창세기 묵상49【성과가 있으나 보상은 없는】221027(목) 에다가와 사랑의 교회

창세기 40:9~2340:9 술 맡은 관원장이 그 꿈을 요셉에게 말하여 가로되 내가 꿈에 보니 내 앞에 포도나무가 있는데40:10 그 나무에 세 가지가 있고 싹이 나서 꽃이 피고 포도송이가 익었고40:11 내 손에 바로의 잔이 있기로 내가 포도를 따서 그 즙을 바로의 잔에 짜서 그 잔을 바로의 손에 드렸노라40:12 요셉이 그에게 이르되 그 해석이 이러하니 세 가지는 사흘이라40:13…

創世記 黙想48【牢屋で会った人】221026(水) 枝川愛の教会

創世記 40:1~840:1 これらのことの後、エジプト王の献酌官と料理官が、その主君、エジプト王に対して過ちを犯した。40:2 ファラオは、この献酌官長と料理官長の二人の廷臣に対して怒り、40:3 彼らを侍従長の家に拘留した。それは、ヨセフが監禁されているのと同じ監獄であった。40:4 侍従長がヨセフを彼らの付き人にしたので、ヨセフは彼らの世話をした。彼らは、しばらく拘留されていた。40:5 さて、監獄に監禁されていた、エジプト王の献酌官と料理官は、二人とも同じ夜にそれぞれ夢を見た。その夢にはそれぞれ意味があった。40:6 朝、ヨセフが彼らのところに来て、見ると、彼らは顔色がすぐれなかった。40:7 それで彼は、自分の主人の家に一緒に拘留されている、このファラオの廷臣たちに「なぜ、今日、お二人は顔色がさえないのですか」と尋ねた。40:8 二人は答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは言った。「解き明かしは、神のなさることではありませんか。さあ、私に話してください。」   投獄さられたヨセフは、獄中でもできる限りのことを誠実に、実に行います。誰にいてもどこにおいてもそのような誠実さが人々に伝われると信頼を受けます。いつまでも続くか分からない牢屋の時間ですが、ヨセフは最善を尽くして働きます。より良い条件が与えられれば、より良いことができると思いがちますが、神様は劣悪な条件の中でも真正性を判断することができます。それが確認されれば、信頼が与えられ、機会が与えられます。   神様の働きは出会いを通じてなされていきます。信仰の証はいつも出会いから始まり、出会いで終わります。同役者の出会いだけではありません。予期せぬ出会いを通じて新しい歴史が続きます。『心に折り合いをつけてうまいことやる習慣』を書いた90代の女性の医師は、自分の人生経験を通して人の運命を左右するのは人との縁であり、それは全く偶然だと言いました。90代の先輩らしく、素直ながらも正確な結論だと思います。因果関係を説明できない数多くの偶然が私たちの人生を作っていきます。   人間にとっては偶然ですが、神様にとっては摂理であり、計画です。ですから、私たちは劣悪だと思い、損だと思うすべての悔しい瞬間、そして何の役にも立たないと思う会うすべての人に対して丁寧にしなければなりません。ヨセフは確かにそうでした。それが偶然と絶望を成功に変える力でした。人ではなくその人の後ろにおられる神様を見上なければなりません。  

창세기 묵상48【감옥에서 만난 사람】221026(수) 에다가와 사랑의 교회

창세기 40:1~840:1 그 후에 애굽 왕의 술 맡은 자와 떡굽는 자가 그 주 애굽왕에게 범죄한지라40:2 바로가 그 두 관원장 곧 술 맡은 관원장과 떡 굽는 관원장에게 노하여40:3 그들을 시위대장의 집 안에 있는 옥에 가두니 곧 요셉의 갇힌 곳이라40:4 시위대장이 요셉으로 그들에게 수종하게 하매 요셉이 그들을 섬 겼더라 그들이 갇힌 지 수일이라40:5 옥에 갇힌 애굽 왕의…

