출애굽기 QT46 2105027목【창조의 질서에 따라】출애굽기 22장 16~31

출애굽기 22장 16~3122:16 사람이 정혼하지 아니한 처녀를 꾀어 동침하였으면 빙폐를 드려 아내로 삼을 것이요22:17 만일 그 아비가 그로 그에게 주기를 거절하면 그는 처녀에게 빙폐하는 일례로 돈을 낼지니라22:18 너는 무당을 살려 두지 말지니라22:19 짐승과 행음하는 자는 반드시 죽일지니라22:20 여호와 외에 다른 신에게 희생을 드리는 자는 멸할지니라22:21 너는 이방 나그네를 압제하지 말며 그들을 학대하지 말라 너희도 애굽…

出エジプト記 QT45 20210526水【信用社会】出エジプト 22章 1~15

出エジプト記 22章 1~1522:1 人が牛あるいは羊を盗み、これを屠るか売るかした場合、牛一頭を牛五頭で、羊一匹を羊四匹で償わなければならない。22:2 もし盗人が抜け穴を掘って押し入るところを見つけられ、打たれて死んだなら、 打った者に血の責任はない。22:3 もし日が昇っていれば、血の責任は打った者にある。盗みをした者は必ず償いをしなければならない。もし盗人が何も持っていなければ、盗みの代償としてその人自身が売られなければならない。22:4 もしも、牛であれ、ろばであれ、羊であれ、盗んだ物が生きたままで彼の手もとにあるのが確認されたなら、それを二倍にして償わなければならない。22:5 人が畑あるいはぶどう畑で家畜に牧草を食べさせるとき、 放った家畜が他人の畑を食い荒らした場合、 その人は自分の畑の最良の物と、 ぶどう畑の最良の物をもって償いをしなければならない。22:6 また、火が出て茨に燃え移り、積み上げた穀物の束、刈られていない麦穂、あるいは畑を焼き尽くした場合、その火を出した者は必ず償いをしなければならない。22:7 人が金銭あるいは物品を隣人に預けて保管してもらい、それがその人の家から盗まれた場合、もしその盗人が見つかったなら、盗人はそれを二倍にして償わなければならない。22:8 もし盗人が見つからないなら、その家の主人は神の前に出て、彼が隣人の所有物に決して手を触れなかったと誓わなければならない。22:9 所有をめぐるすべての違反行為に関しては、それが、牛、ろば、羊、上着、またいかなる紛失物についてであれ、一方が『これは自分のものだ』と言うなら、 その双方の言い分を神の前に持ち出さなければならない。そして、神が有罪と宣告した者は、それを二倍にして相手に償わなければならない。22:10 人が、ろば、牛、羊、またいかなる家畜でも、隣人に預けてその番をしてもらい、それが死ぬか、負傷するか、連れ去られるかしたが、目撃者がいない場合、22:11 隣人の所有物に決して手を触れなかったという主への誓いが、双方の間になければならない。その持ち主はこれを受け入れなければならない。隣人は償いをする必要はない。22:12 しかし、もしも、それが確かにその人のところから盗まれたのであれば、その持ち主に償いをしなければならない。22:13 もしも、それが確かに野獣にかみ裂かれたのであれば、証拠としてそれを差し出さなければならない。かみ裂かれたものの償いをする必要はない。22:14 人が隣人から家畜を借り、それが負傷するか死ぬかして、その持ち主が一緒にいなかった場合は、必ず償いをしなければならない。22:15 もし持ち主が一緒にいたなら、償いをする必要はない。しかし、それが賃借りした家畜であれば、 その借り賃は払わなければならない。   牛や羊を盗んでそれを殺すか、売ってしまった場合、値の4,5倍を賠償しなければなりません。もし未だ自分の手元にある場合は2倍の賠償となります。他の規定に比べて盗む罪はより厳しいです。2倍から5倍までを賠償しなければならないし、賠償する能力がなければ自分の奴隷としてを売られるまで、その責任を履行しなければなりません。   聖徒は、自分の行動に責任を負う者であります。泥棒というのは他人のものを盗むと同時に、自分自身をだますものです。飢えてパンが盗む泥棒がいますが、一方、ネクタイをしめた泥棒や地位の高い泥棒も大勢います。泥棒は信用できません。   9節では、他人の物を預かって保管してから、それを欲しがり、自分の所有と主張した場合、それも泥棒なので2倍の賠償です。元の所有者が預けたのは信じていたからです。しかし、それを捨てて貪って信用できない者になりました。   5節では、自分が所有している家畜を放牧していて、その家畜が他人の畑やぶどう園に入って損害を負わせたならば、所有者は、自分の産物の中で最も良いものをもって賠償しなければなりません。読んでいると、律法の精神は、賠償の義務を重く、厳しくするためではなく、最も良いものを準備して、その中にあやまりの気持ちを込めるのです。   自分の畑に火をつけてその火が他の人の畑や穀物に害を与えた場合にも必ず賠償しなければなりません。ただし故意はないということで情状酌量はしますが、すでに損害が存在する限り責任は負わなければなりません。これはもしかして賠償という損ではなく、信用を守れる最後のチャンスかもしれません。   被害を与えた人に謝罪せず、補償もせず、神様に赦されたと言う場合がありますが、それは社会的にも信仰的にも容認できません。自分の心の中に偶像を作って、自分のために架空の神に言わせるだけです。バプテスマのヨハネが言われた通りに悔い改めるなら、悔い改めにふさわしい実を結ばなければなりません。   この律法の意図に、共同体の信用を大切にしていることが分かります。お金にかかわる信用は大切ですが、信用は銀行のみが評価するものではありません。映画が終わるとスタッフの名前が画面に流されますが、これをクロージングクレジット(closing credits)と呼びます。映画監督ジョージ・ルーカスが青春グラフィティ(American Graffiti)という映画を撮りましたが、お金がなく、スタッフに報酬を与えなかったことで、すべてのステップの名前をエンディングにあげたことから始まった言葉です。   彼らはお金をもらえませんでしたが、皆で一緒に映画を完成しました。それぞれの欲ではなく、共同体の価値を共有する人はまさに信用できる人です。信用できる人たちによって映画は完成されました。信用できる共同体の一員として与えられた責任を果たし、その日にあるべきクロージングクレジットに自分の名前も上げられることを祈ります。

