열왕기하 묵상 【자원을 조달하는 법】 20240806(화) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 19:29~3719:27 네 거처와 네 출입과 네가 내게 향한 분노를 내가 다 아노니19:28 네가 내게 향한 분노와 네 교만한 말이 내 귀에 들렸도다 그러므로 내가 갈고리로 네 코에 꿰고 자갈을 네 입에 먹여 너를 오던 길로 끌어 돌이키리라 하셨나이다19:29 또 네게 보일 징조가 이러하니 너희가 금년에는 스스로 자라난 것을 먹고 명년에는 그것에서 난 것을 먹되…

Ⅱ列王記 黙想 【ヒゼキヤの告発状】 20240805(月) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 19:14~2819:14 ヒゼキヤは、使者の手からその手紙を受け取って読み、主の宮に上って行き、それを主の前に広げた。19:15 ヒゼキヤは主の前で祈った。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。19:16 主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセンナケリブのことばを聞いてください。19:17 主よ。アッシリアの王たちが、国々とその国土を廃墟としたのは事実です。19:18 彼らはその神々を火に投げ込みました。それらが神ではなく、人の手のわざ、木や石にすぎなかったので、彼らはこれを滅ぼすことができたのです。19:19 私たちの神、主よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、主よ、あなただけが神であることを知るでしょう。」19:20 アモツの子イザヤはヒゼキヤのところに人を送って言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたがアッシリアの王センナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。』19:21 主が彼について語られたことばは、このとおりである。『処女である娘シオンはおまえを蔑み、おまえを嘲る。娘エルサレムはおまえのうしろで頭を振る。19:22 おまえはだれをそしり、だれをののしったのか。だれに向かって声をあげ、高慢な目を上げたのか。イスラエルの聖なる者に対してだ。19:23 おまえは使者たちを通して、主をそしって言った。「多くの戦車を率いて、私は山々の頂に、レバノンの奥深くへ上って行った。そのそびえる杉の木と美しいもみの木を切り倒し、その果ての高地、木の茂った園にまで入って行った。19:24 私は井戸を掘って、他国の水を飲み、足の裏でエジプトのすべての川を干上がらせた」と。19:25 おまえは聞かなかったのか。遠い昔に、わたしがそれをなし、大昔に、わたしがそれを計画し、今、それを果たしたことを。それで、おまえは城壁のある町々を荒らして廃墟の石くれの山としたのだ。19:26 その住民は力失せ、打ちのめされて恥を見て、野の草や青菜、育つ前に干からびる屋根の草のようになった。19:27 おまえが座るのも、出て行くのも、おまえが入るのも、わたしはよく知っている。わたしに向かっていきり立つのも。19:28 おまえがわたしに向かっていきり立ち、おまえの安逸がわたしの耳に届いたので、わたしはおまえの鼻に鉤輪を、口にくつわをはめ、おまえを、もと来た道に引き戻す。』 ■イスラエルの最後の王ホセアがアッシリアの支配に抵抗したため、アッシリアによって北イスラエル王国は滅亡しました。一方、ユダを改革したヒゼキヤはアッシリアの脅威を受けますが、神殿に入って神様に祈り、神様は預言者イザヤを通じてアッシリアを懲らしめ、ユダを守ることを告げます。ヤロボアムの道を歩んだ北イスラエルは滅び、ダビデの道を歩んだ南ユダのヒゼキヤは神様の介入で生き延びることができるのです。イスラエルは滅びましたが、ユダは生き延びることができたのは幸いです。 ■しかし、神様が彼らの祖先をカナンの地に導き入れた時の約束を考えると、今の状況は二つの王国にとって共に悲しいことです。叩かれる中、生き残るために入った約束の地ではありません。征服し、支配するために入った地です。申命記の約束を思い出すべきです。「もし、あなたが、あなたの神、主の御声に確かに聞き従い、私が今日あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高く上げられる。あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたについて行く。申命記28:1-2」 ■彼らは御言葉を聞かず、従わず、命令を守りませんでした。神様の御言葉を聞く方法を知らないから、従う方法も知りませんでした。神様の御言葉に関心がない人はどの時代でも神様の御言葉が何であるかを知らなく、それに従う方法も知りません。神様は約束を守られました。その結果、一部は滅び、また一部はやっとのことで命を繋ぎました。それさえ時が来れば滅びるでしょう。 ■ただしユダが滅びなかったのは、ヒゼキヤが神様を侮辱し傲慢だったアッシリアを告発したからです。ヒゼキヤが歩んだダビデの道、そのダビデの告白を私たちは覚えています。「主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。詩篇23:3」神様は御名のためにご自身の人を義の道に導かれます。それは告発者が改革者のヒゼキヤであったために告発状が受理されたのでしょう。もしホセアがアッシリアを告発していたなら、アッシリアも北イスラエルを反訴したでしょう。神様の御名が栄光を受ける道と、私が生きる道が同じ道であることを祈ります。