創世記 黙想47【監獄という機会】221025(火) 枝川愛の教会

創世記 39:11~2339:11 このようなある日のこと、彼が仕事をしようとして家に入ると、家の中には、家の者が一人もいなかった。39:12 彼女はヨセフの上着をつかんで、「一緒に寝ましょう」と言った。しかしヨセフはその上着を彼女の手に残し、彼女から逃れて外へ出た。39:13 彼が上着を彼女の手に残して外へ逃げたのを見ると、39:14 彼女は家の者たちを呼んで、こう言った。「見なさい。私たちに対していたずらをさせるために、主人はヘブル人を私たちのところに連れ込んだのです。あの男が私と寝ようとして入って来たので、私は大声をあげました。39:15 私が声をあげて叫んだのを聞いて、あの男は私のそばに上着を残して、外へ逃げて行きました。」39:16 彼女は、ヨセフの主人が家に帰って来るまで、その上着を自分のそばに置いておいた。39:17 彼女は主人に、このように告げた。「あなたが私たちのところに連れて来た、あのヘブル人の奴隷は、私にいたずらをしようとして私のところに入って来ました。39:18 私が声をあげて叫んだので、あの男は私のそばに上着を残して、外へ逃げました。」39:19 彼の主人は、「あなたの奴隷がこのようなことを私にしました」と告げた妻のことばを聞いて、怒りに燃えた。39:20 ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄に置かれた。39:21 しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。39:22 監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手に委ねた。ヨセフは、そこで行われるすべてのことを管理するようになった。39:23 監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。   ポティファルの妻がヨセフを誘惑しますが、ヨセフはそれを断って逃げます。恨みをいだいたボディバルの妻はヨセフが自分を劫奪しようとしたと嘘をつき、ヨセフを窮地に陥れます。これを聞いたポティファルは、王の囚人が監禁されている監獄にヨセフを閉じ込めます。   ポティファルはエジプトという大国の長官で、ヨセフはしばらくポティファルの家でマネージャーの仕事をしただけで、奴隷の身分です。ポティファルの妻が言ったように、ヨセフが主人の妻を犯そうとしたことが本当なら、ヨセフは牢に入るところではなく、命を失わなければならないと思います。   ヨセフを殺さずに政治犯の監獄に入れたことを見れば、もしかしてポティファルははじめからヨセフの無罪を知っていたかも知れません。それでヨセフはもう一度投獄という危機に落ち、舞台はポティファルの家から監獄に変わります。   舞台が変わりますが、神様がヨセフと共におられることは変わりません。監獄の中でも信任を得、監獄の総括管理者になり、刑務業務という公務を学ぶようになります。人間にとっては落ち込みですが、神様とっては将来のためのレッスンです。 奴隷生活をしても監獄生活をしても神様がともにおられるので、ヨセフは全てのことに成功します。 ヨセフの危機の中にはいつも神様の機会があります。

창세기 묵상47【감옥이라는 기회】221025(화) 에다가와 사랑의 교회

창세기 39:11~2339:11 그러할 때에 요셉이 시무하러 그 집에 들어갔더니 그 집 사람은 하나도 거기 없었더라39:12 그 여인이 그 옷을 잡고 가로되 나와 동침하자 요셉이 자기 옷을 그 손에 버리고 도망하여 나가매39:13 그가 요셉이 그 옷을 자기 손에 버려두고 도망하여 나감을 보고39:14 집 사람들을 불러서 그들에게 이르되 보라 주인이 히브리 사람을 우리에게 데려다가 우리를 희롱하게 하도다…

