창세기 묵상44【야곱 공동체를 떠난 유다】221021(금) 에다가와 사랑의 교회

창세기 38:1~1138:1 그 후에 유다가 자기 형제에게서 내려가서 아둘람 사람 히라에게로 나아가니라38:2 유다가 거기서 가나안 사람 수아라 하는 자의 딸을 보고 그를 취하여 동침하니38:3 그가 잉태하여 아들을 낳으매 유다가 그 이름을 엘이라 하니라38:4 그가 다시 잉태하여 아들을 낳고 그 이름을 오난이라 하고38:5 그가 또 다시 아들을 낳고 그 이름을 셀라라 하니라 그가 셀라를 낳을 때에…

創世記 黙想43【ヨセフの荒野】221020(木) 枝川愛の教会

創世記 37:12~2437:25 それから、彼らは座って食事をした。彼らが目を上げて見ると、そこに、イシュマエル人の隊商がギルアデからやって来ていた。彼らは、らくだに樹膠と乳香と没薬を背負わせて、エジプトへ下って行くところであった。37:26 すると、ユダが兄弟たちに言った。「弟を殺し、その血を隠しても、何の得になるだろう。37:27 さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが手をかけてはいけない。あいつは、われわれの弟、われわれの肉親なのだから。」兄弟たちは彼の言うことを聞き入れた。37:28 そのとき、ミディアン人の商人たちが通りかかった。それで兄弟たちはヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でヨセフをイシュマエル人に売った。イシュマエル人はヨセフをエジプトへ連れて行った。37:29 さて、ルベンが穴のところに帰って来ると、なんと、ヨセフは穴の中にいなかった。ルベンは自分の衣を引き裂き、37:30 兄弟たちのところに戻って来て言った。「あの子がいない。ああ私は、私は、どこへ行けばよいのか。」37:31 彼らはヨセフの長服を取り、雄やぎを屠って、長服をその血に浸した。37:32 そして、そのあや織りの長服を父のところに送り届けて、言った。「これを見つけました。あなたの子の長服かどうか、お調べください。」37:33 父はそれを調べて言った。「わが子の長服だ。悪い獣が食い殺したのだ。ヨセフは確かに、かみ裂かれたのだ。」37:34 ヤコブは自分の衣を引き裂き、粗布を腰にまとい、何日も、その子のために嘆き悲しんだ。37:35 彼の息子、娘たちがみな来て父を慰めたが、彼は慰められるのを拒んで言った。「私は嘆き悲しみながら、わが子のところに、よみに下って行きたい。」こうして父はヨセフのために泣いた。37:36 あのミディアン人たちは、エジプトでファラオの廷臣、侍従長ポティファルにヨセフを売った。   ヨセフを殺そうとする兄弟たちの計画をルベンが止めますが、ルウベンが席を外している間に兄弟たちは再びヨセフを殺す謀議します。ルベンに機会がない理由があります。いざ大切な時にいなくなります。ルベンは必要な時にいない集中力の不在を、また兄弟たちをリードできないリーダーシップの不在を表します。   リーダーシップは四番目の子ユダにありました。ユダはルベンがいない間に折衷案を提示します。ユダはイスマエル族とメディアン族の大商が通り過ぎるのを見て、彼らにヨセフを売ろうと提案し、兄弟たちは一致して同意します。人の心を上手に動かすことがリーダーシップであって、人の心を最もうまく動かすものはお金です。銀二十枚は兄弟たちを説得できる良い条件になりました。「弟を殺し、その血を隠しても、何の得になるだろう」というユダの発言は、「兄弟を売れば利益になるだろう」という意味でもあります。   それでもユダの折衷案でなかったら、兄弟たちはルベンがいない間にヨセフを殺したかもしれません。ヨセフがルベンの姦通を告発したように、自分を殺そうとした殺人未遂も告発するから生かせるつもりはないです。戻ってきたルベンは、ヨセフがいなくなったことを知ってパニックに陥ります。アリバイという言葉は「現場不在の証明」という意味です。加担していない人、つまりアリバイがある人はルベンだけですが、ルベンだけが苦しみ、ほかの兄弟たちは用意周到に事件を操作します。ヨセフの服に雄ヤギの血をつけて父親に持って行き、獣が彼を食べたと言ったのです。   ヤコブがかわいそうですが、ヤコブも自分がまいたままに刈り取っているところです。ヤコブが父親のイサクをだましたように、ヤコブの息子たちはよりひどくヤコブをだましています。親になってみないとわかりません。父の心を引き裂いたユダも後日、子どもの問題でたくさん泣きます。偶然もなくただもありません。 原因と結果があるだけです。   ヤコブは地獄に落ちているような苦しみをもって悲しみます。しかし、その悲しみの根もラケルへの執着が生んだ悲劇でした。加害者も被害者もいません。みんながその役割を交互に共有しています。売られていく幼い子は、どれほどお父さんに戻りたかったのでしょうか?失った子どものことで、お父さんはどれほど苦んだのでしょうか。   毎日のように悲劇を作り出すこの人々がイスラエルの祖先です。神様はそれらの人生を用いて約束を守り続けておられます。約束を守る神様は、約束の人をまず人にしなければならなかったので、ヤコブをベテルに、ヨセフをエジプトに追い出しました。今やヨセフは荒野に入りました。

