창세기 묵상29【라반잡는 야곱】221003(월) 에다가와 사랑의 교회

창세기 30:25~4330:25 라헬이 요셉을 낳은 때에 야곱이 라반에게 이르되 나를 보내어 내 고향 내 본토로 가게 하시되30:26 내가 외삼촌에게서 일하고 얻은 처자를 내게 주어 나로 가게 하소서 내가 외삼촌께 한 일은 외삼촌이 아시나이다30:27 라반이 그에게 이르되 여호와께서 너로 인하여 내게 복 주신줄을 내가 깨달았노니 네가 나를 사랑스럽게 여기거든 유하라30:28 또 가로되 네 품삯을 정하라 내가…

創世記 黙想28【子作り試合】221001(土) 枝川愛の教会

創世記 30:1~1330:1 ラケルは自分がヤコブに子を産んでいないのを見た。ラケルは姉に嫉妬し、ヤコブに言った。「私に子どもを下さい。でなければ、私は死にます。」30:2 ヤコブはラケルに怒りを燃やして言った。「私が神に代われるというのか。胎の実をおまえに宿らせないのは神なのだ。」30:3 彼女は言った。「ここに、私の女奴隷のビルハがいます。彼女のところに入り、彼女が私の膝に子を産むようにしてください。そうすれば、彼女によって私も子を得られるでしょう。」30:4 ラケルは彼に女奴隷ビルハを妻として与えたので、ヤコブは彼女のところに入った。30:5 ビルハは身ごもり、ヤコブに男の子を産んだ。30:6 そこでラケルは、「神は私をかばってくださり、私の声を聞き入れて、私に男の子を与えてくださった」と言った。それゆえ、彼女はその子をダンと名づけた。30:7 ラケルの女奴隷ビルハは再び身ごもって、ヤコブに二番目の男の子を産んだ。30:8 そこでラケルは、「私は姉と死に物狂いの争いをして、ついに勝った」と言って、その子をナフタリと名づけた。30:9 レアは自分が子を産まなくなったのを見て、彼女の女奴隷ジルパをヤコブに妻として与えた。30:10 レアの女奴隷ジルパはヤコブに男の子を産んだ。30:11 レアは「幸運が来た」と言って、その子をガドと名づけた。30:12 レアの女奴隷ジルパはヤコブに二番目の男の子を産んだ。30:13 レアは、「なんと幸せなことでしょう。女たちは私を幸せ者と言うでしょう」と言って、その子をアシェルと名づけた。   ラケルが息子を産めなかったので、レアを妬み、自分の女奴隷をヤコブの妻として与え、子どもを産ませます。すると、レアもそれに負けないから、自分の女奴隷ををヤコブに与え、息子を産ませます。ラバンだけでなく、すべての登場人物が自分の所有に執着しているのです。他人でもなく家族の中で、妻も夫も子も甥も女奴隷もすべてが所有のための競争に夢中です。   子どもが13人生まれるということは、長い時間をもって起こることです。しかし、創世記は、まるで数日の間に起こった騒動のように語っています。それを通してこの家庭がそれぞれの欲のために長い間、争い、平和がなかったということを語っているのです。当時の結婚文化を明確に分かる方法はありませんが、二人の姉妹を一人の男に結婚させたラバンが始めた不幸です。   ヤコブ家の子どもの出産は今朝の本文で終わりません。まだ娘1人を含め、5人がさらに生まれてきます。このような息子を産む競争を通してイスラエル12部族が生まれます。今の倫理から見ればめちゃくちゃな家ですが、問題のない家とはありません。その問題は特殊なことでもありません。人間にとって罪は一般です。その隙間の中で神様の約束は間違いなく進められています。   アブラハムには1人の息子が、イサクには2人の息子がいましたが、ヤコブは12人の息子を産み、イスラエル12部族が誕生します。創世記がヤコブの隠密な部屋を公開するのは、絶対的に救いが必要な壊れた人間の現在を告発しているのではないでしょうか。それにもかかわらず、神様は彼らを通して救いの計画を引き継いでおられます。  

