출애굽기 QT69 210707수【즐거이 드리는 이스라엘】출애굽기 35장 20~29

출애굽기 35장 20~2935:20 이스라엘 자손의 온 회중이 모세 앞에서 물러갔더니35:21 무릇 마음이 감동된 자와 무릇 자원하는 자가 와서 성막을 짓기 위하여 그 속에서 쓸 모든 것을 위하여, 거룩한 옷을 위하여 예물을 가져 여호와께 드렸으니35:22 곧 마음에 원하는 남녀가 와서 가슴 핀과 귀고리와 가락지와 목거리와 여러가지 금품을 가져 왔으되 사람마다 여호와께 금 예물을 드렸으며35:23 무릇 청색…

出エジプト記 QT68 210706火【休みの命令】出エジプト記 35章 1 ~9

出エジプト記 35章 1 ~935:1 モーセはイスラエルの全会衆を集めて、彼らに言った。「これは、主が行えと命じられたことである。35:2六日間は仕事をする。しかし、七日目は、あなたがたにとって主の聖なる全き安息である。この日に仕事をする者は、だれでも殺されなければならない。35:3 安息日には、あなたがたの住まいのどこであっても、火をたいてはならない。」35:4 モーセはイスラエルの全会衆に告げた。「これは主が命じられたことである。35:5 あなたがたの中から主への奉納物を受け取りなさい。すべて、進んで献げる心のある人に、主への奉納物を持って来させなさい。すなわち、金、銀、青銅、35:6 青、紫、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、35:7 赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、35:8 ともしび用の油、注ぎの油と、香り高い香のための香料、35:9 エポデや胸当てにはめ込む、縞めのうや宝石である。   世の中を生きることは厳しいことであってそれは富む人にも、貧しい人にも同じです。前進せず止まると負けそうです。前に進みたいが疲れています。休みたいと思っても働かなければなりません。働かなければ不安です。幸せも不幸も相対的なものです。他の人が富んでいる限り、人間は休みません。目を閉じて働き、目を開いて眠ります。   それに気づくと質問しなければなりません。何のために働くのか?仕事をするために生きるのだろうか?生きるために働くのだろうか?答えはありませんが、最も醜い答えから切り捨てると、生存のために生きるということです。どう考えても気に入りません。幸せと不幸が相対的であると言いましたが、人生に目的と意味というのは人によって違います。それを見つけ、その道を歩んでいけば、手段や道具などは与えられでしょう。本来それの所有者は、世ではなく、神様だからです。   奴隷の目的が生存です。生存するために仕事があります。支配されていますから…目的と意味を隠されます。質問すると鞭で打たれます。休まず、より多くの仕事をして、より多くのことを生産することが人生の目的であったら、神様はエジプトで奴隷のままもっと働かせたでしょう。しかし、出エジプトは神様がそこから引き出してくださった恵みです。休めない人を休ませたのです。世の中に奴隷となっていた人間に、荒野の土の香りは、香ばしいものではないでしょうか。   一昨年の今頃に虫垂炎で病院に入院したとき、私は神様に一週間の強制休息を受けました。ところが入院の前、家に帰ってノートパソコンを持ってきて入院しました。働かなければならないと思いました。病院では、2週間入院するとのことでしたが、一週間入院して早めに退院しました。やらなければならないことがあるから退院しますといいましたが、考えてみれば余計なオーバーアクションです。それも日常の奴隷ということです。   じっと一人で一曲の歌を最後まで聞いたことがいつだったのか分かりません。気持ちが焦っています。詩集を広げ、読んだことはありますか?仕事をするデスクの上にコーヒーを置くことをやめました。何かに集中していると、コーヒーのことを忘れてしまいます。冷めたコーヒーと向き合います。コーヒーが冷め、休憩も冷めてしまします。これからコーヒーはティーテーブルの上におきます。そしてコーヒーを飲むときは、何もせずにコーヒーだけ飲みたいです。   「六日間は仕事をする。しかし、七日目は、あなたがたにとって主の聖なる全き安息である。この日に仕事をする者は、だれでも殺されなければならない。2」神様が休みなさいと言われたのに休まず働いている人は、「だれでも殺されなければならない」ということです。事実死ぬほど働いて死んでしまう人はいかに多いでしょうか?休む時に休まないのは誠実ではありません。死ぬことより休みを選びたいのです。労働のために安息があるのではなく、安息、そのもの意味を認めてもうらいたい思います。神様が与えた安息の権利と自由を楽しみたいです。

