요한복음 묵상 【성경의 결론】 20250118(토) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

요한복음 5:39-47 5:39 너희가 성경에서 영생을 얻는 줄 생각하고 성경을 연구하거니와 이 성경이 곧 내게 대하여 증언하는 것이니라 5:40 그러나 너희가 영생을 얻기 위하여 내게 오기를 원하지 아니하는도다 5:41 나는 사람에게서 영광을 취하지 아니하노라 5:42 다만 하나님을 사랑하는 것이 너희 속에 없음을 알았노라 5:43 나는 내 아버지의 이름으로 왔으매 너희가 영접하지 아니하나 만일 다른 사람이…

ヨハネの福音書 黙想 【最も確かな証言】 20250117(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ヨハネの福音書 5:30-38 5:30 わたしは、自分からは何も行うことができません。ただ聞いたとおりにさばきます。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたしは自分の意志ではなく、わたしを遣わされた方のみこころを求めるからです。 5:31 もしわたし自身について証しをするのがわたしだけなら、わたしの証言は真実ではありません。 5:32 わたしについては、ほかにも証しをする方がおられます。そして、その方がわたしについて証しする証言が真実であることを、わたしは知っています。 5:33 あなたがたはヨハネのところに人を遣わしました。そして彼は真理について証ししました。 5:34 わたしは人からの証しを受けませんが、あなたがたが救われるために、これらのことを言うのです。 5:35 ヨハネは燃えて輝くともしびであり、あなたがたはしばらくの間、その光の中で大いに喜ぼうとしました。 5:36 しかし、わたしにはヨハネの証しよりもすぐれた証しがあります。わたしが成し遂げるようにと父が与えてくださったわざが、すなわち、わたしが行っているわざそのものが、わたしについて、父がわたしを遣わされたことを証ししているのです。 5:37 また、わたしを遣わされた父ご自身が、わたしについて証しをしてくださいました。あなたがたは、まだ一度もその御声を聞いたことも、御姿を見たこともありません。 5:38 また、そのみことばを自分たちのうちにとどめてもいません。父が遣わされた者を信じないからです。  イエス様を証しするということは、すべてのキリスト者の使命であります。 しかし、私たちが各自の経験、または誰かの話を通して、イエス様を証しすることがどれほど難しいことであるか、その人たちが救われるためにするということがどれほど難しいことなのかを良く知っています。    本来、証言というのは当事者以外の誰かがしてくれないと、その信憑性は認められません。 いくら自分で証言をしたとしても、その証言は信頼されないのが当然です。 それならば、今日の箇所のイエス様もそのような理由で自分を証言せず、父なる神様にその証言を任せたのでしょうか。    イエス様は信頼されていないから、または証人が足りないから、仕方なく父に証言を頼んだわけではありません。 イエス様に必要だった証言は多くの人々の証言でもなく、最も確かな一つの証言だったからです。 そしてそれがまさに自分を遣わした方、もっと遡ると、この世を創造した方であり、この世が造られる前からイエス様と愛の関係にあった父なる神様の証言だったのです。    人の証言というものは、実際のことと変わってしまいます。 意図的に変えることも、わざとではなくても、自分が見て経験したものをそのまま、完全に記憶すると同時に、主観をすべて排除して証言できる人は一人もいません。 そのため、現代に最も信憑性のある証拠とされるのは証人の証言ではなく、客観的な資料、事実が記録されている映像や文書などの資料です。    そうであれば、この世の裁判でさえ証人の席を他の資料に譲るしかなかった私たちが、どのようにイエス様を人々に証言することができるでしょうか。その答えが今日の箇所にあります。    普通の人なら、決して認められない自らの証言は、イエス様ならできるはずです。 父なる神様の証言まで行かなくても、その息子であり、三位一体の神様であるイエス様の証言も同じように最も確かな証言です。 しかし、イエス様は今日の箇所を通して私たちにこの世にイエス・·キリストを証言する模範を見せてくださったのです。    イエス様に対する証言は、私たちの言葉と感情、表現などで美しく飾ったり、包んだりする必要はありません。 むしろそのようなことがイエス様の栄光を隠すことになるでしょう。 私たちはただイエス様がなさったことを聖書が証言している通り、そして御霊が私たちに証言してくださった通り、聖霊によって人々に証しをすれば良いのです。 それがまさにこの世にイエス・·キリストを証言する最も確かな証言になります。 https://youtu.be/3Z6jTJeF6RY?si=uQe9GyPpWGq61-s_

