10月箴言黙想 【知性と霊性】20231005(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

箴言 3:11~263:11 わが子よ、主の懲らしめを拒むな。その叱責を嫌うな。3:12 父がいとしい子を叱るように、主は愛する者を叱る。3:13 幸いなことよ、知恵を見出す人、英知をいただく人は。3:14 知恵で得るものは金で得るものにまさり、その収穫は黄金にまさるからだ。3:15 知恵は真珠よりも尊く、あなたが喜ぶどんなものも、それと比べられない。3:16 知恵の右の手には長寿があり、左の手には富と誉れがある。3:17 知恵の道は楽しい道。その通り道はみな平安である。3:18 知恵は、これを握りしめる者にはいのちの木。これをつかんでいる者は幸いである。3:19 主は知恵をもって地の基を定め、英知をもって天を堅く立てられた。3:20 主の知識によって深淵は張り裂け、雲は露を滴らせる。3:21 わが子よ、見失ってはならない。知性と思慮をよく見守れ。3:22 それらは、たましいのいのちとなり、あなたの首に麗しさを添える。3:23 こうして、安心して自分の道を歩み、あなたの足はつまずかない。3:24 横たわるとき、あなたに恐れはない。休むとき、眠りは心地よい。3:25 にわかに起こる恐怖に、悪しき者たちの来襲に、おびえるな。3:26 主があなたの頼みであり、足が罠にかからないように、守ってくださるから。   11節で「懲らしめ」と「叱責」という言葉が出てきます。叱られるという意味で受け止められますが、より広く考えれば、人間が持つ「認識の誤りに対する指摘」でもありますし、または「無知に対する啓蒙」かもしれません。それが必要でない人はいないです。失敗は結果ではなく過程です。計画通りにいかなかったことが失敗ではなく、ただ諦めてしまうこと、知ろうともしないことが失敗です。もちろん失敗という感情を望むことはできませんが、皆が経験上失敗を通した学習効果は大きいということはよく知っています。神様が人を成長させる時は、知っていた知識、人、経験が信頼できないということに気づかれます。その時、失敗感を感じますが、失敗の経験はむしろ人を一段階引き上げます。それで14節でもう一度言います。「知恵で得るものは金で得るものにまさり、その収穫は黄金にまさるからだ。3:14」お金では知恵を買うことはできませんが、知恵が経済の中で働くと富になります。   19節以下を見ると、神様が知恵と知識をもって地と空を創り、海と大気、気象を造られたことを言います。「主は知恵をもって地の基を定め、英知をもって天を堅く立てられた。主の知識によって深淵は張り裂け、雲は露を滴らせる。3:19、20」これを証明することは啓蒙主義以後なひたすら自然科学が独占してきました。しかし、自然科学の限界は神様を立証できないということです。自然科学が神様を証明できないのは、それが神様を測定したり、究明できる基準ではないから、神様がお創りになった創造世界の構造の一部だからです。人がへそを証明することはできますが、へそが人を証明することはできません。科学は現象を観察しますが、現象の原初的な原因については、どの科学者も知りません。科学が創造主を否定するなら、科学は真理を探求する学問とは言えません。もちろん科学の枠内では宗教の枠内にある神を認めることはできませんが、まことに現象を探求した科学者なら創造主なる神様を認めなければならないことです。   アイザック·ニュートン (Isaac Newton)は、光学的技術なしでは目が存在するはずがなく、音に対する知識なしでは耳が造られることはできないと考えました。自然の世界には見えなくても、知性的存在が必ず存在すると思っていました。ニュートンが偉大な自然法則を発見できたのはへブル人への手紙にある昨日も今日も同じである神様、「イエス·キリストは昨日も今日も永遠に同じである13:8」という聖書的な確信があったからこそできることでした。ニュートンの霊的知恵が物理の世界を究明したのです。科学があらゆる法則を発見するのは、神様が昨日も今日も同じだからです。科学は自然と宇宙秩序を通じて神様を認めなければならず、聖徒は神様の創造の秩序である科学を探求し、知らなければなりません。知性と霊性は伴わなければなりません。「わが子よ、見失ってはならない。知性と思慮をよく見守れ。3:21」

