고린도전서 묵상10【먹을 권리, 먹지 않을 자유】2200517(화) 에다가와 사랑의 교회

고린도전서 8:1~138:1 우상의 제물에 대하여는 우리가 다 지식이 있는 줄을 아나 지식은 교만하게 하며 사랑은 덕을 세우나니8:2 만일 누구든지 무엇을 아는 줄로 생각하면 아직도 마땅히 알 것을 알지 못하는 것이요8:3 또 누구든지 하나님을 사랑하면 이 사람은 하나님의 아시는바 되었느니라8:4 그러므로 우상의 제물 먹는 일에 대하여는 우리가 우상은 세상에 아무 것도 아니며 또한 하나님은 한분 밖에…

Ⅰコリント 黙想9【いずれも問題】220516(土) 枝川愛の教会

Ⅰコリント 7:25~407:25 未婚の人たちについて、私は主の命令を受けてはいませんが、主のあわれみにより信頼を得ている者として、意見を述べます。7:26 差し迫っている危機のゆえに、男はそのままの状態にとどまるのがよい、と私は思います。7:27 あなたが妻と結ばれているなら、解こうとしてはいけません。妻と結ばれていないなら、妻を得ようとしてはいけません。7:28 しかし、たとえあなたが結婚しても、罪を犯すわけではありません。たとえ未婚の女が結婚しても、罪を犯すわけではありません。ただ、結婚する人たちは、身に苦難を招くでしょう。私はあなたがたを、そのような目にあわせたくないのです。7:29 兄弟たち、私は次のことを言いたいのです。時は短くなっています。今からは、妻のいる人は妻のいない人のようにしていなさい。7:30 泣いている人は泣いていないかのように、喜んでいる人は喜んでいないかのように、買う人は所有していないかのようにしていなさい。7:31 世と関わる人は関わりすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです。7:32 あなたがたが思い煩わないように、と私は願います。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります。7:33 しかし、結婚した男は、どうすれば妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、7:34 心が分かれるのです。独身の女や未婚の女は、身も心も聖なるものになろうとして、主のことに心を配りますが、結婚した女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世のことに心を配ります。7:35 私がこう言うのは、あなたがた自身の益のためです。あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろ、あなたがたが品位ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるようになるためです。7:36 ある人が、自分の婚約者に対して品位を欠いたふるまいをしていると思ったら、また、その婚約者が婚期を過ぎようとしていて、結婚すべきだと思うなら、望んでいるとおりにしなさい。罪を犯すわけではありません。二人は結婚しなさい。7:37 しかし、心のうちに固く決意し、強いられてではなく、自分の思いを制して、婚約者をそのままにしておこうと自分の心で決意するなら、それは立派なふるまいです。7:38 ですから、婚約者と結婚する人は良いことをしており、結婚しない人はもっと良いことをしているのです。7:39 妻は、夫が生きている間は夫に縛られています。しかし、夫が死んだら、自分が願う人と結婚する自由があります。