출애굽기 QT73 210712월【수종드는 여인들의 거울】출애굽기 38장 1~20

출애굽기 38장 1~2038:1 그가 또 조각목으로 번제단을 만들었으니 장이 오 규빗이요 광이 오 규빗이라 네모 반듯하고 고는 삼 규빗이며38:2 그 네 모퉁이 위에 그 뿔을 만들되 그 뿔을 단과 연하게 하고 단을 놋으로 쌌으며38:3 단의 모든 기구 곧 통과 부삽과 대야와 고기 갈고리와 불 옮기는그릇을 다 놋으로 만들고38:4 단을 위하여 놋 그물을 만들어 단 사면…

出エジプト記 QT72 210710土【宥めの蓋と供えのパン机】出エジプト記 37章 1~16

出エジプト記 37章 1~16 37:1 ベツァルエルは、アカシヤ材で、長さ二キュビト半、幅一キュビト半、高さ一キュビト半の箱を作り、37:2 その内側と外側に純金をかぶせ、その周りに金の飾り縁を作った。37:3 箱のために金の環を四つ鋳造し、その四隅の基部に取り付けた。一方の側に二つの環を、もう一方の側にもう二つの環を取り付けた。37:4 また、アカシヤ材で棒を作り、それに金をかぶせ、37:5 箱を担ぐために、その棒を箱の両側の環に通した。37:6 さらに、純金で「宥めの蓋」を作った。その長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。37:7 また、二つの金のケルビムを作った。槌で打って、「宥めの蓋」の両端に作った。37:8 一つを一方の端に、もう一つを他方の端に作った。「宥めの蓋」の一部として、ケルビムをその両端に作った。37:9 ケルビムは両翼を上の方に広げ、その翼で「宥めの蓋」をおおっていた。互いに向かい合って、ケルビムの顔が「宥めの蓋」の方を向いていた。37:10 彼はアカシヤ材で机を作った。その長さは二キュビト、幅は一キュビト、高さは一キュビト半であった。37:11 これに純金をかぶせ、その周りに金の飾り縁を作った。37:12 その周りに一手幅の枠を作り、その枠の周りに金の飾り縁を作った。37:13 その机のために金の環を四つ鋳造し、四本の脚のところの四隅にその環を取り付けた。37:14 その環は枠の脇に付け、机を担ぐ棒を入れるところとした。37:15 アカシヤ材で机を担ぐための棒を作り、 これに金をかぶせた。37:16 また、机の上の備品、すなわち、注ぎのささげ物を注ぐための皿、ひしゃく、水差し、瓶を純金で作った。   本文は宥めの蓋と供えのパン机のデザインについて記されています。これは25章と30章でも既にあった内容ですが、ここにきて再び繰り返されています。本文を見ると、金が多く使われましたが、それらはすべての民が、各自の家から持ってきたものであることが分かります。それなりの金が民の手元にあったことは驚きですが、エジプトを出るときに民が財産を持つようにした神様の配慮のおかげでしょう。神様の恵みと聖徒の献身は、循環するものであると思います。   箱を覆っている純金カバーを宥めの蓋といいますが、ケルビムは両翼を上の方に広げ、互いに向き合い、箱の上を覆いながら見下ろすようなデザインです。大祭司は贖罪の日に犠牲の血を持って行って宥めの蓋に地を振りかけます。その血を通し、神様は民に恵みを与えてくださいます。ですから宥めの蓋を恵みが施されるところという意味で、施恩所とも呼ばれていました。神様がくださった金で施恩所を飾るたので施恩所から出る神様は恵みは枯渇することはないでしょう。   10節からは供えのパンの机のデザインです。供えのパンは、民が神様にささげるという意味ではなく、神様がイスラエルを養うという意味があります。供えのパンは、安息日ごとに新しいものに交換されます。神様は、変わりつつある状況や条件に応じて、必要な御言葉を民に与えてくださいます。

