베드로후서 묵상 【하나님과 우리 주 예수를 앎으로】 20240611(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

베드로후서 1:1~111:1 예수 그리스도의 종과 사도인 시몬 베드로는 우리 하나님과 구주 예수 그리스도의 의를 힘입어 동일하게 보배로운 믿음을 우리와 같이 받은 자들에게 편지하노니1:2 하나님과 우리 주 예수를 앎으로 은혜와 평강이 너희에게 더욱 많을찌어다1:3 그의 신기한 능력으로 생명과 경건에 속한 모든 것을 우리에게 주셨으니 이는 자기의 영광과 덕으로써 우리를 부르신 자를 앎으로 말미암음이라1:4 이로써 그 보배롭고…

Ⅰペテロ 黙想 【この恵みの中にしっかりと立つ】 20240610(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰペテロ 5:8~145:8 身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。ご存じのように、世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです。5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。5:11 どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。5:12 忠実な兄弟として私が信頼しているシルワノによって、私は簡潔に書き送り、勧めをし、これが神のまことの恵みであることを証ししました。この恵みの中にしっかりと立っていなさい。5:13 あなたがたとともに選ばれたバビロンの教会と、私の子マルコが、あなたがたによろしくと言っています。5:14 愛の口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい。キリストにあるあなたがたすべての者に、平安がありますように。   12節の「この恵みの中にしっかりと立っていなさい」の「この恵み」が何であるかをさかのぼってみると、12節の「神のまことの恵み」であることが分かり、「神のまことの恵み」が何であるかをさかのぼってみると、10節の「キリストのために苦難を受ける人への恵み」であります。彼らは8節の吼えたける獅子のように食い尽くそうと探し回っている悪魔に狙われる人です。「悪魔のターゲット」になるのは「神のまことの恵み」を持っているからです。Ⅰペテロの手紙の面々には危機と苦難のシグナルが流れています。教会が苦難を受けるのは敬虔でないからでもなく、何かを間違ってもありません。 彼らが「この恵み」、すなわち「ただイエス·キリストの福音」を信じている理由です。   「この恵み」とは実体なしに乱発する言葉ではなく、「私の代わりに死なれたイエス·キリストの恵み」であり、「ここの恵みの中にしっかりと立つ」ということはその信仰を何ことにも変えられないという誓いです。十字架でなくてもいいと言えば、苦難に遭わなくてもいいです。キリストでなくてもいいと言えば危機は消えます。しかしペテロはそれだけが「神のまことの恵み」であると言います。その苦難に屈しないことのできる原動力が「この恵み」であると言います。「あの恵み」ではなく、「その恵み」でもありません。「あの人」のものでもなく、「その人」のものでもなく、ただ「私のもの」でなければなりません。私の中にある恵みを「あの恵み」と言わず、「その恵み」とは言いません。「この恵み」と言えなければなりません。私がいただいている恵みをもって苦難と戦うことができます。「私の恵み」でなければならず、「私の信仰」でなければなりません。「あの恵み」、「その恵み」にうろうろしないで「この恵み」に固く立ちたいと思います。  

베드로전서 묵상 【이 은혜에 굳게 서라】 20240610(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

베드로전서 5:8~145:8 근신하라 깨어라 너희 대적 마귀가 우는 사자같이 두루 다니며 삼킬 자를 찾나니5:9 너희는 믿음을 굳게 하여 저를 대적하라 이는 세상에 있는 너희 형제들도 동일한 고난을 당하는 줄을 앎이니라5:10 모든 은혜의 하나님 곧 그리스도 안에서 너희를 부르사 자기의 영원한 영광에 들어가게 하신 이가 잠간 고난을 받은 너희를 친히 온전케 하시며 굳게 하시며 강하게 하시며…

