오바댜 묵상 【샤덴프로이데】 20240617(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

오바댜 1:1~141:1 오바댜의 묵시라 주 여호와께서 에돔에 대하여 이같이 말씀하시니라 우리가 여호와께로 말미암아 소식을 들었나니 곧 사자가 열국 중에 보내심을 받고 이르기를 너희는 일어날지어다 우리가 일어나서 그로 더불어 싸우자 하는 것이니라1:2 여호와께서 가라사대 내가 너를 열국 중에 미약하게 하였으므로 네가 크게 멸시를 받느니라1:3 바위 틈에 거하며 높은 곳에 사는 자여 네가 중심에 이르기를 누가 능히…

ペテロの手紙第ニ 黙想 【振り返り】 20240615(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ペテロの手紙第ニ 3:1-9 3:1 愛する者たち、私はすでに二通目となる手紙を、あなたがたに書いています。これらの手紙により、私はあなたがたの記憶を呼び覚まして、純真な心を奮い立たせたいのです。 3:2 それは、聖なる預言者たちにより前もって語られたみことばと、あなたがたの使徒たちにより伝えられた、主であり救い主である方の命令を思い出させるためです。 3:3 まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、 3:4 こう言います。「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。」 3:5 こう主張する彼らは、次のことを見落としています。天は大昔からあり、地は神のことばによって、水から出て、水を通して成ったのであり、 3:6 そのみことばのゆえに、当時の世界は水におおわれて滅びました。 3:7 しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。 3:8 しかし、愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。 3:9 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。     神様の御言葉は何一つ私たちと関連のないことはありません。私たちにはあまりにも遠い話だと感じる創世記の御言葉から、難解なヨハネの黙示録の言葉まで、すべての御言葉が私たちに向けて語られています。  聖書は私たちがすべて覚えるにはあまりにも長く、多くの内容を含んでいます。それは逆に言えば、神様は私たちがすべて数え切れないほど私たちに向けた良いご計画を持っておられるとも言えるでしょう。  しかし、私たちがそのご計画を全て知ることができないため、私たちはその御言葉を誤解してしまったり、偽預言者や偽教師の声に騙されることもあるでしょう。そのため、私たちは絶えず御言葉を身近にし、振り返り、正しく御言葉を学んでいかなければなりません。  神様はそのための時間を私たちに与えておられます。それが私たちに向かって忍耐しておられる神様の御恵です。  今、私たちは礼拝の中で創世記からの御言葉を一つ一つ振り返っています。次の主日には出エジプトの御言葉に入ります。既に馴染みの御言葉、何度も読み、聞いてきた御言葉なのかもしれません。しかし、それでも私たちは繰り返しその御言葉を読み、聞かなければなりません。私たちは神様の御言葉を忘れてしまうのが当たり前な弱い存在であり、誤解してしまう罪深い存在であるからです。  これからの御言葉を通して、また、個々人の御言葉の黙想を通して私たちに向けた神様の良いご計画を一つ一つ振り返り、私たちの純真な心を奮い立たせる神様の恵の中で生きていく者になることを望みます。https://youtu.be/RCudJn-zWJs?si=5h2W0nwkZDZG-9oP

베드로후서 묵상 【되새김】 20240615(토) 최종석 전도사

베드로후서 3:1-9 3:1 사랑하는 자들아 내가 이제 이 둘째 편지를 너희에게 쓰노니 이 두 편지로 너희의 진실한 마음을 일깨워 생각나게 하여 3:2 곧 거룩한 선지자들이 예언한 말씀과 주 되신 구주께서 너희의 사도들로 말미암아 명하신 것을 기억하게 하려 하노라 3:3 먼저 이것을 알지니 말세에 조롱하는 자들이 와서 자기의 정욕을 따라 행하며 조롱하여 3:4 이르되 주께서 강림하신다는…

