Ⅰペテロ QT3 20201216水 【神の秩序に」従う】 1ペテロ 2章11~25

1ペテロ 2章11~2511 愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。12 異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行ないを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。13 人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、14 また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。15 というのは、善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。16 あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。17 すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。18 しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。善良で優しい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさい。19 人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。20 罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。   聖徒は、二つの国に仕えます。二心を抱くということではありません。二つの主人に仕えるということももありません。聖徒は、神の国に仕える同時にこの地の制度的国家と社会にも仕えるのです。   それは悪魔視して分離してしまうと偽善と矛盾を避けることができません。神様が主権がないところはないからです。聖徒は、神様の秩序と世の法を照らし合わせ、それに聖書的な問題意識を持たなければなりません。   みこころの天になるごとく 地にもなさせたまえと期待して、祈る信徒であれば、罪で壊れた神様の創造の秩序をこの地に回復することを根本的な使命とみなすことができます。世と世の人は罪により歪んでいて、私たちはその中で神様の働きをしなければなりません。   人の力や人気が権威の座を占めるように見えますが、神様のみ旨なしに世の権威は立てられません。ということで皇帝ネロの時代にパウロは、ローマに送った手紙で「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」と言いました。   この間QTで読んだダニエルには「神は季節と時を変え、王を廃し、王を立て、知者には知恵を、理性のある者には知識を授けられる。2:21」リーダーシップを立てる神様の主権は、単に聖書の一節の提示ではなく、聖書全体が証ししていることです。聖書を読んでみると、イスラエルだけでなく、イスラエルをめぐる周辺国、だらにイスラエルの敵の国の王においてもそれを立て、また下すのは神様であることがわかります。   今日の本文でペテロも、「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。13,14」と言います。ローマ書のパウロと本文のペテロ、この二人の使徒は不義の権力者ネロの時代に殉教します。政治権力によって命を失った使徒たちの国家観は、驚くほどに権威に対する服従です。   それならクリスチャンは不義な権力に沈黙して順応するべきだろうかという課題が残ります。言葉の意味を吟味する必要があります。国が持っている力で社会は秩序を維持します。どんなに無能で腐敗した政府であっても、無政府と無秩序よりは、一定の秩序を維持することができます。   つまり問題は、権力者ではなく、権力から出てくるの秩序です。教会はローマ権力によって政治的な犠牲になりますが、ローマ政府の法的秩序がなかったならば、教会は先にユダヤ人のテロに犠牲されたと思います。   民主主義において国家が持つ力というのは、権力の出所である国民が、法制度の中で公務員に委任し、権力を執行するようにした公権力をいいます。すべての権力は国民にあり、国民は行政と立法の公務員を選挙をもって選出して権力を委任します。ですから法治国家は法秩序を作り、それに沿って、善悪を懲罰します。   これが教会が暴力や違法的な対抗を」して法秩序を自ら脅かすことをしてはならないということです。この権威に逆らう者が裁きを招くということは、国家が法執行機関を介して個人の自由を制止するからです。   人の手ですることは不完全です。権力にかかわるものはさらにそうです。教会は、世の不義を牽制し、不当な抑圧に抵抗しなければなりません。ペテロの制度に服従するということは火不義に妥協し、沈黙するということではなく、不法と暴力の方法で制度と体制を越えてはならないということです。ペテロの手紙は一貫して教会と聖徒の建徳を目指しています。

베드로전서 QT3 20201216수【하나님의 질서에 순종】벧전 2장11~25

벧전 2:11-2511 사랑하는 자들아 나그네와 행인 같은 너희를 권하노니 영혼을 거스려 싸우는 육체의 정욕을 제어하라12 너희가 이방인 중에서 행실을 선하게 가져 너희를 악행한다고 비방하는 자들로 하여금 너희 선한 일을 보고 권고하시는 날에 하나님께 영광을 돌리게 하려 함이라13 인간에 세운 모든 제도를 주를 위하여 순복하되 혹은 위에 있는 왕이나14 혹은 악행하는 자를 징벌하고 선행하는 자를 포장하기…