창세기 묵상28【아들낳기 시합】221001(토) 에다가와 사랑의 교회

창세기 30:1~1330:1 라헬이 자기가 야곱에게 아들을 낳지 못함을 보고 그 형을 투기하여 야곱에게 이르되 나로 자식을 낳게 하라 그렇지 아니하면 내가 죽겠노라30:2 야곱이 라헬에게 노를 발하여 가로되 그대로 성태치 못하게 하시는 이는 하나님이시니 내가 하나님을 대신하겠느냐30:3 라헬이 가로되 나의 여종 빌하에게로 들어가라 그가 아들을 낳아 내 무릎에 두리니 그러면 나도 그를 인하여 자식을 얻겠노라 하고30:4…

創世記 黙想27【人間事と救贖史】220930(金) 枝川愛の教会

創世記 29:31~3529:31 主はレアが嫌われているのを見て、彼女の胎を開かれたが、ラケルは不妊の女であった。29:32 レアは身ごもって男の子を産み、その子をルベンと名づけた。彼女が、「主は私の悩みをご覧になった。今こそ夫は私を愛するでしょう」と言ったからである。29:33 彼女は再び身ごもって男の子を産み、「主は私が嫌われているのを聞いて、この子も私に授けてくださった」と言って、その子をシメオンと名づけた。29:34 彼女はまた身ごもって男の子を産み、「今度こそ、夫は私に結びつくでしょう。私が彼に三人の子を産んだのだから」と言った。それゆえ、その子の名はレビと呼ばれた。29:35 彼女はさらに身ごもって男の子を産み、「今度は、私は主をほめたたえます」と言った。それゆえ、彼女はその子をユダと名づけた。その後、彼女は子を産まなくなった。   ラバンは、ヤコブにラケルとの結婚を条件でさらに7年間の労働を求めます。しかし、自分の娘ラケルを7年間待たせることはできないから、まず結婚してから7年間働くようにと要求します。すべての契約はラバン勝手です。結局、ヤコブは2人の姉妹と同時に結婚し、7年間ラバンのもとで働きます。   確かにヤコブがラバンにやられ、忍耐の時代を過ごすのが主なストーリですが、創世記はその陰でヤコブに愛されないレアのことを照らします。ヤコブがあからさまに表わしているようにレアよりラケルの方がきれいで魅力的でした。そんな理由でレアは幼い頃から妹のラケルに被害意識を持っていたかもしれません。   しかも、誰もレアと結婚しようとする男がいなかったので、ラバンとしては、娘を嫁に送る代価としてのお金を受け取ることができませんでした。それによって妹のラケルも結婚できなかったのでヤコブの労働力にその損を請求したわけです。このような想像がラバンに失礼ではないことは、創世記が描くラバンは充分にそのような人だからです。   ヤコブはラバンに騙されてレアと結婚しましたが、レアもヤコブを愛して結婚したわけではありません。しかし、伝統的な価値観の中でレアは夫のヤコブを愛し、また愛されたがっていましたが、レアはその当然の幸せを断られ、孤独でひとりぼっちです。   ここで神様の努力が一つあります。「主はレアが嫌われているのを見て、彼女の胎を開かれたが、ラケルは不妊の女であった。31」神様はラケルにはない出産の機会をレアに先に与えられました。出産の機会を先に与えられたということは、レアが家庭で自分の位置を占め、ヤコブに愛されるようにするためでした。   しかし、7年間ヤコブとレアは夫婦でしたが、ヤコブは常にラケルを愛し、レアはひまわりのように夫ヤコブに愛を求め続けます。そんな中でも、ヤコブはレアを通して4人の息子を産みます。ヤコブはラケルの方をもっと愛しましたが、ラケルは子どもを産むことができなかったからです。さすがヤコブらしいです。   レアが7年間に4人の子どもを産んだということは、休まずに妊娠し、出産することを繰り返したのです。息子を産んだら、ヤコブが自分を愛し、幸せな家庭を築くと期待していましたが、子どもを産めば産むほど、レアは深い孤独に陥ります。子育ては大変で、夫は戻ってきません。   ラバンの貪欲とヤコブの執着、レアの期待はすべて一方通行です。もちろん各自は自分の幸せのために何かを望んでいるだけですが、それによって誰かは傷つきます。自分の幸せを追い求めるだけですが、誰かはその幸せのゆえに不幸にならなければなりません。それが「人間事」です。   しかし、神様の「救贖史」は愛されなかったレアの末の子のユダを通じて血統を引き継いでいきます。ユダからダビデが出、ダビデの家からキリストが生まれます。ヤコブはラケルを選びましたが、神様はレアの胎を通して神様の救いを働きを続けます。   加害者と被害者が定まっていません。皆が誰かを不幸にする加害者になり、また、誰かによって被害者になります。救うことのできない愛憎の人間事に来られ、やがて救われるのが、神様の救贖史(Salvationhistory)、すなわちキリストの福音の恵みでしょう。

