열왕기상 묵상 【엣바알과 임마누엘】 20240514(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 16:29~3416:29 유다 왕 아사 제 삼십 팔년에 오므리의 아들 아합이 이스라엘 왕이 되니라 오므리의 아들 아합이 사마리아에서 이십 이년을 이스라엘을 다스리니라16:30 오므리의 아들 아합이 그 전의 모든 사람보다 여호와 보시기에 악을 더욱 행하여16:31 느밧의 아들 여로보암의 죄를 따라 행하는 것을 오히려 가볍게 여기며 시돈 사람의 왕 엣바알의 딸 이세벨로 아내를 삼고 가서 바알을 섬겨…

Ⅰ列王記 黙想 【ヤロブアムの道】 20240513(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰ列王記 16:15~2816:15 ユダの王アサの第二十七年に、ジムリが七日間ティルツァで王となった。そのとき、兵はペリシテ人のギベトンに対して陣を敷いていた。16:16 陣を敷いていたこの兵は、「ジムリが謀反を起こして王を打ち殺した」と言われるのを聞いた。すると、全イスラエルはその日、その陣営で軍の長オムリをイスラエルの王とした。16:17 オムリは全イスラエルとともにギベトンから上って来て、ティルツァを包囲した。16:18 ジムリは町が攻め取られるのを見ると、王宮の高殿に入り、自ら王宮に火を放って死んだ。16:19 これは、彼が罪を犯して主の目に悪であることを行い、ヤロブアムの道に歩んだその罪のゆえであり、イスラエルに罪を犯させた彼の罪のゆえであった。16:20 ジムリについてのその他の事柄、彼が企てた謀反、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。16:21 当時、イスラエルの民は二派に分裂していた。民の半分はギナテの子ティブニに従って彼を王にしようとし、もう半分はオムリに従った。16:22 オムリに従った民は、ギナテの子ティブニに従った民より強かったので、ティブニが死ぬとオムリが王となった。16:23 ユダの王アサの第三十一年に、オムリはイスラエルの王となり、十二年間、王であった。六年間はティルツァで王であった。16:24 彼は銀二タラントでシェメルからサマリアの山を買い、その山に町を建て、彼が建てたこの町の名を、その山の持ち主であったシェメルの名にちなんでサマリアと呼んだ。16:25 オムリは主の目に悪であることを行い、彼以前のだれよりも悪いことをした。16:26 彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、彼らの空しい神々によってイスラエルの神、主の怒りを引き起こした。16:27 オムリが行ったその他の事柄、彼が立てた功績、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。16:28 オムリは先祖とともに眠りにつき、サマリアに葬られた。彼の子アハブが代わって王となった。   ヤロブアムの子ナダブが王になって間もなくバアサの反逆によって死に、ヤロブアム王朝は終わります。バアサ王朝が始まりますが、バアサ王朝も自分が裏切った通りに裏切られ短命に終わります。バアサの臣下のジムリがバアサの子の時代に反逆に成功し、バアサ王朝に属したすべての男を殺します。ジムリがそのようにして握った王権の命はたった7日間でした。ジムリは王になって7日後にオムリの反逆で死にます。   権力を貪る群像の揺れが、まるで火の中に飛び込む火蛾のようです。19節は「7日天下」を取ったジムリに対する評価です。「これは、彼が罪を犯して主の目に悪であることを行い、ヤロブアムの道に歩んだその罪のゆえであり、イスラエルに罪を犯させた彼の罪のゆえであった。」ヤロブアムの道とは広くて大きいようです。多くの人々が今もヤロブアムの道、反逆の道を歩いていて滅亡の終点に至ります。   人間の歴史は絶えず回る裏切りの水車のようなものです。裏切りはいつもあります。ブルータスは愛していたシーザーを殺し、「あなたを愛しているが、ローマをもっと愛している」と言いました。ある人は独裁と暴政を防ぐために裏切らなければならなかったし、ある人は欲に目がくらみ恩人を裏切ったこともあります。人間が裏切る理由は人間だからです。裏切りに驚かないことができれば、人間についてよく理解したことです。   ヤロブアムの道は逆鱗の道です。裏切ったから裏切られるのは仕方ないことです。裏切らない人がいないし、裏切られない人もいません。ヤロブアムの道の対義語は、ダビデの道でしょう。ダビデがサウルをどのように克服したのか知っています。しかし、誰もダビデを反乱者だとは言いません。裏切りについて、聖書的価値観は 2つのことを教えています。一つは裏切られることに悲しまないことと、もう一つは裏切りをしないことです。   権威に従うのは卑怯だからではありません。神様の主権を信じるからです。神様の時を待っているからです。 歴史的進歩のための裏切りなのか、人間の欲のための裏切りなのか、わきまえをしなければなりません。卑怯なのか従順なのかわきまえをしなければなりません。北イスラエルの王たちが歩いたヤロブアムの道は、今もある貪欲と裏切りの道です。しかし、その道には歩みません。裏切られましたが、裏切らずに歩んだ道、耐え忍んで歩んだダビデの道、裏切られたイエス・キリストの道を覚えます。  