ペテロの手紙第ニ 【大切な自分】 20240614(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

ペテロの手紙第ニ 2:12-22 2:12 この者たちは、本能に支配されていて、捕らえられ殺されるために生まれてきた、理性のない動物のようです。自分が知りもしないことを悪く言い、動物が滅びるように滅ぼされることになります。 2:13 彼らは不義の報酬として損害を受けるのです。彼らは昼間から飲み騒ぐことを楽しみとしています。彼らはしみや傷であり、あなたがたと一緒に宴席に連なるとき、自分たちのだましごとにふけるのです。 2:14 その目は姦淫に満ち、罪に飽くことがなく、心が定まらない人たちを誘惑し、心は貪欲で鍛えられています。彼らはのろいの子です。 2:15 彼らは正しい道を捨てて、さまよっています。ベオルの子バラムの道に従ったのです。バラムは不義の報酬を愛しましたが、 2:16 自分の不法な行いをとがめられました。口のきけないろばが人間の声で話して、この預言者の正気を失ったふるまいをやめさせたのです。 2:17 この者たちは水がない泉、突風で吹き払われる霧です。彼らには深い闇が用意されています。 2:18 彼らは、むなしいことを大げさに語り、迷いの中に生きている人々の間から現に逃げ出しつつある人たちを、肉欲と好色によって誘惑しています。 2:19 その人たちに自由を約束しながら、自分自身は滅びの奴隷となっています。人は自分を打ち負かした人の奴隷となるのです。 2:20 主であり、救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪くなります。 2:21 義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる戒めから再び離れるよりは、義の道を知らなかったほうがよかったのです。 2:22 「犬は自分が吐いた物に戻る」、「豚は身を洗って、また泥の中を転がる」という、ことわざどおりのことが、彼らに起こっているのです。  ペトロの偽預言者たちと偽教師たちに向けた辛辣な批判は、キリストの愛と救いを宣べ伝えていたそのペトロと本当に同じ人なのか疑いまで生まれてしまうほどです。しかし、彼のこれらの批判の理由は、個人的な関係と感情にありませんでした。ペトロは徹底的に教会と共同体のために偽預言者たちと偽教師たちに向けて批判を惜しまなかったのです。  私たちは自分の感情の通りに偏りやすい存在です。それはただ性格や、環境の問題でもありません。それは、私たちの中にある罪の問題なのです。  理性的に共同体のために、教会のために判断するのが難しい理由が、この罪にあります。いくら理性的に考えようとしても、感情が先立ってしまうのは、そのことが‘自分’と関係があるからです。私たちの中の罪が教会や共同体よりも自分に重点を置くようにさせてしまうからです。  一つの教会、同じ共同体、そして同じ世の中に生きていく以上、私たちは人と人として多くの人々と出会い、交わり、ぶつかるしかない存在です。そのため、そのような様々なぶつかりをどのように判断し、どのように解決するのかが私たちの重要な課題であるでしょう。  ‘自分’という存在は確かに大切で、愛すべき存在です。しかし、神様は自分という一人一人を呼び集めて一つの体にしてくださいました。それはもう新しい一つの‘自分’になるのです。そこで、人間の罪の本姓について誰よりも詳しい神様は、あなたの隣人をあなたのように愛しなさいと言われました。いろいろ言い訳をしても、私たちは結局自分自身が一番大切な存在であるからです。  ‘自分’という一人一人が集まった共同体、そして出会う隣人を自分のように愛するということは、彼らによって喜び悲しみ、彼らのために世の中と立ち向かって戦うことです。そのため、私たちは人生の様々なぶつかりの中で、正しい判断の基準を‘自分’という一人の感情ではなく、自分という一人一人が集まった共同体、教会、関係の中に置かなければならないのでしょう。https://youtu.be/oA7pzzRheFc?si=Fcs8au3kPgKa5ae1

베드로후서 묵상 【소중한 나】 20240614(금) 최종석 전도사

베드로후서 2:12-22 2:12 그러나 이 사람들은 본래 잡혀 죽기 위하여 난 이성 없는 짐승 같아서 그 알지 못하는 것을 비방하고 그들의 멸망 가운데서 멸망을 당하며 2:13 불의의 값으로 불의를 당하며 낮에 즐기고 노는 것을 기쁘게 여기는 자들이니 점과 흠이라 너희와 함께 연회할 때에 그들의 속임수로 즐기고 놀며 2:14 음심이 가득한 눈을 가지고 범죄하기를 그치지 아니하고…

