시편 QT22 210731토【마음의 소원을 주셨으며】시편 21편 1-13

시편 21편 1-1321:1 여호와여 왕이 주의 힘을 인하여 기뻐하며 주의 구원을 인하여 크게 즐거워하리이다21:2 그 마음의 소원을 주셨으며 그 입술의 구함을 거절치 아니하셨나이다 (셀라)21:3 주의 아름다운 복으로 저를 영접하시고 정금 면류관을 그 머리에 씌우셨나이다21:4 저가 생명을 구하매 주께서 주셨으니 곧 영영한 장수로소이다21:5 주의 구원으로 그 영광을 크게 하시고 존귀와 위엄으로 저에게 입히시나이다21:6 저로 영영토록 지극한…

詩篇 QT21 210730金【私たちの神主の御名を呼び求める】詩篇 20篇 1~9

詩篇 20篇 1~920:1 苦難の日に主があなたにお答えになりますように。ヤコブの神の御名があなたを高く上げますように。20:2 主が聖所からあなたに助けを送りシオンからあなたを支えられますように。20:3 あなたの穀物のささげ物をすべて心に留めあなたの全焼のささげ物を受け入れてくださいますように。セラ20:4 あなたの心の望みを主がかなえてくださいますように。あなたのすべての計画を遂げさせてくださいますように。20:5 私たちはあなたの勝利を喜び歌い私たちの神の御名により旗を高く掲げます。あなたの願いのすべてを主が遂げさせてくださいますように。20:6 今私は知る。主が主に油注がれた者を救ってくださることを。右の御手の救いの御力をもって聖なる天からその者に答えてくださることを。20:7 ある者は戦車をある者は馬を求める。しかし私たちは私たちの神主の御名を呼び求める。20:8 彼らは膝をつき倒れた。しかし私たちはまっすぐに立ち上がった。20:9 主よ王をお救いください。私たちが呼ぶときに答えてください。   詩篇20篇7節では、「ある者は戦車をある者は馬を求める。しかし私たちは私たちの神主の御名を呼び求める。」と言われました。何事も信じず、何事にも頼らずに生きている人はいません。誰でも人であっても、お金にあっても何かを信じて生きています。それは現実の生活に直接に助かるものです。それらの価値を引き下げるつもりはありません。誰にでも必要なものであって、大切なものだからです。今よりもあらに周りの人々を大切に思い、今よりもさらに与えられたことについて感謝しなければなりません。   しかし、用途の価値を認めても、それらは人間が頼りの対象ではありません。それが人生の誇りにはなりません。それが安楽で快適に見えても、人間が必要に応じて使かうものが、人間の存在の尊厳の価値を脅かすなら、人間は当然にそれに抵抗しなければならないのです。世が、頼るべきものを宣伝し、それらが消え去った状況については言わないので、まるで永遠に続くものと思い、誇りにします。   パウロはガラテヤ人への手紙でこれを誇りました。「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが、決してあってはなりません。この十字架につけられて、世は私に対して死に、私も世に対して死にました。6:14」人生を通して誇るべき価値を持っているのかを思わされます。Ⅱコリントでは、「誇る者は主を誇れ10:17」と言われました。王ダビデと使徒パウロは、人の力、ものの力をよく知っています。けれども、ダビデは「私たちの神主の御名を呼び求める」とし、パウロは、「私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが、決してあってはなりません。」言いました。私は何を誇りにして生きているのか振り返ってみたいと思います。

시편 QT21 210730금【하나님의 이름을 자랑하리로다】시편 20편 1-9

시편 20편 1-920:1 환난 날에 여호와께서 네게 응답하시고 야곱의 하나님의 이름이 너를 높이 드시며20:2 성소에서 너를 도와주시고 시온에서 너를 붙드시며20:3 네 모든 소제를 기억하시며 네 번제를 받으시기를 원하노라(셀라)20:4 네 마음의 소원대로 허락하시고 네 모든 도모를 이루시기를 원하노라20:5 우리가 너의 승리로 인하여 개가를 부르며 우리 하나님의 이름으로 우리 기를 세우리니 여호와께서 네 모든 기도를 이루시기를 원하노라20:6…

