黙示録 黙想 【栄光の帰路】 20241127(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

黙示録 4:5~114:5 御座からは稲妻がひらめき、声と雷鳴がとどろいていた。御座の前では、火のついた七つのともしびが燃えていた。神の七つの御霊である。4:6 御座の前は、水晶に似た、ガラスの海のようであった。そして、御座のあたり、御座の周りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。4:7 第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は飛んでいる鷲のようであった。4:8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りと内側は目で満ちていた。そして、昼も夜も休みなく言い続けていた。「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者。昔おられ、今もおられ、やがて来られる方。」4:9 また、これらの生き物が栄光と誉れと感謝を、御座に着いて世々限りなく生きておられる方にささげるとき、4:10 二十四人の長老たちは、御座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝した。また、自分たちの冠を御座の前に投げ出して言った。4:11 「主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。」 本文は、神様の御座とそこから始まる天上の礼拝について描写しています。神様の御座から発せられる威厳と力の前で、四つの生き物として表現された全被造世界は神様を賛美します。「自分たちの冠を御座の前に投げ出して言った。主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。4:10、11」 24人の長老たちは、自分の冠を御座の前に投げ出し、その栄光を神様にお返しします。 神様と人が共有する属性があれば、共有しない属性もあります。聖さ、愛、義のようなものは、不完全で制限的であっても、人間にも求められる共有的属性です。その反面、無限性や不変性のようなものは人間にはありません。それは神様のみが持っておられる非共有的属性です。栄光は神様の属性ですが、それが反射されることで人間に映し出されるものです。人間の内に栄光が内在しているわけではありません。ただ、神様が映し出してくださる時に栄光に輝くのです。 人間が神様から受けた慈しみや恵みを自分自身の栄光だと思ってはいけません。人に与えられた機会や能力、それに伴う成功や称賛、評価、そのすべての栄光は神様に帰されるべきものです。時を弁えず、自分を誇ったり名誉を追求したりすることは、神様の栄光を奪う行為です。栄光は神様の本質です。栄光は神様のものです。冠を受けるにふさわしい生き方をすべきですが、その栄光が自分のものではないことを常に覚えて生きなければなりません。「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。ローマ 11:36」

요한계시록 묵상 【영광의 귀로】 20241127(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 4:5~114:5 보좌로부터 번개와 음성과 뇌성이 나고 보좌 앞에 일곱 등불 켠 것이 있으니 이는 하나님의 일곱 영이라4:6 보좌 앞에 수정과 같은 유리 바다가 있고 보좌 가운데와 보좌 주위에 네 생물이 있는데 앞 뒤에 눈이 가득하더라4:7 그 첫째 생물은 사자 같고 그 둘째 생물은 송아지 같고 그 세째 생물은 얼굴이 사람 같고 그 네째 생물은…

