し、浅はかな者は入って行って痛い目にあう。 22:4 へりくだりと、主を恐れることの報いは、富と誉れといのち。 22:5 曲がった者の道には茨と罠がある。たましいを守る者はこれらから遠く離れる。 22:6 若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。 22:7 富む者は貧しい者を支配する。借りる者は貸す者のしもべとなる。 22:8 不正を蒔く者はわざわいを刈り取る。こうして彼への激しい怒りのむちは終わる。 22:9 善意の人は祝福を受ける。自分のパンを貧しい者に与えるからだ。 22:10 嘲る者を追い出せ。争いは出て行く。もめごとも辱めも終わる。 22:11 心のきよさを愛し、優しく話をする者は、王がその友となる。 22:12 主の目は知識を見守り、裏切り者のことばをくつがえす。 22:13 怠け者は言う。「獅子が通りにいる。私は広場で殺される」と。 22:14 よその女の口車は深い穴。主の憤りに触れた者がそこに落ち込む。 22:15 愚かさは子どもの心に絡み付いている。懲らしめのむちがこれを子どもから遠ざける。 22:16 自分を富ませるために貧しい人を虐げる者、富む人に与える者──どちらも欠乏に至るのみ。  先週の主日は感謝の礼拝で、共にに神様に感謝の礼拝を捧げる時間を持ちました。    しかし、戻ってきた現実の中には未だにも細かいことから大きなことまで、感謝の課題とは言えないようなことが起きています。 その中でも確かなことは、「どちらもみな、造られたのは主である。」という御言葉の通り、すべてのことの主が神様であるという事実です。    善である神様が、なぜ私たちをこのような苦難の状況と事柄の前に立たせるのでしょうか。 私たちはこのような悩みの中で、御言葉を通して慰めを得ることができます。    イスラエルの民の出エジプトの当時、安全にそこから抜け出すことができたはずのイスラエルの民たちに、神様はファラオの心を頑なにされ、彼らの後を追わせました。 家族と共にに幸せな日々を過ごしていたヨブに、神様はサタンの試みを許しました。 木にかけられた者は神にのろわれた者(申21:23)という御言葉と共に、御自分の子イエス·キリストを十字架につけられるようにしました。    このような苦難の時を過ぎて、彼らに与えられたものは何でしたか。 それは、神様の完全な栄光でした。 神様は私たちに自分の完全な栄光を見せるために、その栄光に私たちを加えるために、この世の悪そうなものまで善のために用いておられます。    私たちの心は子供の心のようで、愚かさに絡み付かれています。 しかし、神様の懲らしめの鞭は、この愚かさを追い出し、私たちを愚かな者の道ではなく知恵のある者の道に導いてくださいます。    私たちの人生に苦難は確かに訪れてくるでしょう。 誰かは今、その苦難の時を過ごしているかもしれません。…

잠언 묵상 【모든 것이 주의 것】 20231124(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

잠언 22:1-16 22:1 많은 재물보다 명예를 택할 것이요 은이나 금보다 은총을 더욱 택할 것이니라 22:2 가난한 자와 부한 자가 함께 살거니와 그 모두를 지으신 이는 여호와시니라 22:3 슬기로운 자는 재앙을 보면 숨어 피하여도 어리석은 자는 나가다가 해를 받느니라 22:4 겸손과 여호와를 경외함의 보상은 재물과 영광과 생명이니라 22:5 패역한 자의 길에는 가시와 올무가 있거니와 영혼을 지키는 자는 이를 멀리 하느니라 22:6 마땅히…