열왕기상 묵상 【여로보암의 길】 20240513(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 16:15~2816:15 유다 왕 아사 제 이십 칠년에 시므리가 디르사에서 칠일 동안 왕이 되니라 때에 백성들이 블레셋 사람에게 속한 깁브돈을 향하여 진을 치고 있더니16:16 진중 백성들이 시므리가 모반하여 왕을 죽였다는 말을 들은지라 그 날에 이스라엘의 무리가 진에서 군대장관 오므리로 이스라엘 왕을 삼으매16:17 오므리가 이에 이스라엘 무리를 거느리고 깁브돈에서부터 올라와서 디르사를 에워쌌더라16:18 시므리가 성이 함락됨을 보고…

I 列王記 【主が言われたことばのとおり】 20240511(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

I 列王記 15:25-32 15:25 ユダの王アサの第二年に、ヤロブアムの子ナダブがイスラエルの王となり、二年間イスラエルの王であった。 15:26 彼は主の目に悪であることを行い、彼の父の道に歩み、父がイスラエルに犯させた罪の道を歩んだ。 15:27 イッサカルの家のアヒヤの子バアシャは、彼に謀反を企てた。バアシャはペリシテ人のギベトンで彼を討った。ナダブとイスラエル全軍はギベトンを攻め囲んでいたのである。 15:28 こうして、バアシャはユダの王アサの第三年にナダブを殺し、彼に代わって王となった。 15:29 彼は王となったとき、ヤロブアムの全家を討ち、ヤロブアムに属する息ある者を一人も残さず、根絶やしにした。主がそのしもべ、シロ人アヒヤを通して言われたことばのとおりであった。 15:30 これはヤロブアムが犯した罪のゆえ、またイスラエルに犯させた罪のゆえであり、彼が引き起こしたイスラエルの神、主の怒りによるものであった。 15:31 ナダブについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。 15:32 アサとイスラエルの王バアシャの間には、彼らが生きている間、戦いがあった。    列王紀書の歴史、特に北イスラエルの歴史は、今日箇所のような内容が繰り返し登場します。暗殺、反逆などで王朝が変わり、まもなく同じことが繰り返され、主の目に悪を行う歴史、イスラエルに罪を犯させる歴史です。  このような悲劇の中でも絶えず与えられたのは、彼らへの神様の御言葉でした。悔い改めの呼びかけとともに、裁きを預言する神様の預言者たちを送り続けてくださいました。しかし、私たちが聖書を通して見た歴史の通り、彼らは悔い改めず、神様を探さず、繰り返される罪の歴史の中で預言の通り裁きを迎えました。  神様の御言葉は今この瞬間を生きていく私たちにも絶えず与えられており、すでに昔から私たちに与えられています。そしてその内容は北イスラエルに向けた裁きの預言とは違う、回復と救いの御言葉です。  神様の御言葉はどれ一つ地に落ちることなく成就されます。それが北イスラエルの歴史を通して私たちが学べる一つの重要なポイントでしょう。  救いの確信は、その神様の御言葉を信じることから生まれます。神様が彼の息子を信じる者たちを決して滅びることがないようにしてくださるということ、最も良いものを与え、良い道に導いてくださるということ、それが私たちになされる信実な神様の約束なのです。  私たちはその約束を常に覚え、身に着けなければなりません。人生の困難の前に倒れ絶望し、神様を遠ざけるようになったとしても、私たちに向けた神様のその約束が私たちを守り、再び引き起こし、回復させてくださるからです。https://youtu.be/IUtbCFI1wns?si=pB6x6mykCXyipdwg