10월 잠언묵상 【지성과 영성】20231005(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

잠언 3:11~263:11 내 아들아 여호와의 징계를 경히 여기지 말라 그 꾸지람을 싫어 하지 말라3:12 대저 여호와께서 그 사랑하시는 자를 징계하시기를 마치 아비가 그 기뻐하는 아들을 징계함 같이 하시느니라3:13 지혜를 얻은 자와 명철을 얻은 자는 복이 있나니3:14 이는 지혜를 얻는 것이 은을 얻는 것보다 낫고 그 이익이 정금보다 나음이니라3:15 지혜는 진주보다 귀하니 너의 사모하는 모든 것으로…

10月箴言黙想 【知恵に導かれる人】 20231004(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

箴言 3:1~103:1 わが子よ、私の教えを忘れるな。心に私の命令を保つようにせよ。3:2 長い日々と、いのちと平安の年月が、あなたに増し加えられるからだ。3:3 恵みとまことがあなたを捨てないようにせよ。それをあなたの首に結び、心の板に書き記せ。3:4 神と人の前に好意を得、聡明であれ。3:5 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。3:6 あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。3:7 自分を知恵のある者と考えるな。主を恐れ、悪から遠ざかれ。3:8 それは、あなたのからだに癒やしとなり、あなたの骨に潤いとなる。3:9 あなたの財産で主をあがめよ。あなたのすべての収穫の初物で。3:10 そうすれば、あなたの倉は豊かさで満たされ、あなたの石がめは新しいぶどう酒であふれる。   『ウェストミンスター大教理問答』の3番目の質問は、「神のみ言葉とは、何であるか」と質問し、それに対する答えは 「旧・新約聖書が、神のみ言葉、信仰と服従のただ一つの規準である」と告白します。唯一でない価値は集中力を持つことができません。創造主なる神は唯一で、神によって被造された人間は多様です。したがって、人間と社会の多様性というのは、私たちが認めなければならない確かな価値です。同時に、それを創造した神は唯一であることを認めなければなりません。人々はこれをひっくり返して考えます。自分は絶対化しますが、神が唯一であるということを独善的な宗教と言い、否定します。しかし唯一は、独善ではなく絶対を表わす本質であり、多様というのは絶対によって創造された現象です。絶対な神の御言葉の中で多様な人と社会を観察する時、世界を理解できる集中力を持つことができます。   神様の御言葉を自分の唯一かつ絶対の価値にして生きる人は、自分を神様の御言葉に服従させます。それはより良い結果のための自然なことです。そのような人は神様の御言葉と自分の思いが葛藤しません。妥協したり、折衝したりしません。断りもしません。「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。3:5,6」 宗教的意味ではなく、人格的意味で神様の御言葉を信頼し、従う人は神様の計画が自分の人生で実現されることを経験するでしょう。それに挑戦し、その経験を蓄積していない人の信仰とは、常に抽象的で不安なものです。   信じさえすればできるという言葉をよく言いますが、信じればできるということは、死ぬばできるという意味です。私の考えを捨てて神様の御言葉に丁重に、礼儀正しく反応すれば、神様はそれを受け取り、私に尊重の贈り物をくださいます。「神と人の前に好意を得、聡明であれ。3:4」 すべからく人格の関係とはそんなものです。人間の知恵と誠実さは神様の目に悪になったりもします。人間は自己中心の存在であるため、完全な善をわきまえることができません。 「自分を知恵のある者と考えるな。主を恐れ、悪から遠ざかれ。それは、あなたのからだに癒やしとなり、あなたの骨に潤いとなる。3:7,8」   聖徒はどんな方法であれ、最も大切なものを区別して神様にささげなければなりません。人はお金を最も大切にするので、お金を超えなければ神様に進むことはありません。口がうまい人は、心が大事だと言いますが、そんな人も心の行くところに大切なお金を使います。「あなたの財産で主をあがめよ。あなたのすべての収穫の初物で。そうすれば、あなたの倉は豊かさで満たされ、あなたの石がめは新しいぶどう酒であふれる。3:9、10」 自分を自ら祝福しようとしてはいけません。信仰というのは自分が神様にささげることであって、祝福というのは神様が私にしてくださることです。恵みを祈るということは、神様に受ける祝福を促すのではなく、神様に信仰ををささげなさいというという促しです。