詩篇 QT20 210729木【自分の過ちを悟る者】詩篇 19篇 1~14

詩篇 19篇 1~1419:1 天は神の栄光を語り告げ大空は御手のわざを告げ知らせる。19:2 昼は昼へ話を伝え夜は夜へ知識を示す。19:3 話しもせず語りもせずその声も聞こえない。19:4 しかしその光芒は全地にそのことばは世界の果てまで届いた。神は天に太陽のために幕屋を設けられた。19:5 花婿のように太陽は部屋から出て勇士のように走路を喜び走る。19:6 天の果てからそれは昇り天の果てまでそれは巡る。その熱から隠れ得るものは何もない。19:7 主のおしえは完全でたましいを生き返らせ主の証しは確かで浅はかな者を賢くする。19:8 主の戒めは真っ直ぐで人の心を喜ばせ主の仰せは清らかで人の目を明るくする。19:9 主からの恐れはきよくとこしえまでも変わらない。主のさばきはまことでありことごとく正しい。19:10 それらは金よりも多くの純金よりも慕わしく蜜よりも蜜蜂の巣の滴りよりも甘い。19:11 あなたのしもべもそれらにより戒めを受けそれを守れば大きな報いがあります。19:12 だれが自分の過ちを悟ることができるでしょう。どうか隠れた罪から私を解き放ってください。19:13 あなたのしもべを傲慢から守ってください。それらが私を支配しないようにしてください。そのとき私は大きな背きから解き放たれて全き者となるでしょう。19:14 私の口のことばと私の心の思いとが御前に受け入れられますように。主よわが岩わが贖い主よ。   エレミヤ17章は、2つの事実について述べています。「人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒やしがたい。だれが、それを知り尽くすことができるだろうか。17:9」まず、エレミヤが告発しているのは、人間の心が何よりも偽りで深刻に腐敗しているという事実であります。またもう一つは、人間がそれを受け止めようとしない事実です。腐敗という現実とそれに気づかない無知です。腐敗を認識しているならば、浄化の余地はありますが、問題意識さえなければ、改善の余地はありません。   この問題を直ちに解決する方法はできません。自ら腐敗した状態を元に戻すことができないし、腐敗したことを自覚することもないからです。新鮮の基準がなければ、鮮度を測定することはできません。19編は始めてから、神様と神様から与えられた律法という基準を提示してきました。それから12節で、「だれが自分の過ちを悟ることができるでしょう。どうか隠れた罪から私を解き放ってください。」と言い、神様という基準に自分を照らし合わせます。すると腐敗した自分の実体が現れてきます。   罪を認めるということは、困難で痛いことです。神様に悔い改めると言って、神様の前でさえ、罪を具体的に告白しません。悔い改めるなら、自分のことを痛烈に告発する必要があります。自分を告発する言語を飾ったり、緩めたりせずに厳しく告発するのです。自分の罪を知らない人は、神様の恵みが分かりません。宗教改革以降のあらゆる信仰告白は、この二つの真実に対して同じように告白してきました。自分に対して知る時に、神様に対して知ることができる。また、神様を知る時に自分を知ることができるという相互にかかわる知識です。   人の理解は共同体の中にあります。人の知識は本から学ぶことではなく人々の間で学びます。その人間の知識は神様を知る知識となります。人間に対する失望と裏切りを経験するとき、神様に対する信仰告白はさらに大きくなります。聖書を読み、神様を知ったならば、その中にある人間に向かった神様の愛を知ることができます。人間を知るときに、その人間を愛した神様の愛を知り、神様を知るときに、ねじ曲がって癒やしがたい人間を愛する根拠を見つけることができるのです。