Ⅰペテロ QT2 2020122土【王である祭祀】Ⅰペテロ 2章1-10

Ⅰペテロ 2章1-10節1 ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。3 あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。4 主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。5 あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。6 なぜなら、聖書にこうあるからです。「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」7 したがって、より頼んでいるあなたがたには尊いものですが、より頼んでいない人々にとっては、「家を建てる者たちが捨てた石、それが礎の石となった。」のであって、8 「つまずきの石、妨げの岩。」なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからですが、またそうなるように定められていたのです。9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。10 あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。   祭司は祭礼儀式をつかさどり、神と人との間を仲介する役割の人です。旧約時代に祭司の職務は、レビ族に限って、アロンとその子らに代々受け継がれました。レビ人でなければ祭祀の職務をすることはできませんでした。イスラエルの初代の王サウルが廃位された決定的な要因の一つがこれです。祭祀が執り行わなければならない礼拝を、サムエルが来る前に、自分の手で直接ささげてしまったからです。士師の時代には、正教一致の時代でしたが、正教に分離された王政国家において王は祭祀を執り行うことはできませんでした。   祭司は礼拝において絶対的な権限を持っています。宗教社会であるイスラエルで大祭司という職に必然的に政治的な権力が与えられます。しかしそれは時間が経つにつれ本末転倒となり、権力中毒となった人々によって礼拝と宗教が利用されることになります。新約時代においても同じです。中世においても皇帝と教皇の主導権争いは繰り返されました。   新約の福音書に登場する堕落した祭司長は、政治権力と経済権力に結託して礼拝を汚しました。その頂点がイエス・キリストを殺した事件です。福音書を読んでみると、大祭司がイエス様を必ず殺すと心に決める事件が宮清めの出来事です。つまり、イエス様が神殿で商売していた人たちを追い出した事件です。それが大祭司の収入源であったからです。賄賂と不公正な取り引きが神殿の中で行われていて大祭司はそれを妨げるイエスを殺したのです。   旧約の大祭司とイエス様の時代の堕落した大祭司、そして中世の教皇も、宗教権力を握っている人です。彼らの職務の対象は、宗教が制度化した社会の構成員です。すなわち、生まれながら神殿や教会に属している人です。生まれながらユダヤ教やキリスト教に属して十分の一の献金が給料から源泉徴収される人です。宗教権力はそのような人々を対象にして礼拝を執り行います。   イエスの教えが衰退したことで、改革者は習慣と形式ではなく、神様の言葉に戻ろうとしました。それが16世紀の宗教改革です。改革者マルティン・ルターは、宗教的な権力を持つ大祭司、教皇、司祭、牧師としての祭司ではなく、神と人とをつなぐすべての人に祭司の職が与えられたことを宣言しました。その根拠が、今日の本文9節にあります。「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。9」   神と人とをつなぐというのは、「ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方」すなわちイエス・キリストによるものです。ですからヘブル人への手紙で、イエス様を大祭司と呼んでいるのです。そして、私たちが祭司になるのは、大祭司であるイエス・キリストを通して、キリストの中で可能になるのです。王は祭祀を執り行うことができませんでしたが、ペテロは、イエス・キリストを信じる聖徒は王のような祭司であるといいました。初代教皇ペテロが私たちに王である祭司と言っています。神に仕え、民に仕える王的職分と祭司的職分が聖徒にあります。   祭司は神殿の中で祭祀職務を執り行います。しかし、王のような祭司は、「福音のすばらしいみわざを宣べ伝える人」です。彼らは福音のないところにおいて王のような祭司です。この手紙が送られたのは、礼拝が当然のように行われた時代ではありません。イエス・キリストの御名によって集まることに迫害と苦難を受けなければならなかった時代です。初代教会のアジア地域の人々に送られた手紙です。絶対多数が礼拝をささげなかった時代とその地域で、神様の福音のすばらしいみわざを宣べ伝える人が王のような祭司なのです。  