黙示録 黙想 【ここに上れ】 20241126(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師

黙示録 4:1~44:1 その後、私は見た。すると見よ、開かれた門が天にあった。そして、ラッパのような音で私に語りかけるのが聞こえた、あの最初の声が言った。「ここに上れ。この後必ず起こることを、あなたに示そう。」4:2 たちまち私は御霊に捕らえられた。すると見よ。天に御座があり、その御座に着いている方がおられた。4:3 その方は碧玉や赤めのうのように見え、御座の周りには、エメラルドのように見える虹があった。4:4 また、御座の周りには二十四の座があった。これらの座には、白い衣をまとい、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老たちが座っていた。 ヨハネが天に開かれた門を見ていた時、「ここに上れ」という神様の御声が聞こえました。「ここに上れ」と言われる神様の御声を慕います。私たちもその声を聞かなければならないのではないでしょうか。第4章が始まるとヨハネは天上に上りますが、第3章までは地上の教会の課題について語られました。地上の教会には問題があり、聖徒には使命がありました。「ここに上れ」と語られた天上の声は、ガリラヤ湖畔の虚しい朝に「私について来なさい」と言われたイエス様の声と重なります。天上からの呼びかけを聞くことができたのは、「私について来なさい」と言われた地上での呼びかけを聞いたからです。 24の座に24人の長老が白い衣をまとい、頭には金の冠をかぶって座っています。24人の長老はイスラエルの12部族と12使徒を象徴していると解釈されます。彼らは旧約と新約の時代に神様の呼びかけに応答した人々であり、今や金の冠を受けました。第2章では、冠を受ける方法がすでに教えられています。「何も恐れることはない。…死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える。2:10」 三重天を経験したというパウロも、第一のコリント人への手紙の9章や第二のテモテへの手紙4章で、その日に受ける冠を慕う表現をしています。 ヨハネは神様の栄光を宝石で表現していますが、自らの言葉の貧しさに歯がゆさを感じたことでしょう。天上の美しさと神様の栄光を、私たちは具体的に想像することも説明することさえもできません。天国にどれほど素晴らしいものがあるのは分かりません。それを見たことも、聞いたことも、経験したこともないからです。ただ少しでも具体的に想像するためには、天国に「ないもの」を想像しなければなりません。それが私たちが天国を慕う理由であり、それが信仰の証です。天国には罪がありません。すべてが贖われ、罪が消え去った世界、神様の栄光だけが満ち溢れている場所です。「ここに上れ」という呼びかけを慕いながら、地上での呼びかけに従います。

요한계시록 묵상 【이리로 올라오라】 20241126(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 4:1~44:1 이 일 후에 내가 보니 하늘에 열린 문이 있는데 내가 들은 바 처음에 내게 말하던 나팔소리 같은 그 음성이 가로되 이리로 올라 오라 이 후에 마땅히 될 일을 내가 네게 보이리라 하시더라4:2 내가 곧 성령에 감동하였더니 보라 하늘에 보좌를 베풀었고 그 보좌 위에 앉으신 이가 있는데4:3 앉으신 이의 모양이 벽옥과 홍보석 같고 또…

黙示録 黙想 【ラオデキア教会の霊的停滞】 20241125(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

黙示録 3:14~223:14 また、ラオディキアにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、確かで真実な証人、神による創造の源である方がこう言われる──。3:15 わたしはあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。3:16 そのように、あなたは生ぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしは口からあなたを吐き出す。3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないと言っているが、実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることが分かっていない。