箴言 黙想 【悪しきもの捕り方】20231123(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

箴言 21:15~3121:15 公正が行われることは、正しい人には喜び、不法を行う者には恐怖。21:16 賢明さへの道から迷い出る人は、死者の霊たちの集いで安らぐ。21:17 快楽を愛する者は貧しい人となり、ぶどう酒や油を愛する者は富むことがない。21:18 悪しき者が正しい人のための身代金となり、裏切り者が直ぐな人の身代わりとなる。21:19 争い好きで、苛立つ女といるよりは、荒野に住むほうがまだましだ。21:20 知恵のある者の住まいには、好ましい財宝と油がある。しかし、愚かな人はこれを吞み尽くす。21:21 義と恵みを追い求める者は、いのちと義と誉れを見出す。21:22 知恵のある者は勇士たちの町に攻め上り、その頼みとする砦を崩す。21:23 自分の口と舌を守る者は、自分自身を守って苦難にあわない。21:24 横柄で不遜な者、その名は「嘲る者」。彼は憤然として横柄にふるまう。21:25 怠け者の欲望はその身を殺す。その手が、働くことを拒むからだ。21:26 この者は一日中、自分の欲望に明け暮れる。しかし、正しい人は人に与えて惜しまない。21:27 悪しき者のいけにえは忌み嫌われる。悪意をもって献げるときは、なおさらのこと。21:28 偽りの証人は滅びる。しかし、よく聞く者は正しく語り続ける。21:29 悪しき者は厚かましいが、直ぐな人は自分の道をわきまえる。21:30 どんな知恵も英知も、はかりごとも、主の前では無きに等しい。   「21:22 知恵のある者は勇士たちの町に攻め上り、その頼みとする砦を崩す。」ライオンが自分より大きな獲物を狩る時、首をくわえて垂れ下がって息を止めます。ライオンから逃げられないと命を奪われますが、狩りをするライオンもリスクを抱えて狩りをします。怠けたり、失敗すると、飢えなければならず、死ななければなりません。狩る獣と逃げる獣が皆命をかけています。だから怠けてはいけないしし、恐れてもいけません。勇気を出して獲物を捕まえて、あっという間に息の根を止めなければなりません。   「まず強い者を縛り上げるのでなければ、強い者の家に入って家財を奪い取ることが、どうしてできるでしょうか。縛り上げれば、その家を略奪できます。マタイ12:29」 これは盗みの要領を教えたことではありません。イエス様が悪しきものを追い出されえる時に言われたことです。聖霊がおられるので悪しきものを追い出すことができます。だから、聖霊を冒涜してはならないと言われたのです。他人に勝つためには最も強いものを攻めなければならず、自分に勝つためには日常の習慣で最も恐いもの、最も避けたいものの息の根を止めなければなりません。   「21:26 この者は一日中、自分の欲望に明け暮れる。しかし、正しい人は人に与えて惜しまない。」計算が速い人は、利益と損害をすばやく数え、交渉します。計算に遅い私としてはうらやましい能力です。ところが、神様の算数はそれとは違います。使うのに減らず、汲み出すのにも枯れません。握りしめても漏れますが、手放しても満たされます。財政において信仰の挑戦にならない人は算数が速すぎるからでしょう。財政において神様を信じることができなければ、他のことからも神様を信じることはできません。信仰の挑戦ができないのは、算数力が速いからです。「21:30どんな知恵も英知も、はかりごとも、主の前では無きに等しい。」知恵より、英知より、はかりよりも神様の側に立つ方が利益です。 計算と決算は神様が行われます。

잠언 묵상 【귀신 잡는 법】 20231123(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

잠언 21:15~3121:15 공의를 행하는 것이 의인에게는 즐거움이요 죄인에게는 패망이니라21:16 명철의 길을 떠난 사람은 사망의 회중에 거하리라21:17 연락을 좋아하는 자는 가난하게 되고 술과 기름을 좋아하는 자는 부하게 되지 못하느니라21:18 악인은 의인의 대속이 되고 궤사한 자는 정직한 자의 대신이 되느니라21:19 다투며 성내는 여인과 함께 사는 것보다 광야에서 혼자 사는 것이 나으니라21:20 지혜있는 자의 집에는 귀한 보배와 기름이…