マルコの福音書 黙想 【からし種と水上歩行】20240111(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

マルコの福音書 4:30~41 4:30 またイエスは言われた。「神の国はどのようにたとえたらよいでしょうか。どんなたとえで説明できるでしょうか。4:31 それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときは、地の上のどんな種よりも小さいのですが、4:32 蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張って、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」4:33 イエスは、このような多くのたとえをもって、彼らの聞く力に応じてみことばを話された。4:34 たとえを使わずに話されることはなかった。ただ、ご自分の弟子たちには、彼らだけがいるときに、すべてのことを解き明かされた。4:35 さてその日、夕方になって、イエスは弟子たちに「向こう岸へ渡ろう」と言われた。4:36 そこで弟子たちは群衆を後に残して、イエスを舟に乗せたままお連れした。ほかの舟も一緒に行った。4:37 すると、激しい突風が起こって波が舟の中にまで入り、舟は水でいっぱいになった。4:38 ところがイエスは、船尾で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と言った。4:39 イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。4:40 イエスは彼らに言われた。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」4:41 彼らは非常に恐れて、互いに言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」   今日の本文では2つの話があります。一つはからしの種の比喩で、もう一つは嵐を静めたイエス様の話です。からしの種は小さいですが、種の中には、すでに決まっている予定があり、計画されているDNAがあります。種が畑に落ち、雨が降り、日光を浴びると、そこから芽生え、大きな木となり、実が結ばれます。それは奇跡であると同時に明らかな現実です。植えると芽が出て木から実が結ぶということは日常にいつもある奇跡です。植物学者は植物の現象を研究し、その構造の秘密を見つけようとしますが、最も上位の原因というのは、神様の創造秩序です。   続いてイエス様が嵐を静めたエピソードが出てきます。これはイエス様が世の秩序と自然の法則の支配者であることを知らせるためです。からしの種の中に大きな木を成すDNAがあるということは、創造主が自然に秩序をお造りになったからであるように、イエス様が自然の法則を造られ、今も支配されているから御言葉で嵐を静めることができました。それを認め、信じることが知識であり、知恵です。その信仰があるこそ、世の中の現象を矛盾なく理解することができます。   イエス様は人々に比喩で教えました。比喩で教えられたのは、「考える機会を与えるため」です。答えを教えても答えは理解できず、その答えを覚えることもないからです。自分で考えなければなりません。考えると理解し、その知識と知恵を所有します。イエス様は嵐を静め、弟子たちはそれを目撃しました。見たことにとどまりません。「いったいこの方はどなたなのだろうか」と考えました。そして、それぞれの結論を出します。神秘を見たからではなく、告白したからです。告白できる人なら、人生に荒波がきても立ち向かうことができると思います。イエスの中にいるからです。

마가복음 묵상 【겨자나무와 수상보행】 20240111(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

마가복음 4:30~41 4:30 또 가라사대 우리가 하나님의 나라를 어떻게 비하며 또 무슨 비유로 나타낼꼬4:31 겨자씨 한 알과 같으니 땅에 심길 때에는 땅위의 모든 씨보다 작은 것이로되4:32 심긴 후에는 자라서 모든 나물보다 커지며 큰 가지를 내니 공중의 새들이 그 그늘에 깃들일만큼 되느니라4:33 예수께서 이러한 많은 비유로 저희가 알아 들을 수 있는대로 말씀을 가르치시되4:34 비유가 아니면 말씀하지…

マルコの福音書 黙想 【聞く耳があるものだけ、聞きなさい】20240110(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