시편 QT20 210729목【자기 허물을 깨닫는 자】시편 19편 1-14

시편 19편 1-1419:1 하늘이 하나님의 영광을 선포하고 궁창이 그 손으로 하신 일을 나타내는도다19:2 날은 날에게 말하고 밤은 밤에게 지식을 전하니19:3 언어가 없고 들리는 소리도 없으나19:4 그 소리가 온 땅에 통하고 그 말씀이 세계 끝까지 이르도다 하나님이 해를 위하여 하늘에 장막을 베푸셨도다19:5 해는 그 방에서 나오는 신랑과 같고 그 길을 달리기 기뻐하는 장사 같아서19:6 하늘 이…

詩篇 QT19 210728水【高い所に立たせる】詩篇 18章 32~50

詩篇 18章 32~5018:32 神は私に力を帯びさせ私の道を全きものとされます。18:33 主は私の足を雌鹿のようにし高い所に立たせてくださいます。18:34 戦いのために私の手を鍛え腕が青銅の弓も引けるようにしてくださいます。18:35 あなたは御救いの盾を私に下さいます。あなたの右の手は私を支えあなたの謙遜は私を大きくします。18:36 あなたは私の歩みを大きくし私のくるぶしはゆるみません。18:37 私は敵を追ってこれに追いつき絶ち滅ぼすまでは引き返しませんでした。18:38 私が彼らを打ち砕いたので彼らは立てず私の足もとに倒れました。18:39 あなたは戦いのために私に力を帯びさせ向かい立つ者を私のもとにひれ伏させました。18:40 あなたは敵が私を憎む者どもが私に背を見せるようにされました。私は彼らを滅ぼしました。18:41 彼らが主に叫び求めても救う者はなく答えもありませんでした。18:42 風の前のちりのように私は彼らを粉々に砕き道の泥のように除き去りました。18:43 あなたは民の争いから私を助け出し国々のかしらに任じられました。私の知らなかった民が私に仕えます。18:44 彼らは耳で聞くとすぐ私に聞き従います。異国の人々は私にへつらいます。18:45 異国の人々は打ちしおれ砦から震えて出て来ます。18:46 主は生きておられる。ほむべきかなわが岩。あがむべきかなわが救いの神。18:47 この神は私のために復讐する方。諸国の民を私のもとに従わせてくださる。18:48 神は敵から私を助け出される方。実にあなたは向かい立つ者から私を引き上げ不法を行う者から救い出してくださいます。18:49 それゆえ主よ私は国々の間であなたをほめたたえます。あなたの御名をほめ歌います。18:50 主はご自分の王に救いを増し加え主に油注がれた者ダビデとその裔にとこしえに恵みを施されます。   人に認められて尊敬されるのは良いことです。認められ、褒められると励まされます。ただ、問題はそれによって高くなりたいという人間の気持ちです。高くなることを求めると、最も強い欲である権力欲、名誉欲になります。食欲、性欲と物欲より強いのが名誉欲です。他のことをあきらめて名誉を取りたいのではありません。名誉の中にそれらすべてが含まれているという計算です。ということで名誉欲は必然的に偽善を伴います。人々は、自分の名前で業績を作り上げるために激しく競争します。年齢を重ねるとさらに激しくなります。死ぬ瞬間にお金を握り締めうとする人はいませんが、死ぬ瞬間にも、自分の名前と名誉を残そうとする人は多いのです。   高くなりたいと願う人は、自分の欲によって倒れますが、神様は低い人を高めます。謙虚というのは話し方や態度で知ることができません。何を選ぶのかによって分かります。謙遜は、低いところを行き、仕えることを選びます。本来すべての職業は人に仕えることで成り立っています。例えば、医師は病気の人に仕える仕事であり、法官は悔しい思いの困難な人に仕えるから良い仕事です。もし、病んでいる人に関心のない金持ちの医師であれば、それに名誉はありません。良い仕事とは年収が高い職業ではなく、より仕えることができる仕事です。成功、名誉が目的ではなく、それを通してしなければならないこと、それを通して仕えることが目的です。   今朝のダビデの告白のように、私たちが信仰によって生きるなら、神様が高くしてくださる時が来ると思います。自分の力で登ったのではなく、神様が高いところに導いてくださるのです。名が知られ、注目され、立場が変わるかもしれません。その時が、神様のを現す絶頂の時期であい、同時に危機の時期でもあります。その時も、仕えるという目的を忘れてはいけません。出世すること、成功することが神様の栄光を現すということにまったく同意することはできません。与えられた義務を行なうと神様によって権利が高まり、仕えていくと尊敬を得るかもしれませんが、その権利を返すときに、たましいは安全地帯に戻ります。