요한복음 묵상 【가장 확실한 증언】 20250117(금) 에다가와 사랑의교회 최종석 전도사

요한복음 5:30-38 5:30 내가 아무 것도 스스로 할 수 없노라 듣는 대로 심판하노니 나는 나의 뜻대로 하려 하지 않고 나를 보내신 이의 뜻대로 하려 하므로 내 심판은 의로우니라 5:31 내가 만일 나를 위하여 증언하면 내 증언은 참되지 아니하되 5:32 나를 위하여 증언하시는 이가 따로 있으니 나를 위하여 증언하시는 그 증언이 참인 줄 아노라 5:33 너희가…

ヨハネによる福音書 黙想 【さばきの権威】 20250116(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ヨハネによる福音書 5:19~29 5:19 イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分から何も行うことはできません。すべて父がなさることを、子も同様に行うのです。 5:20 それは、父が子を愛し、ご自分がすることをすべて、子にお示しになるからです。また、これよりも大きなわざを子にお示しになるので、あなたがたは驚くことになります。 5:21 父が死人をよみがえらせ、いのちを与えられるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。 5:22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子に委ねられました。 5:23 それは、すべての人が、父を敬うのと同じように、子を敬うようになるためです。子を敬わない者は、子を遣わされた父も敬いません。 5:24 まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。 5:25 まことに、まことに、あなたがたに言います。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は生きます。 5:26 それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。 5:27 また父は、さばきを行う権威を子に与えてくださいました。子は人の子だからです。 5:28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです。 5:29 そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。   イエス様はサマリアで二日間滞在された後、ガリラヤに移動されました。イエス様の故郷であるガリラヤの人々がイエス様を歓迎したのは、彼らがエルサレムでイエス様が行われた事柄を見たからです。私たちは物質や健康を与える奇跡を喜びますが、その奇跡を行うイエス様ご自身にはあまり関心を持たないことが多いです。   イエス様が水をぶどう酒に変える奇跡を行われた場所も、ガリラヤのカナでした。カペナウムからある王の役人がイエス様のもとを訪れました。病気で死にかけている自分の息子を救ってもらうためでした。イエス様はその役人にも、奇跡を求めることが信仰ではないと語られました。しかし、彼は切実で緊急な状況にあり、イエス様はその懇願を聞き入れられました。そのため、癒しの奇跡は神の領域ではなく、人間的な領域で起こったと言えます。   イエス様が「あなたの息子は治ります。」と言われたとき、役人はその言葉を信じて家に戻りました。帰る途中で、自分のしもべたちに出会い、息子が治ったという知らせを聞きました。役人は息子が癒された時間が、イエス様が「治った」と言われたその時間であることを確認し、彼とその家族全員がイエス様を信じました。イエス様が奇跡を行われたのは、人々が信じるためでした。   水がぶどう酒に変わったとしても、ぶどう酒を飲んで酔った人はそれで終わりでしょう。また、病が癒された人も日常に戻れば、元通りになりがちです。ぶどう酒はいつかなくなるでしょうし、人間の体もまた病にかかり、いずれは死にます。このように危機を何度も超えるためにイエス様を求める人々に、イエス様は「また奇跡が必要か」と問いながらも、そのたびに癒してくださったのです。   壺の水は、イエス様が「宴会のところに持って行きなさい」と言われたときにぶどう酒に変わり、「あなたの息子は治ります」と言われたその瞬間に息子は治りました。手が届かない所のための祈りは常に私の中にありますが、どんな奇跡より、奇跡中の奇跡である神の御言葉を求めるべきです。奇跡は確かに存在しますが、奇跡のためにあるのではなく、御言葉が肉となった神様が現れるためにあります。奇跡は御言葉のうちにあります。  

요한복음 묵상 【심판하는 권세】 20250116(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한복음 5:19~29 5:19 그러므로 예수께서 저희에게 이르시되 내가 진실로 진실로 너희에게 이르노니 아들이 아버지의 하시는 일을 보지 않고는 아무것도 스스로 할 수 없나니 아버지께서 행하시는 그것을 아들도 그와 같이 행하느니라 5:20 아버지께서 아들을 사랑하사 자기의 행하시는 것을 다 아들에게 보이시고 또 그보다 더 큰 일을 보이사 너희로 기이히 여기게 하시리라 5:21 아버지께서 죽은 자들을 일으켜…

ヨハネによる福音書 黙想 【治らない病気】 20250115(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