マルコの福音書 4:21~29 4:21 イエスはまた彼らに言われた。「明かりを持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。4:22 隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので、明らかにされないものはありません。4:23 聞く耳があるなら、聞きなさい。」4:24 また彼らに言われた。「聞いていることに注意しなさい。あなたがたは、自分が量るその秤で自分にも量り与えられ、その上に増し加えられます。4:25 持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っているものまで取り上げられてしまうからです。」4:26 またイエスは言われた。「神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、4:27 夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。4:28 地はひとりでに実をならせ、初めに苗、次に穂、次に多くの実が穂にできます。4:29 実が熟すと、すぐに鎌を入れます。収穫の時が来たからです。」   「イエスはまた彼らに言われた。「明かりを持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。21」灯りをつけると、それを隠したり、覆ったりせずに上に置いて光が照らすようにします。だからといって、この話をする時、聖徒に光になって光を照らすようにという意味で言われたことではありません。光があれば、それは必ず現れるようになるという真理について語られました。「隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので、明らかにされないものはありません。22」真理なら、それは変わったり、退いたりすることはありません。明らかに現れます。ですから、光を放ちようとしたり、光を当てようとしなくてもいいのです。光であるなら隠せなく、輝きますし、真理であるなら必ず明らかになるからです。   軍隊時代、山で子兎を追ったことがあります。ウサギが逃げていて捕まりそうだから草むらに頭をぶつけました。自分の目に見えないから隠れたと思ったのです。人はこれと違うんでしょうかね?手で目を覆うと何も見えません。愚かな人間は、だから自分の手のひらがすべてだと思います。この時代は、そのような人を理性的で合理的な人だと言います。目に見えることを論理的にしゃべることだけに同意します。神様について言えば、非理性的で非科学的だと思います。そのため、科学というものは1つの不完全な宗教になってしまいました。手のひらで隠したのは空ではなく、自分の目です。   それで「量りなさい」と言います。「また彼らに言われた。「聞いていることに注意しなさい。あなたがたは、自分が量るその秤で自分にも量り与えられ、その上に増し加えられます。24」目隠しをしたまま何もないと言い張らず、注意深く聞き、理解し、受け入れるということです。見えるものがすべてではないということは、続く農夫の種まきの話を通してより明らかになります。神の国は種をまくようなものだと言われました。農夫は収穫するために一年中休む暇もなく働きます。しかし農夫たちは種まきはしますが、その種の中に何が入っているかはわかりません。農夫は種を作らないし、実を作ることもありません。種をまくだけ、それを管理するだけ、そうするうちに季節が変わり、実が結ばれたらそれを収穫するだけです。光は今も輝いていて、真理は今もこの世を支配しています。草むらに頭を突っ込んだウサギが、手のひらで目を隠した人間がそれを認めないだけです。聞かない人、考えない人、信じない人の方が多いです。そこでイエス様の切ない訴えは、「聞く耳があるなら、聞きなさい。23」でした。

마가복음 묵상 【귀 있는 자만 들으라】 20240110(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

마가복음 4:21~29 4:21 또 저희에게 이르시되 사람이 등불을 가져오는 것은 말 아래나 평상 아래나 두려 함이냐 등경 위에 두려 함이 아니냐4:22 드러내려 하지 않고는 숨긴 것이 없고 나타내려 하지 않고는 감추인 것이 없느니라4:23 들을 귀 있는 자는 들으라4:24 또 가라사대 너희가 무엇을 듣는가 스스로 삼가라 너희의 헤아리는 그 헤아림으로 너희가 헤아림을 받을것이요 또 더 받으리니4:25…

マルコの福音書 黙想 【良い地に蒔かれた種】20240109(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

