욥기 QT4 211005화【이겨낼 수 없는 고통】욥기 3장 1~10

욥기 3장 1~103:1 그 후에 욥이 입을 열어 자기의 생일을 저주하니라3:2 욥이 말을 내어 가로되3:3 나의 난 날이 멸망하였었더라면, 남아를 배었다 하던 그 밤도 그러하였었더라면,3:4 그 날이 캄캄하였었더라면, 하나님이 위에서 돌아보지 마셨더라면, 빛도 그 날을 비취지 말았었더라면,3:5 유암과 사망의 그늘이 그 날을 자기 것이라 주장하였었더라면, 구름이 그 위에 덮였었더라면, 낮을 캄캄하게 하는 것이 그날을 두렵게…

ヨブ記 QT3 211004月【苦痛のスペクトラム】ヨブ記 2章 1~13

ヨブ記 2章 1~132:1 ある日、神の子らがやって来て、主の前に立った。サタンも彼らの中にやって来て、主の前に立った。2:2 主はサタンに言われた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えた。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」2:3 主はサタンに言われた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。彼はなお、自分の誠実さを堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして彼に敵対させ、理由もなく彼を吞み尽くそうとしたが。」2:4 サタンは主に答えた。「皮の代わりは、皮をもってします。自分のいのちの代わりには、人は財産すべてを与えるものです。2:5 しかし、手を伸ばして、彼の骨と肉を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」2:6 主はサタンに言われた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ、彼のいのちには触れるな。」2:7 サタンは主の前から出て行き、ヨブを足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で打った。2:8 ヨブは土器のかけらを取り、それでからだを引っかいた。彼は灰の中に座っていた。2:9 すると、妻が彼に言った。「あなたは、これでもなお、自分の誠実さを堅く保とうとしているのですか。神を呪って死になさい。」2:10 しかし、彼は妻に言った。「あなたは、どこかの愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」ヨブはこのすべてのことにおいても、唇によって罪に陥ることはなかった。2:11 さて、ヨブの三人の友が、ヨブに降りかかったこれらすべてのわざわいのことを聞き、それぞれ自分のところから訪ねて来た。すなわち、テマン人エリファズ、シュアハ人ビルダデ、ナアマ人ツォファルである。彼らはヨブに同情し、慰めようと、互いに打ち合わせて来た。2:12 彼らは遠くから目を上げて彼を見たが、それがヨブであることが見分けられなかった。彼らは声をあげて泣き、それぞれ自分の上着を引き裂き、ちりを天に向かって投げ、自分の頭の上にまき散らした。2:13 彼らは彼とともに七日七夜、地に座っていたが、だれも一言も彼に話しかけなかった。彼の痛みが非常に大きいのを見たからである。   ヨブは一瞬に財産と家族を失いました。しかしヨブは神様を恨まずに沈黙していました。サタンはさらにヨブの体を打つことを図ります。富と家族を失い、さらに健康まで損なわれるなら、望みを失ったヨブは間違いなく神様を呪って、信仰を捨てると思ったからです。サタンはヨブの健康を悪化させることに目的があるのではなく、ヨブの信仰を揺るがすことに目的があります。サタンは昔も今も人間の信仰をつまずかせることをあきらめていません。   ヨブの全身に悪性の腫物ができ、かゆみに耐えられなくなって土器のかけらで体に血が出るまで引っかいていました。神経にまで及ぶ痛みがヨブの全存在を苦しめました。ヨブの妻はヨブに、神を呪って死になさいと言います。彼女は希望を失い、絶望したからです。残ったのは恨みと怒りだけです。神様を呪うというのは、まず、神様の存在を認めなければならないのですから、神を呪って死になさいというのは、神様の存在理由と人生の目的が自分の幸福と必要の供給にとどまっていることを示します。崩れ落ちる心は理解しますが、神様への理解が愚かです。   生きることの目的は、幸せではなありません。もしそうであるならば不幸になった時に、神様も人生も価値のないものになってしまいます。生きることの第一の目的は、与えられた人生を最後まで生きることです。それが与えられた命のための最も丁寧な姿勢です。それができる人は、死をも丁寧に受け入れることができるようになります。ヨブは言いました。「あなたは、どこかの愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」ヨブの神を認識するスペクトラムは、痛みと喪失までに拡張されています。   誰もが喜びと楽しみは望みますが、悲しみと苦しみを嬉しく思いません。しかし、人生の中にそれらは厳然と存在しています。良い天気と悪い天気はありません。晴れた日はもちろんいい天気ですが、だからといって曇りや雨の日が悪天候ではありません。それぞれの役割があります。喪失と孤独と悲しみと怒りという感情にも丁寧に接しなければなりません。口は心の窓です。ヨブはすべてが崩れ落ちている中、口で罪を犯さず、状況を受け入れています。ヨブは、状況に応じて、神様を変えず、神様を信じる信仰の中で、与えられた状況を受け入れています。

