창세기 묵상9【웃게 될 사람들】220908(목) 에다가와 사랑의 교회

창세기 21:1~721:1 여호와께서 그 말씀대로 사라를 권고하셨고 여호와께서 그 말씀대로 사라에게 행하셨으므로21:2 사라가 잉태하고 하나님의 말씀하신 기한에 미쳐 늙은 아브라함에게 아들을 낳으니21:3 아브라함이 그 낳은 아들 곧 사라가 자기에게 낳은 아들을 이름하여 이삭이라 하였고21:4 그 아들 이삭이 난지 팔일만에 그가 하나님의 명대로 할례를 행하였더라21:5 아브라함이 그 아들 이삭을 낳을 때에 백세라21:6 사라가 가로되 하나님이 나로…

創世記 黙想8【信仰の父、アブラハムは弱虫】220907(水) 枝川愛の教会

創世記 20:1~1820:1 アブラハムは、そこからネゲブの地方へ移り、カデシュとシュルの間に住んだ。ゲラルに寄留していたとき、20:2 アブラハムは、自分の妻サラのことを「これは私の妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、人を遣わしてサラを召し入れた。20:3 その夜、神が夢の中でアビメレクのところに来て、こう仰せられた。「見よ。あなたは、自分が召し入れた女のために死ぬことになる。あの女は夫のある身だ。」20:4 アビメレクは、まだ彼女に近づいていなかった。そこで彼は言った。「主よ、あなたは正しい国民さえも殺されるのですか。20:5 彼が私に『これは私の妹です』と言ったのではありませんか。彼女自身も『これは私の兄です』と言いました。私は、全き心と汚れのない手で、このことをしたのです。」20:6 神は夢の中で彼に仰せられた。「そのとおりだ。あなたが全き心でこのことをしたのを、わたし自身もよく知っている。それでわたしも、あなたがわたしの前に罪ある者とならないようにした。だからわたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。20:7 今、あの人の妻をあの人に返しなさい。あの人は預言者で、あなたのために祈ってくれるだろう。そして、いのちを得なさい。しかし、返さなければ、あなたも、あなたに属するすべての者も、必ず死ぬことを承知していなさい。」20:8 翌朝早く、アビメレクは彼のしもべをみな呼び寄せ、これらのことをすべて語り聞かせたので、人々は非常に恐れた。20:9 アビメレクはアブラハムを呼び寄せて言った。「あなたは何ということを私たちにしたのか。私がいったい、罪となるどんなことをあなたにしたというのか。あなたが、私と私の王国に大きな罪をもたらそうとするとは。あなたは、してはならないことを私にしたのだ。」20:10 また、アビメレクはアブラハムに言った。「あなたはなぜ、こんなことをしたのか。」20:11 アブラハムは答えた。「この地方には、神を恐れることが全くないので、人々が私の妻のゆえに私を殺すと思ったのです。20:12 また、本当に、あれは私の妹、私の父の娘です。でも、私の母の娘ではありません。それが私の妻になったのです。20:13 神が私を父の家から、さすらいの旅に出されたとき、私は彼女に、『このようにして、あなたの真実の愛を私に尽くしてほしい。私たちが行くどこででも、私のことを、この人は私の兄です、と言ってほしい』と言ったのです。」20:14 アビメレクは、羊の群れと牛の群れと、男女の奴隷たちを連れて来て、アブラハムに与え、またアブラハムの妻サラを彼に返した。20:15 アビメレクは言った。「見なさい。私の領地があなたの前に広がっている。あなたの良いと思うところに住みなさい。」20:16 サラに対しては、こう言った。「ここに、銀千枚をあなたの兄に与える。これはあなたにとって、また一緒にいるすべての人にとって、あなたを守るものとなるだろう。これであなたは、すべての人の前で正しいとされるだろう。」20:17 そこで、アブラハムは神に祈った。神は、アビメレクとその妻、また女奴隷たちを癒やされたので、彼らは再び子を産むようになった。20:18 主が、アブラハムの妻サラのことで、アビメレクの家のすべての胎を堅く閉じておられたのである。   アブラハムは自分の妻、サラを自分の妹であると嘘をつきます。12章に続き、2回目です。それは、サラが美人であるためサラを奪いたいと思っている男たちが夫であるアブラハム殺すかも知れないからです。実際に彼の弁明をこうでした。「この地方には、神を恐れることが全くないので、人々が私の妻のゆえに私を殺すと思ったのです。11」しかし、神様よりも人を恐れたのはアブラハム自身です。アブラハムが天使たちの訪問後にサラを通して生まれるべき約束の子を覚えていたならば、サラの胎を大切に守らなければなりませんでした。ところが、アブラハムは怖がり、自分は彼女の夫ではなく兄であると言う卑怯を犯し、妻を渡しました。見ていられなかった神様が直接サラを連れてきます。異邦の王がサラを返しながらなぜ嘘をついたのかと言うと、アブラハムはサラが確かに自分の妻ですが、本来は異服兄妹であるというなくもがなの発言をします。様々な文化の違いや状況の特殊性を考慮しても、アブラハムは「弱虫」という非難を避けることはできません。   だからといって失望したり非難することはありません。アブラハムがアブラハムになったのは、アブラハムによるのではなく、アブラハムを選ばれ、召され、祝福された神様によるものだからです。アブラハムはすでに神様と契約を結んでおり、神様と同役関係です。そのため、アブラハムは守られます。ダビデはそれを「主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。23:3」と言いました。神様はご自分の御名の栄光のために、選ばれた同役者の責任を負われます。アブラハムは確かに恥をかくところですが、神様はかえってアブラハムの体面を保たれます。アブラハムを預言者と公表し,アブラハムに祈らせ,その祈りに答え、アビメレクの家の不妊を癒し,アブラハムの権威を立ててくださいます。アブラハム、つまり約束の人の特権です。恥じがありますが、恥を犯さないことよりも大切なことは、神様の約束の中に止まることです。