창세기 묵상27【인간사와 구속사】220930(금) 에다가와 사랑의 교회

창세기 29:31~3529:31 여호와께서 레아에게 총이 없음을 보시고 그의 태를 여셨으나 라헬은 무자하였더라29:32 레아가 잉태하여 아들을 낳고 그 이름을 르우벤이라 하여 가로되 여호와께서 나의 괴로움을 권고하셨으니 이제는 내 남편이 나를 사랑하리로다 하였더라29:33 그가 다시 잉태하여 아들을 낳고 가로되 여호와께서 나의 총이 없음을 들으셨으므로 내게 이도 주셨도다 하고 그 이름을 시므온이라 하였으며29:34 그가 또 잉태하여 아들을 낳고…

創世記 黙想26【ラバンにやられるヤコブ】220929(水) 枝川愛の教会

創世記 29:15~3029:15 ラバンはヤコブに言った。「あなたが私の親類だからといって、ただで私に仕えることもないだろう。どういう報酬が欲しいのか、言ってもらいたい。」29:16 ラバンには二人の娘がいた。姉の名はレア、妹の名はラケルであった。29:17 レアは目が弱々しかったが、ラケルは姿も美しく、顔だちも美しかった。29:18 ヤコブはラケルを愛していた。それで、「私はあなたの下の娘ラケルのために、七年間あなたにお仕えします」と言った。29:19 ラバンは、「娘を他人にやるよりは、あなたにやるほうがよい。私のところにとどまっていなさい」と言った。29:20 ヤコブはラケルのために七年間仕えた。ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数日のように思われた。29:21 ヤコブはラバンに言った。「私の妻を下さい。約束の日々が満ちたのですから。彼女のところに入りたいのです。」29:22 そこでラバンは、その土地の人たちをみな集めて祝宴を催した。29:23 夕方になって、ラバンは娘のレアをヤコブのところに連れて行ったので、ヤコブは彼女のところに入った。29:24 ラバンはまた、娘のレアに、自分の女奴隷ジルパを彼女の女奴隷として与えた。29:25 朝になって、見ると、それはレアであった。それで彼はラバンに言った。「あなたは私に何ということをしたのですか。私はラケルのために、あなたに仕えたのではありませんか。なぜ、私をだましたのですか。」29:26 ラバンは答えた。「われわれのところでは、上の娘より先に下の娘を嫁がせるようなことはしないのだ。29:27 この婚礼の一週間を終えなさい。そうすれば、あの娘もあなたにあげよう。その代わり、あなたはもう七年間、私に仕えなければならない。」29:28 そこで、ヤコブはそのようにした。すなわち、その婚礼の一週間を終えた。それでラバンは、その娘ラケルを彼に妻として与えた。29:29 ラバンは娘のラケルに、自分の女奴隷ビルハを彼女の女奴隷として与えた。29:30 ヤコブはこうして、ラケルのところにも入った。ヤコブは、レアよりもラケルを愛していた。それで、もう七年間ラバンに仕えた。   ラバンはヤコブを歓待しますが、1ヶ月後に自分の家で一緒に暮すための条件を話します。口では甥に無賃で働かせることはないから欲しがっている報いを言いなさいということでしたが、実は補償をしてあげるつもりはなく、条件をつけてヤコブの労働力を搾取する下心でした。ラバンは計算の速い人です。ヤコブがすでに自分の娘ラケルが好きになったことを知っていたので、7年間、自分に付いて働けば、ラケルと結婚させてあげるという取り引きをします。甥を対象に、娘を玉にして取り引きをするラバンの計算力が悲しいです。ヤコブはその契約に同意しますが、ラバンはその契約さえも守りません。7年後、ヤコブが結婚式の初夜を終え、朝に起きてみたらラケルではなくラヘルの姉レアでした。   抗議するヤコブにラバンはさらに7年もっと働けばラケルまで与えると紛らします。専らラケルに目的があるヤコブはさらに7年を働きます。結局14年間ラバンのもとで働くことになります。 7年という時間には理由があると思います。留学生活と外国生活をしてみたら、外国に出て生活する人は初期の数年間は早く勉強や仕事を終え、帰りたいと願いますが、6年か7年くらい経ってからは帰るのをかえってためらいます。ようやく生活に慣れたのに、また新しい生活に慣れるのが恐いのです。ラバンは、ヤコブが14年間働き、結婚をし、子どもを産むと、自分のための持続可能な労働力になると思いました。ヤコブは叔父であり、義父であるラバンに結婚を口実にした労働搾取にあったわけです。   ヤコブもラバンに負けないぐらい計算に遅くない人ですが、ヤコブはラバンにだまされます。それを知りましたが、耐え忍んだのはヤコブがラケルを愛したからです。イサクが井戸を譲っても神様がイサクを祝福したように、ヤコブが不平等な契約を結んでも神様がヤコブを祝福するでしょう。もし、今小さな損害に怒り、もしくは恨んでいるなら、今一度神様に頼りましょう。まだ終わっていません。損して失ったものがあれば、全て神様が保管しておられます。今の損害が永遠の損害ではなく、今占めたものが永遠に自分のものでもありません。神様は生きておられますし、私たちも信仰の中で生きる日々がまだ残っています。