출애굽기 QT72 210710토【속죄소와 진설병 상】출애굽기 37장 1~16

출애굽기 37장 1~16 37:1 브사렐이 조각목으로 궤를 만들었으니 장이 이 규빗 반, 광이 일 규빗 반, 고가 일 규빗 반이며37:2 정금으로 안팎을 싸고 윗가로 돌아가며 금테를 만들었으며37:3 금고리 넷을 부어 만들어 네 발에 달았으니 곧 이편에 두 고리요 저편에 두 고리며37:4 조각목으로 채를 만들어 금으로 싸고37:5 그 채를 궤 양편 고리에 꿰어 궤를 메게 하였으며37:6…

出エジプト記 QT71 210709金【心に知恵ある者はみな】出エジプト記 36章 8 ~38

出エジプト記 36章 8 ~3836:8 仕事に携わっている者のうち、心に知恵ある者はみな、 幕屋を十枚の幕で造った。幕は、撚り糸で織った亜麻布、 青、 紫、 緋色の撚り糸を用い、意匠を凝らしてケルビムを織り出した。36:9 幕の長さはそれぞれ二十八キュビト、幕の幅はそれぞれ四キュビト、幕はみな同じ寸法とした。36:10 五枚の幕を互いにつなぎ合わせ、もう五枚の幕も互いにつなぎ合わせた。36:11 つなぎ合わせたものの端にある幕の縁に、青いひもの輪を付け、もう一つのつなぎ合わせたものの端にある幕の縁にも、そのようにした。36:12 その一枚の幕に五十個の輪を付け、もう一つのつなぎ合わせた幕の端にも五十個の輪を付け、その輪を互いに向かい合わせにした。36:13 金の留め金を五十個作り、その留め金で幕を互いにつなぎ合わせ、こうして一つの幕屋にした。36:14 また、幕屋の上に掛ける天幕のために、やぎの毛の幕を作った。その幕を十一枚作った。36:15 幕の長さはそれぞれ三十キュビト、幕の幅はそれぞれ四キュビト、その十一枚の幕は同じ寸法とした。36:16 そのうち五枚の幕を一つに、 もう六枚の幕も一つにつなぎ合わせ、36:17 つなぎ合わせたものの端にある幕の縁には五十個の輪を付け、もう一つのつなぎ合わせた幕の縁にも五十個の輪を付けた。36:18 青銅の留め金を五十個作り、天幕をつなぎ合わせて一つにした。36:19 天幕のために、赤くなめした雄羊の皮で覆いを作り、さらに、その上に掛ける覆いをじゅごんの皮で作った。36:20 さらに幕屋のために、アカシヤ材で、まっすぐに立てる板を作った。36:21 一枚の板は、長さ十キュビト、板一枚の幅は一キュビト半。36:22 板一枚ごとに、はめ込みのほぞを二つ作り、幕屋のすべての板にそのようにした。36:23 こうして幕屋のために板を作った。南側に二十枚。36:24 その二十枚の板の下に銀の台座を四十個作った。一枚の板の下に、 二つのほぞのために二個の台座、ほかの板の下にも、二つのほぞのために二個の台座を作った。36:25 幕屋のもう一つの側、北側に板二十枚。