창세기 묵상43【요셉의 광야】221020(목) 에다가와 사랑의 교회

창세기 37:12~2437:25 그들이 앉아 음식을 먹다가 눈을 들어 본즉 한떼 이스마엘 족속이 길르앗에서 오는데 그 약대들에 향품과 유향과 몰약을 싣고 애굽으로 내려가는지라37:26 유다가 자기 형제에게 이르되 우리가 우리 동생을 죽이고 그의 피를 은익한들 무엇이 유익할까37:27 자, 그를 이스마엘 사람에게 팔고 우리 손을 그에게 대지 말자 그는 우리의 동생이요 우리의 골육이니라 하매 형제들이 청종하였더라37:28 때에 미디안…

創世記 黙想42【ルベンのための弁明】221019(水) 枝川愛の教会

創世記 37:12~2437:12 その後、兄たちは、シェケムで父の羊の群れを世話するために出かけて行った。37:13 イスラエルはヨセフに言った。「おまえの兄さんたちは、シェケムで群れの世話をしている。さあ、兄さんたちのところに使いに行ってもらいたい。」ヨセフは答えた。「はい、参ります。」37:14 父は言った。「さあ、行って、兄さんたちが無事かどうか、羊の群れが無事かどうかを見て、その様子を私に知らせておくれ。」こうして彼をヘブロンの谷から使いに送った。それで彼はシェケムにやって来た。37:15 彼が野をさまよっていると、一人の人が彼を見かけた。その人は「何を捜しているのですか」と尋ねた。37:16 ヨセフは言った。「兄たちを捜しています。どこで群れの世話をしているか、どうか教えてください。」37:17 すると、その人は言った。「ここからは、もう行ってしまいました。私は、あの人たちが『さあ、ドタンの方に行こう』と言っているのを聞きました。」そこでヨセフは兄たちの後を追って行き、ドタンで彼らを見つけた。37:18 兄たちは遠くにヨセフを見て、彼が近くに来る前に、彼を殺そうと企んだ。37:19 彼らは互いに話し合った。「見ろ。あの夢見る者がやって来た。37:20 さあ、今こそあいつを殺し、どこかの穴の一つにでも投げ込んでしまおう。そうして、狂暴な獣が食い殺したと言おう。あいつの夢がどうなるかを見ようではないか。」37:21 しかし、ルベンはこれを聞き、彼らの手から彼を救い出そうとして、「あの子を打ち殺すのはやめよう」と言った。37:22 また、ルベンは言った。「弟の血を流してはいけない。弟を荒野の、この穴に投げ込みなさい。手を下してはいけない。」これは、ヨセフを彼らの手から救い出し、父のもとに帰すためであった。37:23 ヨセフが兄たちのところに来たとき、彼らは、ヨセフの長服、彼が着ていたあや織りの長服をはぎ取り、37:24 彼を捕らえて、穴の中に投げ込んだ。その穴は空で、中には水がなかった。   ヤコブがヨセフに兄たちが羊を飼っているところに送ります。おそらく、ヤコブがヨセフを通じて息子たちを監視していると思います。一方、兄弟たちはヨセフを憎み、ヨセフの殺害計画を立てていて、ヨセフが現れると穴に押し込んで殺そうとしました。その時、長男のルベンがヨセフを殺すことだけはしないように止めます。昨日に読みましたが、ルベンは父ヤコブの妻、つまり自分の庶母のビルハを犯し、ヨセフはそれを父ヤコブに告げました。ルベンもヨセフが嫌いだったと思いますが、弟を殺すような最悪を犯さないようにしています。