열왕기상 묵상 【여호와인 줄을 알리시는 방법】 20240524(금) 최종석 전도사

열왕기상 20:26-34 20:26 해가 바뀌니 벤하닷이 아람 사람을 소집하고 아벡으로 올라와서 이스라엘과 싸우려 하매 20:27 이스라엘 자손도 소집되어 군량을 받고 마주 나가서 그들 앞에 진영을 치니 이스라엘 자손은 두 무리의 적은 염소 떼와 같고 아람 사람은 그 땅에 가득하였더라 20:28 그 때에 하나님의 사람이 이스라엘 왕에게 나아와 말하여 이르되 여호와의 말씀에 아람 사람이 말하기를 여호와는…

I 列王記 【建てられるもの、崩れるもの】 20240510(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

I 列王記 15:9-24 15:9 イスラエルの王ヤロブアムの第二十年に、ユダの王アサが王となった。 15:10 彼はエルサレムで四十一年間、王であった。彼の母の名はマアカといい、アブサロムの娘であった。 15:11 アサは父祖ダビデのように、主の目にかなうことを行った。 15:12 彼は神殿男娼を国から追放し、先祖たちが造った偶像をことごとく取り除いた。 15:13 また、母マアカがアシェラのために憎むべき像を造ったので、彼女を皇太后の位から退けた。アサはその憎むべき像を切り倒し、これをキデロンの谷で焼いた。 15:14 高き所は取り除かれなかったが、アサの心は生涯、主とともにあり、全きものであった。 15:15 彼は、父が聖別した物と自分が聖別した物、銀、金、器を、主の宮に運び入れた。 15:16 アサとイスラエルの王バアシャの間には、彼らが生きている間、戦いがあった。 15:17 イスラエルの王バアシャはユダに上って来て、ラマを築き直し、ユダの王アサのもとにだれも出入りできないようにした。 15:18 アサは、主の宮の宝物倉と王宮の宝物倉に残っていた銀と金をことごとく取って、自分の家来たちの手に渡した。アサ王は、彼らをダマスコに住んでいたアラムの王、ヘズヨンの子タブリンモンの子ベン・ハダドのもとに遣わして言った。 15:19 「私の父とあなたの父上の間にあったように、私とあなたの間にも盟約を結びましょう。ご覧ください。私はあなたに銀と金の贈り物をしました。どうか、イスラエルの王バアシャとの盟約を破棄して、彼が私のもとから離れ去るようにしてください。」 15:20 ベン・ハダドはアサ王の願いを聞き入れ、自分の配下の軍の高官たちをイスラエルの町々に差し向け、イヨンと、ダンと、アベル・ベテ・マアカ、およびキネレテ全域とナフタリの全土を攻撃した。 15:21 バアシャはこれを聞くと、ラマを築き直すのを中止して、ティルツァにとどまった。 15:22 そこで、アサ王はユダ全土にもれなく布告し、バアシャが建築に用いたラマの石材と木材を運び出させた。アサ王は、これを用いてベニヤミンのゲバとミツパを建てた。 15:23 アサのその他のすべての事柄、すべての功績、彼が行ったすべてのことや彼が建てた町々のこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。ただ、彼は年をとってから、両足とも病気になった。 15:24 アサは先祖とともに眠りにつき、先祖とともに父ダビデの町に葬られた。