출애굽기 QT45 2105026수【신용 사회】출애굽기 22장 1~15

출애굽기 QT45 2105026수【신용 사회】출애굽기 22장 1~15 출애굽기 22장 1~1522:1 사람이 소나 양을 도둑질하여 잡거나 팔면 그는 소 한 마리에 소 다섯 마리로 갚고 양 한 마리에 양 네 마리로 갚을지니라22:2 도둑이 뚫고 들어오는 것을 보고 그를 쳐죽이면 피 흘린 죄가 없으나22:3 해 돋은 후에는 피 흘린 죄가 있으리라 도둑은 반드시 배상할 것이나 배상할 것이 없으면…

出エジプト記 QT44 20210525火【安全のための責任】出エジプト 21章 28~36

出エジプト記 21章 28~3621:28 牛が男または女を突いて死なせた場合、その牛は必ず石で打ち殺さなければならない。その肉を食べてはならない。しかし、その牛の持ち主は罰を免れる。21:29 しかし、もし牛に以前から突く癖があり、その持ち主が注意されていたのにそれを監視せず、その牛が男または女を殺したのなら、その牛は石で打ち殺され、その持ち主も殺されなければならない。21:30 もし彼に償い金が科せられたなら、彼は自分に科せられたとおりに、自分のいのちの贖いの代価を支払わなければならない。21:31 息子を突いても娘を突いても、この規定のとおりに扱われる。21:32 もしその牛が男奴隷あるいは女奴隷を突いたなら、牛の持ち主はその奴隷の主人に銀貨三十シェケルを支払い、その牛は石で打ち殺されなければならない。21:33 人が水溜めのふたを開けたままにしておくか、あるいは、水溜めを掘って、それにふたをせずにおいて、牛やろばがそこに落ちた場合、21:34 その水溜めの持ち主は償いをしなければならない。彼は家畜の持ち主に金を支払わなければならない。しかし、その死んだ家畜は彼のものとなる。21:35 ある人の牛が隣人の牛を突いて、その牛が死んだ場合、両者は生きている牛を売って、その金を分け、また死んだ牛も分けなければならない。21:36 しかし、もしその牛に以前から突く癖があることが分かっていて、その持ち主が監視しなかったのなら、その人は必ず牛を牛で償わなければならない。しかし、その死んだ牛は彼のものとなる。   牛が昔から突く癖があることを所有者が知っていたにもかかわらず、所有者がそれを取り締まってなかったことで、牛が人に突き、人が死んだ場合には、牛を殺し、その肉は食べてはいけないとされました。所有者も一緒に殺されたり、命の贖罪金をは払わなければなりませんでした。   所有者が直接人を殺したり、意図的に牛を用いて人を殺したわけではありません。しかしその所有には負わなければならない責任があります。所有の権利には注意を払い、事故が起きないようにする安全への義務があります。   私有財産と奴隷制度まで認めていた時代ですが、その中でも最も上位の価値というのは、人間の命を保護する積極的な義務であります。誰でも他人の命を奪う権利はない、さらに他人の命を保護し、危機に瀕している命を救わなければなら積極的な義務を持っているからです。   これは牛の問題ではなく、人間の貪欲にかかわる問題です。安全に生きる権利の問題です。誰かの所有と利益のために、誰かが危険にさらされることがあってはならないということです。安全に必要な費用を節約し、利益にしようとすると人間の環境が危険にさらされます。   関連規定があるにもかかわらず、その義務を負わず、労働者を危険にさらさせるなら、数千年前の古代の人間尊重から退く社会になります。危険性が伴うことには、優先に安全対策をして人の命を守ることが第一です。そして、もし事故が発生した場合、その責任は負わなければなりません。いつでも費用の余裕はありませんが、人間の命よりも大事なものはありません。