욥기 QT3 211004월【고통의 스펙트럼】욥기 2장 1~13

욥기 2장 1~132:1 또 하루는 하나님의 아들들이 와서 여호와 앞에 서고 사단도 그들 가운데 와서 여호와 앞에 서니2:2 여호와께서 사단에게 이르시되 네가 어디서 왔느냐 사단이 여호와께 대답하여 가로되 땅에 두루 돌아 여기 저기 다녀 왔나이다2:3 여호와께서 사단에게 이르시되 네가 내 종 욥을 유의하여 보았느냐 그와 같이 순전하고 정직하여 하나님을 경외하며 악에서 떠난 자가 세상에 없느니라…

ヨブ記 QT2 211002土【サタンの讒訴】ヨブ記 1章 6~12

ヨブ記 1章 6~121:6 ある日、神の子らがやって来て、主の前に立った。サタンもやって来て、彼らの中にいた。1:7 主はサタンに言われた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えた。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」1:8 主はサタンに言われた。「おまえは、わたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。」1:9 サタンは主に答えた。「ヨブは理由もなく神を恐れているのでしょうか。1:10 あなたが、彼の周り、彼の家の周り、そしてすべての財産の周りに、垣を巡らされたのではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地に増え広がっているのです。1:11 しかし、手を伸ばして、彼のすべての財産を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」1:12 主はサタンに言われた。「では、彼の財産をすべておまえの手に任せる。ただし、彼自身には手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは主の前から出て行った。   神様はヨブを高く評価しました。それに対してサタンは神様からの恵みが断たれれば、ヨブの信仰も断たれると主張したのです。神様がヨブに与えられたすべての所有物がなくなる時、ヨブは間違いなく敬虔を捨て、神様を恨むといいます。果たして富んだ者の信仰とそれを失った者の信仰は違うのでしょうか?サタンが見つけた不信仰の隙は確かにあります。まったく根拠のない攻撃ではありません。人間は喪失を経験するとき、信仰の根っこにあるものを露わにするからです。神様は人間に肉体の弱さがあることをご存知でしたが、サタンにヨブへの試みを許します。それは、神様がサタンに騙されてヨブを試されたのではなく、たとえ違う状況下に置かれたとしても、ヨブが信仰の根を下ろす訓練をさせるためでした。ですからヨブは危機に遭いますが、彼の信仰はより強くなります。   ヨブ記でサタンのセリフを聞くとC.S.ルイスの『悪魔の手紙』を思い出します。叔父悪魔のスクリューテープが甥悪魔に書き送るいわゆる人間破滅のための悪魔の知恵の書です。ルイスは悪魔がどんな存在であり、人間をどのように騙しているのかを告発してしますが、その一方で人間の現実をも赤裸々に解剖します。悪魔が掘っておいたあらゆるの罠に例外なくつまずく自分自身を発見します。ルイスも自分の内面の中で起こる葛藤を素材にして書いたと言いました。状況に縛られると、サタンの策略から逃れることはできません。目を上げて、状況をはるかに越えておられる神様を意識しなければなりません。神様はサタンにヨブの状況を変えることは許可されましたが、彼の命は奪いませんでした。ヨブは苦みましたが、しかしそれも神様の中で起こったことなのです。