창세기 묵상8【믿음의 조상 아브라함은 찌질이】220907(수) 에다가와 사랑의 교회

창세기 20:1~1820:1 아브라함이 거기서 남방으로 이사하여 가데스와 술 사이 그랄에 우거하며20:2 그 아내 사라를 자기 누이라 하였으므로 그랄 왕 아비멜렉이 보내어 사라를 취하였더니20:3 그 밤에 하나님이 아비멜렉에게 현몽하시고 그에게 이르시되 네가 취한 이 여인을 인하여 네가 죽으리니 그가 남의 아내임이니라20:4 아비멜렉이 그 여인을 가까이 아니한 고로 그가 대답하되 주여 주께서 의로운 백성도 멸하시나이까20:5 그가 나더러…

創世記 黙想7【義人のロトが失敗した理由】220906(火) 枝川愛の教会

創世記 19:30~3819:30 ロトはツォアルから上って、二人の娘と一緒に、山の上に住んだ。ツォアルに住むのを恐れたからである。彼と二人の娘は洞穴の中に住んだ。19:31 姉は妹に言った。「父は年をとっています。この地には、私たちのところに、世のしきたりにしたがって来てくれる男の人などいません。19:32 さあ、父にお酒を飲ませ、一緒に寝て、父によって子孫を残しましょう。」19:33 その夜、娘たちは父親に酒を飲ませ、姉が入って行き、一緒に寝た。ロトは、彼女が寝たのも起きたのも知らなかった。19:34 その翌日、姉は妹に言った。「ご覧なさい。私は昨夜、父と寝ました。今夜も父にお酒を飲ませましょう。そして、あなたが行って、一緒に寝なさい。そうして、私たちは父によって子孫を残しましょう。」19:35 その夜も、娘たちは父親に酒を飲ませ、妹が行って、一緒に寝た。ロトは、彼女が寝たのも起きたのも知らなかった。19:36 こうして、ロトの二人の娘は父親によって身ごもった。19:37 姉は男の子を産んで、その子をモアブと名づけた。彼は今日のモアブ人の先祖である。19:38 妹もまた、男の子を産んで、その子をベン・アミと名づけた。彼は今日のアンモン人の先祖である。   誰も旅人を受け入れない時代に、アブラハムとロトの旅人に対するもてないは、彼らの義を表しているものです。しかし、ロトにはそれ以外の良いものを見つけることができません。アブラハムの恩を知らず、アブラハムと争って利益をとり、危機の瞬間には自分の娘たちを犠牲にしました。婿を統制できず、妻も守れませんでした。家族の半分を失い、娘たちは父親であるロトを通して子どもを産む破倫を犯してしまいました。ロトはすべてを失いました。   社会的な意味では、ロトのように周りを統制できない人を義人と言わないと思います。ロトの評価は分かれますが、ロトを義人であるということに反対ではありません。義人だと言えてもその人間の裏面には必ず不義の面があるからです。ロトの家族はソドムという堕落した環境に汚染されていましたし、ロトはそれを制御することもできませんでした。ロトの過ちは、邪悪な何かではなく、選択を間違ったことであり、環境と条件に支配されていたことです。   環境はいかに大切ですか?二人の娘の猟奇的な行動と考え方はソドムという環境に染まっていたからです。不義な環境、わいせつな環境の中で、自分だけが強い意志を持って自分自身を守るということにはいつも限界があります。人間の意志でできる最善というは、一人で我慢し、貫くのではなく、自分を守ることができるより良い環境に自分を連れていくことです。もし、ロトが自分の財産の一部を譲ることがあっても、アブラハムと共同体を成していたならば、ロトの末年がこれほど悲惨にはならなかったでしょう。意志のある限り、霊的な環境を整備すれば、その環境はきっと私の多くことを守ってくださいます。