출애굽기 QT44 2105025화【안전을 위한 책임】출애굽기 21장 28~36

출애굽기 21장 28~3621:28 소가 남자나 여자를 받아서 죽이면 그 소는 반드시 돌로 쳐서 죽일 것이요 그 고기는 먹지 말 것이며 임자는 형벌을 면하려니와21:29 소가 본래 받는 버릇이 있고 그 임자는 그로 말미암아 경고를 받았으되 단속하지 아니하여 남녀를 막론하고 받아 죽이면 그 소는 돌로 쳐죽일 것이고 임자도 죽일 것이며21:30 만일 그에게 속죄금을 부과하면 무릇 그 명령한…

出エジプト記 QT43 20210524月【目には目を、歯には歯】出エジプト 21章 12~27

出エジプト記 21章 12~2721:12 人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない。21:13 ただし、彼に殺意がなく神が御手によって事を起こされた場合、わたしはあなたに、彼が逃れることができる場所を指定する。21:14 しかし、人が隣人に対して不遜にふるまい、策略をめぐらして殺した場合には、この者を、わたしの祭壇のところからであっても、連れ出して殺さなければならない。21:15 自分の父または母を打つ者は、必ず殺されなければならない。21:16 人を誘拐した者は、その人を売った場合も、自分の手もとに置いている場合も、必ず殺されなければならない。21:17 自分の父や母をののしる者は、必ず殺されなければならない。21:18 人が争い、一人が石か拳で相手を打ち、その相手が死なないで床についた場合、21:19 もし彼が再び起き上がり、杖によって外を歩けるようになれば、打った者は罰を免れる。ただ彼が休んだ分を弁償し、彼が完全に治るようにしてやらなければならない。21:20 自分の男奴隷あるいは女奴隷を杖で打ち、その場で死なせた場合、その人は必ず復讐されなければならない。21:21 ただし、もしその奴隷が一日か二日生き延びたなら、その人は復讐されてはならない。奴隷は彼の財産だからである。21:22 人が人と争っていて、身ごもった女に突き当たり、早産させた場合、重大な傷害がなければ、彼はその女の夫が要求するとおりの罰金を必ず科せられなければならない。彼は法廷が定めるところに基づいて支払う。21:23 しかし、重大な傷害があれば、いのちにはいのちを、21:24 目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を、21:25 火傷には火傷を、傷には傷を、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない。21:26 人が自分の男奴隷の片目あるいは女奴隷の片目を打ち、目をつぶした場合、その目の償いとして、その奴隷を自由の身にしなければならない。21:27 また、自分の男奴隷の歯一本あるいは女奴隷の歯一本を打ち、折ったなら、その歯の償いとして、その奴隷を自由の身にしなければならない。   家庭と社会で起こる暴力とそれに伴う被害補償に対する規定です。暴力があれば、加害者と被害者が生じます。人を殺した者は必ず死にます。暴行致死の処罰は死刑なのです。このような正当な処罰があることによって被害者と家族を慰めることができるし、厳とした処罰があるがゆえに社会的な警覚心を維持することができます。   しかし、人が死んでも、それが故意の殺人ではない場合、加害者には生きる道を開いてあげます。遺族が復讐しないように避難所を設けます。致死に至らなかった暴力の場合は、加害者を殺さずに損害を賠償させます。もし奴隷が暴行事件を起こしたときは、その奴隷を殺すことによって発生する主人の財産権も慎重に配慮しています。   律法は、犯罪を善悪の白黒論理で語りません。視点は、罪の脅威から共同体の共生を守ることです。被害者への補償と加害者の処罰はもちろん、関連する利害関係と加害者の基本権まで保護しています。罪と一緒に生きていかなければならない人間に共生できるような仲裁をしているのです。   それから、自分の親に暴力を振る舞う存続暴力の場合は必ず殺すということです。物理的な暴力だけでなく、親に言葉の暴力を行使する者も殺します。これには、情状酌量の条項がありません。必ず死にます。律法は、罪が絶えない世の中で、最小限の人間性を守るために苦闘しているのです。   23節以降に「しかし、重大な傷害があれば、いのちにはいのちを、目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を、火傷には火傷を、傷には傷を、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない。23-25」としました。いわゆる同害復讐法です。受けた分返します。   ところで、私たちは、これの意図を誤解しています。確かに受けた分を返すということになっていますが、厳密に言えば、受けた分だけ返すということです。恨みを込めて、定め以上の復讐をしてはいけないということです。そういう意味で「目に目、歯には歯」なのです。復讐はまた復讐を呼びます。復讐を重ねると人間は全滅します。   イエス様がこの御言葉を引用して教えられました。マタイ5章から「目には目を、歯には歯を』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着も取らせなさい。あなたに一ミリオン行くように強いる者がいれば、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。借りようとする者に背を向けてはいけません。『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 38-44」   イエス様は同害復讐法もしないようにと言われました。イエスによって律法は、更新されたのです。しかし、それは行動の方法が変わったものであって精神が変わったのではありません。律法は、人間の罪が絶えないことを最初から知っていました。だから相互にあるべき最善の仲裁案の作ったのです。   イエス様によって律法が廃棄されたものではなくその中にある最善という意味が強調されました。罪が絶えない世と人間に赦しということより大きいな法はありません。イエス様はそのため来られました。それでなかったら、イエス様は私にも十字架に上がってあなたの罪の分の血を流しなさいと言われたはずです。罪というウイルスの中を生きる人間に唯一のワクチンは愛です。   マタイの残りの御言葉を読みます。「天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる人を愛したとしても、あなたがたに何の報いがあるでしょうか。取税人でも同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたとしても、どれだけまさったことをしたことになるでしょうか。異邦人でも同じことをしているではありませんか。ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。 45-48」