Ⅱペテロ 黙想 【誰が偽教師なのか】 20240613(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱペテロ 2:1~112:1 しかし、御民の中には偽預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れます。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込むようになります。自分たちを買い取ってくださった主さえも否定し、自分たちの身に速やかな滅びを招くのです。2:2 また、多くの者が彼らの放縦に倣い、彼らのせいで真理の道が悪く言われることになります。2:3 とはありません。彼らは貪欲で、うまくこしらえた話であなたがたを食い物にします。彼らに対するさばきは昔から怠りなく行われていて、彼らの滅びが遅くなるこ2:4 神は、罪を犯した御使いたちを放置せず、地獄に投げ入れ、暗闇の縄目につないで、さばきの日まで閉じ込められました。2:5 また、かつての世界を放置せず、不敬虔な者たちの世界に洪水をもたらし、義を宣べ伝えたノアたち八人を保護されました。2:6 また、ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし、不敬虔な者たちに起こることの実例とされました。2:7 そして、不道徳な者たちの放縦なふるまいによって悩まされていた正しい人、ロトを救い出されました。2:8 この正しい人は彼らの間に住んでいましたが、不法な行いを見聞きして、日々その正しい心を痛めていたのです。2:9 主はこのようにされたのですから、敬虔な者たちを誘惑から救い出し、正しくない者たちを処罰し、さばきの日まで閉じ込めておくことを、心得ておられるのです。2:10 特に、汚れた欲望のまま肉に従って歩み、権威を侮る者たちに対して、主はそうされます。この者たちは厚かましく、わがままで、栄光ある人たちをののしって恐れません。2:11 御使いたちは勢いも力も彼らにまさっているのに、主の御前で彼らをそしって訴えたりしません。   初代教会の指導者たちは、新約聖書がまだ形成されていない状態で、旧約聖書、イエス様の教え、使徒たちの伝承、そして初期キリスト教共同体の体験と実践に基づいて、キリストの福音と教会について教えていました。使徒ペテロが使徒職の権威を強調したことも、自分のリーダーシップを擁護するためではなく、教えの根拠を明確にするためでした。   「教える」ということの意味は、単に情報や事実を提供するだけでなく、その知識に基づいた価値観や行動様式を教育することです。知識は大切なことですが、それがどのように人生に影響を与えるかについての方向性を提供することがさらに大切なことです。したがって、教師は情報を伝える際、その情報の文脈と価値観、倫理的基準を共に教える必要があります。   教会の教師の役割は、自分の考えや言葉ではなく、神様の御言葉を教えます。情報の源は聖書でなければならず、教師は聖書を帰納的に理解して教えなければなりません。つまり、教えたいことのために聖書を引用するのではなく、聖書を通して教えられたことを教えなければなりません。これが真の教師と偽の教師を区別する重要な基準となります。聞かずに教える教師が真の教師であるはずがないからです。   ペテロによって断罪されている偽教師は、教えたいことをもうすでに決めておき、利権のために構成員を教える人です。このような偽教師は、対立と貪欲を引き起こし、不正と腐敗を正当化するために、ひたすら間違ったことを教えます。罪を犯しても恥じることのない牧師がいるかと思えば、それを擁護する人々もいます。それは神様の御言葉ではなく、人間の言葉によって教育されたものです。   騙されることの最終的な責任は、嘘をついた人にあるのではなく、自分の魂を管理できなかった人にあります。この時代にも偽物は存在し、偽物は自分の責任を負うでしょうが、その時代の責任は偽物を許容した教会にあります。滅びゆく世の中で欺かれなかった人が救われた聖徒です。偽物に欺かれたからといって、本物ではありません。偽物に欺かれただけです。欺かれないためには、人に従うのではなく、神様の御言葉に従って分別する聖徒になるべきです。神様と私の間に必ずなくてはならないものは牧師ではなく御言葉です。  

베드로후서 묵상 【누가 거짓 선생인가】 20240613(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

베드로후서 2:1~112:1 그러나 민간에 또한 거짓 선지자들이 일어났었나니 이와 같이 너희 중에도 거짓 선생들이 있으리라 저희는 멸망케 할 이단을 가만히 끌어들여 자기들을 사신 주를 부인하고 임박한 멸망을 스스로 취하는 자들이라2:2 여럿이 저희 호색하는 것을 좇으리니 이로 인하여 진리의 도가 훼방을 받을 것이요2:3 저희가 탐심을 인하여 지은 말을 가지고 너희로 이를 삼으니 저희 심판은 옛적부터 지체하지…

