열왕기상 묵상 【남은 자】 20240521(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 19:11~2119:11 여호와께서 가라사대 너는 나가서 여호와의 앞에서 산에 섰으라 하시더니 여호와께서 지나가시는데 여호와의 앞에 크고 강한 바람이 산을 가르고 바위를 부수나 바람 가운데 여호와께서 계시지 아니하며 바람 후에 지진이 있으나 지진 가운데도 여호와께서 계시지 아니하며19:12 또 지진 후에 불이 있으나 불 가운데도 여호와께서 계시지 아니 하더니 불 후에 세미한 소리가 있는지라19:13 엘리야가 듣고 겉옷으로…

Ⅰ列王記 黙想 【人間エリヤ】 20240520(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰ列王記 19:1~1019:1 アハブは、エリヤがしたことと、預言者たちを剣で皆殺しにしたこととの一部始終をイゼベルに告げた。19:2 すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もし私が、明日の今ごろまでに、おまえのいのちをあの者たちの一人のいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」19:3 彼はそれを知って立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、19:4 自分は荒野に、一日の道のりを入って行った。彼は、エニシダの木の陰に座り、自分の死を願って言った。「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」19:5 彼がエニシダの木の下で横になって眠っていると、見よ、一人の御使いが彼に触れ、「起きて食べなさい」と言った。19:6 彼が見ると、見よ、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入った壺があった。彼はそれを食べて飲み、再び横になった。19:7 主の使いがもう一度戻って来て彼に触れ、「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。19:8 彼は起きて食べ、そして飲んだ。そしてこの食べ物に力を得て、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに着いた。19:9 彼はそこにある洞穴に入り、そこで一夜を過ごした。すると、主のことばが彼にあった。主は「エリヤよ、ここで何をしているのか」と言われた。19:10 エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らはあなたとの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうと狙っています。」   週末にペンテコステを過ごす間、デボーションの本文ではエリヤが一人でバアルとアセラ預言者850人に打ち勝ちました。エリヤはカルメル山でバアルを全滅させた後に神様に祈り、イスラエルを干ばつで解決しました。名実相伴うヒーローです。これに腹が立ったバアルの女イセベルはエリヤを殺そうとし、エリヤは逃げなければなりませんでした。 ベエル・シェバを過ぎるとネゲブの荒野です。 荒野は恐ろしいところです。昼には枯れてしまい、夜には凍え死ぬところです。エリヤは荒野に入り、エニシダの木を一本発見し、その下に入ります。エニシダの木とは、素敵な日陰を作ってくれるような大きな木ではなく、砂漠の真ん中のハギのほうきを逆さにしておいたような小さな低木です。やっと太陽を避けて反対側にうずくまって横になったはずです。眠ることはできなかったでしょう。地球の自転速度に応じて、少しずつ木に背を向けて回らなければならなかったからです。   そして神様に自分が死ぬことを願います。エリヤの状態がかなり深刻に見えます。これを他人の話、昔話、作り話として聞かなければ、私たちはエリヤを理解しなければありません。なぜなら、その多くの同僚たちが死に、自分の手でその多くの大敵を殺したので、その暴力のトラウマがどれほど大きかったのでしょうか?勝ったとしても850人を殺すことは普通のことでしょうか?戦争に負けた軍人は死ぬでしょうが、勝った人もその日の苦痛を記憶しながら生きます。日は熱く、食べ物も飲み物もありません。エリヤは自ら死のうと荒野に入ったのです。しかし、神様はみ使いを送り、焼け石で焼いたパン菓子と、水壺を与えて飲ませます。み使いは来るたびにエリヤを先に彼の体にとんとんと触れます。   再び立ち上がったエリヤは40日を歩き、ホレブ山の洞窟に入って隠遁します。荒野で枯れず、飢えずに生きてくれて幸いですが、洞窟に隠れて暮らすエリヤがかわいそうなのは同じです。エリヤの人生はそうでした。からすが持ってくるものを食べ、貧しいやもめの家からおごってもらい、小さな木の下で死を求め、み使いのパンを食べ、水を飲み、洞窟に隠れて過ごします。召されているエリヤの人生は確かに安らかではありませんでした。しかも、彼の今はとても恐れています。エリヤの英雄譚は本人にとって苦痛です。彼も慰められるべき小さな人間です。個人的には聖書でカルメル山のエリヤのように神的かつ英雄的な威容に出会う時より、エニシダの木やホレブ山の洞窟で出会うエリヤがもっと好きです。人間の弱さに会うたびに聖書が真実のようで、私も入り込む隙間があるようで嬉しいです。   十字架にかけられたイエス様が「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」と訴えた時に、人々はその発音が似ているということで、イエス様がエリヤを呼んでしると言いました。そして、エリヤが来てイエス様を救うのかどうかを見てみようと言いました。おそらくエリヤが竜巻に乗って天へ上って行った話のためでしょう。しかし、カルメル山の英雄エリヤもエニシダの木の下で、またホレブ山の洞窟の中で恐怖と不安で足の力が抜けました。人間イエスは十字架にかけられた苦痛と神様との断絶のゆえにもがき、ゲッセマネの園では死の恐怖で不安になりました。しかし、ゲッセマネから立ち上がり、むくむくとゴルゴダに歩いていた人間イエスを通して、そしてエニシダの木から立ち上がり、ホレブに向かってむくむくと歩いていくエリヤを通して、神様のご計画はむくむくと進まれます。