ただし、主にある結婚に限ります。7:40 しかし、そのままにしていられるなら、そのほうがもっと幸いです。これは私の意見ですが、私も神の御霊をいただいていると思います。   結婚するか、独身で生きるのか、配偶者と死別した人は再婚をするか、どうかなどに対するパウロの勧告がなぜか一貫していないようです。結婚しなさいと言ったつもりで、また、結婚しない方がいいと言います。しかし、パウロの基準が見つかると、なぜ一貫していないのかがわかります。パウロが結婚しない方がいいと言ったのは、最初に結婚の話が出た性の問題や家庭の問題ではなく、もうすでに教会に仕える問題に変わっているからです。ということでパウロは独身を勧めるとき、「世のこと」と「主のこと」に対比して言っています。結婚すれば家庭に集中し、独身であれば主の働きにさらに集中するということです。パウロは結婚することとしないことの中で、神様がはっきりと命じられたことはないと言いました。   しかし、男女が大人になって親を離れ、結婚して家庭を成すということは、明らかにより上位の聖書的な秩序です。もちろん、再婚の問題は、感情的安定という優先順位の中で、個人が置かれている状況によって判断しなければなりません。人によっては、再婚が良いかもしれないし、そうでないかもしれないからです。だから、一律に適用することはできません。ただし、ここではパウロが独身になった人々に、家庭のための再婚より教会への献身を勧める意図が含まれていると思います。   これは、結婚せず、家庭も持たないカトリックの司祭論の根拠となりました。しかし、歴史的にまた、今に至るまで、カトリックの神父の独身制度が教会の中でどのように多くの倫理的な副作用を起こしたかを謙虚に受け止めなければなりません。敬虔と献身という名前が人間の本性を抑圧し、性的な歪みを起こさないことと、健全な性と家庭を成すことが上位の聖書的な理解であると認めなければなりません。もちろん、特別な賜物とミニストリーがあるということは認めます。しかし、文字通り特殊なケースです。結婚せず、子育てをしないからといって、家族に仕える分だけ教会に仕えることでもありません。むしろ情緒的に安定していないリーダーシップが教会を危機に追いやるかもしれません。   今度はプロテスタントの牧師の場合を考えてみましょう。彼らは結婚し、子どもを育てます。しかし、その過程で家族利己主義になり、牧師たちは自分の子どもに教会を世襲する問題を起こしています。罪質は両方悪いです。カトリックも最初は結婚しました。それから5世紀以降に世襲問題を防ぐために、司祭の独身を強調し始め、12世紀になって公式に司祭独身祭を公布しました。世襲は今のプロテスタント教会の問題だけではなく、ずっと前にカトリックでも悩んでいた問題です。そして16世紀に神父だったルターが宗教改革を起こし、プロテスタント教会を始めました。ルターは勇敢に結婚しました。   2000年の時代を生きてから振り替えてみると、正解はないといったパウロの話が正しいです。結婚すると家庭のために貪欲が生じて問題を起こし、結婚をしないと本能のために貪欲が生じて問題を起こします。だから、人々は教会に失望します。教会としては恥ずかしいことであり、人々としては十分に失望するようなことです。しかし、厳密に言えば人間に失望すべきです。私は教会、牧師、聖徒、そして自分自身を信じず、福音を信じます。福音を信じるだけが、教会と牧師と聖徒と私を愛することができる唯一の道だからです。傷と汚ればかりの人々が,傷と汚ればかりの地上の教会を守らなければならないのは,傷と汚ればかりのわたしたちのための救いの福音を守らなければならないからです。