3:18 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買い、あなたの裸の恥をあらわにしないために着る白い衣を買い、目が見えるようになるために目に塗る目薬を買いなさい。3:19 わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。3:20 見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。3:21 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせる。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。3:22 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。』」 ラオデキア教会は、「生ぬるい」という表現で叱責されました。熱くも冷たくもないということです。ラオデキアという地域は近隣の温泉地の影響を受け、温泉水が混ざり合い、石灰質の白く生ぬるい水が小川に流れていました。それは現在も同じです。そのため、冷蔵技術がなかった当時、ラオデキアの人々は生ぬるい水にうんざりしていました。暑い時に飲む生ぬるい温泉水は、吐き出したくなるほどだったでしょう。そのため、イエス様もその生ぬるさをわたしは口からあなたを吐き出すと言われます。彼らはその感情がどのようなものか、理解していたに違いありません。 彼らの信仰が生ぬるいと例えられた重要な原因の一つは、次の節に出てきます。「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないと言っているが、実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることが分かっていない。3:17」 彼らの信仰の温度を生ぬるいところに引き下げたのは、経済的な豊かさ、すなわち「生活が安定している」という安心感でした。しかし、イエス様は彼らが実際には裕福ではなく、貧しいのだと言われます。生活が安定している経済力に頼り、それで安心して暮らしている彼らの心が貧しく、みじめで、哀れで、それは盲目の人のようであり、裸のような状態であると言われます。 熱い水を冷たい器に注げば、水はすぐに生ぬるくなるでしょう。内なる熱い福音を受け入れたとしても、世の中という外の温度に妥協し、同化してしまうと、神様への熱い情熱は冷めてしまいます。外部の温度に従って自分の温度が決まってしまうのです。ですから、生ぬるさは卑怯さと同義だと思います。生ぬるいことに気づけないのは、その生ぬるさが相対的な温度だからです。冷たい人々と比べて自分の温度が相対的に高いと思うのです。教会に通っているから救われている、教会に通っていない人とは違う、と思い込むのです。 希望はあります。イエス様は3:18で克服するための3つの勧めを与えています。1つ目、「火で精錬された金」とは、不純物を取り除けという意味です。金鉱石を精錬する過程はすべて苦痛です。採掘後、粉々に砕かれます。その後、重力分離によって激しく回し、金だけを残します。そして1,000度を超える温度で溶かし、不純物を取り除きます。この苦痛の過程を経ると純金だけが残ります。表面だけを飾って人に見せるメッキ人生では、信仰の純度を持つことはできません。2つ目、「白い衣を着る」ということは、人間の努力ではできないことです。水で洗い、火で焼いても罪は消えません。キリストを身にまとう救いの方法以外には、人間の恥を覆う救いの手立てはありません。最後に、「目薬を買って目に塗れ」です。ラオデキアは「フリギア粉(Phrygian powder)」という材料を使って目薬を製造することで有名でした。自分の内に閉じこもらず、目を洗って分別し、見なさいということです。 世が与える安楽さに甘んじていては、霊的な経験や成長はできません。激しい戦いなく、高尚に信仰を守る方法などありません。勇気を出して立ち上がり挑戦しなければ、ラオデキアは霊的な停滞と無気力から抜け出すことはできません。ヨハネの黙示録3:20は、不信者を迎え入れる際に提示する御言葉ではなく、信仰のふりをし、経済的な満足感でふらついている人々に向けられた御言葉でした。「わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。3:19-20」