ルベンの破倫と憐憫が複雑に重なります。   本文はヨセフが危機を迎える場面ですが、今日はルベンについて考えたいと思います。ルベンは幼い頃から自分の母親レアと自分、そして弟たちが父親から愛されないことの悲しみを持っていたと思います。ルベンはその環境で思春期を過ぎました。そのため、ルベンはヨセフの母親であり、自分のおばであるラケルのことが好きではなかったと思います。ラケルが死んだ後、母親のレはがヤコブに愛されると思いましたが、ヤコブの愛はヨセフに向きます。ルベンのビルハ事件はいかなる理由でも正当化することはできないですが、それはすでに昔から始まった傷と恨みの結果かもしれません。レアの息子であるシメオンとレビがシェケムで残酷な虐殺をし、それを叱る父ヤコブに反抗したことも愛されなかった息子たちの無意識的な怒りのゆだったかも知れません。レアが産んだディナも、レアの息子である自分たちが守らなければならないと思ったわけです。   ところでビルには何の間違いがあるでしょうか?ビルハの人生はしもべであり、妾であり、夫に愛されなかったものです。ヤコブがエサウに会った時、恐かったヤコブはビルハとその子どもたちを一番前に立たせました。ビルハが赤ちゃんを産んでもラケルが持って行き、自分の息子だと言いました。ビルハはラケルとレアの出産競争に犠牲となり、レアの息子ルベンに恥をかかせます。家族の中で傷と恨みが果てしなく続くのです。傷はまた他の家族に傷をつけます。ラケルの息子ヨセフが奴隷に売られる事件は、父親のラバンに愛されなかったレアとラケルが夫を占めようとした嫉妬と戦いの延長線上にあります。ラケルがレアを憎んだ結果が、自分の息子ヨセフが奴隷に売られていく結果を生んだのです。ヨセフが大したのは、その傷と恨みを終わらせたからです。   ルベンは長男の権利を奪われます。ルベンのそれを認めなければなりません。しかし、神様はルベンを捨てませんでした。父なる神は、人間の父ヤコブに傷ついたルベンを捨てません。後日ですが、神様はモーセを通してルベン族を慰め、祝福するときに、「ルベンは生きて、死なないように。その人数が少なくても。」と言われます。振り返ってみると、ヤコブがルベンを愛していなかったわけでもないと思います。ヤコブもかわいそうで、妻たち、息子たちも、娘もみなかわいそうです。そしてその荷をを背負って奴隷として売られていくヨセフもかわいそうです。かわいそうではない人がいません。家族というのは、誰よりも愛する人たちですが、誰よりも傷つき、また傷つける人たちです。人は皆壊れている存在だからです。残っている憎しみさえも、実は表現できない愛だったかも知れません。ルベンのための弁明でした。

창세기 묵상42【르우벤을 위한 변명】221019(수) 에다가와 사랑의 교회

창세기 37:12~2437:12 그 형들이 세겜에 가서 아비의 양떼를 칠 때에37:13 이스라엘이 요셉에게 이르되 네 형들이 세겜에서 양을 치지 아니하느냐 너를 그들에게로 보내리라 요셉이 아비에게 대답하되 내가 그리하겠나이다37:14 이스라엘이 그에게 이르되 가서 네 형들과 양떼가 다 잘 있는 여부를 보고 돌아와 내게 고하라 하고 그를 헤브론 골짜기에서 보 내매 이에 세겜으로 가니라37:15 어떤 사람이 그를 만난즉…