36:26 銀の台座四十個。すなわち、一枚の板の下に二個の台座。次の板の下にも二個の台座。36:27 幕屋のうしろ、西側に板六枚を作った。36:28 幕屋のうしろの両隅に板二枚を作った。36:29 これらは底部では別々であるが、上部では、一つの環のところで一つに合わさるようにした。二枚とも、そのように作った。これらが両隅である。36:30 板は八枚、その銀の台座は十六個。すなわち、一枚の板の下に二個ずつの台座があった。36:31 また、アカシヤ材で横木を作った。すなわち、幕屋の一方の側の板のために五本、36:32 幕屋のもう一方の側の板のために横木五本、幕屋のうしろ、西側の板のために横木を五本作った。36:33 それから、板の中間を端から端まで通る中央横木を作った。36:34 板には金をかぶせ、横木を通す環を金で作った。横木にも金をかぶせた。36:35 また、青、 紫、 緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用いて、垂れ幕を作った。これに意匠を凝らしてケルビムを織り出した。36:36 その垂れ幕のために、金をかぶせたアカシヤ材の四本の柱を作った。それらの鉤は金であった。また、柱のために四つの銀の台座を鋳造した。36:37 天幕の入り口のために、青、紫、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用い、刺繡を施して垂れ幕を作った。36:38 また、五本の柱とその鉤を作り、柱頭と頭つなぎに金をかぶせた。その五つの台座は青銅であった。   神様の設計通り幕屋を作らなければなりません。本文は「仕事に携わっている者のうち、心に知恵ある者はみな」で始まります。心に知恵ある者がそれを造れます。手の技のある者ではなく、心に知恵ある者です。心に知恵がなければ、神様の設計を解析し、施工することができないようです。神様が語られましたが、図面を描いてくださったわけではないので、人はその御言葉を読み取り、解釈し、図面を描き、それを形にしなければなりません。誰かの頭の中には完成された幕屋の俯瞰図があります。それが形になるまで推進するのです。御言葉に基づいた神の国の青写真を抱いている人です。   教会は、神様の御旨のままに建てられなければします。神様の御言葉を聞き、読み、悟り、それの心に描き、互いにつなげ、協力する知恵を持つ人々によって建てられていきます。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。任意の材料と寸法はありません。すべてのものに基準があり、その基準を合わせて行ってみると、神様の設計に到達するのです。神様の御言葉が設計図であり、心に知恵ある者がそれに聞き従えば、教会は、必ず神様の御旨のままに立てられていきます。