베드로전서 QT2 20201202화【왕같은 제사장】벧전 2장1~10

벧젠 2:1-102:1 그러므로 모든 악독과 모든 궤휼과 외식과 시기와 모든 비방하는 말을 버리고2:2 갓난 아이들같이 순전하고 신령한 젖을 사모하라 이는 이로 말미암아 너희로 구원에 이르도록 자라게 하려 함이라2:3 너희가 주의 인자하심을 맛보았으면 그리하라2:4 사람에게는 버린 바가 되었으나 하나님께는 택하심을 입은 보배로운 산 돌이신 예수에게 나아와2:5 너희도 산 돌같이 신령한 집으로 세워지고 예수 그리스도로 말미암아 하나님이…

Ⅰペテロ QT1 2020122土【帰天】Ⅰペテロ 1章13-25

Ⅰペテロ 1章13-2513 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。14 従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、15 あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。16 それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」と書いてあるからです。17 また、人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい。18 ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、19 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。20 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。21 あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。22 あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。24 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。25 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。   第Ⅰペテロの手紙は、送られた地域や教会の名前ではなく、発信者のペテロの名前が付いています。アジア地域に送られた手紙ではありますが、手紙を受け取る受信者を「旅人」と呼んでいます。パウロの手紙のように受信者の名前を付けてこの手紙を名付けるなら、「旅人への手紙」になるかもしれません。クリスチャンの人生観は、世に立ち寄る旅人です。それに同意されるでしょうか。試みられるというのは、その認識に混乱が起こるからです。   ペテロがあえて旅人と呼んだのは、教会と信仰が苦しみを受けていたからです。旅人という言葉は、故郷を思い出させ、苦しむ旅人たちにとって故郷というのは、すなわち望みであり、励ましであるからです。旅人は送られたところに来て、時間になるとすべてを置いて家に帰りますが、旅人ではない人は主人として生き、いつかそれを剥奪され、どこかも知らないところへ行かなければなりません。生き方が同じにはなりません。帰るところがあるので旅人は主人よりも幸いです。   信仰の理由で苦難を受けるときにかえって喜ぶことができるのはすべてが「しばらくの間」からです。ペテロは苦しみの中に置かれているクリスチャンに「さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが」むしろ大いに喜ぶなさいと勧めます。苦難は絶望に見えますが、神様は、それを通して練られた純金を造られます。美しく生きること、それが旅人が生きる目的です。旅人の霊性が苦難を乗り越えられる力になります。   ペテロの手紙は、つかの間の旅人だからといって虚無主義で終わることを言っているのではありません。手紙は帰るべき天の望みの中で聖なる民として生きることを語ります。神様が聖い方であるように自分自身も聖く保つのです。偽善と形式を脱ぎ、真実の信仰を持って生きることを勧めます。   そして「あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。22」苦難と天国の望みと信仰という主題は愛に帰結されます。互いに熱く愛することを語ります。先に帰った旅人、そして残された旅人の心に残るのは愛していなかった悔恨、それだけです。最期の言葉をお金、土地、財産の言葉で遺言を残す人の人生はどれほど虚しいことでしょう。旅人が帰った天国は愛にあふれるところです。私たちが故郷に帰った時、家に馴染めないのはおかしなことです。そのように私たち旅人が天の御国に帰った時、そこに馴染めず落ち着かないことなど決してありません。  