創世記 黙想46【ヨセフの信義】221024(月) 枝川愛の教会

創世記 39:1~1039:1 一方、ヨセフはエジプトへ連れて行かれた。ファラオの廷臣で侍従長のポティファルという一人のエジプト人が、ヨセフを連れ下ったイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。39:2 主がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ。39:3 彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを彼に成功させてくださるのを見た。39:4 それでヨセフは主人の好意を得て、彼のそば近くで仕えることになった。主人は彼にその家を管理させ、自分の全財産を彼に委ねた。39:5 主人が彼にその家と全財産を管理させたときから、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を祝福された。それで、主の祝福が、家や野にある全財産の上にあった。39:6 主人はヨセフの手に全財産を任せ、自分が食べる食物のこと以外は、何も気を使わなかった。しかもヨセフは体格も良く、顔だちも美しかった。39:7 これらのことの後、主人の妻はヨセフに目をつけて、「一緒に寝ましょう」と言った。39:8 しかし彼は拒んで、主人の妻に言った。「ご覧ください。ご主人は、家の中のことは何でも私に任せ、心配せずに全財産を私に委ねられました。39:9 ご主人は、この家の中で私より大きな権威をふるおうとはせず、私がするどんなことも妨げておられません。ただし、あなたのことは別です。あなたがご主人の奥様だからです。どうして、そのような大きな悪事をして、神に対して罪を犯すことができるでしょうか。」39:10 彼女は毎日ヨセフに言い寄ったが、彼は聞き入れず、彼女のそばに寝ることも、一緒にいることもしなかった。   ヨセフがエジプトのファラオの廷臣で侍従長のポティファルの家に奴隷として売られます。奴隷として売られたのは確かに不運ですが、その後ヨセフには幸運が伴います。この世で言う幸運という言葉を聖書は神様が伴うことと言います。神様がともにおられるので、ヨセフは何をしても成果を上げます。ポティファルの信任を受けたヨセフは、ボディバルの家全体の管理を総括する執事になります。ヨセフはこの時から政務的感覚を身につけるようになります。   大家の執事になったから権利のない奴隷生活とは違った思います。順調でしたが、ある日、危機が訪れます。創世記はヨセフが体格も良く、顔だちも美しかったと言います。ポティファルの妻がそのヨセフを性的に誘惑します。誘惑を受け入れることも誘惑を断ることも、どれにも実は勇気が必要です。ヨセフは誘惑を断ります。若いヨセフに心の揺れがなかったとは思いませんが、ヨセフは断る勇気を出します。   ヨセフには姦通をしてはいけないというルールよりも、自分を信頼する主人を裏切れないという自分とのルールの方が強かったからです。最も恐い法は自分との法です。ヨセフが成功した理由、これからも成功していく背景には、常に信用と信義というものがあります。ヨセフの勝利は純潔の勝利というより信義の勝利です。   お金の誘惑も常にあります。しかし、信用を守ろうとする力がさらに強くなければならず、異性の誘惑も常にあるわけですが、信義を守ろうとする意志が先に働かなければなりません。それがヨセフの成功の力でした。危機の瞬間に神様との信義、家族との信義で判断すれば負けません。越えてはならない線は、越えないのが勇気です。

창세기 묵상46【요셉의 신의】221024(월) 에다가와 사랑의 교회

창세기 39:1~1039:1 요셉이 이끌려 애굽에 내려가매 바로의 신하 시위대장 애굽사람 보디발이 그를 그리로 데려간 이스마엘 사람의 손에서 그를 사니라39:2 여호와께서 요셉과 함께 하시므로 그가 형통한 자가 되어 그 주인 애굽 사람의 집에 있으니39:3 그 주인이 여호와께서 그와 함께하심을 보며 또 여호와께서 그의 범사에 형통케 하심을 보았더라39:4 요셉이 그 주인에게 은혜를 입어 섬기매 그가 요셉으로 가정…