マルコの福音書 4:1~204:1 イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。非常に多くの群衆がみもとに集まったので、イエスは湖で、舟に乗って腰を下ろされた。群衆はみな、湖の近くの陸地にいた。4:2 イエスは、多くのことをたとえによって教えられた。その教えの中でこう言われた。4:3 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。4:4 蒔いていると、ある種が道端に落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。4:5 また、別の種は土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったのですぐに芽を出したが、4:6 日が昇るとしおれ、根づかずに枯れてしまった。4:7 また、別の種は茨の中に落ちた。すると、茨が伸びてふさいでしまったので、実を結ばなかった。4:8 また、別の種は良い地に落ちた。すると芽生え、育って実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」4:9 そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」4:10 さて、イエスだけになったとき、イエスの周りにいた人たちが、十二人とともに、これらのたとえのことを尋ねた。4:11 そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の奥義が与えられていますが、外の人たちには、すべてがたとえで語られるのです。4:12 それはこうあるからです。『彼らは、見るには見るが知ることはなく、聞くには聞くが悟ることはない。彼らが立ち返って赦されることのないように。』」4:13 そして、彼らにこう言われた。「このたとえが分からないのですか。そんなことで、どうしてすべてのたとえが理解できるでしょうか。4:14 種蒔く人は、みことばを蒔くのです。4:15 道端に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです。みことばが蒔かれて彼らが聞くと、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを取り去ります。4:16 岩地に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです。みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れますが、4:17 自分の中に根がなく、しばらく続くだけです。後で、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。4:18 もう一つの、茨の中に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いたのに、4:19 この世の思い煩いや、富の惑わし、そのほかいろいろな欲望が入り込んでみことばをふさぐので、実を結ぶことができません。4:20 良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちのことです。」   マルコの福音書の種まき例え話は共観福音書に共通して出てくる話しです。この比喩についてあらゆる解釈はありますが、核心的なテーマは難しくありません。イエス様が4章後半に直接教えてくださった解釈があるからです。イエス様の解釈を無視して任意的で恣意的な解釈をしてはいけません。   イエス様の解釈によると、14節で種をまくということは御言葉を伝えるということです。そして15節で御言葉が道端に蒔かれたということは、御言葉を聞く人が聞こうともしないということです。救いの御言葉、命の御言葉でも聞き手が聞こうともしないので小言に過ぎません。確かに聞く機会はありましたが、聞きませんでした。それが道端です。もう物理的に排斥しました。だから自分の中に化学反応が起こる余地はありません。考えない人が神様を信じることはできません。   2つ目、岩地に蒔かれたということは、聞いたことは確かにあります。しかし、それを消化せずに吐き出してしまう人です。反対による不利益の恐れがあるからです。社会的かつ経済的な不利益です。イエス様を信じることに不利益が生じると、すぐに裏切り、去っていきます。それは最初から信じたことではありません。利害によって振り回される人は信仰の根を下ろすことができません。   3つ目は、茨の中に蒔かれたのです。礼拝堂に来て聞くことは聞きますが、礼拝堂の外に出れば、世の心配と経済の誘惑と欲が入り、変わってしまいます。欲が御言葉に勝ちます。価値観が違うからです。神様の御言葉を受けるためには価値観が神様の国の価値観に変えなければならないですが、世の中の価値観に留まっているから、神様の御言葉を裏切ることになります。。   20節の良い地に撒かれた御言葉は30倍と60倍と100倍の結実を結ぶと言いました。 これは、御言葉を心に留め、生活でに実践した人です。神様の御言葉を自分の価値化にした人です。解釈するまでもなく、この例えばなしぼ地は人の心です。聞こうともしない人はどんなに時間が経っても聞きませんし、聞き流してしまう人には何の変化も起こりません。聞いてから心に感動を受けても生活の心配があると、必ず神様の御言葉をあきらめます。   しかし、神の御言葉に従う人は100倍の実を結ぶことになります。これが信仰のチャンスです。力は人にあるのではなく、神にあります。私はそれを信じます。サタンは生活を食いしばります。私たちは神に仕えるか、生活に仕えるかのどちらかに仕えなけらばなりません。神様は信仰を見ておられます。そして実を結ばせる方は神様です。神様の御言葉に対して献身しない人は、決して神様を経験することはできません。

마가복음 묵상 【좋은 땅에 뿌려진 씨】 20240109(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

마가복음 4:1~20 4:1 예수께서 다시 바닷가에서 가르치시니 큰 무리가 모여 들거늘 예수께서 배에 올라 바다에 떠 앉으시고 온 무리는 바다 곁 육지에 있더라4:2 이에 예수께서 여러가지를 비유로 가르치시니 그 가르치시는 중에 저희에게 이르시되4:3 들으라 씨를 뿌리는 자가 뿌리러 나가서4:4 뿌릴쌔 더러는 길 가에 떨어지매 새들이 와서 먹어 버렸고4:5 더러는 흙이 얇은 돌밭에 떨어지매 흙이 깊지…