열왕기상 묵상 【인간 엘리야】 20240520(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 19:1~1019:1 아합이 엘리야의 무릇 행한일과 그가 어떻게 모든 선지자를 칼로 죽인 것을 이세벨에게 고하니19:2 이세벨이 사자를 엘리야에게 보내어 이르되 내가 내일 이맘때에는 정녕 네 생명으로 저 사람들 중 한 사람의 생명 같게 하리라 아니하면 신들이 내게 벌 위에 벌을 내림이 마땅하니라 한지라19:3 저가 이 형편을 보고 일어나 그 생명을 위하여 도망하여 유다에 속한 브엘세바에…

I 列王記 【苦しみの中で叫ぶ名】 20240518(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

I 列王記 18:16-29 18:16 オバデヤは行ってアハブに会い、彼に告げたので、アハブはエリヤに会うためにやって来た。 18:17 アハブがエリヤを見るやいなや、アハブは彼に言った。「おまえか、イスラエルにわざわいをもたらす者は。」 18:18 エリヤは言った。「私はイスラエルにわざわいをもたらしてはいない。あなたとあなたの父の家こそ、そうだ。現に、あなたがたは主の命令を捨て、あなたはバアルの神々に従っている。 18:19 今、人を遣わして、カルメル山の私のところに、全イスラエル、ならびにイゼベルの食卓に着く、四百五十人のバアルの預言者と四百人のアシェラの預言者を集めなさい。」 18:20 そこで、アハブはイスラエルのすべての人々に使者を遣わして、預言者たちをカルメル山に集めた。 18:21 エリヤは皆の前に進み出て言った。「おまえたちは、いつまで、どっちつかずによろめいているのか。もし主が神であれば、主に従い、もしバアルが神であれば、バアルに従え。」しかし、民は一言も彼に答えなかった。 18:22 そこで、エリヤは民に向かって言った。「私一人が主の預言者として残っている。バアルの預言者は四百五十人だ。 18:23 私たちのために、彼らに二頭の雄牛を用意させよ。彼らに、自分たちで一頭の雄牛を選び、それを切り裂いて薪の上に載せるようにさせよ。火をつけてはならない。私は、もう一頭の雄牛を同じようにし、薪の上に載せて、火をつけずにおく。 18:24 おまえたちは自分たちの神の名を呼べ。私は主の名を呼ぶ。そのとき、火をもって答える神、その方が神である。」民はみな答えて、「それがよい」と言った。 18:25 エリヤはバアルの預言者たちに言った。「おまえたちで一頭の雄牛を選び、おまえたちのほうから、まず始めよ。人数が多いのだから。おまえたちの神の名を呼べ。ただし、火をつけてはならない。」 18:26 そこで彼らは、与えられた雄牛を取って、それを整え、朝から真昼までバアルの名を呼んだ。