출애굽기 QT68 210706화【쉬라는 명령】출애굽기 35장 1~9

출애굽기 35장 1~935:1 모세가 이스라엘의 온 회중을 모으고 그들에게 이르되 여호와께서 너희에게 명하사 행하게 하신 말씀이 이러하니라35:2 엿새 동안은 일하고 제 칠일은 너희에게 성일이니 여호와께 특별한 안식일이라 무릇 이날에 일하는 자를 죽일지니35:3 안식일에는 너희의 모든 처소에서 불도 피우지 말지니라35:4 모세가 이스라엘 자손의 온 회중에게 고하여 가로되 여호와의 명하신 일이 이러하니라 이르시기를35:5 너희의 소유 중에서 너희는…

出エジプト記 QT67 210705月【栄光の角】出エジプト記 34章 27~35

出エジプト記 27~3534:27 主はモーセに言われた。「これらのことばを書き記せ。わたしは、これらのことばによって、あなたと、そしてイスラエルと契約を結んだからである。」34:28 モーセはそこに四十日四十夜、主とともにいた。彼はパンも食べず、水も飲まなかった。そして、石の板に契約のことば、十のことばを書き記した。34:29 それから、モーセはシナイ山から下りて来た。モーセが山を下りて来たとき、その手に二枚のさとしの板を持っていた。モーセは、主と話したために自分の顔の肌が輝きを放っているのを知らなかった。34:30 アロンと、イスラエルの子らはみなモーセを見た。なんと、彼の顔の肌は輝きを放っていた。それで彼らは彼に近づくのを恐れた。34:31 モーセが彼らを呼び寄せると、アロンと、会衆の上に立つ族長はみな彼のところに戻って来た。モーセは彼らに話しかけた。34:32 それから、イスラエルの子らはみな近寄って来た。彼は主がシナイ山で告げられたことを、ことごとく彼らに命じた。34:33 モーセは彼らと語り終えると、 顔に覆いを掛けた。34:34 モーセが主と語るために主の前に行くとき、彼はその覆いを外に出て来るまで外していた。 外に出て来ると、 命じられたことをイスラエルの子らに告げた。34:35 イスラエルの子らがモーセの顔を見ると、モーセの顔の肌は輝きを放っていた。 モーセは、 主と語るために入って行くまで、 自分の顔に再び覆いを掛けるのを常としていた。   モーセの顔の肌が輝き、覆いを掛けました。顔の輝きは、神様の栄光の反映であり、イスラエルの民はその輝きに近づけませんでした。モーセの顔が輝きを放っていたと翻訳した「カラン」(ןרק)というヘブライ語は、ラテン語で「角」に翻訳されました。カランは両方の意味で翻訳することができるからです。ですからラテン語を使っていた中世には、モーセの輝く顔はモーセの頭の角と理解しました。ルネサンスのミケルにゲルが、モーセを彫刻した時もモーセの頭には角が付いていました。ミケランジェロのモーゼは、モーセがシナイ山での律法を受けて降りてきたとき、民たちが金の子牛を作って踊っていたことを見た時の顔です。角の生えたモーセの顔は怒っています。   角というのは本来救いの象徴です。Ⅱサムエル記22章と詩篇18篇でダビデは、「身を避ける、わが岩なる神よ。わが盾、わが救いの角、わがやぐら、わが逃れ場、わが救い主、あなたは私を暴虐から救われます。」としました。救いの角は神様の輝く光栄です。モーセの顔の輝きは、神様の栄光の顕現であり、ミケランジェロの怒りの顔の角も救いの伏線です。輝きも角も、モーセのものではありません。神様の御言葉があるところに現われる神様の栄光です。モーセを通して現われた神様の光栄は、私たちのための栄光の角、救いの角であるイエス・キリストです。  