출애굽기 QT71 210709금【마음이 지혜로운 모든 사람이】출애굽기 36장 8~38

출애굽기 36장 8~3836:8 일하는 사람 중에 마음이 지혜로운 모든 사람이 열 폭 앙장으로 성막을 지었으니 곧 가늘게 꼰 베실과 청색 자색 홍색실로 그룹 들을 무늬 놓아 짜서 지은 것이라36:9 매폭의 장은 이십 팔 규빗, 광은 사 규빗으로 각 폭의 장단을 같게 하여36:10 그 다섯 폭을 서로 연하며 또 그 다섯 폭을 서로 연하고36:11 연락할 말폭…

出エジプト記 QT70 210708木【あり余るほど十分な献身】出エジプト記 35章 30 ~36章 7

出エジプト記 35章 30 ~36章 735:30 モーセはイスラエルの子らに言った。「見よ。主は、ユダ部族の、フルの子ウリの子ベツァルエルを名指して召し、35:31 彼に、知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たされた。35:32 それは、彼が金や銀や青銅の細工に意匠を凝らし、35:33 はめ込みの宝石を彫刻し、木を彫刻し、意匠を凝らす仕事をするためである。35:34 また、彼の心に人を教える力をお与えになった。彼と、ダン部族のアヒサマクの子オホリアブに、そのようにされた。35:35 主は彼らをすぐれた知恵で満たされた。それは彼らが、あらゆる仕事と巧みな設計をなす者として、彫刻する者、設計する者、青、紫、緋色の撚り糸と亜麻布で刺繡する者、また機織りをする者の仕事を成し遂げるためである。36:1 ベツァルエルとオホリアブ、および、聖所の奉仕のあらゆる仕事をする知恵と英知を主に授けられた、心に知恵ある者はみな、すべて主が命じられたとおりに仕事をしなければならない。」36:2 モーセは、ベツァルエルとオホリアブ、および主が心に知恵を授けられた、すべて心に知恵ある者、またその仕事をするために進み出ようと、心を動かされた者をみな呼び寄せた。36:3 彼らは、 聖所を造る奉仕の仕事のためにイスラエルの子らが持って来たすべての奉納物を、モーセから受け取った。しかしイスラエルの子らは、 なおも朝ごとに、進んで献げるものを彼のところに持って来た。36:4 そこで、聖所のすべての仕事をしていた知恵のある者はみな、それぞれ自分がしていた仕事から離れてやって来て、36:5 モーセに告げて言った。「民は何度も持って来ます。主がせよと命じられた仕事のためには、あり余るほどのことです。」36:6 それでモーセは命じて、宿営中に告げ知らせた。「男も女も、聖所の奉納物のためにこれ以上の仕事を行わないように。」こうして民は持って来るのをやめた。36:7 手持ちの材料は、すべての仕事をするのに十分であり、あり余るほどであった。   神様は31章でモーセに言われたとおりにベツァルエルとオホリアブを指名して働かせます。ベツァルエルは金、銀、銅で聖物を製作することをし、オホリアブは彫刻すること、彩ることなどを担います。彼らには与えられた任務を遂行するような才能を持っていました。そもそもその才能は神様から与えられたものでありますし、神様の働きに従ううちに、それは活発に啓発されるものであります。   その原則は今も変わらず、自己啓発とは、結局、他人に仕える日、共同体のために奉仕すること、神様にささげることを通して活発に開発されます。神様に仕えるときによって受け取った才能の上に油が注がれるのです。それは義務や負担ではなく、喜びと楽しみになります。   幕屋建設のためにささげる民も楽しみをもってささげました。民が進んでささげた物品は、必要なもの以上にあふれました。自発的に始めた献身は満たされ、あふれるほどでした。その意味で、イスラエルの民は礼拝する準備ができています。献金と献品をしたからではなく、それを通って慕う心が満ちていたからです。   モーセは民にもう以上は持ってこないようにとします。ここから見ると、ささげるものが多ければ多いほど良いということではありません。必要な程度が決まっていて収入がそれを超えるといって設計を変更し、大きいものを造ることはしません。教会の財産として蓄積もしません。   聖徒たちは満たそうとし、教会は信徒の必要に応じて使用できるように決まったこと以上のものは受けとりません。悲しいのはこれが逆になる場合です。聖徒は教会の必要に対して献身しようとせず、教会は信徒の献金のみ関心を持つという時です。それは確かに悲しい教会です。   韓国にいる間、小さい町の中でとても大型規模の教会が何か所も集まっていたことを見ました。それは大きい教会だから建物が大きいなのか?他の教会より大きく見せるために大きく造ったのかという疑問が捨てられませんでした。礼拝堂を建てるということは、聖徒が礼拝できる空間を作ることです。競争して、より大きなもの立てるとするなら、それは神様の召しではありません。私たちの献身が、私たちが愛するもの、神様と教会と聖徒のために喜んで仕えるものになりたいと願います。

출애굽기 QT70 210708목【넉넉하여 남음이 있었더라】출애굽기 35장 30~36장 7

출애굽기 35장 30~36장 735:30 모세가 이스라엘 자손에게 이르되 볼지어다 여호와께서 유다 지 파 훌의 손자요 우리의 아들인 브사렐을 지명하여 부르시고35:31 하나님의 신을 그에게 충만케 하여 지혜와 총명과 지식으로 여러가지 일을 하게 하시되35:32 공교한 일을 연구하여 금과 은과 놋으로 일하게 하시며35:33 보석을 깎아 물리며 나무를 새기는 여러가지 공교한 일을 하게 하셨고35:34 또 그와 단 지파 아히사막의…