創世記 黙想41【ヤコブの長子】221017(月) 枝川愛の教会

創世記 37:1~1137:1 さて、ヤコブは父の寄留の地、カナンの地に住んでいた。37:2 これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、兄たちとともに羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らとともにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを彼らの父に告げた。37:3 イスラエルは、息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。ヨセフが年寄り子だったからである。それで彼はヨセフに、あや織りの長服を作ってやっていた。37:4 ヨセフの兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、穏やかに話すことができなかった。37:5 さて、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。37:6 ヨセフは彼らに言った。「私が見たこの夢について聞いてください。37:7 見ると、私たちは畑で束を作っていました。すると突然、私の束が起き上がり、まっすぐに立ちました。そしてなんと、兄さんたちの束が周りに来て、私の束を伏し拝んだのです。」37:8 兄たちは彼に言った。「おまえが私たちを治める王になるというのか。私たちを支配するというのか。」彼らは、夢や彼のことばのことで、ますます彼を憎むようになった。37:9 再びヨセフは別の夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また夢を見ました。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいました」と言った。37:10 ヨセフが父や兄たちに話すと、父は彼を叱って言った。「いったい何なのだ、おまえの見た夢は。私や、おまえの母さん、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むというのか。」37:11 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心にとどめていた。   エサウが創世記から離れ、ヨセフの話が始まります。ヤコブは確かに苦労していますが、神様の約束も確かなものです。創世記がヨセフの話につながるということは、エサウではなく、ヤコブが長子だからです。ヨセフの死で創世記が終わるから、残りの創世記の話はヨセフの話です。   昨日にエサウについて読みながら世の中の成功と信仰の失敗ということを考えましたが、ヨセフの話こそが、成功話です。しかし、創世記が語る成功はエサウが金持ちになったことではなく、ヨセフが総理になったことでもありません。成功はどのような状況の中でも神様と伴う人の歩みです。   その根拠についてもう一度強調して言うなら、ヨセフがヨセフになったのは、ヨセフの信仰の熱心ではなく、神様の約束のゆえです。根拠は神様の約束です。神様がそれを成就するためにヨセフに知恵と機会を与えたからです。   もちろんヨセフも素晴らしかったですが、ヨセフから学べる忍耐と誠実さというのは世の中にあります。どれだけ多くの人が耐え忍んで生きていき、一生懸命に生きているのでしょうか?それがポイントではありません。ヨセフをモデルにして学んでも約束がなければエサウと違いはありません。残った創世記を読みますが、ヨセフの偉人伝ではなく、神様の約束に焦点を当てて読みたいと思います。   そして、それは自分にはどのような約束があるのかという質問に戻らなければなりません。ヨセフはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神から啓示された約束を受け継ぎましたが、私たちは完結した神様の特別啓示である聖書66巻を通じて啓示を受け、神様と約束を結びます。ヨセフを見習うことが信仰ではなく、神様の御言葉と自分の人格が約束を結ぶことが信仰です。   ヤコブは4人の妻の中でラケルを特に愛していましたが、ラケルは幼いヨセフを残して末っ子のベニャミンを産みながら死にます。そのためか、ヤコブのヨセフをえこひいきします。ヨセフが17歳だったので、上の兄は30歳を超えていました。私はヤコブの息子たちがシェケムを打った時、長男のルベンの存在感がなかったことについて、彼がシェケムの女と結婚したかったからだと思いました。   ルベンはすでに成長していますが、まだ結婚はしていません。そのようなルベンが事故を起こします。ラケルのしもべ出身の父ヤコブの妻、ビルハと不正な関係を結びます。これを見たヨセフが父に告げます。その事件でルベンは長子の資格を失います。兄弟たちはヨセフを憎みます。   ヨセフはさらに神様が見せてくださった夢を話します。その夢は自分がお兄さんたちの上に立ち、お兄さんたちが自分を敬拝するということです。神様の計画と約束は再びヨセフに啓示され、それを聞いたヤコブはそれを覚えますが、お兄さんたちはヨセフをより一層憎むようになります。確かにヤコブの長子は、ルベンでもなくユダでもなくヨセフです。残った創世記から神様の続く約束の物語を読み、その約束が自分にまで続くことを願います。

