요한복음 묵상 【헛된 지식】 20250125(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

요한복음 7:25-36 7:25 예루살렘 사람 중에서 어떤 사람이 말하되 이는 그들이 죽이고자 하는 그 사람이 아니냐 7:26 보라 드러나게 말하되 그들이 아무 말도 아니하는도다 당국자들은 이 사람을 참으로 그리스도인 줄 알았는가 7:27 그러나 우리는 이 사람이 어디서 왔는지 아노라 그리스도께서 오실 때에는 어디서 오시는지 아는 자가 없으리라 하는지라 7:28 예수께서 성전에서 가르치시며 외쳐 이르시되 너희가…

ヨハネの福音書 黙想 【無駄な学び】 20250124(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ヨハネの福音書 7:14-24 7:14 祭りもすでに半ばになったころ、イエスは宮に上って教え始められた。 7:15 ユダヤ人たちは驚いて言った。「この人は学んだこともないのに、どうして学問があるのか。」 7:16 そこで、イエスは彼らに答えられた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わされた方のものです。 7:17 だれでも神のみこころを行おうとするなら、その人には、この教えが神から出たものなのか、わたしが自分から語っているのかが分かります。 7:18 自分から語る人は自分の栄誉を求めます。しかし、自分を遣わされた方の栄誉を求める人は真実で、その人には不正がありません。 7:19 モーセはあなたがたに律法を与えたではありませんか。それなのに、あなたがたはだれも律法を守っていません。あなたがたは、なぜわたしを殺そうとするのですか。」 7:20 群衆は答えた。「あなたは悪霊につかれている。だれがあなたを殺そうとしているのか。」 7:21 イエスは彼らに答えられた。「わたしが一つのわざを行い、それで、あなたがたはみな驚いています。 7:22 モーセはあなたがたに割礼を与えました。それはモーセからではなく、父祖たちから始まったことです。そして、あなたがたは安息日にも人に割礼を施しています。 7:23 モーセの律法を破らないようにと、人は安息日にも割礼を受けるのに、わたしが安息日に人の全身を健やかにしたということで、あなたがたはわたしに腹を立てるのですか。 7:24 うわべで人をさばかないで、正しいさばきを行いなさい。」  イエス様の時代に専門的な学びの機会は誰にでも与えられるものではありませんでした。 上流級や特別な人々、ユダヤ人の中では彼らの専門学堂に入ってこそ「学んだ」と言えるほどのものでした。    今日の箇所でイエス様が学んだこともないということ、どうして学問があるのかという表現はこのようなものです。 ユダヤ人たちは基本的に自分たちの言語、ヘブライ語で聖書を読まなければならず、それを何よりも最優先にして子供たちを教育させたので、字を読めないということはありえないことで、聖書の内容を分からないということもありえないことです。    イエス様がどうして学問があるのか、どうして自分たちのユダヤ人の学堂で学んだこともないのに、学んだ者のように教えられるのか、ということです。 このように当時のイエス様の教えは、単純に聖書を読み、その預言を再確認することを越え、その御言葉について専門的に学ぶ者たちが見ても優れたものとされるほど、そして、人の教えではないと思われるほどの教えでした。 しかし、これは当然なことです。 イエス様は自分自身に対する御言葉、神様の御言葉をそのまま伝えただけであるためです。    一方、今日の箇所のユダヤ人たちは、自分たちが誇る学堂で、高い水準の教育を受けてきたはずです。 そして将来には律法学者として、誰かは祭司と大祭司などの、ユダヤ人の指導者に成長する者たちだったはずです。 そのような者たちに、田舎出身のイエス様が「あなたがたはだれも律法を守っていません」と言われたのです。    彼らはモーゼの律法を学び、それに従って生きながらも、真の律法を守ることができませんでした。 彼らはその律法の本当の意味を知らなかったからです。 彼らの学びは無駄な学びだったのです。    私たちの学びも、いつでも無駄になりかねません。 私たちの学びは文字を越えて頭で理解し、心で受け入れ、生き方として生きていく時にやがて真の学びの意味が現れます。 その人生を通してイエス・キリストを表わす時に、私たちが学んだことが無駄なことにならないのです。    私たちは何を学びましたか。 私たちはなぜ学びましたか。 私たちはイエス・·キリストの福音を、救いのために学びました。 学んで確信したところにとどまって、そのことを実践すること、他の人々に伝えること、 私たちがそのために学んだのです。 https://youtu.be/DqVYQ6ZKU_o?si=bPrJU0tfnLC7n5_Z