10월 잠언묵상 【지혜에 이끌리는 사람】 20231004(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

잠언 3:1~103:1 내 아들아 나의 법을 잊어버리지 말고 네 마음으로 나의 명령을 지키라3:2 그리하면 그것이 너로 장수하여 많은 해를 누리게 하며 평강을 더하게 하리라3:3 인자와 진리로 네게서 떠나지 않게 하고 그것을 네 목에 매며 네 마음판에 새기라3:4 그리하면 네가 하나님과 사람 앞에서 은총과 귀중히 여김을 받으리라3:5 너는 마음을 다하여 여호와를 의뢰하고 네 명철을 의지하지 말라3:6…

10月箴言黙想 【失われた知恵】 20231003(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

箴言 2:1~222:1 わが子よ。もしあなたが私のことばを受け入れ、私の命令をあなたのうちに蓄え、2:2 あなたの耳を知恵に傾け、心を英知に向けるなら、2:3 もしあなたが悟りに呼びかけ、英知に向かって声をあげ、2:4 銀のように、これを探し、隠された宝のように探り出すなら、2:5 そのとき、あなたは主を恐れることをわきまえ知り、神を知ることを見出すようになる。2:6 主が知恵を与え、御口から知識と英知が出るからだ。2:7 主は正直な人のために、すぐれた知性を蓄え、誠実に歩む人たちの盾となり、2:8 公正の道筋を保ち、主にある敬虔な人たちの道を守られる。2:9 そのとき、あなたは義とさばきと公正を、またすべての良い道筋をわきまえ知る。2:10 知恵があなたの心に入り、知識がたましいに喜びとなるからだ。2:11 思慮はあなたを守り、英知はあなたを保つ。2:12 それらはあなたを悪の道から、ねじれごとを語る者たちから救い出す。2:13 その者たちはまっすぐな進路を捨てて闇の道に歩み、2:14 悪を行うことを楽しみとし、悪しきねじれごとを喜んでいる。2:15 その進む道は曲がり、彼らは道筋を誤る。2:16 また思慮と英知は、あなたをよその女から、ことばの滑らかな見知らぬ女から救い出す。2:17 この女は若いころの連れ合いを捨てて、自分の神との契約を忘れている。2:18 彼女の家は死へと、その道筋は死者の霊の国へと下る。2:19 この女のもとへ行く者はだれも帰って来ない。いのちの道に至ることはない。2:20 こうして、あなたは善良な人たちの道に歩み、正しい人たちの進む道を守る。2:21 正直な人たちは地に住まいを得、全き人たちは地に生き残る。2:22 しかし、悪しき者たちは地から断たれ、裏切り者たちは地から引き抜かれる。   箴言2章は、5節が分岐点のようです。「そのとき、あなたは主を恐れることをわきまえ知り、神を知ることを見出すようになる。2:5」 5節は神様を恐れること、神様を知ることという結果を言います。そして、それをもたらす原因が1節~4節です。「神様の御言葉を聞き、それを心に刻み、知恵に耳を傾け、それを積極的に追い求め、知識を求めること」です。それを「まるで銀のように、これを探し、隠された宝のように探り出すなら」と言いました。経済に対する関心だけ、神様の御言葉にあるならば、神様を知り、神様を恐れることができるということです。   