시편 QT19 210728수【나를 높은 곳에 세우시며】시편 18편 32-50

시편 18편 32-5018:32 이 하나님이 힘으로 내게 띠 띠우시며 내 길을 완전케 하시며18:33 나의 발로 암사슴 발 같게 하시며 나를 나의 높은 곳에 세우시며18:34 내 손을 가르쳐 싸우게 하시니 내 팔이 놋 활을 당기도다18:35 주께서 또 주의 구원하는 방패를 내게 주시며 주의 오른손이 나를 붙들고 주의 온유함이 나를 크게 하셨나이다18:36 내 걸음을 넓게 하셨고 나로…

詩篇 QT18 210727火【主に避けるということ】詩篇 18章 20~31

詩篇 18章 1~1918:20 主は私の義にしたがって私に報い手のきよさにしたがって顧みてくださいました。18:21 私は主の道を守り私の神に対して悪を行いませんでした。18:22 主のすべてのさばきは私の前にあり主のおきてを私は遠ざけませんでした。18:23 私は主の前に全き者。自分の咎から身を守ります。18:24 主は私の義にしたがって顧みてくださいました。御目の前のこの手のきよさにしたがって。18:25 あなたは恵み深い者には恵み深く全き者には全き方。18:26 清い者には清く曲がった者にはねじ曲げる方。18:27 まことにあなたは苦しむ民を救い高ぶる目を低くされます。18:28 まことにあなたは私のともしびをともされます。私の神主は私の闇を照らされます。18:29 あなたによって私は防塞を突き破り私の神によって城壁を跳び越えます。18:30 神その道は完全。主のことばは純粋。主はすべて主に身を避ける者の盾。18:31 主のほかにだれが神でしょうか。私たちの神を除いてだれが岩でしょうか。   神様は全知全能である、憐れみ深いという理解が間違って無秩序として誤解している場合があるようです。だから信仰をどのように実行するかについて無関心で、無秩序のまま放置し、結果は、何とか神様がしてくださるとの無責任に誤解している場合です。   意図的に罪を犯してから自分の都合によって、神様は赦す方であると言い、責任を負わない者です。社会的に大きいな犯罪を犯し、被害者がいるにもかかわらず、神様が自分を赦したと言い張ることをよく耳にします。それは神を知らず、実際に信じてもない人です。   神様に悔い改め、赦されたのかどうかは、責任を負うか負わないかを見ればすぐわかります。18章20節以降につながる今日の本文には、私たちで認識できる信仰の秩序について語っています。私たちの生き方、行なったこと通りに神様は報いてくださいます。神様は私たちに認識できないこと、移行できないことを求める方ではありません。   30節で、その秩序の結果が確認できます。「神その道は完全。主のことばは純粋。主はすべて主に身を避ける者の盾。30」神様は私たちの盾になってくださるということですが、その盾を持つ人は、神様に身を避ける人です。神様に避けるということは、体を避けることではなく、心を避けることでもありません。悪と不義と非良心から避けるのです。   誰が神様に避ける人ですか?「手もきよい人20であり、主の道を守る人21であり、神に対して悪を行わない人21であり、おきてを捨てない人22であり、咎から身を守る人23であり、恵み深い人25であり、清い人26であり、高ぶらない人27であり、主に頼る人29」です。彼らに主に避ける人であって、神様は彼らに盾になってくださいます。