열왕기하 묵상 【히스기야의 고발장】 20240805(월) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 19:14~2819:14 히스기야가 사자의 손에서 편지를 받아보고 여호와의 전에 올라 가서 그 편지를 여호와 앞에 펴놓고19:15 그 앞에서 기도하여 가로되 그룹들의 위에 계신 이스라엘 하나님 여호와여 주는 천하 만국에 홀로 하나님이시라 주께서 천지를 조성하셨나이다19:16 여호와여 귀를 기울여 들으소서 여호와여 눈을 떠서 보시옵소서 산헤립이 사신 하나님을 훼방하러 보낸 말을 들으시옵소서19:17 여호와여 앗수르 열왕이 과연 열방과 그…

列王記第二 黙想 【世の扇動】 20240803(土) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

列王記第二 18:26-37 18:26 ヒルキヤの子エルヤキムとシェブナとヨアフは、ラブ・シャケに言った。「どうか、しもべたちにはアラム語で話してください。われわれはアラム語が分かりますから。城壁の上にいる民が聞いているところでは、われわれにユダのことばで話さないでください。」 18:27 ラブ・シャケは彼らに言った。「私の主君がこれらのことを告げに私を遣わされたのは、おまえの主君や、おまえのためだろうか。むしろ、城壁の上に座っている者たちのためではないか。彼らはおまえたちと一緒に、自分の糞を食らい、自分の尿を飲むようになるのだ。」 18:28 ラブ・シャケは突っ立って、ユダのことばで大声で叫んで、こう告げた。「大王、アッシリアの王のことばを聞け。 18:29 王はこう言っておられる。『ヒゼキヤにごまかされるな。あれは、おまえたちを私の手から救い出すことができないからだ。 18:30 ヒゼキヤは、「主が必ずわれわれを救い出してくださる。この都は決してアッシリアの王の手に渡されることはない」と言って、おまえたちに主を信頼させようとするが、そうはさせない。』 18:31 ヒゼキヤの言うことを聞くな。アッシリアの王はこう言っておられるからだ。『私と和を結び、私に降伏せよ。そうすれば、おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のいちじくを食べ、自分の井戸の水を飲めるようになる。 18:32 その後私は来て、おまえたちの国と同じような国におまえたちを連れて行く。そこは穀物と新しいぶどう酒の地、パンとぶどう畑の地、オリーブの木と蜜の地である。おまえたちが生き延びて死ぬことのないようにするためである。たとえヒゼキヤが、「主はわれわれを救い出してくださる」と言って、おまえたちをそそのかしても、ヒゼキヤに聞き従ってはならない。 18:33  国々の神々は、それぞれ自分の国をアッシリアの王の手から救い出しただろうか。 18:34 ハマテやアルパデの神々は今、どこにいるのか。セファルワイムやヘナやイワの神々はどこにいるのか。彼らはサマリアを私の手から救い出したか。 18:35 国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出したか。主がエルサレムを私の手から救い出せるとでもいうのか。』」 18:36 民は黙って、彼に一言も答えなかった。「彼に答えるな」というのが、王の命令だったからである。 18:37 ヒルキヤの子である宮廷長官エルヤキム、書記シェブナ、アサフの子である史官ヨアフは、自分たちの衣を引き裂いてヒゼキヤのもとに行き、ラブ・シャケのことばを告げた。    世の中に遣わされたキリスト者たちは、世の扇動の声を聞き、誘惑と戦い、御言葉と世の中の間で悩むことになります。神様の御言葉によって造られたこの世と、その御言葉の間に存在する乖離のためです。  このような乖離に対して明らかに対抗できる時もありますが、一方ではそうでない時もあるでしょう。聖書に書かれていない問題、これが神様のみこころだと断言できないところが特にそうです。しかし、世の中は巧妙にこれらのところに入り込み、私たちを扇動します。それゆえ、私たちは悩むしかないのでしょう。  アッシリアという強大国の前に立っているユダ王国の姿のように、世の中の前に立つ私たちが小さく感じられる時はなおさらそうです。むしろ自分が神様のみこころを無視しているのではないか、今の苦難と世の中の声はそんな私に神様が語っておられるのではないかと確信が持てないその時に、私たちは無理して世の中の扇動に対抗しなくても良いです。その答えは私たちのものではないためです。  明らかに聖書の御言葉に反する世の中の扇動と誘惑には対抗しなければなりません。しかし、そうでないもの、よく「アディアフォラ」と言われる領域にある問題については、ただ一つの正解を探さなくてもいいです。 自分の心を決めて、その決めた通りに行えばいいのです。 当然、その決定の基準は神様と聖書にあるべきです。これらを通して世は私たちの弁論と対抗を通して神様を見るのではなく、私たちの生き方を通して神様を見ることになるでしょう。  世の扇動で道を迷っている時、私たちはまず御言葉を開かなければなりません。しかし、御言葉の中でもその道がはっきりわからないのであれば、黙っていることでいいです。見ないふりをするのではなく、主に拠り頼み、その問題と私たちの道を委ねることが私たちが進む道でしょう。 https://youtu.be/dpTfyIYvqp0?si=clwloF9cpFfh-Zv6