分岐点となる5節以下は、神様を知り、神様を恐れる人、すなわち神様の御言葉が自分の基準になった人が受けるべき祝福について言います。「危険から守られ、差別から公平を回復し、信仰のゆえの挑戦が安全に守られます。大切な情報を選別でき、その情報を処理することができ、洞察する知恵が与えられ、賢くなります。なお、自分を客観化し、自分を省察することができるから謹慎します。性的誘惑に陥らないように自分を守るり、善良に生きようと務め、義に生きようと努力するようになります。 」   ノーベル文学賞を受賞したバートランド·ラッセルは労働を幸福の不可欠なものと見なしましたが、労働に従属してはならない人間の権利についてはより強調しました。労働を神聖視したのは、奴隷の道徳であり、現代人は奴隷ではないということです。彼によると産業社会以降、技術の進歩はすでに人間が十分な余暇を持てるようになったと言います。それで良心的に労働を再配列すると、人類は一日4時間以上働く必要はないと主張するのです。 ラッセルが70年代に亡くなったので、その後、さらに発展した産業と、最近の人工知能が代替する労働まで勘案すれば、人間が労働しなければならない時間はさらに減らさなければならないでしょう。   それにもかかわらず、現代社会に長い労働時間と分配の失敗、失業などが繰り返されているのは、人々の欲と競争心、既得権の執着のためです。創造的な仕事をするのではなく、席を守らなければならないからです。長い間仕事をしますが、職業現場の労働時間、もしくは学生たちの長い学習時間が必ずしも成果と比例するとは限りません。問題は集中力を通して核心を見出すことができるかという知恵です。神様に集中する訓練をする人は、他のすべてのことにも集中でき、その仕事で成果を出すことができるでしょう。聖徒はその知恵を得るための実践をしなければなりません。   ラッセルは4時間の集中的な労働で生計を確保してからは残りの時間は自分(人間)のために使わなければならないと言います。ここで余暇時間とは、テレビ、スマートフォン、スポーツ、映画などを楽しむことを意味するものではありません。それよりも上位にある人間本来の何らかの幸せがあるということです。私はそれを読んでときめきがありました。私たちはそれを失われたまま生きているからです。お金の心配ばかり、仕事ばかりしていて、仕事が終わったらスマートフォンと一緒に倒れて寝ます。霊的な交わりの経験さえありません。この非人間的な世の中で、人間らしく、そして聖徒らしく生きることは、諦められないです。追い求めるべき使命ではないでしょうか?世は厳しいですが、知恵はないです。世の中で知恵ある聖徒はそれを見つけなければならないと思います。

10월 잠언묵상 【잃어버린 지혜】 20231003(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

잠언 2:1~222:1 내 아들아 네가 만일 나의 말을 받으며 나의 계명을 네게 간직하며2:2 네 귀를 지혜에 기울이며 네 마음을 명철에 두며2:3 지식을 불러 구하며 명철을 얻으려고 소리를 높이며2:4 은을 구하는 것 같이 그것을 구하며 감추인 보배를 찾는 것 같이 그것을 찾으면2:5 여호와 경외하기를 깨달으며 하나님을 알게 되리니2:6 대저 여호와는 지혜를 주시며 지식과 명철을 그 입에서…