ペテロの手紙第一 黙想 【喜ぶべきこと】 20240608(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ペテロの手紙第一 4:12-19 4:12 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃えさかる試練を、何か思いがけないことが起こったかのように、不審に思ってはいけません。 4:13 むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい。キリストの栄光が現れるときにも、歓喜にあふれて喜ぶためです。 4:14 もしキリストの名のためにののしられるなら、あなたがたは幸いです。栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。 4:15 あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、危害を加える者、他人のことに干渉する者として、苦しみにあうことがないようにしなさい。 4:16 しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、このことのゆえに神をあがめなさい。 4:17 さばきが神の家から始まる時が来ているからです。それが、まず私たちから始まるとすれば、神の福音に従わない者たちの結末はどうなるのでしょうか。 4:18 「正しい者がかろうじて救われるのなら、不敬虔な者や罪人はどうなるのか。」 4:19 ですから、神のみこころにより苦しみにあっている人たちは、善を行いつつ、真実な創造者に自分のたましいをゆだねなさい。    キリスト者の道は狭い道、十字架の道、苦難の道だと聖書はいつも私たちに語っています。しかし、その同時に、その道は栄光の道、命の道、救いの道であることをも明らかにしています。  だとすると、キリスト者の道は苦難と出会い、その時を耐え忍びながら生き、終わりの日に喜びを得る、栄光と命と救いを得る道なのでしょうか。そのように苦難と喜びが共存する道なのでしょうか。  その道を歩いていく私たちにとってはそうかもしれません。日々の瞬間に苦難があり、喜びがあり、温湯と水風呂を行ったり来たりするように感じるかもしれません。 しかし、私たちの神様にとっては、そのすべての道がただ喜びの道であり、完全な道であります。  神様の喜ばしい思い通りに計画された私たちの道のすべての歩みは、神様が喜び、私たちの喜びになる道です。しかし、それでも私たちの弱さによって、その瞬間の向こう側におられる神様を見つめず、目の前にある苦難を見つめてしまいます。だからこそ私たちはその瞬間を越えてからこそ喜びと感謝を見つけたりするのでしょう。  昨日の箇所では私たちの人生で後悔すべきこと、振り返ってみるべきことについて黙想しました。続いて今日の箇所では、私たちが喜ぶべきこと、感謝すべきことについてもう一度振り返ってみたいと思います。  私たちの人生に与えられている苦難の時に踏み出す一歩一歩を神様は喜ばれ、その歩みを通して栄光をお受けております。イエス·キリストがそうであったように、自らの罪によって苦難の道、十字架の道を歩んでいくのではなく、主の御名、キリストの御名によってその道を喜んで歩んでいく者たち、それが私たち、キリスト者です。https://youtu.be/tty1zpKGyyk?si=UB2AhuUtiqbykg-S

베드로전서 묵상 【기뻐해야 할 것】 20240608(토) 최종석 전도사

베드로전서 4:12-19 4:12 사랑하는 자들아 너희를 연단하려고 오는 불 시험을 이상한 일 당하는 것 같이 이상히 여기지 말고 4:13 오히려 너희가 그리스도의 고난에 참여하는 것으로 즐거워하라 이는 그의 영광을 나타내실 때에 너희로 즐거워하고 기뻐하게 하려 함이라  4:14 너희가 그리스도의 이름으로 치욕을 당하면 복 있는 자로다 영광의 영 곧 하나님의 영이 너희 위에 계심이라 4:15 너희…

ペテロの手紙第一 【後悔すべきこと】 20240607(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ペテロの手紙第一 4:1-11 4:1 キリストは肉において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉において苦しみを受けた人は、罪との関わりを断っているのです。 4:2 それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。 4:3 あなたがたは異邦人たちがしたいと思っていることを行い、好色、欲望、泥酔、遊興、宴会騒ぎ、律法に反する偶像礼拝などにふけりましたが、それは過ぎ去った時で十分です。 4:4 異邦人たちは、あなたがたが一緒に、度を越した同じ放蕩に走らないので不審に思い、中傷しますが、 4:5 彼らは、生きている者と死んだ者をさばこうとしておられる方に対して、申し開きをすることになります。 4:6 このさばきがあるために、死んだ人々にも生前、福音が宣べ伝えられていたのです。彼らが肉においては人間としてさばきを受けても、霊においては神によって生きるためでした。 4:7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。 4:8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。 4:9 不平を言わないで、互いにもてなし合いなさい。 4:10 それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。 4:11 語るのであれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕するのであれば、神が備えてくださる力によって、ふさわしく奉仕しなさい。すべてにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。この方に栄光と力が世々限りなくありますように。アーメン。    私たちは万物の終わりの時がいつなのか分かりません。その時を知っておられる方は、神様お一人だけです。しかし、だからこそ私たちは毎日が終わりの時のように生きていかなければなりません。  終わりの時を生きていくということは、この世の中が語る悔いのない人生を生きるということとは違うでしょう。むしろ私たちは後悔しなければなりません。終わりが近いこの時に神様の御心に従って生きず、人間の欲望に従って生きてきたことを後悔し、神様の御前に悔い改めなければなりません。  そんな後悔を通して私たちは互いに熱心に愛することができ、不平なくもてなすことができ、お互いに仕え合うことができるでしょう。そこで神様の栄光が現わされます。  世の中の人々は死は終わりだと考え、最後だけは自分の思い通りに、人の欲望のどおりに生きていこうとしますが、私たちにとって死は単純に終わりではありません。肉体の死の裏には霊で神様に従って生きる新しい日々、永遠の命が与えられているからです。  すべての人間にとって、死は肉体の終わりの時ではあります。しかし、それがすべての終わりではありません。その霊が神様の御前、審判台に立てられ、裁きを待つその時、私たちは人生の終わりに何を後悔していたのかを振り返るようになるでしょう。https://youtu.be/oA7pzzRheFc?si=Fcs8au3kPgKa5ae1