열왕기하 묵상 【세상의 선동】 20240803(토) 최종석 전도사

열왕기하 18:26-37 18:26 힐기야의 아들 엘리야김과 셉나와 요아가 랍사게에게 이르되 우리가 알아듣겠사오니 청하건대 아람 말로 당신의 종들에게 말씀하시고 성 위에 있는 백성이 듣는 데서 유다 말로 우리에게 말씀하지 마옵소서 18:27 랍사게가 그에게 이르되 내 주께서 네 주와 네게만 이 말을 하라고 나를 보내신 것이냐 성 위에 앉은 사람들도 너희와 함께 자기의 대변을 먹게 하고 자기의…

列王記第二 黙想 【世の中のキリスト者】 20240802(金) 枝川愛の教会 崔種碩 神学生

列王記第二 18:13-25 18:13 ヒゼキヤ王の第十四年に、アッシリアの王センナケリブが、ユダのすべての城壁のある町々に攻め上り、これを取った。 18:14 ユダの王ヒゼキヤは、ラキシュのアッシリアの王のところに人を遣わして言った。「私は過ちを犯しました。私のところから引き揚げてください。あなたが私に課せられるものは何でも負いますから。」そこで、アッシリアの王はユダの王ヒゼキヤに、銀三百タラントと金三十タラントを要求した。 18:15 ヒゼキヤは、主の宮と王宮の宝物倉にある銀をすべて渡した。 18:16 そのとき、ユダの王ヒゼキヤは、自分が主の神殿の扉と柱に張り付けた金を剝ぎ取り、これをアッシリアの王に渡した。 18:17 アッシリアの王は、タルタン、ラブ・サリス、およびラブ・シャケを、大軍とともにラキシュからエルサレムのヒゼキヤ王のところへ送った。彼らはエルサレムに上って来た。彼らは上って来ると、布さらしの野への大路にある、上の池の水道のそばに立った。 18:18 彼らが王に呼びかけたので、ヒルキヤの子である宮廷長官エルヤキム、書記シェブナ、およびアサフの子である史官ヨアフは、彼らのところに出て行った。 18:19 ラブ・シャケは彼らに言った。「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリアの王がこう言っておられる。『いったい、おまえは何に拠り頼んでいるのか。 18:20 口先だけのことばが、戦略であり戦力だというのか。今おまえは、だれに拠り頼んでいるのか。私に反逆しているが。 18:21 今おまえは、あの傷んだ葦の杖、エジプトに拠り頼んでいるが、それは、それに寄りかかる者の手を刺し貫くだけだ。エジプトの王ファラオは、すべて彼に拠り頼む者にそうするのだ。 18:22 おまえたちは私に「われわれは、われわれの神、主に拠り頼む」と言う。その主とは、ヒゼキヤがその高き所と祭壇を取り除いて、ユダとエルサレムに「エルサレムにあるこの祭壇の前で拝め」と言った、そういう主ではないか。 