욥기 QT2 211002토【사단의 참소】욥기 1장 6~12

욥기 1장 6~121:6 하루는 하나님의 아들들이 와서 여호와 앞에 섰고 사단도 그들 가운데 왔는지라1:7 여호와께서 사단에게 이르시되 네가 어디서 왔느냐 사단이 여호와께 대답하여 가로되 땅에 두루 돌아 여기 저기 다녀왔나이다1:8 여호와께서 사단에게 이르시되 네가 내 종 욥을 유의하여 보았느냐 그와 같이 순전하고 정직하여 하나님을 경외하며 악에서 떠난자가 세상에 없느니라1:9 사단이 여호와께 대답하여 가로되 욥이 어찌…

ヨブ記 QT1 211001金【信仰の人、ヨブ】ヨブ記 1章 1~5

ヨブ記 1章 1~51:1 ウツの地に、その名をヨブという人がいた。この人は誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていた。1:2 彼に七人の息子と三人の娘が生まれた。1:3 彼は羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭、それに非常に多くのしもべを所有していた。この人は東の人々の中で一番の有力者であった。1:4 彼の息子たちは互いに行き来し、それぞれ自分の順番の日に、家で宴会を開き、人を遣わして彼らの三人の姉妹も招き、よく一緒に食べたり飲んだりしていた。1:5 宴会の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別した。朝早く起きて、彼ら一人ひとりのために、それぞれの全焼のささげ物を献げたのである。ヨブは、「もしかすると、息子たちが罪に陥って、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。   ヨブ記は、義人が苦難を受け、悪人が栄える世の現実を告発します。しかし、ヨブ記は、人間の不条理を告発するのではなく、人間の限界を告発しているのです。その上で神様はどのような方なのかについて悩みます。義人が苦しんでいる理由をヨブとその友人は知りませんでしたし、私たちも未だに分かりません。   だから、私たちもヨブの質問と対面しています。神様は生きておられるのか、神様は善きお方なのか、痛みを通して本質を質問するのです。置かれている状況が理解できなくても、神様を認めることによって少しずつ分かります。神様を確認してから信じることはできません。信じてから見え始めます。ですからヨブの苦難が生み出す美しい結晶は告白なのです。苦難が過ぎ去った後に結ばれる告白は美しいものです。   ヨブに襲う苦難は、人間の行為という因果応報で説明されていません。因果応報を越える神様の主権の中で起こることです。ヨブは金持ちでしたが、同時に模範的な信仰を持っていました。ヨブはいつも、神様の前で罪を恐れ、子どもたちのためにいけにえをささげました。ヨブ記は、その信仰から始まります。ということでヨブ記は、人間や人間の行為を世界の中心に置く因果応報の原理を覆しているわけです。質問がなければ告白もありません。ヨブを通して神論と人間論の理解がより深まる秋を過ごしたいと思います。

욥기 묵상1 QT 211001금【믿음의 사람 욥】욥기 1장 1~5

욥기 1장 1~51:1 우스 땅에 욥이라 이름하는 사람이 있었는데 그 사람은 순전하고 정직하여 하나님을 경외하며 악에서 떠난 자더라1:2 그 소생은 남자가 일곱이요 여자가 셋이며1:3 그 소유물은 양이 칠천이요 약대가 삼천이요 소가 오백 겨리요 암 나귀가 오백이며 종도 많이 있었으니 이 사람은 동방 사람 중에 가장 큰 자라1:4 그 아들들이 자기 생일이면 각각 자기의 집에서 잔치를…