베드로전서 묵상 【후회해야 할 것】 20240607(금) 최종석 전도사

베드로전서 4:1-11 4:1 그리스도께서 이미 육체의 고난을 받으셨으니 너희도 같은 마음으로 갑옷을 삼으라 이는 육체의 고난을 받은 자는 죄를 그쳤음이니 4:2 그 후로는 다시 사람의 정욕을 따르지 않고 하나님의 뜻을 따라 육체의 남은 때를 살게 하려 함이라 4:3 너희가 음란과 정욕과 술취함과 방탕과 향락과 무법한 우상 숭배를 하여 이방인의 뜻을 따라 행한 것은 지나간 때로…

Ⅰペテロ 黙想 【健全な良心】 20240606(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰペテロ 3:13~223:13 もしあなたがたが良いことに対して熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。3:14 たとえ義のために苦しむことがあっても、あなたがたは幸いです。人々の脅かしを恐れたり、おびえたりしてはいけません。3:15 むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。3:16 ただし、柔和な心で、恐れつつ、健全な良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの善良な生き方をののしっている人たちが、あなたがたを悪く言ったことを恥じるでしょう。3:17 神のみこころであるなら、悪を行って苦しみを受けるより、善を行って苦しみを受けるほうがよいのです。3:18 キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。3:19 その霊においてキリストは、捕らわれている霊たちのところに行って宣言されました。3:20 かつてノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに従わなかった霊たちにです。その箱舟に入ったわずかの人たち、すなわち八人は、水を通って救われました。3:21 この水はまた、今あなたがたをイエス・キリストの復活を通して救うバプテスマの型なのです。バプテスマは肉の汚れを取り除くものではありません。それはむしろ、健全な良心が神に対して行う誓約です。3:22 イエス・キリストは天に上り、神の右におられます。御使いたちも、もろもろの権威と権力も、この方に服従しているのです。   今日の本文でペテロは世から反対と攻撃を受ける聖徒たちに善良な生き方と健全な良心を持つよう勧告します。本文には16節と21節で2回も「健全な良心」という表現があります。健全な良心を持たなければならないのは、それが信仰の真偽を証明し、最終的に勝つ力だからです。力の論理や言語の論理は覆されることがありますが、真実を抱いている心は誤解を受けることがあってもいつかは自分のところに戻るからです。   私たちは、それぞれが持っている罪についてよく知っています。罪は常に存在し、少しでも緊張を緩めると活性化され、罪を犯してしまいます。そういう人たちに健全な良心を持つように勧めるのはどういう意味でしょうか?健全な良心によって罪を節制し、正しい方向に進むことができるという意味です。善良な良心とは単純な道徳的分別と判断力を越え、神様との正しい関係を意味します。   古代ギリシャとローマの思想家たちは、人間が持つ理性の核心的な能力が自分自身を知っている状態であると考えました。自分自身に対する知識の状態を持続的に点検することをラテン語で「コンスキエンティア(conscientia)」と言い、それが「良心(conscience)」です。状況に合わせて合理化したり妥協したりすることが良心ではなく、自分の中に神様の形象通りの価値基準を活性化することが良心です。   良心は文字通り良い心の意味しますが、時に良心不良という言葉を使ったりもします。その時、良心は善良な心ではなく善良な心の程度を表すので、パウロは良心が麻痺、汚れた良心とも言いました。 これは、良心というものを管理しなければ汚染されることがあることということを警告しているのです。自分の良心の敵は自分自身の欲です。健全な良心を守り、さらに育てていかなければなりません。健全な良心の中で善良な生き方ができます。健全な良心とは私たちが行ったすべてのことの真実性を証明するものになるでしょう。  