출애굽기 QT43 2105024월【눈은 눈으로, 이는 이로】출애굽기 21장 12~27

출애굽기 21장 12~2721:12 사람을 쳐죽인 자는 반드시 죽일 것이나21:13 만일 사람이 고의적으로 한 것이 아니라 나 하나님이 사람을 그의 손에 넘긴 것이면 내가 그를 위하여 한 곳을 정하리니 그 사람이 그리로 도망할 것이며21:14 사람이 그의 이웃을 고의로 죽였으면 너는 그를 내 제단에서라도 잡아내려 죽일지니라21:15 자기 아버지나 어머니를 치는 자는 반드시 죽일지니라21:16 사람을 납치한 자가 그…

出エジプト記 QT42 20210522土【土の祭壇、削らない石の祭壇】出エジプト 20章 18~26

出エジプト記 20章 18~2620:18 民はみな、雷鳴、稲妻、角笛の音、煙る山を目の前にしていた。民は見て身震いし、遠く離れて立っていた。20:19 彼らはモーセに言った。「あなたが私たちに語ってください。私たちは聞き従います。しかし、神が私たちにお語りになりませんように。さもないと、私たちは死んでしまいます。」20:20 それでモーセは民に言った。「恐れることはありません。神が来られたのは、あなたがたを試みるためです。これは、あなたがたが罪に陥らないよう、神への恐れがあなたがたに生じるためです。」20:21 民は遠く離れて立ち、モーセは神がおられる黒雲に近づいて行った。20:22 主はモーセに言われた。「あなたはイスラエルの子らにこう言わなければならない。あなたがた自身、わたしが天からあなたがたに語ったのを見た。20:23 あなたがたは、わたしと並べて銀の神々を造ってはならない。また自分のために、金の神々も造ってはならない。20:24 あなたは、わたしのために土の祭壇を造りなさい。その上に、あなたの全焼のささげ物と交わりのいけにえとして、羊と牛を献げなさい。わたしが自分の名を覚えられるようにするすべての場所で、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。20:25 もしあなたが、わたしのために石で祭壇を造るなら、切り石で築いてはならない。それに、のみを当てることで、それを冒すことになるからである。20:26 あなたはわたしの祭壇に階段で上るようにしてはならない。その上で、あなたの裸があらわにならないようにするためである。   神様は祭壇を築くときに土で祭壇をつくるように命じます。石の祭壇を築くことがあっても、それを削ったり加工したりしてはいけません。それは、祭壇を作る材料や作り方を指定されたのではなく、祭壇が派手になるとき、礼拝を変質させてしまう人間の心を警戒したからです。   大きな建物を建て、さらに貴重なもので礼拝を飾るとき、私たちはそれを神様にささげるものであると思います。それは間違いありませんが、神様は、人間がそれを通して自身の功労意識と誇りを持つことを知っておられます。神様は礼拝というものがどのようにして本質を失い、さまようのかについて語られているのです。   コリント教会の危機は、コリント教会のために献身した特定の人々の功労意識にありました。彼らは党派を作り、分裂し、各自がより良い自分の祭壇を競争的に作りました。その祭壇はそれを作った人のものであって、神様が受けられる礼拝の祭壇ではありません。   説教壇が粗雑であってはいけませんが、とはいえ、説教壇が大きくて高価である必要はありません。流行りのようにクリスタル講壇も使いますが、木の箱でも構いません。高価で良いものだから聖物なのではなく、神様の礼拝のために丁寧に区別したものが聖物です。   金銀をもって飾り、その上に自分の名前を刻みたいなら、かえって土で作った方がよいでしょう。貴重な献金、大切な奉仕が礼拝になるためには、自分の名前を載せたいという欲を捨てなければなりません。神様が土で祭壇を築き、石を削らないようにされたのは、神様が礼拝の栄光を盗まれない方だからです。  