18:23 さあ今、私の主君、アッシリアの王と賭けをしないか。もし、おまえのほうで乗り手をそろえることができるのなら、おまえに二千頭の馬を与えよう。 18:24 おまえは戦車と騎兵のことでエジプトに拠り頼んでいるが、私の主君の最も小さい家来である総督一人さえ追い返せないのだ。 18:25 今、私がこの場所を滅ぼすために上って来たのは、主を差し置いてのことであろうか。主が私に「この国に攻め上って、これを滅ぼせ」と言われたのだ。』」    聖書は世界中のベストセラーで、今でも多くの国、部族の言語に翻訳され、語られています。それは、聖書の内容がこの世の中に伝えられているという意味でもあります。  しかし、これらの聖書の内容が伝えられるのはキリスト者だけではありません。単なる教養知識として聖書の内容に接する人も、むしろ聖書を批判し、キリスト教を批判するために聖書の内容を研究する人も大勢いるでしょう。  今日エルサレムに攻め込んできたアッシリア人たちもやはり、イスラエルの神である主について知っていました。エルサレムの祭壇の前だけで礼拝しなければならないという規例も知っていて、イスラエルの人々が口癖のように告白していた「われわれは、われわれの神、主に拠り頼む」ということも知っていました。むしろ、アッシリア人のラブ・シャケの言葉がイスラエルを叱る預言者の言葉のように聞こえるようです。しかし、彼は明らかに神様について誤解しています。  このようなことは、聖書が世界中のベストセラーとなっているこの時代を生きている私たちにも同じく起こっているでしょう。聖書に対する浅い知識や理解を持ってキリスト者を騙し、批判する人々は確かに今の時代にも存在しています。私たちはそのような世の中に遣わされたキリスト者として生きていくのです。  彼らの言葉に惑わされないためには、聖書を正しく知ることが必要でしょう。一節の御言葉に頼るのではなく、その御言葉を囲んでいる聖書全体に頼り、口癖のような告白ではなく、こころからの告白として神、主に拠り頼むと告白しなければならないでしょう。https://youtu.be/GgFab1Gj8eE?si=It92IBEl8H64bnrH

열왕기하 묵상 【세상 속의 그리스도인】 20240802(금) 최종석 전도사

열왕기하 18:13-25 18:13 히스기야 왕 제십사년에 앗수르의 왕 산헤립이 올라와서 유다 모든 견고한 성읍들을 쳐서 점령하매 18:14 유다의 왕 히스기야가 라기스로 사람을 보내어 앗수르 왕에게 이르되 내가 범죄하였나이다 나를 떠나 돌아가소서 왕이 내게 지우시는 ㄱ것을 내가 당하리이다 하였더니 앗수르 왕이 곧 은 삼백 달란트와 금 삼십 달란트를 정하여 유다 왕 히스기야에게 내게 한지라 18:15 히스기야가…

