コロサイ人への手紙 黙想 【お祈りで始める】20231209(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

コロサイ人への手紙 4:1-9 4:1 主人たちよ。あなたがたは、自分たちも天に主人を持つ者だと知っているのですから、奴隷に対して正義と公平を示しなさい。 4:2 たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。 4:3 同時に、私たちのためにも祈ってください。神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように祈ってください。この奥義のために、私は牢につながれています。 4:4 また、私がこの奥義を、語るべき語り方で明らかに示すことができるように、祈ってください。 4:5 外部の人たちに対しては、機会を十分に活かし、知恵をもって行動しなさい。 4:6 あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味の効いたものであるようにしなさい。そうすれば、一人ひとりにどのように答えたらよいかが分かります。 4:7 私の様子はすべて、愛する兄弟、忠実な奉仕者、主にある同労のしもべであるティキコが、あなたがたに知らせます。 4:8 ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って、心に励ましを受けるためです。 4:9 また彼は、あなたがたの仲間の一人で、忠実な、愛する兄弟オネシモと一緒に行きます。この二人がこちらの様子をすべて知らせます。  コロサイ人への手紙の最後の章に入り、パウロはコロサイの聖徒たちに忠告します。 その忠告の最初の内容は「お祈り」でした。    教会は当時のパウロのように、様々な責務を果たしています。 伝道と救済、教え、慰めなど世の中に向かって、そしてお互いに向かって愛をもって献身することです。 そして今日使徒パウロはそのすべてのことに先立ち、「たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。」と忠告します。    私たちはお祈りお通して私たちの弱さに気づき、神様に頼ることができます。 お祈りから始めないことは、私たちの力でやっていこうとするようなものです。    使徒パウロは自分の弱さを、そしてすべての教会と聖徒の弱さを確かに知っていました。 だからこそ、自分たちの力ではなく、神様から与えられる力ですべてのことをしていけるように、すべてのことをお祈りから始めることを忠告したのです。    お祈りは私たちを謙遜の道に導いてくれます。 そして神様は私たちのその謙遜を通して私たちに働いてくださいます。 日々私たちの力ではできないということを認めながら、折りにかなった助けを受けられる恵みの御座の前に近づいていくお祈りを通して神様と共に生きていく私たちになっていきたいと思います。 https://youtu.be/RCudJn-zWJs?si=ENWvXE_JW6Rcq1df

골로새서 묵상 【기도로 시작하기】 20231209(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

골로새서 4:1-9 4:1 상전들아 의와 공평을 종들에게 베풀지니 너희에게도 하늘에 상전이 계심을 알지어다 4:2 기도를 계속하고 기도에 감사함으로 깨어 있으라 4:3 또한 우리를 위하여 기도하되 하나님이 전도할 문을 우리에게 열어 주사 그리스도의 비밀을 말하게 하시기를 구하라 내가 이 일 때문에 매임을 당하였노라 4:4 그리하면 내가 마땅히 할 말로써 이 비밀을 나타내리라 4:5 외인에게 대해서는 지혜로 행하여 세월을 아끼라 4:6 너희 말을…

コロサイ人への手紙 黙想 【主に対して】20231208(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