출애굽기 QT42 2105022토【토단과 깎지 않은 돌제단】출애굽기 20장 18~26

출애굽기 20장 18~2620:18 뭇 백성이 우레와 번개와 나팔 소리와 산의 연기를 본지라 그들이 볼 때에 떨며 멀리 서서20:19 모세에게 이르되 당신이 우리에게 말씀하소서 우리가 들으리이다 하나님이 우리에게 말씀하시지 말게 하소서 우리가 죽을까 하나이다20:20 모세가 백성에게 이르되 두려워하지 말라 하나님이 임하심은 너희를 시험하고 너희로 경외하여 범죄하지 않게 하려 하심이니라20:21 백성은 멀리 서 있고 모세는 하나님이 계신…

出エジプト記 QT41 20210521金【まだ、守られない法】出エジプト 20章 1~17

出エジプト記 20章 1~17 20:1 それから神は次のすべてのことばを告げられた。20:2 「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。20:3 あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。20:4 あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神。わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、20:6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。20:7 あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。主は、主の名をみだりに口にする者を罰せずにはおかない。20:8 安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。20:9 六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。20:10 七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。20:11 それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。20:12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。20:13 殺してはならない。20:14 姦淫してはならない。20:15 盗んではならない。20:16 あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。20:17 あなたの隣人の家を欲してはならない。あなたの隣人の妻、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを欲してはならない。」   十戒の4命令までは、神様に対するものであり、5命令から10命令までは、隣人愛の戒めです。ですから十戒は神の愛であり、また、隣人に対する愛です。十戒には礼拝の自由があり、労働権と安息の保証があります。家族の絆と財産と所有の権利を保護します。この十戒は、西洋世界の法制の発展に基礎となりました。人間の尊厳な権利が杭のように打ち込まれているのが十戒です。   日本も韓国もこの憲法を借用しています。ですから私たちの憲法精神を遡るとシナイ山に辿り着きます。私たちにある道徳的な判断があるなら、それはすでに十戒の空気の中で生きてきたからです。紀元後2021年を生き、一週間を生き、憲法の下で生きるなら、神様と関係なく生きるものは誰一人もいません。   十戒が律法の基本であると思いがちですが、十戒は、基本ではなく、最高のものです。十戒を守って生きる世界というものは、想像しがたいです。神様を認め、神様を意識し、神様のみに礼拝し、その心の中に自分のための貪欲の偶像の置かない人たちが生きている世界をまだ見たことがないからです。   生活の中で健康的な労働と安息のバランスがあり、搾取と抑圧がなく、すべての人が親を敬い、隣人を愛して憎むことなく、それらに危害を加えず、殴ることなく、浮気も不倫をなく、性暴力を振る舞わない、むさぼって奪うことなく、だましとらない、殺しあいのない世界を見たことがないから確か十戒はあるが、十戒が実現された世界は想像し難いです。   この十戒は、申命記5章にもう一度出てきます。荒野の世代が死に、次の世代がカナンの地に入る前にヨルダンの東で再度宣言されます。すべての時代を超えて守らなければならない最も人間らしく生きるための条件が十戒です。律法といって同じ律法ではありません。十戒は、律法と恵みが対立するような議論に巻き込まれるようなテーマではありません。人が人らしく生きるためには、誰もがこの法律を逃れることができないからです。