출애굽기 QT67 2100705월【영광의 뿔】출애굽기 34장 27~35

출애굽기 34장 27~3534:27 여호와께서 모세에게 이르시되 너는 이 말들을 기록하라 내가 이말들의 뜻대로 너와 이스라엘과 언약을 세웠음이니라 하시니라34:28 모세가 여호와와 함께 사십일 사십야를 거기 있으면서 떡도 먹지 아니하였고 물도 마시지 아니하였으며 여호와께서는 언약의 말씀 곧 십계를 그 판들에 기록하셨더라34:29 모세가 그 증거의 두 판을 자기 손에 들고 시내산에서 내려오니 그 산에서 내려올 때에 모세는 자기가…

出エジプト記 QT66 210703土【神様の宣言、人間の信仰】出エジプト記 34章 1~9

出エジプト記 34章 1~934:1 主はモーセに言われた。「前のものと同じような二枚の石の板を切り取れ。わたしはその石の板の上に、あなたが砕いたこの前の石の板にあった、あのことばを書き記す。34:2 朝までに準備をし、朝シナイ山に登って、その山の頂でわたしの前に立て。34:3 だれも、あなたと一緒に登ってはならない。また、だれも、山のどこにも人影があってはならない。また、羊でも牛でも、その山のふもとで草を食べていてはならない。」34:4 そこで、モーセは前のものと同じような二枚の石の板を切り取り、翌朝早く、主が命じられたとおりにシナイ山に登った。彼は手に二枚の石の板を持っていた。34:5 主は雲の中にあって降りて来られ、 彼とともにそこに立って、主の名を宣言された。34:6 主は彼の前を通り過ぎるとき、こう宣言された。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神。怒るのに遅く、恵みとまことに富み、34:7 恵みを千代まで保ち、咎と背きと罪を赦す。しかし、罰すべき者を必ず罰して、父の咎を子に、さらに子の子に、三代、四代に報いる者である。」34:8 モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏した。34:9 彼は言った。「ああ、主よ。もし私がみこころにかなっているのでしたら、どうか主が私たちのただ中にいて、進んでくださいますように。確かに、この民はうなじを固くする民ですが、どうか私たちの咎と罪を赦し、私たちをご自分の所有としてくださいますように。」   モーセのとりなしは、神様がかたくなな民、不完全で倒れがちのイスラエルを、あきらめずに導いてくださるためのものでした。モーセの執り成しに対して神様はご自身の品性を宣言されます。「主は彼の前を通り過ぎるとき、こう宣言された。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神。怒るのに遅く、恵みとまことに富み、34:6 」   神様の宣言があるからそれが保証になり、安心となります。モーセが召された時もそうでした。人は可能性を打診し、方法を講じます。モーセが出エジプトは不可能だと言った時に、神様は方法論ではなく、成し遂げられる結果を宣言されました。モーセが神様に説明を求められた時も、神様は「わたしは『わたしはある』という者である。」とご自身を宣言しました。   神様は説明したり説得するのではなく、神様ご自身を宣言されます。それは歴史的事実となり、結果となります。人生という荒野で、絶えず罪に巻き込まれる人が生きられる根拠は、神様があわれみ深く、情け深い、怒るのに遅く、恵みとまことに富むからであります。   今日の本文で、神様は再び律法を与えながら神様に対して宣言されます。恵みの根拠はここにあります。神様の憐れみの宣言、神様はあわれみ深く、情け深い神。怒るのに遅く、恵みとまことに富むという宣言に、私たちの恵みの根拠があります。神様が恵みを宣言されるならば、人間は信仰を告白しなければなりません。

출애굽기 QT66 2100703토【하나님의 선언 인간의 고백】출애굽기 34장 1~9

출애굽기 34장 1~934:1 여호와께서 모세에게 이르시되 너는 돌판 둘을 처음 것과 같이 깍아 만들라 네가 깨뜨린바 처음 판에 있던 말을 내가 그 판에 쓰리니34:2 아침 전에 예비하고 아침에 시내산에 올라와 산꼭대기에서 내게 보이되34:3 아무도 너와 함께 오르지 말며 온 산에 인적을 금하고 양과 소도산 앞에서 먹지 못하게 하라34:4 모세가 돌판 둘을 처음 것과 같이 깎아…