요한복음 묵상 【헛된 배움】 20250124(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

요한복음 7:14-24 7:14 이미 명절의 중간이 되어 예수께서 성전에 올라가사 가르치시니 7:15 유대인들이 놀랍게 여겨 이르되 이 사람은 배우지 아니하였거늘 어떻게 글을 아느냐 하니 7:16 예수께서 대답하여 이르시되 내 교훈은 내 것이 아니요 나를 보내신 이의 것이니라 7:17 사람이 하나님의 뜻을 행하려 하면 이 교훈이 하나님께로부터 왔는지 내가 스스로 말함인지 알리라 7:18 스스로 말하는 자는…

요한복음 묵상 【미움받을 용기】 20250123(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한복음 7:1~13 7:1 이 후에 예수께서 갈릴리에서 다니시고 유대에서 다니려 아니하심은 유대인들이 죽이려 함이러라 7:2 유대인의 명절인 초막절이 가까운지라 7:3 그 형제들이 예수께 이르되 당신의 행하는 일을 제자들도 보게 여기를 떠나 유대로 가소서 7:4 스스로 나타나기를 구하면서 묻혀서 일하는 사람이 없나니 이 일을 행하려 하거든 자신을 세상에 나타내소서 하니 7:5 이는 그 형제들이라도 예수를 믿지…

ヨハネによる福音書 黙想 【嫌われる勇気】 20250123(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

ヨハネによる福音書 7:1~13 7:1 その後、イエスはガリラヤを巡り続けられた。ユダヤ人たちがイエスを殺そうとしていたので、ユダヤを巡ろうとはされなかったからである。 7:2 時に、仮庵の祭りというユダヤ人の祭りが近づいていた。 7:3 そこで、イエスの兄弟たちがイエスに言った。「ここを去ってユダヤに行きなさい。そうすれば、弟子たちもあなたがしている働きを見ることができます。 7:4 自分で公の場に出ることを願いながら、隠れて事を行う人はいません。このようなことを行うのなら、自分を世に示しなさい。」 7:5 兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。 7:6 そこで、イエスは彼らに言われた。「わたしの時はまだ来ていません。しかし、あなたがたの時はいつでも用意ができています。 7:7 世はあなたがたを憎むことができないが、わたしのことは憎んでいます。わたしが世について、その行いが悪いことを証ししているからです。 7:8 あなたがたは祭りに上って行きなさい。わたしはこの祭りに上って行きません。わたしの時はまだ満ちていないのです。」 7:9 こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた。 7:10 しかし、兄弟たちが祭りに上って行った後で、イエスご自身も、表立ってではなく、いわば内密に上って行かれた。 7:11 ユダヤ人たちは祭りの場で、「あの人はどこにいるのか」と言って、イエスを捜していた。 7:12 群衆はイエスについて、小声でいろいろと話をしていた。ある人たちは「良い人だ」と言い、別の人たちは「違う。群衆を惑わしているのだ」と言っていた。 7:13 しかし、ユダヤ人たちを恐れたため、イエスについて公然と語る者はだれもいなかった。 イエス様を殺そうとする勢力のため、イエス様はユダ地方を離れ、ガリラヤに留まっておられました。ガリラヤはイエス様の故郷であり、そこにはイエス様の実の兄弟たちがいました。その時はちょうど仮庵の祭りの期間であり、兄弟たちはイエス様に対して、エルサレムに行き奇跡を行い、自らを公に示せと言いました。しかしそれは、まだイエス様を信じていない兄弟たちによる嘲りでした。イエス様を歓迎する人はおらず、イエス様が頼れる人もいませんでした。イエス様の使命の道は、憎まれるべき道だったのです。 仮庵の祭りは、出エジプトの時代にイスラエルの民が仮の住まい(幕屋)で生活したことを記念する祭りです。この祭りは、荒野の生活の中で神様の守りを覚え、仮の住まいである幕屋を通して人生という幕屋が永遠ではなく、旅人としての一時的なものであることを思い出させます。しかし、イエス様の時代の人々は、仮庵の祭りにおいてさえも自分たちの利益を考え、イエス様を殺そうとしていました。 イエス様は「時はまだ満ちていない」と言われました。人々だけでなく「時」さえもイエス様の味方ではありませんでした。イエス様は人々には時を気にする必要はないと言われました。世がイエス様を憎むのは、イエス様が世を責めたからです。人々はいつでも世と共に生きることができますが、イエス様はご自身を敵視する世の中で使命を果たすため、神様の定めた時に従って行動されなければなりませんでした。それは、逃避や回避のための時ではなく、十字架の時のためです。イエス様に従い、世に嫌われる勇気がある人であれば、イエス様に倣って時を見分け、その与えられた時に集中力を発揮することができるでしょう。