10月箴言黙想 【思惟不能性】 20231002(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

箴言1:20 知恵は大通りで叫び、広場でその声をあげ、1:21 騒々しい街角で叫び、町の門の入り口で、そのことばを語る。1:22 「浅はかな者よ、おまえたちは、いつまで浅はかなことを愛するのか。嘲る者は、いつまで嘲ることを欲するのか。分別のない者は、いつまで知識を憎むのか。1:23 わたしの叱責に立ち返れ。おまえたちにわたしの霊を注ぎ、わたしのことばを知らせよう。1:24 わたしが呼んだのに、おまえたちは拒んだ。手を差し伸べたのに、耳を傾ける者はなかった。1:25 おまえたちはわたしの忠告をすべてなおざりにし、わたしの叱責を一つも受け入れなかった。1:26 わたしも、おまえたちが災難にあうときに笑い、恐怖がおまえたちを襲うとき、あざ笑う。1:27 恐怖が嵐のようにおまえたちを襲うとき、災難がつむじ風のようにおまえたちに来るとき、苦難と苦悩がおまえたちを襲うとき、1:28 そのとき、わたしを呼んでも、わたしは答えない。わたしを捜し求めても、見出すことはできない。1:29 それは、彼らが知識を憎み、主を恐れることを選ばず、1:30 わたしの忠告を受け入れようとせず、わたしの叱責をことごとく侮ったからだ。1:31 それで、彼らは自分の行いの実を食らい、自分が企んだことで腹を満たす。1:32 浅はかな者の背信は自分を殺し、愚かな者の安心は自分を滅ぼす。1:33 しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住み、わざわいを恐れることなく、安らかである。」   本文によれば、知恵のない者は、浅はかな者。嘲る者、嘲る者。分別のない者、知識を憎む者です。彼らの特徴は、何も聞こうとしない人です。だからといって、皆が不良な態度を持っているわけではないでしょう。謙遜に見えるかもしれないし、知的に見えるかもしれませんが、聞こうとせずに学ぼうともしない人がいます。聞けない人は話せない、読めない人は書けない、学ばない人は教えられないです。   知恵がないから他人の知識を消費します。自分の知識を生産することはできません。他人の説教は聞きますが、自分の御言葉はないです。他人の証しは聞きますが、自分に残った神様の証しはありません。それは考えないからです。考えずに神様に会うことはありません。数多くの時間の内に起きる大小の事件と、それが神様とどのような関係するのかを振り返り、推論し、洞察せずには証しを見つけることができません。   『エルサレムのアイヒマン』で著者のハンナ·アーレントは、アイヒマンの道徳的不感を「悪の平凡性」であると結論付けました。アイヒマンはナチス党員として熱心でした。しかし、それは人を一生懸命殺すことでもありました。彼は誠実に生きていました。それが絶えず誰かを破壊することでした。社会がさせることだけをする人、それに対する意味を質問しない人はアイヒマンになれるということです。アイヒマンは誠実な公務員で、500万人を殺しても罪悪感を持っていませんでした。それが「思惟不能性」です。考えない罪です。 それが現代的な悪の特徴です。。   1990年、日本で高校校門圧死事件がありました。高校の教師が遅刻を取り締まって校門を閉めましたが、一人の女子生徒の頭が挟まれて死亡した事件です。時間とマニュアルに従って決められた仕事を一生懸命遂行しましたが、考えなかったため、幼い生徒は亡くなり、教師は殺人を犯すことになりました。人々はルールとマニュアルに定められた通りにすればそれが正しいと思います。 しかし、それが時には悪になり得るというのが「悪の平凡さ」です。 それが考えない無能、つまり「思惟不能性」です。考えながら生きなければならないと思うのです。耳で言葉を聞くことは、その言葉を頭の中に入れて考えるためかもしれません。

10월 잠언묵상 【사유불능성】 20231002(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

잠언1:20 지혜가 길거리에서 부르며 광장에서 소리를 높이며1:21 훤화하는 길 머리에서 소리를 지르며 성문 어귀와 성중에서 그 소리를 발하여 가로되1:22 너희 어리석은 자들은 어리석음을 좋아하며 거만한 자들은 거만을 기뻐하며 미련한 자들은 지식을 미워하니 어느 때까지 하겠느냐1:23 나의 책망을 듣고 돌이키라 보라 내가 나의 신을 너희에게 부어주며 나의 말을 너희에게 보이리라1:24 내가 부를지라도 너희가 듣기 싫어 하였고…