彼の子ヨシャファテが代わって王となった。    地価、住宅価格が変わる要因には法律や制度のように目に見えないものもある反面、周辺の施設や環境、都市の発展など目に見える要因もあります。幼い頃、学校で学んだニンビー(NIMBY、Not in my backyard)、イムビー(YIMBY、Yes in my backyard)現象がその代表的な例でしょう。  周りに何が建てられ、何が崩れるのかはその住居地に大きな影響を及ぼします。 建てられた建物一つでその地域の暮らしが、雰囲気が変わるからです。そのため、ニンビー、イムビーを叫びながら各自の住居環境を改善し、利益を享受するためのデモを持続するのです。  聖書は、アサ王について「父祖ダビデのように、主の目にかなうことを行った」と述べるとともに、彼の心が生涯主とともにあり、全きものであったと評価しています。私たちはアサの心を完全に知ることはできませんが、彼がしたことを通して少しは彼の心を見ることができるでしょう。  まず、アサはユダ王国に蔓延していた偶像崇拝を崩すことに集中しました。偶像の文化と像を崩し、その原因まで取り除くことができました。そして、その場に神様への信仰を建てていきました。性別した物を主の宮に捧げ、神様への信仰のためにユダ王国に行こうとした北イスラエルの民を防ぐために、バアシャがラマを建築しようとした計画を崩しました。  このように私たちはアサが神様のために行った目に見えること、建てたことなどを通して彼の心がどうだったのか少しは見ることができました。しかし、これができたのは、聖書が語っているように、アサの心が生涯に主とともにし、全きものであったからです。  住居地の周りに良い環境が造成されてからこそ、その住居地は良い住居地になります。しかし、そもそも住居地のないところには良い環境が整えられません。まるで私たちが駅の近く、スーパーが近いところに家を建てるべきだと思うが、実際に人のいないところには駅も、スーパーも建てられないことと同じようなものです。  アサは行いを通して心の中に神様を招いたのではありません。アサのこのような行いは、彼の心が主と共にし、全きものであだったため、すでに彼の心の中に神様がおられたために可能だったのです。  私たちの心には何が建てられていますか。私たちの心に崩されるべきことは何でしょうか。私たちのニンビー、イムビーのデモは、私たちの暮らしの居住地だけで行われてはいけません。私たちの心の中に、神様が建てられることを求め、偶像が崩れることを求める信仰のデモが続けて行われなければなりません。https://youtu.be/nrLoywuyTtQ?si=XJeajgzA6SrLx8lE

열왕기상 묵상 【세워진 것, 허물어진 것】 20240510(금) 최종석 전도사

열왕기상 15:9-24 15:9 이스라엘의 여로보암 왕 제이십년에 아사가 유다 왕이 되어 15:10 예루살렘에서 사십일 년 동안 다스리니라 그의 어머니의 이름은 마아가라 아비살롬의 딸이더라 15:11 아사가 그의 조상 다윗 같이 여호와 보시기에 정직하게 행하여 15:12 남색하는 자를 그 땅에서 쫓아내고 그의 조상들이 지은 모든 우상을 없애고 15:13 또 그의 어머니 마아가가 혐오스러운 아세라 상을 만들었으므로 태후의…