ヨハネによる福音書 5:1~18 5:1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。 5:2 エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があり、五つの回廊がついていた。 5:3 その中には、病人、目の見えない人、足の不自由な人、からだに麻痺のある人たちが大勢、横になっていた。 5:5 そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。 5:6 イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」 5:7 病人は答えた。「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」 5:8 イエスは彼に言われた。「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」 5:9 すると、すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。 5:10 そこでユダヤ人たちは、その癒やされた人に、「今日は安息日だ。床を取り上げることは許されていない」と言った。 5:11 しかし、その人は彼らに答えた。「私を治してくださった方が、『床を取り上げて歩け』と私に言われたのです。」 5:12 彼らは尋ねた。「『取り上げて歩け』とあなたに言った人はだれなのか。」 5:13 しかし、癒やされた人は、それがだれであるかを知らなかった。群衆がそこにいる間に、イエスは立ち去られたからである。 5:14 後になって、イエスは宮の中で彼を見つけて言われた。「見なさい。あなたは良くなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないと、もっと悪いことがあなたに起こるかもしれない。」 5:15 その人は行って、ユダヤ人たちに、自分を治してくれたのはイエスだと伝えた。 5:16 そのためユダヤ人たちは、イエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。 5:17 イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。それでわたしも働いているのです。」 5:18 そのためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っていただけでなく、神をご自分の父と呼び、ご自分を神と等しくされたからである。 イエス様はユダヤ人の祭りの時にエルサレムに上がられました。エルサレムには「ベテスダ」という池があり、その池の周りには多くの病人たちが集まっていました。伝説によると、天使が下りて池の水を動かしたとき、最初にその池に入る人が癒されると信じられていました。 イエス様は38年間その池のそばに横たわっていた一人の男性に近づき、質問されました。「あなたは良くなりたいのですか?」この質問を聞いたなら、「はい、良くなりたいです」と答える以外に他の言葉は不要な場面です。何を言うにしても、まず「はい、良くなりたいです」と言うべきだと思えます。 しかし、その38年間病に苦しんでいた男性はこう答えました。「水が動いたときに私を池に入れてくれる人がいません。」「あなたは良くなりたいのですか?」という質問に、「他人が助けてくれなかった」と答えるのです。この人の最も重い病は、38年間他人に依存し、自分の人生を他人のせいにしてきた病です。 イエス様はそのような迷信的な信仰を持ち、自分の人生に無責任で周囲を恨みながら生きてきた彼にも、慈悲を示し癒してくださいました。「起き上がり、自分の寝床を持って歩きなさい」と言われました。両足で立ち、自立し、自分の荷物を自ら背負い、自分の進むべき道を歩んで行きなさいという意味です。 その日は安息日で、イエス様を罠にはめようと常に見張っていた人たちは、イエス様が安息日にしてはならないことをしたと言いがかりをつけました。病人を癒したのは医療行為だから、労働してはいけない安息日に医療行為を行ったという理屈です。 ユダヤ人たちがその証拠を探そうとすると、38年間病に伏せていた男性は、自分を癒してくれた方がイエス様だとユダヤ人たちに告げます。それはつまり告げ口のようなものです。言い換えれば、自分を癒してくれたイエス様にさえも責任を転嫁したのです。 彼が38年間池のそばに座っているしかなかった病名は正確にはわかりません。ただ、後にイエス様が彼に「より重い病が再発しないように、罪を犯してはならない」と言われた言葉から見ると、彼の病が彼の罪によるものであったことがわかります。彼が抱えていた病は、誰かに依存する病であり、より大きな病は他人を恨み、責任を転嫁する病でした。そしてそれ以上に大きな病は、救いを受けてもそれを恵みではなく神様のせいにするという滅びの病でした。

요한복음 묵상 【고치지 못한 병】 20250115(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한복음 5:1~18 5:1 그후에 유대인의 명절이 있어 예수께서 예루살렘에 올라가시니라 5:2 예루살렘에 있는 양문 곁에 히브리 말로 베데스다라 하는 못이 있는데 거기 행각 다섯이 있고 5:3 그 안에 많은 병자 소경 절뚝발이 혈기 마른 자들이 누워 (물의 동함을 기다리니 5:4 이는 천사가 가끔 못에 내려와 물을 동하게 하는데 동한 후에 먼저 들어가는 자는 어떤 병에…

요한복음 묵상 【말씀하신 그 때】 20250114(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한복음 4:43~54 4:43 이틀이 지나매 예수께서 거기를 떠나 갈릴리로 가시며 4:44 친히 증거하시기를 선지자가 고향에서는 높임을 받지 못한다 하시고 4:45 갈릴리에 이르시매 갈릴리인들이 그를 영접하니 이는 자기들도 명절에 갔다가 예수께서 명절 중 예루살렘에서 하신 모든 일을 보았음이더라 4:46 예수께서 다시 갈릴리 가나에 이르시니 전에 물로 포도주를 만드신 곳이라 왕의 신하가 있어 그 아들이 가버나움에서 병들었더니…