고린도전서 묵상9【이래도 문제, 저래도 문제】2200516(월) 에다가와 사랑의 교회

고린도전서 7:25~407:25 처녀에 대하여는 내가 주께 받은 계명이 없으되 주의 자비하심을 받아서 충성된 자가 되어 의견을 고하노니7:26 내 생각에는 이것이 좋으니 곧 임박한 환난을 인하여 사람이 그냥 지내는 것이 좋으니라7:27 네가 아내에게 매였느냐 놓이기를 구하지 말며 아내에게서 놓였느냐 아내를 구하지 말라7:28 그러나 장가 가도 죄 짓는 것이 아니요 처녀가 시집 가도 죄 짓는 것이 아니로되…

Ⅰコリント 黙想9【ともにするから自立できます】220514(土) 枝川愛の教会

Ⅰコリント 7:1~167:1 さて、「男が女に触れないのは良いことだ」と、あなたがたが書いてきたことについてですが、7:2 淫らな行いを避けるため、男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持ちなさい。7:3 夫は自分の妻に対して義務を果たし、同じように妻も自分の夫に対して義務を果たしなさい。7:4 妻は自分のからだについて権利を持ってはおらず、それは夫のものです。同じように、夫も自分のからだについて権利を持ってはおらず、それは妻のものです。7:5 互いに相手を拒んではいけません。ただし、祈りに専心するために合意の上でしばらく離れていて、再び一緒になるというのならかまいません。これは、あなたがたの自制力の無さに乗じて、サタンがあなたがたを誘惑しないようにするためです。7:6 以上は譲歩として言っているのであって、命令ではありません。7:7 私が願うのは、すべての人が私のように独身であることです。しかし、一人ひとり神から与えられた自分の賜物があるので、人それぞれの生き方があります。7:8 結婚していない人とやもめに言います。私のようにしていられるなら、それが良いのです。7:9 しかし、自制することができないなら、結婚しなさい。欲情に燃えるより、結婚するほうがよいからです。7:10 すでに結婚した人たちに命じます。命じるのは私ではなく主です。妻は夫と別れてはいけません。7:11 もし別れたのなら、再婚せずにいるか、夫と和解するか、どちらかにしなさい。また、夫は妻と離婚してはいけません。7:12 そのほかの人々に言います。これを言うのは主ではなく私です。信者である夫に信者でない妻がいて、その妻が一緒にいることを承知している場合は、離婚してはいけません。7:13 また、女の人に信者でない夫がいて、その夫が一緒にいることを承知している場合は、離婚してはいけません。7:14 なぜなら、信者でない夫は妻によって聖なるものとされており、また、信者でない妻も信者である夫によって聖なるものとされているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れていることになりますが、実際には聖なるものです。7:15 しかし、信者でないほうの者が離れて行くなら、離れて行かせなさい。そのような場合には、信者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。神は、平和を得させようとして、あなたがたを召されたのです。7:16 妻よ。あなたが夫を救えるかどうか、どうして分かりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうか、どうして分かりますか。   パウロはコリント教会の聖徒たちが淫行しないように結婚しなさい勧めます。性的欲望の理由で結婚するということに異議があるかもしれませんが、パウロは性的に乱れたコリントに住んでいる聖徒たちに大切なことを合理的な勧告をしています。大人になると、経済的にも情緒的にも自立しなければなりません。しかし、厳密な意味で自立は自分一人ではなく、配偶者と一緒に家庭の中で自立します。性を間違って使うと大きな罪になりますが、家庭の中では美しく聖なるものになります。   ということで、夫婦はお互いに責任と義務を負い合います。一方的に要求せずにお互いを配慮します。それで権利と責任が一緒に住みます。パウロがおのおの別の部屋を使ってはいけないと言ったのは、ただ性的な理由だけではありません。夫婦はお互いを慰めます。既婚者が不倫に陥るのは、性的な欲求だけではありません。心を置くところがない人が情緒的な慰めを求めて不倫に陥ります。ですから、家庭の中でより信頼とつながりをさらに築くようにと進めています。もし配偶者の一方がクリスチャンではない場合も同じです。基礎は家庭だからです。誰にとっても夫婦の義務と責任というのは大切です。お互いの理解と配慮と責任を果たしていけば、信じない配偶者も信じる配偶者の信仰のゆえに、信仰の中に入ってくると言います。基本を大切にしましょう。

고린도전서 묵상8【함께 해야 자립할 수 있습니다】2200514(토) 에다가와 사랑의 교회

고린도전서 7:1~167:1 너희의 쓴 말에 대하여는 남자가 여자를 가까이 아니함이 좋으나7:2 음행의 연고로 남자마다 자기 아내를 두고 여자마다 자기 남편을 두라7:3 남편은 그 아내에게 대한 의무를 다하고 아내도 그 남편에게 그렇게 할지라7:4 아내가 자기 몸을 주장하지 못하고 오직 그 남편이 하며 남편도 이와 같이 자기 몸을 주장하지 못하고 오직 그 아내가 하나니7:5 서로 분방하지 말라…