Ⅱペテロ 黙想 【思い起こさせ、奮い立たせる】 20240611(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱペテロ 1:12~211:12 ですから、あなたがたがこれらのことをすでに知り、与えられた真理に堅く立っているとはいえ、私はあなたがたに、それをいつも思い起こさせるつもりです。1:13 それを思い起こさせて、あなたがたを奮い立たせることを、私は地上の幕屋にいるかぎり、なすべきだと思っています。1:14 私たちの主イエス・キリストが示してくださったように、私はこの幕屋を間もなく脱ぎ捨てることを知っています。1:15 ですから、ぜひとも、私が去った後いつでも、あなたがたがこれらのことを思い起こせるようにしておきたいのです。1:16 私たちはあなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨を知らせましたが、それは、巧みな作り話によったのではありません。私たちは、キリストの威光の目撃者として伝えたのです。1:17 この方が父なる神から誉れと栄光を受けられたとき、厳かな栄光の中から、このような御声がありました。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」1:18 私たちは聖なる山で主とともにいたので、天からかかったこの御声を自分で聞きました。1:19 また私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜が明けて、明けの明星があなたがたの心に昇るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。1:20 ただし、聖書のどんな預言も勝手に解釈するものではないことを、まず心得ておきなさい。1:21 預言は、決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです。   誰でも自分が持っているものをもって他の人に伝えることができます。自分が知らないことを教えようとしてもそれには力がありません。伝道しなければならないとわかっていても、福音を知らなければ伝道することはできないでしょう。伝道は宗教活動ではなく、自分の人生と信仰の理由を語る機会です。ペテロも自分が持っているものがあるからこそ教えることができます。そしてペテロは自分が知っていることを伝えずにはいられません。   ペテロはマタイの福音書17章の変貌山でイエス様の栄光を見たことがあります。その時、ペテロはその栄光に心を奪われ、モーセとエリヤとイエス様のために幕屋を建てて自分もそこに住みたいと願いました。しかし後に、地上に家を建てて生きることが人生の目的ではないことに気づかされます。変貌山で幕屋を建てて住むのではなく、体という幕屋を脱ぎ、その後に来るものを望み、期待しながら生きることを悟ります。   ペテロは聖霊が降臨した後にこれを理解しました。聖霊は目的と本質を理解させてくださる方です。地上に執着させる力ではなく、人生の意味を省察させる力です。神様の聖霊が降臨して自分が思い出し、理解したように、聖徒らにも思い出させ、理解させたいのです。信仰の目的が肉体の生活にあるわけではないことを思い起こし、理解するようにしなければなりません。   「預言は勝手に解釈するものではないこと」と言ったのは、聖書の言葉を解釈してはならないという意味ではなく、偽教師たちが自分たちの利益のために、肉体のための機会として恣意的に解釈することに騙されてはならないということです。それが地上のことだからです。地に心を置いている人は、地上の生活のために偽教師のことがより大きく聞こえてきます。   利益を追い求める宗教は歪んだ解釈をするでしょうし、人を崇拝する宗教はそれに簡単に騙されるでしょう。しかし、言葉を通してイエス・キリストに従う人々は、聖霊による解釈をします。目を上げて霊を見なければ、神の霊の言葉を解釈することはできません。そのような人々は地上のものに騙されません。聖霊が御言葉を教え、思い出させ、導いてくださって、その言葉によって解釈され、理解され、実践を行うことを願います。  

베드로후서 묵상 【일깨워 생각하게 함】 20240612(수) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

베드로후서 1:12~211:12 이러므로 너희가 이것을 알고 이미 있는 진리에 섰으나 내가 항상 너희로 생각하게 하려 하노라1:13 내가 이 장막에 있을 동안에 너희를 일깨워 생각하게 함이 옳은줄로 여기노니1:14 이는 우리 주 예수 그리스도께서 내게 지시하신 것같이 나도 이 장막을 벗어날 것이 임박한 줄을 앎이라1:15 내가 힘써 너희로 하여금 나의 떠난 후에라도 필요할 때는 이런 것을 생각나게…