創世記 黙想45【ユダとタマル】221022(土) 枝川愛の教会

創世記 38:12~2338:12 かなり日がたって、ユダの妻、すなわちシュアの娘が死んだ。その喪が明けたとき、ユダは、羊の群れの毛を刈る者たちのところ、ティムナへ上って行った。友人でアドラム人のヒラも一緒であった。38:13 そのときタマルに、「ご覧なさい。あなたのしゅうとが羊の群れの毛を刈るために、ティムナに上って来ます」という知らせがあった。38:14 それでタマルは、やもめの服を脱ぎ、ベールをかぶり、着替えをして、ティムナへの道にあるエナイムの入り口に座った。シェラが成人したのに、自分がその妻にされないことが分かったからである。38:15 ユダは彼女を見て、彼女が顔をおおっていたので遊女だと思い、38:16 道端の彼女のところに行き、「さあ、あなたのところに入らせてほしい」と言った。彼は、その女が嫁だとは知らなかったのである。彼女は「私のところにお入りになれば、何を私に下さいますか」と言った。38:17 彼が「群れの中から子やぎを送ろう」と言うと、彼女は「それを送ってくださるまで、何か、おしるしを下されば」と言った。38:18 彼が「しるしとして何をやろうか」と言うと、「あなたの印章とひもと、あなたが手にしている杖を」と答えた。そこで彼はそれを与えて、彼女のところに入った。こうしてタマルはユダのために子を宿した。38:19 彼女は立ち去って、そのベールを外し、やもめの服を着た。38:20 ユダは、その女の手からしるしを取り戻そうと、アドラム人の友人に託して子やぎを送ったが、彼はその女を見つけることができなかった。38:21 その友人がその土地の人々に「エナイムの道端にいた娼婦はどこにいますか」と尋ねると、彼らは「ここに娼婦がいたことはありません」と答えた。38:22 彼はユダのところに戻って来て言った。「あの女は見つかりませんでした。あの土地の人たちも、ここに娼婦がいたことはない、と言いました。」38:23 ユダは言った。「われわれが笑いぐさにならないように、あの女にそのまま取らせておこう。私はこの子やぎを送ったけれども、あなたはあの女を見つけられなかったのだから。」   ユダは三男まで死ぬことを心配してタマルとの約束を守らず、タマルを放置します。その一方で、タマルには操を守るように言いました。時間が経った後、タマルはユダが自分の地域を訪問するということを聞いて遊女に変装してユダと同寝します。その間、ユダの妻も早いうちに亡くなりました。ユダは自分の性欲を遊女を通じて満たしながら嫁に対しては対策なしに操を守るようにと言った利己的な人です。   同寝する代価としてヤギの子一匹を売るかけで約束しますが、タマルは担保物として印章とひもと杖を預けるように言います。後日、ユダが人を通じて約束した子ヤギ一匹を送りますが、タマルを見つけることができませんでした。人々に遊女がどこにいるのかと聞いても、ここには遊女がいないと言いました。もう以上探すこと恥ずかしいことですし、ユダにとっては子ヤギ一匹を払わなくてもよくなったので、ハンコや杖などはあきらめました。そのようにしてユダはなかったことにしました。   創世記の後半に入り、ドロドロな話しが続く中で、今や義父と嫁が同寝し、妊娠する話に展開します。著者はヨセフの話を続ける前に、ユダの話をしておかなければならなかったようです。 ヨセフの約束とユダの約束が違うからです。ユダは後にユダ王国の根になります。言い換えれば、この困難な関係で生まれた子どもがダビデとキリストの先祖になります。創世記は、恥ずべきユダの始まりを告発しています。誰でも人生の見えない隅々は聖くありません。神様はその上に聖なる御業を行われます。

창세기 묵상45【유다와 다말】221022(토) 에다가와 사랑의 교회

창세기 38:12~2338:12 얼마 후에 유다의 아내 수아의 딸이 죽은지라 유다가 위로를 받은 후에 그 친구 아둘람 사람 히라와 함께 딤나로 올라가서 자기 양털 깍는 자에게 이르렀더니38:13 혹이 다말에게 고하되 네 시부가 자기 양털을 깎으려고 딤나에 올라왔다 한지라38:14 그가 그 과부의 의복을 벗고 면박으로 얼굴을 가리고 몸을 휩싸고 딤나 길 곁 에나임 문에 앉으니 이는 셀라가…