창세기 묵상41【야곱의 장자】221018(화) 에다가와 사랑의 교회

창세기 37:1~1137:1 야곱이 가나안 땅 곧 그 아비의 우거하던 땅에 거하였으니37:2 야곱의 약전이 이러하니라 요셉이 십 칠세의 소년으로서 그 형제와 함께 양을 칠 때에 그 아비의 첩 빌하와 실바의 아들들로 더불어 함께 하였더니 그가 그들의 과실을 아비에게 고하더라37:3 요셉은 노년에 얻은 아들이므로 이스라엘이 여러 아들보다 그를 깊이 사랑하여 위하여 채색옷을 지었더니37:4 그 형들이 아비가 형제들보다…

創世記 黙想40【エサウに対する最後の配慮】221017(月) 枝川愛の教会

創世記 36:1~4336:1 これはエサウ、すなわちエドムの歴史である。36:2 エサウはカナンの女の中から妻を迎えた。すなわち、ヒッタイト人エロンの娘アダと、ヒビ人ツィブオンの娘アナの娘オホリバマ、36:3 それにイシュマエルの娘でネバヨテの妹バセマテである。36:4 アダはエサウにエリファズを産み、バセマテはレウエルを産み、36:5 オホリバマはエウシュ、ヤラム、コラを産んだ。これらはカナンの地で生まれたエサウの子である。36:6 エサウは、その妻たち、息子と娘たち、その家のすべての者、その群れとすべての家畜、カナンの地で得た全財産を携え、弟ヤコブから離れて別の地へ行った。36:7 一緒に住むには所有する物が多すぎて、彼らの群れのために寄留していた地は、彼らを支えることができなかったのである。36:8 それでエサウはセイルの山地に住んだ。エサウとは、エドムのことである。36:9 これは、セイルの山地にいたエドム人の先祖エサウの系図である。36:10 エサウの子の名は次のとおり。エサウの妻アダの子エリファズ、エサウの妻バセマテの子レウエル。36:11 エリファズの子はテマン、オマル、ツェフォ、ガタム、ケナズである。36:12 ティムナはエサウの子エリファズの側女で、エリファズにアマレクを産んだ。これらはエサウの妻アダの子である。36:13 レウエルの子はナハテ、ゼラフ、シャンマ、ミザで、これらはエサウの妻バセマテの子であった。36:14 ツィブオンの娘アナの娘である、エサウの妻オホリバマの子は次のとおり。オホリバマはエサウに、エウシュとヤラムとコラを産んだ。36:15 エサウの子で首長は次のとおり。エサウの長子エリファズの子では、首長テマン、首長オマル、首長ツェフォ、首長ケナズ、36:16 首長コラ、首長ガタム、首長アマレクである。これらはエドムの地にいるエリファズから出た首長で、アダの子である。36:17 エサウの子レウエルの子では、次のとおり。首長ナハテ、首長ゼラフ、首長シャンマ、首長ミザ。これらはエドムの地にいるレウエルから出た首長で、エサウの妻バセマテの子である。36:18 エサウの妻オホリバマの子では、次のとおり。首長エウシュ、首長ヤラム、首長コラである。これらは、エサウの妻で、アナの娘であるオホリバマから出た首長である。36:19 これらはエサウ、すなわちエドムの子で、彼らの首長である。36:20 この地の住民フリ人セイルの子は次のとおり。ロタン、ショバル、ツィブオン、アナ、36:21 ディション、エツェル、ディシャンで、これらはエドムの地にいるセイルの子フリ人の首長である。36:22 ロタンの子はホリ、ヘマム。ロタンの妹はティムナであった。36:23 ショバルの子は次のとおり。アルワン、マナハテ、エバル、シェフォ、オナム。36:24 ツィブオンの子は次のとおり。アヤ、アナ。これは、父ツィブオンのろばを飼っていたとき、荒野で温泉を見つけたアナである。36:25 アナの子は次のとおり。