「バアルよ、私たちに答えてください。」しかし何の声もなく、答える者もなかった。そこで彼らは、自分たちが造った祭壇のあたりで踊り回った。 18:27 真昼になると、エリヤは彼らを嘲って言った。「もっと大声で呼んでみよ。彼は神なのだから。きっと何かに没頭しているか、席を外しているか、旅に出ているのだろう。もしかすると寝ているのかもしれないから、起こしたらよいだろう。」 18:28 彼らはますます大声で叫び、彼らの慣わしによって、剣や槍で、血を流すまで自分たちの身を傷つけた。 18:29 このようにして、昼も過ぎ、ささげ物を献げる時まで騒ぎ立てたが、何の声もなく、答える者もなく、注目する者もなかった。    アハブは北イスラエルの数多くの悪しき王の中でも最も悪しき王と呼ばれる王です。私たちは良くそのアハブの足跡を見ながら反面教師にしていますが、今日の箇所で一言、彼の言葉の中で私たちも考えてみなければならないことがあります。  エリヤの預言の通り、イスラエルは長い干ばつの時に入りました。そのエリヤを見て、アハブ王は「おまえか、イスラエルにわざわいをもたらす者は。」と言います。しかし、私たちも知っているよう、その干ばつは神様に逆らうイスラエル、そして彼らが神様の御言葉に耳を傾けられないようにさせたアハブに向かって下された神様の裁きでした。  私たちの人生に起こる多くの出来事、特に私たちを苦しめるようなことは神様の御言葉を悟らせるための一つのチャンスでもあります。しかし、その時を苦しみの時だと考えてしまうのが、私たち弱い人間の限界なのでしょう。  神様はただ私たちを苦しめるために働く方ではありません。その中で喜びを失い、苦しみだけを感じさせるのは神様ではなく、世の中の言葉、私たち自分自身なのです。その瞬間だけは、私たちも知らないうちにバアルの名を叫んでいるのです。  苦しみを解決するためにバアルの名を呼んでも、バアルが応答することはありません。真の神は私たちの主である神様お一人だけであるからです。心も体も、状況も苦しいと感じられる時に、私たちの真の神様の御言葉に耳を傾ける私たちになることを願います。https://youtu.be/7O4BeAEDuaY?si=t_fz45xTFcZiLGxI

열왕기상 묵상 【고통 속에서 부르는 이름】 20240518(토) 최종석 전도사

열왕기상 18:16-29 18:16 오바댜가 가서 아합을 만나 그에게 말하매 아합이 엘리야를 만나러 가다가 18:17 엘리야를 볼 때에 아합이 그에게 이르되 이스라엘을 괴롭게 하는 자여 너냐 18:18 그가 대답하되 내가 이스라엘을 괴롭게 한 것이 아니라 당신과 당신의 아버지의 집이 괴롭게 하였으니 이는 여호와의 명령을 버렸고 당신이 바알들을 따랐음이라 18:19 그런즉 사람을 보내 온 이스라엘과 이세벨의 상에서…