箴言 黙想 【統治者】20231230(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

箴言 31:1-9 31:1 マサの王レムエルが母から受けた戒めのことば。 31:2 私の子よ、何を語ろうか。私の胎の子よ、何を語ろうか。私の誓願の子よ、何を語ろうか。 31:3 あなたの力を、女たちに費やしてはいけない。王を滅ぼす者たちに、歩みを委ねてはいけない。 31:4 レムエルよ、これは王がすることではない。ぶどう酒を飲むのは王がすることではない。強い酒を飲むのは君主がすることではない。 31:5 酒を飲んで、定められたことを忘れ、苦しむ者みなへのさばきを曲げるといけないから。 31:6 強い酒は滅びようとしている者に、ぶどう酒は心の痛んでいる者に与えなさい。 31:7 その人は飲んで自分の貧しさを忘れ、もう自分の労苦を思い出すことはない。 31:8 口のきけない人のために、口を開きなさい。すべての不幸な人の訴えのために。 31:9 口を開いて、正しくさばき、苦しむ人や貧しい人のためにさばきを行いなさい。  今日の箴言は、王と主権者の統治について教えています。 今日の箇所の王の母親は、自分の息子に王として備えるべき徳目について教えています。    治めるということは本当に負担が大きいことです。 自分の小さなミス一つで治めていたすべてのことが苦しんで、崩れてしまうかも知れない恐れを感じるしかない重い責任を持っている座であるでしょう。だからこそ、いつも神様の御前に立って任せられた仕事にまっとうしなければならない者です。    私たちは国を治める王ではありません。時には自分が治めているものが何一つもないと思うかもしれません。しかし、私たち人間という存在は創造された最初の時から与えられた神様の命令があります。それはこの被造世界を治めることです。私たちは神様の統治を実践する代理者としてこの地での責務にまっとうしなければならないのです。    当時、神様の命令を受けてこの地の最初の統治の代理者となったアダムとエバの犯罪による堕落、その堕落の結果は単純に人間を変えただけでなく、彼らが統治していたこの被造世界も堕落させてしまいました。 これが統治者の影響力です。    そして今の時代は私たちキリスト者一人一人が神様の命令を受けた現在のこの地の統治者です。自分の考えや行動一つも治めることがなかなか難しい私たちに、この世界を治めて管理しなさいという命令は、あまりにも難しい命令として近づいてきます。しかし、意外と私たちが心配することはないかもしれません。 今もなお私たちが影響を受けている統治者は良いお方である神様であるからです。    よく被造世界の堕落は人間の堕落から影響を受けてできたものだと言われます。 それは、堕落した人間が自然を無分別に破壊し、乱して堕落させたのではなく、統治者の堕落とともに堕落してしまっただけだということでしょう。だとしたら、その回復も同様に行われるのではないでしょうか?    本来、神様のかたちとして造られた人間が堕落によってそのかたちを失ったこと、それが私たちが神様が定めたこの世界の秩序、その御言葉に完全に従えない理由となります。従って、神様はそのかたちを回復させるために、神様の秩序を立て直すために私たちに聖霊を送くり、 私たちがその聖霊と共に日々の人生の中で聖火の道を歩んでいけるように助けておられるのです。    自然保護や動物虐待反対などの社会的運動を通してこの世を立て直そうとする努力も良いですが、それは一時的で限定的な処方に過ぎません。私たちが失った神様のかたちを聖霊と共に回復していく運動、それがこの被造世界の統治者としての役割を果たさなければならない私たちの最も重要な目標になるでしょう。 https://youtu.be/n5n4HgpNYB0?si=EDhhZPKZhw6oktLJ

잠언 묵상 【통치자】 20231230(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

잠언 31:1-9 31:1 르무엘 왕이 말씀한 바 곧 그의 어머니가 그를 훈계한 잠언이라 31:2 내 아들아 내가 무엇을 말하랴 내 태에서 난 아들아 내가 무엇을 말하랴 서원대로 얻은 아들아 내가 무엇을 말하랴 31:3 네 힘을 여자들에게 쓰지 말며 왕들을 멸망시키는 일을 행하지 말지어다 31:4 르무엘아 포도주를 마시는 것이 왕들에게 마땅하지 아니하고 왕들에게 마땅하지 아니하며 독주를 찾는 것이 주권자들에게 마땅하지…