요한계시록 묵상 【라오디게아 교회의 영적 침체】 20241125(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 3:14~223:14 라오디게아 교회의 사자에게 편지하기를 아멘이시요 충성되고 참된 증인이시요 하나님의 창조의 근본이신 이가 가라사대3:15 내가 네 행위를 아노니 네가 차지도 아니하고 더웁지도 아니 하도다 네가 차든지 더웁든지 하기를 원하노라3:16 네가 이같이 미지근하여 더웁지도 아니하고 차지도 아니하니 내 입에서 너를 토하여 내치리라3:17 네가 말하기를 나는 부자라 부요하여 부족한 것이 없다 하나 네 곤고한 것과 가련한…

黙示録 黙想 【ペルガモが受けた二つの挑戦】 20241121(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

黙示録 2:12~172:12 また、ペルガモンにある教会の御使いに書き送れ。『鋭い両刃の剣を持つ方が、こう言われる──。2:13 わたしは、あなたが住んでいるところを知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの確かな証人アンティパスが、サタンが住むあなたがたのところで殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。2:14 けれども、あなたには少しばかり責めるべきことがある。あなたのところに、バラムの教えを頑なに守る者たちがいる。バラムはバラクに教えて、偶像に献げたいけにえをイスラエルの子らが食べ、淫らなことを行うように、彼らの前につまずきを置かせた。2:15 同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを頑なに守っている者たちがいる。2:16 だから、悔い改めなさい。そうしないなら、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦う。2:17 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者には、わたしは隠されているマナを与える。また、白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が記されている。』 ペルガモン教会は、「サタンの王座がある」においても主の名を堅く守り、信仰を捨てなかったと称賛されています。「サタンの王座」と言われていることから、ペルガモン教会が置かれていた霊的環境が決して良いものではなかったことがわかりますペルガモンには他の都市と同じように皇帝崇拝が行われており、ゼウス神殿やアスクレピオス神殿もありました。このアスクレピオス神殿は蛇を象徴としていたため、クリスチャンにとってそれはサタンの拠点のように見えたことでしょう。 そんな霊的環境の中で、キリストを証したアンティパスが殉教しました。アンティパスが殺害された背景について正確にはわかりません。ゼウス神殿やアスクレピオス神殿が原因であったかもしれませんし、ローマ皇帝崇拝の強制によるものであったかもしれません。明らかなのは、キリストを信じる信仰のゆえに偶像崇拝の拠点で殺されたということです。こうしてペルガモン教会は殉教者を生み出した教会でもあり、それについて称賛を受けています。 しかし、ペルガモン教会は同時に叱責も受けました。それはバラムとニコライ派に従う者たちがいたためです。民数記にはバラムとバラクの話が登場します。バラムはモアブの女性たちを利用してイスラエルの男性たちを誘惑し、淫行に陥らせる計略をバラクに提案しました。このように、バラムの教えとは誘惑と妥協を通じて神の民を堕落させるものであり、それは倫理的なつまずきにとどまらず、それを正当化するための神学的な歪曲まで意図したものでした。一方、ニコライ派も偶像崇拝と淫行を公式に許容する背徳的な異端でした。彼らは外部の迫害よりも内部の堕落を狙いました。 殉教者を生み出したペルガモ教会に、バラムの教えやニコライ派のような背徳的な異端が共存していたのは驚くべきことです。しかし、これは教会が外部の迫害と内部の堕落という二つの挑戦に常に直面していることを示しており、それに対処する信仰共同体の霊的複雑性をも浮き彫りにしています。ある人々は命を懸けて信仰の純粋性を守り抜きますが、ある人々は妥協し、変質し、堕落します。迫害は殉教を生み出しましたが、妥協は堕落を生み出しました。堕落や変質は一瞬で起こるものではありません。最初は部分的な妥協から始まり、自己合理化を続けるうちに、気づけばバラムやニコライ派のような怪物になっているのです。妥協を正当化しようとする詭弁を止め、主のための苦難に立ち向かうことができる信仰を持てることを祈ります。

요한계시록 묵상 【버가모가 받은 두 가지 도전】 20241121(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 2:12~172:12 버가모 교회의 사자에게 편지하기를 죄우에 날선 검을 가진 이가 가라사대2:13 네가 어디 사는 것을 내가 아노니 거기는 사단의 위가 있는 데라 네가 내 이름을 굳게 잡아서 내 충성된 증인 안디바가 너희 가운데 곧 사단의 거하는 곳에서 죽임을 당할 때에도 나를 믿는 믿음을 저버리지 아니하였도다2:14 그러나 네게 두어 가지 책망할 것이 있나니 거기 네게…