시편 QT18 210727화【하나님께 피한다는 것】시편 18편 20-31

시편 18편 20-3118:20 여호와께서 내 의를 따라 상 주시며 내 손의 깨끗함을 좇아 갚으셨으니18:21 이는 내가 여호와의 도를 지키고 악하게 내 하나님을 떠나지 아니 하였으며18:22 그 모든 규례가 내 앞에 있고 내게서 그 율례를 버리지 아니하였음이로다18:23 내가 또한 그 앞에 완전하여 나의 죄악에서 스스로 지켰나니18:24 그러므로 여호와께서 내 의를 따라 갚으시되 그 목전에 내 손의…

詩篇 QT17 210726月【わが力なる主よ】詩篇 18章 1~19

詩篇 18章 1~1918:1 彼は言った。わが力なる主よ。私はあなたを慕います。18:2 主はわが巌わが砦わが救い主身を避けるわが岩わが神。わが盾わが救いの角わがやぐら。18:3 ほめたたえられる方。この主を呼び求めると私は敵から救われる。18:4 死の綱は私を取り巻き滅びの激流は私をおびえさせた。18:5 よみの綱は私を取り囲み死の罠は私に立ち向かった。18:6 私は苦しみの中で主を呼び求めわが神に叫び求めた。主はその宮で私の声を聞かれ御前への叫びは御耳に届いた。18:7 地は揺るぎ動いた。山々の基も震え揺れた。主がお怒りになったからだ。18:8 煙は鼻から立ち上りその口から出る火は貪り食い炭火は主から燃え上がった。18:9 主は天を押し曲げて降りて来られた。黒雲をその足の下にして。18:10 主はケルビムに乗って飛び風の翼で天翔られた。18:11 主は闇を隠れ家とし水の暗闇濃い雲をご自分の周りで仮庵とされた。18:12 御前の輝きから密雲を突き抜けて来たもの。それは雹と燃える炭。18:13 主は天に雷鳴を響かせいと高き方は御声を発せられた。雹そして燃える炭。18:14 主はご自分の矢を放って彼らを散らしすさまじい稲妻を放ってかき乱された。18:15 こうして水の底が現れ地の基があらわにされた。主よあなたのとがめによりあなたの鼻の荒い息吹によって。18:16 主はいと高き所から御手を伸ばして私を捕らえ大水から私を引き上げられました。18:17 主は力ある敵から私を救い出されました。私を憎む者どもからも。彼らが私より強かったからです。18:18 私のわざわいの日に彼らは立ちはだかりました。けれども主は私の支えとなられました。18:19 主は私を広いところに導き出し私を助け出してくださいました。主が私を喜びとされたからです。   「わが力なる主よ。私はあなたを慕います。」ダビデが神様に愛を告白している根拠は、自分の危機的状況の中で神様が力になってくださった何かの経験があるからです。ダビデが経験した当時の恐ろしい状況は、「死の綱、滅びの激流、よみの綱、死の罠」でした。神様はそこからダビデを救い出してくださいました。神様にでも人にでも直接的な経験がなければ愛を告白することはできません。   そこでダビデは私の主を確かめます。ダビデが自分の神様を表現した言葉には全部「わが」という所有格がついています。「わが力、わが巌、わが砦、わが救い主、わが岩、わが神、わが盾、わが救いの角、わがやぐら」です。ダビデにとって、これはすべて私のものです。危機の状況で神様を頼り、神様の助けを経験したからです。それは確かに自分自身のものです。   神様を知っていくということは、宗教的な言葉の知識の量を増やすことではありません。もちろん知らなければ信じることもできませんが、たくさん知っていることが必ずしも信仰であることではありません。自分と神様の間に秘密の信頼と愛が積み重ねているのが、信仰ではないでしょうか。愛を告白の言葉は、誰かの言葉ではなく、自分の言葉でなければなりません。その時、神様を私の神、わが主と呼ぶことができます。形式的、観念的な信仰、惰性的、受け身では、このようなことを体験するこはできません。   皆が困難を迎えますが、その危機の状況で神様を求める人がいれば、びっくりして信じていた神様も忘れてしまう人がいます。危機の状況に神様に頼る信仰を使ったことがある人のみが神様を経験します。それがわが主となります。揺るがない私の神を信じ、主に対する愛の告白がより真実なものになりたいと願います。