Ⅰ列王記 黙想 【Son of David】 20240509(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰ列王記 15:1~815:1 ネバテの子ヤロブアムの第十八年に、アビヤムがユダの王となり、15:2 エルサレムで三年間、王であった。彼の母の名はマアカといい、アブサロムの娘であった。15:3 彼は、かつて自分の父が行ったあらゆる罪のうちを歩み、彼の心は父祖ダビデの心のように、彼の神、主と一つにはなっていなかった。15:4 しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、彼のためにエルサレムに一つのともしびを与えて、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。15:5 それは、ダビデが主の目にかなうことを行い、ヒッタイト人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことからそれなかったからである。15:6 レハブアムとヤロブアムの間には、彼の一生の間、戦いがあった。15:7 アビヤムについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。アビヤムとヤロブアムの間には戦いがあった。15:8 アビヤムは先祖とともに眠りにつき、人々は彼をダビデの町に葬った。彼の子アサが代わって王となった。   『列王記』の記者は、南ユダのレハブアムがの子アビヤムが王に即位することを北イスラエルの年代の上で説明します。なぜなら、在位期間中にしたことがヤロブアムと戦ったことと偶像に使えたことだけだからです。どちらも神様がしないように命じたことです。「彼は、かつて自分の父が行ったあらゆる罪のうちを歩み、彼の心は父祖ダビデの心のように、彼の神、主と一つにはなっていなかった。15:3」アビヤムは邪悪で神様の御心にかないませんでした。それにもかかわらず、アビヤムの王位と人生が神様によって保障されたのは、神様が彼の曾祖父であるダビデを認め、約束を結ばれたからです。神様がダビデを信任した理由は、神様がアビヤムを信任しなかった理由のように短くて明らかです。「それは、ダビデが主の目にかなうことを行い、ヒッタイト人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことからそれなかったからである。15:5」   ダビデがウリヤにした犯罪の罪質は相当に悪いものでした。しかし、たとえダビデが人に悪を行ったが、神様に対する信仰を捨てたことはありません。そして悔い改める時、完全にうつぶせになります。ということで詩篇51編によれば、ダビデは人に罪を犯したが、神様に罪を犯したと告白して苦しみます。「私はあなたにただあなたの前に罪ある者です。私はあなたの目に悪であることを行いました。…···51:4」これを被害者に対する責任がないということに誤解してはいけません。人に犯した罪ですが、それがすなわち神様の御前に犯した罪であると告白したものです。神様はそんなダビデとの約束を続けられます。Ⅱサムエル7章16節の「あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」この約束は今日本文15章4節で依然として確認されます。「しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、彼のためにエルサレムに一つのともしびを与えて、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。」これが今日アビヤムに適用されている保険です。   疑問が一つ残ります。南ユダは紀元前586年にバビロニア帝国に滅び、その時ダビデ王朝も終わりました。それなら第二サムエル7章16節の「とこしえ」という言葉について質問せざるを得ません。「とこしえまでも確かなものとなり、とこしえまでも堅く立つ」という神様の約束は、500年後には撤回されたのでしょうか?「とこしえ」のへブル語は「オラム(עוֹלָם)」ですが、これは人の意志に対してではなく、神の目的に対して使われる言葉です。永遠は時間内にありません。永遠と名乗るなら、それは必ずこの地の時空間を超越しなければなりません。福音書には、苦しみを覚えた人々からダビデの子という呼び方が登場します。イエス様はダビデの子孫として来られたからです。マタイの福音書1章の系図を読んでみれば、その約束が歴史の中でどのようになされてきたのか確認することができます。ダビデの子孫として来られたイエス·キリストを通さずに、その永遠の門に入る方法はありません。神様の約束どおりイエス・キリストは永遠の王です。「ですから、兄弟たち。自分たちの召しと選びを確かなものとするように、いっそう励みなさい。これらのことを行っているなら、決してつまずくことはありません。このようにして、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを、豊かに与えられるのです。Ⅱペテロ1:11」  

열왕기상 묵상 【Son of David】 20240509(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기상 15:1~815:1 느밧의 아들 여로보암 왕 제 십팔년에 아비얌이 유다 왕이 되고15:2 예루살렘에서 삼년을 치리하니라 그 모친의 이름은 마아가라 아비살롬의 딸이더라15:3 아비얌이 그 부친의 이미 행한 모든 죄를 행하고 그 마음이 그 조상 다윗의 마음 같지 아니하여 그 하나님 여호와 앞에 온전치 못하였으나15:4 그 하나님 여호와께서 다윗을 위하여 예루살렘에서 저에게 등불을 주시되 그 아들을 세워…