ディションと、アナの娘オホリバマ。36:26 ディションの子は次のとおり。ヘムダン、エシュバン、イテラン、ケラン。36:27 エツェルの子は次のとおり。ビルハン、ザアワン、アカン。36:28 ディシャンの子は次のとおり。ウツ、アラン。36:29 フリ人の首長は次のとおり。首長ロタン、首長ショバル、首長ツィブオン、首長アナ、36:30 首長ディション、首長エツェル、首長ディシャン。これらは、セイルの地での首長ごとに挙げた、フリ人の首長である。36:31 イスラエルの子らを王が治める以前、エドムの地で王として治めた者は次のとおりである。36:32 ベオルの子ベラはエドムで治めた。彼の町の名はディンハバであった。36:33 ベラが死ぬと、ボツラ出身のゼラフの子ヨバブが代わりに王となった。36:34 ヨバブが死ぬと、テマン人の地から出たフシャムが代わりに王となった。36:35 フシャムが死ぬと、モアブの野でミディアン人を打ち破った、ベダデの子ハダドが代わりに王となった。その町の名はアウィテであった。36:36 ハダドが死ぬと、マスレカ出身のサムラが代わりに王となった。36:37 サムラが死ぬと、レホボテ・ハ・ナハル出身のシャウルが代わりに王となった。36:38 シャウルが死ぬと、アクボルの子バアル・ハナンが代わりに王となった。36:39 アクボルの子バアル・ハナンが死ぬと、ハダルが代わりに王となった。彼の町の名はパウであった。妻の名はメヘタブエルで、メ・ザハブの娘マテレデの娘であった。36:40 エサウから出た首長の名は、その氏族とその場所ごとにその名を挙げると次のとおり。首長ティムナ、首長アルワ、首長エテテ、36:41 首長オホリバマ、首長エラ、首長ピノン、36:42 首長ケナズ、首長テマン、首長ミブツァル、36:43 首長マグディエル、首長イラム。これらはエドムの首長であり、所有地で住んでいた場所ごとに挙げたものである。エドム人の先祖はエサウである。   この章にはエサウの子孫の系図が出てきます。エサウは、ヤコブに長者権を売り、父イサクの祝福を受けることができなかったことで、ヤコブを殺そうとしましたが、いわゆる世の中が言う意味の祝福はエサウの方がヤコブより受けていました。アブラハム、イサク、ヤコブが生前に受けた世の中の祝福というのはそれほど大きくありません。双子のヤコブは結婚もできず、苦労している時に、エサウはすでに何度も結婚し、栄えて大きいな群れの族長になっていました。出世はエサウが早いです。   エサウは自分にも充分あるからと断ったほどです。聖書はヤコブがお金持ちになったと言いますが、エサウはもっと大きな金持ちでした。ヤコブがエサウと再会してプレゼントをするときに、ヤコブは最後まで卑屈で、エサウは最後までかっこいいです。それでもヤコブが祝福されたことは確かことでしょうか?もしかしたらエサウはヤコブが足をなえてお礼をすることを見て心が変わったのかもしれません。あれが祝福なら、自分はすでにもっと大きい祝福を受けたと思い、ヤコブを憎む必要がなくなったかもしれません。   お金の力は確かに大きいです。だから私たちは、多く持っているの人が、より多くの祝福を受けたと思いますが、神様の祝福をそれによって判断することはできません。エサウはヤコブがカナンに戻り、父イサクが死んだ後に移住します。約束を捨てた人だから、神様の約束の中に入ることができず、約束の舞台の外に出ていきます。エサウの系図は、創世記がイサクの長男を見送る最後の配慮です。エサウの子孫であるエドムは、絶えずイスラエルを苦しめました。新約時代、悪名高いヘロデ王朝が、エドム人です。富がすなわち祝福であると断定してはいけません。神様の約束を持って歩む真の祝福を望みます。  