Ⅰ列王記 黙想 【干からびたバアル】 20240516(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰ列王記 17:17~2417:17 これらのことの後、この家の女主人の息子が病気になった。その子の病気は非常に重くなり、ついに息を引き取った。17:18 彼女はエリヤに言った。「神の人よ、あなたはいったい私に何をしようとされるのですか。あなたは私の咎を思い起こさせ、私の息子を死なせるために来られたのですか。」17:19 彼は「あなたの息子を渡しなさい」と彼女に言って、その子を彼女の懐から受け取り、彼が泊まっていた屋上の部屋に抱えて上がり、その子を自分の寝床の上に寝かせた。17:20 彼は主に叫んで祈った。「私の神、主よ。私が世話になっている、このやもめにさえもわざわいを下して、彼女の息子を死なせるのですか。」17:21 そして、彼は三度その子の上に身を伏せて、主に叫んで祈った。「私の神、主よ。どうか、この子のいのちをこの子のうちに戻してください。」17:22 主はエリヤの願いを聞かれたので、子どものいのちがその子のうちに戻り、その子は生き返った。17:23 エリヤはその子を抱いて、屋上の部屋から家の中に下りて、その子の母親に渡した。エリヤは言った。「ご覧なさい。あなたの息子は生きています。」17:24 その女はエリヤに言った。「今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある主のことばが真実であることを知りました。」   ツァレファテのやもめの息子が病んで死んでしまいます。母親のツァレファテのやもめは戸惑い、絶望し、エリヤを恨みます。 エリヤが自分の家に来たことが自分の息子の死と関係していると思ったのです。なぜなら、シドン人にとってエリヤの神は見慣れない神です。それで神様の人エリヤが自分の家に来たことで自分の罪が明らかになったと思います。その原因で自分の息子が死んだと思ったのです。   エリヤは困りました。エリヤがシドンという異邦のツァレファテのやもめの家に来たのは、神様の指示に従って来たのです。エリヤは神様に祈ります。私をここに来させたのは神様ですが、、私がこの家にいる間に息子が死ぬなんて私の立場はどうなりますか?エリヤが神様に子どもを生かしてくださいと祈ったところ、神様はその祈りを聞いて子どもが生き返りました。死んだ人が生き返ったので、ツァレファテのやもめはエレヤとエリヤの神様を認めることになります。ツァレファテのやもめのボーンアゲインです。女性の息子は生き返り、神様とエリヤについても知ることになります。   シドンはイセベルの故郷なので、ツァレファテのやもめの宗教も間違いなくバアルのはずです。そんなバアルに仕える貧しいやもめの家に、予期せぬ特別なことが起きたのです。長い日照りでこれ以上希望がないと思い、家族が自殺しようとする時、エリヤを通して神様の供給という経済的な救いを経験し、エリヤが祈る時に死んだ息子をも生き返る特別な経験をしたのです。   恵みは中心ではなく、隅から始まります。恵みは多数ではなく少数から始まります。王室は神様を認めず、シドン人もイスラエル人も皆バアルに陥っていますが、生活苦に耐えられず死のうとした貧しいやもめの家に神様が臨まれます。すべての人がバアルに豊かさを祈りますが、神様が雨を降らさないと万物は枯れていきます。バアルという愚かな弊害の中で死にかかっていた貧しい家族に神様が御力を示してくださいました。私たちが豊かになることを期待して追い求めているそれは、もしかしてバアルのようなものかもしれません。私の財政と私の命は神様の中にあります。  

열왕기상 묵상 【말라 죽어가는 바알】 20240516(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 17:17~2417:17 이 일 후에 그 집 주모 되는 여인의 아들이 병들어 증세가 심히 위중하다가 숨이 끊어진지라17:18 여인이 엘리야에게 이르되 하나님의 사람이여 당신이 나로 더불어 무슨 상관이 있기로 내 죄를 생각나게 하고 또 내 아들을 죽게 하려고 내게 오셨나이까17:19 엘리야가 저에게 그 아들을 달라 하여 그를 그 여인의 품에서 취하여 안고 자기의 거처하는 다락에 올라…