베드로전서 QT1 2020121월【귀천】벧전 1장13~25

벧전 1:13-251:13 그러므로 너희 마음의 허리를 동이고 근신하여 예수 그리스도의 나타나실 때에 너희에게 가져올 은혜를 온전히 바랄찌어다1:14 너희가 순종하는 자식처럼 이전 알지 못할 때에 좇던 너희 사욕을 본 삼지 말고1:15 오직 너희를 부르신 거룩한 자처럼 너희도 모든 행실에 거룩한 자가 되라1:16 기록하였으되 내가 거룩하니 너희도 거룩할찌어다 하셨느니라1:17 외모로 보시지 않고 각 사람의 행위대로 판단하시는 자를…

ダニエル QT25 2020122土【思慮深い人々は】ダニエル 12章1-13

ダニエル 12章1-131 その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。2 地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。3 思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。4 ダニエルよ。あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと探り回ろう。」5 私、ダニエルが見ていると、見よ、ふたりの人が立っていて、ひとりは川のこちら岸に、ほかのひとりは川の向こう岸にいた。6 それで私は、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人に言った。「この不思議なことは、いつになって終わるのですか。」7 すると私は、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人が語るのを聞いた。彼は、その右手と左手を天に向けて上げ、永遠に生きる方をさして誓って言った。「それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民の勢力を打ち砕くことが終わったとき、これらすべてのことが成就する。」8 私はこれを聞いたが、悟ることができなかった。そこで、私は尋ねた。「わが主よ。この終わりは、どうなるのでしょう。」9 彼は言った。「ダニエルよ。行け。このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ。10 多くの者は、身を清め、白くし、こうして練られる。悪者どもは悪を行ない、ひとりも悟る者がいない。しかし、思慮深い人々は悟る。11 常供のささげ物が取り除かれ、荒らす忌むべきものが据えられる時から千二百九十日がある。12 幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。13 あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」   1節で「その時」という言葉を3回繰り返して、人類の終末の時を語ります。目に見えるものが全てではありません。世界で起こるいかなることも神様の摂理と計画の外で起こることはありません。これがダニエルの核心的なメッセージであります。終末は神様の主権のもと恐ろしさとともに到来しますが、神様はご自分の民を天使長ミカエルを遣わして守れられます。   旧約全体において「永遠のいのち」という言葉は2節に初めて出てきます。終末に起こる災いが過ぎると死んだ人が復活します。ある人々は、永遠のいのちを受け、ある人々は、永遠の忌みを受けます。ここで言う忌みとは恥です。誰にでも恥はあります。その恥が永遠に拭い取られない人と、恥が拭われ永遠のいのちを受ける人とに分かれるということです。   この救済論は、宣教論の願いにつながります。「思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。12:3」いのちの復活に出てくるためには、多くのものを義にしなければなりません。しかし自らによってはできないため、知恵ある者の役割が必要なのです。それこそが宣教です。   マタイ13章でイエス様が終末の時を告げる時にも、これを引用して「そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。43」と言われました。ダニエルは確かにそのような人でした。ダニエルの知恵の力は神を証しする信仰から与えられたものです。   誰かには確かに恐ろしい予言でありますが、誰かには確かに平安です。13節によれば、神の民の生き方は明らかです。恐れることなく、与えられた日を平安の中に生きるのです。神の民は世が激しく揺れ動く時にも、不義に身をまかせることもなく決して揺れません。それが不安に生きることです。義を行ない、救いといのちの知恵を伝えて生きる人は、いのちの復活に出会います。    

다니엘 QT25 20201212토【지혜 있는 자는】다니엘 12장1~13

다니엘 12:1-1312:1 그 때에 네 민족을 호위하는 대군 미가엘이 일어날 것이요 또 환난이 있으리니 이는 개국 이래로 그때까지 없던 환난일 것이며 그 때에 네 백성 중 무릇 책에 기록된 모든 자가 구원을 얻을 것이라12:2 땅의 티끌 가운데서 자는 자 중에 많이 깨어 영생을 얻는 자도 있겠고 수욕을 받아서 무궁히 부끄러움을 입을 자도 있을 것이며12:3 지혜…