コロサイ人への手紙 3:18-25 3:18 妻たちよ。主にある者にふさわしく、夫に従いなさい。 3:19 夫たちよ、妻を愛しなさい。妻に対して辛く当たってはいけません。 3:20 子どもたちよ、すべてのことについて両親に従いなさい。それは主に喜ばれることなのです。 3:21 父たちよ、子どもたちを苛立たせてはいけません。その子たちが意欲を失わないようにするためです。 3:22 奴隷たちよ、すべてのことについて地上の主人に従いなさい。人のご機嫌取りのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れつつ、真心から従いなさい。 3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。 3:24 あなたがたは、主から報いとして御国を受け継ぐことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。 3:25 不正を行う者は、自分が行った不正を報いとして受け取ることになります。不公平な扱いはありません。  客をもてなすことは、単にその客をもてなすことにとどまるのではなく、その客を遣わした人をもてなすことと同じだと思われています。 現代でも各国の外交官をもてなす態度がその国に対する態度だとみなされています。    私たちはキリストに仕える人であることをパウロは明確にすると同時に、何をするにもすべての人に主に対してするようにと言っています。 その理由は、昨日の本文の言葉のようにキリストがすべてであり、すべての中におられるからです。    私たち一人一人は、私たちがキリストから遣わされた人であることを覚え、私たちのために十字架につけられたキリストを覚え、私たちに任せされた使命があること、その任せされた使命に献身しなければなりません。 しかし、それと同時に、私がキリストから遣わされた人であると同じく、私の隣の人もキリストから遣わされた人であることを覚えなければなりません。    与えられた家庭、日々の生活のところ、すべての瞬間の中にキリストはおられます。 そのため、私たちはすべてのことにキリストにするように、さらに進んで、ようにする間接的な献身ではなく、すべてのことがキリストに向かう直接的な献身になることを覚えなければなりません。    私たち一人一人はキリストから遣わされた者で、十字架で対価を払って救い出された尊い存在です。 だからこそ、私たちの主である神様を愛し、私を愛するべきです。 同時に、私のように神様に愛されている尊い存在である隣人を愛するべきです。 だからこそ聖書は、隣人を自分のように愛しなさいと命じているのです。 私の誇りがキリスト以外には一つもないと告白したように、私たちの隣人もその価値が人にあるのではなく、すべての中におられるキリストにあるからです。    時にはどうしても愛せないような時もありますが、心を尽くして主に対してするようにし、人にするようにしないこと、その人を見るのではなく、その人の中におられるキリストを見て愛することが私たちが互いに愛することができる理由となるでしょう。 https://youtu.be/AIvLEBfQ8J8?si=RYMobJrGMW19UQ96

골로새서 묵상 【주께 하듯】 20231208(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

골로새서 3:18-25 3:18 아내들아 남편에게 복종하라 이는 주 안에서 마땅하니라 3:19 남편들아 아내를 사랑하며 괴롭게 하지 말라   3:20 자녀들아 모든 일에 부모에게 순종하라 이는 주 안에서 기쁘게 하는 것이니라 3:21 아비들아 너희 자녀를 노엽게 하지 말지니 낙심할까 함이라 3:22 종들아 모든 일에 육신의 상전들에게 순종하되 사람을 기쁘게 하는 자와 같이 눈가림만 하지 말고 오직 주를 두려워하여…

コロサイ人への手紙 黙想 【聖者か、聖徒か】20231207(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

コロサイ 3:12~173:12 ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。3:13 互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。3:14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。3:16 キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。3:17 ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行いなさい。   コロサイ人への手紙の前半部の教理的な内容はキリストがすべて、宇宙万物のかしらなるキリスト、すなわちキリスト論です。キリストを証していた手紙はキリストによって生まれ変わった聖徒の身分について話し、3章の後半の今日の本文では教会を構成する聖徒の倫理的な生き方について話しています。キリスト論から教会論が出なければならなかったのは、キリストに出会った人々は教会が建てられなければならなかったからです。パウロは続いて聖徒の倫理的生活について話しましたが、キーワードは、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容、忍耐、赦し合い、愛です。これは前の内容とつながりはないでしょうか。その人格の程度、倫理と道徳というものは、キリスト論から続く教会論とは別のものでしょうか?   今日の本文には、慈愛と親切のような肯定的なおすすめですが、ある書簡では否定的な弊害と罪を厳格に禁止する倫理もあります。パウロが言うすべての倫理は一貫して「教会のための倫理」です。人間が宗教的遂行を通じて到達しなければならない聖化の状態を求めているのではなく、教会の中での葛藤と問題を解決するための関係上の配慮と注意を呼びかけているのです。深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容、忍耐、赦し合い、愛を言い換えると、教会の中で気に入らない人がいても哀れみ、自分自身を振り返ってへりくだる、戦わずに、穏やかに話し、嫌ても我慢し、受け入れ、赦し合い、やがて愛することができるようにすることです。   ところが、時間が経って本来の意味を誤解した時代は、それを守ることが救いの条件であるかと思い、律法主義の罠に陥りました。それで守れない自分、意志が働かない自分を悲観して自責しました。しかし、その本来の目的は欲望と罪から完全に抜け出した聖者になることではなかったのです。不完全な人間が構成する教会を秩序あるものにするための訴えていたのです。パウロの口調はこんなものです。「教会の中で憎み合い、戦い合い、悪口を言い合えばキリストの名はどうなりますか?信じると言いながら教会の外でそんな悪いことをしたら教会の顔はどうなりますか?   私が普段追い求める教会論は今日の本文16節です。「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。16」言葉が牧師にあるのではなく、聖徒の中に豊かにあると言いました。そんな人たちが集まって知恵の言葉で教え合います。相互効果です。教えながら学び、学びながら教えます。詩と賛美と霊の歌は詩篇と賛美歌を歌おうではなく、自分の告白の詩を書き、歌を歌うということです。コロサイ教会がパウロの言葉を聞いて実践していたら、御言葉と教育と賛美が聖徒によって主体的な教会になったと思います。