Ⅰコリント 黙想7【キリストと連合した聖徒】220513(金) 枝川愛の教会

Ⅰコリント 6:12~206:12 「すべてのことが私には許されている」と言いますが、すべてが益になるわけではありません。「すべてのことが私には許されている」と言いますが、私はどんなことにも支配されはしません。6:13 「食物は腹のためにあり、腹は食物のためにある」と言いますが、神は、そのどちらも滅ぼされます。からだは淫らな行いのためではなく、主のためにあり、主はからだのためにおられるのです。6:14 神は主をよみがえらせましたが、その御力によって私たちも、よみがえらせてくださいます。6:15 あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだはキリストのからだの一部なのです。それなのに、キリストのからだの一部を取って、遊女のからだの一部とするのですか。そんなことがあってはなりません。6:16 それとも、あなたがたは知らないのですか。遊女と交わる者は、彼女と一つのからだになります。「ふたりは一体となる」と言われているからです。6:17 しかし、主と交わる者は、主と一つの霊になるのです。6:18 淫らな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、淫らなことを行う者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。6:19 あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。   「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだはキリストのからだの一部なのです15」で、パウロはからだを複数で書いています。直訳すれば体たちです。からだの一部とは独立的な存在でありながら連合的な存在です。人間は独立した人格であり、キリストと連合するときに聖徒として生きることができます。聖徒として生きたからその結果によって連合されるのではなく、そもそも連合されなければ聖徒になることができません。自力で救いを成すのではなく、義とされて救われ、連合によって信仰を営むのです。それが「キリストとの連合(Union with Christ)」です。それぞれの人格は異なりますが、キリストと連合した人々は教会の中でも連合を成すことができます。   毎月に聖餐式を行いますが、聖餐がキリストの肉と血を持って連合するということを知り、それを信じて参加するなら、聖徒の体は決して自分のものではありません。キリストの肉と血を食べることの意味を深く吟味しなければなりません。イエス様が葡萄の枝をもって教えてくださったように枝は木に付いているだけで、実を結びます。   今朝の本文は、有機体としての教会と聖徒のアイデンティティを語っていますが、直接的な動機は淫行に対する警告です。神様と連合した聖徒が淫行することはできないということです。心だけを信じる場合はありません。心が信じれば、体が信じ、考えが信じ、手が信じ、足が信じます。人間は不完全であるので、神様と連合しなければ他のものと連合してしまいます。家庭で連合していなければ、他のものと連合して離脱します。結婚しないことを非難できない時代に生きていますが、結局、家庭が崩れると人間も一緒に崩れるでしょう。世の流れに神様のみことばを裏付けることが解釈ではありません。神様のみことばで世の中を判断することが解釈です。家庭が弱くなることと、性が家庭から出ていくことは、キリストとの連合が断たれたからです。世の嘘にだまされてはいけません。キリストと連合して聖徒聖なる服を着た人は、おそれおそれ気を付けなければなりません。

고린도전서 묵상7【그리스도와 연합한 성도】2200513(금) 에다가와 사랑의 교회

고린도전서 6:12~206:12 모든 것이 내게 가하나 다 유익한 것이 아니요 모든 것이 내게 가하나 내가 아무에게든지 제재를 받지 아니하리라6:13 식물은 배를 위하고 배는 식물을 위하나 하나님이 이것 저것 다 폐하시리라 몸은 음란을 위하지 않고 오직 주를 위하며 주는 몸을 위하시느니라6:14 하나님이 주를 다시 살리셨고 또한 그의 권능으로 우리를 다시 살리시리라6:15 너희 몸이 그리스도의 지체인 줄을…