창세기 묵상26【야곱잡는 라반】220929(목) 에다가와 사랑의 교회

창세기 29:15~3029:15 라반이 야곱에게 이르되 네가 비록 나의 생질이나 어찌 공으로 내 일만 하겠느냐 무엇이 네 보수겠느냐 내게 고하라29:16 라반이 두 딸이 있으니 형의 이름은 레아요 아우의 이름은 라헬이라29:17 레아는 안력이 부족하고 라헬은 곱고 아리따우니29:18 야곱이 라헬을 연애하므로 대답하되 내가 외삼춘의 작은 딸 라헬을 위하여 외삼촌에게 칠년을 봉사하리이다29:19 라반이 가로되 그를 네게 주는 것이 타인에게…

創世記 黙想25【ラケルに会ったヤコブ】220928(水) 枝川愛の教会

創世記 29:1~1429:1 ヤコブは旅を続けて、東の人々の国へ行った。29:2 ふと彼が見ると、野に井戸があった。ちょうどその傍らに、三つの羊の群れが伏していた。その井戸から群れに水を飲ませることになっていたからである。その井戸の口の上にある石は大きかった。29:3 群れがみなそこに集められたら、その石を井戸の口から転がして、羊に水を飲ませ、その石を再び井戸の口の元の場所に戻すことになっていた。29:4 ヤコブがその人たちに「兄弟たちよ、あなたがたはどこの方ですか」と尋ねると、彼らは「私たちはハランの者です」と答えた。29:5 それでヤコブが「あなたがたはナホルの子ラバンをご存じですか」と尋ねると、彼らは「よく知っています」と答えた。29:6 ヤコブは彼らに尋ねた。「その人は元気ですか。」すると彼らは、「元気です。ほら、娘のラケルが羊を連れてやって来ます」と言った。29:7 ヤコブは言った。「ご覧なさい。日はまだ高いし、群れを集める時間でもありません。羊に水を飲ませて、草を食べさせに戻ってはどうですか。」29:8 すると彼らは言った。「そうはできません。群れがみな集められて、井戸の口から石を転がすまでは。それから、羊に水を飲ませるのです。」29:9 ヤコブがまだ彼らと話しているとき、ラケルが父の羊の群れを連れてやって来た。彼女は羊を飼っていたのである。29:10 ヤコブは、母の兄ラバンの娘ラケルと、母の兄ラバンの羊の群れを見ると、すぐ近寄って行って、井戸の口の上の石を転がし、母の兄ラバンの羊の群れに水を飲ませた。29:11 そしてヤコブはラケルに口づけし、声をあげて泣いた。29:12 ヤコブはラケルに、自分は彼女の父の甥であり、リベカの子であることを告げた。