ヨハネによる福音書 黙想 【霊的な人々】 20250122(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ヨハネによる福音書 6:60~71 6:60 これを聞いて、弟子たちのうちの多くの者が言った。「これはひどい話だ。だれが聞いていられるだろうか。」 6:61 しかしイエスは、弟子たちがこの話について、小声で文句を言っているのを知って、彼らに言われた。「わたしの話があなたがたをつまずかせるのか。 6:62 それなら、人の子がかつていたところに上るのを見たら、どうなるのか。 6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです。 6:64 けれども、あなたがたの中に信じない者たちがいます。」信じない者たちがだれか、ご自分を裏切る者がだれか、イエスは初めから知っておられたのである。 6:65 そしてイエスは言われた。「ですから、わたしはあなたがたに、『父が与えてくださらないかぎり、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのです。」 6:66 こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去り、もはやイエスとともに歩もうとはしなくなった。 6:67 それで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいのですか」と言われた。 6:68 すると、シモン・ペテロが答えた。「主よ、私たちはだれのところに行けるでしょうか。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。 6:69 私たちは、あなたが神の聖者であると信じ、また知っています。」 6:70 イエスは彼らに答えられた。「わたしがあなたがた十二人を選んだのではありませんか。しかし、あなたがたのうちの一人は悪魔です。」 6:71 イエスはイスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのであった。このユダは十二人の一人であったが、イエスを裏切ろうとしていた。 人々はイエス様が語られた「いのちのパン」に関する教えを理解することができませんでした。イエス様はそれをご存知で、「活かすのは霊であって、肉は何の役にも立たない」と再び強調され、肉体的な理解を超えて霊的な意味を悟るよう促されました。そして、まだ「霊的であること」の定義が確立されていなかった人々に対して、霊的世界の秩序について語られました。それは、霊的であることは神様の選びと恵みに基づくものであるということです。どのような人も神様の恵みなしにイエス様のもとに来ることはできないということです。霊的であることは、人間の理解や行動、また現象によるものではありません。 これは、霊的であることが奇跡を体験することや、生活の必要が満たされる祝福を受けることを意味するものではない、ということを教えられたのです。奇跡という神秘を霊的であると考えたり、献身という行動を霊的なことだと見なす人々の考えに対し、イエス様は異議を提起されたのです。奇跡そのものが必ずしも霊的であるとは限りません。それは人間の目には不思議に映る別の現象の一つである場合もあります。同様に、人間が何らかの目的を持って献身することも必ずしも霊的であるとは言えません。イエス様が語られた最も霊的なこととは、神様に選ばれ、召されたということを知ることです。そのような人々は霊的であるがゆえに、決してイエス様を離れません。 行為と結果の因果関係を超えて考えることができなかった人々は、イエス様の霊的な解説を理解することができず、一人また一人と去っていきました。そのときイエス様は十二弟子に「あなたがたも離れて行きたいか」と問われました。それに対しペテロは、「主よ、永遠のいのちのことばを持っておられるのはあなたです。私たちはあなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」と告白し、イエス様を離れないと答えました。人々は奇跡という現象や献身という行為の中に、自分の信仰の確認を求めました。しかし、イエス様が教えられる霊的であることとは、ただ神様から始まることを認めることです。 さらにイエス様は、イスカリオテのユダが自分を裏切る者であることをあらかじめ告げられました。ユダは、今日イエス様が教えられた霊的であることの意味を理解できない人です。彼は神様の召しを悟ることができず、誘惑と疑いに揺れ動き、イエス・キリストを売りました。イエス様が行われた奇跡を見ることが霊的な神秘ではありません。群れの中でイエス様に従うこと自体も霊的であるとは言えません。救いの恵みは、ただ神様の召しによるものであり、それを知る人が霊的な人です。神様から始まる選びと贖いの神秘を知る人こそが、真に霊的な人なのです。

요한복음 묵상 【영적인 사람들】 20250122(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한복음 6:60~71 6:60 제자 중 여럿이 듣고 말하되 이 말씀은 어렵도다 누가 들을 수 있느냐 한대 6:61 예수께서 스스로 제자들이 이 말씀에 대하여 수근거리는 줄 아시고 가라사대 이 말이 너희에게 걸림이 되느냐 6:62 그러면 너희가 인자의 이전 있던 곳으로 올라가는 것을 볼것 같으면 어찌 하려느냐 6:63 살리는 것은 영이니 육은 무익하니라 내가 너희에게 이른 말이…

요한복음 묵상 【참된 양식, 참된 음료】 20250121(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한복음 6:41~59 6:41 자기가 하늘로서 내려온 떡이라 하시므로 유대인들이 예수께 대하여 수군거려 6:42 가로되 이는 요셉의 아들 예수가 아니냐 그 부모를 우리가 아는데 제가 지금 어찌하여 하늘로서 내려왔다 하느냐 6:43 예수께서 대답하여 가라사대 너희는 서로 수군거리지 말라 6:44 나를 보내신 아버지께서 이끌지 아니하면 아무라도 내게 올 수 없으니 오는 그를 내가 마지막 날에 다시 살리리라…