出エジプト記 QT65 210702金【モーセの特権】出エジプト記 33章 12~23

出エジプト記 33章 12~2333:12 さて、モーセは主に言った。「ご覧ください。あなたは私に『この民を連れ上れ』と言われます。しかし、だれを私と一緒に遣わすかを知らせてくださいません。しかも、あなたご自身が、『わたしは、あなたを名指して選び出した。あなたは特にわたしの心にかなっている』と言われました。33:13 今、もしも私がみこころにかなっているのでしたら、どうかあなたの道を教えてください。そうすれば、私があなたを知ることができ、みこころにかなうようになれます。この国民があなたの民であることを心に留めてください。」33:14 主は言われた。 「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる。 」33:15 モーセは言った。「もしあなたのご臨在がともに行かないのなら、私たちをここから導き上らないでください。33:16 私とあなたの民がみこころにかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちと一緒に行き、私とあなたの民が地上のすべての民と異なり、特別に扱われることによるのではないでしょうか。」33:17 主はモーセに言われた。「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名指して選び出したのだから。」33:18 モーセは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」33:19 主は言われた。「わたし自身、わたしのあらゆる良きものをあなたの前に通らせ、主の名であなたの前に宣言する。わたしは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」33:20 また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」33:21 また主は言われた。「見よ、わたしの傍らに一つの場所がある。あなたは岩の上に立て。33:22 わたしの栄光が通り過ぎるときには、わたしはあなたを岩の裂け目に入れる。わたしが通り過ぎるまで、この手であなたをおおっておく。33:23 わたしが手をのけると、あなたはわたしのうしろを見るが、わたしの顔は決して見られない。」   モーセは、神様にご計画を教えていただくために祈りながら、イスラエルの民を神の民として受け入れてくださるようにと、とりなします。共同体を神様の御心の中に置いておくなら、それより安全なことはないからです。たとえイスラエルが罪を犯し、懲らしめの中にいても、神様がイスラエルの民をご自身の民とし、彼らとともにおられるなら、それよりも安全なことはありません。モーセのとりなしは、イスラエルに対して堅かった神様の心を変えます。神様はモーセのとりなしの祈りを聞き、イスラエルの民を受け入れます。   モーセという存在は、神様の意志までも変えることができる特権を持っているのでしょうか?モーセというと特別な存在が祈ると、神様の意志までも変えられるということではありません。モーセの特権は、自分自身を放棄するまで共同体のためにとりなしの祈りする愛の力です。民が罪を犯している時も、モーセはとりなして祈っていました。神様はモーセという特別な存在の祈りを特別に聞いてくださったのではなく、モーセの特別なとりなしの祈り、特別な愛の祈りを聞いてくださったのです。   そのような意味でモーセは特別でした。聖なる神様に会って生き残る者はいませんが、神様の同労者モーセは一瞬でも神様に出会いその栄光を味わいました。とりなしの祈りは利他的な祈りです。利他的祈りの中で神様の心を共感することができます。神様の資源を自分自身に引っ張るための祈りではなく、神様の御心を知り、神様と動労者になることがとりなしの祈りです。   自分の必要のための祈ってもてもすぐに祈りの言語が断たれます。人のために、共同体のために祈り始めると、神様は、その特別な祈りに言語と心を与えてくださいます。自分が神様の働きをすれば、神様は自分の働きをしてくださいます。熱心に祈っても利他的な祈り、執り成しの祈りがなければ祈りを学ぶことはできません。神様の声を聞くこと、神様に出会うことは、すべての信仰の人において究極の課題です。今日ここで実践する愛に基づいたとりなしを通して、その道を見つけることを願います。   「たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません。13:1-3」

출애굽기 QT65 2100702금【모세의 특권】출애굽기 33장 12~23

출애굽기 33장 12~2333:12 모세가 여호와께 고하되 보시옵소서 주께서 나더러 이 백성을 인도하여 올라가라 하시면서 나와 함께 보낼 자를 내게 지시하지 아니하시나이다 주께서 전에 말씀하시기를 나는 이름으로도 너를 알고 너도 내 앞에 은총을 입었다 하셨사온즉33:13 내가 참으로 주의 목전에 은혜를 입었사오면 원컨데 주의 길을 내게 보이사 내게 주를 알리시고 나로 주의 목전에 은총을 입게 하시며 이…