창세기 묵상40【에서에 대한 마지막 배려】221017(월) 에다가와 사랑의 교회

창세기 36:1~4336:1 에서 곧 에돔의 대략이 이러하니라36:2 에서가 가나안 여인 중 헷 족속 중 엘론의 딸 아다와 히위 족속 중 시브온의 딸 아나의 소생 오홀리바마를 자기 아내로 취하고36:3 또 이스마엘의 딸 느바욧의 누이 바스맛을 취하였더니36:4 아다는 엘리바스를 에서에게 낳았고 바스맛은 르우엘을 낳았고36:5 오홀리바마는 여우스와 얄람과 고라를 낳았으니 이들은 에서의 아들이요 가나안 땅에서 그에게 낳은 자더라36:6…

創世記 黙想39【ベテルに戻ろう】221015(土) 枝川愛の教会

創世記 35:1~1535:1 神はヤコブに仰せられた。「立って、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウから逃れたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。」35:2 それで、ヤコブは自分の家族と、自分と一緒にいるすべての者に言った。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、衣を着替えなさい。35:3 私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこに、苦難の日に私に答え、私が歩んだ道でともにいてくださった神に、祭壇を築こう。」35:4 彼らは、手にしていたすべての異国の神々と、耳につけていた耳輪をヤコブに渡した。ヤコブはそれらを、シェケムの近くにある樫の木の下に埋めた。35:5 彼らが旅立つと、神からの恐怖が周りの町々に下ったので、だれもヤコブの息子たちの後を追わなかった。35:6 ヤコブは、カナンの地にあるルズ、すなわちベテルに来た。彼とともにいた人たちもみな一緒であった。35:7 彼はそこに祭壇を築き、その場所をエル・ベテルと呼んだ。それは、彼が兄から逃れたとき、神がそこで彼に現れたからである。35:8 リベカの乳母デボラが死に、ベテルの下手にある樫の木の下に葬られた。それで、その木の名はアロン・バクテと呼ばれた。35:9 ヤコブがパダン・アラムから帰って来たとき、神は再び彼に現れ、彼を祝福された。35:10 神は彼に仰せられた。「あなたの名はヤコブである。しかし、あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルが、あなたの名となるからだ。」こうして神は彼の名をイスラエルと呼ばれた。35:11 神はまた、彼に仰せられた。「わたしは全能の神である。生めよ。増えよ。一つの国民が、国民の群れが、あなたから出る。王たちがあなたの腰から生まれ出る。35:12 わたしは、アブラハムとイサクに与えた地を、あなたに与える。あなたの後の子孫にも、その地を与えよう。」35:13 神は彼に語ったその場所で、彼を離れて上って行かれた。35:14 ヤコブは、神が自分に語られた場所に、柱を、石の柱を立て、その上に注ぎのぶどう酒を注ぎ、さらにその上に油を注いだ。35:15 ヤコブは、神が自分と語られたその場所をベテルと名づけた。   ヤコブがエサウの殺害の脅威から荒野に逃げだした時、ベテルの神様に会いました。そこで自分を守ってくださる神様と約束を結びました。長い年月が経った後、ヤコブは再びカナンに戻ってきました。耐え忍ばなければならず、謝らなければなりませんでした。それによって隣人と平和を成します。しかし、シェケムに定着したヤコブは心を刺すような人間の貪欲に会います。娘が性暴行に会い、復讐心に燃えた息子たちが一つの部族を皆殺してしまいます。   殺し合い、刺され合い人生の失敗を再び経験したヤコブに、神様はベテルに行きなさいと言われます。人は知りませんが、ヤコブはベテルという名前を聞くだけで涙が出そうなところです。恐ろしくて寂しかった日、人生の唯一の慰め、神様に出会った所です。だからベテルは宗教ではなく人格なのです。唯一の慰めがあるところです。   神様がベテルに上るようにと言われたのは、苦しんでいるヤコブに礼拝を回復させるためです。息子たちの持ち物から異邦の神々の像と、耳につけていた耳輪が出てきます。すでに汚染されていたことがわかります。神様のものではないものを心に抱き、それに影響を受けると、人間は好転的になり、かつ暴力的に変わります。絶望した人間は、礼拝に戻らなければなりません。神様にある希望を求めて油を備え、ベテルに上らなければなりません。