ヨハネによる福音書 黙想 【まことの食べ物、まことの飲み物】 20250121(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ヨハネによる福音書 6:41~59 6:41 ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から下って来たパンです」と言われたので、イエスについて小声で文句を言い始めた。 6:42 彼らは言った。「あれは、ヨセフの子イエスではないか。私たちは父親と母親を知っている。どうして今、『わたしは天から下って来た』と言ったりするのか。」 6:43 イエスは彼らに答えられた。「自分たちの間で小声で文句を言うのはやめなさい。 6:44 わたしを遣わされた父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとに来ることはできません。わたしはその人を終わりの日によみがえらせます。 6:45 預言者たちの書に、『彼らはみな、神によって教えられる』と書かれています。父から聞いて学んだ者はみな、わたしのもとに来ます。 6:46 父を見た者はだれもいません。ただ神から出た者だけが、父を見たのです。 6:47 まことに、まことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠のいのちを持っています。 6:48 わたしはいのちのパンです。 6:49 あなたがたの先祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。 6:50 しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがありません。 6:51 わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」 6:52 それで、ユダヤ人たちは、「この人は、どうやって自分の肉を、私たちに与えて食べさせることができるのか」と互いに激しい議論を始めた。 6:53 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。 6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。 6:55 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです。 6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。 6:57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。 6:58 これは天から下って来たパンです。先祖が食べて、なお死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」 6:59 これが、イエスがカペナウムで教えられたとき、会堂で話されたことである。 イエス様は五つのパンと二匹の魚の奇跡に関する対話の延長線上で、「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです」と宣言されました。五つのパンと二匹の魚を食べてもっとパンを求めてきた人々に対して、イエス様ご自身が天から下って来た生けるパンであり、そのパンを食べる者だけが永遠の命を得ることができると語られたのです。 人間に与えられるすべての食物は神様からのものです。出エジプトを経験した祖先たちは荒野で毎日のように神秘的な食物であるマナを食べましたが、それでも最終的には死にました。五つのパンと二匹の魚の奇跡は驚くべきものですが、それは一食分の食事に過ぎません。その後、再び空腹を覚えたことでしょう。どんな奇跡が起こったとしても、この地上で与えられる奇跡はすべて有限のものです。しかし、命のパンを食べることは、この地や肉体に属するものではなく、永遠に属する恵みなのです。それは永遠の命の恵みです。 ユダヤ人たちはイエス様が「私の肉と血を食べ、飲む」という言葉の意味を理解することができませんでした。イエス様の表現は象徴的なものでしたが、そのメッセージは直接的であり、圧倒的でした。ニコデモが「新しく生まれる」ということについて「もう一度母の胎内に入らなければならないのですか」と質問したように、人々はイエス様の言葉を肉を食べ血を飲むことと捉え、それを難解なものと感じたのです。 しかし、私たちはその意味を知っています。それはイエス様と一体となることを意味しています。イエス様に従うということは、食べ物を求めて群がることではなく、イエス様との一体を通して永遠の恵みを受けることです。イエス様はどこか遠くの上空におられる方ではなく、私たちの隣におられる方でもありません。過去に存在された方でも、未来にだけ存在される方でもありません。イエス様は今この瞬間、私の内におられ、私と一体となっておられるのです。 そのため、私たちは毎月第一主日に行うジャンチ礼拝において、主の聖餐を分かち合います。ある時、聖餐式が執り行われた際に、本来参加すべき方が参加されていない様子を見たことがあります。おそらく、その方は神様の前に自分がふさわしくないと感じ、罪深い自分の姿を思い、聖餐を遠慮されたのかもしれません。確かに聖餐式の際、「もし、ふさわしくない仕方でパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。コリント人への第一の手紙11:27」 という警告があります。 しかし、それでもなお、私たちはさらに聖餐に参加すべきです。それはイエス・キリストの裂かれた体と流された血によって、私たちの体と心を初期化するものだからです。私たちの血管の中にイエス様の血が流れ込み、内臓や全身にイエス様の肉が入り、一体となります。そのようにして信仰がリセットされるのです。自信がない時ほど、資格がないと感じる時ほど、悔い改めの心と慕い求める心を持って、聖餐の恵みにさらに深く与るべきです。2月3日に行われる主の聖餐を心から待ち望みます。

요한복음 묵상 【오병이어 그 후】 20250120(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한복음 6:22~40 6:22 이튿날 바다 건너편에 섰는 무리가 배 한척 밖에 다른 배가 거기 없는 것과 또 어제 예수께서 제자들과 함께 그 배에 오르지 아니하시고 제자들만 가는 것을 보았더니 6:23 (그러나 디베랴에서 배들이 주의 축사하신 후 여럿이 떡 먹던 그 곳에 가까이 왔더라) 6:24 무리가 거기 예수도 없으시고 제자들도 없음을 보고 곧 배들을 타고 예수를…