出エジプト記 QT69 210707水【心から進んで献げる】出エジプト記 35章 20 ~29

出エジプト記 35章 20 ~2935:20 イスラエルの全会衆はモーセの前から立ち去った。35:21 心を動かされた者、霊に促しを受けた者はみな、会見の天幕の仕事のため、そのあらゆる奉仕のため、また聖なる装束のために、主への奉納物を持って来た。35:22 進んで献げる心のある者はみな、男も女も、飾り輪、耳輪、指輪、首飾り、すべての金の飾り物を持って来た。金の奉献物を主に献げる者はみな、そのようにした。35:23 また、青、紫、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮を持っている者はみな、それを持って来た。35:24 銀や青銅の奉納物を献げる者はみな、それを主への奉納物として持って来た。アカシヤ材を持っている者はみな、奉仕のあらゆる仕事のためにそれを持って来た。35:25 また、心に知恵ある女もみな、自分の手で紡ぎ、その紡いだ青、紫、緋色の撚り糸、それに亜麻布を持って来た。35:26 心を動かされ、知恵を用いたいと思った女たちはみな、やぎの毛を紡いだ。35:27 部族の長たちは、エポデと胸当てにはめ込む、縞めのうや宝石を持って来た。35:28 また、ともしび、注ぎの油のため、また香りの高い香のために、香料と油を持って来た。35:29 イスラエルの子らは男も女もみな、主がモーセを通して行うように命じられたすべての仕事のために、心から進んで献げたのであり、それを進んで献げるものとして主に持って来た。   神様は安息日について語られた後、幕屋建築のために民がささげるべき各種物品のリストを教えられます。そして必要な才能を持った人材を呼び出します。「あなたがたの中から主への奉納物を受け取りなさい。すべて、進んで献げる心のある人に、主への奉納物を持って来させなさい。5」「あなたがたのうち、心に知恵ある者はみな来て、主が命じられたものをすべて造らなければならない。10」設計は、神様がなさいましたが、施工は人がします。そしてすべてが自発的なものです。強制による負担があれば、それはすでに意味を失います。   「イスラエルの全会衆はモーセの前から立ち去った。心を動かされた者、霊に促しを受けた者はみな、会見の天幕の仕事のため、そのあらゆる奉仕のため、また聖なる装束のために、主への奉納物を持って来た。20,21」イスラエルの民は自発的で献身の心を持ってささげ、奉仕します。神様の設計の中には資材供給計画もありましたが、それは、イスラエルの民の各家の中にあったものでした。幕屋は民が持っているもの、そしてそれを自発的にささげることを通じて建てられます。神様は持ってないものを求めません。   本文には、「心」という言葉を繰り返して、イスラエルの民がどのよう自ら進む心で献身したのかを語っています。事実、神様の命令から、そのような「心」は強調されています。 「心を動かされた者21」、「進んで献げる心のある者22」、「心に知恵ある女もみな25」、「心を動かされ、知恵を用いたいと思った女たち26」、「心から進んで献げた 29」ささげる心がない人は、持って来てはいけないようなことです。幕屋、つまり礼拝をささげる場所の土木工事は聖徒のささげようとする心です。   ヘブライ語で心がレブ(לב)です。申命記 6章 5節の「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」の「心」と本文の「心:レブ(לב)」は同じ言葉です。イエス様もこの言葉を用して教えられました。新約聖書のギリシャ語では、これをカルディア(Kαρδία)に翻訳し、英語になるとマインド(mind)です。マインドも「心」を意味ですが、辞書的には、「ある物事に対する視点や考え方」を指します。礼拝を慕ってそれを求める人々の参加意識のマインドが幕屋の建築材料です。「進んで献げるものとして主に持って来た29」ここにある「心を動かされる」、「心の知恵」、「進んでささげる」などはみな同じ言葉のようです。

출애굽기 QT69 210707수【즐거이 드리는 이스라엘】출애굽기 35장 20~29

출애굽기 35장 20~2935:20 이스라엘 자손의 온 회중이 모세 앞에서 물러갔더니35:21 무릇 마음이 감동된 자와 무릇 자원하는 자가 와서 성막을 짓기 위하여 그 속에서 쓸 모든 것을 위하여, 거룩한 옷을 위하여 예물을 가져 여호와께 드렸으니35:22 곧 마음에 원하는 남녀가 와서 가슴 핀과 귀고리와 가락지와 목거리와 여러가지 금품을 가져 왔으되 사람마다 여호와께 금 예물을 드렸으며35:23 무릇 청색…