골로새서 묵상 【성자인가 성도인가】 20231207(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

골로새서 3:12~173:12 그러므로 너희는 하나님의 택하신 거룩하고 사랑하신 자처럼 긍휼과 자비와 겸손과 온유와 오래 참음을 옷입고3:13 누가 뉘게 혐의가 있거든 서로 용납하여 피차 용서하되 주께서 너희를 용서하신 것과 같이 너희도 그리하고3:14 이 모든 것 위에 사랑을 더하라 이는 온전하게 매는 띠니라3:15 그리스도의 평강이 너희 마음을 주장하게 하라 평강을 위하여 너희가 한 몸으로 부르심을 받았나니 또한…

コロサイ人への手紙 黙想 【天においても地においても、すべての権威】20231206(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

コロサイ 3:1~113:1 こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。3:2 上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。3:3 あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。3:4 あなたがたのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに栄光のうちに現れます。3:5 ですから、地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝です。3:6 これらのために、神の怒りが不従順の子らの上に下ります。3:7 あなたがたも以前は、そのようなものの中に生き、そのような歩みをしていました。3:8 しかし今は、これらすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、ののしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを捨てなさい。3:9 互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、3:10 新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。3:11 そこには、ギリシア人もユダヤ人もなく、割礼のある者もない者も、未開の人も、スキタイ人も、奴隷も自由人もありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。 【1節】から、イエス様は今、上におられ、神様の右の座に着いておられることが分かりました。「ローマ 8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」   【2節】から、ですから、地上に生きる私は地上のものに執着せず、上のものを追い求めるべきであるということが分かりました。「ピリピ3:14 キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。」   【3節】から、私はすでに死んだものですが、イエス様によって神様のうちに私の命が保管されていることが分かりました。「ピリピ3:20 ただ私たちの市民権は天にあり、そこで救う者、すなわち主イエス·キリストを待ちます」   【4節】から、イエス様がもう一度地上に来られることが分かりました。その時は私も栄光の肉体として復活することを知りました。「使徒1:11 そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」「ローマ8:11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」   【5節】から、ですから、偶像を捨てなければならないことが分かりました。私の貪欲と執着が淫乱と腐敗という偶像を作っていることが分かりました。「エペソ5:5 このことをよく知っておきなさい。淫らな者、汚れた者、貪る者は偶像礼拝者であって、こういう者はだれも、キリストと神との御国を受け継ぐことができません。」   【6節】から、貪心に執着し、淫乱に中毒する偶像崇拝の結果は神様の怒りであることが分かりました。「エペソ2:3 私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」   【7節】から、イエス様を信じる前とイエス様を信じた後に私の身分がどのように変わったのかが分かりました。「ヨハネ1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」   【8節】から、共同体は暴力的で悪意のある紛争を止めなければならないことが分かりました。「ピリピ2:3 何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。」   【9節】から、嘘と偽善を捨てなければならないことが分かりましたた。「エペソ4:25 ですから、あなたがたは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。私たちは互いに、からだの一部分なのです。」   【10節】から、身分を変えてくださった福音の恵みが何なのか、正しく理解しなければならないことが分かりました。「Ⅱコリント5:17 ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」   【11節】から、救いには人種と民族と社会的身分に差別がなく、その根拠は救いを施すイエス様がすべてのものの主であるということが分かりました。「ガラテヤ3:28 ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。」「マタイ28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。」   今朝も告白します。 ファンタ·キリスト(πάντα Χριστός)!キリストがすべてです。

골로새서 묵상 【하늘과 땅의 모든 권세】 20231206(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

골로새서 3:1~113:1 그러므로 너희가 그리스도와 함께 다시 살리심을 받았으면 위엣 것을 찾으라 거기는 그리스도께서 하나님 우편에 앉아 계시느니라3:2 위엣 것을 생각하고 땅엣 것을 생각지 말라3:3 이는 너희가 죽었고 너희 생명이 그리스도와 함께 하나님 안에 감취었음이니라3:4 우리 생명이신 그리스도께서 나타나실 그 때에 너희도 그와 함께 영광 중에 나타나리라3:5 그러므로 땅에 있는 지체를 죽이라 곧 음란과 부정과…