Ⅰ列王記 黙想 【捨てられる神】 20240508(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅰ列王記 14:21~3114:21 ユダではソロモンの子レハブアムが王になっていた。レハブアムは四十一歳で王となり、主がご自分の名を置くためにイスラエルの全部族の中から選ばれた都、エルサレムで十七年間、王であった。彼の母の名はナアマといい、アンモン人であった。14:22 ユダの人々は主の目に悪であることを行い、彼らが犯した罪によって、その先祖たちが行ったすべてのこと以上に主のねたみを引き起こした。14:23 彼らも、すべての高い丘の上や青々と茂るあらゆる木の下に、高き所や、石の柱や、アシェラ像を立てた。14:24 この国には神殿男娼もいた。彼らは、主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の、すべての忌み嫌うべき慣わしをまねて行っていた。14:25 レハブアム王の第五年に、エジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上って来て、14:26 主の宮の財宝と王宮の財宝を奪い取った。彼は何もかも奪い取った。ソロモンが作った金の盾もすべて奪い取った。14:27 レハブアム王は、その代わりに青銅の盾を作り、これを王宮の門を守る近衛兵の隊長の手に託した。14:28 王が主の宮に入るたびに、近衛兵がこれを運び、また近衛兵の控え室に戻した。14:29 レハブアムについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。14:30 レハブアムとヤロブアムの間には、いつも戦いがあった。14:31 レハブアムは先祖とともに眠りにつき、先祖とともにダビデの町に葬られた。彼の母の名はナアマといい、アンモン人であった。彼の子アビヤムが代わって王となった。   レハブアムは、父親のソロモンとアンモン出身の母親の間に生まれました。そのような理由で、レハブアムの中には潜在的な異邦宗教があったはずです。もちろん、成長環境についてはレハブアムに責任はありません。だからといって、異邦の偶像がユダ王に対する責任を負ってくれるわけではありません。神の国の王になったから、王として責任を負わなければなりません。 運命論的に決まっていることはありません。レハブアムは41歳で王となり、17年間ユダを統治しました。41歳なら、良い成長環境も自ら壊して失敗できる年齢であり、劣悪な成長環境だったとしても勝ち抜いて成長できる年齢です。   しかし、レハブアムは自分に若干の自信感が加わると、神様を捨てて偶像を選びます。それでエジプトがユダの主要な城とエルサレムまで攻撃し、ソロモンの栄光の時に作った良いものを略奪して行きました。「さて、レハブアム王の第五年に、エジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上って来た。イスラエルが主の信頼を裏切っていたからである。Ⅱ歴代誌12:2」 レハブアムは神の怒りを買い、その結果、周辺国にやられる弱小国に転落することになったのです。地中海の盟主ソロモンの栄光は終わり、今やユダはエジプトに貢ぎ物を捧げる身となりました。   レハブアムは母親から見たもので、偶像に仕え、父親から見たもので、18人の妻と60人の妾を得て、息子28人と娘60人を産みました。偶像ってそれほど魅力的なものでしょうか?アンモンの偶像、エジプトの偶像、カナンの偶像はそんなに魅力的なものだったのでしょうか?みんなそこから抜け出せずに、もがいて失敗しているのではないでしょうか?聖書を読む読者が3者的立場でユダが異邦宗教の偶像に仕えたという他人の言葉で理解してはこの本文を読むことができません。偶像崇拝の本質は自己崇拝です。すべての人がこの魅力に強く惹かれるようになっています。自信という言葉が面白いです。人間は少しの自信がある時、自分自身に仕える魅力を諦めることができず、結局神様を捨ててついに滅びることを繰り返す存在です。 神様が人を捨てるのではなく、いつも人が先に神様を捨てるのです。