彼女は走って行って、父にそのことを告げた。29:13 ラバンは妹の子ヤコブのことを聞くとすぐ、彼を迎えに走って行って、彼を抱きしめて口づけした。そして彼を自分の家に連れて帰った。ヤコブはラバンに事の次第をすべて話した。29:14 ラバンは彼に「あなたは本当に私の骨肉だ」と言った。ヤコブは彼のところに一か月滞在した。   ヤコブがハランに着き、ラケルに会います。ラケルはヤコブの母方いとこです。かつてヤコブの母リベカはハランを離れ、イサクと結婚するためにカナンにきました。ヤコブはリベカがいる家を出で、リベカが家に出て歩いた道を戻り、リベカの故郷、ハランに着きました。ハランの人々に外叔のラバンを聞いて回り、そこでラバンの娘ラケルに会います。   ヤコブは無理して井戸の石を転がし、ラケルの羊の群れに水を飲ませ、ラケルの前で声を出して泣きました。荒野の苦労がは大変で、母に会いたかったからでしょうか。ラケルに会ったヤコブはその場で泣き出します。一人のときには泣かなかったと思います。ラケルの存在が慰めとなり、ヤコブは泣きました。イサクが悲しかった時に、リベカの存在が慰めになったように、ヤコブの前にはこれから生きる力になってくれるラケルが現れました。   ヤコブは確かに神様の祝福の約束の道を進んでいます。約束の結果がまだ終わってないので、約束に向かっていく道は、悲しくて寂しいです。生きる間、悲しくなり、寂しくなったら、まだ約束が残っていると励ましたいです。苦労しなくて生きるからといって、それが必ずしも祝福になることではないです。祝福と約束の人ヤコブの苦労はまだまだ続きます。外叔ラバンはヤコブを受け入れました。もう石の枕をすることも、露に濡れることもないからよかったです。ヤコブはおそらくラケルに用意してもらった布団をかぶり、幸せに眠ったと思います。

창세기 묵상25【라헬을 만난 야곱】220928(수) 에다가와 사랑의 교회

창세기 29:1~1429:1 야곱이 발행하여 동방 사람의 땅에 이르러29:2 본즉 들에 우물이 있고 그 곁에 양 세 떼가 누웠으니 이는 목자들이 그 우물에서 물을 양떼에게 먹임이라 큰 돌로 우물 아구를 덮었다가29:3 모든 떼가 모이면 그들이 우물 아구에서 돌을 옮기고 양에게 물을 먹이고는 여전히 우물 아구 그 자리에 돌을 덮더라29:4 야곱이 그들에게 이르되 나의 형제여 어디로서뇨 그들이…