箴言 黙想 【秩序と謙遜】20231229(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

箴言 30:15-33 30:15 蛭には二人の娘がいて、「くれ、くれ」と言う。飽くことを知らないものが三つある。いや、四つあって、「もう十分だ」と言わない。 30:16 よみ、不妊の胎、水に飽くことを知らない地、「もう十分だ」と言わない火。 30:17 自分の父を嘲り、母への従順を蔑む目は、谷の烏にえぐり取られ、鷲の子に食われる。 30:18 私にとって不思議なことが三つある。いや、四つあって、私はそれを知らない。 30:19 天にある鷲の道、岩の上にある蛇の道、海の真ん中にある船の道、おとめへの男の道。 30:20 姦淫する女の道もそのとおり。彼女は食べて口をぬぐい、「私は不法を行わなかった」と言う。 30:21 地は三つのことによって震える。いや、四つのことに耐えられない。 30:22 奴隷が王となり、愚か者がパンに満ち足り、 30:23 嫌われた女が夫を得、女奴隷が女主人の代わりとなることだ。 30:24 この地上には小さいものが四つある。それは知恵者中の知恵者だ。 30:25 蟻は力のないものたちだが、夏のうちに食糧を確保する。 30:26 岩だぬきは強くないものたちだが、その巣を岩間に設ける。 30:27 いなごには王はいないが、みな隊を組んで出陣する。 30:28 ヤモリは手で捕まえられるが、王の宮殿にいる。 30:29 歩きぶりの堂々としたものが三つある。いや、堂々と歩くものが四つある。 30:30 獣の中で最も強く、何からも逃げない雄獅子、 30:31 誇らしげに歩くおんどりと雄やぎ、軍隊を引き連れた王。 30:32 もし、あなたが高ぶって、愚かなことをしたり、企んだりしたら、手を口に当てよ。 30:33 乳をかき回すと凝乳ができる。鼻をねじると血が出る。怒りをかき回すと争いが起こる。  箴言が教えている知恵は、神の創造の秩序に従うこと、神が定めたことはその通りに行われるということを知ることから始まります。    箴言の表現は現実的でありながらも、それをそのまま私たちに適用するには少し難解な部分が多くあります。 今日の箇所の表現もそうでしょう。しかし、知恵であるイエス·キリストの教えと共に箴言を読むと、難解な表現であった箴言の教えをどのように私たちに適用すべきかその方向性を分かることができます。    今日の箇所は大きく神の秩序に従わない者の比喩(30:15-23)と神の秩序に従う者の比喩(30:24-33)に分けられています。 そして、それは結局聖書が語っている悪人と義人に対する表現になります。 今日は義人に関する表現について取り上げてみたいと思います。    著者は義認を表現するため、小さくて弱い存在と大きくて強い存在を比喩で取り上げています。 相反する二つの性質の中で、私たちは神の秩序に従う者たちがどんな姿を持っていて、持つことになるのかを同時に見ることができます。    義人は謙遜な存在です。 自ら弱さを認める時、神様はご自分の秩序に従って彼らを最後まで守ってくださいます。 また義人は威風堂々な大きくて強い存在であります。…

잠언 묵상 【질서와 겸손】 20231229(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

잠언 30:15-33 30:15 거머리에게는 두 딸이 있어 다오 다오 하느니라 족한 줄을 알지 못하여 족하다 하지 아니하는 것 서넛이 있나니 30:16 곧 스올과 아이 배지 못하는 태와 물로 채울 수 없는 땅과 족하다 하지 아니하는 불이니라  30:17 아비를 조롱하며 어미 순종하기를 싫어하는 자의 눈은 골짜기의 까마귀에게 쪼이고 독수리 새끼에게 먹히리라 30:18 내가 심히 기이히 여기고도 깨닫지 못하는 것 서넛이…