創世記 黙想44【ヤコブ共同体を離れたユダ】221021(金) 枝川愛の教会

創世記 38:1~1138:1 そのころのことであった。ユダは兄弟たちから離れて下って行き、名をヒラというアドラム人の近くで天幕を張った。38:2 そこでユダは、カナン人で名をシュアという人の娘を見そめて妻にし、彼女のところに入った。38:3 彼女は身ごもって男の子を産んだ。ユダはその子をエルと名づけた。38:4 彼女はまた身ごもって男の子を産み、その子をオナンと名づけた。38:5 彼女はまた男の子を産み、その子をシェラと名づけた。彼女がシェラを産んだとき、ユダはケジブにいた。38:6 ユダはその長子エルに妻を迎えた。名前はタマルといった。38:7 しかし、ユダの長子エルは主の目に悪しき者であったので、主は彼を殺された。38:8 ユダはオナンに言った。「兄嫁のところに入って、義弟としての務めを果たしなさい。そして、おまえの兄のために子孫を残すようにしなさい。」38:9 しかしオナンは、生まれる子が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入ると地に流していた。38:10 彼のしたことは主の目に悪しきことであったので、主は彼も殺された。38:11 ユダは嫁のタマルに、「わが子シェラが成人するまで、あなたの父の家でやもめのまま暮らしなさい」と言った。シェラもまた、兄たちのように死ぬといけないと思ったからである。タマルは父の家に行き、そこで暮らした。   ヨセフが売られた後、兄弟たちは父親ヤコブの回復しない悲しみを見て罪責感を感じていたと思います。また、共犯である兄弟同士の関係もぎこちなくなり、弱まったはずです。ヤコブの家は近親不倫、殺人、強姦、人身売買、嘘で汚れ、関係も崩れていました。そこで「ユダは兄弟たちから離れて下って行き1」というのは家を出て独立したということです。家の状況が複雑に働いたと思います。ユダはアドラムというところに行き、異邦人の女性と結婚します。ユダも異邦の文化に同化していきます。アドラムは後日、ユダの子孫であるダビデが苦しい時を過ごした所です。ユダがカナンの女性を妻に迎えたのだから、ダビデにもキリストにもその血が流れます。   ユダの長男エルの妻の名前がタマルです。長男のエルがどんなことをしたのか分かりませんが、神様は彼を悪しき者とし、殺します。それでユダは次男のオナンにダマルと結婚させます。古代には兄が死ぬと弟が兄の妻と結婚して子どもを産み、兄の代を継ぐ制度がありました。しかし、オナンは膣外射精で妊娠を回避します。結婚を回避したのではなく、結婚も関係もした後に妊娠を回避したのですから、罪質が卑劣でずるいです。神様はこれに怒り、オナンも死にます。   ユダは契約のヤコブの共同体を離れることで、多くのことを失います。ユダは二人の息子を亡くし、タマルは未亡人になりました。ユダにはシェラという三男がいましたが、まだ幼かったから、成長すると結婚させると約束し、タマルをしばらく実家に送りますが、ユダはその約束を守りません。今日の話はここまでです。   37章の最後にヨセフがポティファルの家に奴隷として売られますが、その話は38章を飛ばして39章で続きます。今日の本文の38章は、全く別のユダの家族の語しを眺望するように扱っています。創世記の著者はユダの苦痛を通じてヤコブの苦痛の因果関係を語ろうという編集の意図があったと思います。ユダも仕方なく子どもたちの悪行によって苦みます。ユダがシェラをタマルと結婚させなかったのは、末っ子シェラも死ぬかと心配したからです。そんなユダがヤコブの愛した息子ヨセフを売ってヤコブを悲しませたことを思い出します。そして創世記の著者はタマルにスポットを当てざるを得なかったのは、このタマルが先日に日曜礼拝で読んだラハプとともにキリストの系図の母になるからです。