Ⅱ列王記 黙想 【銅の破片】 20240801(木) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 18:1~1218:1 イスラエルの王エラの子ホセアの第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。18:2 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。彼の母の名はアビといい、ゼカリヤの娘であった。18:3 彼は、すべて父祖ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。18:4 高き所を取り除き、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し、モーセが作った青銅の蛇を砕いた。そのころまで、イスラエル人がこれに犠牲を供えていたからである。これはネフシュタンと呼ばれていた。18:5 彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。18:6 彼は主に堅くつき従って離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守った。18:7 主は彼とともにおられた。彼はどこへ出て行っても成功を収めた。彼はアッシリアの王に反逆し、彼に仕えなかった。18:8 彼はペリシテ人を討ってガザにまで至り、見張りのやぐらから城壁のある町に至るその領土を打ち破った。18:9 ヒゼキヤ王の第四年、イスラエルの王エラの子ホセアの第七年に、アッシリアの王シャルマネセルがサマリアに攻め上って来て、これを包囲し、18:10 三年後にこれを攻め取った。すなわち、ヒゼキヤの第六年、イスラエルの王ホセアの第九年に、サマリアは攻め取られた。18:11 アッシリアの王はイスラエル人をアッシリアに捕らえ移し、彼らをハラフと、ゴザンの川ハボルのほとり、またメディアの町々に定住させた。18:12 これは、彼らが彼らの神、主の御声に聞き従わず、その契約を破り、主のしもべモーセが命じたすべてのことに聞き従わず、これを行わなかったからである。 今日の本文では、北イスラエルはアッシリアによって最終的に滅亡し、南ユダの王となったヒゼキヤは全面的な改革を成功裏に推進します。イスラエルの滅亡がヒゼキヤにとっては政治的、宗教的な覚醒の契機となったことでしょう。ヒゼキヤはアッシリアの支配権から脱し、ペリシテ人を討ち、内部的には宗教改革を断行します。誰もが実現できなかった高き所を取り除き、偶像の根拠となるすべてを破壊します。改革しなければ本質を回復できず、破壊しなければ改革はできません。改革には創造的破壊が必要です。改革という時代の隙間に挟まれた者であるならば、破壊を恐れてはならないのです。 ヒゼキヤは高き所と柱とアシェラの木像を除去しましたが、その中でもユダの人々が大切にしていた青銅の蛇も壊してしまいました。青銅の蛇の話は民数記21章に出てきます。イスラエルの民が荒野で不平と不満を言うので、神様は火の蛇を送って彼らを噛ませました。そして、民がモーセに仲裁を求めると、神様はモーセに青銅の蛇を作って竿にかけるよう命じました。その青銅の蛇を見上げた人は誰でも生きました。救いは能力を要求せず、従順を要求します。だから信じずに青銅の蛇を見上げなかった人々はみな死にました。見るだけで救われると言っても、信じないと決めた人は死んでも見上げません。 ヒゼキヤはそれほど重要な記念碑的なモーセの青銅の蛇を破壊しました。それまで青銅の蛇は国宝や文化財のレベルで崇拝されていたのではないでしょうか?ヒゼキヤはそれを打ち壊し、それをネフシュタン(נְחֻשְׁתָּן, Nehushtan)と呼びました。ネフシュタンは銅の破片という意味です。青銅の蛇さえも、時が経つにつれて偶像化され、ヒゼキヤの識別力は、それもただの銅の破片に過ぎないということです。神様の命令によって作られ、救いの道具として用いられたものであっても、偶像を崇拝することを好む人間によって偶像に変質します。それは改革者によって打ち壊さなければなりません。 宣教チームとして仕えてくださるチュンヒョン教会の前庭には、有名な作家が制作した聖書の彫刻があったそうです。作家は神様の御言葉というテーマのために聖書というモチーフを使ったのでしょう。しかし、誰かがその前で仏像に向かって祈るように祈っているのを見て、教会は驚いてその高価な彫刻を撤去してしまったそうです。それは神様ではなく、神様の御言葉でもなく、ただの石です。聖書の活字は紙にインクで印刷されたものでしから読まれずに本棚に置かれた聖書はただの紙片に過ぎず、自分の十字架を背負わないならその十字架は木片に過ぎず、礼拝や宣教をしない教会の建物は産業廃棄物になるコンクリート構造物に過ぎません。ヒゼキヤが素晴らしいのは、ヒゼキヤが打ち壊したのが高き所や石の柱や木像や青銅の蛇という建物や物ではなく、骨の髄まで染み付いた自分の宗教を改革したからです。