創世記 黙想24【ベテルで出会ったヤコブの神様】220927(火) 枝川愛の教会

創世記 28:10~2228:10 ヤコブはベエル・シェバを出て、ハランへと向かった。28:11 彼はある場所にたどり着き、そこで一夜を明かすことにした。ちょうど日が沈んだからである。彼はその場所で石を取って枕にし、その場所で横になった。28:12 すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。28:13 そして、見よ、主がその上に立って、こう言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西へ、東へ、北へ、南へと広がり、地のすべての部族はあなたによって、またあなたの子孫によって祝福される。28:15 見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」28:16 ヤコブは眠りから覚めて、言った。「まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」28:17 彼は恐れて言った。「この場所は、なんと恐れ多いところだろう。ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ。」28:18 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを立てて石の柱とし、柱の頭に油を注いだ。28:19 そしてその場所の名をベテルと呼んだ。その町の名は、もともとはルズであった。28:20 ヤコブは誓願を立てた。「神が私とともにおられて、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る衣を下さり、28:21 無事に父の家に帰らせてくださるなら、主は私の神となり、28:22 石の柱として立てたこの石は神の家となります。私は、すべてあなたが私に下さる物の十分の一を必ずあなたに献げます。」   ヤコブは、家族と一緒に暮らしていたエル・シェバを離れ、ハランに逃げだします。エサウが殺そうとしたからです。ヤコブにはいきなりの不幸ですが,ヤコブが両親を離れたということは、ヤコブの話が始まるということです。ヤコブの話というのは、誰かの言う誰かの神の話ではなく、ヤコブ自身が出会った自分の神様のお話しのことです。今や初めてヤコブの信仰の物語が始まっているのです。   ハランに向かう路上で夜を迎え、ヤコブは露宿をします。真っ暗な闇に一人の露宿は恐ろしいことでしょう。もしかして恐怖や孤独ということより、悲しみの方が大きいかも知れません。生きる間、どこにも寄りかかるところがなく、寂しい時があります。慰めてくれる人がいないよ、涙も出ません。今、エサウはもう一度、結婚をし、新婚中です。祝福の祈りはヤコブが受けたのですが、どういうわけか、ヤコブの方が恐ろしく、寂しく、苦しいです。しかし、ヤコブはそこで神様に出会うのです。だから何ことにも変えられない祝福です。   ある先生のことの引用ですが、アダムが創造されて、初日に夜を迎えたときに、アダムがどれほど恐ろしかっただろうかということです。アダムは何も見えない暗闇の中、もしこのまま全てが終わるのかと思ったかもしれません。眠れない恐ろしい夜が明かし、夜明けに赤い太陽が浮かび上がる、再び世が明るくなってくる、その時にアダムの宗教が始まるということでした。確かにヤコブにとって、ベテルはそのような所です。漆黒のような闇の中で神様に出会い、ついにヤコブの宗教が始まっているのです。   ヤコブは石を枕にして眠りにつきました。眠りに落ちて夢を見ますが、神様がヤコブを安全に守るということを約束されたのです。目を覚ましたヤコブはその約束を信頼し、枕にしていた石を柱にし、その上に油を注ぎ出しました。礼拝です。ヤコブに一本の油というのは、母親から受けた財産のすべてです。石の枕は祭壇になり、その祭壇の上にすべての油を注ぎ、供え物にします。杯でささげ、残りを取るのではなく、まるでいけにえのように石の上に全てを注ぎ、残さずに神様にささげました。そして、神様が守られ、満たしてくださる約束を信じで、所得の10分の1をささげると誓います。   神様は私たちと約束されたことを必ず成します。問題は、約束を信じない、または疑うのではなく、そもそも神様と結びついた約束がないということです。それは深刻な問題です。どのような方法を使っても神様と会話する方法を見つけられなければなりません。そうしなければこれからも神様と約束を結ぶことはできないです。今よりもさらにみことばとお祈りを励まなければなりません。   ヤコブは神様のご臨在に恐れます。神様に出会った人は、当然に恐怖にとらわれます。震えるます。2001年の早春にコーヒーショップで一人で勉強していた私は、「四つの法則」という小冊子で神様の話を初めて聞きました。本当に初めてでした。それから私の体は非常に震えました。歯ががちがちと触れ合うまで震えました。   それを私に読んでくださった青年も今は牧師になっていますが、会う度にその日の話をします。彼は教会に戻り、みんなに言いました。まったく神様を信じそうではない人に勇気を出して神様のことを伝えたところ、ぶるぶる震え、イエス様を受け入れましたと証したということです。   20年前、その時代の私は、ベテルのヤコブのようなものでした。不安で怖くて孤独で、悲しい時でした。ヤコブの信仰は、祖父アブラハムの信仰ではなく、父イサクの信仰でもありません。ベテルで会った自分自身の神様です。私の神様がおられる人の信仰の土台は堅いです。険しい道を歩くても、その道のりで神様が現れることを祈ります。