Ⅰコリント 黙想6【基準を立てる教会】220512(木) 枝川愛の教会

Ⅰコリント 6:1~116:1 あなたがたのうちには、仲間と争いを起こしたら、それを聖徒たちに訴えずに、あえて、正しくない人たちに訴える人がいるのですか。6:2 聖徒たちが世界をさばくようになることを、あなたがたは知らないのですか。世界があなたがたによってさばかれるのに、あなたがたには、ごく小さな事件さえもさばく力がないのですか。6:3 あなたがたは知らないのですか。私たちは御使いたちをさばくようになります。それなら、日常の事柄は言うまでもないではありませんか。6:4 それなのに、日常の事柄で争いが起こると、教会の中で軽んじられている人たちを裁判官に選ぶのですか。6:5 私は、あなたがたを恥じ入らせるために、こう言っているのです。あなたがたの中には、兄弟の間を仲裁することができる賢い人が、一人もいないのですか。6:6 それで兄弟が兄弟を告訴し、しかも、それを信者でない人たちの前でするのですか。6:7 そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。どうして、むしろ不正な行いを甘んじて受けないのですか。どうして、むしろ、だまし取られるままでいないのですか。6:8 それどころか、あなたがた自身が不正を行い、だまし取っています。しかも、そのようなことを兄弟たちに対してしています。6:9 あなたがたは知らないのですか。正しくない者は神の国を相続できません。思い違いをしてはいけません。淫らな行いをする者、偶像を拝む者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、6:10 盗む者、貪欲な者、酒におぼれる者、そしる者、奪い取る者はみな、神の国を相続することができません。6:11 あなたがたのうちのある人たちは、以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。   コリント教会の中で争いが起きたとき、聖徒たちは問題を世の法廷に持って行き、戦い合いました。コリントの手紙に敷かれているコリントの文化というのは、快楽と拝金主義でした。財産上の損害の争い、名誉毀損による争いがあったと思います。パウロはそれを懲らしめます。しかし、是非を判断してはいけないということではありません。片方に損害をあるのに我慢しなければならないというわけではありません。もし、意図的な加害があるならば、それは積極的に明らかにし、妥当な責任を負わせなければならないということがパウロの一貫した姿勢です。   ただし、パウロは教会がそれを判断する基準にならなければならないということを言います。教会には神様のみことばがあるからです。みことばで基準を立て、その基準で世を分別しなければなりません。ところが、教会が世にその役割を任せ、世が教会を判断するのが恥ずかしいことです。もちろん、法に依頼しなければならない問題もあると思います。しかし、教会の中で起こる損害の問題、誤解と紛争の問題を世の法に持っていくというこは、当事者だけでなく教会全体が未熟であるということです。教会は、神様のみことばの権威を持って世を解釈し、評価し、判断しなければなりません。

고린도전서 묵상6【기준을 세우는 교회】2200512(목) 에다가와 사랑의 교회

고린도전서 6:1~116:1 너희 중에 누가 다른이로 더불어 일이 있는데 구태여 불의한 자들 앞에서 송사하고 성도 앞에서 하지 아니하느냐6:2 성도가 세상을 판단할 것을 너희가 알지 못하느냐 세상도 너희에게 판단을 받겠거든 지극히 작은 일 판단하기를 감당치 못하겠느냐6:3 우리가 천사를 판단할 것을 너희가 알지 못하느냐 그러하거든 하물며 세상 일이랴6:4 그런즉 너희가 세상 사건이 있을 때에 교회에서 경히 여김을…