Ⅰ列王記 黙想 【供給者】 20240514(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰ列王記 17:1~1617:1 ギルアデの住民であるティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私が仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによるのでなければ、ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない。」17:2 それから、エリヤに次のような主のことばがあった。17:3 「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。17:4 あなたはその川の水を飲むことになる。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」17:5 そこでエリヤは行って、主のことばどおりにした。彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ。17:6 何羽かの烏が、朝、彼のところにパンと肉を、また夕方にパンと肉を運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。17:7 しかし、しばらくすると、その川が涸れた。その地方に雨が降らなかったからである。17:8 すると、彼に次のような主のことばがあった。17:9 「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしはそこの一人のやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」17:10 彼はツァレファテへ出て行った。その町の門に着くと、ちょうどそこに、薪を拾い集めている一人のやもめがいた。そこで、エリヤは彼女に声をかけて言った。「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」17:11 彼女が取りに行こうとすると、エリヤは彼女を呼んで言った。「一口のパンも持って来てください。」17:12 彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。私には焼いたパンはありません。ただ、かめの中に一握りの粉と、壺の中にほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本の薪を集め、帰って行って、私と息子のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです。」17:13 エリヤは彼女に言った。「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。その後で、あなたとあなたの子どものために作りなさい。17:14 イスラエルの神、主が、こう言われるからです。『主が地の上に雨を降らせる日まで、そのかめの粉は尽きず、その壺の油はなくならない。』」17:15 彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。17:16 エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。   アハブの時代に神様の御言葉がエリヤに臨みます。堕落した時代にも神様の御言葉はあります。聞く人と聞かない人がいるだけです。エリヤはアハブのところに行き、神様が言われるまで雨が降らないと言います。 そして長くて恐ろしい干ばつが始まります。サプライヤーが供給を停止すると、すべてが枯渇するだけです。 エリヤはケリテ川で鳥が持ってくるパンと肉を食べ、その川の水を飲みながら過ごします。宅配便は鳥ですが、サプライヤーは神様です。   エリヤはその小川が乾くと、神様の命によってシドンのツァレファテのやもめのところに行きます。エリヤがツァレファテのやもめに会ってパンを少しくれと言うと、やもめは自分の息子と一緒に食べて死ぬ分しかないと言い返します。深い絶望が感じられます。そのかわいそうな家庭に対してエリヤはまず自分のためにパンを作ってきなさいように言います。そうすれば干ばつが終わるまで、その少量の小麦粉と油が切れることなく、供給され続けると言います。エリヤは恥知らずにおごってもらうためではなく、神様に供給していただく方法を教えているのです。   ツァレファテのやもめは、自分が最も劣悪な状況でサプライヤーになります。食べ残しを与えるのではなく、食べ残しを食べます。まずエリヤのためにパンを作ってもてなしたら、それ以来さすがにそのかめの粉は尽きず、その壺の油はなくならないです。この話を読みながら、あまり神秘的なことではありません。なぜなら、かめの粉、壺の油を使っても量が減らなかったということは、果たして不思議なことですが、自分のものを出しても枯渇せず、より多く供給される神様の神秘は、信仰のあるところにいつも現れる神様の算法だからです。   私の信仰と牧会の短い経験上、神様が財政を求められる時、それに従う人は例外なく神様の算法を経験した人々です。彼らは、神様に求められることが自分のものを奪おうとするものではないことを知っています。むしろ、泉のようにきれいな水が供給の恵みになるということを知っています。計算が早い人は神様の算法の公式が知りません。泉にはいつもきれいな水が湧き上がります。「主は絶えずあなたを導いて、焼けつく土地でも食欲を満たし、骨を強くする。あなたは、潤された園のように、水の涸れない水源のようになる。イザヤ58:11」欲張る世の中の消費者ではなく、泉のような霊的供給者として生きることを祈ります。  

열왕기상 묵상 【공급자】 20240515(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 17:1~1617:1 길르앗에 우거하는 자중에 디셉 사람 엘리야가 아합에게 고하되 나의 섬기는 이스라엘 하나님 여호와의 사심을 가리켜 맹세하노니 내 말이 없으면 수년동안 우로가 있지 아니하리라 하니라17:2 여호와의 말씀이 엘리야에게 임하여 가라사대17:3 너는 여기서 떠나 동으로 가서 요단 앞 그릿 시냇가에 숨고17:4 그 시냇물을 마시라 내가 까마귀들을 명하여 거기서 너를 먹이게하리라17:5 저가 여호와의 말씀과 같이 하여…