ダニエル QT24 2020121金【終わりの時に】ダニエル 11章36-45

ダニエル 11章36-4536 この王は、思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高め、大いなるものとし、神の神に向かってあきれ果てるようなことを語り、憤りが終わるまで栄える。定められていることが、なされるからである。37 彼は、先祖の神々を心にかけず、女たちの慕うものも、どんな神々も心にかけない。すべてにまさって自分を大きいものとするからだ。38 その代わりに、彼はとりでの神をあがめ、金、銀、宝石、宝物で、彼の先祖たちの知らなかった神をあがめる。39 彼は外国の神の助けによって、城壁のあるとりでを取り、彼が認める者には、栄誉を増し加え、多くのものを治めさせ、代価として国土を分け与える。40 終わりの時に、南の王が彼と戦いを交える。北の王は戦車、騎兵、および大船団を率いて、彼を襲撃し、国々に侵入し、押し流して越えて行く。41 彼は麗しい国に攻め入り、多くの国々が倒れる。しかし、エドムとモアブ、またアモン人のおもだった人々は、彼の手から逃げる。42 彼は国々に手を伸ばし、エジプトの国ものがれることはない。43 彼は金銀の秘蔵物と、エジプトのすべての宝物を手に入れ、ルブ人とクシュ人が彼につき従う。44 しかし、東と北からの知らせが彼を脅かす。彼は、多くの者を絶滅しようとして、激しく怒って出て行く。45 彼は、海と聖なる麗しい山との間に、本営の天幕を張る。しかし、ついに彼の終わりが来て、彼を助ける者はひとりもない。   アンティオコスの暴政はマカバイの独立運動を起こし、マカバイは神殿を聖め、礼拝を再開します。アンティオコスは自分のために立てた祭壇をユダヤ人が取り壊したということを聞いて絶望に陥りました。   泥棒は盗んだものを自分のものだと思い込みます。アンティオコスもそれを失って火病にかかります。自分が奪ったものをどれほど自分のものと思ったのか、その喪失感にうつ病と不眠症にかかり、苦しみの中で死にました。   10章から始まり、これまで読んできたダニエルの予言が、アンティオコス4世をめぐる紀元前2世紀、そして古代近東で起きた政治的状況であることに関して学者らの異見はありません。   ところが、今日の本文に関してはアンティオコスの最後という歴史的事件ではなく、反キリストの出現と世の終末を予言しているという見解が、これを研究する学者たちの主な意見です。11章の終わりが12章の黙示に繋がることを考えると、終末の時であるという理解に納得がいきます。   反キリストは、まだ来ていないので、この予言は、私たちの時代にも進行形です。反キリストは、アンティオコスのように権威を、偽りと戦争を通して得ることになります。権威を得るために人を裏切り、金を集めて投資します。人の心と宗教を用います。   しかし、終わりの時に、神の怒りが反キリストと世界のすべての邪悪な者たちの上に下ります。悪は善が不在すると現れるものです。神が現れると悪は消えさります。   紀元前6世紀に書かれたダニエルの予言は、古代近東の歴史の中で成就され、まだみ言葉は、なお成就に向かって進んでいます。その時がいつなのか知ることはできないが、平和を手にしている人は、信仰と善の中にとどまる人なのです。  

다니엘 QT24 20201211【마지막 때에】다니엘 11장36~45

다니엘 11:36-4511:36 이 왕이 자기 뜻대로 행하며 스스로 높여 모든 신보다 크다 하며 비상한 말로 신들의 신을 대적하며 형통하기를 분노하심이 쉴 때까지 하리니 이는 그 작정된 일이 반드시 이룰 것임이니라11:37 그가 모든 것보다 스스로 크다 하고 그 열조의 신들과 여자의 사모하는 것을 돌아보지 아니하며 아무 신이든지 돌아보지 아니할 것이나11:38 그 대신에 세력의 신을 공경할 것이요…