열왕기하 묵상 【구리 조각】 20240801(목) 에다가와 사랑의교회 조용길 목사

열왕기하 18:1~1218:1 이스라엘 왕 엘라의 아들 호세아 삼년에 유다 왕 아하스의 아들 히스기야가 왕이 되니18:2 위에 나아갈 때에 나이 이십 오세라 예루살렘에서 이십 구년을 치리하니라 그 모친의 이름은 아비라 스가리야의 딸이더라18:3 히스기야가 그 조상 다윗의 모든 행위와 같이 여호와 보시기에 정직히 행하여18:4 여러 산당을 제하며 주상을 깨뜨리며 아세라 목상을 찍으며 모세가 만들었던 놋뱀을 이스라엘 자손이…

Ⅱ列王記 黙想 【執着と不安】 20240731(水) 枝川愛の教会 趙鏞吉 牧師 

Ⅱ列王記 17:34~41 17:34 彼らは今日まで、以前の慣わしのとおりに行っている。彼らは主を恐れることはなく、主がイスラエルと名をつけたヤコブの子たちに命じられた、掟や定めや律法や命令のとおりに行うこともない。 17:35 主はイスラエル人と契約を結び、次のように命じられた。「ほかの神々を恐れてはならない。これを拝み、これに仕えてはならない。これにいけにえを献げてはならない。 17:36 大きな力と、伸ばされた腕をもって、あなたがたをエジプトの地から連れ上った主だけを恐れ、主を礼拝し、主にいけにえを献げなければならない。 17:37 主があなたがたのために書き記した掟と定めと律法と命令をいつも守り行わなければならない。ほかの神々を恐れてはならない。 17:38 わたしがあなたがたと結んだ契約を忘れてはならない。ほかの神々を恐れてはならない。 17:39 あなたがたの神、主だけを恐れなければならない。主はすべての敵の手からあなたがたを救い出される。」 17:40 しかし、彼らは聞かず、以前の彼らの慣わしのとおりに行った。 17:41 このようにして、これらの民は主を礼拝すると同時に、彼らの刻んだ像にも仕えた。その子たちも、孫たちも、その先祖たちがしたとおりに行った。今日もそうである。 17章では、「恐れ」という言葉が12回繰り返されます。今日の本文でも、「恐れ」という言葉が7回出てきますが、40節を除くすべての節でこの言葉が使われています。韓国語では「敬畏」となっていますが、尊敬の「敬」と「畏」なので愛しながらも恐れるという意味です。この二つの思いが共存し、調和できるということは私たちがすでに知っています。ヘブライ語では「ヤレ(יָרֵא)」という言葉でありますが、やはり、恐れを意味します。ただし、これは恐怖ではなく、尊敬と愛を伴う「畏」です。愛が深ければ恐れもあります。大切だからこそ、その大切さを扱う態度から恐れが生じるのです。 本文で使われている「恐れ」は、神様に対しても使われていれば、偶像に対しても使われています。偶像を「敬畏」するということです。偶像を愛するあまり、それを失うのではないかと心配するのです。神様を愛さず、神様を恐れないと、人間は必ず他のものを慕い、執着するようになります。目に見える偶像を拝まず、目に見えない神様に仕えるということは、目に見えるものに心が引かれやすいのですが、生を支える基盤と構造の中にある神様の恵みを考えなさいということです。 神様を愛するということは、神様にみならっていくことであり、神様を恐れるということは、自分を制御するということです。これに対して、偶像を愛するということは、自分に執着することであり、偶像を恐れるということは、それを失うのではないかと常に不安になるということです。神様を恐れるか、偶像を恐れるか、それをもって区別できます。神様が恐れを求められる以上、人間には神様を愛するような力があり、自分を制御する力をもあるということです。誘惑があっても、より重要なことを考える人は、自分の身体と心を守ることができます。 神様の恵みは目に見えなくても、人生の構造を形成していることでしょう。それを当然の権利、特別でない日常と考えてしまうかもしれません。しかし、イスラエルは奴隷の民、荒野で彷徨う民族でした。彼らが何を必要とし、何を追い求めていたかは分かりませんが、その生活がすでに神様の恵みの上にあるということを考えなければなりませんでした。神様を愛して神様と神様の恵みを考えると、神様の恵みの外に出ることは恐ろしいことです。恐れるべきことを恐れ続けたいと思います。