出エジプト記 QT68 210706火【休みの命令】出エジプト記 35章 1 ~9

出エジプト記 35章 1 ~935:1 モーセはイスラエルの全会衆を集めて、彼らに言った。「これは、主が行えと命じられたことである。35:2六日間は仕事をする。しかし、七日目は、あなたがたにとって主の聖なる全き安息である。この日に仕事をする者は、だれでも殺されなければならない。35:3 安息日には、あなたがたの住まいのどこであっても、火をたいてはならない。」35:4 モーセはイスラエルの全会衆に告げた。「これは主が命じられたことである。35:5 あなたがたの中から主への奉納物を受け取りなさい。すべて、進んで献げる心のある人に、主への奉納物を持って来させなさい。すなわち、金、銀、青銅、35:6 青、紫、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、35:7 赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、35:8 ともしび用の油、注ぎの油と、香り高い香のための香料、35:9 エポデや胸当てにはめ込む、縞めのうや宝石である。   世の中を生きることは厳しいことであってそれは富む人にも、貧しい人にも同じです。前進せず止まると負けそうです。前に進みたいが疲れています。休みたいと思っても働かなければなりません。働かなければ不安です。幸せも不幸も相対的なものです。他の人が富んでいる限り、人間は休みません。目を閉じて働き、目を開いて眠ります。   それに気づくと質問しなければなりません。何のために働くのか?仕事をするために生きるのだろうか?生きるために働くのだろうか?答えはありませんが、最も醜い答えから切り捨てると、生存のために生きるということです。どう考えても気に入りません。幸せと不幸が相対的であると言いましたが、人生に目的と意味というのは人によって違います。それを見つけ、その道を歩んでいけば、手段や道具などは与えられでしょう。本来それの所有者は、世ではなく、神様だからです。   奴隷の目的が生存です。生存するために仕事があります。支配されていますから…目的と意味を隠されます。質問すると鞭で打たれます。休まず、より多くの仕事をして、より多くのことを生産することが人生の目的であったら、神様はエジプトで奴隷のままもっと働かせたでしょう。しかし、出エジプトは神様がそこから引き出してくださった恵みです。休めない人を休ませたのです。世の中に奴隷となっていた人間に、荒野の土の香りは、香ばしいものではないでしょうか。   一昨年の今頃に虫垂炎で病院に入院したとき、私は神様に一週間の強制休息を受けました。ところが入院の前、家に帰ってノートパソコンを持ってきて入院しました。働かなければならないと思いました。病院では、2週間入院するとのことでしたが、一週間入院して早めに退院しました。やらなければならないことがあるから退院しますといいましたが、考えてみれば余計なオーバーアクションです。それも日常の奴隷ということです。   じっと一人で一曲の歌を最後まで聞いたことがいつだったのか分かりません。気持ちが焦っています。詩集を広げ、読んだことはありますか?仕事をするデスクの上にコーヒーを置くことをやめました。何かに集中していると、コーヒーのことを忘れてしまいます。冷めたコーヒーと向き合います。コーヒーが冷め、休憩も冷めてしまします。これからコーヒーはティーテーブルの上におきます。そしてコーヒーを飲むときは、何もせずにコーヒーだけ飲みたいです。   「六日間は仕事をする。しかし、七日目は、あなたがたにとって主の聖なる全き安息である。この日に仕事をする者は、だれでも殺されなければならない。2」神様が休みなさいと言われたのに休まず働いている人は、「だれでも殺されなければならない」ということです。事実死ぬほど働いて死んでしまう人はいかに多いでしょうか?休む時に休まないのは誠実ではありません。死ぬことより休みを選びたいのです。労働のために安息があるのではなく、安息、そのもの意味を認めてもうらいたい思います。神様が与えた安息の権利と自由を楽しみたいです。