テモテ QT 210930土【立派な信仰の戦い】テモテ 6章 11~21

テモテ 6章 11~216:11 しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい。6:12 信仰の戦いを立派に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、多くの証人たちの前ですばらしい告白をしました。6:13 私は、すべてのものにいのちを与えてくださる神の御前で、また、ポンティオ・ピラトに対してすばらしい告白をもって証しをされたキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。6:14 私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは汚れなく、非難されるところなく、命令を守りなさい。6:15 キリストの現れを、定められた時にもたらしてくださる、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、6:16 死ぬことがない唯一の方、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれ一人見たことがなく、見ることもできない方。この方に誉れと永遠の支配がありますように。アーメン。6:17 今の世で富んでいる人たちに命じなさい。高慢にならず、頼りにならない富にではなく、むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置き、6:18 善を行い、立派な行いに富み、惜しみなく施し、喜んで分け与え、6:19 来たるべき世において立派な土台となるものを自分自身のために蓄え、まことのいのちを得るように命じなさい。6:20 テモテよ、委ねられたものを守りなさい。そして、俗悪な無駄話や、間違って「知識」と呼ばれている反対論を避けなさい。6:21 ある者たちはこの「知識」を持っていると主張して、信仰から外れてしまっています。恵みがあなたがたとともにありますように。   ローマの牢屋から釈放されたパウロは、エペソ教会を訪問してからマケドニヤに向かいます。その間テモテをエペソに残しますが、その後、パウロはエペソに戻れなくなり、テモテのために牧会の指針を書き送ったのが、この第一テモテの手紙です。本日はその手紙の最後の部分を読みました。Ⅰテモテの手紙が伝えるテモテとエペソ教会に向けたパウロの教えは、本文12節「信仰の戦いを立派に戦い」に要約することができます。私たちにもまだ、戦いは残っています。霊で戦わなければ肉体では必ず負けます。肉体は信頼できるものではありません。だから、信仰を持つ肉体は、信仰ではないものと戦わなければなりません。   しかし、残念ながら経験上、勝つことより負けることの方が多いです。肉体は強くないし、戦いは甘くありません。我慢することや押し付けられることで勝つことはできません。ただ神様の御言葉を愛し、信仰の価値をさらに育てていく。それが喜びになり、楽しみになれば勝つことができます。信仰の戦いというのは、毎回勝つのではなく、負けてもあきらめずに最後まで戦うことに意義があります。信仰とは、倒れても降伏せず、立ち上がり、キリストの勝利と神様の主権を宣言することです。   まず、教会を混乱に貶める偽りの教えや他の福音、すなわち御言葉は知らない、わきまえができないという脅威に対抗します。それから肉体の弱いところを誘惑する罪に対しては避けなければなりません。その誘惑の第一はお金を愛する心です。お金を愛することはお金に執着し、欲を抱くことです。パウロはお金を悪とは言いませんでした。お金を愛する心によって悪に弱みを握られてしまうのです。悪を避けるということは消極的に思えますが、善を行うことは、積極的なことです。それは相互に関係していて善を行なわなければ、悪から逃れることもできません。   「今の世で富んでいる人たちに命じなさい。高慢にならず、頼りにならない富にではなく、むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置き、善を行い、立派な行いに富み、惜しみなく施し、喜んで分け与え、来たるべき世において立派な土台となるものを自分自身のために蓄え、まことのいのちを得るように命じなさい。6:17-19」戦いは自分の中で起こることです。良き信仰はその戦いで勝ちます。お金に対する貪欲と執着が捨てられるなら、今、与えられたものをもって愛のために使わなければなりません。

디모데전서 묵상 QT 210930수【믿음의 선한 싸움】디모데전서 6장 11~21

디모데전서 6장 11~216:11 오직 너 하나님의 사람아 이것들을 피하고 의와 경건과 믿음과 사랑과 인내와 온유를 좇으며6:12 믿음의 선한 싸움을 싸우라 영생을 취하라 이를 위하여 네가 부르심을 입었고 많은 증인 앞에서 선한 증거를 증거하였도다6:13 만물을 살게 하신 하나님 앞과 본디오 빌라도를 향하여 선한 증거로 증거하신 그리스도 예수 앞에서 내가 너를 명하노니6:14 우리 주 예수 그리스도 나타나실…