창세기 묵상7【의인 롯이 실패한 이유】220906(화) 에다가와 사랑의 교회

창세기 19:30~3819:30 롯이 소알에 거하기를 두려워하여 두 딸과 함께 소알에서 나와 산에 올라 거하되 그 두 딸과 함께 굴에 거하였더니19:31 큰 딸이 작은 딸에게 이르되 우리 아버지는 늙으셨고 이 땅에는 세상의 도리를 좇아 우리의 배필 될 사람이 없으니19:32 우리가 우리 아버지에게 술을 마시우고 동침하여 우리 아버지로 말미암아 인종을 전하자 하고19:33 그 밤에 그들이 아비에게 술을…

創世記 黙想6【塩になった執着】220905(月) 枝川愛の教会

創世記 19:23~2919:23 太陽が地の上に昇り、ロトはツォアルに着いた。19:24 そのとき、主は硫黄と火を、天から、主のもとからソドムとゴモラの上に降らせられた。19:25 こうして主は、これらの町々と低地全体と、その町々の全住民と、その地の植物を滅ぼされた。19:26 ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。19:27 翌朝早く、アブラハムは、かつて主の前に立ったあの場所に行った。19:28 彼は、ソドムとゴモラの方、それに低地の全地方を見下ろした。彼が見ると、なんと、まるでかまどの煙のように、その地から煙が立ち上っていた。19:29 神が低地の町々を滅ぼしたとき、神はアブラハムを覚えておられた。それで、ロトが住んでいた町々を滅ぼしたとき、神はロトをその滅びの中から逃れるようにされた。   ソドムとゴモラが滅びます。御使いたちはロトの家族に救いの機会を与えましたが、ロトの二人の婿はそれを信じず、滅びる町に残りました。「生活の場」に執着する人は、「生きる」ことがなくなる警告を受けても「場」にこだわり、生きることをを失ってしまいます。執着は人を愚かにし、愚かな人は執着します。上位価値のために切り換えができないからです。お金というのも、生きるために必要なものですが、お金にこだわって命を失うことをしばしばを見ます。救いの道が提示されても執着していているものを手放すことができないため、結局に最も大切なことを失います。ロトの婿たちはそのような人々でした。   ということでロトと彼の妻と二人の娘だけが町を脱出します。本来、ロトがソドムとゴモラに入ってきたのは、そこには牧草が豊富だったからです。叔父アブラハムとの財産紛争が起きた時、アブラハムが甥ロトに良い地を譲ったので、ロトはソドムとゴモラに入ったのです。牧畜に良い地だったので、ロトには牧畜による大きな財産を持っていました。ところが、町が滅びる緊急のときには急いで身を避けなければならないのでそれらを現金化することはできません。置いて出なければならないです。もしそれに執着していまったら、生きることをあきらめなければなりません。ロトの妻は振り返ってはならないと言われたにも、振り返ってみてしまったのです。執着と未練のためです。それによってロトの妻は塩の柱になりました。   塩人形が海に「誰ですか」と聞きました。海は「説明するのはできないけど…触ってみればわかる」と言いました。塩人形が海に足を入れると足が消え、手をつかむと手が消えました。海の深さを計るために海に飛び込んだら塩人形は溶けて海の一部になっりました。塩人形の文学的解釈を溶解する一体的な愛と言えるかもしれませんが、手で握っても所有できないという解釈、むしろその手と足と存在のすべてが失われるということで教訓を得ます。今、執着していることを見つけ、それを捨てることによって受け取ることが何なのかを真剣に悩みたいと思います。

창세기 묵상6【소금이 된 집착】220905(월) 에다가와 사랑의 교회

창세기 19:23~29 19:23 롯이 소알에 들어갈 때에 해가 돋았더라 19:24 여호와께서 하늘 곧 여호와에게로서 유황과 불을 비 같이 소돔과 고모라에 내리사 19:25 그 성들과 온 들과 성에 거하는 모든 백성과 땅에 난것을 다 엎어 멸하셨더라 19:26 롯의 아내는 뒤를 돌아본고로 소금 기둥이 되었더라 19:27 아브라함이 그 아침에 일찌기 일어나 여호와의 앞에 섰던 곳에 이르러 19:28…