【シオンの門、神の都】 20230929 (金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

詩編 87:2-3 87:2 主はシオンの門を愛される。ヤコブのどの住まいよりも。 87:3 神の都よあなたについて誉れあることが語られている。 セラ  この世の中には神様の栄光を表しているような美しい自然がある場所があります。そして、人々はそういう場所を‘世界の旅行名所’、‘死ぬ前に必ず行って見たい場所’などの名をつけて誉めています。    相当そういう感性が鈍い人である私も有名な所には行って見たいし、時には遠くまで行かなくても見上げている空がきれいな日には写真を撮って保存して置きながら、この世を創造された神様の偉大さに感服する時もあります。    しかし、驚くべきことは、このように美的な感覚が優れた神様が一番美しいものとする存在は、大自然や美術品などではなく、神様のかたちに造られた人間です。人が言っている’きれいな所で写真を撮るときれいな写真が出る’という話のようなことではなくて、神様の目線はいつも私たちに向かっています。    “主はシオンの門を愛される。ヤコブのどの住まいよりも。” 詩編 87:2     今日の聖書箇所を原語的に釈義すると、神様はイスラエルの他のどのような所でもなく、シオンと呼ばれるエルサレムを選び、そこに臨在するという意味になります。     しかし、旧約聖書時代に神殿の契約の箱におられた神様は今、私たち一人一人をご自分の宮とし、そこにおられます。神様はこの世のどのような美しい場所でもなく、私たちの中に臨在することを望んでおられるお方です。従って、私たち一人一人は神様に選ばれた‘シオンの門’であります。     そして、この神様の臨在がある所には‘誉れあることが語られる’と示されています。    昔、学生たちや、聖書勉強グループの人々に年に1回ぐらいは必ず問われることがありました。それは、お金持ちになって、えらい人になって、いわゆる’成功’して神様に栄光をささげることについてでした。実際、私はそれが悪くはないと思っています。だれかはそういうふうに栄光をささげることもできると思います。しかし、それはそこまでの道を完全に御言葉に従って、自分の欲を一つも残らずに捨てて、ただ神様だけのために最後まで歩んで行けたらです。      神様に栄光を捧げることは。日本語では栄光を帰するともよく使われています。この言葉は本当に正しい言葉だと思います。神様に栄光を捧げるとしたら、自分の能力や、名誉から生み出された栄光を神様に捧げるような感じもしますが、これは完全に間違っています。神様に栄光を捧げるというのは、まさに神様に栄光を帰することです。この世の被造物たちは栄光そのものである神様に捧げられる栄光を自ら生み出すことはできません。ただ、すでにこの世に現れている神様の栄光を、また神様に帰するそのものです。    エルサレムという都に誉れあることが語られる理由は、エルサレムが数ある派手な物で飾っているからも、その大きさが他の都と格が違うからでもありません。ただ、そこに神様がおられるからです。そして、その神様が今、私たちの側におられます。     詩編87篇全体の内容を見ると、シオンの門、神の都の役割はその中に限られていません。周りの民族、国々がシオンに向いて行けるようにする門として、神様の栄光を表し、人々を集める都として、伝道者の役割に努めているのです。そして、神様は必ず私たちをもそのように用いてくださいます。 https://youtu.be/7O4BeAEDuaY?si=2-m4yzIPa1BMSiQ_

【시온의 문, 하나님의 성】 20230929 (금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

시편 87:2-3 87:2 여호와께서 야곱의 모든 거처보다 시온의 문들을 사랑하시는도다 87:3 하나님의 성이여 너를 가리켜 영광스럽다 말하는도다 (셀라)  세상에는 하나님의 영광을 드러내는 듯 한 아름다운 풍경을 자랑하는 지역들이 있다. 그리고 사람들은 그런 곳을 ‘세계 여행 명소’, ‘죽기 전에 꼭 가봐야 할 곳’ 등의 이름을 붙이며 칭송하기도 한다.    감성이 꽤나 메말라있는 나 역시 그런 지역에…