コロサイ人への手紙 黙想 【実体と影】20231205(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

コロサイ 2:16~232:16 こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは祭りや新月や安息日のことで、だれかがあなたがたを批判することがあってはなりません。2:17 これらは、来たるべきものの影であって、本体はキリストにあります。2:18 自己卑下や御使い礼拝を喜んでいる者が、あなたがたを断罪することがあってはなりません。彼らは自分が見た幻に拠り頼み、肉の思いによっていたずらに思い上がって、2:19 かしらにしっかり結びつくことをしません。このかしらがもとになって、からだ全体は節々と筋によって支えられ、つなぎ合わされ、神に育てられて成長していくのです。2:20 もしあなたがたがキリストとともに死んで、この世のもろもろの霊から離れたのなら、どうして、まだこの世に生きているかのように、2:21 「つかむな、味わうな、さわるな」といった定めに縛られるのですか。2:22 これらはすべて、使ったら消滅するものについての定めで、人間の戒めや教えによるものです。2:23 これらの定めは、人間の好き勝手な礼拝、自己卑下、肉体の苦行のゆえに知恵のあることのように見えますが、何の価値もなく、肉を満足させるだけです。 レビ記11章には、不正な食べ物を禁じる規定があります。ユダヤ人はそれを徹底的に守っていました。初代教会は、ユダヤ人と非ユダヤ人が共存する教会の中で、食べ物の規定をどのように適用しなければならないか悩みました。食べ物の規定だけでなく、ユダヤ人たちは祭りと安息日を徹底的に守りました。それは当時、宗教的義務でもあり、それはすなわち、信仰の賞罰を決めることでもあると思っていました。宗教が形式に流れると、その宗教の中で信仰は居場所はなくなります。初代教会は果敢に形を破ります。使徒の働き15章を見ると、パウロが1次伝道を終えた後に開かれた第1回エルサレム会議で、非人間的、非道徳的な幾つかの禁忌を除いて食べ物規定は廃止しました。 パウロはコロサイ教会にこのような食べ物の問題や祭りの問題で批判されることに意に介しないと言います。主を信じ、主を従う聖徒なら、全ての人に良い評判を受けることはできません。もし、社会と共有する規則を破った理由で非難されることがあれば、それは恥ずかしいことですが、信仰の理由で社会的に認められず、非難されることがあれば、甘受しなければなりません。損得を考え、卑劣になってはいけません。それは、信仰を証明するチャンスでもあるためです。むしろ喜ぶことです。神様から与えられた食べ物そのものが神様ではなく、神様を記念する祭りそのものが神様ではありません。主日聖守をしなければ救われないことではなく、救われた聖徒が主の日に共同体の礼拝と奉仕を誠実に守ることです。 パウロはこう言いました。「これらは、来たるべきものの影であって、本体はキリストにあります。17」旧約は新約の模型であり、影です。ユダヤ人が守らなければならなかった食べ物と祭りは影であって、その影を作る体、すなわち実体は、イエス・キリストなのです。模型と影で啓示されていたのが律法であり、今はイエス様が体を持って来られたのでその実体が現れたわけであります。だから、私たちは模型と影である律法の文字に従うことではなく、原型と実体であるイエス・キリストを通して学ばなければなりません。パウロが政治的かつ宗教的なテロを覚悟しながらこの非真理を攻めるのは、宗教的な非真理が福音の真理を隠して人々をだましてからです。パウロは聖徒たちに何かを守らせることではなく、キリストの福音に会わせようとしています。世と人は変質する存在です。絶えず福音に回帰しなければなりません。  

골로새서 묵상 【실체와 그림자】 20231205(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

골로새서 2:16~232:16 그러므로 먹고 마시는 것과 절기나 월삭이나 안식일을 인하여 누구든지 너희를 폄론하지 못하게 하라2:17 이것들은 장래 일의 그림자이나 몸은 그리스도의 것이니라2:18 누구든지 일부러 겸손함과 천사 숭배함을 인하여 너희 상을 빼앗지 못하게 하라 저가 그 본 것을 의지하여 그 육체의 마음을 좇아 헛되이 과장하고2:19 머리를 붙들지 아니하는지라 온 몸이 머리로 말미암아 마디와 힘줄로 공급함을 얻고…