士師記 QT34 210918土【ベニヤミンの最後】士師記 20章 29~48

士師記 20章 29~48 20:17 20:29 そこで、イスラエルはギブアの周りに伏兵を置いた。20:30 三日目にイスラエルの子らは、ベニヤミン族のところに攻め上り、先のようにギブアに対して陣備えをした。20:31 ベニヤミン族は、この兵たちを迎え撃つために出て、町からおびき出された。彼らは、一方はベテルに、もう一方はギブアに至る大路で、この前のようにこの兵たちを討ち始め、イスラエルのうちの約三十人が野で剣に倒れた。20:32 ベニヤミン族は「彼らは最初の時と同じように、われわれの前に打ち負かされる」と考えた。しかし、イスラエルの子らは「さあ、逃げよう。そして彼らを町から大路におびき出そう」と言った。20:33 イスラエルの人々はみな、持ち場から立ち上がって、バアル・タマルで陣備えをした。一方、イスラエルの伏兵たちは、自分たちの持ち場、マアレ・ゲバから躍り出た。20:34 こうして、全イスラエルの精鋭一万人がギブアに向かって進んだ。戦いは激しかった。ベニヤミン族は、わざわいが自分たちに迫っているのに気づかなかった。20:35 主がイスラエルの前でベニヤミンを打たれたので、イスラエルの子らは、その日、ベニヤミンの二万五千百人を殺した。これらの者はみな、剣を使う者であった。20:36 ベニヤミン族は、自分たちが打ち負かされたのを見た。イスラエルの人々はベニヤミンに陣地を明け渡した。それは、ギブアに向けて備えていた伏兵を信頼したからであった。20:37 伏兵は急いでギブアを襲った。伏兵はその勢いに乗って、町中を剣の刃で討った。20:38 イスラエルの人々と伏兵の間には合図が決められていて、町からのろしが上がったら、20:39 イスラエルの人々が引き返して戦うことになっていた。ベニヤミンが攻撃を始めて、剣に倒れる者が約三十人、イスラエルの人々の中に出たとき、彼らは「きっと前の戦いの時と同じように、彼らはわれわれに打ち負かされるに違いない」と考えた。20:40 のろしが煙の柱となって町から上り始めた。ベニヤミンがうしろを振り向くと、見よ、町全体が煙となって天に上っていた。20:41 そこへイスラエルの人々が引き返して来たので、ベニヤミンの人々はわざわいが自分たちに迫っているのを見て、うろたえた。20:42 彼らはイスラエルの人々の前から逃れて荒野の方へ向かったが、戦いは彼らに追い迫り、町々から出て来た者も合流して彼らを殺した。20:43 イスラエルの人々はベニヤミンを包囲して追いつめ、メヌハから、東の方の、ギブアの向こう側まで踏みにじった。20:44 こうして、ベニヤミンの一万八千人が倒れた。これらはみな、力ある者たちであった。20:45 またほかの者は荒野の方に向かってリンモンの岩まで逃げたが、イスラエルの人々は、大路でそのうちの五千人を討ち取り、なお残りをギデオムまで追いかけて、二千人を打ち倒した。20:46 その日、ベニヤミンの中で倒れた者は剣を使う者たち合わせて二万五千人で、彼らはみな、力ある者たちであった。20:47 しかし、六百人の者は荒野の方に向かってリンモンの岩に逃げ、四か月の間、リンモンの岩にとどまった。20:48 イスラエルの人々は、ベニヤミン族のところへ引き返し、無傷のままだった町も家畜も、見つかったものをすべて剣の刃で討ち、また見つかったすべての町に火を放った。   イスラエルの連合軍は、ベニヤミンに簡単に勝てると思いましたが、人数を信じていた連合軍はベニヤミン連敗します。これに敗北感と危機意識を感じたイスラエルは祈り始め、神様はイスラエルの連合軍を通してベニヤミンを懲らしめることになります。   ベニヤミンは反省もなく、責任を負わないままに戦い、すでに二回の勝利をおさめたいたのでうぬぼれていました。イスラエルの連合軍は、ベニヤミン軍を町の外に誘引します。勝ったときと同じ状況が繰り返されるとベニヤミンはイスラエルを追撃しながらイスラエル軍を殺します。高ぶっている者は危機を気づきません。   ベニヤミン軍が城から遠く離れた時、いよいよイスラエルが挟撃し、孤立したベニヤミンは惨敗してしまいます。これでベニヤミン軍はほぼ全滅し、600人ほどが生き残り、洞窟に逃げていきます。   イスラエルの連合軍は、洞窟に隠れた敗残兵を置いたまま、ベニヤミン町に入って民を虐殺し、家畜までも殺し、町を燃やす蛮行を犯しました。抵抗する力もない婦人や子どもまで皆殺しました。それは、神様が許されたことではありません。   イスラエルがベニヤミンを懲らしめたと言えるに犠牲が大きすぎます。不良な者たちをとるためにベニヤミンを全滅させてしまったのです。ベニヤミンの罪は決して軽くありませんが、イスラエルの暴力性が一般の人々まで全滅させた責任はより重いです。悔い改めない罪と赦さない罪は全滅まで殺し合ってしまったのです。