Ⅰコリント 黙想5【教会の戒規】220511(水) 枝川愛の教会

Ⅰコリント 5:1~135:1 現に聞くところによれば、あなたがたの間には淫らな行いがあり、しかもそれは、異邦人の間にもないほどの淫らな行いで、父の妻を妻にしている者がいるとのことです。5:2 それなのに、あなたがたは思い上がっています。むしろ、悲しんで、そのような行いをしている者を、自分たちの中から取り除くべきではなかったのですか。5:3 私は、からだは離れていても霊においてはそこにいて、実際にそこにいる者のように、そのような行いをした者をすでにさばきました。5:4 すなわち、あなたがたと、私の霊が、私たちの主イエスの名によって、しかも私たちの主イエスの御力とともに集まり、5:5 そのような者を、その肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡したのです。それによって彼の霊が主の日に救われるためです。5:6 あなたがたが誇っているのは、良くないことです。わずかなパン種が、こねた粉全体をふくらませることを、あなたがたは知らないのですか。5:7 新しいこねた粉のままでいられるように、古いパン種をすっかり取り除きなさい。あなたがたは種なしパンなのですから。私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのです。5:8 ですから、古いパン種を用いたり、悪意と邪悪のパン種を用いたりしないで、誠実と真実の種なしパンで祭りをしようではありませんか。5:9 私は前の手紙で、淫らな行いをする者たちと付き合わないようにと書きました。5:10 それは、この世の淫らな者、貪欲な者、奪い取る者、偶像を拝む者と、いっさい付き合わないようにという意味ではありません。そうだとしたら、この世から出て行かなければならないでしょう。5:11 私が今書いたのは、兄弟と呼ばれる者で、淫らな者、貪欲な者、偶像を拝む者、人をそしる者、酒におぼれる者、奪い取る者がいたなら、そのような者とは付き合ってはいけない、一緒に食事をしてもいけない、ということです。5:12 外部の人たちをさばくことは、私がすべきことでしょうか。あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。5:13 外部の人たちは神がおさばきになります。「あなたがたの中からその悪い者を除き去りなさい。」   牧師は、聖餐式で戒規のもとにある人に対して聖餐には参加できずに、教会が定めた期間に、謙虚に悔い改めた後に、主の聖餐を回復するようにと告知します。ところで、最近2か月間、私はそれを省略しました。戒規を受けた人がいなく、恐ろしく聞こえますし、ジャンチ礼拝で長い時間を待った子どもたちのために気持ちが焦るからです。聖徒の深刻な罪を発見したときに教会は果たして懲戒を行うことができるかという問題は難題です。聖書的な解釈では難しくありませんが、現実的には難しいです。戒規を受けなければならない牧師も立ち回って懲戒を受けないから,聖徒がそれを受け入れるはずはありません。牧師も聖徒も骨組みは失し、太っています。おそらく職場では懲戒処分があると思います。勤務怠慢や法人カードの違反使用などがある場合、会社掲示板に実名と懲戒理由と懲戒範囲を公開します。それは恥ずかしいことですが、ほとんどは会社を辞めません。なぜなら、会社には権威があり、秩序があるからです。社会の法律と規則​​も同じです。   しかし、教会はそれを失いました。教会で戒規を行うと、ほとんどの人は教会を離れます。来なければいいし、別の教会に行けばいいと思ってしまいます。しかし、すべての教会は神様の教会です。あそこにおられる神様は、ここにあったことを知っておられます。もともと、すべての教会に教籍制度があります。教会の戸籍です。何らかの事由で教会を移る時は教籍を発給します。牧師は牧師に聖徒が移動する理由を伝えて、よろしくと願います。あちらこちらを行ったり来たりすることは、韓国の教会が市場の論理で競争し、乱立した弊害です。問題を起こしてからその問題に責任を負わずに、捨てるように離れていくことはありませんでした。   今朝のパウロの手紙は、教会を立てなければならない時代に書いたものです。淫乱は、コリントという都市で一般に広がってしまった文化でした。そのよなものはいつでも教会に入ることができました。パウロはそれをパン種と言いましたが、今の時代でいえば、コロナにたとえたかもしれません。あまりにも当然ですが、コロナが入ってきたらそれを隔離し、切り取り、消毒しなければなりません。それを受け入れないといって愛がないとは言いません。厳しさが愛の道です。教会の中で再び強制性を強化しようということではありません。道徳的ウイルスの攻撃には、物理​​的な隔離よりも敬虔な共同体性の免疫力が大切です。しかし、神様の裁きは決して自律的ではありません。権威を解体するポストモダンの時代だと言っていますが、世を見ると権威が消えていません。ここから離れてそこに移動しているだけです。神様のみことと教会に対する権威を回復することは、私たちの信仰の根拠を守ることです。