ヨハネによる福音書 黙想 【言われた時刻】 20250114(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

ヨハネによる福音書 4:43~54 4:43 さて、二日後に、イエスはそこを去ってガリラヤに行かれた。 4:44 イエスご自身、「預言者は自分の故郷では尊ばれない」と証言なさっていた。 4:45 それで、ガリラヤに入られたとき、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎したが、それは、イエスが祭りの間にエルサレムで行ったことを、すべて見ていたからであった。彼らもその祭りに行っていたのである。 4:46 イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。イエスが水をぶどう酒にされた場所である。さてカペナウムに、ある王室の役人がいて、その息子が病気であった。 4:47 この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、イエスのところに行った。そして、下って来て息子を癒やしてくださるように願った。息子が死にかかっていたのである。 4:48 イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じません。」 4:49 王室の役人はイエスに言った。「主よ。どうか子どもが死なないうちに、下って来てください。」 4:50 イエスは彼に言われた。「行きなさい。あなたの息子は治ります。」その人はイエスが語ったことばを信じて、帰って行った。 4:51 彼が下って行く途中、しもべたちが彼を迎えに来て、彼の息子が治ったことを告げた。 4:52 子どもが良くなった時刻を尋ねると、彼らは「昨日の第七の時に熱がひきました」と言った。 4:53 父親は、その時刻が、「あなたの息子は治る」とイエスが言われた時刻だと知り、彼自身も家の者たちもみな信じた。 4:54 イエスはユダヤを去ってガリラヤに来てから、これを第二のしるしとして行われた。 イエス様はサマリアで二日間滞在された後、ガリラヤに移動されました。イエス様の故郷であるガリラヤの人々がイエス様を歓迎したのは、彼らがエルサレムでイエス様が行われた事柄を見たからです。私たちは物質や健康を与える奇跡を喜びますが、その奇跡を行うイエス様ご自身にはあまり関心を持たないことが多いです。 イエス様が水をぶどう酒に変える奇跡を行われた場所も、ガリラヤのカナでした。カペナウムからある王の役人がイエス様のもとを訪れました。病気で死にかけている自分の息子を救ってもらうためでした。イエス様はその役人にも、奇跡を求めることが信仰ではないと語られました。しかし、彼は切実で緊急な状況にあり、イエス様はその懇願を聞き入れられました。そのため、癒しの奇跡は神の領域ではなく、人間的な領域で起こったと言えます。 イエス様が「あなたの息子は治ります。」と言われたとき、役人はその言葉を信じて家に戻りました。帰る途中で、自分のしもべたちに出会い、息子が治ったという知らせを聞きました。役人は息子が癒された時間が、イエス様が「治った」と言われたその時間であることを確認し、彼とその家族全員がイエス様を信じました。イエス様が奇跡を行われたのは、人々が信じるためでした。 水がぶどう酒に変わったとしても、ぶどう酒を飲んで酔った人はそれで終わりでしょう。また、病が癒された人も日常に戻れば、元通りになりがちです。ぶどう酒はいつかなくなるでしょうし、人間の体もまた病にかかり、いずれは死にます。このように危機を何度も超えるためにイエス様を求める人々に、イエス様は「また奇跡が必要か」と問いながらも、そのたびに癒してくださったのです。 壺の水は、イエス様が「宴会のところに持って行きなさい」と言われたときにぶどう酒に変わり、「あなたの息子は治ります」と言われたその瞬間に息子は治りました。手が届かない所のための祈りは常に私の中にありますが、どんな奇跡より、奇跡中の奇跡である神の御言葉を求めるべきです。奇跡は確かに存在しますが、奇跡のためにあるのではなく、御言葉が肉となった神様が現れるためにあります。奇跡は御言葉のうちにあります。

요한복음 묵상 【정오의 희망곡】 20250113(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한복음 4:27~42 4:27 이 때에 제자들이 돌아와서 예수께서 여자와 말씀하시는 것을 이상히 여겼으나 무엇을 구하시나이까 어찌하여 저와 말씀하시니이까 묻는 이가 없더라 4:28 여자가 물동이를 버려두고 동네에 들어가서 사람들에게 이르되 4:29 나의 행한 모든 일을 내게 말한 사람을 와 보라 이는 그리스도가 아니냐 하니 4:30 저희가 동네에서 나와 예수께로 오더라 4:31 그 사이에 제자들이 청하여 가로되…