黙示録 黙想 【失われた初めの愛】 20241120(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

黙示録 2:1~112:1 エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に七つの星を握る方、七つの金の燭台の間を歩く方が、こう言われる──。2:2 わたしは、あなたの行い、あなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが悪者たちに我慢がならず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちを試して、彼らを偽り者だと見抜いたことも知っている。2:3 あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れ果てなかった。2:4 けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。2:5 だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。そうせず、悔い改めないなら、わたしはあなたのところに行って、あなたの燭台をその場所から取り除く。2:6 しかし、あなたにはこのことがある。あなたはニコライ派の人々の行いを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。2:7 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者には、わたしはいのちの木から食べることを許す。それは神のパラダイスにある。』2:8 また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。『初めであり終わりである方、死んでよみがえられた方が、こう言われる──。2:9 わたしは、あなたの苦難と貧しさを知っている。だが、あなたは富んでいるのだ。ユダヤ人だと自称しているが実はそうでない者たち、サタンの会衆である者たちから、ののしられていることも、わたしは知っている。2:10 あなたが受けようとしている苦しみを、何も恐れることはない。見よ。悪魔は試すために、あなたがたのうちのだれかを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあう。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える。2:11 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によって害を受けることはない。』 七つの教会についての話の中で、最初がエペソ教会の話です。エペソは大都市の世俗的な環境の中で福音と教会を守るために努力しました。「使徒と自称しているが実はそうでない者たちを試して、彼らを偽り者だと見抜いた」とあります。「悪者たちに我慢がならず」ということは、彼らに霊的な分別力と、決断する強さがあったことを示しています。エペソ教会は神学的な中心を持っていました。また、倫理的にも世から区別され、道徳的で霊的な純潔を守っていました。さらに勤勉であったため、イエス様は「あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れ果てなかった」と言い、彼らの忍耐と誠実さを称賛されました。 ところが、エペソ教会にも非難される点がありました。イエス様はエペソ教会が初めの愛を失ったので、それを回復するようにと言われました。私たちにとっての課題は、エペソ教会が失った「初めの愛」とは何かを見つけることです。エペソ教会は神学的な中心を持ち、共同体もよく整備され、倫理的にも堕落せず、自分たちの立場をよく守っていました。もし私たちの中で信仰を失ったが回復したという人がいるなら、おそらくエペソ教会が称賛された点を取り戻すために努力するでしょう。つまり、神様についての知識を深め、礼拝と奉仕に励み、誠実で敬虔な生活を回復するということです。しかし、それらをすでに行っていたエペソ教会が失われていることは、いったい何でしょうか。 それは、外見的な評価ではわからない本質的な信仰の動機や生き方を含んでいると思います。あるいは、エペソ教会が称賛された点の裏側にある問題かもしれません。彼らがよくやっていると評価されるのは、神学的、組織的、規範的な面においてです。それは確かに良いことですが、その背後で、キリストに対する愛と感謝からの個人的で人格的な献身が失われ、組織的で機械的なシステムに変質していたことではないでしょうか。世のやり方を取り入れれば、信仰がなくても組織は整然と動くことができます。確かに、神学や組織や制度は重要ですが、それがエペソ教会の信仰の温度を冷ましてしまったのではないでしょうか。間違ったものを防御することはできても、正しいものを積極的に証明することはできなかったのです。 イエス様はエペソ教会について「初めの行いをしなさい」と求められます。これは、学問的、社会的、倫理的、宗教的、組織的な要素も大切ですが、それ以上に本質的なキリストとの関係を回復することを意味しています。行動はその関係の回復に伴います。続いて記されているスミルナ教会への評価に、ヒントがあるかもしれません。スミルナ教会には懲らしめがありません。七つの教会の中でスミルナ教会とフィラデルフィア教会だけです。スミルナ教会はエペソ教会ほど体系的ではなかったようです。弱々しく見え、困難の中で奮闘しているようです。イエス様は彼らに「死に至るまで忠実でありなさい」と言われます。この忠実さは少なくともエペソ教会が称賛された点を見習えという意味ではありません。神学、制度、組織、規範といった外面的なものではなく、もっと根本的なことを指しています。 エペソ教会が回復すべきものは、組織体として整備される過程で失われた何かです。「初めの愛」と言われるため、私たちは「初め」に焦点を当てがちですが、失われたものは初めの愛であれ後の愛であれ、確かに「愛」そのものです。神様を愛そうとする人々が即座に熱心になることは、エペソが称賛されたことです。しかし、それはポイントでないです。失われた愛を探す手がかりは、兄弟に対する愛です。外向きには分析力や分別力がありましたが、内向きには互いに愛し合う温かさを失ったのです。愛を失った教会は、福音宣教の力と魂の救いの使命を失います。兄弟を愛する温もりを失った教会が、神様を愛する信仰の熱さを維持することはできません。信仰が学問や組織、規範によって体系化されると、人間はその枠外に置かれてしまいます。伝道しない教会は存在理由を失います。教会が取り戻すべきものは、それです。

요한계시록 묵상 【잃어버린 처음 사랑】 20241120(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

요한계시록 2:1~112:1 에베소 교회의 사자에게 편지하기를 오른 손에 일곱 별을 붙잡고 일곱 금촛대 사이에 다니시는 이가 가라사대2:2 내가 네 행위와 수고와 네 인내를 알고 또 악한 자들을 용납지 아니한 것과 자칭 사도라 하되 아닌 자들을 시험하여 그 거짓된 것을 네가 드러낸 것과2:3 또 네가 참고 내 이름을 위하여 견디고 게으르지 아니한 것을 아노라2:4 그러나 너를…