出エジプト記 QT64 210701木【飾り物を取り外す】出エジプト記 33章 1~11

出エジプト記 33章 1~1133:1 主はモーセに言われた。「あなたも、あなたがエジプトの地から連れ上った民も、ここから上って行って、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、『これをあなたの子孫に与える』と言った地に行け。33:2 わたしはあなたがたの前に一人の使いを遣わし、カナン人、アモリ人、ヒッタイト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い払い、33:3 乳と蜜の流れる地にあなたがたを行かせる。しかし、わたしは、あなたがたのただ中にあっては上らない。あなたがたはうなじを固くする民なので、わたしが途中であなたがたを絶ち滅ぼしてしまわないようにするためだ。」33:4 民はこの悪い知らせを聞いて嘆き悲しみ、 一人も飾り物を身に着ける者はいなかった。33:5 主はモーセに次のように命じておられた。「イスラエルの子らに言え。『あなたがたは、うなじを固くする民だ。一時でも、あなたがたのただ中にあって上って行こうものなら、わたしはあなたがたを絶ち滅ぼしてしまうだろう。今、飾り物を身から取り外しなさい。そうすれば、あなたがたのために何をするべきかを考えよう。』」33:6 それでイスラエルの子らは、ホレブの山以後、自分の飾り物を外した。33:7 さて、モーセはいつも天幕を取り、自分のためにこれを宿営の外の、宿営から離れたところに張り、そして、これを会見の天幕と呼んでいた。だれでも主に伺いを立てる者は、宿営の外にある会見の天幕に行くのを常としていた。33:8 モーセがこの天幕に出て行くときは、民はみな立ち上がり、それぞれ自分の天幕の入り口に立って、モーセが天幕に入るまで彼を見守った。33:9 モーセがその天幕に入ると、雲の柱が降りて来て、天幕の入り口に立った。こうして主はモーセと語られた。33:10 雲の柱が天幕の入り口に立つのを見ると、民はみな立ち上がって、それぞれ自分の天幕の入り口で伏し拝んだ。33:11 主は、人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセと語られた。モーセが宿営に帰るとき、彼の従者でヌンの子ヨシュアという若者が天幕から離れないでいた。   モーセの切ないとりなしの祈りを通して神様はイスラエルの罪を赦してくださいました。だからといって完全に元に戻ったのではありません。神様はイスラエルに対する怒りをおさめただけであって、神様がイスラエルに信頼を置かれたわけではありません。「乳と蜜の流れる地にあなたがたを行かせる。しかし、わたしは、あなたがたのただ中にあっては上らない。あなたがたはうなじを固くする民なので、わたしが途中であなたがたを絶ち滅ぼしてしまわないようにするためだ。33:3」   信仰があれば、神様に近づくことができますが、信仰がなければ、神様との距離は離れます。神様は罪を捨てないイスラエルと距離を持っておられます。それでもイスラエルに乳と蜜の流れる地を与えたいのが、神様の御心です。乳と蜜の地が与えられれば、イスラエルはそれを信じて、神様を信じません。神様はそれを警戒し、警告しておられるのです。   神様を信じて神様に必要を求めますが、その必要が満たされるとそれに神性を与えてしまいます。貧しくて神様に恵みを求めましたが、富が与えられるとそれと神様を取り変えてしまうことです。カナンの地に入ったイスラエルにおいても、世界史に登場した国々においても、一人の人間の歴史においても常に繰り返されることです。プレゼントを受けとってプレゼントをくださった方は捨てます。   信仰は、文字通りに信頼の問題です。神様を完全に信じられないのが問題であり、神様を信じないのは、神様と自分との間に何か他に信じることがあるということです。「神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。ガラテヤ6:7」心に信じることは言葉になり、行動になり、形になります。何も信じない人は誰もいません。それによって人間は神様を離れます。   イスラエルの民は、飾り物を身から取り外さなければなりません。それにはもともと宗教的意味があります。自分を守ってくれるという一種のお守りです。お守りを作り、飾りそのものに神性を与えるのです。神様は、人間が作ったいかなる形にも入られません。神様を置き換えることができると思われるもの、目で確認できるもの、手に握られるもの、所有することができるものに置いた心を捨てて、神様の御言葉を信じる信仰に戻らなければなりません。