10月エペソ人々への手紙黙想【閉じ込められたようでも】 20231020 (金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生
エペソ人々への手紙 3:1-13 3:1 こういうわけで、あなたがた異邦人のために、私パウロはキリスト・イエスの囚人となっています。 3:2 あなたがたのために私に与えられた神の恵みの務めについては、あなたがたはすでに聞いたことでしょう。 3:3 先に短く書いたとおり、奥義が啓示によって私に知らされました。 3:4 それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよく分かるはずです。 3:5 この奥義は、前の時代には、今のように人の子らに知らされていませんでしたが、今は御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されています。 3:6 それは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということです。 3:7 私は、神の力の働きによって私に与えられた神の恵みの賜物により、この福音に仕える者になりました。 3:8 すべての聖徒たちのうちで最も小さな私に、この恵みが与えられたのは、キリストの測り知れない富を福音として異邦人に宣べ伝えるためであり、 3:9 また、万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現がどのようなものなのかを、すべての人に明らかにするためです。 3:10 これは、今、天上にある支配と権威に、教会を通して神のきわめて豊かな知恵が知らされるためであり、 3:11 私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた、永遠のご計画によるものです。 3:12 私たちはこのキリストにあって、キリストに対する信仰により、確信をもって大胆に神に近づくことができます。 3:13 ですから、私があなたがたのために苦難にあっていることで、落胆することのないようお願いします。私が受けている苦難は、あなたがたの栄光なのです。 イエス・キリストを信じてクリスチャンになるということは、世の中から見ると自分自身に制限をかけるような、自ら監獄に入って閉じ込められた者のようになるのかもしれません。 世の中の人々は自然にしていることを、クリスチャンたちは信仰によって我慢し、むしろ自分を制限することに力と心と時間を注いでるからです。 今日の本文のパウロがまさにそのような人です。 優れた学識を持ち、ローマ市民権者であり、サンヘドリン公会の会員であり、一生の豊かな暮らしが保障されていたパウロはイエス・キリストのために閉じ込められた者となりました。 パウロは自身の他の手紙で、世の中の背景をキリストのために損であり、ちりあくただと思っていると告白し、そのような彼の姿を見て人々は「博学があなたを狂わせている」と嘲りし、非難しました。 このようにすべてを捨ててイエス·キリストを得た彼は今、牢獄に閉じ込められています。 世の中の豊かさを享受しながら自由に生きることができたはずの彼は、イエス·キリストによって自由を失ったように見えます。 しかし、彼の手紙のどこにも牢獄に閉じ込められ、弱くなり、絶望している姿は現れていません。 むしろ誰よりも自由な人のように見えます。 今、牢獄に閉じ込められている者が日常を生きている人々を慰め、励ましています。 世の中の人々の目に映るクリスチャンとはこのような存在であるしょう。 享受できること、楽しめることを諦めて自分を制限する人、自ら牢獄に入ろうとしているような愚かな人生を生きる人。 こんな姿を見て誰かは残念に思うかもしれません。 嘲るかもしれません。 しかし、彼らの目には見えない、実はこの世の誰よりも自由な人であり、世の中の何とも換えられない貴重なものを得た人。 それがクリスチャンです。 https://youtu.be/TaIUDJUsvYU?si=l3_bThCMHhmoNUXd