베드로전서 묵상 【선한 양심】 20240606(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

베드로전서 3:13~223:13 또 너희가 열심으로 선을 행하면 누가 너희를 해하리요3:14 그러나 의를 위하여 고난을 받으면 복 있는 자니 저희의 두려워함을 두려워 말며 소동치 말고3:15 너희 마음에 그리스도를 주로 삼아 거룩하게 하고 너희 속에 있는 소망에 관한 이유를 묻는 자에게는 대답할 것을 항상 예비하되 온유와 두려움으로 하고3:16 선한 양심을 가지라 이는 그리스도 안에 있는 너희의 선행을…

Ⅰペテロ 黙想 【祈りの確保】 20240605(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰペテロ 3:1~123:1 同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。たとえ、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって神のものとされるためです。3:2 夫は、あなたがたの、神を恐れる純粋な生き方を目にするのです。3:3 あなたがたの飾りは、髪を編んだり金の飾りを付けたり、服を着飾ったりする外面的なものであってはいけません。3:4 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人を飾りとしなさい。それこそ、神の御前で価値あるものです。3:5 かつて、神に望みを置いた敬虔な女の人たちも、そのように自分を飾って、夫に従ったのです。3:6 たとえば、サラはアブラハムを主と呼んで従いました。どんなことをも恐れないで善を行うなら、あなたがたはサラの子です。3:7 同じように、夫たちよ、妻が自分より弱い器であることを理解して妻とともに暮らしなさい。また、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りは妨げられません。3:8 最後に言います。みな、一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心の優しい人となり、謙虚でありなさい。3:9 悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。3:10 「いのちを愛し、幸せな日々を見ようと願う者は、舌に悪口を言わせず、唇に欺きを語らせるな。3:11 悪を離れて善を行い、平和を求め、それを追え。3:12 主の目は正しい人たちの上にあり、主の耳は彼らの叫びに傾けられる。しかし主の顔は、悪をなす者どもに敵対する。」   時代は2000年前の古代近東です。当時、家庭での夫と妻の関係を現代のジェンダー問題として捉えてはいけません。第一のペテロの手紙を始めながら言及したことがありますが、新約聖書の書簡で道徳的かつ倫理的な秩序について語る時には、律法的で宗教的な理由ではなく、福音とそれを委任された教会共同体のためのものでした。ペテロが教会に手紙を書き送ったのは、男性優越主義を助長したり、擁護したりすることではありません。家庭の一致こそがすなわち教会の一致につながるからです。男性が優先か、女性が優先かの問題ではなく、家庭の一致がすべてのことに先立つからです。男女が政治的に対立して戦っているこの時代に真に必要な上位価値は、二つのうちどちらが先かという階級闘争ではなく、お互いを立て合う家庭の回復です。   ペテロは妻たちに信じない夫の救いのためにも、夫に従うように教えます。そして、夫には妻を大切にするように教えます。そうしてこそ、祈りが妨げられないです。家庭の安定と信仰の中で祈りと信仰生活を営みます。人が倒れて緊急時に先にしなければならないことは、気道を確保することです。息の穴を開けなければと窒息して死にます。家庭の中でも息つく穴がなければなりません。つまり、信頼の関係が先行し、祈りが確保されてこそ、窒息することなく、祈りを確保できるということです。   夫婦の厚い協力と安定を勧めた後に、8節以下が続きます。「最後に言います。みな、一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心の優しい人となり、謙虚でありなさい。悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。3:8,9」家庭が分裂しているのに兄弟愛のための教会の一致を成すことはありません。教会の中でさえ、人間関係は複雑に絡み合っています。基礎がしっかりしていないと、問題が少しでも難しくなっても解けなくなるでしょう。「「いのちを愛し、幸せな日々を見ようと願う者は、舌に悪口を言わせず、唇に欺きを語らせるな。悪を離れて善を行い、平和を求め、それを追え。3:10、11」基礎編においても、実戦編においても和平があることを願います。