Ⅱペテロ 黙想 【神と、私たちの主イエスを知ることによって】 20240611(火) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱペテロ 1:1~111:1 イエス・キリストのしもべであり使徒であるシモン・ペテロから、私たちの神であり救い主であるイエス・キリストの義によって、私たちと同じ尊い信仰を受けた方々へ。1:2 神と、私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。1:3 私たちをご自身の栄光と栄誉によって召してくださった神を、私たちが知ったことにより、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えました。1:4 その栄光と栄誉を通して、尊く大いなる約束が私たちに与えられています。それは、その約束によってあなたがたが、欲望がもたらすこの世の腐敗を免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。1:5 だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を、1:6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、1:7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。1:8 これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、私たちの主イエス・キリストを知る点で、あなたがたが役に立たない者とか実を結ばない者になることはありません。1:9 これらを備えていない人は盲目です。自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまって、近視眼的になっているのです。1:10 ですから、兄弟たち。自分たちの召しと選びを確かなものとするように、いっそう励みなさい。これらのことを行っているなら、決してつまずくことはありません。1:11 このようにして、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを、豊かに与えられるのです。   ペテロの第二の手紙は、第一の手紙から数年後に送られた手紙です。第一の手紙がネロの迫害の危機の中で送られた手紙であるなら、第二の手紙はその迫害が深刻化し、ペテロの殉教が近づいている時点で書かれました。ペテロもパウロもネロの時代に命を落としました。教会は政治的な危機だけでなく、偽教師による宗教的な混乱が増しており、内部的にはすぐに来ると信じて待っていたキリストが来ないために動揺する人々がいました。こうした様々な心配がペテロに再び手紙を書かせる動機となりました。そのためか、ペテロは手紙の冒頭から「知識」について繰り返し強調しています。3節では「神を私たちが知ったことにより」、5節では「信仰には徳を、徳には知識を」、8節では「私たちの主イエス・キリストを知る」と述べ、9節では「知らないなら盲目で近視眼である」と言っています。これは小さなことは見えるが、広く見ることができない無知を警戒しているのです。このような人は断片的な論理に簡単に騙されます。   騙される人は、まず騙そうとする人から何らかの知識を得たのでしょう。話が通じなければ信じなかったでしょう。聞くに値し、信じるに値したのでしょう。説得力があったから受け入れたのです。何事も、それだけを取り上げればそれなりに一理があります。しかし、それが必ずしも真実であるとは限りません。一つの知識はあっても全体を見渡せないので、一つに囚われてすべてに騙されるのです。構造がしっかりしている人は部分的な話に全体が振り回されることはありません。前後の事情と全体の構造を通じて本質と実体が何であるかを知っているからです。   最近、AI時代という緊張感の中で、それを少しでも理解しようと勉強しています。まだ理解が浅いですが、AIの時代に人間に求められる最も重要な能力は「洞察する力」であると思います。もちろんAIに洞察を求めることはできますが、洞察力のある質問なしに洞察力のある答えを得ることはできません。人が事柄について知っていなければ、そもそも有効な質問をすることができず、有効な答えを得ることもできません。そのため、質問する人間の重要性から「ホモ・プロンプト」という言葉も生まれました。指示されたことだけをしていた人の仕事はAIに取って代わられるでしょう。質問することで成長できる時代です。検索とは異なります。質問するためには「遠視」である必要があります。近視眼的な質問は限界があるからです。これからは、画面を理解する技術ではなく、世界を理解する洞察力と、事柄の位置づけを把握するリテラシー、文解力がさらに重要になるでしょう。従来、人間がコンピュータ言語を使っていましたが、今やAIが人間の言葉でコミュニケーションを取るようになっています。新しい時代を拒むことのできない人間にとって、読み書きと聞き話す訓練は何よりも重要です。信仰においてもそれは大切です。聖書を読み、聞き、書き、話さなければなりません。ペテロの言うように「遠視」でなければなりません。本質に基づいて広く見ることができるようにしなければなりません。殉教の恐れと偽教師の脅威、急変する世界とAIの時代の脅威にもかかわらず、遠視であればそれはチャンスです。信仰は常に毅然としています。