Ⅰ列王記 黙想 【エテバアルとイマヌエル】 20240514(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰ列王記 16:29~3416:29 オムリの子アハブは、ユダの王アサの第三十八年に、イスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリアで二十二年間、イスラエルの王であった。16:30 オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目に悪であることを行った。16:31 彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻とし、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。16:32 さらに彼は、サマリアに建てたバアルの神殿に、バアルのために祭壇を築いた。16:33 アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前の、イスラエルのすべての王たちにもまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行った。16:34 彼の時代に、ベテル人ヒエルがエリコを再建した。彼は、その礎を据えたとき長子アビラムを失い、門を建てたとき末の子セグブを失った。ヌンの子ヨシュアを通して語られた主のことばのとおりであった。   北イスラエルの王たちは皆邪悪で、死滅する王位争奪戦の中でも勤勉に偶像に仕えました。今日登場する人物は、その中でも邪悪な王の中の王、アハブです。アハブは、異邦シドンの王エテバアルの娘イゼベルと結婚します。「エテバアル(אֶתבַּעַל)」は「バアルは彼と共におられる」という意味です。アハブの妻の実家のアイデンティティはバアルです。アハブはイセベルと共にバアルとアセラの木像を作って崇拝しました。バアルは豊かさの男神で、アセラは多産の女神です。バアルとアセラが一緒に出てくる時は、淫乱がついてきます。歴史的に、バアル神殿の中に娼妓がいました。娼妓は男神であるバアルと女神であるアセラの間で淫行をする行為を祭祀行為と考え、イスラエルの民もそれに参加しました。アハブに人間が求するのは富と快楽です。神様が偶像を禁止したのは、神様が形に造られた人間の尊厳を守るためのものです。   それを語っているのが33節までで、34節はあまり関連がないように見える内容が続きます。「彼の時代に、ベテル人ヒエルがエリコを再建した。彼は、その礎を据えたとき長子アビラムを失い、門を建てたとき末の子セグブを失った。ヌンの子ヨシュアを通して語られた主のことばのとおりであった。16:34」これを理解するためには、まずヨシュア6章を確認します。「ヨシュアは、そのとき誓った。この町エリコの再建を企てる者は主の前にのろわれよ。その礎を据える者は長子を失い、その門を建てる者は末の子を失う。26」つまり、アハブ時代に神様の警告を無視して、エリコ城を建築した人がいたということです。彼はヒエルです。ヨシュアが警告した呪いの通り、礎を据えたとき長男のアビラムが死に、門を建てたとき末の子のセグブが死にました。ところが、実は父親のヒエルが息子たちを人身祭祀の供え物とたのです。この悲劇的な人間性の破壊はが、まさにシュアが警告した呪いです。 自分の呪いのくちばしで自分の肉をつついて食べるでしょう。   「総体的乱局」という言葉をしばしば耳にします。 どれ一つうまくいかず、こじれてしまったときに使います。北イスラエルは総体的乱局です。 「乱」の代わりに「難」を使っても意味は通じますが、本来は「難しい」ではなく「乱れる」です。邪悪のアハブの時代、乱れに偶像に仕えた時代は、まさに総体的に乱局でした。 人間が神様を失うと、人間性も失うことになります。破壊的な偶像の実を結ぶことになるでしょう。 「エテバアル(אֶתבַּעַל)」がバアルは彼と共におられる」という意味でしたが、「神様が私たちと共におわれる」という意味のヘブライ語は「イマヌエル(עִמָּנוּאֵל)」です。「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。マタイの福音書1:23」イエス様のいないところは空いておらず、偶像が入り込みます。「イマヌエル(עִמָּנוּאֵל)」できなければ、自分のための「エテバアル(אֶתבַּעַל)」になるでしょう。