創世記 黙想5【自立】220805(金) 枝川愛の教会

創世記 2:18~252:18 また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」2:19 神である主は、その土地の土で、あらゆる野の獣とあらゆる空の鳥を形造って、人のところに連れて来られた。人がそれを何と呼ぶかをご覧になるためであった。人がそれを呼ぶと、何であれ、それがその生き物の名となった。2:20 人はすべての家畜、空の鳥、すべての野の獣に名をつけた。しかし、アダムには、ふさわしい助け手が見つからなかった。2:21 神である主は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。2:22 神である主は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた。2:23 人は言った。「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから。」2:24 それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。2:25 そのとき、人とその妻はふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。   神様はアダムを造られた後、アダムが一人でいることを良しと思わず、助け手である女を造ってくださいました。その名前は男が作ります。男は名前をつけ、その名前を呼び、愛し、連合して一体となって家庭が始まりました。神様は宇宙と地球環境の創造しただけでなく、家庭環境という生き方までデザインされました。人間は神様の秩序の中で幸福を味わいます。   家族にとって、子どもは大切ですが、とはいえ家庭の中心は子どもではなく、夫婦です。時が来ると、子どもは親から離れます。離れないといけないし、送らなければなりません。子どもは親を離れ、独立し、一家を成して精神的に、経済的に、霊的に自立します。信仰においても親に従属してはいけません。自分の信仰は自分が主体的に責任を負っていきます。   親を離れなければ、神様の召しが聞こえません。アブラハムとイサクとヤコブの神という言葉は、神様が約束したからといって血筋によって信仰が続けれるということではありません。神様の約束の守り方は、独立した人格体を荒野に呼び出し、信仰を自立させるのです。だから、父の信仰で生きた人はいません。自分自身が荒野に出ていき、自分の神様に出会い、祭壇を築き、自分の神様を信じました。   親を離れて自立しなければならない時になっても、親から経済的支援を続けたり、親の信仰に属しているならば、結局は子どもに人生の責任も、信仰の主体性も持たせることができなくなります。教育の最大は、信仰の入り口にまで連れて行くことです。そこで一人格が神様と出会うことによって信仰は始まります。

창세기 묵상5【자립】220805(금) 에다가와 사랑의 교회

창세기 2:18~252:18 여호와 하나님이 가라사대 사람의 독처하는 것이 좋지 못하니 내가 그를 위하여 돕는 배필을 지으리라 하시니라2:19 여호와 하나님이 흙으로 각종 들짐승과 공중의 각종 새를 지으시고 아담이 어떻게 이름을 짓나 보시려고 그것들을 그에게로 이끌어 이르시니 아담이 각 생물을 일컫는 바가 곧 그 이름이라2:20 아담이 모든 육축과 공중의 새와 들의 모든 짐승에게 이름을 주니라 아담이 돕는…

創世記 黙想4【必ず死ぬ】220804(木) 枝川愛の教会

創世記 2:4~172:4 これは、天と地が創造されたときの経緯である。神である主が、地と天を造られたときのこと。2:5 地にはまだ、野の灌木もなく、野の草も生えていなかった。神である主が、地の上に雨を降らせていなかったからである。また、大地を耕す人もまだいなかった。2:6 ただ、豊かな水が地から湧き上がり、大地の全面を潤していた。2:7 神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。2:8 神である主は東の方のエデンに園を設け、そこにご自分が形造った人を置かれた。2:9 神である主は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。2:10 一つの川がエデンから湧き出て、園を潤していた。それは園から分かれて、四つの源流となっていた。2:11 第一のものの名はピション。それはハビラの全土を巡って流れていた。そこには金があった。2:12 その地の金は良質で、そこにはベドラハとショハム石もあった。2:13 第二の川の名はギホン。それはクシュの全土を巡って流れていた。2:14 第三の川の名はティグリス。それはアッシュルの東を流れていた。第四の川、それはユーフラテスである。2:15 神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。2:16 神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。2:17 しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」   神様はエデンを造り、エデンにアダムを住ませました。汚染されていない創造の原型がエデンです。すべての人は死とそれによる別れと食べて生きる問題で日々ストレスを受けます。エデンでは経済力のために勉強し、競争し、労働する必要はありませんでした。死の恐怖と別れの悲しみもありませんでした。人間の不従順により、汚染される前、神様が見て良しとされたエデンでたった一日だけでも住んでみたいと思います。堕落した地と人間が回復すること、それは信仰の究極の目標です。   神様はいのちの木、また善悪の知識の木を造り、それを食べないように禁止されました。それを食べたら必ず死ぬと言われました。必ず死ぬと言われましたが、食べた瞬間に死ぬことではありませんでした。死ぬということは、人間が死ぬ存在になるという意味です。罪の報酬は死であり、罪ある人間が一度死ぬことは、神様が定められたことです。   必ず死ぬというのは、神様の約束通りの懲罰でもありますが、罪ある人間への配慮でもあります。創世記には、人間の堕落と神様の憐れみが無限に続きます。食べてはいけないのは人間の幸福のためであり、食べたら死ぬということも人間のためであります。イエス・キリストを通して死に打ち勝たせたことも人間を罪から死から救うための恵みです。今日もこの地に行きますが、帰るべきエデンを慕い、その唯一の道のイエス・キリストにすがります。